京都昨今
75、NEW田中曽根内閣     【殺人会社NECー鳩山関与C】

▲殺人会社、NEC関連の本物メール。

1)建造物だったジャーナリズム精神


欧米由来のジャーナリズム精神は、2009年2月、ローマ、G7でもって、歴史上での、みせかけの建造物だったと、自ら、あらわにした。

USアメリカの、国家破綻は、2008年夏に、市民レベルへ、発表する時点までたどった。現在の方策では、回復に、50年単位をかけても、無理だろう。

回復への、最上の方法は、USアメリカ人を5000万人程度に減らす、第一回US東西南北戦争をすれば良いだけである。

第二次世界大戦で、日本に落とした焼夷弾を、US全領土に、原爆も、NY、ワシントンDC、サンフランシスコなど、各地に、落とし、ベトナム戦争での、戦争条例違反の枯葉剤を、US国内に、ばらまけば、すむことである。

大都市、東京を、焼け野原にして、GHQアメリカ軍は、農薬DDTを、子供たちに、直接、ふりかけた。

DDTがもたらす、催奇形だが、1945年の敗戦後、幼かったマスコミの、編集者たちが「オレはDDTの臭いが好きでね」「ぼくらの世代、小指が、こんなに曲がっていて」と言い、小指の末節が、薬指の側へ、屈曲していたのを、見たとき、黄色人種、黒人種は、どこまでも兵器と薬物の実験台と、わたしは思った。

広島、長崎への原爆にしろ、北ベトナムへの枯葉剤にしろ、実施への命令は、残虐な考え方ができる、USAの政治家と軍人たち、軍隊への指揮は、アイゼンハワー(Dwight Eisenhower)によると、思えばよい。

2008年から、USアメリカは、自分たちの国の破綻が、明確な情報を知らない、市民へ、伝わると、抗議デモがはじまる事から、その回避のため、世界各国へ、USAユダヤロビーの、諜報部員CIAを画策し、内紛、政変をおこさせている。

社会の混乱へ、宣伝による、戦略方法だが、19世紀後半から、合理的な侵略戦争の手段として、ロシアもだが、ドイツ、フランスなども、美術作品と言える、価値のあるポスターや、活字によるビラ配布のものが、非常に発達した。

2009年8月の衆議院選挙結果は、日本のばあい、テレビを中心に、なされた。

欧米の、「ジャーナリズム精神」とは、20世紀に流行した、安物のスローガンと判明してしまった。
ジャーナリズム精神の、実際だが、たんに戦争と言う、公明正大ふうな言辞で、若者をつかい、他の国の婦女子への乱暴、生命と財産の略奪の物と言う事を、知らしめた。

キリスト教風に装った、ジャーナリズム精神とは、兵器や暴力でもって、破壊に、盗賊行為を果たすことに成り立ち、良心や信仰心がない物である事を、実証してしまったのが、2009年2月、ローマでの、「サミットG7」と言って良い。

1941年12月、欧米の画策で、追い詰められ、日本が「真珠湾攻撃」をしたのと同じく、「ローマ、中川昭一財務大臣事件」は、欧米とロシア、日本の悪党たち、による、共同のものと見れば良い。

2009年2月14日、ローマ、G7での、「中川昭一財務大臣、犠牲事件」の、事実だが、覚醒剤を、ワインなどに、もったのは、USアメリカ主導で、ロシアも参加していた、のだろう。

欧米人による、実行への、際に、いつも、念には念(Make Doubly Sure)の言葉がある。
レストランで、覚醒剤を飲まされた、中川昭一大臣の、不調の様子の、公式確認は、午後2時50分から3時5分にかけての、日露財務相会談において、この作戦は、成功だと、見ている。


良心のない三流国家、USアメリカ主導、日本とロシアとの合作による行為は、1983年9月1日、ソ連による、「大韓航空機撃墜事件」でも、わかる。
西から東への、ジェット気流を考えると、大韓航空のパイロットたちは、自動制御にしておき、たとえ、機器にミスが生じても、飛行機は、間違いなく、安全圏である、日本の空へ行く。このとき、悪役みたいになったのはロシアである。

1985年8月、日航123事件のあと、日本も、これ以上、旅客機の事故がつづき、落とされては、日航も保険会社も倒産してしまうし、国民へ言い訳ができないからと、赤字大国、USアメリカ主導で、1985年9月、「中曽根康弘」総理、日銀の「澄田智」総裁と、わがままなUSアメリカの金融救助のため、「プラザ合意」へと、至った。

このあと、日本の財産とも言うべき、山や海や水田を、売りに売り、「リゾート法」だの、ゴルフ場、湾岸道路に、ダムや新空港など、工作し、USAに、金をもたらしたのが、いまは民主党で、モゴモゴ言葉にボケボケ顔面の、小沢一郎氏である。

経済が破綻しかけると、周囲に戦争をしかける、USAとロシアは、常に、提携が成立している。

日本では目出度いことに、「北方領土すべて一括返還」とか言っていた、民主党の鳩山由紀夫政権が、読売新聞の渡辺恒雄(1926- )氏たちの権力により誕生した。これにより、
@千島列島
A樺太の、即時返還は可能だろうし、続いて、
Bアリューシャン列島
Cシベリア
Dカムチャッカ半島
Eアラスカを、エスキモーはじめ、
FUSA大陸の、モンゴロイド、インディアンへの順次返還も、民主党は、してくれるだろう。


日本が、民主党政権になったことで、「戦後補償」とか、21世紀になり、共産主義により、明確な富裕層社会ができた、中国が、やたら、民主党への賛同の意見をのべている。

民主党の鳩山由紀夫政権たちも、戦後補償を言っている。
中華人民も、文化が成長し、良い時代になった。
これにより、第一段階として、
@『元寇』の被害だが、13世紀の7年間、日本人は、自分の出身地と、剣術の流儀などを礼儀ただしく言っている間に、礼儀のない、中国人に、一方的に殺された。
7年間も、日本人強姦、虐殺を続けたので、先に「1000兆円」ほど、中国と朝鮮へ請求すれば良い。

A『戊辰戦争』は、1840年代の「アヘン戦争」により、捕らえた、中国大陸、朝鮮半島の、青年に子供を奴隷にして、日本人であると成長させた。
この洗脳による養育作戦は、20年以上経た、1868年に、中国、朝鮮人が、日本人の「官軍」と化け、幕府側の攻撃に成功した。

日本の人口が、3000万人ほどで、薩摩(鹿児島)、長州藩(山口)、土佐藩(高知)、肥前藩(佐賀)の、海岸線をみると、中国、朝鮮人など、異国人が、流入しやすい地勢を持っている。

本来の出自を、中国大陸とする、中国、朝鮮人が、「薩長土肥」と言われる、官軍と化け、九州から、北海道まで徳川、松平家へ向かい、略奪、強姦をした。

戦争の被害は、これから日本文化史、社会史の研究対象となるだろう。

とりあえず、「薩長土肥」になる鹿児島、山口、高知、佐賀県を、日本本土と切り離すこと。そして、中国と朝鮮、欧米、GHQ連合軍へ、これらと関係のない、都道府県は、「7000兆円」を、同時請求すれば良い。

