京都昨今 |
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64、「視覚と思考」 ABO遺伝子 <明確なる文化区分> 【新日本石油 渡文明A】 「岡庭、村上」 | ||
▲東山、三条通りにある、「東三條社」、大将軍神社からの空。 桓武天皇のとき、京都の、東からの、出入り口を守るため、作った、大将軍神社のうちの、ひとつ。 青い秋空と、白い積雲を、背景とした、東山区の木のひとつ、銀杏(いちょう)は緑 。 1) 南禅寺、「稲畑サロン」は、実業家、稲畑勝太郎の妻、登美子夫人が中心となり、音楽家では、山田耕筰などが来客し、また、近所の、南禅寺、草川町には、哲学者、九鬼周造がいた。 稲畑勝太郎が、「和楽園」を、文芸家に開放し、ここでの、ひとり、ふたりの、文化人により、今日まで、通じることができる、文化が成った。 九鬼周造は、わからないものを表現してゆき、これが哲学者の行為であるとした。 日本の哲学界は、夏目漱石に、ほめられたというだけの人、西田幾多郎を、重要な人物としてあつかっている。 西田は、漱石の「則天去私」を、奇妙に複雑に、「絶対矛盾的自己同一」をキャッチコピーと、しただけのひとである。 漱石の『文学論』を読めば、漱石の、文学という、表れたる言葉の、構造を、構築性を、現象分析して行った研究姿勢と、作品に、西田幾多郎の表現が、とうてい、及ぶものでない、ことが、分かってくる。 西田幾多郎の哲学など、「夏目漱石」の文学論のまえには、お話にすぎないと言うと、1975年、同志社大学の、平石善司先生は、困られた表情をされた。 平石善司先生が、1975年、夏、広島大学での、集中講義のあと、わたしに時間をとってくださった。7月、8月、9月までは、とうじの、わたしには、難解な、ギリシャ哲学などして、どうなることだろうと思ったが、10月、終了の雰囲気となった。 同年春、「ギリシャ語」登録しておきますと言われたが、すすみが遅かった。 わたしは、1975年秋、関心が、スペインから、イタリアの哲学へゆき、平石善司先生が反対された、ラテン語のほうが、役立つのではと判断した。 京都府の人口だが、1935年ごろ、180万人となり、哲学の平石善司先生、人類学の山田忠男先生たちが、学生のころ、京都の人口は、大阪府、兵庫県と、変わらない数値だった。 現在、京都市は、合併により、人口150万人という。 わたしたちが20歳をむかえようとした、1970年ごろ、京都市は140万人で、下宿をさがすのは、難しく、「叡電」での、修学院から、一乗寺あたりは、田圃に、ネギ畑、野菜畑だらけだった。 春休み、夏休みのとき、故郷からの、荷物の受け取りや、増えた書籍などを実家へと送るとき、また、引越しなど、農家に、リヤカーを、借りにゆき、国鉄、二条駅へと、二、三人で、引っ張って、運んだ。 ところどころで、友人たちと、偶然、出会い、どこもかも、学生と、青年ばかりの時代だった。 あれから、37年という歳月がたつ。 20代から、ずっと、ふしぎで仕方がなかった。 友人たちとの、会話だが、短くても、俳句のような、意味があった、ころだった。 音楽をかたり、数学や物理の問題を、互いに解きあった、時間と、真実を大事にした、友人どうしの、懐かしさ、充実さは、わたしに、ずっと、なぜ、わたしたちは、あのような時間を過ごせたのかと、思わせる。 かれらは、親の後をつぎ、大学を卒業してからは、三年、五年、社会勉強と、他所へ奉公に行き、実業や開業医をしているが、会わなくても、互いに、尊重をしている。 先に、1970年、京都は、不況から、脱出したと書いたが、この要因を、わたしは、述べていない。 このときの事実を、教えてくれたのは、「叡電」の沿線に住まれ、隣が著名な作家の、東山で働かれていた、姫路の賢明女子学院出身の人だった。 