お西山食歳記

黄門様の四季の宴

水戸光圀公「黄門さんは、大グルメだった」    渡辺 斉

 常陸太田ライオンズクラブでは、創立三五周年を記念し、当地ゆかりの水戸黄門公に着目、「黄門さま、四季の宴」と題し、黄門さんの大グルメぶりを三富正雄、和代氏の編集著作により発刊しました。
 四季おりおりの食材を生かし、自ら台所に立っての巧みな包丁さばきは、自慢のタネだったようです。
 「春の花見」「夏のスタミナ料理」「納涼まつり」「秋の重陽の節句」「マツタケの宴」「月見の宴」「冬のいろり開き」「正月、梅見の宴」等等、その時々の出席者や逸話をおりまぜ、参考文献にもとずき「宴のかたち」が紹介されています。
海外にまで、その食材を求めた貪欲なまでのグルメぶりは、見事なものです。
それではその一部を紹介しましょう。


詳しくは原本に譲ります。
ご入用の方は、ライオンズクラブ事務所まで申し込みください。
お譲りいたします。

2OO1年3月25日発行
   企   画 茨城弘報(株)
           常陸太田L C 渡辺 斉
   編集・著作 オフィス リーベ
            三富 正雄
            三富 和代
   発   行/ 常陸太田ライオンズクラブ
           常陸太田市宮本町394番地
   ●禁無断転載
   ●資料・復元料理写真提供 大塚子之吉氏


目 次

まえがき(四季の宴と日常生活)
光圀と斉昭
〔花見の宴〕帰順寺の花見
〔花見の宴〕久昌寺の糸桜
〔花まつり〕西山荘の花御堂
〔端午の節句と田植え〕はしりのカツオ
〔誕生会〕手打ちひやむぎ
〔納涼〕黄門さまのスタミナ料理
〔八朔〕夏の夜を楽しむ
〔重陽の節句〕味覚の秋を満喫
〔マツタケの宴〕御酒ゆるゆると
〔月見の宴〕光園の包丁さばき
〔紅葉狩りの宴〕炉開き
〔正月・梅見の宴〕豪華に春を待つ
記録書に見る「水戸黄門さまの宴」
アユの足半料理・南蛮渡来の料理


光圀と斉昭
          茨城地方史研究会長 佐久間 好雄


 水戸では光圀(義公)と斉昭(烈公)が二名君として知られ、種々の点で二人がよく対比されている。明治時代には二人並んで神として常磐神社に祀られている。
 さて光圀は水戸藩中士の娘を母として誕生するが、本来「水子」にされるはずであったのを、三木之次(ゆきつぐ)夫妻の子として江戸の藩邸でなく、水戸柵町の三木の屋敷で生まれ三木家の子として育てられた。光圀が正式に父頼房の子として認められるのは、十六歳になってからである。・・・以下略



アユの足半(あしなか)料理

 太田の隠居所から、近郷近在を訪ね歩くのが好きだった黄門さま。奥久慈の小里郷にやってきた時、アユ漁の最盛期だった。
 土手の上からアユ釣りの様子を見ていたが、グルメ心が燃えたらしく、突然川原に下りて、「アユ料理をする。まな板、包丁を・・」と大騒ぎになった。
 アユをさばく刃物はあるにしても、山間の川原にまな板はない。
 そこで黄門様は、「だれか履きたる足なかぞうりを・・」。足半(あしなか)ぞうりとは、釣り師が川のなかで、石などで滑らないようにはくぞうり。
 そのぞうりをまな板がわりに使おうというご隠居のアイデア。水の中のぞうりはきれいであることと、ぞうりの裏側の滑らないようにしてあるわらの細工が、魚体がつるつるのアユを調理するのに具合がいいとの機転だった。
  「その上(ぞうりの)にて、小柄で裁断すべし。わらほど清浄なるものはなし」と記録書にある。
  「アユの足半料理」として復元されている。


南蛮渡来の料理

 四つ足動物の肉を食べたり、スパイスを使った料理、牛乳やぶどう酒を飲む。ハイカラだった光圀は、招いた儒学者から海外の食文化を学んではオリジナルなものを考案している。外国帰りの船乗りがもたらす情報も聞き漏らさず、健康食品づくりに生かしていく。食への食欲さが感じられる。
 当時の記録書に出てくる南蛮料理を拾ってみると、牛肉のなます(牛刺し・牛タタキ風)、アサリ貝の牛乳仕立て蘇伯-(スープ)、豚肉の角煮風、ぶどう酒、牛乳酒など。
 これらの南蛮渡来の料理をこしらえるために、牧場をつくって牛を放牧し、薬草園で香辛料の栽培を積極的に進めた。
 光圀は、「牛乳の効能は牛肉よりもなおさら大なり」とその栄養価を評価し、家臣にも飲ませたとされる。ぶどう酒も藩内で醸造しているが、ブドウの実を絞って発酵させたていどで、上等なものではなかったろうが、海外の文化への関心は、かなりのものだった。