京都昨今
80、DSK捏造事件U Dominique Strauss-Kahn Forgery aseU


1)USデフォルト前に起きた、DSK捏造事件
IMF専務理事だった、DSKは、ギニア製メイドを、NYのホテル・ソフィテル(Sofitel)で、強姦したとして、NY市警により、2011年5月、牢獄の島と言われるライカーズ島(Rikers Island)の拘置所へ送り込まれた。
DSKのような高度の知識人のばあい、容疑が、強姦という恥ずかしいものであれば、この独房で、自殺する可能性が高いと、マスコミは報道した。

架空でハレンチな疑惑によるDSK逮捕だが、USの財務長官、ティモシーガイトナー(Timothy Geithner)と、欧州債務危機をかかえる西欧の財務大臣は、IMF専務理事の、役割の重要性を指摘した。
IMFは、支障をきたさないと言ったが、DSKは辞表を出した。

DSK逮捕の時期だが、US政府の赤字債権が限度額に来て、デフォルト(債務不履行)の危機に陥る直前の時だった。
20世紀後半から、世界経済は、USによる、インチキ博打のルールで動くようになった。

どんなにデタラメな経済政策でも、少々の赤字は、日本に戦争犯罪を押し付けて国力を弱らせる出費をさせるか、造幣局で貨幣を造れば良く、救い難い、赤字になれば、戦争を起こし、武器を売り、失敗する事など無かったのが、USの経済学だった。

USには、学問が持つ、真理や、理論の透明性などの追究はない。USの学問社会は、政府が提示する、金銭や名誉に順応な人、反体制風を装い社会が痛むことのない批判を適宜に造り、結局は、USの政治体制になびく学者で構成されている。
羊や牛への、おなじ生命に、ささげるミサの意味など、とっくに忘れ、宗教行為も戦争と同じく、形骸化したもので、すべての人に平等を求める、純粋な信仰に程遠いものばかりである。


新しい産業は無いという消極的に見える考え方から、US経済社会を整序して行き、投資の形も、バクチ的なものは終わりにし、NY中心から、USの地域へ拡散させる、社会経済しか、救いの方法は無いと思える。なのに、よくもこれだけ、欲望だけの悪者を集合させ、似非経済学を成立させていると思うのが、いまのUS社会である。

DSK事件でわかるのは、USの強い者が正しいという、ギャングの博打経済学に、USの警察までが、支配されていると言うことである。
NY市警の残虐さだが、警察署員は、DSKが、20日に保釈されるまで、4泊5日もの時間、ライカーズ島の拘置所と裁判所へと、送り迎えのとき、DSKの腕を捕らえ、いかにも、常習で残酷な犯人を、市中、引き回しのように、連行すると言った具合に、公開した。

DSKの、硬く深刻な表情は、DSK自身にもだが、DSKと同世代の現在60代前半の人たちには、自分たちの青春時代の、恋愛がすべてのような「個人教授」(La Lecon Particuliere、1968)、また、対比をなす、悲哀のあるギャング映画「シシリアン」( Le Clan des Siciliens 1969)のシーンを思い返させたものだったかも知れない。

DSKが誕生した1949年ごろから、1950年代、フランスは、若い世代による、感性あふれる映画制作が行なわれた。
このヌーベル・バーグ(Nouvelle Vague)と呼ばれた時代は、フランスに、希望があふれ、フランス人には世界で一番良い国のようにみえた時だろう。
これらを基盤にした、1960年代後半の映画音楽も、日本では、大ヒットし、日本の流行に敏感な女性は、ファッションから食事の内容も、フランス人に合わそうとした時代である。

2)DSK裁判を、延長させた、被害者側のトンプソン弁護士とNY市警
NY市警と検察にマスコミは、真実より、先進国の重要人物である、IMF専務理事のDSKへ、未開の自然民族が持っている「人身御供(ひとみごくう)」と言う、先進国では、人権が無く蛮行とされる事柄を、ただ実行したいため、犯罪に加担し、さらに嘘を付く、ギニア製メイドを信じた。

フランスの文化を信じ、思考ある言語表現を獲得し、振舞いでも表現できるようにしたDSKへ、US社会は、人権を剥奪する行為をした。
絶対にしてはいけない事を、実践し、さらに、継続させたのは、ギニア製メイドの、人種差別と強姦専門のトンプソン(Kenneth P. Thompson)弁護士である。

なにかと差別と言い、裁判での成功報酬を狙い、社会正義を持っていないトンプソン弁護士と、類似の手のライン構造をした、最近の政治家に、日本の「菅直人」首相と中国の「江沢民」主席が居る。

彼らに共通しているものは、興奮しては叫び出し、落ち着き無くガサガサと動く性格で、「理性」や「誇り」など、無縁と言うところである。
この手のラインが発生する原因だが、社会性を教えることなく、ただ甘やかして育てる親と、このダラシナイ環境を甘受する、当人の資質にある。

