京都昨今
52、正しさの在る道標の方向     「回天」  NHKX

1)
上は、2007年5月22日、午後2時30分ごろ、京阪電車で、国会での質疑、回答である。安部晋三・首相と、伊吹文明・文部科学大臣である。

中央は、いまの、河野洋平・衆議院議長が、1970年代中ごろ、「新自由クラブ」を結成し、演説をされていた場所。
旧、国道1号の、「くずはの駅」ホームの、前からの、同じ、22日、夜11時ごろ、上弦の月である。

去年までは、テレビカーの放送での、言葉が聞こえた。が、2007年に入り、京阪電車の特急名物、テレビカーも静けさを求める、乗客のためか、声が聞こえない。「教育再生会議」のようだ。

わたしは、人類学での、人の全体の動き、顔、眼、首、手、脚の動作の調査、観察は、もうすぐ40年になる。非常に長いともいえる。

そのため、誰が、何の事を、話しているか、「演技」か、「実際」かは、だいたい、わかる。
大臣たちが、疲れきって、いるようにみえる。


現在の、アメリカ合衆国では、解決できない事は、April 27, 2007、「ロイター」REUTERS の、「日米首脳」の写真でわかる。

先行きが、各、国家や、「思想」の在り方の、関係とか、ではなしに、他の生物、動物にも、生きる選択権があると思ったのだろうか。

従来の、腸チフス、パラチフス、コレラ、赤痢、結核、破傷風、肝炎など、のほか、新しい病気が発生してくる。

科学者は、牛に、鳥インフルエンザ、エイズなど、それらの病原の追究、Investigation of the sick cause and agent をしている。

文化の発展とやらで、国家がちがう民族たちが交叉し、風土病 Endemic disease が、さまざまな、「極相」を、示すようになった。


文化の先端、「NY」、などの、大都市では、動くのが、自由な動物、「鹿ダニ」などが、原因といわれる、「ライム病」、飛ぶことが自由な、渡り鳥はじめ、「鳥」による、病気など、細菌や、ウィルスによるものが、異常発生しだした。


「はしか」への、「ポリオ」への、「BCG」へのワクチンなど、親子とも、皆、大変な状態である。
不安がまし、これで、より、疲れが、ましてゆくようだ。

難病つづきだった、わたしには、世情が、学校が、ワクチンをするというたび、主治医の、姫路日赤病院長の「山本又一」先生(京都帝大)、済世会中津の浜本芳雄先生(京都帝大)。
1930年代の、小児科の論文に、お二人方の、大学での先輩、浜本英次先生(京都帝大)によるものがあった。

浜本英次先生は、大阪市の靱公園(うつぼこうえん)で、開業された。
1950年代、60年代とも、わたしへの答えは、「しなくてもいいです」「様子を見ましょう」だった。

ワクチンの、原価は、数円から100円ぐらいである。
病院でしてもらうと、それぞれ、数千円かかる。家庭、人々は、金銭へも不安がつづく。

このままでは、「地球の崩壊」、しかないと、ようやく、その界面の、一片を、あらわしたのが、ここまで、演出、しなくてもいいのにと、思った。

2)
「アメリカ合衆国」をはじめ、機械文明による、武器をもった、侵略国家、「西欧」はじめ、世界中の、良識を、多少もった、国々の、指導者が、これまでの、「戦闘」による、敵国とする、国家や民族の在り方では、もう、文化はつづかないと、「文化の在り方」、を反省、しだしたようにみえる。

平成元年となった、1989年の、昭和天皇が、「大喪の礼」のとき、欧米マスコミで、「唯一」、日本人の心の在り方を、理解した国があった。
とうじの、欧米、それぞれの、新聞の写真をみればわかる。

