京都昨今
73、 麻生太郎 (あさなま・ふとろ〜) 表現論   【京大  生体実験病院V】
一章 [麻生太郎 (あさなま・ふとろ〜)表現論]
1]
イイ、びイ、ビぃ、ツとと、ゲつつ、ごーィ、立った腹がひっくり返って、胃が痛てッ、表現が、意を得ていない、漢字が読めないとの評判の、麻生で、ごぜいます。

去年、2008年は、まるで、下りだけの、ジェットコースター、2台に、ニホンの足をかけて、乗ったような危なっかしいニッポンの世間でした。大不況、日本のわたしが愛する、ニッポン、わが自民党、とりわけ日本語を母語としない、外国人の人々には、下りだけのように見える、政況ではないかと、感じられたのではないかと思います。

外国人にもわかる、日本の言葉で、表現できないかと、言われれば、なにしろ、博多弁に関東弁が混じるところが難しいのかと、いまの、わたくしは、多少の、自覚をしております。

世間様は正直なところが多く、都市であっても、地方であっても、子供まで、「ソウリー」と、わたしに通じる日本語で、声をかけてくれる。わたしは、これを誇りに思っております。京都では、支持率が、非常に高いところも、あるそうです。が、この国に、何か異変があっても、ひとつの田圃、良田をつくるには、200年、300年という努力の単位が必要で、この稲作文化を引き継いでいる日本の将来は、大丈夫だ、絶対に、大丈夫だと感じています。

2]
アメ公のガキャは、ニッポン人を、人間と考えておりません、とは、口が裂けても言えねい。そのため、口をこうやって、ひんまげております。

ぼぇー、ごきゃうーん、ぽっぽこ、麻生太郎も、白人毛唐、アメリカ発の大不況下、2008年の「G20」、本来は、洞爺湖サミット主催の日本なのですが、不良のブッシュGHQたちぃーや、アメリカでぇ、ねぇーと、領土問題で、台湾に武器輸入、韓国と北朝鮮を、いじくる、つぎは中国だと、脅しやがったんでぇっ、アメリカの奴隷、日本は、泣く泣く、うなずくより仕方ありませんでした。

日本は、アメリカ様のおかげで、ときには、これはオフレコですが、ええっ、ギーい、グーつ、ガアガア、カラスが鳴き、叫んでいます。
1983年9月でしたか。大韓航空機が撃墜されました。日本人乗客もいました。わたしは日本人のつもりです。やはり日本人は助けたい、そのつぎゃ、同乗の韓国人となります。緯度、経度は、毛唐、アメ公中心に、北極を基点に、編まれており、このジャイロ (gyroscope) を弄れるのは、ええっ、どこだったけ、忘れた。かの国ぐらいでございで、おます。

1985年8月は、「日航ー123便(びん)」で、スチュワーデスが、トイレの使用は、水平飛行に入ってからです、もうしばらく我慢できませんかと言っても、水平飛行の前、「腹痛だ、便(べん)が出そうだ」「下痢」という、外人様がいて、戦闘機と交差するとき、信管(しんかん)が、働くようにされておりましたって事は、以上、皆、デタラメよ。

ほんとうに、我が日本は、弱い国です。

日本の敵ではない、親密な日米同盟に、苦しめられてきた、ではない、アメリカのおかげで、安心な生活を送らせて、いただいており、これからは日本も核装備が大事、そうね、やっぱりアメリカよと、コロコロ変わる表現をするように見られている、ニッポンの首相、麻生です。

2008年の「G20」、11月15日、「金貸して、アメリカへ」でしたが、向こうの、あの、ハゲタカに勤務していた、財務長官のポールソン(Henry Paulson、1946-)に、米GM、ヘンダーソン(Frederick Henderson、1958ー)と来りゃ、年収、50億円から、100億円。

こっちゃ、ホテルのバーで、財務の中川 昭一大臣たちと、ちょっと、相談していたら、「ぜいたくだ!」とマスコミは、いいやがる。ホテルは、水いっぱいでも、サービス料金を取ってくれるので、楽だというと、「ホテルのバー、水代は2000円、ぜいたくだ」ときやがる。
そしたら、民主党の江田五月議員は、なにかえ、昔、若いころ、千歳船橋駅、南の、居酒屋で飲んでいたじゃないか。あんなとこだと、最低、二、三杯飲んで、何か食べないと、店に迷惑じゃねえか。若いと、できる。なあ、江田先生、アホかこの国の、マスコミは。

ブッシュに、ポールソンの悪は、1990年代から、中国に、好景気を与えて、金をやったから、こうなったと、言う野郎たちだったので、我が、日本としては、中川 昭一大臣を、派遣させました。日本の大事な奴(ヤッコ)さん。拉致されずに戻って、まいりました。

アメ公野郎は、すぐ、背比べをやりたがるので、中川大臣に、「おい、伊吹師匠に、祇園の、『ぽっこり』買ってもらって、履いてゆくか。気にいらねえ奴の頭は、ぽこんだ」と言いますと、「そんなー」と言うので、「それなら、江戸自慢、ねじり鉢巻の、板前姿で、『高下駄』はどうだ。後ろは『Tバック』よりすごい、『ふんどしバック』でいけ。白人のレディーが喜ぶ。ケロケロッ」といったら、恥ずかしいのか「年頃は過ぎても」といいやがる。

それで、金貸してといったら、『通りゃんせ・兌換』だ。行きはよいよい、返金のときは、1$=200円ぐらいだったら、貸してやると言え。ぜってい、「うん」と言うな。
「うん」と言わされたときは、すぐさま、あとに、「こ」をつけて、トイレと行って、席を立てと、教えたしだいの、麻生です。

師走(しっそう)の、掃除(そうじょ)とおもいましたら、マスゴミの超特大ゴミは、特大ごみ、出てくる、出てくる、出てくる、埋蔵金であれば言いのですが、さんざんアメリカにたかられ、わが日本の財政、真実、金がありません。が、日本の借金は、日本にだけ。

民間には、タンス貯金というのがあります。この額、1990年代の不況時、500〜800兆円。現在、1200〜1500兆円。
ところが、この金、政治家や、資本家にではなく、兌換紙幣の経済をしらない、生まれて初めて、握った、元役人はじめ教員だの、事務屋の連中ばかりで、こいつらには、自衛隊のヘルメットをかぶって、機関銃をつきつけ、金を出せと、実行しないかぎり出てこない、いわゆる、「死に金」という、金。

なのに、マスコミのガキャ、とくに、F県、松本小学校を一番か二番か三番かのため、卒業できた、朝日政治部の「持田周三」君。朝日はどうなっとる。
これから文部科学省は、朝日の持田周三君のように、小中学校は、一番や二番ぐらいの、成績だったものは、「卒業」。あとは、「通学」の履歴有りにしようかと思っています。

平和だ。給金の高い、アサヒ朝日。朝日新聞も、数回目かの倒産で、築地の海に倒れるぞ。おおっ、倒れかけたか。印刷のあとのインクに洗浄液を、たらたら、だらだら流して、公害だからな。これからは、余りのインクに洗浄液を、つるつる、ずるずる吸え。
まえ、ふさふさ、いま、つるつるになってきた「持田周三」君、日本の将来のためになる、わかりやすい記事を、たとえば、国会で喚問をうけた、F県F高出身で、F県の誇り、長期信用の、腹黒ではない、「石黒正」君を、特集して、欲しい。市民は、素朴なところに疑問が沸きます。

3]
多少、政治家は良識を持っています。わたしも、一年の中、就中(しゅ・ちゅう)心配しますのは、年末(とし・すえ)でありんす。新宿(にい・やど)、渋谷(しぶ・たに)、上野(じょう・や)はじめ、大都市での、雑踏(ざつ・ふ)の中、事件があれば、どうしうようか。地震など、天災がおきれば、どうしようか、そのようなことを考えて、年明けを、町で待ちました。そして、国会があけると、また、去年(さる・どし)といっしょ、この非常時、2009年1月20日の、「参院予算委員会」、わたしに、漢字のテストをしてくれる、賢い政治家がいました。

イシ、ウイ、エエイ、ハジといったかな、偉い先生は、国民の生命、生活がかかっている、政治家としての会議を邪魔してくれる。この政治家は。参院予算委員会で、漢字テスト、この人物は、「灘中学入試テスト」で合格点がとれるそうだ。なぁ、おっとさん。つぎの選挙、正義を好む、播州は、民主党、票がないそうだ。

公明党なんか嫌だって、公明党の議員が言ってるのに、問い詰めやがって。バカか、いや賢いのか、「イ」「ハジ」なんとかさんは、池田大先生と、同じ手のラインだ。同じ心の持ち主だと言う人もいます。偉い政治家さん、わたくしは幼少のころ、世界地図をかくのは、得意だった。倒産状態の、「文藝春秋」が、最後の商売のため、たらたら飲んで、シャラシャラ喋ったのが、原稿になり、本が売れるよう、何人もの編集者が見て、デスクに編集長まで、何度も、赤を入れるのを知らないようだ。忙しいワシに、書く時間があるのか。バカか。

、、、ああっ、疲れたわい。映っているのは、「ハジ」の娘か、、、。今日は、ウィスキーをグラスに一杯、うとうとうとしてしまうわい。あぁ、テレビじゃ。

2008年末、赤紅歌合戦、司会の、金玉オオキです。「つぎの歌ですが、昔、大ヒットしたのは、伊東ゆかり『小指の思い出』は皆様ご存知ですね」

「それに対し、彼女のは『おボボの思い出』です。アランドロンが行ったのは、吉原。めくりめく一夜、かれは、ここ。でも、めくりめくりたくたっても、大臣様との思い出を書いたのは、誰も、いなかったときの、学生時代をおくった、キャンパスの、コンクリートの壁。ときは移り、病気もうつり、あれっ、これは、、、まちがっていましたか、禁句でしたでしょうか。

それでは、「横山プリン」、司会の番組で、脚を上げ、デビューし、酔って、大股を開き、横山プリンの頭に、何を押し付けた、女性といえば、そう、この方です。

「♪ おまえが かんだ、おボボが痛い、きのうの夜の、おボボが痛い。♪、、、そっと、口びる、押し当てて、うん? そんな事できるかい」
「♪おまえは 入れる、大きなものを、フニャフニャ だから、お口に 入れる。♪、、、そっと、前歯に 押し当てて、思い切り噛むと、おまえは叫ぶ。 Oo-Nikーkon、Pakーkon. J'ai dit . De la pluie legere. J'aime lecher. La、 La bas、Ce defaut Voir l'epouse?」

つぎは、なんだぁ、、、ああ、眠い、、、満州馬賊の娘で、戦後、皇族が、「摂家」のと、言って「土地所有」を示すと、なに、セッケンなら、知ってる。天皇家、その天皇が、戦争を起こした、殺せと、児玉誉士夫と、小槌で、ボコンとやった、タ、タ、タナの悪党娘か?


二章 [麻生太郎総理の論理整合性]
1)岡田克也と時代性
日本の野党は、どのような、精神構造をしているのだろうか。

民主党が、「岡田克也」さんを中心に結束しようとしていた時代があった。
市民へ、熱心に話されているが、聴衆は集まらない。岡田克也(台風型)さんは、かれより、政治歴が上とか、知恵をつかい懸命に働いてきた実業界の人物たちには、腰が低い、人である。主張がわかりやすい政治家である。
人気が出て、盛り上がったとき、岡田克也さんを慕う、民主党の若手を、できれば、5人。最低、2、3人の議員をつければ、岡田克也さんの政治の在り方が変わったはずである。

岡田克也さんのばあい、良い意味での、社会や政治での、上の構造のものが、ともに活用、活動しようと思えば、できたはずである。政治家としての欠点は、クリーンすぎる、と言うことだそうだが、政治はひとりでするものではないと、わたしが言っても、いまの時代には、この言葉は通らない。

これは欠点にもならないと思うが、抑揚が、まるっきり、関西弁であること。現在、岡田克也さんの、ご両親の世代、大正時代のひと、昭和一ケタ世代の、とくに関東圏の女性は、関西出身であっても、関西弁をきらう。
関東弁とちがい、気持ちが沈むそうだ。

アメリカはなぜできるかというと、日本と違い、いまだ、奴隷社会と変わらないこと。これは、メキシコとの国境線が証明する。テレビなどは、不要な部分をカットしてできている。
給与が発生する正社員でもすぐ、リストラでき、底辺労働は、中南米からの、移民でおぎなえば、また、広告宣伝を利用し、新たにやれる。アメリカ人は、殺戮が平気な民族であることに本質がある。
移民してきた人たちに、生か死かの選択をせまったばあい、大半が、生を選び、選挙活動へと参加していってとうぜんである。

2)二代目赤尾敏、鳩山由紀夫
テレビメディアが中心となった、日本の政治家同士の構造というか、政治家がテレビに拘束され、振り回されてすぎている。麻生太郎内閣が政治を展開するまえに、アメリカ、ユダヤロビーが、日本を混乱させている。

父方の祖母は、1962年、加古川市にできたフタギ(いまイオングループ)の警備員に、買い物を書いた紙をさがしていて、泥棒容疑で捕まった。加古川市駅員たちが、無言の祖母を見て、気づいても、「違います」と代弁しても、捕まえたまま。
この『イオン、京セラ、三菱、まぐろ、島津、スターバックス、リーマンBr三菱UFJ野村オリックス、メリルリンチ伊藤園、サントリー創価学会トヨタ、ソニー日興ライヴドア』に、『イトーヨーカ堂三井物産セブンイレブン、ユニクロAIG三井住友ゴールドマンサックス住友商事ウォールマート西友』、『ダイエー丸紅ローソン』、『タリーズ伊藤忠ヒロタ吉野家』の金銭根性で、日本は、根底から、転倒した。

小沢一郎さんは、長銀事件、高橋幸雄さんとの関係も、上手くこなすことができる才覚をもたれた人だ。そうだったか、F県の恥じ、日本のゴミと、人間の屑と、同窓に、言われている、「あおぞら」、野村信託の「石黒正」さん。交通ルールを守る、わたしの母を、1980年代、刎ねたのが、偉い「野村グループ」で、ちんたら、ホップ、ステップの石黒正さんのような、社会悪が、生きてゆける。