NY検察は、5月14日の、NY市警と検察にマスコミの、偽の正義にまかせた、DSK逮捕の時、サイラス・ヴァンス(Cyrus Vance Jr).検事局長が、即座、この逮捕は誤りだったと、訂正すれば良かったのに、両親の言うことを、そのまま忠実に聞いて、優等生に育ったヴァンス検事局長は、さらなる判断の誤りを、つづけた。

DSK裁判で、より有名になった、ヴァンス検事局長は、日本でも知られる、J.カーター大統領の政権下で、戦争反対と言ったヴァンス国務長官の息子であり、ヴァンスは検事局の「司法改革」に向かっている途中だった。
NYのマスコミは、著名な政治家の息子が登場してくると分かり、より加熱した。
検事局の「司法改革」だが、NY.マンハッタン検事局長の職は、1975年から2009年、35年もの間、才覚の在ったロバート・モーゲンソウ(Robert M. Morgenthau)が、検事局長を勤めた。

ヴァンスは、高潔な人格と明快に表現する能力を持つためだが、モーゲンソウの推挙と、2009年11月3日、圧倒的な賛成票を占めた選挙で、選ばれ、2010年1月1日、検事局長となった。そして、就任、1年5ヶ月を過ぎたとき、DSK事件が起きた。

一番悪いのはNY市警になると思うが、NY検察のDSK事件への判断は、アメリカが持つデタラメの歴史、そのままかも知れないと言う分析が、今後の、課題となってゆくだろう。
今回の愚鈍な裁判の責任は、慎重と言えば聞こえが良いが、人種差別をしない、正しい検察でありたいと言う願望から、無実のDSKを容疑者扱いしたヴァンス検事局長にも、重いものがのしかかってくる。

5月18日、DSKは、正しさを追及するヴァンス検事局長が、捜査を支配して、切迫した状況が続くと思ったのか、無実は、自ら立証してゆかなければならないと判断し、パスポートを裁判所へ提出して、予定した20日より一日早い、19日、仮釈放のため、刑務所内の、法廷に出頭した。

5月19日、DSKを、公訴してゆく、NYの検察は、犯行が、まず性行為に、強姦未遂、性的虐待などが加わり、これら、いくつかの罪状を合わせると、25年の刑期におよぶと言う、凶悪な犯罪理由から、起訴からの、保釈を反対する方針をつらぬいた。

3)マイケル・オーバス裁判官による、5月19日の「保釈審理」
非常に厳しい「保釈審理」の言及行為は、最高裁のマイケル・オーバス(Michael Obus)裁判官の指示にて始まった。

5月19日の、「保釈審理」へ、水色のシャツに濃いネクタイ、グレーのスーツを着たDSKは、予定より15分遅く、午後2時30分に、法廷に連れて来られた。

コロンビア大学の研究生である、DSKの娘のカミーユ(Camille Strauss-Kahn)は、NY市中にある大陪審へ、証人として出席のため、青のボーダーマリンTシャツに紺のジャケットを着てあらわれた。
法廷へ向かうのに、カミーユ女史は、義理母のアン・シンクレア(Anne Sinclair)の左腕をかかえ、マスコミが行列し、垣根となる、裁判所の入り口の階段をのぼり、13階の裁判室に着き、傍聴席の最前列に、並んで座った。

DSKは、緊張から、頬が強張っており、ぎこちない表情を、傍聴席へ向け、グレーのドレスに濃い赤のジャケットを着ている妻のアン・シンクレアと、娘へ、唯一可能である、信頼のほほえみで持って、挨拶をした。

オーバス判事に対し、DSKの弁護士は、犯罪行為を全て否定し、接触などの行為があったとしたら、すべて合意であると主張した。審理が始まり、45分ほど経た、3時15分に、裁判官は休会を宣言した。

DSK側の弁護人たちは、DSKが、「性犯罪者」と誹謗されたまま、フランスへ逃げる意思など無いと、何度と強く言い、保釈を申し出たときも、NY検察側は、「DSKには、犯罪的な、性癖がある」と指摘した。
NY検察の表現だが、DSKは、強姦を常習的にする性癖があると言う、汚らしい表現を使った。これに対し、誇りある人格を完全に否定された、DSKは、即座、否定の意味で、首を横へ、振った。

15分間の休憩の後、裁判官は、保釈金の支払い方法を言い、厳重な監視体制の条件を述べ、保釈を認めたが、この間、DSKは、視線を、正面に置き、表情を変えようとしなかった。
「大陪審」が、起訴を許可したことを、言及したとき、DSKは、検事側へ、わずかにだけ、視線を向けた。

この19日の、最高裁の裁判で、被害者のメイドの方だが、メイドの言語による、表現だけを信じられるものとして取り上げ、法医学的見地からの、再検証は、なんら行なわれていない。

重要な人物のDSKを、裁判の進行は、事件当初、5月14日、ギニア製メイドが、ホテルのスタッフに言い、警察へ、通報となり、どの国の言語による識字も不完全な、ギニア製メイドの発言(発声)による、「フランス語の筆記による書類」を基礎に置いたものだった。
ここには、平等性も、実証性に重点を置いた検証など無く、まして、真実を追究してゆく精神など、まるっきり欠如していた。

