歎異抄に聞く

                第1回

以前、いわき市社会福祉センターで行われた歎異抄に聞く会の講義録です。
現在は、年2回、寺報「プラサーダ」に掲載しております。
《はじめに》
 
歎異抄の本題に入ります前に、若干、明賢寺とその宗派についてお話します。
派名は真宗大谷派と申します。宗旨で言えば、浄土真宗。本山は京都駅前の東本願寺
浄土真宗には、十派あり、そのうち2つが特に大きな教団で、「お東」と呼ばれる大谷派と、
「お西」と呼ばれる本願寺派であります。それぞれ、東本願寺、西本願寺を本山としているためそのように世間では呼ばれているように思われがちですが、実は、共に寺号は本願寺ですが、それでは識別しにくいということがあり、東にある本願寺を通称東本願寺といい、短く「お東」と呼び習わしているということです。
 大谷派には、約九千の末寺があり、福島県内には、32ケ寺あります。因みに、いわき市内には仏教寺院が約二百ケ寺ありますが、うち浄土真宗は4ケ寺(すべて大谷派)、割合で言えば、わずか2%ということです。
 明賢寺は山号を帰命山といいます。寺は山号を持ちます。
我々の生活する場を「里」といい、そこは煩悩を引き起こす縁が満ち満ちている所です。
煩悩は煩悩としてあるのではなく、縁に触発されて身を煩わし、心を悩ます煩悩という形をとります。煩悩を刺激する縁に満ち溢れている場が里で、その里を厭離した場を「山」と言います。できるだけ煩悩を引き起こす縁のすくない「山」を仏道を歩む道場としたわけです。
 山号を持つということは、たとえ、里の只中にあったとしても、そこに道場を開くと言う意味があります。もっとも、浄土真宗と言うのは、煩悩を克服したり、煩悩を遠ざけねば成り立たない教えではないどころか、煩悩の只中にこそ開かれる教えにはちがいないのですが、だからといえ煩悩は肯定されるべきでも、其処に居直れるものでももちろんありません。煩悩を良しとしている日常を出るということを示す言葉がまた、山であります。
 つまり山号は、そこが道場であるという事を表しています。今では、道場というと、剣道場・柔道場となにか、武道に励む場のように思われていますが、言葉そのものの本来の意味で言いますと、お釈迦さまが「覚り」を開かれた場を言いました。
つまり、道場は菩提道場を短く言ったものだったのです。菩提とは覚りのことです。
なお、お釈迦さまが覚りをお開きになったのが、ガヤという町のピッパラ樹とい樹の下であったのですが、その後、ピッパラ樹は、菩提樹(覚りの樹)、その町はブッダガヤ(ブッダは覚りの意)と呼ばれるようになります。
 つまり、道場は覚りを明らかにすることが求められている場であり、寺はみな道場であります。浄土真宗では、特に寺を聞法道場としてみてきたという伝統があります。念仏の教えを聞いて聞いて聞き開くことによって、ご信心をいただくことこそが、真宗門徒にとっての覚りを開くということにつながるからです。聞法は念仏の教えを聞きつづけることです。
寺の本堂に、一般の住宅と違って多くの畳を敷いてあるのも、そこに大勢のご門徒が集い、念仏の教えを聞くためであります。 
 しかし、世間はどうもそのようには見ていないようです。寺というと法事・葬式だけをこととして、仏教は亡き人にのみ関わるもの、いわゆる葬式仏教という見方であります。これは、現状に合わせての寺との関わりのあり方をいうと共に、本来そう言うものではないはずだという鋭い批判でもあるといえましょう。
 そういう中で、聞法道場としての寺の機能を回復しようとして、このような場(社会福祉センター)に、つまり寺を出て、仏法にふれる法座を開くことの意味は、これから益々大事なことになるでしょう。
 ところで、この会のなまえは「歎異抄に聞く会」といいます。けっして歎異抄を聞く会ではありません。「に」と「を」の違いだけのようですが、歎異抄を対象として学び研修する会ではありません。聞くという動詞は、「AにBを聞く」という、二つの目的語を持つ動詞とみることができるといってよいでしょう。Aに当たるのは、歎異抄ですが、では果たして、Bにあたるのは何であるのか。歎異抄に「何を」聞き開こうとするのか。
仏法を聞き学ぶとき、それは等しく私自身を、さらには、人間存在そのものをそこに、学ぼうとしているのだと言えるかと思います。聞法とは、仏法に、この私自身を、人間存在そのものを聞き開くことにほかなりません。歎異抄に聞くというとき、古典としての歎異抄を学ぶということであるより、歎異抄を通して自己自身を学ぶことであると申せます。
 ところで、いまも多くの宗教書が出版されています。これまで日本で発行されたすべての宗教書の中で、聖書を除いて、歎異抄がその発行部数と解説書の多さにおいて群を抜いているといえるでしょう。
 ではなぜ、それほど多くの人々に読みつづけられてきたのでしょうか。いくつかの理由が考えられますが、3点ほど挙げると次のように言えるかと思います。
 まずなんと言っても、善悪の二つにがんじがらめに縛られている我々にとって、善悪を逆転するあるいは相対化する視点が説かれていることを挙げなければならないでしょう。3章・13章および後序に説かれるところです。
 第二点は、念仏して地獄に堕ちても後悔しない(2章)とか、父母の供養の為に念仏申したことは無い(5章)とか、我々が当然と思っていることを正面からひっくり返すような表現が随所にあり、驚かされると共に大いに引き付けるものであります。
 そしてさらには、親鸞聖人の目線の低さへの共感ということが挙げれるかと思われます。一例を言えば、弟子が念仏申しても、喜びもいそぎ浄土にまいりたいとも思いませんが と言うと、私も同じだとその問いを受けられる(9章)。 それらのことが、浄土真宗門徒であるかどうかを超えて、多くの人々を魅了しつづけた要因の一つではなかったかと思われます。