鳩山由紀夫(春型V類、夏型T類)さんは、左端の写真でわかるように、小沢一郎(夏型U、冬型T類)さんを、称えながらも、このような雰囲気を、民主党全体が、大事にしていない。

「小沢一郎」さんは、1970年ごろ、日本にも多くいた、他者の意見を聞ける、スターリンやブレジネフ、ジョージ・W・ブッシュ(43代)に似た、思考ができる政治家である。スターリンやブレジネフ、ブッシュ政権のような、戦争が平気、殺人も平気を、日本で実現するには、「小沢一郎」さんのような、人物の、押し上げ、民主党を一体化させる事が、必要なのである。

政治家たちが、新しい時代をひっぱってゆくためには、党での意見の一致である。せめて、自分たちの党の主役たちを、全員して、称え、選挙舞台を構築してゆかないで、新しい時代を作ってゆくことは、不可能なことである。

鳩山由紀夫さん、写真二番目は、書道のようである。三番目、四番目をみると、よく、有楽町で、「墨」でスローガンをき、背景の板に貼り、トラックの上から、演説、説教されていた「赤尾敏(あかお・びん)」さんのように、なるのかと思ってしまう。

日本の、現実というか、1990年代、鳩山由紀夫さんが、演説をされていても、20代は、立ち止まって、聞こうとしない。赤尾敏さんの、辻説法の状況と、同じである。
いまだと、路上で、一万円ほどカンパして、一分質問させていただいたら、10分ぐらい返答してくださる。このままだと、民主党の鳩山由紀夫さんは、二代目、赤尾敏さんになる。

右端の、岡田克也さんが、鳩山由紀夫さんと、市街、演説されている光景だが、岡田克也さんの表情でわかるように、自分自身が尊敬できる相手が隣のばあい、こんなに、表情が明るい。

同じ現象というか、鳩山由紀夫さんは、ご自身が、誉められる、立場の状況になると、真面目すぎる表情になってしまっている。

日本文化が生んだ人間社会というか、この美徳さは、根底から変化させないと、競争の、国際社会でつうじないと思える。

人々のまえで、選挙演説できる、資質があり、機会があるのだから、市民がわが、鳩山由紀夫さん、岡田克也さんへ近づき、演説の言葉を理解できるまで聞き、互いに、日本の社会は、どうあるべきかを、具現化できないのだろうかと思う。
日本の変化だが、野党は、周辺の小学校から、授業あとの、短いチョークをもらって、通りがかりの、20代に、「演説を聴け」と、投げたらいい。暴力というなら、「銭をやる。銭形、民主だ」と、5円硬貨に1万円札をつけて、投げればいい。立ち止まり、1万円だけ取ってゆくのが、いまの日本だろう。

敗戦後の混乱期、全国民の20%近くを、悪い他民族と入れ替えた、アメリカだから、いまの日本は、まだ、アメリカが、コントロールできる。

鳩山由紀夫さんだが、大学の教員の、30歳ごろだったか、自民党本部が、何度も、議員になって欲しいときた。このとき、「わたし、いまの生活で、満足ですから、議員など、なりません」と言われていたのが、記憶にある。弟の、鳩山邦夫さんも同じで、自民党本部からの、将来、何をするんですかの質問にたいし、「ぼく、結婚します」が答えだったと記憶する。

3)昔ながらの日本人の有り様

写真、左端だが、福田康夫(秋型)首相を元気付ける、街頭演説会だが、肝心の福田首相は、「万歳」の形をとるのが、恥ずかしく、奥ゆかしい性格を、そのまま、表している。

左から二番目は、麻生太郎(夏型U類)さんが、福田さんの右手をもって、上げられているところである。
この構図をみると、麻生太郎さんは、こういった万歳とかが、平気な性格かというと、そうではない。小学生のころをとると、内弁慶で、非常に、恥ずかしがり、だったはずである。

欧米から、ラジオ、テレビ文化が輸入され、日本は、大きく変化した。しかし、日本人の、昔の光景の一面が、福田康夫さんの仕草で、わかるのではないか。

この万歳の仕草だが、東京帝国大学の教授として就任してきた、西洋人が、母国へもどるとき、日本人学生、研究生が起立したまま、動かないので、何もしないのですか?と西洋人学者が言い、明治時代にはじまった。

カナダ
 British Columbia, in Vancouver, B.C.,)で心理学の”Tracy JL 女史”が、2004年、アテネ五輪での柔道を分析し、勝者が手を上げる、ガッツポーズは、遺伝子の関係という論文が、米国アカデミー紀要PNAS )  発表されたとあって、わらった(2008年8月14日、朝日新聞WEB)。

全日本柔道選手権で、手を上げている日本人が居るだろうか。わたしたちが中学生のころは、畳の上での練習だった。勝っても負けても、礼儀よくしなければならなかった。いつもだが、練習でも、その後、着衣の、裾、前が、整っているかである。開始のときの線のところでの礼、後ろへ引き下がりながら、最後の礼のとき、着衣を整理でき、お辞儀をする、余裕があるようにと、この礼儀のことしか、わたしには、なかった。

この、”Tracy JL 女史他、日本の共著のライターは、手を上げて踊っている、ケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway )の絵を見た事がないのだろうか。大阪立大から、戦争道具まかない三菱勤務、そして、東大教員の輩、貴殿のは、湯川秀樹、市川亀久弥先生たちが、1960年代、黒板へ描いていた、5分ぐらいの講義だ。新しい良き、生産創造はできたと思う、展開して欲しい。

グリーナウェイ女史は、葉書、サイズクラスに、スコットランドの民族の踊り、スォードダンス(Sword Dance)を描いた。
You Yubeに、”Holly & Emma Sword Dance 2004”がある。これは非常に力強く、上手なものである。西欧文化のよさだが、不揃いでも、そのまま進行してゆく。

踊っている子供の頭骨に顔、手や脚の形質をみると、血縁であることがわかる。子供の体力だが、「30秒以内」を守っており、姉さんたち世代が、妹たちをかばっている光景が、ほほえましい。

日本の小学生の体育に、この踊りを取り入れれば、血行、栄養障害など、少なくなる。踵(かかと)でのステップで、脚と骨盤が発達し、小子化は防げる。
スォードダンスの基本は、凍ったり、霧の、ステップ地帯で、陥没地帯に、落下する、同族を、腕で助ける舞踊である。

大不況のイギリスへ、体育と英語の教員、500人採用として、連絡すれば良いのではないか。
日本には「文化勲章」や「文化功労者章」があり、これには、毎年、褒章金が出る。市民があっての文化であるし、文化を知る、元大学教員とか年金が発生する人たちを先頭に、文化勲章、功労者章たちは、困っている市民のため、毎年の褒賞金を、国家へ、返す時期ではないかと思う。

福田康夫さんの、三番目は、自分へ与えられた席、これだけで充分という、他人から見れば、小さなことで、満足する、心身の在り方。四番目は、2008年9月、フィンランド首相が来訪されたときである。
イギリス同様、フィンランドの舞踊でジェンカがある。日本で流行したのとは、本質も、踊りも違う。基本は、山岳民族が凍った大地から滑り落ちる、同族を、腕をL字、V字にして、かかえ、救出する踊りである。
筋力が発達していないとできないが、北欧の舞踏は、手、脚の力づよさにある。

サンタクロースは何人いても良い気がするが、フィンランドはじめ北欧の国々からも、民族の踊りと「北欧言語教育」に来てもらったら良い時代ではないか。

4)「能」でみられる福田康夫の仕草
五番目は、いつも目立っていたいだけで、世界は自分のためにあるんではないだろうかと錯覚できる、ブッシュ夫人と、いっしょの、福田夫人だが、福田康夫さんの夫人の性格は、見てもわからない人が多いと思う。

六番目、国会での答弁で、真摯にマイクへ向かう性格が。七番目は、総理の職、辞任での、至らぬ、自分自身へ、皆様、ありがとうございましたという、日本人独特の、体を、畳む、形相である。

福田康夫さんの姿勢だが、「能」での、詫び、挨拶の形で、誠意が、顕れているのではないか。

ご両親からの、干渉がなく、福田康夫首相は、お父さんも、真面目だったが、冗談が言え、周囲を、笑わせ、なごませる事ができる才覚をもたれていた。

手のライン構造からゆくが、福田康夫首相の、お母さんだが、長男の、「福田康夫」さんが、他人への干渉が嫌いで、少々のことでも、傷つきやすい性格のため、誹謗中傷するのが好きなタイプの、同世代の言動から離し、傷つくことのないよう、まっすぐに、周囲にたいし、責任感を持つ事だけで、成長させようとされた、生真面目な性格だったと思える。

秋祭りで、神輿(みこし)をかつぐときなど、福田康夫首相は、神輿を、持つ位置が決まれば、離される性格ではない。肩にひび、骨折になろうと、離される性格ではない。

「世間への、迷惑。そういった事だけは、しないように」と、こういった事を、お母さんから、言われて、育たれたはずである。
政治家への選択は、現在の、福田康夫首相事務所に、居られる、福田康夫首相より、高齢の、町や村のために、可能なかぎり清廉であろうとする方々の「ごくろうさまでした」の言葉でわかる。

福田康夫首相さんの後援会の高齢な人たちだが、わたしの生家に集まっていた、祖父の弁護士で、明石市の民社党の、吉田賢一さんたちと同じ雰囲気の方々である。


原因の、遠い因縁などの関連は、夏目漱石、志賀直哉全集を読めばわかる。
わたしが、この「京都昨今」、「『28』 「坑夫」に、日の丸をみる 三条とおり」にかいた、「坑夫」のモデルは、志賀直哉である。日本は、漱石研究家、文芸評論家が不在なのだろう。

5)仏の顔も三度では
「新内閣には、さっそく経済対策、まあ、それがですね、先週末、それが、決着をみた」との、福田康夫総理からの、内閣辞職の言葉が、平成二十年九月一日、夜九時三十分からはじまった。世界へ、配信され、掲載された、福田総理の表情は、左から三番目、「京都新聞」での、情け深く、やわらかに眼がひらいた、日本人のものであった。

わたしに理解できない、福田康夫首相の、辞任のニュースだが、「会見の最後、首相怒り  記者質問に 『あなたと違う』」(朝日新聞2008年9月2日)発言があったことで、マスコミがさわいだ。

「記者クラブ」の制度が問題だが、朝日の記事をみて、家人は、朝日だと言う。わたしが音声を聞き、「朝日」は「ASAHI」母音子音列が、「5」であると言った。

「SHUーU−HO−OFU」この発声だと、7から9音あると返事し、姓は、「TO(DO)−0ー0−HE−MEN」と複雑で聞き取りができない。吃音がある人かも知れないと言った。
中国新聞社の、「
道面雅量(どうめんまさあき」記者だそうだ。

若い記者とおもいたいが、「あの、国民にはちょっと、他人事の、ように、聞こえる、という風な話がよくされておりました。今日の退陣会見を聞いても、やっぱり率直に、そのように印象を持つのです」と、表現の順序は正しい。しかし、どのような準備なのか、当然すぎ、不要で無礼と感じる、発言をされた。記者には、誰が仕掛けたのか、その犠牲になってと思った。

「中国新聞社(広島市)」だが、知識人の集団と思える。編集が何人かはわからないが、社員100人はいるだろうと思う。広島を中心にした、経済を良くする方法は市民たちと、考え抜いても、良い時代になったのではないか。

アメリカの責任が一番大きいが、この大不況では、大新聞社の方が、人件費と維持費で、弱くなる。
若い世代が理解でき、被爆国の広島での、他府県にない地勢を、徹底して、調べ、10代、20代が、ついてくる文章で、新聞に論理展開してゆかれたらどうだろうか。

わたしは、仕事で、1974年、広島大学(医)へ行った。原爆投下をはじめ、GHQアメリカの行為が許されず、また、自分自身に、まだ、アメリカを批判できる能力がなかった。そのため、うつむいて、タクシーにのり、仕事が終えたあと、タクシーで、下をむいたまま、広島駅へもどった。まだ、原爆ドームを見たことがない。長崎も、行ったことがない。第二次世界大戦で負け、非力で、さらに、GHQアメリカの洗脳で、わたしが生活する、「都会」とやらの、人々から、正直さが、見えなくなったからである。

6)フランスおよび、残念がった、福田内閣
海外からの反応だが、「首相辞任、欧は関心薄」とは、朝日新聞の、2008年9月2日、「ロンドン=土佐茂生、ベルリン=金井和之」たちからだった。 

朝日新聞社は、フランスを、どのように解釈しているのだろうか。「ル・モンド」電子版は、一面トップで、2頁にわたり、まだ、任期中なのに、どうして止めるのかだろうかを論じていた。フランスは他のメディアも同じだった。フランスを中心に、福田康夫さんの誠実さは、大半の民族、マスコミが理解していた。そのため、なぜ辞任なのかの記事は、多かった。

朝日の土佐茂生、金井和之
、貴殿たち、フランスは、西欧から、いつ、離脱したのか。朝日では、スペインもイタリアも西欧ではなくなったのだろうか。朝日新聞の社長ほか役員も、論理実証できると思う。朝日新聞社、部長以上、総辞職しろ。
わたしへのシンパ、朝日の若手が、拍手すると思う。


また、朝日新聞社、1984年暮れだったか、『知識』という雑誌の、小田急、千代田線の吊り広告に、「父は朝日に殺された」と言うのがあった。1975年、76年、わたしを診療してくださった、同志社の校医さんが、朝日新聞の社会面の記事になった。そして、1980年ごろ、学生会館から、飛び降り、自殺された。この自殺の原因は、朝日新聞社にあると、いまも、わたしは、判断している。

真面目な方だった。遠くからでも、深く、お辞儀を返される先生だった。同志社大学中、大変になった。
「京大、出身だったら、朝日の記事を止めることができた」と評議委員の、山田忠男先生が、言ったので、府立医科大と京大は、どのように違うのですかと反論すると、彼は戦中、一年ほどで、軍医に、なったんです。ぼくも知らなくて」と言ったので、京大も同じじゃないですかと言った。