この保釈への審問のとき、DSK弁護団は、DSKへの条件として、逃亡の意思がないことを主張して保釈を申し入れた。そして、DSK側は、パスポートを提出して、コロンビア大学そばの娘のアパートに近い、高級マンションに住んだ。
DSKは、常時いる警察の監視費用を支払い、足首に24時間の電波発信装置のブレスレットを附けられ、NY市内の家族宅に軟禁状態の条件となり、保釈金の現金100万ドル(約8200万円)を支払い、供託金として500万ドル(約4億円)相当の債券を提出した。

これら、多額な金銭を、支払うと言う約束により、NY州裁判所は、この19日に、DSK被告の保釈を認めた。
マスコミは、DSKの保釈金と、NYでの滞在費が、月20万ドル(1,637万円)になる事の大きさを報じた。
DSK被告は20日に保釈され、次の段階の、罪状認否の予備審理は、6月6日と、予定された。

この5月19日、裁判所からの帰り、DSKの娘カミーユは、出口の階段で、少し、つまづきかけた義理母のアンの体を、アンの左腕へ組んでいた、カミーユ女史の右腕で即座持ち上げるように支えた。
このときのカミーユ女史と、この義理娘の心身を理解し、なにもなかったように歩いて行ったアン・シンクレア女史に、わたしの感動がよぎった。

4)メイドがあらわれなかった、6月6日の予備審理

DSK被告が、5月20日に保釈されたとき、次の裁判の、予備審理は6月6日のAM8時30分と予定され、DSK被告と、身長が6フィート(183センチ)ほどある被害者のギニア製メイドが、裁判所で、直接対面し、この日に、罪状のことごとくが、明らかにされるとマスコミは報じた。

6月6日。NYの裁判所の前は、裁判所が、開設されて以来という、マスコミを集合させ、マスコミは、容疑者であるDSKは、暴行に監禁など、7つの罪状を持ち、すべて有罪だと最大74年の禁固刑を受けるが、これら罪状の、いくつからは、逃れることはできないといった調子で、映像と活字を流した。

NY市内のホテル従業員組合「ローカル・シックス(Local 6)」は、バスに、清掃員の制服を着用させた、メイドなど数十人を乗り込ませ、裁判所へ向かう、通路に、良識のない同僚を並ばせた。
「恥を知れ‘Shame on you’」と、メイドたちは、手や拳を上げ叫び、彼女たちは、DSK夫妻が通ると、練習どおり、抗議の声を連呼した。

わたしは、この抗議のパーフォマンスをするメイドたちの「手の動作」と「手のライン」を見たとき、よくもこれだけ、嘘が平気なメイドを、集めたものだと呆れ、この見苦しい光景を見たとき、何もかも、計画どおりではないのかと思った。

メイドたちを、指揮をする、責任者のウェンディ・バラネーロ(Wendy Baranello)だが、「ギニア製メイドは、真面目な労働者で、自分の職務をしていただけです」「肉体労働者であり、働き続ける、メイドが、嘘をつくと思いますか。この集まりの、メイドたちの声を、聞いて欲しい」とマスコミに言った。

法廷へは、USとフランスのメディアが、優先的に入室を許可された。
裁判は、オブス判事により、9時15分から、始まり、9時22分に終えた。約「7分間の審理」だった。
DSK側の弁護士は、罪状のすべてを否認し、「無罪」であると述べ、全面的に争う姿勢を示した。
 

5)NY地検、リサ・フリエル(Lisa Friel)女史の人事異動
6月30日、NYタイムズは、DSKの裁判が成立しない可能性を報じた。
おなじ6月下旬、マスコミは、DSK事件の捜査メンバーだった、NY地検、リサ・フリエル(Lisa Friel)女史の、人事異動も報じた。

トンプソン弁護士は、リサ・フリエル(Lisa Friel)女史の夫は、DSK側の弁護団のひとりであり、裁判の公正さに欠け、秘密にしていたと指摘した。これにより、リサ・フリエル女史は、NY地検の職場から、追放されてしまった。

リサ・フリエル女史は、NY地検で、性犯罪専門部のチーフを10年間務め、女性の味方として、USのメディアにも登場し、DSK裁判では、フランスのメディアの取材にも応じていた。
NYのマスメディアは、メイドのトンプソン弁護士は、女性からも信頼性の高い、強姦専門のリサ・フリエル女史が、事実の確認として、ギニア製メイドへ、DSKと接触が無ければ、強姦など成立しないのではないかと当然の事を追求していたために、更迭させたのではないかと言う、疑問だらけの、雰囲気の記事を、掲載した。