政策だが、鹿児島、山口、高知、佐賀県人たちが、現在の日本国内への通行も、関所止めにし、鎖国政策を取る。
このことによって、日本の、大都市の大半をしめる、都道府県の経済は、安定する。

「薩長土肥」の、4藩のうち、薩摩(鹿児島)と長州(山口)藩が、明治時代の、政府や軍部の中核を占めたのは、史実どおりだろう。

日清、日露、第一次、第二次世界世界大戦をしたのだから、これから、外国からの補償請求は、鹿児島、山口県と、隣接する地域を中心に、してもらえば良いことである。

鹿児島や山口県以外の、都道府県は、中国と朝鮮、欧米、GHQ連合軍に、戦争賠償をしてもらいながら、水田耕作や、山々、河川の維持の学習につとめれば良いことである。

なぜ、「薩長土肥」が中心に行った、戦争犯罪を、他の都道府県が背負わなければいけないのか。
日本史での、この未検証が、いまに至り、関係のない、人々までが、21世紀になっても、苦しんでいるのが実際である。

2)ローマ、G7、中川昭一財務大臣、謀略事件


欧米の、偽歴史と、偽ジャーナリズムは、有色人種を奴隷下におき、生命と財産の搾取で、成り立っていた偽物で、ロシアをふくめ、西洋の学問と芸術など、市民を奴隷にして、厳しい冬に耐える、頑丈な城を作り、職人たちが、磨いた宮廷文化にすぎない。

中川昭一財務大臣事件だが、欧米の、2月の閉め切った部屋は、牛、羊、豚、ウサギ、鳥など動物食と、牛乳にチーズなどの飲食で、白い肌のシミも、動物食からくるが、白人種の居る部屋は、ペットショップに入ったような臭いである。

中川昭一さんは、風邪を引き、病気とクスリの服用から、鼻腔、口腔など、嗅覚、味覚とも、感じない状態だったと思える。


写真左、一番目は、「日露財務相会談」へ挑む、50歳になる子供、クドリン(Aleksei Kudrin、1960 - )財務大臣に、メドヴェージェフ(Dmitrii Medvedev、1965- )大統領が、プーチン(Vladimir Putin、1952 - )首相からのアドバイス、とでも言っているとこである。

二番目の写真が、クドリン(Kudrin )「日露財務相会談」である。
テーブルにある、ミネラルウォータ水は、開封されていない様子である。

この席の配置だが、中川昭一大臣の体は、痛めていると思える、右腰に重心がかかる姿勢で、左脚を、右脚に乗せる、格好をとっている。このときの姿勢だが、顎(アゴ)を引き、右利きと思えるのに、左の手のひらが、右手をおおっている。
覚醒剤による、兆候は、始まっている。

ロシアのクドリン(Kudrin )財務大臣として、これまでにも、日本と、交渉している。多少でも、国際時代とか、友好と、言うのであるなら、クドリンは、なぜ、この対談も、写真撮影も、中止にしなかったのか。

このときの「日露財務相会談」には、読売新聞の、「越前谷知子」女史が居たそうだが、なぜ、日本国の代表として、会議に出席している、中川昭一大臣の、体調異変を、周囲に告げなかったのか。

また、越前谷知子女史の2008年の仕事として、『住友信託』 の「常陰均」(つねかげ・ひとし、大阪大学OB)社長に、社長就任の意見を聞いている。
顧客および通信制御の新しいソフトを完成できないのに、新製品として売る、殺人会社、『NEC』関連の、『住友信託銀行』というのは、「邪魔者は ヤクザで一発 やりましょう」が社是のような会社なのだろう。

三番目は、若いときの河出書房新社の、重役だった、早稲田大学、演劇の、小池信雄さんでなく、ロシアの児玉誉士夫氏か、小沢一郎氏かと、言われている、ユダヤ人の、ベレゾフスキー(Boris Berezovskii 1946ー )で、「親分( Putin)、上手いこと、行きました」とでも、連絡しているのだろう。

四番目は、2月13日、IMFへ、至上最高の1000億ドルを提供した、日本は素晴らしい、麻生太郎首相も素晴らしい、中川昭一財務大臣も素晴らしいと、誉めたたえた、「ユダヤ人、三人よれば、悪だくみ」がモットーのユダヤ人、IMF専務理事のストロス・カーン(Dominique Strauss-Kahn、1949 - )である。

ロシア大使が、「斎藤泰雄(1948 - )」氏のときである。
『斎藤泰雄』氏は、ヒステリックなだけで、熟慮というものができない民主党、菅直人(1946- )氏の、「菅伸子」夫人と同じ、岡山県の金光学園で学ばれたエライ方だそうだ。

2月14日だが、読売会長の元日本共産党で右欲の「渡辺恒雄」氏、指揮下の「小泉純一郎」元首相に、鳩山由紀夫氏の長男で30歳をとっくに超えた「鳩山紀一郎(1976- )」氏が、滞在していたという、不思議さを、越えた、状況下だった。

USアメリカ主導で、日本が合わせ、ロシアも、メンバーであれば、自民党の看板、中川昭一大臣をターゲットにするのは、簡単なことだろう。

中川昭一大臣の記者会見は、日本人向けなのだから、体調不良として、帰国後でも良いものである。

3)間違った言辞が無かった、中川昭一

言語表現は、人間にとって、最も、高度で、難しい、役割を占めるものである。しかも、国家の誇りに生命が、かかっている事項において、具体的な発言を、進めてゆくことは、普通の人にはできない。
大事なことは、この一点にある。

「ローマ、共同記者会見」で、中川昭一さんに、「発言ミス」があったのかどうか。
音声も映像も無い時代だと、どうなのだろうか。

中川昭一財務大臣に、重要な発言ミスなど、無かったのではないのか。

マフィアともつながりがある、ベレゾフスキーが、2月14日、中川昭一氏を、はめるのに、成功したというとき、ロシアには、ただただ昔は左欲、いまは上下左右欲々の物欲主義者の「渡辺恒雄」氏、指揮下に、小泉純一郎氏がいたと言うことだ。

麻生太郎内閣が、2009年4月、『安心社会実現会議』を、実施し、この渡辺恒雄氏を、東京拘置所ではなく、総理大臣官邸へ、招いたのは、中川昭一さんの件などがあったからだろうと思う。

中川昭一さんを大臣を辞めさせることが、自民党と日本を壊すことになり、2009年8月の選挙での、落選への一歩だが、読売新聞のガン、渡辺恒雄氏と親しい、三宅久之(1930 - )氏と言う、80歳ほどの子供が、8月9日、帯広での1500人からの後援会で、2月14日、ローマでの事件は、「風邪グスリでなく、酒が原因」と言ったそうだ。

三宅久之氏の頭は、金で腐敗しているのだろう。
ローマでの事件は、体調不良にかかわらず、思いやりがない新聞記者が、不躾な質問をしたからである。原因は、「新聞」などマスコミである。

「断酒」などの、発言をすると、銘酒が多い、北海道の清酒会社の票が無くなる。
日本人が、大事にする、米からの、醗酵文化である、日本酒が、悪いと言うのであれば、同じく、醗酵物である、ヨーグルトにチーズ、醤油に酢、味噌、納豆なども、どのような雑菌が、混入しているかわからないから、禁止すべきである。