  
《歎異抄の構成》
 次に、歎異抄の構成について見てみましょう。
 本文は18章からなり、それに前序と後序が付いています。本文18章は、親鸞聖人の言葉を中心に綴った「御物語」10章と、当時の異義を告発する形で書かれた「歎異篇」8章からなっています。「御物語」は、作者が、親鸞聖人から聞き取った教えを忘れることなく、耳の底に止めていたところを書きとどめたものであるとあります。明確な資料的なものはないのですが、この歎異抄が書かれたのは、親鸞聖人の没後26,7年経ってからでないかと、考えられます。四半世紀以上経っても、忘れられない言葉をたもち続けられたということであります。
 この書のタイトルが、歎異抄とありますように、後半の「歎異篇」が中心だということが出来ます。歎異の「異」とは、異義・異安心を差し、信心が違うということです。そして、どう違い、何に異なるのかといえば、「先師口伝の真信」に異なるのであると、前序にはあります。そして、その先師口伝を表すのが「御物語」に他なりません。まず、1章から10章までで親鸞聖人の真実信心を明らかにして、それに照らして異なった信心である異義8章を解き明かされる。
 中心は、歎異篇だと言いましたが、しかし、決して異義・異安心の人々を告発することが中心テーマではありません。異義・異安心は、実は我々自身がいつでも陥りやすい信仰理解を取り上げていると言えます。どこかにいる異義・異安心の人々に対して書かれたというより、我々自身に向けて書かれたものと言えます。