6)ギニア製メイドの男友達はアリゾナ刑務所に
ギニア製メイド(Nafissatou Diallo)の、嘘だらけの証言で、NY検察は、立場が危うくなり、DSKは、7月1日に予定外の出廷をすることになった。
ギニア製メイドは、集団のレイプを、ギニアで受けたと主張するが、検察が、事例を確かめてゆくと、ギニアでの生活や出来事も、実際となると確証は無かった。また、アメリカへ入国する亡命申請も、実際の記録と証言には、違いが多い事から、起訴取り下げになる可能性があるとの判断を、バンス検事が、裁判所の前で報告した。

この状態でも、ギニア製メイドの、強姦や差別専門のトンプソン弁護士は、メイドは被害者だ、ギニアでも強姦されたし、強姦はあったと、乱雑に主張した。

NY検察が、DSKの弁護士にあてた書簡にも問題が具体的に記され、DSKは、7月1日に軟禁解除された。
DSKの解放だが、ギニア製メイド32歳が、麻薬の捜査対象者から、「仲間」扱いされ、アリゾナの移民用刑務所の麻薬で捕まった男友達に、DSKが大金持ちだと話していることが録音されていたことにある。 

NY.タイムズなどが伝えた2人の捜査当局者によると、ギニア製メイドは、電話は一つ所持と供述していたが、実際は、電話会社5社へ毎月数百ドルを支払っており、男友達との銀行預金通帳は、アリゾナ州、ニューヨーク州、ペンシルベニア州などに持つなど、金銭を追う生活で、薬物犯罪とマネーロンダリング(資金洗浄)にかかわり、虚偽の多さも、次々、明るみに出た。

ギニア製メイドは、麻薬犯罪者たちから、過去2年間、銀行口座へ、計約10万ドル(約800万円)の振り込みをしてもらっていた。が、これらの金銭がメイドの生活を、うるおした形跡がない事を、トンプソン弁護士が主張し、これは検察側も疑問点とした。

7)5月14日12時。メイドが入室したのは「2806号」ではなく「2820号」
ギニア製メイドが、麻薬犯罪グループの一員と言う、実証だが、事件の翌日になる、5月15日、スイートルーム「2806号」の事から、28時間経過した時間に、ギニア製メイドは、アリゾナの移民用、拘置所に収容されている、麻薬犯罪の男友達に電話したことにある。
内容だが、DSKは、大金持ちであること、自分が成すべき役割をのべ、そのため、訴追をしている事などを告げた。この電話の「コール(Call)」が、記録され、ギニア製メイドは、犯罪者の一員だと判明した。

DSK逮捕を、5月14日の、夜6時30分すぎ、一番早く報道した、タブロイド紙の、NY ポストは、最高裁が、7月1日、ギニア製メイドの、納税問題を含め、多くの嘘と犯罪へのかかわりから、公判が維持できないとの発表により、'DSK Maid a Hooker' メイドは売春婦(a working girl、 a call girl )で、売春代金が少なく、DSKが着替える9分の間、支払いを待っていたなどの記事を、7月2日から、人権や事実より娯楽が優先と、書き立てた。
これら売春婦記事を、ギニア製メイドは、わたしは売春婦ではないと言い、NY ポストを、訴えると抗議した。

フィガロ紙(FIGARO)の7月4日によると、ギニア製メイドは、5月14日、28階のフロアが担当なので、28階の別の部屋を掃除してから、DSKの、2806号へ清掃のため入室したと言っていた。

ところが、ギニア製メイドが所持する、「個人識別のICカード」の記録からだと、12時6分に、2820号を掃除、12時26分も、「2820号」へ入室したとなっていた。
フランス語、アメリカ語、ギニアの各言語の筆記ができず、たどたどしいアメリカ語を話す、ギニア製メイドが、12時ごろ、DSKの「2806号」へ入った記録は無かった。

NYの地方検事局は、年間、11万件もの、事例を処理してゆくと言う。
NYの検察の、失態の証拠となる、ギニア製メイドの「ICカード」は、DSKの告発逮捕後の、5月15日に、検察へ届いた。このとき検察のメンバーは、疑問に感じたという事である。
結果として、NY検察は、DSK捏造事件に取り返しの付かない、大きな疑惑問題へ、加担した事になるが、あまりに大きな事例であると、ヴァンス検事局長が判断して、7月1日に、声明を出すまでにした。

NY市警に検察は、当初、ギニア製メイドの、膣に、DSKに乱暴され、傷があると主張していたが、DSK弁護団が、検査すると、傷など無かった。
それでも、ギニア製メイドは、入室し、暴行されたと言う。

NY市警は、被害が、ギニア製メイドが主張する「午後1時」だと、DSKがホテルに居ないので、とちゅう、「12時」と変更した。
ギニア製メイドも、NY市警が訂正した、12時に合わせ、12時6分に、DSKの「2806号」へ入室したと言い、「9分後」の12時15分、DSKは、娘に電話をかけていたと言う。