江戸時代から、明治へかけて、日本は、悪い、欧米資本に、振りまわされた。

昭和天皇の、印は。「若竹(わかたけ)」である。
「印」という、形相は、指導者による、複雑、混乱した、時勢を、一歩でも、やわらげ、たい、と言う、「祈念」がある。

この、先の天皇からの、「印」で、日本の、今、新しい、「町名」を、たしかめてゆく、行為が必要である。

日本の国章は「菊」、内閣府は「五七桐花紋菊」。
アメリカの国章は、「ワシ」で、足の左には、オリーブの葉、右には矢である。


各国の生きてゆく、姿勢の象徴は、国家や民族、家族の、紋、印でわかる。

わたしのイエでは、父方が「左が上、丸に、違いの、鷹の羽根」、母方は「中輪の、蔦」である。

3)
市民を、まもろうとされた、警察官たちが、「死者」となられ、逝(ゆ)き、居(い)る、事件がつづく。

警視庁、板橋署、管内の、正しい、おまわりさん、宮本邦彦(53)警察官が、なくなられた。

2007年2月のこの事件を、わたしは、病中で、知らなかった。


東武東上線「ときわ台」駅で、女性を助けるため、ホーム下の待機場所へ、連れ込み、電車に当たり、命を失われた、警察官の、事故を、まったく、知らなかった。
正義を知る、尊い、警察官をなくしてはいけない。

NHKで、板橋区か足立区か、住まいの、お偉い佐野洋子女史は、失礼の度をこえ、わたしに、
「なぜ、物価の高い、世田谷に住んでいるんですか!?」と聞いた。

わたしは、「わたしのような、右でも、左でもなく、国民保健ももたない、自由な人間に、貸してくれるのは、小田急沿線、東急東横線といった、物価の高い所、しかないです」と、答えた。
そして、同席のNHKでの仕事をする、脚本家の女史に、あなたはどうでしょうかと尋ねると、「同じです」と返事してくださった。


正しさを知った警察官の、事故、事件の防止(界面=結界)のため、わたしは、交番を、困った、子供でもゆける、明るい、有楽町や、渋谷の建築様式だけでなく、正義の象徴のような、レンガ造りの、古典形式を、加えたものにして欲しいと、このような事件があったとき、偶然あったりする、知己の、「本庁」の警察官へ、言った。


やりきれない、感情がおさまらないとき、2007年5月17日、愛知県で、「元・暴力団員、元・妻の女性を人質、たてこもり事件」がおきたという。

5月17日、午後3時45分、容疑者からの、銃弾が、犯行の近い、長久手・交番から駆けつけた、「木本明史」警察官(54)の、「右肩」にあたり、重傷状態という。

警官、救出へ、向かったのは、午後9時23分という。

この、「3時間38分」という、信じられない、長い時間は、どうしておきたのだろうか。
警官救出のため、警察官、機動隊「170人」態勢が、「盾」をかまえ、「2列縦隊」で、進行したという。


容疑者の、叫びと、「1発」の銃声で、「編隊」が大きく乱れたという。

これによって、正義と、敏捷性を、「心身」にもつ、青年、将来を、まかせたい、警察官が、亡くなられた。

愛知は、「一宮署」をはじめ、2005年4月から、機動隊、県警の特殊部隊(SAT)の、隊員とのことだ。

警察勤務6年目の、県警機動隊の「林一歩(かずほ)」警察官(23)は、「左胸」を撃たれ、18日未明、死亡されたという。

死者となられたのは、銃弾により、「防弾チョッキ、その上から、『左』、鎖骨を、撃たれたから」だという。林一歩警察官は、「一宮」の、勤務のとき、知り合った女性(24)と結婚され、2006年7月に、子供が、誕生されたとある。

林一歩警察官(23歳)、奥様(24歳)、お子様は、まだ、生後、「10ヶ月」ほどではないか。

奥様も、お二人の、ご両親の、悲しみは、計り知れない。

将来、お子様に、「お父さんは、なぜ死んだの?」と、尋ねられたとき、どう、返事すれば、いいのだろうか。

物のはじめ、「一」を知る、林一歩、警察官は、「一般教養」や「逮捕術」をまなぶ、警察学校時代、同期「124人」の中でトップの成績を収め、「いっぽ君」との愛称で、上司たち、同僚たちにも、好まれた性格と、新聞に、ある。

