京都昨今
63、ABO遺伝子による<石油経済>    【新日本石油 杉山暎一】        [原来復、信]
★前列、中央、右、ドイツ、フライブルク Freiburg 名誉領事、白い顎ひげの人、バーデン Land Baden 国王代表。三番目、フライブルク大学  Universitat Freiburg 教授、となり、原来復博士(前列、右、三番目)が、1911年、ハイデルベルク大学 Heidelberg へ留学の29歳ごろ。


1)
日本で、新しい内閣が、はじまった。
先の小泉純一郎首相は、政治家の家系で、つぎの、安倍晋三首相もそうだという。

いま、1954年生まれとある、安倍晋三さんの、経歴をみると、わたしの、級友たちと、大学も、職場でも、2年下に、いらした方なのかと思った。

神戸製鋼勤務で、アラビア語ができる、級友に、1980年代、アラビアで、「鉄でなく、アルミを売っていた」と、聞いたとき、砂漠の商人、ランボー Arthur Rimbaud は、「地獄の季節」 Une Saison en Enfer を詠んだのだから、「石油は天国」 の詩でも、つくったら良かったのにと言うと、不機嫌そうに沈黙をする。

安倍晋三さんは、政治家の家系に生まれ、注意事が多かった、環境に育たれたはずである。
もう少し、世界も、日本も経済状態が良い、時期であり、新しい経済学理を、出せる学者がいたなら、まだまだ、表現する、言葉をもたれたのではないかと思ったりもする。

1960年安保のときの首相は、安倍晋三さんの母方の祖父、岸信介さんだった。
70年安保のときの首相は、安倍さんの大叔父佐藤栄作さんだった。

マスコミ人で、岸さんを知る人がいたらなら、岸信介さんは、育ての親が、干渉せず、異常に、気がつき言語表現が多く、平たい性格をもたれていた面を理解できるだろう。
一方、佐藤栄作さんは、両親が、甘やかしながら、命令形の言葉の多い環境に育ち、何も言わない親分肌の面が、わかるのではないか。

同じ、血を分けた、岸信介さん、佐藤栄作さんでも、まったく、正反対の、性格をしていたとも言える。が、両者とも、財力のある人物に、指示されると、その通り、動く、人形の性格をもたれていた。


2)
2007年9月下旬からは、福田康夫首相による内閣。
この福田康夫さんは、政治関係のまえ、「丸善石油」に、勤務しておられたという。

わたしの、中学の級友に「松本」君がいた。1966年、父の仕事が、丸善石油の専務だときいていた。

1972年とおもうが、夏休み、大阪の中ノ島図書館であったとき、進学先を、「(国立の薬学部を)休学し、医学部へ受験しなおします」という、ていねいな挨拶があった。
不況も、関係したと思い、わたしは、短い言葉で、体に無理がこないような、勉強をして欲しいとだけ言った。

転校生の、中学2年生で、同級になったとき、わたしも、松本君も、互いに、医学をこころざしながら、性の知識がまったくなく、サンタクロースを信じあっている、と言った仲だった。

彼は、非常に、真面目な性格をもっていた。
「ぼくの、イエに遊びに来て、アーチェリーをしよう」と言うので、級友と、いっしょに、行った。
松本君のイエは、1000坪単位で、門から、玄関まで、50メートルはあった。

わたしは、楽しく思ったが、いっしょの級友は、イエの広さに、おどろき、門から、玄関まで、2メートルほどの、後藤君のイエへ、遊びにゆくことにした。

3)
アメリカの大会社、「GM」が、だだでさえ、構造不況なのに、2006年、より大変となり、このままだと、日本の関連企業も、ドミノ現象となってしまう経済状況へ来た。

現在の、経済の原理だと、世界のトヨタも、やがて、「GM」などと、同じ、道をたどって、ゆくのだろうか。

京都の南、ニッサンがある、伏見区でも、21世紀をむかえるまえ、子会社ふくめ、リストラと、関連会社の人たちの40代の、自殺が、相次いだ。

1968年ごろ、日本では、500Wの、懐中電灯が、とても流行した。
1969年の「大文字の送り火」のまえ、フォーク歌手の、「高石ともや」さんだと、記憶するが、ラジオで、500Wの、懐中電灯を10人ぐらいで、大の上に、照らしたら「犬」になる。
大の間に照らしたら、「太」になる、大の周囲をぐるぐる廻すと、「大丸」になると言った。