わたしの、質問へ、かんたんに、言葉で、表現してくれる人は、神戸から姫路の、太陽と、海岸を、近くして、育った人が多い。 2) この、ABO式遺伝子頻度図は、ヨーロッパでの、太陽がのぼる、東の国々、「B遺伝子」が多い地域をあらわす。 ヨーロッパの、遺伝学はじめ、生物、医学関係の学識者には、視覚で分かる、このABO遺伝子頻度図が、重要な意味をもつ。 歴史家により、「匈奴 (きょうど、Hungnu) 」と呼ばれたり、「フン族(Hun)」と呼ばれたり、あるいは、北と中央アジアの、遊牧民族だった、と言われる「月氏(げっし)」については、モンゴル系とか、イラン系の民族であったとかの説もあり、これらは、歴史民族の研究家の説にまかせる。 1968年、わたしが、枚方市、啓光学園へ入学した年、世界史担当は、京大の研究生の、新垣先生だった。 教科書は、「山川出版社」のより、詳しいと言われた、「秀英出版」だったのではと記憶する。 新垣先生は、しずかな声で、この教科書を、そのまま、読んでゆかれた。 1969年3月、わたしたちに、姿勢を正され、「『琉球』、独立のため、研究生活はやめ、故郷に帰ります」と言われた。 1969年4月からは、啓光学園、第一期卒業の、わたしたち二年生にとっては、啓光のわたしたちを理解してくれる、良き兄のような、2年C組担任の、井上先生だった。 担当になるとき、クラス全員が知っているのに、挨拶の言葉が、「わたしが、E組みの、世界史担当の、井上利之です」と、まじめに言われ、黒板に名前をかかれたので、クラス中わらった。 「関西学院出身で、専攻は、『月氏』でした。世界史の地図では、小さな、国ですが、こんな小さな国にも、歴史があります。大月氏とも、呼ばれるように、なりました」だった。 わたしは、一年の時に、日本史禁止のイエだったので、世界史の、受験問題集を2冊、終了していた。 新垣先生や、井上利之先生の歴史への見方で、わたしは、井上先生の授業中、大阪の旭屋で買った、アジア大陸の専門書を、教室の、廊下側の、端の席で、読んでいた。 3) 一学期の期末テストの返却のとき、「さすが、E組。二年生、平均では、一番だ」と言われ、「しかし、全員が、同じ箇所、一箇所だけ、間違いがある。返却をする」と、井上先生は、教室の中央を見て、言われた。 E組の理系の選択は、3年で、受験のための集中授業がある、「日本史」と決めていたのが大半だった。 授業のあと、わたしは、「間違い、一箇所については、わたしの勉強不足だが、ルールを守れ」と、ラグビー部、サッカー部、バスケット部の連中を、叱った。 一年のとき、ラグビー部の連中が、「まつだ、もっと、濃い、鉛筆で書いて」と言うので、わたしの、鉛筆は、4Bになっていた。 デッサンの練習に使えるし、これでも良いかと思った。が、二学期になり、ラグビー部のトレーニングが増え、「まつだ、答案、回して」となった。 ラグビー部の連中に、わたしの答案、フォワードは上半分、ウィングは下半分を写すこと、と決め、また、新垣先生だったので、注意がなかった。 わたしは、中学のときも、これをして、女性の教員に、「マツダさん、なんのための、テストと考えているのですか」と、よく注意された。 2年の二学期、教室の、窓を閉める、秋から冬へのとき。わたしが、インド大陸からアラビアの歴史を読んでいたころだった。 教壇に、講義机の表、先生からは、見えない位置に、運動部が、雑誌『プレイボーイ』のヌードを、押しピンで、留め、貼り、笑っていた。 「そういった事だけは、井上先生は怒るから、止めておけ」「いいかげんにしろ」と、わたしは言った。 井上利之先生が、まじめな表情で、教壇に立たれたとき、貼った連中が、笑いだしたので、井上先生は、生徒の視線を見た。 井上先生が、講義机をまわり、 「だれだ、こういった事をするのは、起立しろ」と、貼った連中を見て、厳しく言われた。 