ギニア製メイドは、DSKの、強姦時間は「15分」と言う。
メイドの主張だが、DSKは、12時6分、突然、ギニア製メイドへ「あなたは、美しい」と言って、ギニア製メイドのバストを両手でつかみ、ベッドルームへ連れ込んだそうである。
そして、DSKは、部屋のカギをしめ、メイドの股間をつかみ、外性器を削除(FGM)された性器への挿入が無理と分かると、肛門に、挿入して、射精した。続いて、バスルームへ引っ張り、メイドの口へ、性器を2回入れていたころ、DSKは、娘のカミーユへ、電話と思い、12時15分に電話をしながら射精、12時20分も強姦しながら、服を着て、「2806号」の部屋を、急いで、出て行ったと言ったと主張した。

時間からも不可能で、接触のない強姦などありえない。それなのに、ギニア製メイドは、このデタラメを事実だと言い、6月まで、裁判が進行した。

8)7月1日に出された、裁判所とNY検察の判断
7月1日、マイケル・オブス裁判官は、「今回の裁判は、状況が、大きく変化した」「DSKの扱いは、自己誓約での保釈」と述べた。
これに対し、ヴァンス検事局長は、マスコミの中には、NY検察が、検察としての、数々の失態を知っている記者が居ることから、裁判所の、記者団を前にして、「質問は一切受け付けない」約束で、登場してきて、「われわれは、検察の義務として正しい事をしてゆく。今回、DSKの事例のばあいも、倫理と法律に、のっとり、釈放と決まった」との声明を出した。

ヴァンス検事局長、発表後の、NYタイムズ(7月1日)は、DSKとギニア製メイドとの肉体関係は事実だが、メイドの、亡命申請(2004年12月30日)の手続きに不審点があり、他にも疑問点だらけで、裁判が継続できないことから、DSKのパスポートは、返還しないが、US国内では自由であると、決定し、DSKの釈放したと書いた。

裁判で、自由の身になったDSKだが、白のワイシャツに水色のネクタイに、濃紺のジャケットの姿で、疚しいところは無いと堂々と歩いて行く、白いジャケットを着たサンクレア女史の肩へ、手をのばしていた。
DSKとサンクレア女史と二人の友人は、クルマに乗り込み、運転手に、イタリアレストラン“Scalinatella”の方向を告げた。

DSKが、NYのフレンチではなく、イタリアンへ赴いたのは、事件が、ニュースになったとき、フランスと同様、イタリアのマスメディアの主流が、USは、こういう、トラップ(trappola、罠)を仕掛ける国であること、メイドの黒人は、こういった人種だろうとの、推定が出ていた事にも在るだろう。

ル・モンド紙(7月2日)は、DSKは、レストランでは、白トリュフのだと180 $だが、黒トリュフのパスタ(pappardelle、100 dollars)を食べ、トスカーナの赤ワイン(116 dollars)を飲んだと、フランスのメディアは、クリスマスイブが、10年分まとめて、来たような、祭り状態になった。

レストランでの、アンヌ・サンクレア女史だが、実に、なごやかで、美しい表情を見せていた。ル・モンド紙は、素直な文章で「とっても美しく、はしゃいで、とっても無邪気に(tres belle, rigolait; elle a l'air tres drole.)」と、書き、フランスらしさを、わたしに感じさせた。

DSKとギニア製メイドに接触がないことから、逮捕など、まったく無理である。なのに、DSKを刑務所まで入れたのだから、DSK事件は、NY市警、検察、ギニア製メイドとNYのマスコミには、一般の人々には理解できない癒着の構造があったと言われても、反論などできないだろう。


9)2回の裁判延期と、裁判所でなくABCニュースと教会に登場したメイド
5月下旬に、検察ユニットに加わった、ジョアン・イルッジオーボン(Joan Illuzzi-Orbon)地方検事補は、7月11日、NY地裁のマイケル・オブス裁判官への手紙で、「起訴取り下げの結論がまだ出なく」「双方の調査を継続したいため、日程変更」と言い、「7月18日」に予定された審理を、「8月1日」に延期したい旨を伝え、これには、DSK側も、了承した。
二回目の審理延期は、DSKの弁護士が、7月26日、次回審理が8月1日から「8月23日」に延期されたと述べながら、「検察側の、8月23日までの、訴追取り下げを決定するよう期待している」と言った。

7月1日、DSK釈放の後、パリでは、DSKの、二番目の妻(Brigitte Guillemette)の娘、バノン(Tristane Banon)女史が、6月から書面を準備しており、「訴訟をしないと、嘘つきに思われる」と、7月5日、パリ検察局へ、2003年にDSKから強姦されそうになったと、強姦未遂の訴状を提出し、7日に受理された。
これに対し、これまで黙っていた、DSK側は、バノンのは、虚偽の告訴(誣告)罪にあたると逆告訴した。
フランスメディアによると、NY検察、バンス検事局長は、7月19日、バノンの弁護士に会い、バンス検事局長の要請で、聞き取りに応え、バノンは、NYへ行ったと言う。