わたしの同窓たち、京都組みを中心に、幼なじみを集め、東山の、「如意が岳」でして、町の人に叱られ、警察に追いかけられ、注意されたという。

次の年、1970年、兄と妹と、いっしょに、「大文字」でも、見に行こうと決めたのに、当日、「サインはV」という、バレーボールでの、活躍がテーマの、テレビ番組の最終回があった。

播州、宝殿中学でバレー部だった兄は、妹と、いっしょに見ている。
時間帯が、7時30分〜8時で、ちょうど、大文字の火が、ともされる時間だった。

わたしが、間に合わないというと、「このあいだ、堀場製作所へ、見学へ行ってきたとき、会社から見える」と言われたという。
わたしは、堀場製作所がわからず、「町の中にある、島津製作所と、似た会社?」と聞くと、「島津より、小さいけど、良く似た会社」と言う。

わたしは、素人参加、激励、努力風の、スポーツ娯楽テレビは、まったく、見ることができない。
8時になるから、兄に、早くというと、新型カリーナ、2ドア、ライン入りの、注文品だから、速いという。

旧、国道1号線は、片道一車線のアスファルトの、デコボコ道だった。

伏見区の淀に、簡易な金網で、真っ暗な、「京都製作所」の前を、すっとばし、ネギ畑だらけで、七条あたりを越え、京都駅から、五条あたりに近づくと、送り火のようなのが、見えるといい、
「この明るい通りは、どこ?」と見渡すと、四条から三条の河原町だった。

右折、直進すると、西側に、小さな、「大」が、クルマから、見えた。
「あれは、左大文字じゃないか?」と、わたしが言っても、兄は、わからない。

とにかく、何だか、わからないけど、「送り火」を、見たということなった。

1970年という時代は、クルマの中から、大文字の送り火が見えるぐらい、夜の暗さが、保たれたし、観光客も少なく、また、国道1号線は、クルマが、まったく、混んで、いなかった。

4)
先の、安倍晋三内閣での、出来事だが、8月下旬、インド訪問のときか、ご夫妻に、重なる疲労が、顔に、あらわれ、見えた。

同じ、疲労は、麻生太郎外務大臣にも見えた。
「とうさん(麻生太賀吉)。このままだと、会社も、日本も、倒産。何も無いから、何も言えない。こうなりゃ、昔、民社で資金がないから、浪曲風ゴマカシの、春日一幸と、一節太郎、節(ぶし)で、行くしかないか」と言う、表情になられていた。

麻生太郎さんの、お祖父さんは、宰相、吉田茂である。そして、大伯父に、日本にABO式血液型の知見をもたらせた、原来復博士へ、留学費すべてを出した、竹内明太郎(たけのうち・あきたろう)がいる。

竹内明太郎は、佐賀、芳谷炭坑、高島炭坑(三菱)を経営し、また、小松製作所、日産自動車の誕生の親である。


原来復博士は、東京帝国大学卒業後、市立駒込病院で、伝染病を研究された。
後、母の弟が、九州の薬学部の教授ということから、「芳谷炭坑病院長」へ赴任となり、竹内明太郎を、あらため、知り得、ドイツ留学となった。

第一次世界大戦の開始で、日本へ帰国、長野日赤病院長となり、信州、長野で、名士となったが、夜間でも、坂が多い山道で、「車力(しゃりき)」による、往診と、研究で疲れ、40歳で亡くなられた。

原来復博士の年収は、芳谷炭坑病院長のときで、いまの金で、おおよそ、一億円。
長野日赤病院長となり、年収が、一億円以上でも、ドイツ留学費など、とうてい、返せる額面ではなかった。
それで、原来復博士の父と、「佐久間象山」を友人の、娘の母と供に、東京から「竹内明太郎」へ、謝罪という形となり、受け入れられた。