ABO遺伝子頻度図での、B遺伝子高頻度地域だが、いまだ、宗教書などに基づき、女性への、戒律、抑圧が、難しく、強い地域でもある。 1970年までは、A遺伝子高頻度地域の、規律、道徳が、厳しかったが、キリスト教への抗議と、学園運動はじめ、「性の解放」運動で、北欧、スウェーデンはじめ、フランスを先頭に、女性たちによる、抗議は、アメリカへも及び、自由度が高くなった地域が多い。 4) 2007年10月はじめ、いま、ニュースでは、2008年、春夏の、ミラノコレクションが、はじまったとあり、自然の追求や環境を守ろうなどが、テーマとして、とりあげられている。 ミラノ Milano の特徴は、北側を、ロンバルディア山脈 Lombardaに守られているように見えるが、この2000メートル級の山々は、民族同士の戦いでは、数時間で、砦(とりで)を作ってしまう。 歴史があり、総合大学がある、14Cからの、フィレンツェ Firenze。15Cからの、トリノ Torino は、世界の文化都市である。 より歴史ある、14Cはじめからの、西洋最大と言われる、ローマ Roma 大学がある。 古くからの、学者の、経験則が、保持された文化があっても、イタリアは、大不況である。 パンやパスタ用の、小麦の不作で、食糧の価格が上がり、生きてゆくことも、できなくなると、市民が抗議している。 いまの、学者とは、どのような、存在なのだろうか。 同じく、大学での、歴史は、1920年代からと浅いが、ミラノも、ABO式血液型の頻度を見ると、A型が多い。 この頻度だが、フランス、スペインでのA型は、より多くなる。 これに対し、南側、ローマ、ナポリとなると、O型が多くなる。 芸術文化、これらの様相のちがいは、比較文化の専門家が、何か、気づけば、論述してゆくといい。 「ベニスの商人」は、シェイクスピア Shakespeare だが、この土地の頻度を見ると、O型が50%と多い。 先に、グルジアにO型が多く、スターリンなどの政治家を指摘したが、これらの土地が「独裁」とかを意味するのでなく、周辺の土地を見ると、A型が多い。緻密に、計画されたものには、負ける。 このような、考え方は、B遺伝子高頻度地域の、女性への、性的抑制の指摘と同様である。 抑制をするのは、抑制が必要となる、「社会構造」ではないか、と言うことである。 音楽では、B遺伝子高頻度地域は、多声、ファルセット falsetto などの現象が見られる。 ファルセットを裏声、あるいは、無理がかかった声と、言う人がいるが、ファルセットは、ジャンプの能力と同じで、できる人と、できない人がいる。 不得手なのに、無理し、ごまかすので、無理がかかった、裏声と言われる。 ファルセットが、充分に可能な人は、口腔ではなく、腹腔から出せる。 また、B遺伝子高頻度地域は、舞踏で、跳躍と「旋回運動」が入る。 ウクライナでの、コサックの舞踏、かれらのステップなり、バレエでの、ピルエット(回転運動)の、空中で、瞬間、止まったように、見える運動と、スコットランドの、ステップ・ダンスを比較すると、ロシアは立体で、イギリスのは平面に見える。 ただ、どちらの民族も、女性も、日常、脚を鍛え、戦いとなったときの、遊牧民族の、生活の知恵と、わたしにはみえる。 日本茶や中国茶、紅茶での、種類による「渋み」を、まがい物と、いうかどうか。 これらは好みの問題となる。また、川の、上流と下流、支流などを、たとえで、考えればいい。 5) 上は、わたしの、「ABO式遺伝子による、民族音楽の分析」P17、(1980)で、日本人がなじみの、「バロック音楽」での、社会現象を論じたものである。 「旋律問題」だから、作曲家への希望者や、音楽史に関心があるのであれば、中学生や、高校生でも、理解できることである。 イタリア半島の、特徴づけは、中央を、脊梁する、アペニン山脈 Appennini にあり、地中海側での北部は、A遺伝子が高頻度となる。 