中川昭一大臣と会談した、クドリン(Aleksei Kudrin)財務大臣の、左手の指関節の「@」だが、これは、日本人のばあい、血液型A型に出現する。
写真3番目は、メドベージェフ大統領に、「また、USアメリカに嵌められた」と叱っている、プーチン首相。
写真4番目は、「アホ!?」と、クドリン財務大臣を見ているプーチンである。

メドヴェージェフ(Dmitrii Medvedev)大統領の思考経路だが、本来、政治家で、ロシア周辺だけでも、混乱状態だから、脳裏は、国内、国際政治で、いっぱいの筈と、ふつうの人は考えるだろう。
が、メドヴェージェフ大統領の脳裏には、市民のことなど無く、『ぼくは、ひょっとして、星の王子様ではないかしら!?』とか、思えるだけの、おぼっちゃんである。

4)外務省「藪中三十二」次官という人種


国民が生きるか死ぬか、瀬戸際に追い詰められているとき、それらは、まったく、無関係といった種族に、2009年2月14日は、ロシア大使だった「斎藤泰雄(1948 - )」氏が居る。
同じようなのは、日本に、何匹も、居る。

大使(外務省)の件での、問題要綱だが、2007年12月28日、北京、「人民大会堂」で「福田康夫」首相と、「温家宝」中国首相の、首脳会談があった。

福田康夫首相が、「(台湾の独立を)支持しない」という、表現をされた。
これに対し、通訳は、
「福田首相は、台湾独立に反対する、との立場を順守、厳守していくことを表明」と会場で言った。

福田康夫首相は、あわてて、「藪中三十二(やぶなか・ みとじ、1948 - )」外務審議官に「資料を」と言った。
そして、改め、福田康夫首相は、個人の意見としても、「2つの中国という立場はとっていない。台湾の独立も支持していない」と述べ、「支持しない」と説明する事態になった。

中国が、経済大国になったという、物理的とも言える国際状況の変化で、付き合い方が変化しただけである。

朝鮮半島とUSAを、股にかけた生涯の、藪中三十二(1948 - )、ロシアの斎藤泰雄(1948 - )、バチカンの上野景文(1948ー)大使のような、我が身だけの、極めて、打算だけの人種など、「霊長目、ヒト狡猾科」と、厳しく、弁別し、各地の、動物園に入れるようにすれば良い。

こんなケダモノ、外務省の三人にかかると、「霊長目、ヒト純情科」の中川 昭一(1953 ‐ )さんなど、ライオンとハイエナの中の、キリンかシマウマの状況になる。


1951年生まれの、わたしたちの世代にとっても、「台湾」は、高校生のときから、同窓生が数人居り、台湾人への抵抗など無い。
まして、福田康夫首相(1936 - )の、年齢層に、とっての台湾への、心からの馴染みは、切れないものと思う。

本来は、藪中三十二氏が、福田康夫首相に、間違いを指摘する役なのである。が、誰かの入れ知恵なのだろうか、両親が、日本人でないと言われ、またUSAロビー勤務歴から、脳裏は日本の日の丸や、台湾の太陽「●」でなく、頭は中華、北朝鮮、USAの「★」だらけ、なのでしなかった。

確信犯なのだから、国家叛乱、騒擾罪を適用させ、藪中三十二氏と通訳は、終身刑でも、良いのではないか。

日本の近隣である、中国と台湾、北朝鮮と韓国に、政治摩擦が起きるのを、国益と考える、USAは、日本もだが、韓国、フィリピンなどの統治で、鮮明である。

フランスも、長く、インドシナを奴隷統治してきたことから、日本が占領下で、日本文化が残る、台湾など、政治政策として、中国のものと発言すると、中国が喜ぶ。

そのため、台湾の人や戦前戦後をつうじ、台湾を身近にして、つながりをもってきた日本人が多い事を知っていながら、「USAとフランス」は、台湾は中国の領土であり、「台湾の独立反対!」と簡単に、言っている。


外務省関連の事だが、2008年9月25日、ニューヨーク、第63回国連総会、麻生太郎総理就任の、演説のときの、マイクのスイッチがオフにされていた件である。
このときの大使は、「櫻井本篤(さくらい・もとあつ、1944-)」氏である。

現在、外務事務次官の、要領のよい、藪中三十二氏は、2009年8月24日の記者会見で、『米軍艦の、核持ち込み』の定義で、「そのときどきの話はあったと承知している」と言い、また、社会問題での、中心にいる。

東京や京大に比べ、大阪大学の学生運動は、学部が分離されていることもあり、非常に遅かった。
が、机上の事、自分の事しかない、藪中三十二氏など、日米安保反対など叫んでいる、純粋であろうとした学生など、眼中になかっただろう。

鳩山由紀夫、民主党代表など、近々に、「核持込み」を知ったように言っている。が、祖父鳩山一郎氏にしろ、父親も国会議員の子息が、知らなかったと言う事など、無い。

1970年日米安保反対運動に巻き込まれた、わたしたち高校生の世代が知っていたことを、なぜ、芝居がかった、問題にするのか、鳩山由紀夫氏の言動が理解しにくい。

それをするならば、USアメリカ、イギリスによる、兌換紙幣、証券の操作で、大不況に陥ったのだから、鳩山由紀夫氏と親しく、小沢一郎氏に対立していた、旧大蔵省出身「新井将敬(1948 - 1998)氏の自殺問題」の説明の方が、国民、市民に、理解を得られるのではないか。

5)原潜の「グリーンビル」、こともあろうに「えひめ丸」


マスコミと民主党の、歪んだ言葉狩りの犠牲になったひとりに、「笹川堯(ささがわ たかし、1935 - )」氏が居る。

2009年2月24日、自民党参院議員の、「森喜朗」元首相が在席の、パーティで、
「さて、わたくしは、森内閣のときに、閣僚に任命されてですね、まあ、うれしかったんですがぁ、、、」「運悪くハワイ沖で潜水艦が、こともあろうに日本の、水産講習所の、『生徒を 乗せた』船の上に、どーんと、上がってですよ」
と、右手を、潜水艦として、左手が、水産学校生徒の船として、右手の潜水艦が、左手の上へと持ってくる仕草をし、「あれでやむなく(内閣が)沈没しました」と述べた。

言動だが、「こともあろうに」と言う、『決して許されるべき事柄ではない』という、最上に限定する修飾語は、「水産講習所の生徒を乗せた船」にかかり、これで、充分である。

表現の仕方だが、1970年代、見学した、北野天満宮、東寺に、浅草の的屋と違い、上手い。このことは、有名な落語家と比較しても、話し方の間から、手のジェスチャーも、わたしは感心した。

話し方が上手すぎる、笹川堯氏に対し、何を言っているのか不明な所が多い、鳩山由紀夫氏は、「大変な認識の誤り」と言った。
この鳩山由紀夫氏は、日本人と、日本語を、どのように認識しているのだろうか。