「有効・飛距離」、800mは確実にある、「ライフル銃」所持可能な、SAT隊員が、現場で死亡したのは初めてという。信じられないことだ。

防弾チョッキは、有効飛距離が、50mと、軍用拳銃、「トカレフ」にも対応という。

長時間後、大阪府警の「SAT」が、出動し、容疑者逮捕となった、とのことだ。

先鋭部隊の、青年の、死に、「防弾チョッキの構造」を知っている、わたしは、父が奉公した会社の、子会社「竹中工務店」が、「ステンレス」などの、金属の、「水糊状での接着」の、特許、技術を、早くから、また1980代に新たに、持っていると、知っていた。

それで、情況に応じた、組み立て式の、「防弾チョッキ」が出きればと思い、金属類も専門の父に、質問しようと思ったら、母が、父が、倒れた、状態だという。
それで、実家へ、もどる用意をした。

4)
アルフレッド・ノーベル Alfred Nobel のダイナマイトは、北欧という、自然の厳しいところから、過去、学問の、正しさ、それへ「あこがれ」をもち、「都」へ、あこがれた学者たちへの、抗議の意味がある。

北欧から、文化の都、ベルリン、パリ、ロンドンへ、学問のためと、「進学」しても、ドイツ、フランス、イギリスの、悪しき、学者たちに、発見や法則を、取られてつづけたという、歴史への、反撃とも、とれるので、「△」とする。

年代別での、時系列を追う。

アインシュタインの、「物理、よいしょ。撹乱、バラバラ、ええかげん」、「ぼくは、嘘つきだから、舌を、出しているの、信じるのが、バカなのよ」の相対性理論は、「×」。

湯川秀樹の、「あいのこ」ではないか、中間子論「×」。
朝永振一郎の、「おくりこみ」、ではない、繰り込み理論「×」となる。

もちろん、湯川、朝永さん連中を、これは正しい、予測発見だとし、支持した、日本や、欧米の連中は「×」である。

わたしは、正しい、物理学者、「武谷三男(たけたに・みつお)」先生の、著作は、封印状態にし、保存してある。

湯川秀樹さんのは、一冊もない。

湯川秀樹さんを、決定的に「×」と、できたのは、兄にあたる、京大・初代人文研所長の貝塚茂樹さん、専門の『論語』など、中国思想解釈に、疑問をもったからである。
重要な指摘が、必要なのに、まったく欠落している、

わたし、一人では、再検討する、時間も頭脳も、足りないので、友人たちに、してもらった。
友人たちは、サルトルと共に、正しい、女性解放を言明された、ボーヴォワール Simone de Beauvoir を、3年、4年がかりで読んでいたが、中国思想へと、変えてもらった。

東大の、正しい、科学哲学者、大森荘蔵先生へ、これを、言ったとき、大森先生は、堪えられず、涙を浮かべて、下さった。

5)
1982年、「情勢」破壊、日本なんか、三度目の、原爆で、被災すればいい、ではないか、自称、社会学者という、日高六郎さんという人は、「くずは図書館」での講演で、
「フランス人は、いまでも、ドイツが攻めてきたら、斧で持って、戦うと言っています。日本人には、これがない」と言った。

それで、後方の、隅の隅の隅にいた、わたしは、フランスと、ドイツとの戦いは、「近親憎悪」です。
兄弟どうし、親子同士でも争う、これが、争いごとの好きな、タイプの人間の正体です。

東南アジアの、一つの国から、来られた、あなたの国が、明確たる、独立ができない理由を述べることができますかと言った。
そうしたら、東南アジアの、一つの国から、こられた、女性が、急に、泣き出した。