啓光学園での、わたしの、恩師、サンチェス神父たちが、ローマ教皇庁 The Roman Curia が、東方正教会(ロシア正教会 Eastern Orthodox)との、文化の内容が、変わって、いるもの同志の合併を、すすめる方針へ、批判に値する行為だと、時代の先頭がミッションである「クラレチアン会」 MISIONEROS CLARETIANOS は、「純粋なるものの、精神、心身の維持」として、抗議を行ったとの、ことだった。 1970年の、出来事は、バルセロナ Barcelona を信仰の基軸とする、クラレチアン会としての抗議であり、このことは、1968年、わたしが、雨の日、啓光のプールで、ひとり練習する光景を、「覚えています」と、おっしゃって、教えてくださったのは、ジョージュ・ギタルド神父だった。 スペイン O41、A48、B8、 AB3 (バルセロナ) フランス O42、A45、B9、 AB4 (パリ) スイス O39、A50、 B8、 AB3 (ベルン) ドイツ O40、A45、B10、AB5 (ハイデルベルク) A遺伝子が、非常に多い、スペイン、フランス、ドイツはじめ、北欧での、歌唱は、「斉唱(せいしょう)」であり、東欧圏で、自然になる、複数での合唱と、異なる。 現在では、モンゴル地方の、ホーミー(khoomij)という、言葉を、聞いたひとが多いだろう。 モウコ族 O35、A24、B34、AB7 ブリヤート族 O32、A22、B38、AB8 いまの、モンゴルでの、2声3声が、発声できている、と言う、歌唱法は、倍音(ばいおん overtone)とも言われているが、ウクライナなどでの、複数による、混声合唱とは、性質が、ずいぶん異なる。 イスラエル O36、A41、B17、AB6 レバノン O36、A47、B12、AB5 イラン O38、A33、B22、AB7 イラク O34、A34、B24、AB8 アフガニスタン O29、A29、B32、AB10 京都大学オーケストラに、多大な影響を与えた、エマニエル・メッテル Emmanuel Metter (1884〜1941)は、ロシア革命により、日本へ来た。 指揮者メッテルを慕い、京大へ、来た、山田忠男先生は、エマニエル・メッテルから、心身が、ひとつであると、音楽の学習訓練で、感じさせるため、事あるごと、ベートーヴェンの「第九、第九、合唱です」と言われ、それを、亢進させるのが、指揮者の役割だと、教えられたという。 日本滞在時、日本の中心、東京から、脚光をあびなかった、エマニエル・メッテルは、喘息と、苦悩の中、アメリカへ行き、亡くなった。 後年、日本の才能ある、音楽徒に、恩師と言われた、エマニエル・メッテルの出身地は、ロシアの中でも、A遺伝子とB遺伝子が多い、ウクライナ地方出身と、習った。 エマニエル・メッテルの気持ちが、近畿圏内の、音楽家に通じた、ひとつとして、ABO式血液型をみると、ウクライナは、ほとんど同じである。 原子力発電所事故があった、『チェルノブイリ Chornobyl 』が、この地であり、「豊かな穀倉地」のベラルーシ Belarus、ウクライナ Ukraine であり、ここは、過去、ドイツとの戦争での、悲劇の土地でもある。 5) 以下は、わたしのABO遺伝子論文、日本語での、序文の、部分である。ふつう、自分自身の書き物は、論文といわず、拙論という。また、「私」など、科学論文には無い。 このことで、山田忠男先生と、かなり、議論になった。わたしは、「データ」は、すべて、他者であり、このように、自分自身が、データから、距離を置いた、明確な研究は、わたしぐらいしか、しないと言って、「私」を使った。 わたしが、論文への、音楽学界の長老たちへ、礼状を書くのに、忙しく、また、ウィルスの界面論(発生)と、抗ウィルスへの、方法論で、数論、置き換えに、時間が無いとき、鹿児島、喜入、いま、新日本石油、1954年生まれ、鹿児島甲南高校、1973年卒の、猥褻、レイプ魔、前田博司さんは、何の用事なのか、命令口調で来た。 