「えひめ丸事件(2001年2月)」のとき、日本の学生と教員、9人が死亡しているのに、USアメリカの報道は、原子力潜水艦グリーンビル(Greeneville)の方が被害にあったという報道をしていた。
このニュースを、聞き、新聞記事を読んでいたとき、USアメリカの連中にとって、日本の高校の教員、生徒など、人間でないと思った。

オバカ(Barack Obama)政権は、最初、日本への大使を、親日派と呼ばれる、モンデール(Walter Mondale、1928 - )の予定をしていた。が、モンデールにしろ、親日派と言われる、駐日大使であっても、日本の国益に関して、無関心で、USアメリカの領土と考えている人物たちが、大半である。

「えひめ丸事件」もあり、駐日大使は、候補者がいろいろ変更され、ルース(John Roos 、1955 - )氏という、CA州、シリコンバレー出身の実業家となった。

ルース氏は、IT産業のメッカ、シリコンバレーが、1998年には、不況の方向へ行っている事は、知っていた筈である。

もし、「IT産業」もふくめ、新しい企業開発が、J.ルース駐日大使を介して、日米で可能となれば、日米の景気の在り方は、大きく変化して、ルース氏の存在は大きくなる。

J.ルース駐日大使家族を、ニュースで見たが、彼らは、日本のありふれた、小規模の、農家はじめ、第一次産業従事者の多い町へ行けば、どこでも、歓迎してくれる事を知り、日本人とは?と思うだろう。
このとき、異国人の眼から、これまで知らなかった、人間関係の触発により、「IT産業」関連をふくめ、新しいソフトが、考案できるかもしれない。

それより、いま、大事なのは、不誠実な、今成金屋の孫、鳩山由紀夫政権だと、日本の経済界、社会活動は止まり、『円』が出てこないと、USAに連絡する義務があるのではないか。

6)歴史感覚の無い、鳩山由紀夫、民主党政権

今成金だから、日本の過去を知らなくても良いのだろう、鳩山由紀夫氏は。

わたし自身の、USAロビー、ロシアロビーの鳩山内閣へのアレルギーは、1歳のときに続き、3歳のときにも経験した。
第1次鳩山一郎内閣が誕生する、1954年(昭和29年)12月、わたしの母は、兄と、生後6ヶ月の妹を連れ、家出をした。

母の一番下の妹、咲江叔母が、水戸の国鉄の官舎で、殺された年であり、世情が不安で、このときは、父も、母と兄たちを、追ったと思う。

わたしの両親は、わたしの1歳から3歳の記憶を、50年以上、消そうと、続けていた。

わたしの心身での記憶は、3歳のとき、生家の、ヒノキ風呂にある。
生家のは、ヒノキの風呂だが、湯を沸かす、下部が、鉄製の五右衛門風呂に似た構造になっている。
祖母は、兄にしろ、わたしにしろ、皮膚が弱いので、日本てぬぐいで洗う。

1954年暮れ、3歳児の時は、政治が変わるという事で、国会議員たちが集合し、祖父や叔母に、気が利かないと、よく注意されていた祖母は、祖父に振り回されていた。
叔母も、正月が近い事もあり、血縁の来客が続き、忙しかった。

3歳のとき、叔母が、使い慣れたヘチマで、洗おうとし、古いヘチマの、ヌルッとした感覚が嫌いなので、「嫌」と言った。
叔母は新しいヘチマで、わたしの左腕を洗おうとし、新しいヘチマは、硬いので、「痛っ」と言った。

祖母は、湯をかけるだけだが、叔母は、わたしを抱き、風呂へ入り、先に、上がった。叔母が上がる勢いで、動いたわたしは、風呂の上部をつかもうとしたが、できず、下に落ち、風呂の板敷きが、上がり、わたしは、湯の中で、前転の形となり、足が、鉄の部分に付き、やけどをした。

2、3秒という時間で、風呂から上げたのは叔母と思うが、このとき、風呂の中の蒸気が、真っ白だったのが記憶にある。
温暖な播州では、こういった蒸気は、冬場しかないし、正月まえの、餅つきの準備で、居間へと続く、スノコの置き方が、いつもと違っていたのも、覚えている。

後遺症だが、1968年6月、泳法では、なんでもできるようになった、わたしが、クイックターンだけは、水の泡が恐く、他の水泳部員のように、できなかった。
これを、上級生も不思議そうに、「なんで?」と笑いながら、よく、言った。

幼児のときの風呂の出来事に、国会議員が集まる、わたしのイエの環境は、説明をしても、理解できないので、上級生や同窓は、よけいにわらう。

床での、前方、後方宙返りに、鉄棒での回転は、庄内小学校のとき、できるようになり、高校のときは、体操部へ通う、回数を増やしたが、プールになると、生家で、ひとりになった孤独と、水の泡への恐怖で、できなかった。


鳩山民主党政権は、根拠を、どこに置いているのか、「子育て予算」と言うものを考案したらしい。

子供は、子供をつつむ、両親をはじめ、大きな社会環境のなかに居る。この親たちが、経済状態が悪く、不安な生活をしているのに、いっときの、気まぐれ予算は、どのように理解すれば良いのか。

子育てに時間や金銭がとられる、家族や母子家庭があったとして、かれらは社会の一部なのである。

大事なのは、かれらをつつむ、小さな、あるいは大きな社会に、ともに生きてゆく、精神的にも、生産物を、共に作ってゆく、余裕のある、環境をつくることが基礎なのに、この基礎を、忘れている。
本来は、一部の人にしか用がない、欧米の言語修得にはじまり、欧米文化の習い事で、欧米に、金をもたらす、小学校から大学進学の制度の、再考が重要なのではないか。
大事なのは、「安心に暮らせる、町や村を育てる予算」ではないのか。

この思いつきの、「気まぐれ予算」により、都会へ、進学し、都会の会社で働き、働くことに、精を出し、結婚の時期を逃したひと。
また、都会の「会社」へ参加することを、生涯の目的とし、独身のまま、還暦など、停年をむかえた人々。
かれらへの配慮など無いのが、民主党の政策らしい。
社会に参加したようで、孤独なままの、人々への、気配りとかが、まったく無いのが、小沢一郎、鳩山由紀夫政権らしい。

民主党の欠陥は、金銭や土地を独占する、小沢一郎、鳩山由紀夫、岡田克也氏といった、「おぼっちゃま頭」が問題である。


7)鳩山政権、別名、第3次田中角栄内閣のはじまり


還暦をとっくにすぎた、痴呆老人の末期症状にも見える、鳩山由紀夫(1947-)氏が、外国人参政権とも言っている。

思考力がないのだろう。日本国憲法「第44条」の国会議員および選挙人に、人種差別が無いとある。この憲法のどこかに、「基本的人権」を侵害する、箇所があるのだろうか。

2重、3重国籍の可能が良いと、言っている、鳩山由紀夫氏による、悪党中学生レベルの殺人内閣が構成中である。

2009年8月の選挙結果だが、小沢一郎、渡部恒三、羽田孜氏に、田中角栄の娘、田中眞紀子(1944 - )女史までも参加させている。
どんなシナリオか、第3次田中角栄内閣へと、「歴史の復習」でも、するつもりらしい。

『磐梯リゾート開発』での負債があるのに、渡部恒三氏は、平成の自称水戸黄門と言っている。おそらく、負債にしろ、福島県の不況は、甥の佐藤雄平、福島県知事が、克服してゆくのだろう。