GHQスパイの石井四郎のおかげで、桑原武夫、梅棹忠夫さんに頼み込み、京大在学のあと、朝日新聞へ入社した、「本多勝一」さんの、デタラメ記事で、日本は大変な状態ですと、わたしは言った。

山田忠男先生たちは、本多勝一さんの名前など、口にしない。中共とGHQスパイの、本多勝一さんとやら、朝日新聞社の金で調査した、エスキモーの音楽調査のテープを、民族音楽家の「小泉文夫」さんにあげた事を記載してあったのは良かった。

このおかげで、エスキモー音楽分析専門家になれたが、小泉文夫さんのエスキモー調査は、過去、一度もなかったと、わかった。
印南郡、高砂町長の娘、加古三枝子さんの夫、小泉文夫さんは、エスキモーの、どこも調査をしたことがない、ということだ。わたしの指摘に、小泉文夫さんは、「文部省が、研究費用をくれないから」と間接に、言っていた。

7)学術誌から見つからない、従軍慰安婦などの疾病調査
日本には、1930年の時点で、帝国大学、軍医学校からの医学誌が、100以上ある。娼婦のばあい、性病が問題になるため、検査や、調査が、皮膚科はじめ問題になる。ところが、マスコミが騒いだときの、東京帝大・法医学しか、娼婦に関しての、意見や、検査項目など、でてこない。基礎医学の彼らは、どのようにすれば、ドイツ医学に追いつけるのかが、脳裏を占めていた。

一番大きな原因だが、日本は、中国からの、儒教精神がゆきわたり、『飾り窓』のある、オランダと違うということである。

日本へ、西洋の軍隊組織を伝播したのは、オランダで、後年、ドイツとなる。江戸時代から、「オランダ商館」のオランダ人は、大きなペニス自慢なのか、日本女性をみると、すぐ、ペニスを入れようとする。

儒教教育が行き届いた時代で、日本女性が身長145センチのころだった。村役の人や、村の維持のためには、好色な平均身長173センチの、オランダ人の犠牲になっても良いという、女性が出てくるが、オランダ人の習性か、性器が小さくても入れようとする。

日本人は、相手となる、女性の「体が壊れますから」と言う表現をとる。日本では、強姦や殺人にあたることが、オランダでは、フリーセックスと言うのだそうだ。同じことは、戦中、戦後のアメリカの軍人に、洗脳された、悪い、日本人、中国人、朝鮮人の行為でわかる。

「オランダ商館」からの伝統で、江戸時代から、いくら注意をしても、ワインを飲んで、日本女性を、強姦するのが悪いオランダ人だった。この性癖はなおらず、帝国大学時代になっても、ワインを飲んで、講義をし、乱暴するのが、悪いオランダ人だった。

「娼婦としての募集」は、昭和時代の、新聞などに見る事ができるが、軍人に関しては、資料が出てこない。儒教精神で、医師たちも、性病患者の診療を、嫌がり、まして、日本の娼婦でも、見ない。

売春行為に必要なのは、言語の交流である。もし、中国や朝鮮半島出身の、軍人がいれば、同じ民族の、娼婦を選択するのではないか。

この社会現象は、現在のドイツを見ればわかる。「娼婦館」の構造だが、たとえば、1階は白人種、2階は黄色人種、3階黒人種のようになっている。白人種を相手するのは、”Penisー陰莖”を、振り回す、白人種が中心である。

これまで、日本人女性で、従軍慰安婦だったと言う女性はどれだけ、申告してきたのか。

日本を混乱させるのが仕事の、文化を冷静に見て、批評する能力もなく、新聞記者らしく、要約した、文章表現力もない、強姦ペニス・本多勝一さん、とやら、やせ細って、20歳そこそこの、日本軍人が慰問団で好んだのは、童謡唱歌をうたってくれ、軍隊の中で、集団発症する結核など伝染病、戦場での「死」をまえに、『ふるさと』を思い起こさせてくれる、東京芸大(上野)による唱歌の音楽隊だった。

民族音楽者の、小泉文夫さんの奥様は声楽家で、日本女性としてできる、義務としての仕事のひとつと、されたものである。

虐殺頭脳の本多勝一さん、日本の16歳の志願兵は、20代そこそこの軍人が、いちばん注意したのは、国民病といわれた結核である。しかし栄養不足で、罹患する。また、悔しさは、侵略地である他国で、お国のために、なんの役にも立たず死んでゆくことだった。

南京大虐殺もだが、調査をしてから、本や記事を書くのが、ジャーナリズムの基本ではないか。
従軍慰安婦問題だが、朝鮮人と過ごして、安心するのは、言語共通する、朝鮮人ではないのか。少し、論理構造の基本を考えてから、文章にすべきである。

GHQアメリカは、日本人にとっての主食の、米、この「食料運搬船」を、徹底して撃沈した。極悪党の本多勝一さん、空腹の軍人に、慰安婦?GHQアメリカとの、最前線に、慰安婦?物事は、考えてから、論述すべきではないか。とうぜん日本人にも変質者は、居る。貴殿、本多勝一、自身が、モデルだ。

事実、根拠のない記載で、日本中をさわがし、学歴詐称を指摘されている、卑劣な、朝日新聞の極道・本多勝一さん、最後は、人間らしく、きちんと、身辺を整理し、論述されてから、逝かれよ。

8)総理の歯
下の左端、若いときも在った証拠の麻生太郎(夏型U類)さんである。
これら、写真を何枚もみて、歯列が、7本、左右14、上下28本と思えた。麻生太郎さんの、小さな歯の形質だが、ご飯(米)と野菜の摂取量が少なかった事による。幼少、青年期、左の歯列は、右と比較して、乱れていたはずである。


手のラインで、『夏型U類』の麻生太郎さんと、『秋型U類』の福田康夫さんとの共通項は、手相でいう、感情線=α(アルファ )の形もだが、頭脳線と言われる=β(ベータ) と、生命線と言われる=γ( ガンマ)との、ライン構造にある。二つの線による構図、『領域X=ゼロ』が重要である。
両親による、ムダな干渉が、まったく無かった事。重要なことは、二人とも、非常に、慎重でありなさいと言った、環境に、育、たられ、極めて、控えめで、無口な子供時代を過ごされたと思う。

違いは、首相として、ひとつの物事の選択に、福田さんは、周囲の意見を聞き、並べて、何度も、了解を得られたものを、言辞にされてきた。
周囲の多くが賛成したものを、記者たちの前で、言葉にしたとき、記者たちが、あげつらったとき、福田さんは、周囲といっしょに準備しても、揶揄されたとき、不愉快になられた。このときの心情だが、だれしも同じでは、でないだろうか。

麻生首相は、並べられたものへの、客観視は同じで、その中のものを、自分自身の判断で、選んだものを、決定項としてゆかれる。責任は両者とも、同じく、取る必要のないものまで、取られている。

「骨の細胞」で、一部表面に出て、解析しやすく見える、「歯」のばあい、自分自身でも、左右対称ではない。

骨格どうよう歯の形質も、兄弟でも大きく異なるときがある。民族、人種が違うとなれば、まったく違うと言えるほど、形質が、異なる。日本人の歯の細胞は、肌と同じく、非常に弱い。

歯を専門とする、人類(人種)学者が、あまりに少ないためだが、歯への、テーゼ(命題と、解決への措定)において、骨格の、形質細胞部位と、神経細胞部位の連続性を、わたしに、明確に説明できた、学者は、ひとりもいない。

万能細胞で、歯?ハハハハッ、日本を潰す気か、まだ、30歳ぐらいの子供だらう、名古屋大学の「上田実」(1949−)さん、まさか、アホでも入学できた、とうじ、実質倍率1倍ほどの、京大工を、経由していないと思う。一度、馬の歯、牛の歯に、ご自身の歯を入れ替え、馬や牛の歯に貴殿の神経細胞をとりつけてから、発言をするのが、懸命である。

京大、再生医科研、クローン牛の「中辻憲夫」(1950- )さんも、30歳ほどの子供か。貴殿、10代20代で、どのような業績がある。どのような経過で、クローン牛が可能なのだ。奇形どころではない。イギリスは、「ピルトダウン人」を作成した国である。

1963年秋、豊中市庄内小学校での、菊の栽培に、わたしたち栽培部は失敗した。新聞に載らなかった級友たちから、外れた、わたしは、ひとりで肥料づくりだった。
肥料だが、給食の残りの、キャベツと玉ねぎを中心に、庄内小学校の西の隅へつんでゆく。加古川市立川西小学校では、自然の肥え、土を耕したりしたが、キャベツと玉ねぎが腐った臭いは、普通ではなかった。

このとき、南側に離れて、在った、校舎で、児童会がいっしょの一年生たちに、何の花が好きと聞くと、「チューリップ」との返事だった。それで、1964年に入学してくる一年生に向け、担任の岡重信先生に言い、正門の花壇に、わたしひとりで、100単位、植えた。

岡重信先生が、体育の時間を、栽培にしようと言ったので、わたしは花壇が乱れるし、体育の時間を栽培にすると、わたしへ不満が当たるので、止めて欲しいと言った。が、秋おそく、5年3組全員が、花壇へと行った。
1964年春、手入れをあまりしなかった、チューリップの結果だが、正門の長い、花壇で、咲いたのは、10数本だけで、丈も、色も形も、変形したものばかりだった。

9)ノーベル賞病の本庶佑
本庶 佑(1942ー)さん、貴殿の、弟子、白水倫生(しろず・よしお)医師(白陵中・高→京大・医→京大・大学院)は、「遺伝子なんかで、病気、わかるわけない」と、現段階では、正論を言われた。

わたしは家族の付き合いで、1996年、京大へ行った。担当の、「春名克純(はるな・よしずみ)」医師が、東京でいう心療内科のインターンのため、病気やクスリの種類がわかりません、と素直に言われた。

静かで、正直なところが見える人だったので、良き臨床医が目標であれば、わたしが半年来て、喘息、はじめ、抗アレルギーのクスリを教えますからといった。
そこへ、スターリン似の、民主党の小沢一郎さんと、同様のラインをした、『夏型U、冬型T類』の白水倫生医師が来て、診台に座って足をぶらぶらさせ。「ときどき、こんな、よー喋る、患者、おんねん」と不躾な言葉を吐き、「春名君。ぼくと、いっしょに、しよ」と言った。

偉いものだ。ノーベル賞狂いの本庶佑さんの弟子は。本庶佑さん、指導がなっていなかったのではないか。
恩師たちが、1970年代、「学会、ガッカイと、いっても色々ありまして」というので、「物理学会も同じ」とわたしは返答した。1979年、毎年書いて、提出してきた論文が、5つ以上になったとき、「これもだ、、、」と言ったので、わたしは、ノーベル賞、五つ集めて、古物屋と詠んだ。

この偉い白水倫生医師に、なぜ、悪党柴谷篤弘(1920 - )さんと関係の、本庶佑さんの弟子にと質問すると、入学したころ、「講談社、ブルーバックス」が発売されたので、偉い先生と!?と、「田舎発言」をした。関東の学生だと、考えられない返答だった。

奈良、「おかたに会」、2004年1月2月3月、「帯状疱疹」の患者が居たのではないか。おかたに会、医師の良心があるのなら、白水倫生医師のカルテから、帯状疱疹患者の有無を公開すべきである。わたしは、大病院ばかりの生活で、衛生への管理は、幼児のときから、変わらない。イエにつくと、病院への着衣は洗濯、わたしはシャワーをあびる。

帯状疱疹が、顔を襲い、眼球へと来る、痛みは、普通ではない。個人差はあるだろうが、わたしの場合、左眼が病られた。京大の白水倫生医師が、週に一回とかで、自分の部屋もなく、助手とかでもない。そのため連絡が遅れた。「ここやと、ぼく、何にもでけへん」と言う。
わたしの両親に電話をすると、電話の診断で、帯状疱疹と言う。小脳にキリが20本、30本ぐらい刺さった痛みだった。

わたしと同様な症状では、指揮者の、小澤征爾さんは、右との事だったが、指揮者は、ふつう、右眼で、スコア(総譜)を見て、左眼で、コンサートマスターを見る。
むかし、病みあがり、学園祭がおわる成城学園大学をヨロヨロ、ヨロヨロロ、ドタタタと、散歩中。脳裏に音符がある人種がわかるのか、学園長といた小澤征爾さんは、好奇心で、わたしの方を振り返られた。小澤征爾さんの辛抱強さと、表現力はふつうでは無い。が、夕方からの指揮だと、眼が、落下しそうな痛みを伴うはずである。

日銀副総裁だった福井俊彦さん同様、「ノーパンしゃぶしゃぶ」の客人、元、厚生省老保福祉局長の羽毛田信吾(はけた しんご、1942 - )宮内庁長官は、皇太子夫妻への批判を何度もした。

日本のマスコミは、美智子皇后(春型T、夏型T類)をさんざん批判したあと、次は、雅子妃(夏型T・U類)批判になった。美智子皇后、雅子妃とも帯状疱疹で、眼まで、冒されていたはずである。雅子妃は、独身のときから、アトピー性皮膚炎で、頚部に、紫紅班がでておられた。

1990年ごろ、新宿、紀伊国屋の3階、科学書籍売り場の、レジの女性が、このアトピー性皮膚炎で、記憶にある人もいるはずである。
雅子妃を、「適応障害」と診断したのは誰かしらないが、帯状疱疹後、「神経痛」は、日光の直射、電球から、フラッシュからの光は、眼球を、細い針で、いきなり数本、突かれたように、痛い。そのため、スペイン、ブラジルなど太陽光が強いところなどへ公務でゆくことができない。

こういった、神経疾患からの、痛みの、事実をしらないのに、批判できる、宮内庁長官ノーパン羽毛田信吾さんの方が、国民のまえに、「適応障害」なのではないか。もし、ノーパンしゃぶしゃぶの女性から、ウィルス伝染しているとなれば、どうなる。症状緩和剤として、痛み止め用の、抗ウツ剤だが、水分が欲しくなり、太ってしまう。