一回目の、審理延期が発表された、7月下旬、身長が6フィート(183センチ)あり、体の横幅も大きく、頭の上部が大きく発達し、たどたどしく、アメリカ語の単語を叫ぶ、ギニア製メイド(Nafissatou Diallo)は、6月6日の予備審理に、出廷する予定だったのに、ギニア製メイドは現れなかった。
それなのに、7月下旬、NYマスメディアは、7月25日の、ABCテレビのニュース番組に登場すると、報道をしはじめた。

ギニア製メイドは、7月25日(月)、ニューズウィーク誌(Newsweek)に特集され、ABCニュースにも特別に登場した。
現在の身長は、178センチ(5 feet 10 inches)と言う、大きな体格をした、ギニア製メイドは、DSKによる強姦は真実である、神様は知っていると主張し、さらに、わたしは、金は要求していないし、ホテルの仕事を失いたくなく、DSKに殺されるのは嫌だ、DSKは獄中へゆくべきだ、これは正当だと言った。
このABCニュースがあった、次の日、7月26日(火)、DSKの弁護士は、次回審理が8月1日から、23日へ、延期されたと述べた。

ギニア製メイドとトンプソン弁護士によるパーフォーマンスは、テレビだけで終わらなく、7月28日(木)には、ブルックリンの「キリスト教文化会館の教会」に現れた。
ギニア製メイドは、反白人主義であり、反ユダヤ主義でもある、新ブラックパンサー党(NBPP、New Black Panther Party)の20数人に支援してもらい、マスコミが、自分を中傷する、嘘ばかり報道して、DSKに強姦された自分は毎日泣いており、娘から泣くのを止めてと言われたから、顔を出したと主張した。

DSKの性癖を調べるために、メイド側のトンプソン弁護士は、DSKが利用する、エールフランスの乗組員、従業員に、DSKから、性犯罪にあたる、嫌な経験がなかったかどうか、このような事まで調査した。
ここまでしていても、裁判の延期と、NY検察の、訴追取り下げと言う、不利は方向を感じたのか、メイド側は、8月8日、DSKを民事提訴した。刑事事件の審理が進行中での、異例な民事訴訟なので、DSK側の弁護団は、「金銭目的である」とのような発言をした。

10)黒い肌に灰色の眼をしたマリー=ヴィクトリーM.女史
黒人のギニア製メイドが、テレビや雑誌に、姿や声をあらわしたためか、DSKと関係が在ったと言う、黒い肌をした女史が登場した。

経歴は、ソルボンヌ大学で法律を学び、ジュネーブの国連に勤務した弁護士になっており、名前は、マリー=ヴィクトリーM.(Marie-Victorine M.)と言う。

NYの、ヴァンス検事局長から聞き取りの連絡が在った、マリー=ヴィクトリーM.女史は、バンス検事局長の要求通り、8月23日、NYへ行くと言う。
ギニア製メイドの弁護士、ケネス・トンプソンが、応えて欲しいと、要求してくるので、7月18日、9時30分(CA.時間)から、45分ほど、携帯電話で、外科的なエログロの表現をするギニア製メイドの弁護士の質問に、回答したと言う。

マリー=ヴィクトリーM.女史と、DSKとの関係だが、7月27日、スイスの雑誌「イラスト」L' illustreに、独占インタヴューを受けた記事に載り、ついで、スイスの地元のテレビなどに登場して、女史は、DSKとの関係を、詳しく、話し出した。

38歳の、マリー=ヴィクトリーM. 女史は、コンゴ人の父親と、スペイン人の母とから生まれ、肌は黒く、ぎらぎら開く大きな灰色の眼をして、DSKとは、昔に、不倫の恋人で、スイスに来たのは最近と言う。

女史が快活に話し、新設のオランダのハーグ国際刑事裁判所(ICC)を経て、 2009年、USのロサンゼルス近郊で、カウンセリング業をしていると言う、華やかな経歴からか、翌日(7月31日)には、フランス紙、ル・モンド(le monde)、フィガロ(le figaro)にも一面に特集して、マリー=ヴィクトリーM.女史により、DSKの女癖と閨房の中身が、如実に、公開されるものとして、期待した感じの記事だった。

スイスの雑誌イラスト(L' illustre)のインタヴュー記事は、1997年、厳しいカトリックの環境に育ったと言う、マリー=ヴィクトリー女史が、社会党のキャンペーンガールだった、23歳のときの思い出が、中心となっている。

1997年2月2日、日曜日の朝、午前11時頃、パリから15キロにある、サルセル(Sarcelles )の市長のセレモニーで、社会主義者の父に、DSKを紹介してもらったと言う。
父親の知人だった、DSKが47歳の講演を見たとき、映画のシーンのように感じ、2月に出会い、すぐさま超現実的(surrealiste)な初恋に落ち、10月の終わりまで、数ヶ月の不倫の関係に在った。
そして、DSKとの愛の決着だが、二人の間に子供ができたが、堕胎し、別れが来たので、出会いから一年の、1998年2月、薬を服用し、自殺未遂をしたと言うのが、話しだった。