5)
重大な問題だが、カスピ海の、アゼルバイジャンから、トルコへ、巨大なパイプラインが、昔に、建築された。
これにより、欧米の、経済状況が変化し、より変化してゆく。

これら、国家の、間に、トルコや世界の、ユダヤ商人より、辣腕の、アルメニア(人種学では、ユダヤ系で、指揮者カラヤンはこの血統)がある。

トルコにしろ、コーカサス地方にしろ、山岳地帯で、この中の民族でも、トルコの遊牧民、クルド族の、識字率は低い。欧米GHQの調査では、日本人の識字率は100%となっている。
欧米GHQが出した数値だから、確かなのだろう。


アメリカが、イラクにつぎ、「イラン」を、核を所有しようとする、脅威国であると言い、西はエジプト、シリア、東はインドおよび各国が、日本へ、石油消費のための、軍事支援を求めた。

大事なのは、この、地図の圏内の、人口をはじめ、欧米の人口である。
日本、朝鮮半島、中国大陸、インド大陸、東南アジアの諸列島と、一桁以上の、差がある。

国々の、政治家はじめ、時代の、先導者が、中国とインド大陸、合計30億人の、1億人以上が、クルマを所有し、ガソリンを燃焼させ、また、鉄道や、頑丈な建造物で、鉄筋の必要で、鉄鋼所での、熱の発生は大きく、このために、北極や南極の、氷が溶けるという事態となった。

日本は、1990年代から、不況で、21世紀になると、大不況となった。
そして、現在のような、石油の消費の仕方をすると、より、不況になってゆく。

地方だけでなく、都会も大不況、国会の中も、大不況によるイジメだらけで、首相はじめ、国会議員が、病気や、自殺する時代、金が必要な選挙だの、解散総選挙などと、言っている。

与党の自民党、野党の民主党などが、改革と、いろいろ主張しても、政治事に、清い献金をしてきた人たちに、改革案のまえの、気力も金銭力が、とっくに、なくなり、いったい、どうすれば、いいのか。

6)
政党は、政治家および町の人たちを、拘束するものが弱ければ、さまざまあって、良いと思い、3年や5年といった時期がくれば、政権は、変わって、とうぜんだと思う。

が、現在も、アメリカの植民地のような、日本では、江戸時代、皇族はじめ、御三家に、親藩、外様との、血の交換で、皆、血縁となり、「沈黙」の文化が、つづいている。
他所の国に、できる事が、まったく、不可能なのである。

1970年ごろ、壁が、ボロボロの、京都、御苑の中にある、構造を、地方からの出身者にしようとした。
いまは知らないが、とうじ、1960年代の、東京、都営住宅、警官住宅、2DKの、半分の大きさの、住居が、かなりあった。
この、貧しさ、ひそめ、つつましやかに、生きる姿勢には、だれも、関心を寄せなかった。

制度というのは、形作ると、壊すのが難しく、また、この制度から、抜け出すのも、難しい。

これらを新たに、構築しようとするとき、わがままで、嘘が多い人が、多くでてくると、善意が、すべて、壊れてしまう。

社会の表面だけみると、日本は、治安にすぐれ、金があり、おだやかな国家として、うつるのだろう。


日本の地方の不況を、京都でいうと、京都のばあい、1967、68年ごろからの、造船不況につづく、西陣不況。

1972年。1973年は、決定的なオイルショックで、これが、ずっと、長引き、2007年の、いまだ、つづいていると言っても、過言ではない。

欧米GHQに教育され、稲作文化の放棄を、指導された、日本の経済は、非常に弱い。

京都のばあい、家族3人から5人が、年中、働いて、ようやく、500万円、1000万円と言った、収益がある町である。東京や大阪の、30歳ぐらいの、会社員、ひとり分が、京都の経済状態である。

この小さな経済の町に、「トーキョー・シホン(東京資本=外国資本)」が、入り込み、京都を、つぶしてしまった。と、つつましく生きてきた、京都の実業家たちが、2002年、教えてくれた。

