「WADADAS'01」の精神
 

そもそも、「和田哲」は人類が等しく享受できる「普遍的価値」と言って差し支えなく、

その存在およびその存在の今日的意味、哲学的背景はおしなべて、幸福、歓喜、欣喜、驚愕、愉悦、恭悦の象徴に他ならない。

あまつさえ、「和田哲」的言動、所作、錯誤、落胆、狼狽、過失、失笑、冷笑は人類の恒久平和の礎と為し、

広く国際社会から専制と忍従、圧迫と偏狭を除する一翼を担うものであることは、畢竟、論を待たない。

開闢以来、人類が誕生し、その後、原始共産制、封建社会、市民革命、社会主義革命、など、

様々な社会・政治制度の果てに辿り着いた今日の市民社会。

われらは、「WADADAS'01」はその市民社会が苦闘し、

軋轢やコンフリクトの弁証法的止揚を試みる中で生まれた歴史的必然であると確信する。

 
「WADADAS'01」が生まれた背景
 

1977年4月1日、東京都に本社を置く、ある広告会社に入社した「和田哲」。

彼は、その溢れるヒューマニティ、度量の広さ、剛胆さ、繊細さ、など

およそ愛すべきいくつかの要素を兼ね備えた人間として、

ある時はハナバナしく、ある時は、バカバカしく、人口に膾炙され続けた。

広告をこよなく愛する人間としてはもちろん、他の人の境遇にも深くイマジネーションを働かせ、

彼はやがて労働組合活動も併せて行うこととなった。

彼を愛し、また彼から癒される人々の輪は拡大していった。

彼が、日常生活の中で見せる様々な言動、所作、錯誤、落胆、過失は

人をして、優越、脱帽、感傷、大笑、雀躍を招来し、

結果として、大きな安堵感、もっと言えば「生きている確信」をもたらした。

彼の言動、行動を集大成した「WADADAS'95」は1995年6月に上梓され、関係者に配布された。

その後、同書が一部マスコミ、一部作家、一部クリエイター、などの手に渡り、

一部社会的存在として認知を得られつつあった。

あたかも、世紀を越える歴史的転換点。

「新約聖書」の時代から2000年を経た今日、その区切りに「WADADAS'01」が誕生する。

これを単なる「歴史の偶然」と片付けていいものであろうか。

 

なお、本編に登場する地名、人名、発言、失言などは全て事実に基づいたものである。

一部、和田哲自身の記憶によるところがあり、その記憶自体疑わしいという論理矛盾にウスウス気が付いていたが、

できる限り事実を調査し裏付け作業を行った。

 
「Wの悲劇プロジェクト」 代表:上條憲二  メンバー:木村茂樹、来間進、和田哲郎