消し炭で作られた塔



戦況は最悪だった。
ミッターマイヤー率いる小隊が連絡を絶ってから既に3日。
帝国が拠点を築いてきた場所はことごとく反乱軍の手によって落とされ、最後に残った市街も陥落は時間の問題となっていた。
「後退もいたしかたない、が、ぎりぎりまで空港周辺は死守しろ、友軍の救出だけは続けるんだ」
「了解」
「収容機、降下続けます」
「市内北部方面部隊、連絡が途絶えました」
「ロイエンタール大尉、気象班から連絡です」
「回せ」
ロイエンタールは、報告に耳を澄ませた。
「北東部の丘陵を吹き下ろす風がフェーン現象による熱風に変わっています。この湿度の低さでは現在延焼中の丘陵地帯から空港にかけて大規模な火災は避けられません」
瞬く間に事態は更に悪化した。
強風の季節、フェーン現象、大規模火災による気流の変化。
空港施設は使いものにならなくなり、延焼により市街の大半は焼け落ちた。
臨時管制の元、空港だった場所にロイエンタールは救出のための艦を差し向け続けた。
「いつまでやっている、すぐそこまで反乱軍が来ているのだぞ」

失えない。
なにがあっても。
死ぬはずがない。
自分を置いて。

ロイエンタールは焦っていた。
限界はとっくに過ぎている。
このままでは救助艦まで墜とされてしまう。
「収容可能人員あと150です。離陸可能まであと20分」
「20分後に離陸、救助活動を終了する」
ロイエンタールは、耳元に流れる上官命令を遠く聞いた。

終わるのか。
こんなところで終わってしまうのか。
俺ではなく、お前なのか。
何故、何故、何故!!

「北部方面、クルト隊より入電、救助を待っています」
「何名だ」
「20名ほどだそうです」
「よし、小型機を出す」
クルト隊はミッターマイヤー隊と行動を共にしていた。
何か判るかもしれないという気持ちをロイエンタールは押さえられなかった。

呪われた邪眼を持ち、生まれ落ちたその瞬間から、疎まれ否定され続けた己の存在。
幾重にも壁を作りドアを閉め、守らなければ壊れてしまっていただろう。
幼い頃から、自分が存在している事実を証明しながら生きてこなければならなかった。
長じて軍人としての道を歩み始めてからは、いつしか疲れ果て、すべての他人を寄せ付けることもなく、孤独のうちにどこかへ流れていくのだと思っていた。
硝子越しに眺めていた、流れるモノクロームの人々の中からたった一人、いとも簡単に何もかも飛び越えて降り立った光があった。
見つけることが出来た。
出逢うことが出来た。
否定も拒絶も抵抗も役に立たなかった。
求めていたのだ。
欲しかったのだ。
その存在を得て、初めて自分は生きていることを実感した。
一人では知り得なかった幸福が、二人いることで何倍にもなることを知った。
多分、彼の味わうその気持ちはミッターマイヤーとて理解に及ばないかもしれない。
それでも良かった。
この世界でたった一人、自分のために存在してくれる誰かを得られた喜びは何ものにも代え難かった。
だから、なくすことなど有り得ない。
失うことなどあってはならなかった。

「着陸しますか?ロイエンタール大尉」
「対空砲に注意しろ、収容次第離陸する」
小型機は音もなく瓦礫になった街の道路上に着陸した。
隠れていたと思われる帝国軍兵士が駆け寄ってくる。
ロイエンタールは武器を持ち、収容ゲートをくぐり抜け走り出していた。
「クルト!!ミッターマイヤー隊はどうした?」
重傷を負って背負われたクルトを見つけたロイエンタールは声を張り上げていた。
「ミッターマイヤー隊は…ほぼ全滅です…」
「ウォルフ達とは、ここへ来るまでの間に別れました」
「…退路を…確保すると…」
ロイエンタールは、沈み行く真っ赤な太陽を睨み付けた。
焼け落ちたビル群がどす黒く浮かび上がる。
その時、道の向こうから数人の影が近付いてくるのが見えた。
追いすがる反乱軍と銃撃戦を交わしている。
「敵だ!身方を援護しろ」
ロイエンタールは通信機に叫ぶと走り出す。
間に合えと願いつつ走る目の前で、帝国軍兵士が一人胸を撃ち抜かれて倒れた。
ロイエンタール達が駆けつけた時、その場に立っていたのはたった三人だった。
轟々と鳴る風の音が一瞬止んだ。
流れる煙と砂埃の中、銃を構えた小柄な姿を見間違うはずがない。
最後に残った夕日が蜜色の髪を薔薇色の後光に変えていた。
「よう、ロイエンタール。遅いじゃないか」
「間に合っただけでもありがたいと思え」
不安も怖れも、光の速度で吹き飛んだ。
「下がれ、ミッターマイヤー。退路を確保する。艦はいつでも離陸出来る」
「すまん、頼んだ」
ミッターマイヤーは、倒れている自分よりも体の大きな兵士を肩に担ぎ上げると走り出す。
数刻の後、小型機は無事離陸し、多大な犠牲を払い敗走した帝国軍は撤退を完了した。

巨大な輸送艦の中は、負傷兵の手当をする人々が忙しく立ち働いていた。
「ミッターマイヤーは?」
食堂で無事を喜び合う兵士達に問いかけると、彼らは一斉に部屋の隅を指さした。
「とっくに限界らしい」
「ねんねの時間」
どっと笑い声が弾ける。
ミッターマイヤーの周りはいつもこうだった。
「三日三晩寝てないんだ、寝かしてやれよ、ロイエンタール」
ロイエンタールは、その声に手を振って応えた。
汚れ、煤けた服のまま、ミッターマイヤーは蹲っていた。
ロイエンタールは、その愛しい蜂蜜色の髪を指先で掻き回し、存在を確認する。
そのまま小柄な身体を肩に担ぎ上げ、食堂を後にした。
誰もいない休憩室で、長椅子に横たえて確保してきた毛布を掛けてやる。
乱れた蜜色の髪を頂く小さな頭を膝の上に載せ、額や頬についた傷を指先でなぞっていると、不意にミッターマイヤーの手がそれを握った。
「ワルキューレじゃなくて卿だったか…」
「一足違いだったようだがな」
「卿で…良かっ…た」
すう、と再びミッターマイヤーは眠ってしまった。

足の上の重みと温もりは、震えるほどの喜びだった。
「もうこんな怖ろしい思いをさせてくれるな、ミッターマイヤー」
そっと呟く。
生きた心地がしなかったこの三日間をロイエンタールも殆ど眠っていなかった。
過去、眠れずに過ごした夜はたくさんあった。
天蓋付きのベッドと暗闇の部屋は、幼い彼にとって塗炭の苦しみの宿る塔だった。
もう戻らなくても良いのだと差し延べられた手を、どうして今更手放すことが出来るだろう。
たとえこの先に何があろうとも、消し炭色の塔を後にした彼は戻るべき魂の港を見つけたのだ。

やがて、二人の寝息が重なる。
再びその足で立ち、彼方遠くを目指すための、束の間の休息。


いろは企画 「け」 消し炭で作られた塔 2003.11.21
このタイトル、物語作るの難しい…よね??捻り回した挙げ句、結局いけいけガンバレな頃の二人になってたり。
でもって、こういうロイエンタールを書いたのは初めてかもしれない…すっごく恥ずかしい(笑)

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