どちらにしろ、国家に繁栄がなければ、官僚など成立しないが、この国の官僚、40歳以上は、一旦、総辞職すれば良い。
日本に不要だ。

10)センターの山中伸弥&高橋裕子
なにも分からないで、他人の説を、自説のように言っている人物に、額ににそりこみを入れた、山中伸弥さん同様、奈良女子大の「保健管理センター」とやらで、「禁煙マラソン」主催の、高橋裕子さんがいる。
2005年6月23日、「TVアサヒ映像」の取材陣はなんなのか。京大病院も、どのように説明される。

大学病院は不潔なのだ。なのに、大半が、寝転んで。貴女は医師としての常識が無いのか。患者の気分を不愉快にさせるのが医師なのか。

高橋裕子さん、1972年、京大西部講堂での、夏の日の思い出は、記憶に残存していますか。女優、田中裕子似の、身長は182センチだが、レスラーかと思える、体格の男子。あれは、柔道部に所属した、1969年末、八坂神社へ、お参りに行った、わたしの友人だ。するなら、「禁マン!これでAIDSが救える」が良い。

20代ぎりぎりから、シースルーの水着で「わたしは生涯、禁マン」とやれば、日本のバカ・マスコミはついてきた。高橋裕子さん、みなさん、山中伸弥さん同様、貴女をバカという。どうしてなのだ。

バカがうれしい ノーベル賞病の、本庶佑(1942ー)さん。貴殿に、発展的な業績があるのか。貴殿の弟子に、2006年、沼正作先生と、本庶佑さんのと、どちらが必要と聞くと、西武「京セラ」創価学会連合から出版の、物欲だけの本庶佑さんというので、笑った。

11)アイリッシュを残した青山ハープ
京セラ(三菱)の稲盛さん。同志社大の山田忠男先生は記憶にあると思う。

福井の足羽山まで行かれた、山田先生は、アイルランドで無くし、日本が保存したアイリッシュハープの歴史、貴殿と関連する、「(福井、永平寺町)」のことを、日本音楽史に残して欲しいと言った。
1979年秋、音楽史の改ざんを申し出た、雨田光平(福井、越前町)さん親子へ、わたしのそばから、引き下がりなさいといわれたときである。

日本は、福井、「青山次太郎」の子息で指揮者の「青山政雄」、夫妻が、福井で、祖国の西洋で消えた、アイリッシュハープを、保存し、作り続けられていた。
また、福井の、「師田保隆(もろた・やすたか)」夫妻もハープをつくられ、1952年ごろから、越前竹人形もつくられた。

稲盛和夫さん、聞きたいが、まじめに勉学をしてきた、日本人より、富裕な中国人を優先するのは、どのような理由なのか。京大、医学研究室には、2007年度で、80%の中国人の箇所があると言う。学力より、金力の大学が継続する可能性がない。
このままだと、京セラと京大他、製薬、機器メーカー、「加ト吉」の「循環取引」になる。責任は、とうぜん、京都、財界のリーダーだった稲盛和夫さんとなる。

万能細胞とか、「クローン」とか言っている輩たち、口をゆがませているのが、麻生太郎さんのトレードマークだそうだ。
が、麻生さんは、左下の、奥歯の神経が、かなり、痛い時がある、はずである。奥歯は、虫歯で、神経を抜いているはずだのに、痛い。歯の神経は抜き、神経細胞がないはずだのに、なぜ、痛いのか?
なんでも万能の、中辻憲夫(1950- )、「上田実」(1949−)、本庶佑(1942ー)
さん、自称学者たち、これらに答えよ。

12)朝日、論説副主幹、 臼井敏男
『夏型U類』の麻生太郎総理だが、写真、2番目は、安倍晋三元首相、三番目は、中川昭一財務大臣である。4番目だが、鳩山邦夫さんと同様というか、自分自身を肯定、賞賛する、人物たちに、囲まれ、拍手でも、もらうと、泣いてしまうのが、昔っからの日本の伝統である。

このような拍手ができる、『夏型T・U類』で『領域X=ゼロ』の鳩山邦夫さんに、朝日新聞は、2008年6月18日「素粒子」欄で、「永世名人 羽生新名人。(略)永世死刑執行人 鳩山法相。またの名、死に神」とやった。
これを書いた、論説副主幹 の「臼井敏男」さん、聞きたい、羽生善治(1970 - )棋士に、「二十歳こえ、バクチ成金、羽生名人」はどうなんだ。

わたしのイエは、将棋禁止である。父の弟は、1962年だったか、全東芝大会で、優勝してきた。イエでの将棋は、わたし相手で、わたしが、3歳のときまでだった。
わたしは、流行した、コンピューターソフトで、プロも負けるというのをはじめ、5種類、各、10番勝負を、した。パソコン動作は最新のものである。すべて10回連続して勝った。だいたい50手以内で終える。バカかと思うのがパソコン将棋である。勝つ方法は、プロだと絶対にしない駒の置き方をすれば、将棋ソフトは、動きに困る。30手ぐらいで投了のときは、将棋ソフトにも、プライドがあるのか、フリーズをする。10回近く、フリーズした。

このわたしを、啓光学園で、3年間同級、祖父が夏目漱石の教え子の孫は、20手ほどで、終えさせた。それで、何故強いと質問すると、「マツダは考えていない。これ暗記してこい」と、将棋の「定跡」をカバンから、出した。わたしは将棋の出版物をはじめて見て、受験生で、将棋に、時間を割く人間が、居るのか。それより、英単語を6000語、暗記して来いと、注意した。

問題は、鳩山法相が、6月20日の、閣議後の、記者会見で、被害者側の心を考えてからの意見に対し、『地球防衛家のヒトビト』「しりあがり 寿(望月寿城 、 1958 - )」さんが、夕刊の社会面の漫画で、「死刑!」という、昔、流行した漫画家のギャグを描いたことによる。

わたしも、これに、傷ついた。1975年秋、いま新日本石油関係の、強姦魔、前田博司さんは、この漫画のモデル、そっくりの顔をしている。鹿児島県、甲南高校73年卒、卒業アルバムに、前田博司さんの顔写真があるだろう。前田博司さんは、これを、同志社女子大で、同志社の学生が止まってはいけない、場所で、やった。

「金をださないもの、死刑!」と、加害者と被害者が、まったく、逆になるのがこの国だ。いっしょに居たのが、APA関連、グレース関連、金山工務店勤務の、中野逸人さんで、京滋生協の「横山治生(よこやま・はるお)」事務局長だ。横山治生さんとやら、昔のことだが、金銭詐欺、名誉毀損どころではない、監獄はどうだ。

大阪府警に、いい加減にして欲しい。末野興産の関連だ、と言うと、「あんな大きな会社、相手にできませんわー」だ。こんな国があるのか。中野逸人さんは、末野興産経営の、梅田のパチンコ屋でして、「勝った!」とやっている。

大阪府、橋下徹知事、大阪市、平松邦夫市長、国民が大不況のおり、末野謙一社長は、国会喚問まえ、金山工務店の佐野友彦さんへ、「この金、隠しといて、きょうは、700億円や」と、言ってきた人物だそうだ。

府警本部、知事、市長に、相談し、金山工務店へ、府道、市道、使用不可の通達を出すのが良識ではないか。

5番目はどこでも、人気の、麻生太郎さんの、実際である。6番目だが、福井市での講演も、このような、仕草をされていた。

写真7番目だが、麻生太郎、2008年9月、麻生太郎さんが首相就任、直後の、国連演説の席である。空席ばかりのように、「FNN(フジテレビ)系列」は映し出した。
世界の、社会が混乱中のとき、事実と違うことを、映して、面白いのだろうか、FNN(フジテレビ)系列は。

2008年9月、麻生太郎首相の冒頭演説は、この「会場」を作ってくれた、ニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマン(Miguel d'Escoto Brockmann)新・総会議長に、つぎに、マケドニア共和国のスルジャン・ケリム(Srgjan Kerim) 前・総会議長へ、お礼を言い、潘基文(Ban Ki-moon)第8代事務総長へ、謝辞を述べられた。

日本の外務省役人は、自分たちが関与した、英語の文章を、麻生太郎首相が、いつもどおりの、博多弁に関東弁、まじりの、麻生流その場その場の、臨機応変、英語なので、笑っていた。

アジア、アフリカはじめ、国連の人々への感謝ではじまっているのに、最初の感謝の部分、この、大事なところ3分が、無音状態だった。

ライフルで、「照準」が合っているかどうか、ブレが来ているかどうか、わからない状態になるときがある。
このとき、はじめっからやり直す人と、そのままの位置で、修正し、射撃するタイプがいる。麻生太郎首相は、そのままの位置から修正の人だと思う。

政治家としての演説と、ライフルなどの経験もあり、麻生太郎さんは、半分、気づかれていたのではないかと思う。ただ、とちゅうで、マイクから、スピカーの配線が、ON(接触)へ、変えてくれると判断していたのだろうと、わたしは思った。

どこまでも、国連の事務員が、優先の場なので、係員が止めに、来るまで、麻生太郎さんは、演説をつづけられた。係員の報告に、「その機械、日本製ではないよね、ね」で、場内が笑った。

この席上だが、2001、9、11の破壊され、死者3000人はじめ、犠牲者を出した、ビル同様、アメリカ合衆国の外交官に政治家は、欠席していた。
こんな事をして、面白いのか。某国のスパイたち。

反対は、2008年12月14日、イラク訪問のブッシュ大統領が、イラクのテレビ局の記者にクツ(靴)を投げられた事件でわかる。ブッシュ夫人は、12月28日、アメリカ・フォックス「FOX」に、大統領に無礼だけど、イラクが自由になった証拠と言った。この靴投げ犯のコントロールがすごい。

取材陣を映す側のカメラでは、まるで大リーガーの投手のように、投げたとき、ひとさし指、中指がのびていた。ふつうだと、靴など、投げるときは、靴を、鷲づかみにして、黙って、横の状態で放り投げるのではないのか。どこまでもブロードウェイの国とかんじた。

日本の不況克服の第一弾だが、アメリカの国債、1$=360円ぐらいの、昔、わたしたちがなじんだのにして、500兆円、一度に、返却してもらう運動をおこしたら良い。しかし、この方法をとり、日本に金があまっても、根本からの不況克服にならない。
金みたいな物を優先するために、インチキ、バクチ金融がはびこり、人間不信で、政治家不信で、不況がより、加速する。

13)野中広務&文春、木俣正剛

福田批判につづき、麻生批判の明確な、はじまりは、「夕刊フジ」(2008年9月3日、2頁)に感じた。

麻生太郎総理が誕生して依頼、本業が政治で、政治をしてもらわないと、国民が困るのに、マスコミによる、不要な、麻生叩きが、邪魔をしている。

おそらく、野中広務さんは、麻生太郎さんから、公然と、直接に差別発言を受けたのだろう。

わたしは河出書房新社の、役員で、村上春樹さん担当の、小池信雄さんから、出版関係が10人ほど居る、喫茶フミクラで、9年間、「だって、あなたは、川向こうの」と、言われた。

「夕刊フジ」には、「野中広務」さんによるものがあるが、野中広務さんは、旧制京都府立園部中学を卒業されたという、地方エリートである。
1925(大正14)年10月に生まれとあるから、大都市でも、実力が優先する、地味な職業であれば、一線へと行ける、充分な学歴である。

野中広務さんは、GHQアメリカに仕掛けられた、第二次世界大戦では、戦争反対と言い、戦争条約違反の、攻撃ばかりしてくる、GHQアメリカへ、わたしの父(大正15)や叔父のように、16歳で、志願し、零戦特攻、人間魚雷回天ぐらい、経験されたと思う。
国の女子供を守るため、活動された、大正14年生まれなど、わたしの周辺には少ない。なぜ、生還できたのだろうか。

わたしが、この「野中広務」さんと言う、芳名をおぼえたのは、21世紀に、入ってからである。「勲一等旭日大綬」とある。偉い人物だ。「駱駝館」と親戚だそうである。駱駝館は、悪党、風俗家の鶴見俊輔(1922ー)を頼って、市議選に出た人物である。

悪党の、ユダヤロビーかと思える、「野中広務」さんたちだが、1960年代後半から、蜷川虎三、京都知事たちを、ターゲットにした。蜷川虎三さんは、元学者だったが、完全に、行政の人となった。

とうじ困ったのは、知事選が近いと、京都府で、被差別部落への、生活、改良活動をされていた、同志社の山田忠男、立命館の奈良本辰也先生宅へ、夜半、集団で、押しかける団体が出てきたからだ。

かれらは、職業として、大学の授業があるし、学生運動が始まるし、学界の維持にも、時間を割かないといけないのに、集団で来ては脅し、すぐ、もっと京都府から援助金を出せという。

集団で、押しかけてくる団体は、証拠を残した。
来たのが、雪が降る季節で、タイヤ痕を残した。山田忠男先生たちの友人に、小倉謙、元警視総監がいて、さらに、決定的な、証拠を残した。持ち物から、名前が判明し、集団を特定できた。

治安維持のため、警視庁、京都府警がとった発令は、拘置どころではない。わたしとは無縁の、「勲一等」と偉く、影響力を持つ、野中広務さん。邦楽家の吉川英史先生は、高齢になられ、神宮外苑の、空き缶拾いを日課とされた。
また、わたしに、「マツダさん、森鴎外を読んで、勉強してから、文章かくのが常識ですよ!」と言った、貴殿と親しい、木俣秋水さんの子息、文芸春秋の、民主党の小沢一郎さんと同類のライン構造をした、偉い「木俣正剛(夏型U、冬型V類」さんに、文章術を習われ、生涯をかかれても、次の世代のためになると思う。

14)関西学院大学、村尾信尚、看板教授
麻生批判は、先に、幹事長時代も、中庸というものの表現から、離れた、マスコミ側からの、インタビューが、『2008年8月2日、日本テレビ』でされた。