1991年夏、会津若松城の前で、郵便局員が会津の切手を、NTTがテレホンカードを売っていた。
買ってくださいと言うので、切手を買ったら、次に、NTTが、明るく「若松城」のテレホンカードをと言う。
わたしは、中尊寺などでも買ったし、中でも売っているでしょうと断ると、「ええ、城でも売っています。東北は貧しいですから」と言ったので、わらった。

こんな談笑が気にいらなかったのだろう、会津の他の酒造所との区別のため、記載するが、とてもエライ渡部恒三氏と、親しいという、「宮泉銘醸」の「宮森泰弘」氏と言う、御仁が、有名人の車が来たので、「退け!」と大声で、公道にいる、わたしたち夫婦に言った。

どこでも、日本酒は利き酒をして、東京のマスコミ連中に送っていたが、会津だけは、何ひとつ、口にしなかった。

城へも行かない、と妻に言ったが、原因をおこした、郵便局員にNTTの人たちが、「鶴ヶ城は、工事中ですけど、、、」と遠慮気味に、勧められたので、城だけは、行った。

1980年代後半、日本酒ブームが起きた。この中に、会津のは、無かったのではと記憶する。

8)どこまでもイトマン事件に亀井静香

鳩山由紀夫政権は何を考えているのか、橋本龍太郎政権での、建設大臣、「亀井静香」氏も起用している。
「イトマン事件」に関与したと言われる、警察あがりの亀井静香氏だが、警視総監までした「福田勝一」氏まで、「武富士」仲間に入れたようだ。

武富士の顧問であり、「ノーパンしゃぶしゃぶ」のメンバーだった、大蔵省関税局長だった「松尾直良」、銀行局長だった「徳田博美」氏たちとの関係を、亀井静香氏は、どうするのかと思う。

また、わたしを襲った、京都のヤクザ、旧中島連合のメンバーの箇所や議員にも、頻繁に、連絡してきていたのが、亀井静香氏である。
国会などでは言葉は荒らそうにしていても、じつに、世間でいう小心者が、亀井静香氏である。
京都銀行、京都中央信用、京都信用の職員会議で有名だった、山段芳春氏とも、ゼニのときだけ、親しかったらしい。

また、2008年10月、マルチ商法会社から、1000万円以上もらっていた、「小沢一郎」氏の側用人、「前田雄吉」氏の、関連会社の会長をしていた、「藤井裕久(1932- )」氏の、議員復活など、国民をバカにしている。

諸悪の根源、大蔵省勤務に、自民党の「田中角栄」内閣の下で、さんざん、悪い事をしてきた藤井裕久氏など、民主党へ、入れること自体が、まちがっているのでは、ないのか。

この老害、77歳の子供手当てが必要な、発育不全の藤井裕久氏の「頭骨」をみると、5月、わたしの、原稿、原画、紙型を返すと言い、時間外に来て、恐喝を8時間以上した、「粕正彦大尉の孫(1941ー)」に似ている。

「粕正彦大尉の孫」の動作を見ていて、覚醒剤アンフェタミンの種類による、クスリの影響かと思い、病歴を聞くと、健康だったと言う。
一方的に、「ぼくは河出に飯を食わせてもらったんだ」「ぼくは(大阪で、東大教授だった)見田宗介(1937 - )のイエに下宿していた」と自分自身のことばかり、8時間連続して言う。

瞳孔反応がおかしい事から、疑問をもつと、この後で、2001年11月1日、脳腫瘍で倒れ、慶応病院で、(開脳)手術を受け、野球ボールぐらいの大きさを取り出したと言う。

「(大杉栄事件の孫は)つらい」と言い、「NY,9,11は、親戚が死んで、面白かった」と言うので、わたしは妻へ、危険だから、警察と、メモを渡しても、怯えた妻は、できない。

わたしの脳裏は、「今日も、朝から震災のときの話をしてあげてたんですよ。本所の被服廠の焼け跡を私は見てるんですからねえ」「火事があなた三日も続いたんですよ」「、、、大杉栄って人が伊藤野枝と殺されたのも、あの頃ですからねえ」(『恍惚の人』有吉佐和子)の表現が、反復していた。

9)麻生政権、内乱の確信犯たち

麻生内閣を混乱させた、はじめに、中山成彬(1943- )氏がいた。
麻生政権発足の9月に、いつ解散するかわからない状況のため、小泉内閣で文部科学大臣を歴任しながら、簡単に、日教組批判をした。

さらに、成田空港問題では、満州国への移民である満蒙開拓団が、新たに、耕した、土地である事を、無視し、そこが由縁となる、「三里塚闘争」を脳裏から外し、まちがった国策と闘った人々に、「ゴネ得」と言い、「日本は、単一民族」と言う発言をした。

中山成彬氏の形質だが、九州南部の「隼人族」であり、妻は、ただただ口やかましく、上下関係にさとい中山恭子(1940‐ )女史で、形質だが、額と眉間に、アイヌ系の蝦夷(エミシ)発毛があり、あきらかに人種系統が違う。

また、麻生内閣を崩壊させるための言動としか、思えないものに、古賀誠(1940ー)氏が、2009年6月、宮崎県の東国原英夫(1957 - )知事を、衆院選への出馬を要請した事項がある。

宮崎県議から、東国原知事の言動は、「宮崎県民を冒涜」しており「辞職要求」する(朝日新聞、7月24日)と言うのがあった。
この東国原知事は、衆議院選の結果のあと、8月31日に、「あのとき自民が変わっていれば…」と、自分自身、国会議員や総裁候補として、の才能があった様に、言う。

言うぐらいであれば、出馬すれば、良いのではないのか。また、1970年安保反対運動の学生運動のときの、「徴兵制反対」も知らず、現在の、若者への、道徳や規律にふれ、「徴兵制」も主張する。
@たけし軍団のとき、ソープランドへ行き、風俗女性を複数並ばせ、集団で、やったとの、「そのまんま東」氏。
Aたけし軍団のときの、雑誌『フライデー襲撃事件』だが、「そのまんま東」氏たちは、とうじ500円くらいのビニール・カサで、講談社の社員に、外傷を負わせる暴力を行った。
B1998年は、未成年を風俗嬢として相手した、「そのまんま東」氏。

これら、@ABの風俗紊乱、暴力自由の業績を、「中曽根康弘内閣」のときの「リゾート法」で、大赤字を出した、『宮崎シーガイア』で、実行すれば、一時的に、海外からの旅行客がくるかもしれない。

宮崎県の恥の象徴のように言われる、50歳をこえた東国原英夫氏により、京都の市場に、宮崎県の菓子や、野菜などが多く並ぶようになった。
しかし、この現象は、九州はじめ、他の県の、物品を、押しのける行為なので、良き生産に結びつかない。

なにより、「たけし軍団」に居て、観客へ、記憶に残る、演技というものが在った人なのか。「徴兵制」を言う人なのだから、これからは、アラビアの紛争地域へ、西洋が募集する、プロの職業軍人になって、参戦すると思う。