  《真実信心》
 親鸞聖人の語録である「御物語」と異義・異安心の「歎異篇」を貫くテーマは、真実信心であります。どこまでも、御物語と異義・異安心を通して、真実信心を明らかにしようということです。
 ところで、信心というと心的作用であり、ひらたく言えば、心の持ち方のように思っておられる方が多いかと思います。心のありようということになりますと、十人十色、千差万別ということになるのでしょう。違うのが当たり前で、そんなことを問題にすること自体、ナンセンスだということになります。
 たとえば、阿弥陀様を信じるという時、どうでしょうか。その中味となると、随分いろいろあるのではないでしょうか。ある人は、阿弥陀様は、我々が一生懸命お願いすれば、我々の願いを聞き届けてくださる仏さまであると信じておられるかもしれません。
また、阿弥陀様は、何時もこの私を見守り続けてくださる仏さまであると信じている人もいるでしょう。あるいは、日頃、お参りを欠かさないと、亡くなるときには、この私を極楽に導き入れてくださる仏さまであると。
 このようにみてきますと、信心の中味は、我々の了解であったり、認識がもとになっているということが出来ます。その了解や認識が、まちまちであれば、当然、信心も一人ひとり違ったものになります。
 歎異抄の前序では、われわれの了解や認識を「自見の覚悟」といい、それをどれだけ固めて堅固なものにしても、それは真実信心には決してならないといましめます。
 信心の異なりである異義・異安心は、どうすれば克服できるのでしょうか。親鸞聖人の信心と違うというのですから、親鸞聖人と同じ了解、認識に至らなければダメなのでしょうか。
しかし、我々が、親鸞聖人と同じように念仏に対する深い認識に至ることなど不可能に近いといえるでしょう。では、どうすればいいのでしょうか。

  《如来より賜りたる信心》
 丁度、そのことは、親鸞聖人の若い時代のエピソードにたずねることが出来ます。
親鸞聖人は、29歳の時、20年にわたり修行を重ねられた比叡山を下りて、法然上人のもとに身を寄せられます。ややしばらくして、ある学習会の席なんでしょうか、親鸞聖人が「私の信心と師法然様の信心は同じです」と、おっしゃいました。それを聞きつけた高弟たちが、なんとおまえは不遜な事を言うかと、厳しくたしなめます。
 しかし、親鸞聖人は、些かもひるむことなく、「師法然様の智慧才覚と同じだといえば、みなさんのご批判ももっともですが、そうではなくて、信心が同じだということを言いたいのです」と。
この問答が続き、埒があかず、お師匠様に決着を付けてもらいましょうということになり、法然上人にうかがうと、「源空が信心も、善信房の信心も同じである。なぜなら、ともに如来より賜りたる信心であるから」と、おっしゃいました。源空は、法然上人の房号。善信は親鸞聖人の房号。
 高弟たちは、信心が同じということを、師匠の法然上人と30歳そこそこの若輩ものの善信房とが、同じ了解に達していると解したものですから、たしなめずにおれなかったのでしょう。
しかし、法然上人は、信心は如来より賜りたるものとおっしゃる。
 我々は、信心というと、我々の了解がもとにあり、それを出来るだけ純化したり、深化することと考えていないでしょうか。ところが、法然上人・親鸞聖人は、信心は私に根拠があるのではなく、如来に根拠があるのだと、おっしゃる。私が、こうでないか、ああでないかと、思案を巡らし、思索を重ねて創り上げるものではなく、如来さまのお心がこの私の上に至り届くこと、如来様の願いがこの私のうえに振り向けられることを、信心を頂くといいます。
 我々の先輩たちは、自分の上におこった信心を、「ご信心」と、「ご」を付けて呼びました。自分の上におこった心に違いないけれど、それは、如来様から頂いた如来様のお心という頷きがあったから、ご信心と言ったのでしょう。
 我々の心がどれほど、バラバラでも、そこに如来様のお心を頂くわけですから、それはみな同じということになります。

  《聞法こそが、真宗のいのち》
 そこで、浄土真宗では、聞法ということが最も肝要になります。如来様のお心を聞き抜き、如来様の願を聞き開くことによって、そのお心を我が心として頂く、そのことを如来より賜りたる信心とおっしゃる。
 つまり、歎異抄の中心課題は、如来様から賜る真実信心を明らかにすることであり、それは、如来様のお心、如来様の願いをたずねることに他なりません。