相手は、
キリギリス似の、明石家さんま(1955ー)さんと似た、イナゴみたいな顔した「村尾信尚(むらお のぶたか)」(1955−)さんである。

なぜ、こうも、偉そうにできるのか、わからない。
麻生太郎さんに、
「あの、幹事長はですねっ、ええっ、福田さんが、ああっ、総理になって、以来ですね。少し、距離をおいていたと、おもうんですが、なぜ、きょう、幹事長を、お受けになった、のですか」
と、ずいぶん慣れなれしく、礼儀のない表現を、「村尾信尚」さんはつづけることができる。

これに対し、麻生太郎幹事長は、
「あの、10ヶ月まえと、きょうとは、情勢が違いますよ。なんといっても自民党の支持率は低迷(ていまい)。自民党のせいだけではありませんけれども、食料、資源、エネルギーなどの急騰した状況の中において、石油ショックとか、あれに匹敵するほど状況はきつい。ぐらい、東京にいる人たちは、『あんたも』、含めてそうだろうけど」と。

このとき、麻生幹事長は、「お・めー・も・だ」「お・ま・は・ん・も・だ」「て・めー・も・だ」でなく、育ちが良いせいか、上品に「あ・ん・た・も」と言った表現をした。そして、村尾信尚キャスターを、礼儀が必要と、鋭い眼で見ている。

麻生太郎幹事長は、
「東京にいる人たちは、けっこう『勝ち組』なんですよ。だけど、わたし、この、10ヶ月間のあいだに、地方講演160回ぐらいかな、景気に関して、シビア、、、しんどい」と言われる。

2008年夏、麻生太郎さんは、福井県、福井新聞主催の講演会をされている。集まりが悪く、高齢な婦人相手に、やさしく述べられている。

福井出身の、妻への、実家からの、宅配便に、福井新聞が、よく入っているが、1990年ごろ、「パチンコ屋」だらけの、広告欄をみて、理解しにくかった。2008年夏も、「パチンコ屋」だらけという社会現象である。
福井はラスベガスなのか。日本で、「パチンコ屋」が産業という、県は成立するのか。

1960年代、若狭湾の、三方五湖(みかた・ごこ)は、大企業の、「海の家」がずいぶんあった。
オバマ大統領で、有名になった「小浜」に、「高浜(たかはま)」は、京阪の、高校生たちのキャンプ地だった。
わたしたちは、京都駅から、福知山線で行った。とうじ、「普通」しかなかった。時間は確かにかかったのだろう。しかし、保津峡の川の色合い、西舞鶴での、時間まち、これらが、新鮮なものとして、わたしの記憶にある。

この若者の夏の行動は、東京中心の大学制度と、1974年の湖西線の開通で、変化した。


村尾信尚キャスターだが、
「これは、その。あのっ、福田総理の、まっ、あとにですね。まぁ、総理の後を、狙う、と言うことから、考えて、今回、幹事長を引き受け方が、『トクサク(得策)』だと、いうような、『ケイサン(計算)』は、働きませんでしたか」と、言う。

「いやっ、『勝ちの栗ひろい』、みたいなもんですから、あたるあたらない、抱き合わせ、心中になるかも」と、麻生太郎さんは、丁寧に、これは回答として、充分な、言辞を、『勝ちの、栗ひろい』『抱き合わせ、心中』と比喩でもって言われている。

村尾信尚キャスターが、栗が名産の、岐阜県高山市出身だそうだから、キャスターが知っていると思える、麻生幹事長は、知恵、良識に、譬えて言ったのだろう。が、脳梗塞の病歴があるのか、言語障害で、理解できなかったようだ。
進学の小学校か、中学校を、1番か2番で、出ていないのだろう。

マスコミ界の現場が指摘する、村尾信尚キャスターの、礼儀ない、下品な言葉だが、これからは、放送倫理に、抵触するとの警告を、「日本テレビ」にする必要があるのではないか。

どのような環境に育ったのかと思うが、
「あの、幹事長就任にあたって、なんか、ジョーケン(条件)を。福田さんに、条件というもの。あの、つきつけ、ませんでしたか。それはなかったでしたか」と
言語障害かと思える、村尾キャスターである

「消費税」のことだが、麻生太郎幹事長は、
「『消費税』、自民党として言わないのは、国家の危機、
景気が悪いときに上げた国はない。わたしは、『有権者』の側から言うと、自民党は『責任政党』だから、上げるなら上げる、そこらへんを、『明言』する。わたしは問題だと思う。ちゃんと、そこらへんを『明言』する」と、これも、『2008年8月2日、日本テレビ』での回答である。

そして、国民、市民が困っているのに、2009年1月下旬、野党とやらは、党首はじめ、とりまきに、良識が欠落しているのだろう。自分たちの生活は、極楽のため、いまだ、国会で、問題のように、
麻生太郎首相を、あげつらうような質疑をしている。

麻生太郎首相は、幹事長時代、同じく、2008年8月、村尾信尚キャスターに、社会の経済状況へ、
「社会的、閉塞感が、ただよっている。期限を切って、『設備投資減税』、いまインセンティヴ(動機、刺激)が大きい」と、「いま」「いまですよ」と言われた。

麻生太郎幹事長が指摘された、2008年8月にでも、与党、野党にかぎらず、国会議員が、県議、市議と、いっしょになって、中小企業の経営陣に近づき、財政出動をかけておけば、もう少し、社会が安定していたはずと思える。国際社会が混乱している状態で、与党も野党もない。

京都は大不況で、中小、零細企業の大半は、潰れた。
だが、交通、観光関係者が言うのに、2000年ごろの、100分の1に見えても、他の地域に比べると、京都には観光客が居るとのことだ。

「解散、総選挙。幹事長!?」と、村尾信尚キャスターは、岐阜、高山の盆踊りか、幼稚園の運動会の日付をきくように聞く。

このような表現は、わたしの血縁は、「美濃」も多いので、高山市の恥の、村尾信尚キャスターは、「関所止め」にした方が良い。
この低俗な揶揄にも、
「タイミングの、いいときにする」と麻生太郎幹事長は答える。

麻生太郎幹事長が、不愉快なのは分かっていて、村尾信尚キャスターは、遠慮、礼儀がまったくない言葉遣いで、
「内閣? なに(何)、 内閣?」と、まるで、小学校での社会のドリルでもしているかのように、軽はずんで言う。

麻生太郎幹事長は、
「そういうネーミング、うまくもないし、興味もないと、全て、「論理整合」のある言葉で答えられている。

この村尾信尚キャスターは、大学へ通学したあと、大蔵省へ勤務。そして、2003年三重県の、知事選に出て落選したそうである。結果は、@47万票「野呂昭彦」A17万3千票「水谷俊郎」B17万1千票「 村尾信尚 」だった。

14)日本人と日本語がわからない高木文堂
元官僚による、同じような現象は、1999年、福井県知事選挙に立候補した高木文堂さんにも見られる。
@栗田幸雄 26万7千票、A山本拓 13万8千票 B高木文堂 5万7千票の結果だった。
外務省勤務のあと、知事選、市長選に、出られた高木文堂(1955 - )さんのブログを見る。

「2008-09-02 福田首相の辞任」
>突然、政権を放り出す総理まず、突然、政権を放り出す総理はいずれも、あまり苦労せずに
>総理になった人ばかり」ということである。
>この人(麻生太郎)は総理になりたくて仕方がなくて、ようやく総理になれるわけだから、そう簡単には辞めない
>ということになる。やはり、総理大臣にはどうしても総理になりたい人がなる方がいいのかも知れない。

高木さん。福田康夫さんは、2008年7月の洞爺湖サミットで、辞任の意思を、示されている。中国、「胡錦濤」主席からの質問に、日本語による言辞と仕草で、明確に表現されている。日本人であればわかるはずだ。

「2008-09-29 麻生総理の所信表明演説」
>麻生総理の所信表明演説(略)夕刊に掲載(略)の全文を読んだのである。
>夕刊(略)で載る(略)演説を行う前に(略)各社に(略)配った
>通常、(略)マスコミに配るのは嫌がるものだが、
>麻生政権は、かなりマスコミ操縦術にたけている

これは、政府と、マスコミの、リストラによる、担当人数の問題ではないのか。「読売」は朝日の、予算に人員まで少ないと、きいている。

「2008-11-06 米大統領選挙が意味するもの」
>今回のオバマ氏の勝利は、アメリカの政治の周期的な動き沿ったものであること。
>簡単に言うと、アメリカの政治は、自由放任主義(レッセフェール)
>と格差是正の間を振り子のように揺れる。

簡単にではなく、複雑に原稿用紙、5万枚ぐらいの、草稿を仕上げ、500枚ぐらいに要約されたらどうだろうか。

アメリカの政治の根本は、破壊侵略戦争である。ここには、社会論や経済論などない。あるのは、弱者の虐殺、侵略、強姦、日本への因縁と「たかり」である。
731部隊もだが、従軍慰安婦問題、拉致問題、これらは、GHQアメリカ主導である。日本に無条件降伏させたあと、侵略先の、満州に、731部隊がつくったようなものは、いくらでも、製造し、埋められる。

15)大橋堂による陸軍第一病院のこと
1990年ごろ、新宿ISETAN、万年筆売り場の旧姓上野さんから、連絡があった。仙台の「大橋堂」が来ているという。わたしは、好きな色、緑のペンを買った。住所を書くと、「そこ、陸軍第一病院に、入院してたんだ。結核でね」と、植原栄一(1919ー) さんは言われた。

わたしは、戸山が、第一病院だと言う、従来の歴史だと、第二次世界大戦中、日本の国民病、結核患者は、どこへ入院、死去、火葬されたのだろうかと、長く考えていた。

植原栄一、ご夫妻に、礼も兼ね、赤の5万円のも買った。このあと、世田谷の、大蔵病院を、調査した。満州はじめ、犠牲となった、飢えと、伝染病で逝った、20代の、日本軍人の亡骸を、生体実験の跡という、良識外れが居るのが、日本のマスコミである。

悪党のGHQユダヤ大江健三郎ロビー(1935ー)、わかるか。他者がからむ、調査というのは、厳密でないと、どうする。遺伝だが、貴殿の二人の子息、ふたりとも、貴殿のまま、形質が出ている。
「沖縄ノート」のつぎ、「正常ノート」はどうだろう。悪党集団の、岩波書店に、朝日新聞社が喜ぶと思う。

大江健三郎と岩波書店との関係と同様なのは、万能細胞の、朝日新聞社だが、山中伸弥さんの記事ばかりかく「竹石涼子」記者、遺伝子の研究とやらは、どこなんだ?「循環取引、詐欺」で、朝日新聞社の訴えが可能だ。大マスコミで、循環取引まるだしの、記事にした以上、責任は大きい。

15)朝日、高橋真理子&立正佼成会
同類の先人だが、神奈川大学の、中山茂先生が許可したのでとの、「高橋真理子」記者、あの立正大学の悪党のレポートのあと、1994年、遺族から、わたしへ礼状が届いた。
返事をかくのは、わたしである。河出書房新社で、父親が小池辰雄さん、母親が、政治家の「市川房枝」さんの後援会長だったか、ノブオさんには、立正大学短大の、盗作犯で、「おまえみたいに、小学校から、嫌われ者の、鼻つまみもの、バカか」と電話で言った侮辱をした、溝口元にあわないでくれと言った。
なのに、溝口元さんを、「立正佼成会だよ。早稲田の教育学部だし」と言って会ったので、わたしは録音テープを聞かせた。

「あなたはね。川向こうの、エタだろ。こないださぁ、『蓮如賞』で、老人なのに、書くのはマスだけの、鬘の五木寛之が、それ言ってたよ。最上川あたりじゃ、人間でない扱いって。よく、我慢したねー、オレはさぁ、河出の看板背負っているから、人間扱いされるけど」というので、立正佼成会って?とわたしは聞いた。
わたしは、1994年夏の段階で、立正佼成会といわれても、新宗教の知識が、まったくない人間である。ノブオさんの自宅は新興宗教で、となりは、創価学会らしく、これを知らないと、川向こうのエタらしい。

このような、一流志向だが、同じく、一流病の、高木文堂さんのブログだが、
>市場至上主義の下で、貧富の格差が拡大すると、必ず、格差是正を掲げる民主党の大統領が当選する。
>戦後高度経済成長後のケネディ大統領
>そして、今回のオバマ氏である。


高木文堂さん、なぜ新聞に書いてあるような、用語に、文面なのか。
エリートの高木さん、もう少し、労働者の立場を、考えてから、タイプしたらどうだろうか。そんなに何もかも、わかるのなら、落選する知事選など、出るものではない。知事、市長選で応援してくれ、投票まで、貴殿の芳名を、書きに行ってくれた人々の気持ちを、多少考えて、タイプされるのが常識ではないか。

あなたは大変偉く、「ぼくは有名になるから、付き合うと、得するよ」が十八番の台詞だったと、同窓の男子たちが言っていたそうだ。すごい人物だと思う。あなたとちがう、反対側に投票した人は、「お辞儀をしたかと思うと、すぐにぃ〜、自分は〜ぁ、偉いんだって、顔になって〜、偉そうぶって、こわい〜ぃ〜。あの人、もう終わりぃ〜」と、2005年に、きいた。

オバマ政権の誕生の背景だが、オバマは、一対一でも、スタジアムといった大会場でも、話をすることができる。と、ハリー・リード( Harry Reid 1939-)民主党、上院議員が言った。これらを、ナンシーペロシ下院議長が賛成した。かれらは、アメリカ合衆国にとって、良心的にみえる人物たちである。

ナンシーペロシ下院議長など、調査なしに、日本へ、「従軍慰安婦」問題を、決定づけ、日本による、金銭での決着をつけようとした人物である。

さらに、オバマが採用した、エマニュエル(Rahm Emanuel、1959-)首席補佐官に、財政担当の人物たちは、どうだろうか。アメリカ大企業優先の、ブッシュ親子と、同じ精神構造をもった人物だ。ゲテモノの実証はすぐできる。