出版社の重役に、わたしの名前を使って、電話できるのが、前田博司さんである。 おそらく、前田博司さんは、新日本石油の重役か、大株主だろうが、わたしの仕事圏内に入ってこられては困る。 そして、わたしは、忙しいので困ると言っても、「いや、忙しくない」と言い、新日本石油では、重役の、渡文明さん、西尾進路さん、杉山暎一さん、田元賢二さんたちでも、毎週、宮崎のソープ、月に一度は、福岡の中洲のソープと言う。 東京では、吉原へソープ、一回、5万〜10万円と、前田博司さんは言うが、風俗の「ソープ」は、わたしの関心外のことで、経験もないので、何がなんだか、まったく、わからない。 まあ、2006年、話題になったが、市民が生活で、苦しんでいるとき、福井俊彦・日銀総裁はじめ、日銀の幹部たちは、新宿の「ノーパン・しゃぶしゃぶ・クラブ(NSC)」(1998)で遊んだと言う、日本だから、仕方ないのかも知れない。 わたしの友人とは、学問の話ばかりなので、前田博司さんたちが、「ソープ」へ集中される、時間と心身が、理解できない。 会社の経費をつかい、「NSC」や「ソープ」へ通う、男たちと、会って、互いが、同じような、文芸行為をしているとか、農家や、職人に見られる、物をつくる、創作での、おりの、精進のとちゅうでの、困り、克服していった事を、話てくれるなら、有意義をかんじるだろう。 喜入での、船舶の、停泊料金は、一日、300万円〜1000万円ほどの単位だそうだ。 また、海は、新日本石油だけのものでないのに、汚して、良いのだそうだ。 こういった、論理を少し変え、経済で困っている、国家の船舶は、この不況下、無料にすると言う、話だったら、わたしにも理解できる。 経団連には、渡文明さん。同じく、御手洗富士夫さんがいる。 啓光学園「第9期」(京都昨今『31』の「7」参考)を、バラバラにした、3年E組、自分ひとりが良ければいいという、岩田君の勤務先は、キヤノンだが、御手洗富士夫さんは、大企業が尊く、すべてに優遇され、いま、自社の労働状態、「偽装請負」問題で、国会へ「参考人招致」と、スポットを浴びている人物だという。 自分たちの会社だけ優先されれば良い、また、その会社で、自分だけ、優遇されれば良いという考え方は、わたしには、理解できない。 6) 自由の国、アメリカ合衆国が、わかりやすいのは、先の、民主党のクリントン the 42th は、経済状況が悪くなると、女性スキャンダル、ジェニファー ・フラワーズ(1992)、つづいて、お先、真っ暗なとき、モニカ・ルインスキー(1998)との、『理由なき反抗』(Rebel Without a Cause)ではなく、『故意なる反抗』(Rebel With the Certain Crime)を、おこすことのようだ。 そして、「共和党」の、ブッシュ G.W. Bush the 43thでの、ライス Condoleezza Rice 国務長官の大学の恩師がジョーゼフ・コルベル Josef Korbel。 コルベルの娘、マデレーン・オルブライト Madeleine Albright が「民主党」のクリントンの国務長官という構造だ。 2007年秋、経済学者とやらの、グリーンスパン Alan Greenspan は、アメリカ経済の見通しだが、この、行き先は、サイコロでの「丁半(ちょうはん)」、50%の確率といい、「バブル」を見るのには、いまの中国と、だれが見てもわかることを言う。 工業化による、気温の上昇で、中国、インド、オーストラリアなど、小麦産地は干ばつによる不作となった。 