本来、京都のばあい、京都で、品物を、生産し、質素が通常と、知る、京都人が京都人に、注文をかけるのが、仕来り(しきたり、=規律)となっていた。

7)
1990年代、京都の、アンティークといった建物でなく、ただ、壊れかけと言える、印刷工場、「大日本印刷」が大不況に入った。
太秦(うずまさ)周辺の、大日本印刷の下請けとなる、より小さな、印刷工場のひとたちは、リストラの連続で、病気や、自殺してゆく、大人が急増した。

太秦周辺は、映画の町でもあり、役者さんたちが、生活する町でもある。
大日本印刷などで、日雇いの、アルバイトをする町でもある。

静かな社員が多い、「大日本印刷」は、わたしは、1973年、工場見学へ行った。
2004年ゆくと、1973年のままの、ガラス格子が見え、おどろいた。

この大日本印刷が、一見モダンで、派手に見える、書店の「丸善」を買い取った。と、ニュースが出たとき、丸善をはじめとする、日本の書店に勤務する、人たちの、少ない給料を知る、わたしとしては、日本の書店に方向性、将来は、どうなるのだろうかと思った。

丸善のばあい、昔は、国立大学、私立大学への、外商の権利が、あった。
また、大学教員が、大学からの予算による、出版が、営業維持につながり、ふつうの書店より、安楽な、身分といえば、言えた。

しかし、マスコミはどうなのだろうか。じっさいに、1980年代中ごろに、正しい経済活動による、豊かさなど、なかったのに、あったかのように、マスコミは、喧伝した。
不正だらけの、日本の、マスコミが、とくに政治家の不正だけ、重点視して、言うのは、おかしくないのか。

いっそ、「貴族院」でも、復活させ、成功した実業家に、政治家になって、もらわないかぎり、ねだる自称、善良な市民に、囲まれた政治家へ、よりよい言動を求めることは、無理である。

8)
現在の、重要事項、いま、世界経済での、問題は、「石油」である。

100年まえは、ほとんど、生活と、関係がなかった物質である。

アメリカの The 40th President 大統領が、レーガン R .W. Reagan となったとき、どれぐらいの演出ができる、頭脳が舞台裏に、隠れて、いるのだろうかと思った。

つぎには、この繊細な人に、政治ができるのだろうか、と思わせた、ブッシュ George H. W. Bush 、the 41th 大統領がなった。
ブッシュは、しだいにタカ派となり、景気のため、戦争ゲームをしかける役目となった。

クリントン W.J. Clinton the 42th は、不況下の日本を、アジアを、大不況下にして、アメリカに好景気とやらをもたらしたすごい人だ。

クリントンによる、The 42 Round  World  Economic Championship により、日本の、地方は、立ち上がれないほど、弱り、過疎につぐ、過疎状態になった。

日本での、地方の過疎状態は、NY や 東京といった、国際都市で、成功をおさめないと、故郷へ、帰れない社会の環境にもよる。


この、クリントンにつぎ、ブッシュの、子息の G.W. Bush the 43th 大統領は、上院(upper house)に、批難されながらも、まだ、つづけている。

日本の、安倍晋三内閣が、先に潰れ、アメリカの大統領の健在が、可能なのは、アメリカに、不況を切り抜ける方法がないという見方ができる。

しかし、自民党に、形式上、反する、「民主党」が、いま、政権をとっても、両方とも、人材、財政ともに、足らないのが実情だろう。


9)
これまで、欧米が、不況とやらを、乗り越える、手段は、軍需製品に、石油をつかう戦争だった。

大昔は、昔の名前で、京都は「忍(しのぶ)」、神戸は「渚(なぎさ)」などが、決まりだった。
しかし、輸出促進課とか、経済流通課とか、海外コミュニティ部門とかになり、とうとう、「武器製造」と、実名を言い出した。

このような会社に勤務する、知己たちは、子供たちに、「職場」を、どう言うのか、と思う。
が、「武器」に対しても、「核」の前では、まったく、使えない時代へ、入ってしまった。