クリントン(Hillary Clinton、1947 ?)長官も同じである。イギリスのブレア(Anthony Blair)元首相も。
著名なのでは、ポーランドを、アメリカに売った、ワレサ(Lech Walesa、1943- )元大統領と同じである。いまの段階では、財務関係では、大胆な経済計画ができる、人材を選んでいる。これは、ブッシュ政権のはじまりと同じような人材配置ではないのか。

知識用語病の、高木文堂さんのブログは、
>再び、ケインズ式の経済政策への回帰を意味すること。
>ケインズが構築した「一般理論」の前提である1930年代の世界経済とまったく同じ状況になっている。

なにかと「ケインズ (John Keynes、1883 - 1946)」だが、ケインズに何があったのか。ケインズという、名前だけ、なのではないか。市民への、良心など、知恵など、なかった。打算だけである。学者でもない。

ケインズはじめ、欧米にあるのは、「奴隷経済学ごっこ」しか見られない。マルクスにしても、ただのおしゃべりで、実際、日本など、江戸時代に、マルクス論より、先に、分業、共産化をなした国である。

金に困ると、戦争。「日本人移民」に、給与を与える歳月が来たので、敵国だ、「死と生」どちらを選ぶがアメリカである。命令を聞かない、日本人はすぐ射殺。これがアメリカだ。

同じ方法に手段は、日本共産党、幹部連中にも言える。
「サイマル出版会」って言うのが在った。表は中共・共産主義、ウラは、アメリカ大使館という構造だ。

ここの社長、田村勝夫さん、親友が上田耕一郎。40歳のときから、おどろく豪華マンション住まいである。昔、貴殿と同じく、F高校を通学した、大手出版S社の越野さんも、住居を言うと、驚いていた。同じく大手出版社の田中さんも近所だから、分かると思う。

田村勝夫さんは、何度もわたしに、連絡するよう、河出書房新社の連中を指図した。社員に厳しく、1991年から96年まで、わたしを奴隷以下に使った。

「日本共産党、どうすればよい?」と、なんども、聞くので、「早く、不破哲三さんを、中心にしたほうが」と、1991年に言うと、「はぁん、あん、アン。何がわかるか。ハッ、フン!」の恫喝が、田村勝夫さんだ。

この人物は、死に際まで、書簡で、からかってきたが、一切返事などしていない。不破哲三さんは、某作家
から、電話があったと、喜ばれている、お目出度い人である。
水上勉さんという作家がいた。かれは、京都の老舗の、年頃の娘さんを見ると、店を、自分の随筆で紹介するということで、つぎつぎ関係をもった。共産主義ともいえるが、産む負担は、女子ひとりだ。そして、約束など守らない。

わたしは、『従「共産党」慰安男』か。志位和夫委員長、「赤旗」で、上田耕一郎の弟らしい、軟弱「不破哲三」に縄をつけ、ひっぱり、千駄ヶ谷2丁目の河出書房新社へゆき、「強姦会社、原稿、原画、紙型を返却しろ」と言い、杉並区今出川で、「田村雅子、日本に奴隷制以下というのは、ない」というべきだ。

16)アメリカ語が聞けない内田樹
神戸女学院にもユダヤロビーと思える、内田樹(1950- )教授がいる。かれも、日本の麻生太郎さんを、痛烈に批判している、先鋒といわれているそうだ。

>2009.01.22
>大統領就任演説を読んで
>20日、バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に就任した。
>その就任演説を読む。
>そのまま英語の教科書に使えそうな立派な演説である。

この評で、内田先生の、語学の感性がわかる。オバマの就任式のアメリカ語での表現は、「過去形」を軸として、非常に聞きにくく、理解しにくい、下手な文章だった。わたしは、BBC(英国)を聞いていたが、フランスはどのようにしているのかと思い、『ル・モンド』で「チャンネル2」を見た。

フランス「チャンネル2」の同時通訳が、たどたどしい「現在形」で、訳してゆく。政治家の発言を聞くのは、一般大衆である。表現は、現在から、将来を、軸にしてゆかないと、われわれ大衆は、困惑してしまう。

オバマ大統領は、現在に居り、緊急の変革は、現在のアメリカ及び、世界である。ところが、日ごろから、オババと、ボワボワ発音のオバマの実況演説には、この肝心なものが聞き取りにくい。それどころか、実況演説では、表現力も、感じにくい。

就任祝いの演奏だとかで、気色の悪い、表情をする、日本で、万能細胞とか言っている、重度のリウマチ患者100人以上、治癒させたという、詐欺の中山伸弥とかに似た、リタリンかノータリンでも飲み、「ET」の親類と思える、両生類、チェロ奏者がいた。ボーイングと弦が接触していない。詐欺チェロリスト、「マーマーヨー」さんは、顔だけヌメヌメ、あっちこっちへカメラ視線で、向けている。悪党中国人だろう。

ピアニストは、指先だけ出る手袋で、演奏しているようだが、 ピアノの担当が終わったとき、カメラは映す。と、まるで、ピアノの鍵盤に、ガンガン頭突きでもして、真っ赤になった、顔が映る。手も真っ赤だ。なんでも万能な国、アメリカでは、摂氏0度での演奏が可能なのだろう。

自国のすることは、破壊に、侵略、強姦戦争、すべてが正義の、アメリカの大式典だが、わたしには、1月17日のロシアでのオークションが印象に残る。
2008年12月、クリスマスのころ、プーチン首相は、故郷のサンクトペテルブルクで、チャリティ・オークションにかける、自作の絵を描いた。
グルジアにウクライナ問題で忙しいことから、所要時間は、20分ほどで後はアシスタントの画家が仕上げたという。
題は、「ブリザード」、故郷の外は、吹雪。部屋には、凍てつき霜がついた青い窓に、故郷の柄を示す白地に赤模様のカーテン。
ドイツと、ロシアの新聞には、サイン用にプーチンが持った、絵筆と、紫の絵の具壷がうつっていた。
落札価格は、日本円で1億円、他の著名人のを合わせて、合計2億円で、病院や教会の修理費にあてるという。
マスコミをいれて200人ほどの、チャリティに見えたが、買った、ギャラリー経営の女史に、重みがあった。絵画など、不要な人には、価値がない。信頼があって価値観が生まれる。これが経済の本質であるのに、奴隷主義国家のアメリカは、兌換紙幣、証券に重きを置きすぎた。

貧困なのに太っているロシア人だが、2009年1月、日本からの人道支援、物資輸送、慰問団船のメンバーに、日本領土なのに、ビザを求めた。これへの抗議として、慰問団が北海道へもどると、ロシア側は「対日問題が冷えてもしらない」と言った。もう、そろそろ、日本もアメリカと共同で、核ミサイルを、ロシアに撃ち込み、日本領土にしたらどうだろうか。善良な、ロシア人も喜ぶ。


17)苦悩のメルケル&ブラウン
いつでもアメリカ発だが、今回の大不況を、第二次世界大戦後、また、西洋最大の負担を背負った、ドイツのメルケル (Angela Merkel、1954ー ) 首相は、いまにも倒れるのではないかと、思える表情の中、小さく、脅えたような声で、祝福を言った。
正確な仕事をするドイツであるが、「中国人」や「日本人」の顔の識別には困難なのか、「ドイツ連邦共和国」の公式ホームペイジには、2007年6月、ハイリゲンダム(Heiligendamm)G8サミットでの、胡錦濤(Hu Jintao)主席を、 温家宝(Wen Jiabao)国務院総理(首相)と説明を、間違えている。

エリザベス女王が君臨するイギリスは、アメリカと一番近い国家のためか、ブラウン(Gordon Brown, 1951 -)首相は、アメリカのオバマをたたえた。しかし、2007年の就任時と違い、鼻骨が見えるほど、やつれた顔を見せた。

ブラウン首相の真意だが、どうにか祝福の言辞と感じながら、この先、「2009年1月、イギリスはどうすれば良いのか、、、」その苦悩が、音声の端々に、聞こえ、痛々しかった。

アメリカの負担だが、2005年カリブ湾諸国は、ハリケーンの大災害にあった。
ハリケーン・カトリーナ ( Katrina、2005、8月末)、リタ ( Rita、2005、9月下旬)で終わればいいのに、2007年はハリケーン・ディーン( Dean、2007、8月中旬)だけでなく、大雨による洪水で、キューバは、生計がやってゆけなくなった。
カストロ(Fidel Castro、1926 - )は、黒人大統領誕生の、祝福の中に、疑問を付け、わたしには、カストロの言葉が正しく感じた。2008年8月、キューバ国立銀行は、日本へ輸入代金が払えない状況であると訴えている。このような、経済危機で、カストロも、数日後、オバマを賛美した。こういったのが、政治で、時代なのかも知れない。

オバマ演説は、大学の、レポート提出文のような、非常に、幼稚な、オカマチックな文面だった。聞き取り、理解できたのは、アメリカ全国民の、何パーセントなのだろうか。会場の黒人のマスコミ人たちが、「黒人が大統領になった。これが、アメリカン・ドリームなんだ」と言った。何人かの、偉くなった黒人が、最高(サイコー)といった。悪党たちめ。
この大統領ショーが計画、仕掛けられたものとすると、これまで、アメリカを築くため、奴隷のまま、死んだ黒人は、どうなるんだと思った。

偉くなった、アメリカの英雄、黒人大統領、聞きたい。アメリカ人に、ピストルで、殺された、「手話」だけで、生活をしてきた、アメリカのインディアンたちの魂は、どうすれば良いのだ。


第二次世界大戦で、日本へ、戦争違法行為による、保障は、いまの段階では、日本人は言わないとおもう。
しかし、ブッシュによる、野蛮で文化のない、日本を教育により、向上させたとの公の場での発言を、どのように訂正するのか。

18)厚生省、医師会を知らない内田樹
識者、内田樹、神戸女学院教授、2007年9月のブログだが、
>「奉祝!55年体制復活」「2007年09月26日」
>日本社会は相対的な成熟期・安定期に入ったと私は見ている。
>福田康夫と麻生太郎の間に政策的な違いはほとんどなかった。

偉い。日本社会が成熟期、安定期だと書いている。福田内閣と麻生内閣とは、違いが無いとも書いている。

小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎内閣にかぎらず、日本の内閣の、共通項目は、日本が、明治維新後、GHQアメリカ連合軍に押し付けれらた、戦争での、「負の因縁の遺産」の清算にあると、わたしは判断している。

内田樹教授から、みれば、たいした存在でないのかも知れないが、色合いをあえてつけるなら、小泉劇場内閣、安倍家庭内閣、福田市民内閣、麻生日本内閣、このように、21世紀の日本の内閣は、本質が同じようにみえても、性格はずいぶん違う。

過去、アメリカ大統領と、公式の場で、「釜(かま)した」のは、麻生太郎さんだけである。小泉純一郎さんも、公式以外では、「オレは日本人だい」と、釜したので、わたしは、笑った。

また、揚げ足取りだけの、内田樹、神戸女学院教授のブログだが、
>「いいまつがい」「2008年11月20日」
>お医者さんを『減らせ減らせ、多すぎだ』と言ったのは
>どなたでしたか」と過去の医師会の立場を批判した。
と麻生太郎さんの発言をとり、

>医師会が医師数を減らすことで、医療環境を劣化
>させることを望んだということは常識的に考えてありえない。

と内田樹さんは、ご自身の意見を書く。
医師会は、医師として、能力のある、人物が、開業することを、客が取られる。あいつが開業すると、病人が減少すると言い、個人病院など、まったく認めない事実を、知らないのではないのではないか。この事実は、21世紀、東京、大阪という、都会で在る。この事実をどうする。

歯科技術が向上すれば、歯医者が困るし、大学も困ると言ったのは、「大歯(だいし)」である。このため、関西には、私立歯科大学がひとつしかない。

去年(2008年、秋)、浅田一博士の令嬢、薬剤師でもあった、浅田知佳子さんから、歌集が届き、病床のわたしは、お礼を、いまだ、かいていない。この中に、
「二坪の 規約守れる 調剤室も 余分の 場所は 物置と なるに」 がある。

厚生省が、調剤薬局での調剤室を、「二坪以上」と、規定した時期があった。

役所仕事だが、自分たちの仕事を、医師会や製薬会社、ゼネコンなどの、意向を聞き、紙の上でつくり、これまで、町の人から信頼を得ていた、勤労者たちを、その場から、追いやる、厚生省からの通達にたいし、医師の兄からの言葉として、
「兄の謂う 『米国 見学の 或る市では 電話ボックスの 如(ごと) 狭き 調剤室 並びし』」も歌とされている。

薬品を開発する、西欧人は、薬は危険なので、あまり、飲まない。多く服用させられているのは、日本人とアメリカの低ランクの白人、有色人種ぐらいだ。

薬剤師になれば、給与が高いといわれ、学費の高い薬学部へゆき、薬局などに勤務した。しかし、1998年から10年経った2009年、いま、国立、公立病院、大学病院近くの、調剤薬局(院外薬局)が、どれほど、無くなっているか、ご存知ないのではないか。

現在の医療問題は、元医師が社会責任と不況でやめてしまったことにある。マスコミで描く、医師の世界が華やかなせいもあるだろう。医学部で教鞭をとった者たちが、患者になるので、診療ミスに気づく。この正しいことが、社会問題となっている。

19)辞書が読めない内田樹
「看護大学」ができ、卒業生を出して、10年という歳月が経つ。年間、1〜2万人が卒業する。以前からの看護学校からの、看護師をふくめると、20万人単位居る。現場での臨床経験3年以上を、准医師にする制度にすれば、国家の金銭の負担だけでなく、かれらの経験が生きてくる。

>麻生太郎というひとはこの「非言語的シグナル」を読み当てる
>能力にどうやら致命的な欠陥があるようだ。それはこの人の
>「言い間違え」に端的に表れている。
>私たちは非言語的なシグナル(「意味以前」)を手探りすることで
>「自分には意味がわからないことの意味」に触れようとする。

>辞書を引くという習慣をもたなかった子どもであったと推察して
>過たない。どうして、知らない言葉の意味を考えなかったかというと、
>「自分が知らないことは、知る価値のないことだ」というふうに
>推理したからである。