「粕正彦大尉の孫」も参加している、「憲法九条の会」だが、内閣参加の話がくると、ちょんちょん、ぴょーんぴょーん、と行く、社民党の福島瑞穂(1955 - )女史の年齢層も、1970年安保世代でないので、東京や京都、大阪を理解しにくいだろうが、憲法九条では、自衛隊も違憲になる。

自衛隊の違憲を考慮し、海賊船や、核ミサイルが飛んできたときは、福島女史、自らが、それらを制御、捕まえにゆくのは当然の事だと思う。

また、喉につまったとの理由で、「こんにゃくゼリー」の廃絶まで言った。
この論理からだが、何人も犠牲者がでる、飲食物のほとんどが、喉につまる。

この福島瑞穂女史は、スポーツが苦手なのだろう。水泳では、高校の地方大会レベルでの平泳ぎで、女子は、水を吸い込み、溺れる人がでる。とうぜん、水泳禁止だろう。
陸上では、世界大会レベルでも、呼吸困難になる。オリンピックの競技は犠牲者が多い、このことからオリンピックなど廃絶だろう。

まえの党首、土井たか子(1928-)女史は、大学院で、同志社の学長だった田畑忍さんに、憲法を習ったと言う。
いまの、大谷 實(1934 - )総長の時代でも、修士課程は、不満足な形だったはずである。しかも、田畑忍さんは、既に、分裂病を発症され、明治生まれの、諸先生方ぐらいが、付き合えたぐらいである。
なのに、なぜ、受講が可能だったのだろうか。しかし、何を習得したかではなく、履歴のことで、由々するのは精神の浪費だから、学校も、民主党も、社民党も、廃絶して当然の事だろう。

福島瑞穂女史の論理だと、年末にむけ、飛び込みが多い、電車などの廃絶化は、当然だし、クルマの製造会社など、当然、廃絶だろう。
それより、理解できない事象だが、福島女史を見て、息がつまる、と言う国会議員は、いないのだろうか。


同じく、大阪府の橋下徹知事が、自民公明に推薦してもらいながら、民主を選択と言った行為など、法律以前の、道徳の問題である。

たしかに、自民党には悪い人物が多い。しかし、2009年8月の選挙をめざし、精進された人たちも、ずいぶん居たのではないだろうか。

日本政府は、中央官庁はじめ、各都道府県へ、『1994(平成6)年の人事改革』という、リストラ方策をだした。このことは、官庁勤務は知っており、じっさい、市民レベルでは有効かどうかわからなくても、努力をしているそうだ。

大阪府のばあい、一番、不必要なのは、「橋下徹知事」だと思っているのが、最近の、大阪府民の声らしい。


10)新しい道徳を作っている、鳩山由紀夫夫妻

東京はじめ、名古屋、大阪など、大都市圏は、民主党政権誕生となり、2日後の、9月には、この鳩山由紀夫氏では、無理と感じはじめ、一週間たち、まったく、不可能な政治家集団と、わかってきた。

民主の、「平野博文」さんは、わたしの両祖父殺し関与に、デタラメだらけの、鳩山由紀夫氏側だそうだ。
ほーお。わたしは、隣人がいうので、わたしの家族は、かなり、「平野博文」と言う、四文字を投票所で書いた。わたしは、この経歴が、恥ずかしい。

わたしのイエでは、ひい爺さんに、祖父が、若い「こーのすけ(松下幸之助)」を、きれいな生き方をする人と、尊敬していた。
松下幸之助さんが、わたしの両祖父殺しへ関与した鳩山一郎氏、わたしへの殺人へも関与した、鳩山由紀夫政権での、官房長官などの役職が、平野博文氏だと知れば、あきれて、ただの権力好きと言うだろう。


前原誠司議員は、橋下徹、大阪府知事の、市民を中心に考えない在り方に、同調できないと言われた。わたしも同じ考え方である。今回の鳩山政権など、長続きはしない。

この政権の内閣により、市民を中心とする、政治の在り方など、遠くに行き、良き政権誕生など、可能性がなくなって、しまうだろう。

前原誠司議員の選挙区の、詩仙堂や法然院にある、「ししおどし(鹿威し)」より、特大の、「鳩おどし」を、選挙区の、竹屋さんに、作ってもらうから、それで、心根が腐った、「鳩」一味を、国会から、追放したら、どうだろうか。


写真左は、鳩山幸女史の手で、日本人では、典型的な、B型タイプTに見られる。指先、末節部が細く、爪の形質だが、B型タイプTの爪は、「さくら貝」の赤味をみせ「扇状」である。
福島瑞穂女史、司法修習同期の、九州が縁の、小林明子女史も、同じ形で赤味なので、B型と言うと、「そうです」と言っていた。

大学生の犯罪が報道される、このごろである。わたしが、写真識別できる、血液型別形質発現の、写真を資料とする、論文を提出しなかったのは、1979年秋の、同志社女子と同志社の学生の行為による。

1979年秋、山田忠男先生に、ABO遺伝子と民族音楽の論文を、3つ、仕上げていたので、同志社大学の学園祭へ、「手のラインについて」、教えに行けなかった。

1978年、わたしは、次の、観相会の会長をする、同志社女子の学生へ、わたし名義の、三和と、富士銀行の、二つの貯金通帳を、「わたしのときは、接写ができる一眼レフが高く、買えなかった。わたしの貯金で、4年かかったが、出町柳の富士銀行の通帳で、ニコンのカメラセットは、充分に買えるから、写真撮影して、勉強して欲しい。楠葉の三和のは、何かのときに」と渡した。

1980年秋、同志社へゆくと、わたしの通帳二つも、手のライン関係の資料、すべて無かった。
同志社大学の男子が中心に、「カメラなんか使いませんし、、、。コンパ、2回したら、無くなりました、50万円なんか」と言った。

同志社女子の6、7人と、同志社の50人が謝罪に来るだろうと、思っているのに、30年経っても来ない。
会長をした、1981年卒になる、法学部の男の、就職先は、「こともあろうに」官庁である。


11)鳩山幸女史のB型タイプT、アキノ大統領のO型タイプUの指先

鳩山幸女史の、手の甲に、女性が気にする、シミなど、老齢化の症状に見えるが、鳩山幸女史が、肉食を減らし、野菜の摂取量を、パクパク、増やすことで、消えてゆく可能性がある。

ウサギからゾウなど、日常、ありふれている。草食獣については、動物園へ見学にゆけば良い。これらを観察すれば、いったい、どれほど野菜を食べるのかと思うほど食べる事がわかる。

60代から20代は無理だが、玄米と野菜を中心にした食事にすると、40代ぐらいの肌への変化は、ふつうに見られ、血流が変化する。

鳩山幸女史の、「肌理(きめ)」だが、前腕から、肘、上腕部位の、太陽に当たらない部位を、他のA型やO型などの、血液型と、比較すれば、このB型タイプTは、肌理が細かく、白い。

世界民族の、肌理の調査だが、山田忠男先生から、1970年代中ごろ、インド北部からチベット人の、肌理が、一番細かいと言われたので、「B型が多いですから」と、わたしは回答した。