そのための、戦争ゴッコはいいけれど、何も知らず、アラビア圏内の、死にゆく、子供へ、どのように、弁明するのか。欧米人にとって、聖書は、手を置く、ものなのか。

帝政ロシアは、スターリンにはじまり、シェワルナゼは、「グルジア」出身と明言しているが、ゴルバチョフにしろ、ロシアの主導者は、過去一度として、社会主義が実地されなかった、資本主義圏以上に、資本主義の、コーカサス地域出身である。
この地域は、先進国とやらでは、世界で一番、「O遺伝子」が多いところである。
音楽の構造では、低音が、中心となる。


かんじんの石油だが、良い石油産地の、アゼルバイジャンから、トルコへ、数々の石油のパイプラインがつくられた。
世界の中で、「A遺伝子」が多い、トルコなどの富裕層はいい。
しかし、出稼ぎに、「A遺伝子」が多い、フランス、ドイツ圏内へ行った、トルコ人たちは、この不況下、どうすれば良いのか。

この京都昨今、『59』での、「ABO遺伝子頻度分布地図」で見るとわかるが、「A遺伝子」高頻度地域は、西洋と日本であり、15〜21世紀にかけての、侵略国家の縮図とも言える。

西洋音楽の歴史では、「A遺伝子」高頻度都市での、旋律は、高音が中心の、音楽作品が遺産として残っている。

これらは、さまざな、音楽をもつ、トルコも言え、音楽研究家により、トルコは、10区分されているが、遺伝子頻度と合う。

10)
アメリカ、イギリスが中心となった、石油経済ではなくなり、この、「あまり」をもらってきた、日本も、先の見通しなど、まったく、なくなった。

人間は、「衣・食・住」と言い、江戸時代はじめ、昭和時代も、1960年代中ごろまで、貸し屋に住むのが、ふつうだった。
20〜30数坪の「大邸宅」とやらを、ローンで、買い、動く自由が、まったく、なくなってしまった。これは、日本だけの政策かと思ったら、アメリカに、イギリスも行い、借りた側の、不況による、不払いで、大変な情況となった。

1920年代の「シカゴ学派」の学習は、どうなってるのかと思ったが、アメリカやイギリスは、「紙」にかかれた「株」だけが、優先し、忍耐強い、思考を必要とする、「大学」や「経済学部」などは、とっくに、崩壊したのだろう。

言葉による、悪い、ゴマカシは、「坪」でゆけば、まだ、わたしにも、わかるのに、「平米(u)」を使ってくれるので、30坪が、100uとなり、なんだか、大きくて、金持ちじゃないか、地面が見える杉板作りのイエより、セメントの塊のマンションという呼称に住むと、豊かに思う、日本となった。

これは、1970年安保反対運動で、大学という、文化の場所が解体し、考える、学問の場所を無くさせた、とうじの文部省当局が、悪いとも言えるが、すべて、GHQアメリカの仕業である。

わたしの論文を持ったまま、アフリカへ行った、富山大学の、和崎洋一さんは、辞書作りとかで、3000万円、文部省から、もらって、喜んでいたというが、同じような事は、文部省から、1970年代後半、3000万円もらい、音声を計測する機械を買った、柿木吾郎さんがいる。
わたしが、出典を聞いても、書簡を出しても、返事がなかった、柿木吾郎さんは、いま、どこですか?と吉川英史先生に尋ねると、「柿木君は、機械を使わず、上越教育大学へ」と、1982年、嘆かれていたが。

11)
わたしが、病中で、界面論の問題を解こうとしているとき、父方が、加賀藩前田、母方が島津藩という、新日本石油の、前田博司さん、元勤務の前田文子さんは、わたしと、まったく、関係がないのに、2001年、親子で、大阪の遊園地へ来た。
わたしのイエからは、2時間近くかかる、ところである。

体調が悪いと言っても、鹿児島よりは、近いだろうと言い、年齢から、生きてゆく方向すら、ちがうのに、わたしを、「おい、マツダ、マツダ、YZさんと、ボボやった事言うよ」と言い、来いと、命令をする。