内田樹さんは、わたしの、この京都昨今『29』「ばばあ」で、「哲学」でふれた、内田樹さんが、作家、矢作俊彦(やはぎ としひこ、1950 - )さんが行かれる、中華街の料理屋は、夏、冷房のないときから、わたしも行って知っている。

「書く」と、「書ける」の差の、ひとつの境界は、経験にあると、わたしは思っている。この店は、中華街に、「照宝(しょうほう)」という中華道具屋さんが、ある。わたしには、時間がないので、連続、3万円ほど、プロ用の道具を買った。

そして、おばさんに、商売柄言えないでしょうけど、庶民的な味の店の所を指したら、頷いてほしいと言い、中華街案内地図を出し、ペンを動かした。そのひとつが、矢作俊彦さんなじみの店である。

プロ用のを買うわたしを、最初から、止めた、照宝のおばさんに、三度目、はじめと同じく、中国語で挨拶すると、「わたし、日本人よ」と言われたので、戦後、商売人として、働く、良き中国人が、差別された歴史は、調査から、知っており、ご苦労されたでしょうと、わたしが言うと、涙声になられた。
このあと、明るくするため、おばさんに、おいしい店のところで、頷いて欲しいと、ゲームのような事をした。

言葉を覚えるのに、辞書が必要なのだろうか。日本語の意味が、明確に説明されている、辞書ってあるのだろうか。

新潮社の酒井義孝さんが、河出書房新社の、ノブオさんと来たとき、わたしが、台所でつかっている辞書が在った。
「マツダさん、背表紙がとれた、このボロボロの辞書なんですか。この三省堂の辞書って、ダメって評判でしょ」と言って、わたしの辞書の、表紙だけをもち、振り回しはじめた。
その辞書は、わたしが、読むのために買ったのだから、止めて下さいと言うと、
「なんですか。ウチ、社長(佐藤亮一、さとう りょういち)、こうやって、辞書の出来合い、試すんですよ。背がはがれるのはダメだって」と言う。

悪党の妻が印税を請求にくるという村上春樹担当のノブオさんは止めず、笑っているので、わたしは、そのカバー、滑り止めで、その布は、ブランド物の、新しいハンカチです。身を窶(やつ)して、いるように見せたほうが、面白いので、わたしはしていると言った。

わたしの辞書を本気で、見だした酒井義孝さんは、探す項目へ、2,3頁も狂わない、わたしの工夫をみて、
「これ、特許が取れる、、、」と言ったので、新潮社の国語辞書を、2種類出してきて、新潮社のは、造本が、一ヶ月で、バラバラになったので、わたしが、日本画専攻は、誰でもできる、遣り方で、束ね、なおしたと言って見せると、「ああっ、これ、特許だ。特許出願した方が良い」と酒井義孝さんは言う。

20)教員失格の内田樹
麻生太郎さんは、ライフルでのオリンピック出場者である。ライフルに必要なのは、「非言語的シグナル」である。

中腰になる「膝射」もつらい訓練が必要だが、 伏射はもっと苦しい。
伏せで、待機の練習、伏せの姿勢から、肘だけで、ころんだり、肘と手で、起き上がったりする、訓練を、内田樹さんは、知らないのではないか。
これらは、すべて内田樹さんが指摘される、「非言語的シグナル」ではないのか。

同じような、非言語的シグナルでの言動が必要な、国文研究者の態度だが、1980年代、国会図書館で、小西甚一先生と、何度も、お会いした。

わたしの世代は、「学習基本古語辞典」を、学校で、配られたり、買わされた世代である。この小型の辞書を、暗記すれば、古文をが読めるのかとおもったら、まったく、駄目だった。
「こにし・じんいちさーん」と国会図書館が、資料の請求者を、人名で呼ぶ時代だった。この名前だと、恥ずかしいと思い、いつも、洗濯をされた、ポロシャツに、何度もはいた綿のズボンのに、姿勢よく立たれていた。『日本文藝史』の仕事の最中だった。

わたしのは、だれも請求したことのない、鎌倉から江戸時代の、読本類など古典を請求していた。道元禅師の『正法眼蔵』をもとに、以降、「微分」にあたる、時の刻みの、日本語を、古い文献のなかから、探している途中だった。

辞書を優先させた、学習方法をとれば、辞書に載っていない、文献を、読んでゆくことなど、できなくなる。そのため、わからないままでの読解をしてゆく。それでないと、体感というか、心身で、言語を理解する地点まで、到達できないからだ。こんなことは、中国、インド、アラビア圏の文献読解学者の、基本姿勢である。

わたしは、いつも、少し時間をずらして書籍を取りに行くが、小西甚一先生が、一、二度、請求図書をもらいにゆく、時間を、遅らせた。
旧知になった、カウンターの人が、わたしを呼ぶので、仕方なしに、古い文献で、わたしの請求が始めてという、文献をとりに行ったときだった。

わたしの請求図書を、じっと見られている。
この仕草は、わたしが、小西甚一先生を知っている、国文学の研究生なのでは、と言った時だった。
わたしは、2、3年、このような時間を、会話、一切なし、お辞儀だけで、過ごした。

>政治家には荒海を進む船の船長のような資質が求められる。
>私たちの政治指導者はどうやら「船長」タイプの人間では
>なさそうである。
政治家は、見知らぬ状態に接したときに、必要な才覚をもったひとだといわれている。わたしも正しと思う。
そして、この論理だと、大学の教授で、経済が専門であれば、景気の動向は予想でき、回答ができるという判断へゆく。

21)「逆光」を忘れた「あたご」判決
「イージス艦あたごの」、「判決文」が、平成21年1月22日にだされた。
審判所 横浜地方海難審判所(織戸孝治,安藤周二,小寺俊秋)からのもので、

〈護衛艦あたご〉 排水量 7750トン、全長 164.9メートル、幅 21.0メートル、深さ 12.0メートル、出力 73550キロワット
〈漁船清徳丸〉 総トン数 7.3トン、 全長 16.24メートル、幅 3.09メートル、深さ 1.18メートル、出力 435キロワット

船舶の大きさというか、全体の重さのちがいだが、1000倍の差がある。
判決では、

「1、主文」
として、2008年2月19日の衝突の原因が、あたごが、監視不十分。つぎに、清徳丸の、進路をさけなかったことによって発生したが、清徳丸が、警告信号を出さず、衝突を避ける協力動作をとらなかったことにも一因という。馬鹿げた文章になっている。

自衛隊、「あたご」が、月没時刻は午前5時7分、月齢は11.5、日出時刻は午前6時23分。月齢前方を可視できたことは、認めている。

これに対し、前艦長の船渡健一等海佐(53)は、テレビカメラや報道が済んでからは、「清徳丸の右転が事故の大きな原因だ」と言っていたそうである。長岩友久・前水雷長(35)は、2008年9月4日の裁判で、「清徳丸」が避けないから悪いと言っていたという。

「月齢」を指摘し、空が明るく、双眼鏡など、目視できる点を、指摘したところまでは、良い。
海難審判は天下りが多いと聞いているが、織戸孝治さんたち、決して、天下りでないと思うが、自衛隊艦と漁船は、1000倍もの大きさの違いがある。

オートバイや小さな車で、デコボコ道を気にして、運転しているとき、まえから、太陽からの輻射光を、バックに、大型のトラックが、突然現れたら、オートバイに乗っている、親子は、どのような、心理になるか。

漁船の、父親(58)は、子供(23)を、どうにか救いたいと、夢中になったと思う。
太陽が昇ってくるのは、東だ。快晴時の、波間からの輻射光で、東の位置にいる、「イージス艦」の認知は、「逆光」の位置になり、光の反射ばかりで、漁船の吉清治夫さんは、認識に戸惑うのではないか。

わたしは、故意に、去年、京都昨今『69』で、この輻射光からの、逆光を抜いた。織戸孝治さんたち、どのような学歴だ?進学の、小学校、中学校で、一番ではなかっただろう。
学歴は小学通学歴ありの、良識しらずの知能遅れと、これから、自己紹介する必要がある。

日本の警察は、この悪党の
織戸孝治さんたち、船渡健・一等海佐、長岩友久・前水雷長、前科一犯と、たとえ一週間でも、監獄と、実刑に持ってゆく、制度をとらないとダメなのではないか。
「あたご」は、以降、『あかご』と改称するぐらいの判断がいる。

「この仕草はなに?」と妻が、2008年2月21日、石破茂防衛大臣が、勝浦の漁業組合へ行かれ、石破茂大臣の手が、額へ行っている光景を言う。
わたしは、大国の、防衛大臣が、何故、漁業組合に居るのだ?といって、三叉神経障害で、脳溢血とかの症状がでる前とも言えるが、頑張りすぎるタイプの、石破茂さんが、左右のどちらでも頚動脈に、自分の利き手を押し当て、血流の速度を調節すれば、治癒できると言った。

22)レスリングの恩師岩野悦真&山口伊太郎
尊敬していた人の死は、了承に困る。
わたしのレスリング岩野悦真先生が、2008年1月23日、75歳で逝かれ、一年がすぎる。岩野先生は、1955年に「全米レスリング選手権」でFバンタム優勝。1964年東京オリンピックでは役員をされた。


岩野悦真先生に、レスリングを習った人は、岩野先生が、無口で、真摯なひとだったと思うだろう。わたしも、一緒にいた、時間は長いが、ムダな会話は、一切なかった。

高校のとき、レスリングをしていたせいで、最初、「かかってこい」といわれたとき、ためらった。ところが、
タックルで、足(足首、アンクル)を取ったと思っているのに、リズミカルなステップで、足を瞬時で、移動し、わたしの手から、外す。リーチ(片手の長さ)は8センチわたしが長い。岩野悦真先生の、背中や、腕の筋肉をつかんでいるのに、つかんでない感じのまま、わたしが、マットへ、投げられる。

岩野悦真先生が言ったとおり、先生に習えば、世界大会や、1976年はモントリオール五輪だったが、大きな大会に、出られるのは、確かであると、思った。わたしは、一度、先生、ぼく、もう23歳で、老人ですと断ったら、「?」と、理解できないと言う表情をされ、いつもの「かかって、こい」を言われた。

岩野悦真先生との、最後は、1983年、「科学史学会」の小さな例会があった、同志社の「有終館」から、法学部の、弘風館をとおっているときだった。わたしはいつものようにお辞儀をしたが、岩野悦真先生は、事情を知っておられたのだろう。悲しそうな視線で、わたしを見つめてくださった。

レスラーの、 岩野悦真先生とは、ちがった人物に見えるだろうが、「源氏物語錦織絵巻」全四巻を織られた、山口伊太郎(没105歳)さんが逝かれ、一年半が過ぎる。

京都には、絶対つぶれない金融として、小さな西陣信用金庫と、大きめ目の伏見信用金庫があった。

町の子が就職する金庫だった。町が困窮しているときは、給与を減らすため、潰れない金融と言われた。
が、バブル期とやらで、外部の都市銀行に負けないよう、投資だと騙し、金を貸し出し過ぎ、借りた側である親の方が、先に、苦しくなり、町から消えた。

バブル期とやらが終えた1993年、西陣信用金庫は、伏見信用金庫に吸収され、「京都みやこ信用金庫」となったが、派手な着物をつくっている西陣の生活の実際は、酒どころの伏見に比べると、すごく地味で、経営は、2000年、「中信(京都中央信用金庫)」へと行った。

中信は、小口(こぐち)商いを専門とする。京都の、その日その日の、商いの金銭が重要な、零細企業をまとめる金融でもある。

わたしが、山口伊太郎さんと会ったのは、1969年1月、西陣の会社だった。

西向きの織機、三台ほどのなか、一台だけが、織物を作成されていた。
山口さんには、「天窓」の使い方を聞いた。画家は、北向きの光が入る部屋を、アトリエにする。南向きより、晴れ、曇りの光の差が少ないためである。西陣の天窓は、一尺半(50センチ)四方ほどで、その細い暗い明かりで持って、西陣織りをつくってゆく。一日一寸(3センチ)しかできない作業なので、太陽にあたると、糸が退色してしまう。そのため、必要な分だけ、光を取る。

恰幅があり、あたたかさを持たれた、山口伊太郎さんは、高校一年生のわたしの、質問にたいし、丁寧に答えてくださった。
一日がかりの仕事で、織り目に失敗は出ませんかと聞くと、今日、一日の分が終わったと思い、点検してみると、最初の方に、失敗の箇所を、見つけることは、絶えずですと、微笑み、いわれた。

わたしの質問ひとことに、ゆっくり、ひとこと、ひとこと答えてくださった。織機のタテ糸(経糸)上には、3、4種類の色の、緯糸(よこいと)の「杼(ひ)」があり、横へ飛ばし、織ってゆくことを質問すると、白の割烹着のような作業着の、織娘(おりこ)さんは、言葉に出さず、ただ頷かれ、また、山口伊太郎さんが、説明してくださった。

帰り際、入り口の方にある、応接間へ案内された。わたしが、日本の洋画壇を引っ張る役目のため、東京芸大、油彩へ進学すると級友の親たちによる、事前の紹介で、山口伊太郎さんは、やさしく、分かりやすく、余裕のある、説明をしてくださった。

案内の女性が、応接間に通してくださった。お辞儀の連続である。。
出てきたのが、上等な煎茶で、煎茶が苦手なわたしなのに、友人たちは、平気で飲んでいる。

山口伊太郎さんは、西陣織りの、難しさと、良さを言われた。68歳のころだそうだが、風格だけが、わかり、年齢を感じさせない方だった。
105歳まで、仕事をされていたとのことだが、亡くなられたことをきき、高齢だと、知人に言われても、山口伊太郎さんを、高校生のときに知りえた、わたしには、105歳での死が、早いのか遅いのか、いまだ、わからない。