枚方市役所の、図書館関係の、偉いさんとやらが、
「そういった、難癖をつけるのは、君、君が、日高さんを知らないからだ、君」と言った。

それで、わたしは、「日高さん、わたしです」と、立ち上がった。
日高六郎さん、あなたは、脅えられた。


日高六郎さん、あなたたちには、いつも正直さ、フランス人が、言明する、エスプリ esprit がない。

せめて、「♪ おお、ブル、ブル、ブレネリ」と、スイス民謡に、翻訳をされた方の、日本語の歌を、舌を出して、うたい踊る、余裕をもっていらしたら、わたしは、ほほえんだ。

「♪ おお、ブレネリ、あなたの〜」の唄は、国境をこえ、法律を犯すものへ、「正義」のためなら、わたしは羊飼いだから、羊のためなら、「戦うわよ」という、象徴を、あらわすものである。

これと同じ意味合いのは、わたしの、遠い遠い遠い、はるか遠い、血縁になるのか、日本人女性と結婚され、平和を祈念した、「ジョン・レノン」が、カバーした、「スタンド・バイ・ミー」Stand by Meにある。

「Stand by Me」 だが、これは、道徳はじめ、法律をまもらない、悪党に対し、わたしが、先頭にたち、戦うから、皆、心身いっしょに、準備して、という意味である。


わたしが、「姫路城」名物、子供用の、金属製の刀をもって、上がり框(かまち)から、おもちゃの、刀をふり、飛んで、叫んだ言葉は、「秀吉、許さん!」であった。それで、大怪我をした。

「血(教えなくても、知る事柄)が、出た」、これは、血統の、播州はじめ、山陽道はじめ、子供たちに、響いたら、GHQ連合軍支配の、日本の町や村が、大変だと、販売禁止となった。

6)
元祖、日本の、日の丸、「庶民・錯覚・旗振り」、「水沢」の、大風呂敷と言われた、「後藤新平(ごとう しんぺい)」さんの、孫とかの、風俗評論家の、「鶴見俊輔」さんとやらもそうだ。
氾濫する、北上川の、階段工、土塁工、「橋梁」の設計に、祖父たちは行った。

多くの旧皇族家、徳川、松平の、血統の、犠牲なしに、なにかできたのか。

鶴見俊輔さんとやら。
あなたが、過去に、在職した、「どうしたら」ではないか、同志社大学とやらも含め。

鶴見俊輔さん、あなた方の、姿勢のため、福井県で、「足羽山」にある、近江出身とある、「継体天皇」の由緒も知らず、また、越前海岸はじめ、伊勢など、所属社会での、弱い立場も、理解せず、奇妙な輩が、叫んでいる。

男子より、寒さに耐え、潜水時間が、長い女性、「わが妻の、命綱を、手加減で、相互が、信じあう」尊い文化のある土地も、「千羽鶴」の意味もわからない、輩が、「ジェンダー論」とかを、わめいている。


福井は、丹生(朱)。「越の国」、「越=壱」の国である。
「気比神宮(けひじんぐう)」の、旧社格は、「官幣大社」である。

富士山、立山と、同じ、日本の「選定、三の山」、加賀の国、「一宮」がある、白山、その、菊理媛神「白山比盗_社」における、「刀vの意味は、だれもが字でわかるだろう。
また、越の国、勝山は、「平泉寺白山神社」(へいせん・じ・はくさん・じんじゃ)も、「一」、である。

「一」とは何か、日本には、白鷺城など、「白」の形相、カラス城など、「墨色、一の文化」への、理解がない。

7)
また、東大の「赤門(朱)」の意味に、歴史や、同志社大学の、設立の意味も、わからないものが、東大や同志社に、潜伏している。


香具師(い・やし)ではないか、癒しの浅野健一さんとやらの、フェスタと、ゼミに、「祖父江孝男」となったとき、この人物だけは、同志社へ入れないでくれとの、丁寧な、言葉を、送った。
しかし、「人権」と、学問の、精神を、知らない、浅野健一さんとやらは、わたしへの返事がなかった。
また、奇妙なゲストをつぎつぎ呼んだ。