顔の、表情、筋肉での識別だが、写真二番目に見られる、このタイプの、頬の筋肉が、水平に動く、笑い方だが、表情筋にも形質の違いがあるのだろう。

この解剖での、識別、論文は、1970年代後半に、終了してしまおうと思った。
が、人類学の「梅棹忠夫」氏以下で、予定どおり成らなかった。


上は、7月下旬、東南アジアでは、2、3の熱帯低気圧が発生したが、その後、亡くなられた、フィリピンのコラソン・アキノ(Corazon Aquino, 1933 - 2009、8、1)女史である。
干渉の少ない、家庭に育ち、政治などには、まったく無関心で市民の集合体など、嫌がる、ひかえめな、手のライン【秋型】をしている。

写真左の、左手、指の末節だが、外側にカーブしている。
わたしが、1976年度まで、B型U類と、識別できなかった、O型U類の特徴である。
弦楽器にしろ、鍵盤楽器にしろ、指は、内側にと、習う、と言うより、それでないと、楽器が演奏できないため、気づくのに時間がかかった。

気づいたのは、アキノ女史のような、物を持つ姿勢のとき、指先の「くねり」に気づき、指先に力を入れているのですか?と質問し、「いえ」と返事された事が、発端となった。

12)鳩山由紀夫、夫妻の墓まいり

鳩山幸女史にもどると、この左手をみるかぎり、バイオリンなど弦楽器に専念した経歴は無い。

鳩山由紀夫氏とちがい、生活で、力仕事をふくめ、手を使うことが多い。手を胸元、上へあげたときに、これだけの静脈が見えることが、この証左となる。

どのような計画なのか、9月はじめ、CNNニュースで、鳩山幸(1943- )の映像を証拠として、66歳の、ほとんど子供と、痴呆的に紹介された。
前後して、欧米の新聞は、これが日本の新種族と活字で知らせた。

鳩山由紀夫夫妻は、両親から、礼儀を習わなかったのか、9月5日午前11時すぎ、谷中霊園を夫妻で行き、鳩山一郎氏の、墓参りをしたそうだ。

墓前のまえで、夫人とも、ゆっくり、ぱんぱんと、両手でやっている。
この夫人は、こともあろうに、鳩山由紀夫氏の会計係が、急に、亡くなれた、翌日の選挙結果の発表のとき、「ありがとう」と、大声で叫んだ。

鳩山由紀夫、夫人が、宝塚のときは、わたしが阪急宝塚沿線に、住んでいたころになる。
太陽がキラキラ、パクパクに、風の便りが重なって、40歳ぐらい上の愛人相手に、ゴックンだったとか、相手は、とっくに墓の中だとか、なんだかんだ、周囲の声が聞こえる。

民主党の鳩山代表は「(お祖父さんと同様、邪魔者は消し、ました)おかげで、ここまでまいりました」と祖父に、言い、とどけたそうだ。

8月28日、「忙しい中、鳩山由紀夫氏に、長く遣え、故人献金等を、『YOU・I(友愛)』でなく、『I・MY(曖昧)』に、処理してきた「花田順正」税理士が、新千歳空港へ、来た、鳩山幸夫人をむかえたそうだ。

その後、室蘭市の後援会とレストランで食事をし、翌29日、鳩山幸夫人の、66歳の美貌が原因なのか、なぜか、突然、偶然、必然、自然『心不全』になられ、死亡されたそうだ。

「鳩山由紀夫、夫妻は弔問に、訪れる方々へ、お礼の、挨拶をされています」というニュースが、選挙区の北海道に、東京や名古屋に流れたと思う。
が、京都や大阪は田舎のせいか、新聞にも無い。

鳩山由紀夫氏には、「巫女(みこ)」 を媒介としてなのか、直接か、故人となった祖父からの声が聞きとれる才能があるそうだ。

神様のような祖父、天のお告げは、「7月には、違法献金を知っている、第一秘書の『勝場啓二』『芳賀大輔』」さんたちが消えて、8月29日には個人献金問題を熟知した税理士、『花田順正』とやらが、死んだ」、「使用人など、いくらでも居る。お祖父さんも、むかし、GHQ連合軍やロシアとの密約を反対する、連中を、すべて、葬った」などだろう。


第二次世界大戦の敗戦後、日本の婦女子に強姦し、町や村を守ろうとする青年に老人など、つぎつぎ、異国人に、殺させた。秘書の、10人や1000人ぐらいでは、日本の、金好き、異国人の多い、マスコミは、大丈夫、大丈夫。広告業界は金、ただ金と、そういう声が聞こえるのだと思う。

また、エライ弟さんの鳩山邦夫氏が、「自殺というのは、DNAが働いている  」と述べたそうだ。自殺する人の苦しさが分からず、兄弟して、マッチポンプをしているとは、すばらしい。

13)日本の新閣僚とやら

検討せず、日本は、先の第二次世界大戦での、謀略された、「パールハーバー(真珠湾攻撃)」を知っていた、USAロビーの鳩山一郎氏と同じく、鳩山由紀夫氏の民主党(=旧自民党)が、政権をとり、首相となるそうだ。


写真左端、一番目から、二番目は、民主党の中で、この4人が落選すれば、政治は、ゆっくりでも、良い方向へ、変わるのではと思った。
ところが、偽の情報に操作された、市民は、この4人を選んだようだ。

2009年8月30日後の、海外メディアだが、フランスの冷笑さが、最たるものだった。

鳩山由紀夫氏の、選挙での、勝利者としての言葉とマニュフェストだが、「翻訳」と言う、翻訳者によって、個人差は大きいが、この機械的な過程をとると、鳩山由紀夫氏の言辞は、抽象名詞に修飾語だらけで、テーゼは、希望に友愛という、せいぜい、中学校の生徒会長が言う種類のものだけと、欧米で、判断された。

鳩山由紀夫氏の、視線は、大国の、USA、ロシア、中国へと送り、頭のなかは、金$だけで、民主党は、欧米へ、生産的な、金をもたらせない物との、分析が、終わってしまったようである。

鳩山由紀夫氏たちは、医療問題も論議しているが、日本には、西洋医学の他に、東洋医学も在る。明治時代に消えようとしていた、東洋医学に対し、大正時代、残るようにした人物に、麻生太郎総理の、大伯父が居るが、このような事に、まったく触れないのが、日本の国会であり、日本のマスコミである。

おかげで、2008年秋からの、マスコミの定番『太郎で遊ぼう』が無くなり、麻生太郎総理が、懸命にかばった、中川昭一、元財務大臣はじめ、多くの才能ある自民党議員を、失ったのが、今回の選挙である。

日本政府による、官公庁のリストラ政策だが、1991年、USアメリカにより、奴隷下の日本経済が急停止した。
この失速の限界が、見えた1994年には、リストラの模範として、警官という、社会職務に、誇りをもち、警察へ勤務した、ある程度の正しさを知る、警視庁のひとたちが、自己判断で、辞職していった。

かれらが自発的に、辞職を、はじめたあと、1994年は、電子精密機器メーカーの、売り上げ、下降のあと、日本政府は、中央官庁へ、各都道府県へ、『平成6年の人事改革』を実施した。が、役所でも、良い人物ほど、先に辞め、この速度が、非常に遅かった。