「おい、マツダ、オレの、子供の手を、見てやってくれ」と言う。わたしは、占い師のようだ。

それで、上の子は、1984年、「結婚相手が欲しい」と言い、わたしのマンションを一ヶ月以上使い、その後は、加納さんを、4年間ストーカーしたと告白し、恩師の、片山寿昭 さんへ、結婚式に、「新島会館を使いたいから、マツダ、連絡方法」とわたしに言った、片山寿昭ゼミの、杉浦君たちに似て、親に甘えながら、親に反抗し、自由を求めるというと、「そうか、そうなのだ。困った、なあ、文子」と妻へ言う。

学校の級友に苛められるという、下の子は「父親、そっくりだ」と言ったら、「そうなのか、それで、困るが、鹿児島県立図書館で借りてきた、日本語訳をされていない、絵本、どうだ?」と、関係のない、話をもちだす。

いい加減にしろという電話をかけようとしたら、子供とやらが、「マツダさん、久しぶりです」だから、すごい。
どのような、説明をしているのかと聞いたら、「友達」だそうだ。すると、子供も、わたしの知己になる。

わたしには、父方の、血縁は、学問の邪魔とおもい、いっさい、声をかけてこない。京都で、会う、わたしの親友たちも、わたしの名前を呼ばない。そこを、前田博司さんは、利用した。

この、京都昨今、『57』の、桑名での、葬儀の、わたしの隣は、飛び級で、日本女子大付属中学から、大学である。原来復博士の奥様も、令嬢たちも、桑名での、葬儀の、写真にない、イトコもそうである。

前田博司さんの、論法でゆくと、皆、友達となる。わたしが、他の石油会社の社長と、話をしていると、もう興奮して、友達だそうである。

新日本石油の、渡文明さん、西尾進路さん。また、この、グループにいる、鹿児島、喜入、常駐だったと、聞いた、杉山暎一さん、どのように責任を取られる? 
貴殿たちの会社勤務、前田博司さんは、27年だ。どういう、社風なのか問いたい。

『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』「急いで口で吸え!」は、スネークマンショーだが、新日本石油は、「殺すのは好き、ソープの国、宮崎で、急いで、ボボを吸え!」が社是なのか。


12)
電気、機械、建設工業もだが、学問での、成功など、ほとんど、可能性がなく、自由にさせておくべきものなのに、あたかも、在るかのようにした、新しい学問のような振りをした、人類学、心理学、人間科学、医学、薬学なども悪い。

「人類学」など、先住民、土着民たちの、生活用品の寄せ集めの、30年ぐらいまえ、日本のどこにでも居た、農家の、お爺ちゃん、お婆ちゃんの、「お話」 Folklore に過ぎない。

それなのに、「京大式カード」という、場所をとるだけで、何の学理の発想がない、梅棹忠夫さんとやらが、国の、大きな建物の、大きな部屋に、鎮座(ちんざ)しているのが、日本である。

大昔は、財閥の子、昔は、「西陣の書店の子で、京大へ、赤いヤッケを、着て通った」と、ご自身で言い、また、エッセイで書かれていた。
わたしは、同志社大学の山田忠男先生に、「梅棹君ところが、本屋。ちがいます」と注意された。

この後、京都の級友が、次々、「オレの、お爺ちゃんに聞いて見るわ」といい、いまで言う、「CCC、ツタヤのアダルトコーナーだけの店」「風俗店案内屋さん」とか、言ってくれ、わたしの頭は混乱した。

梅棹忠夫さん、文化人類学、民族学が専攻というのならば、両、祖父母、四家系を調査できて当然ではないか、ご自身の、故郷の習俗、言語を取材、調査されて、当然ではないのか。故郷が、なつかしくないのか。
なぜ、20代の、わたしの心身を、傷つける事柄を、言えたのだ。

13)
「日本心理学会」の会長をされた、松山義則さん、心理学 Psychology など、アメリカの、ワトソン J.B.Watson が、実験室で、愛人をつかい、「実験SEX」と、妻に弁解したとき、終わっている学問で、ないか。