さらに、悪業を重ねるのか、越後の、廻船問屋の息子に、恩恵をうけたと、言っている、霍見芳浩(つるみ・よしひろ)さんとやらを、ゲストに、呼んでいる。

小泉純一郎首相が、ブッシュ大統領と、マスコミのまえで、歌った、ラブミーテンダーで、小泉さんの発音が「R」になっていたという。小泉さんの、発音は、「L」だ。

また、大国、アメリカ大統領、ブッシュさんが、ハーバード大の学生のとき、なっていなかったという。

この霍見芳浩さんは、ハーバード大での、正義を学ぼうとする、常識がわかっていないのか。
ハーバードでの常識は、「東洋人、まず、日本人のを受講すると、子音が、まったくできていないので、書き取りに困る。また、中国人のは、文法がなっていないので、受講するな。インド人のは、まったく、文法も発音も、ききとれないので、止めておけ」である。


この、「悪しき、越後の息子」で、悪しき、アメリカ人に「洗脳」されてきた、カルト、「高橋誠一郎」(1884- 1982)とやらは、GHQ連合軍のおかげで、文部省の、お偉方になれた。

おかげで、まじめに、東京大学など、難関な大学へ、進学し、とくに神経が過敏、感受性が豊かなものが、1960年、70年安保闘争で、犠牲となり、これからは「実力の時代だ」といわれ、自主退学し、やはり「学歴がすべて」という社会の、犠牲となった。


「言わずもがな」の、徳川家、松平家、また、日本は、親藩および、「外様」に、境界といった、「差」がない。
欧米列強は、この、「争わない文化形態」を所持しているのに気づいた。

参勤交代というのは、国家を維持する人々、「殿様」はじめ、「重臣(殿様と血族)」の言葉を、互いに通じるものにさせる、制度だった。

言葉が、つうじなくて、なぜ、文化を維持できるのか。
反乱がおきたのは、無法者に、アメリカからの、金を、与えた連中が、いたからだ。

連合軍GHQの、日本への、戦後の「教育、答申」は、まず、ドイツの学問を選択する、東大、京大など、優秀な頭脳をもつ人物が育つ、「旧帝大」を、破壊すること。

8)
古代からの教え、「水稲文化の稲」を、校章とし、刻苦勉励し、実力で社会へ、正しい意見を言おうとする、「早稲田大学」を、全滅させることだった。

「名こそかはれ 江戸の裏白(うらじお) 京の歯朶(しだ)」 「正岡子規」をしる、正義の人、田辺尚雄先生は、東京帝大で物理を、選考し、とちゅう、日本思想の、根本構造、「裏と表」に気づかれ、父親に勘当されながら、「日本音楽」を専攻された。そのため、在野へ降り、悪党、「高橋誠一郎」と、戦った。

吉川英史先生も、在野へ降り、高橋誠一郎と戦った。

また、山田忠男、理学博士も、「自然学(植物)」を、大学で、講義されながら、これでは、ダメと気づかれ、京都府教育委員長へと「化身」され、15年間もの京大で研究、在籍ながら、府立医科大で、「医学博士」となり、高橋誠一郎と戦った。

高橋誠一郎さんとやらは、明治44年(1911)5月に、お船で、ゆっくり、ヨーロッパへ留学し、大正元年(1912)9月帰国された。

なにしろ、一年以内に、西欧にある、おおくの学問を、完全マスターしたという、お方だ。
趣味は、いろいろな、「浮世絵」蒐集に、いろいろな物の、鑑賞。

その中には、「東海道五十三次」もあったそうだ。

敗戦後すぐ、連合軍GHQの力で、「文部大臣」となり、教育基本法に、学校教育法公布の地位についた。

また、慶応大学長になれた、高橋誠一郎さんは、東海道五十三次の、ふつうでは、縁起が悪いとされる、四十二番目の「宿」の、記号を、ご存知だったのだろうか。なぜ、「五十三」なのだ。
また、日本が、一番重要視した、「山陽道」の意味も。