2009年9月中旬、大阪や京都の、選挙権のあった人たちは、鳩山由紀夫政権の誕生で、虚しい思いになり、第一次産業はじめ、多くの労働者から、労働意欲が消えているのが、現状である。そして、このままだと、USアメリカの経済復活に、中国の発展など、無くなると思っているのが、実際である。


14)日本の良い部分と、「憲法52条、53条」による、政治改革

1917年、ロシア革命で、ユダヤ人と言うことから、ロシアを追われた、ユダヤ系の音楽家が増えた。

1920(大正九年)年、バレリーナのパブロバ(Eliana Pavlova、1899ー 1941)が横浜へ、亡命してきた事で、東京から、京都まで、ロシア音楽が、日本人をとらえた。

この時代、横浜への、音楽家に、サン・サーンス(Camille Saint-Saens)の門下生で、キエフ音楽院(Kiev Conservatory)の校長だった、ドゥ・ミニャール(De Mignard)が居た。

ドゥ・ミニャールの才能を知ったのは、フランス文学の山内義雄であり、読売新聞の創業者の子息で、建築家だった、本野精吾へ言い、ドゥ・ミニャールの、京都大学オーケストラへ招聘となった。

ところが、京都大学はじめ、京都のサロンが、期待をしていた、ドゥ・ミニャールは、本野精吾宅に、声楽家の妻といたが、一年も経ず、横浜へもどってしまった。
これを戻したのが、京大精神科の今村新吉教授や、まだ医学部生だった、深瀬周一だったが、結局、ドゥ・ミニャール夫妻は、亡命ロシア人が多い、神戸へ移住した。

これらから、バイオリンの演奏家でもあった、本野精吾は、自ら演奏し、友人の山田耕作と、稲畑登美子女史を中心に、南禅寺の「稲畑サロン」で、集いを作る事に成功した。

このような、基礎づくりの中、宝塚でも教えていた、白系ロシアの、亡命音楽家、メッテル(Emmanuel Metter)が、京大オーケストラの指揮者に就任し、関西はじめ、東京からも、音楽を学びに、京都大学へと進学する学生が出てきた。

日本人の良い部分だが、下の写真は、1937(昭和12)の支那事変から、第二次世界大戦にかけて、兵隊として、戦地へ行き、死を前にしながら、大学で、研究をしたり、音楽家であった人たちによる、関西では、初演の、ベートベン『第九』の、演奏会の前後の様子である。
この中には、わたしの先生で、毎日コンクール審査委員長だった、山田忠男先生も居る。

2009年9月と言う、いまからでは、40年近くまえ、わたしの友人は、東京での、学生コンクールへ参加していた。彼らの、脳裏は、楽譜と運指の練習の事ばかりだった。

こういった、日本人も、実際、多くおり、彼らに、「従軍慰安婦」とか、「南京大虐殺」と言う事柄を、どのように、当てはめるのか。

「従軍慰安婦」問題では、村山富市、河野洋平氏、土井たか子、福島瑞穂女史たちが、有名だが、10年単位で、調査されたのか。

現役の国会議員たる、福島瑞穂女史たちを、はじめとして、まったく、関係のない、被害者だけであった、日本人へ、大きな謝罪が必要なのではないか。

靖国神社について、簡単に発言する、鳩山由紀夫氏だが、バレリーナの「パブロバ」は、中国へ慰問団として、死亡された。
墓地は、靖国で、日本へ帰化し、文化に貢献した、彼女は、まさしく、従軍慰問団の中の慰安婦だろう。参拝など、自由な事柄を、故意に問題とするのだろうか。

それより、わたしへの、重大事は、両祖父に、薬物をもって、病気へ至らせたのが、鳩山一郎政権と言うことである。
わたしの母は、1961年、鳩を飼うと言った、中学一年生の兄に、他の鳥だと、何も言わないのに、「お母さんは、鳩が、嫌いなの」と、何度も注意した。
「鳩」、これが、わたしのイエでの、暗喩である。

わたしの父は、現役のとき、建設での、打ち合わせで、慣れた人物がいっしょであっても、お茶類も、飲まない。
専門である、水道水の蛇口へゆき、水を飲み、接待での、食事でも、食べると言う、危険な事はしない。

この基本を心得ていても、わたしは、鳩山由紀夫夫妻が関与した、「アパグループ(APAグループ)」関連に、一年がかりの計画で、2004年、ワイン漬けの刺身の肉、一切れに、やられた。

確かに、不要な自民党政治家は、ずいぶん落選して、これは良い事だろう。
政教一体の、創価学会=公明党だが、日本中、創価学会員のようになり、平和で一律した社会的役割も終わりに来たころを、示したのが、今回の選挙でもあったのだろう。

小泉純一郎政権下のときには、リストラされた、体格の良い、創価系の店の元・自衛隊員が、自転車にのり、出前用の、アルミや木製の「岡持ち」で、わたしを連続攻撃し、このときは、東山区の警官たちも、同情を超え、大騒ぎをしていた。

しかし、いくら、シナリオがあると言っても、この大不況下を、より過酷な大不況へ行かせ、年末には、自殺者だらけになる事は、良識ある人々には、想像がつくだろう。

USアメリカと、華僑資本導入による、千億円単位の金で、新聞テレビを、操作し、ニセの宣伝により、大衆を扇動した、2009年8月の選挙だが、これは、無効どうようの事項ではないか。自民党の議員名を書くため、投票所へ行った人々に、どう答えるのか。

テレビ局も、視聴率が問題なら、生涯現役とか、病気は心しだいと言った、中曾根康弘(1918 - )氏に、子息の中曽根弘文(1945‐ )氏とも、秋のちょうど、良い気候だから、そのままの格好で、まず、北海道の大雪山の頂上に一泊、つぎに、北極で一泊とか、工夫すれば、一度は、スポンサーがつくのではないか。

千億円単位の投資で、10兆円単位以上の金を、日本から搾取しようと、計画していたのだから、USアメリカと華僑の手腕は、すぐれていたと言っても良いのだろう。

自民党には、福田康夫、麻生太郎内閣での、総理に、閣僚たちがおり、「憲法52条の通常国会」、「53条の臨時国会」の定義に照らせば、まだ自由民主党に、権限がある。

「派閥」と言う、利権だけの、悪い政治色から、遠い存在だった、福田康夫、麻生太郎、元総理に、良き議員による、数人だけでも、国会議員は10年ほどの単位で卒業、賃金一切無しなど、市民の生命を救う、政治改革に移すのは、可能ではないのだろうか。





▼1936(昭和11)年、京大、音楽部、創立20周年、西日本初の大公演で、合唱は大阪音楽学校(大阪音大)である。
メッテル指揮、「ベートーベン第九」の演奏会場は、阪急電鉄の「小林一三」の許可をとり、河原町三条の『京宝劇場』。後援は毎日新聞社だった。

写真、左端が、エマヌエル・メッテル(Emmanuel Metter)。
とうじ京都大学の山田忠男先生は、練習から、チケット売りまでし、参加され、翌年(1937)、満州へ、一兵卒として、行かれ、負傷兵となられた。
(写真提供は、祇園、「鍵善良房」、今西知夫氏)

中央、帽子をかぶっているのが、メッテル。

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「京都昨今きょうとさっこん」松田薫2009-09-11