マリー=ヴィクトリーM.女史が言う、DSKとの関係だが、DSKが青春時代を過ごした1970年ごろの、フランスの規律を知る世代は、「マリー=ヴィクトリーMの話」が、「戯言(ざれごと)」と気づき、フランスメディアは、冷静さを、取り戻したようになった。

2011年夏、DSKへ関係を持った、テレビカメラが回れば発狂する、感受性の強い4人の、大昔は少女の、話をまとめて見ると、
@ サルコジ支持で、盛りのついたチンパンジーのようにDSKから襲われたと言う、二番目の妻の子、トリスタン・バロン (Tristane Banon)
A 育ての娘と同じく、長い友達のDSKとの、猛烈なセックスは、「けだもの」同士のものと言う、ジバンシーの役員のアン・マンソウ(Anne Mansouret)
B DSKに美しい人と言われ、股間を捕まれたギニア製メイド(Nafissatou Diallo)
C 映画のような出会いに、超現実的な恋だったとの、マリー=ヴィクトリーM. (Marie-Victorine M)
の4つになる。

11)鼻の下が伸びるクロード・ゲアン(Claude Gueant)内務大臣
フランスの正常な知識人は、DSKが疑惑事件に嵌められたと気づいた。
ひとつが、DSKに世話になりながら、強姦されたと主張している、二番目の妻の夫、実業家(Gabriel Banon)(1928−)の娘バノンが、サルコジ支持の選挙運動をしていることに加え、サルコジ側のUMP党のメンバーが、2011年のネット社会での、伝達形式「ツイッター」を利用して、DSKの様子を伝えていた事が、公にされた事にある。

5月14日のDSK事件直後、公にされたことだが、サルコジ側のメディア担当で、アトランティコ(Atrantico)ホテルなどの株主であるアルノー・ダシエ(Arnaud Dassier)へ、パリ政治学院 (Sciences Po)の学生、ジョナサン・ピネ(Jonathan Pinet)が、DSKが逮捕されたと言うことを、NYの新聞紙より早く伝えた。

ニュースで大きく取り上げられることになった、ピネ(Pinet)は、カナダ生まれで、父親(Raphael Pinet)は、モントリオール 大学で物理を教えている、フランス人である。親子とも、サルコジ側のUMP党の支持者で、パリに居る息子(21歳)は、青年部に所属していると言うことである。

ジョナサン・ピネの、伝言(ツイート)だが、5月14日(土)「22時59分」(NYは16時59分)に、ソフィテルのレストランで働いている、アメリカの友人からだけど、「DSKが 1時間ほど前 にニューヨークのホテルで警察に捕まったようだ\(^o^)/」と、このように、ツイッターへ、書き込んだ。

「1時間ほど前」は、NYでは「15時59分」である。この時刻だが、DSK専務理事が、15時30分ごろ、携帯電話の事で、ホテルへ、連絡を入れ、この15時59分ごろは、DSKがケネディ空港で、出国手続きを済ませ、搭乗に向かったころになる。

メディアの発表は、「ニューヨーク・ポスト」紙、それに続いて、「ニューヨーク・タイムズ」紙がDSKの逮捕を、電子版で伝えたのは、NY18時30分(フランス時間の15日0時半)である。
フランスの学生のジョナサン・ピネは、DSKの逮捕時刻を、DSKがNY市警察に逮捕された時刻の16時45分以前の、16時、エール・フランスへ搭乗したとき、DSKが罠に引っかかった、と判断した。

若い世代の政治運動に加え、フランス政界、要人の活動をみると、「ソフィテル(Sofitel)」は、アコー(Accor)グループによる、フランスを拠点とした、最上級ブランドのホテルであり、サルコジ政権側の、警察出身の、ルネ・ ジョルジュ・ケリー(Rene-George Querry)が代表をしている。

AFP通信によると、R-G.ケリーは、DSKが、JFK空港で逮捕されたときに、フランス官邸である、エリゼ宮殿の国家情報調整官アンジェ・マンシーニ(Ange Mancini)へ連絡をしたとある。

フランス政府が、DSK逮捕の情報を得たのが、フランス領事館ではなくて、ソフィテル・ホテルからと言うのは、7月になり、発表された事である。
そして、官邸から、美人を前にすると鼻の下が伸びて、権力側へは風見鶏のように顎から動くクロード・ゲアン(Claude Gueant)内務大臣へ報告があったと言う。

マンシーニ国家情報調整官、ゲアン内務大臣も、R-G.ケリーと同様に「警察」出身である。
しかも、この三人も、サルコジも、NY市警の、警察長官、レイモンド・ケリー(Raymond Kelly)と、友達と言い、フランスで、どうにでも工夫できるDSKの精液など、NY市警のケリー警察長官たちが企み、DSKのでは無い、と言う考え方が出てきても、仕方がない。