22)知らなかった北上川の氾濫
1991年8月はじめ、一関へ行った。ここには、個人情報の秘密などない。会うひとたちが、自分のイエを言われる。
中尊寺へゆくとき、タクシーの運転手が、「遠回りでも、よろしいでしょうか」と言う。そのままにしておくと、中尊寺へは、西となる方へ進み、昇り、「降りてくださいますか」と言われた。
わたしの目の前の、衣川から北は、わたしが好む、稲の碧が、全面になびいている。東は北上川。祖父が、大正時代、水留めに来たところだ。
「去年、北上川が氾濫し、この辺り、すべて、水に漬かりました」との、言葉に、わたしは沈黙した。
祖父が来てから、70年の歳月がたち、日本には、金がないから、堤防も部分しかできなかっただろうと思いながら、わたしは一言もいわず、だまって、説明をきき、日本は、悲しいと思った。

こういう風な、わたしの見方と違い、麻生総理就任、最初の演説を、11月29日、一関で行い、好感をもたれた。

先に、麻生太郎さんは、2008年9月14日、総裁選の、街頭演説会で、
「安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら全部洪水よ」と発言した。 安城や岡崎に血縁がいる、わたしには、名古屋と言われると、大きく把握しにくいが、安城や岡崎の地勢が、分かるのかと、好感をもった。

麻生太郎さんは、言葉の表現力の方向が、多い方である。このときの、はじめの演説内容と、有権者の雰囲気がわからない。どのような経路か、安城市や岡崎市が、不適切と抗議された。不況が原因だろうが、嫌な、時代だ。

岡崎市の2008年8月下旬の、豪雨での被害を知ったとき、日本は、まだまだと思った。
同じ日、京都、三条も、八幡市でも豪雨があった。

わたし自身、政治事は、嫌いである。父は、いまだ、否定するが、1953年初春、内閣を解散させる、内閣が解散した(吉田茂、バカヤロー解散)で、3月上旬、母が兄を連れ、家出をし、つぎに、父が居なくなった。
1歳6ヶ月の、わたしは、父の仕事場にある、休憩用の2畳に座り、父の帰りをまっていた。が、父でない大人が通る。父の仕事場をとおるのは血縁だけれども、1歳6ヶ月のわたしにとって、大きな大きな男子ばかりだった。信じることができるのは、黙ったままの、父方の祖母だけで、この時の恐怖感が、まだ、消えない、からである。

23)経済と歳出問題
下の、調査は、2008年6月のものである。わたしの血縁が居る、府県や、市町村に限定した。
官民の問題で、国会では、「天下り」(わたり)を禁止しようとやっている。文部科学省だが、職員は8万人、郵政省は26万人いるそうだ。

この大不況だと、公務員の成立すら不可能である。が、「天下り(わたり)」が問題視されているが、もっと、多くてよいと思う。ただし無給か、官僚時代の賃金はじめ、家族の働き分も、会社のほうへ、どんどん寄付すれば良い。

「国会議員定数」もだが、もっと増やし、国会への、一回の出席ごと、都市ホテルなみの料金を支払えばすむことである。

なぜ、こんな簡単な事を実行しないのか、わからない。また、国会議事堂など、維持費が大変だから、民間に賃貸し、全国の小、中学校をつかえば良い。夏は、日本の北での会議、冬は、日本の南での会議にすれば良い。


●東京都
人口1千290万人
職員4万9699人→議会局140人
知事部局3万1643人
知事ー副知事(4)−局長(11)−部長(70〜80)
●神奈川県
人口894万4千人
職員1万3千(★人員、注意)
知事ー副知事(2)−部長(9)−課長(80)
●埼玉県
人口713万人
職員1万004人
知事ー副知事(2)−部長(11)−課長、事務所(131)

●愛知県
人口738万人
職員1万人ぐらい
知事(1)−副知事(2)−部長(11)−課長(90)


●京都府
人口263万6千人
職員5000人弱
知事ー副知事(3)−部長(9)−副部長(8)−課長(94)
●大阪府
人口883万人
職員1万人ほど
知事ー副知事(2)−部長(9)−室長(42)−課長(141)
●兵庫県
人口559万人
職員7900人
知事ー局長、部長(140)−課長(490)

▽[東京]
◎渋谷区
人口20万5千人
職員2210人
区長ー副区長(2)−部長(16)−課長(54)
◎世田谷区
人口86万人
職員5211人
区長ー副区長(2)ー教育長(1)−監査(1)−部長(50少し)−課長(120〜130)

◎武蔵野市
人口13万9千人
職員1051人
市長ー副市長(1)−監査(1)−部長(20)−課長(61)
◎三鷹市
人口18万2千人
職員1047人
市長ー部長(20)−課長(75)

▽[埼玉]
◎さいたま市
人口119万人
職員9207人
市長ー副市長(2)−局長(35)−部長(68)−次長(234)−課長(551)

◎日光市
人口9万1644人
職員1200人
市長ー副市長(2)−部長(7)、7部署5支所ー課長(50)

◎杉戸町役場
人口4万7480人
役員416人
町長ー《調整官》として、部長(6)−課長(19)

▽[神奈川]
◎横浜市
人口364万5千人
職員2万7千人
市長ー副市長(4)−局長(58)−部長(186)−課長(710)

◎鎌倉市
人口17万3千人
職員1427人
市長ー副市長(2)−部長(18)−課長(70)

◎箱根町
人口13万0604人
職員403人
町長ー副町長(1)−部長(7)−課長(20)

▽[愛知]
◎岡崎市
人口37万2639人
職員3000人ほど
市長ー副市長(2)−部長(20)−次長(50)

◎名古屋市
人口224万人
職員2万7252人
市長ー局長(35)−部長(180)−課長(400)

▽[京都]
◎京都市
人口146万7千人
職員1万6000人
市長ー副市長(3)−局長(20)−部長、室長(いっぱい)

◎笠置町
人口1864人
町長ー職員40人

▽[大阪]
◎大阪市
人口265万人
職員4万1213人(2007年、4万2950人→2008年6月、4万1213人)
市長ー副市長(2)−特別職ー局長(69)ー部長(310)−課長(1116)

◎豊中市
人口38万8千人
職員3776人
市長ー副市長(2)−部長(39)−次長(79)−課長(212)

◎枚方市
人口40万6千人
職員2700〜3000人
市長ー副市長(2)−理事(8)−部長(26)−課長以下(100人以下)
◎寝屋川市
人口23万9千人
職員1604人
市長−副市長(2)−理事(8)−部長(20)−課長(71)

▽[兵庫]
◎神戸市
人口153万人
職員1万7320人
市長(1)−副市長(3)ー局長(55)−部長(266)−課長(888)

◎加古川市
人口26万8千人
職員2370人
市長ー副市長(2)ー部長(10)−課長(110)
◎高砂市
人口9万4千人
職員1200人
市長ー副市長(1)−部長(17)−課長(80)
◎姫路市
53万6千人
職員3700人
市長ー助役(2)−局長(数人)−部長(20)−課長(100)

下の写真は、2008年度、京都、祇園舎、八坂神社修復の寄付金である。京阪、阪急電鉄、近鉄で、100万円。同様、京銀、中信、京信も100万円で、京都が、いかに、金のないかが、わかる。

大阪市は製薬会社が多い、左端、「ヒサヤ大黒堂」漢方薬屋が30万円とある。ここは、「禁マン」奈良女、高橋裕子教授と、一回できた、デイトがと言っていた、友人と、1972年アルバイトに行った。時給250円ぐらいのころだ。社長はじめ、まじめに働かられる人が多く、漢方も、ここは正真正銘の、朝鮮人参他、漢方材料から成分等を、抽出する、円柱の直径45×15ぐらいの、黄蝋(蜜蝋)も本物で、わたしたちは、黄蝋割りが仕事なのに、黄蝋投げ合戦をやり、黄蝋係は一日でクビだった。ここにも、大阪市役所からの、偉そうな、天下りの人が居たが、じっさい、労働者として、よく働かれていた。

奴隷主義国家、アメリカ発の、身勝手な不況で、ハーバード大学はじめ、欧米の、経済学など、学問でないことが実証された。ハーバード大学他、哲学ひとつ出てこない、アメリカは、三流国家と、みなして良い。
小泉政権で、知恵遅れとの評だった「竹中平蔵」教授、兄が、昔、外観だけの建売で、利益をあげ、武庫川女子の多田道太郎・好色教授など、教員を取り込んだ代表とは、できている。
悪党、竹中兄弟、(1995、1、17)関西大震災で、貴殿のところの建売は半壊した。和歌山市の空白どうよう、いかに、弁明する。「つくばエクスプレス」の方は、600億円だったか、800億円だったか?

ラグビー、野球など、球技は、「球ひとつ」である。「ボール」が「有価の金」であり、「審判」が「金融」、銀行員にあたる。日本を隷属下におく、アメリカ人の市民の、賃金構成は、2、3倍以上である事を知らないといけない。
経済破壊は、審判役の、アメリカの金融(銀行員ほか)が、欲張り、予備のボール(金)も、持って逃げたため、ボールがなくなり、ゲームができなくなった事による。

日本の、1945年、敗戦後から、連続する、不況の根本は、外部、アメリカなどの付き合いにある。アメリカと日本の構造は、東京と地方都市に置き換えれば、わかりやすい。

まず、大学進学は、現住所の隣接県にするなどの必要性を取れば良い。財政出動はじめ、日本は、アメリカ他の国とちがい、変化はない。アメリカ他の、企業への助成、援助金は、ほとんど、水の泡の状態になる。理由は移民に奴隷経済だからである。ボール(金)が消える。日本のばあい、不動の生産地「田畑(でんばた)」があり、ボール(金)が残り、多少でも、援助となる。
定額給付金制は治安もかね重要である。わたしのトコロは、固定資産税の請求は来て、支払っている。「国勢調査」は来ない。京都市東山区の案内通知もない。

小泉・不純一郎・自民党のおかげで、「京都市役所・NEC」「住友信託・アイフル」関連、「警察」派遣のヤクザは、脅し、格闘しに、何度も来る。そこへ、信心が大事と「創価学会」も来る。この学会の計画暴行もすごく、そのたび、わたしは、倒れた。「殺人のNEC」、ホワイトハウスやペンタゴンを、自社と主張しろ。「CNN」他、宣伝収入が無縁のアメリカ人に笑われる。

京都は、2002年から、顕著だが、現在、まったく、金銭が動いていない。京都では、電気、機械、建築以外の、京都の特色を成す商売で、2008年春、50億を持っている、店が3軒、100億が市場にあれば、動くんですと聞いて、そんなに小さな額面ですかと、おどろいてしまった。

解決方法として、江戸期、「藩札」がある。藩札の実際利用の歴史研究が、不十分のようだが、桑名、越前で、空襲をうけていない箇所には、利用の仕方がわかる、藩札が残存しているのではないか。

町や村の構成だが、人口、1000人の村があるとする。1人から8人暮らしを想定し、実際を、3,3人とすると、300戸となる。この、300所帯の、金融係を3人とする。金融監視ほか、村の警備係を4人とし、医療を3人とし、合計10人であり、全体の1%である。この数値は、落ち着いた江戸初期の、士族の人員と、類似する。江戸後期に2〜3%と増加するが、これは、欧米の侵略行為による。日本のばあい、基本は士族も農家も、田畑耕作において同じである。
城の作りを考えれば良い。兵糧攻め、兵糧戦に対し、「壁」など、すべて食べられるようにできている。西洋の宮殿の考え方と根本がちがう。

アメリカ、イギリスの金融は、30〜40%と、世界を奴隷にしているため、異常に高い割合である。このアングロ・サクソン人種をとにかく、捕らえ、労働させるのが、景気回復となる。

第二次世界大戦で、日本人がGHQアメリカに殺戮された、人数だが、1940年で人口8000万人、富国強兵、「産めよ増やせよ」で、毎年200〜300万人増加した。1940、41,42、43、44、45年、ざっと、数えて、1000万人から、1500万人誕生している。合計9000万人である。これが、じっさい、戦後は、6000万人だった。そのうち数百万人が、中国、朝鮮からとすると、日本人の犠牲は、3000万人以上となる。これほど被害を受けた国家があるのか。

2008年6月、各市町村への連絡で、京都府知事山田啓二さんは、非常に偉くて、町村まで、赴いていないことが分かった。さすがの知事だ。京都府、市役所の問題だが、貴族の、御方の、愛人(庵主)とかが問題になる。
京都府を1970年ごろから歩いて、言われたことは、「他所(たしょ)」からのひとの、田舎蔑視がひどく、「在所(ざいしょ。在卿、ざいご、とも)の人が、萎縮して、活動ができないという意見が多かった。


わたしが生家暮らしのとき、困った事だが、1961、62年、「朝鮮部落」の子供を、いちばん差別し、米田小学校、川西小学校、宝殿中学に摩擦をおこした原因の、三人兄弟が、居なくなったと聞いた。
父に、2007年、「どこの人?」と聞くと、「知らん。戦後、まなしまで(しばらくまで)、船原歯科や。村に必要やから、姫路で募集してん」と言う。

不愉快きわまりなかったのは、市民の苦労などわからない、姫路市だった。ここの市役所員の各部署は、わたしへ連絡すると言い、すべて聞き出し、半年経つが、連絡など無い。市長は、わたしの両祖父殺しの子だったか?飾磨郡のヤスギ(60)殿など、「なに、マツダ、チェツ」だ。

職員だらけの、高砂市、早川(女)、九十九(55)さんたち、松原豊三郎(49)殿など、会津から姫路まで、血縁30万人というと、「どーやって数えるんですかぁー」「それじゃ、わたしが知らん、マツダさん、別の機会に、話しを、しましょうか」だ。
ふざけた、姫路、高砂の市長に、公務員。最後には、播州の「土着民」が、怒る。覚えておくが良い。

鎌倉御家人、江戸旗本、数え方は、簡単なのだ。時代劇で、バカみたいな、「皆の者、面を上げ」がある。京都昨今『44』の一番下の写真を見れば、子供の眉毛が、同じ形と、わかる。それより、手、腕、肩、脚の形質が同じなので、充分にわかる。



▲写真、東山、麻生太郎総理大臣ポスター(写真:松田薫)
▼写真、祇園舎、寄付、2008年度のを、コラージュ。
(写真:松田薫)

HOME
「京都昨今きょうとさっこん」松田薫2009-01-30