ワトソン J.B.Watson の頭が、もっと良く、妻に、「何をしているの!?」と言われたとき、「最高-じゃんPsychoo-gian」 、ぼくの学問、サイコロ博打(ばくち)で、「ぼく、サイコロジャン Psychologian 」と言って、いれば、皆、正直だと思い、男女とも、皆で、つぎは、京都名物、今西錦司さんの、男子同士のチンチン電車とか、いろいろ、実験しようと思い、まだ、続いていた学問かも知れない。


同志社の松山義則さん、まだ、健在であるなら、貴殿が、就任していた、大学の、心理学科を、「サイコージャン科」Psychoo-gian へ、変更する、正しい心を、持つべきではないか。
セクハラ浜治世さん、野辺地正之さんたちが好きな、「サイコーSEX、運動研究部」でも、松山、浜治世、国際カラーがでて良いと思う。

14)
松山義則さん。1970年代、あなたは、混乱する大学での、学長の役割をしなかった。
また、心理学を発展させず、セクハラ、浜治世さんの同僚で、わたしには、理解できない、学問をされた、同志社大学の松山さん。


いま、世界は、民族の、交流で、ペスト pest に、赤痢 shigellosis は、もちろんだが、サル類からの伝染のエボラ Ebola hemorrhagic fever に、クリミア・コンゴ CCHF、ライム病 Lymedisease 、デング熱 denguefever 、ブルセラ brucellosis などの感染症に、かかる、率が、非常に、強くなっている。

日本人の、肌は、ヒフは、極めて、薄い構造で、弱い。
熱帯地方の人たちは、ヒフの体細胞が、複雑に、複数で組織され、まったくちがう、と言っていい。気候、風土の条件がちがいすぎるのだ。

世界の人たちとの、親善交流はいいが、弱い人は、会話による唾液、握手での汗からでも、口腔、胃、小腸、大腸など、出血性の感染症に、罹患してしまうと、言ったほうが、良い時代になったのだろう。

日本の、先の、内閣府の閣僚たちが、外国へゆき、感染して、人類学は、心理学は、どのような役割を、果たしたのだろうか。


わたしの、1977年、論文、P16〜18には、遺伝子と伝染病、遺伝子頻度による、文化変化の、事柄が書いてある。コピーが簡単でない時代、時間をせかされると、わたしは、ペン字による、生原稿のまま、渡した。
これを、松山義則さん、あなたの、同僚、川島秀一さんが持って逃げたのだ。

なぜ、そういった、卑劣な事をするのかと訊くと、「マツダ君、君がいると、学生が、皆、君のゼミへゆく」と川島秀一さんは、吉田謙二さんと、同様のことをいった。

また、わたしの活字論文は、川島秀一、吉田謙二、工藤和男さんが所持している。
科学哲学、学問、人間の良心に、無縁のかれらには、関係がない、以前の読解が、無理なのだろうが。

工藤和男さん。わたしは、川島、片山さんを知らない、山田忠男先生に、「クドウ君という人、まつだ君の論文が、読めるのですか」と聞かれた。

わたしは、まったく、読めていない、なにしろ、社会科学の構造すら、分かっていないと知っていたが、工藤さんが、「ぼくが、同志社なんか残るの、夢のようだ」という言葉があったので、「読めますね、就職、お願いします」と言った。




学問とは、科学をしてゆき、それらが「成り立ちゆく」とは、どのような、行為を、指し、わたしたちが知る、「様相」となって現れてくるのだろうか。
その様相の、一端だが、下に、日本人へ、ABO式、血液型の知見をもたらした、原来復博士の息子さん、信州大学教授をされていた、専攻が化学の原信さんからの、便りがある。
原信さんが、ひかえめで、学問を知られ、学問へ誠実な方だったため、このような、書簡で、あらわれた。



▼原来復博士が、ドイツから、日本へ持ち帰った、レコードのこと。作曲家 マイヤベーア Meyerbeer (1791-1864)はユダヤ系ドイツ人で、オペラの作品で知られ、同じく、オペラの作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ Giuseppe Verdi などがあると、昔の、タイプライターで、知らせてくださった、原来復博士の子息、化学専攻の、信州大学教授の原信さんからの、書簡。1994〜95年。

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「京都昨今きょうとさっこん」松田薫2007-09-28