DSK捏造事件は、すべて、中身がうすっぺらなゲアン内務大臣が考えそうな事だが、日本人で、権力へ顎から動く類似は、同じ7月、財務省の財務官から、経済協力開発機構(OECD)事務次長へと、成り上がった、中川昭一謀殺事件の主役「玉木林太郎」が居る。
日本では、中川昭一薬殺につづき、DSK親分をNY刑務所へ送った、財務官から、IMFの副専務理事へ、出世魚の「篠原尚之」なども、5月の事件から、あれこれ、言われて居る。

12)DSKを、政界の一線へと、導いた、アン・シンクレア女史
DSKといっしょだと、うれしくって仕方が無いと言う表情をする、妻のアン・シンクレア(Anne Sinclair)女史は、フランス系ユダヤ人の両親から、NYで誕生し、中・高校の途中まで、アメリカで学習し、法律の学位を、フランスで取得し、フランスの放送局「TF1」に勤め、政治番組「7sur7」の司会を、13年間担当し、視聴者から圧倒的な人気を得ていた、フランスではスターのキャスターだった。
この番組を通じ、DSKと知り合い、1991年から生活をしはじめ、無名に近いDSKを、一線へと持ち上げたのが、女史である。

DSK逮捕で、休止状態の、アン・シンクレア女史のブログ“le blog d'Anne Sinclair”だが、女史のブログは、政治問題が中心で、世界をリードしている、USのオバマ政権の批評から、成っている。
オバマ政権に関しては、方策が無いと指摘しながら、USの共和党の考え方には反対で、オバマの本領は、大統領、二期目に発揮されると言う、見方をしている。

当然、シンクレア女史は、人種差別など、反対で、USの共和党が、オバマへ、単に厳しくと言っている移民政策にも考慮が必要という持ち主であることが、ブログから、わかる。
USの経済政策については、「4月6日」の、アメリカは終わった。オバマ政権は、共和党の圧力で、企業減税をしはじめ、オバマもFRB議長のベン・バーナンキも、US経済の方向の指針を決められないとみている。

日本を襲った3月11日の大震災後の、「3月17日」のブログには、「政治家のリーダシップ」とは、政治問題を、解決できると言う確信から、生まれ、大衆を説得して行けるものであると言い、オバマには、カリフォルニア原発も、福島原発問題にも、解決の方策が無いと言っている。

シンクレア女史のブログを、彼女の視点で読むためには、せめて19世紀からの、フランスが、アフリカやアジア圏へ、領土を獲得し、国家を繁栄させてきた歴史を知らないと、読み難い。

わたしたちが知る、US政治の状況は、他の国への、干渉や侵略ばかりで、世界の広範囲に及んでいるが、歴史をみると、フランスが、武力で、他国へ進出した方が長く、フランスの知識人の、アフリカやアジア圏の地理と、現況の見方の、広さを知らなければならない。

地中海に面する、アフリカ北部の領土だけみても、アルジェリア(仏)、リビア(伊)、エジプト(英)などでわかるとおり、21世紀も資本主義体制をとる、西欧列強のものだった。

北緯20度から、赤道にかけてのアフリカは、フランスとイギリスが、領土戦争を繰り返してきたところであり、奴隷貿易の拠点とする、西海岸側から中央部は、フランスの支配下にある。

DSK逮捕は、フランスが統治した、アラブ圏が、民主化へ動いている時だった。
若い世代による、民主化運動のチュニジア革命は、2010年12月17日、失業により、露店商をしていた、26歳の男性が、警察に、屈辱的な言動により商売を止められ、抗議の自殺が、発端となった。
自殺禁止のイスラム圏で、この青年の行為は、独裁者のベンアリ(Ben Ali)大統領を追放させ、この大きな活動は「ジャスミン革命」と呼称された。

若者の失業率が高い、アラブ圏、中東、中国などにも、大きな影響を与え、アラブ圏には、独裁者の追放活動となる「アラブの春」を招いた。

チュニジアは、フランスが統治した地域であり、アン・シンクレア女史の意見は、史的観点からも、現在の世界の政治問題を、広く傍観し、良き民主主義の立場を崩さず、日常、さりげなく意見を、表現していったものである。

民主主義の立場をとおす、アン・シンクレア女史は、1989年11月の「ベルリンの壁の崩壊(共産主主義国家の敗北)」でわかる、「実際の共産主義は独裁主義に過ぎなかった事実」という見方でわかる。これはDSKも同じだろう。

2011年8月現在、欧米や日本が、所持している、民主主義への段階である、「アラブの春」の、エジプトの社会状況は、空いた権力へ、既成の宗教を利用したグループの進出と、権力化する宗教は不要と言う若い世代とが、競争し、混濁している。
こういった所へも、より良い民主化へ、ブログの良識ある読者の意見もみながら、DSK逮捕事件がなく、シンクレア女史から、賢明な考え方が、出て居れば、アラブの現状にも、多少の違いが、出てきただろう。

シンクレア女史の格言なのだろうか、「世の中での悪者とは、政府の発表を、そのまま信じる者」との記載がある。



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「京都昨今きょうとさっこん」松田薫2011/8/21