アラン・グリーンスパンさんとやらに、新ロシアンルーレット(New Russian Roulette)、リボルバー銃に、弾丸一発の、6分の1ではなく、2007年、いまの、経済不況を、より混乱させる、値上がりした、「小麦粉」で作った、弾丸、3発ぐらい入れ、確率2分の1、50%を実行してもらったら、どうだろう。 小麦粉を粘土状 flour clay にし、焼いて、固めると、そうとう、痛いと、だれでも、想像がつく。 ドイツ、イタリア、日本、また、オーストラリア、東南アジアの不況をかえりみず、アメリカの、次の政策は、エネルギー物資の産地、インドネシアを、仮想敵国にしようとするものだった。 ところが、地下の石油の取りすぎ、地下水をつかう天然ゴムなどの栽培 rubber で、地層が変化した、インドネシアが、地震だらけになった。 また、オリンピックの後、不況が来るのは、日本はじめ、植民地をもたない、国家では、常識である。 そのため、中国が、不況になったら、「租借地(そしゃくち)」の法律を、アメリカに適応するのは、どうだろうか。 欧米列強は、シナリオどおりの、日清戦争のあと、中国を、「租借地」にして、資本から、労働をしてゆく精神まで、奪った。 この欧米列強の方策を、オリンピック後に、不況が来たら、アメリカ合衆国とカナダなどに、「租借地」案件を、あてはめるという考えである。 これまで、アジア人種の先祖、モンゴロイドの、生命と、土地を奪った事実に、400年、我慢をした。 アジア人種は、寛大だから、「租借地」の料金、400年と数十年分の請求は考慮をする。 ただし、あと、20数年、2030年までには、アメリカ大陸から、出て行ってくれという事を、有色人種のアジアは、主張してゆかなければ、ならない、時代になったと思う。 アメリカ O44、A42、B10、AB4 NY(白人) イギリス O46、A40、B10、AB4 (ロンドン) 日本 O29、A39、B22、AB10 朝鮮半島 北部 O28、A31、B31、AB10 中央部 O29、A31、B30、AB10 中国 O31、A27、B32、AB10 (漢民族) 香港 O44、A24、B26、AB6 台湾 O42、A29、B23、AB6 6) 科学史と科学哲学の専攻、東京大学教授で、とうじで、50歳は、かなりの老人だった。 学界で、権威をもった人、村上陽一郎さんは、 「血液型の問題も、もう少し別の角度から解明されることがあるのかも(略)、わかったものとして何かに使うというのはいけないですね」『神の意志の忖度に発す―科学史講議』(朝日出版社 1985) と、作家との対談で言明された。 対談形式での、このような、権威、権力者からの発言は、非常な、効果力があり、この、『故意なる反抗』には、重大な責任がともなう。 このとき、朝日出版社には、いま、河出書房新社の部長、小池三子男さんが居て、「対談シリーズ」の、編集者だったと、小池さん自身が、マッシュルームカットの、意匠思想家、井上章一さんを紹介してくれたとき、言われていた。 テレビの世界では、TBS制作の岡庭昇さんは、『そこが知りたい』の特別版、TBS「諸君! スペシャルだ!」で、血液型と性格の批判番組をされたそうだ。 もし、社会現象での、事実を、報道したければ、岡庭昇さんは、わたしの論文を所持したとき、「こういうものが、ありますね」と、正直に、放送するのが、マスコミ人としての、義務ではないかと、わたしは、いまでも思う。 ▼右、東大教授、村上陽一郎さんからのもの、1980年8月16日、「三鷹 MITAKA」の消印。 左、住所は、どこか忘れた、TBS番組制作の岡庭昇さんの1985年。文章にある、永田仁志さんは、このころ雑誌、『プレイボーイ』担当で、「あなたが、なぜ、岡庭さんですか!?」と、わたしは意見された。 |
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「京都昨今きょうとさっこん」松田薫2007-10-04 |