「瀬戸内海」とは、どういう意味を、所持する。


山陽道で、一番、重要なところは、どこなのか。
「播州」に「大国(おおぐに)」という村がある。


ここの構造は、地勢は、東は、「神戸、明石」で、敵からの攻撃を食いとめ、「大国」を守ること。
西は、「岡山、姫路」でもって「結界」をたて、「大国」を守ることにあった。

9)
他の大学もふくめ、同志社大学は、だれが支援して、つくった?
これらは、同志社の、印、校章、Mark、School badge をみればわかる。

1970年、安保反対運動を、仕掛けられ、GHQ連合軍から、文部省命令で、即時「抹殺」と指定された、校章を、日本の歴史を知る「稲穂が垂れる」、自由な気質の大学も、である。


竹内 綱(こう、「つな」、とも読む)を先に、大隈重信はじめ後見となり、さらに、欧米で学んだ、二代目総長の経済学者「塩沢昌貞」の、隣に、原来復(はら・きまた)博士は、育った。

かれらを、後見人とし、日本に、戦争での、怪我での、輸血による、救命、「ABO式血液型」の知見をもたらした、「原来復」博士は、ドイツ留学ができた。

原来復博士の、「ガン(癌)」の研究場所は、自宅から、離れた、所で、あった。

原来復博士の、お嬢さまが言われたのは、やはり、直喩ではなく、「標(しるし)」で、
「なんだか、偉い、貴族院の方の保障で、家を借りることができたのですが、父は、運動会の、始球式のあと、クルマにのったあと、脳梗塞となり」だった。

この、貴族院議員は、小坂順造(こさか・じゅんぞう)。
小坂順造の、父は、信濃毎日新聞社の、基盤をつくった、「小坂善之助」である。

原来復博士が、借りたのは、「第十九国立銀行(上田・諏訪)+第六十三国立銀行(松代町、いま長野市)」の、「第82銀行」頭取の、邸宅である。


「皆様のNHK」、苦労して、トーマス・エジソン Thomas Edison の弟子になられた、ご兄弟の方々を、言えますか。日本からアメリカへと、覚悟し、渡航された方の、兄弟、および、後見人を言えますか。
一度、教育テレビで、されたら、どうだ。

わたしのイエは、父方が、「日本文化」は、日本文化の、父たる中国、母たる朝鮮を、確かに、うけとめていた。

そのため、第二次大戦中、わたしの祖父たち、「播磨の国、風土記」以前の、臣下が、どこに居たのか、どこに閉じ込められていたのか、まだ、言わない。


上の、2007年5月22日は、父が動けないというので、病床の、わたしは、いまの、「一の宮」様の「妃殿下」が、長く、服用されていると思われる、クスリを、致死量、近くのみ、父へ、会いに行った。

10)
わたしが、このような病状に、なったのは、東大、科学哲学教授だった、「村上陽一郎」さんなどの、名前を騙り、人権侵害と、プロバイダーへ連絡した、悪党の輩がいたからである。

犯行は、鹿児島、1973年、甲南高校卒のM、1974年、高槻高校卒のNたちである。


1977年、同志社大学の、チャペルへ、特別ゲストで来られた、数学者、「広中平祐」先生。

上のMや、Nたちが、乱暴な、言動をしないために、わたしは、二階席の、前列に、規律ある「境界」をつくるため、京大の工学部、農学部などの知己にきてもらいました。

あまりにも、シーンとなりすぎ、これは、もったいない事だ、思い出のためとおもい、わたしが、二階席、一番後方から、
「先生、次元、パラメーターってなんでしょうか」と質問させていただいきました。

すると、チャペルにいた、Mや、Nたちはじめ、同志社はじめ、他の大学生が、ゲラゲラ笑い出した。
わたしは、
「人間が、つくった、ひとつの、物差し、ですね」と、決定、発言すると、
広中平祐先生は、即座に、
「そうです!!」と、二階席をみて、おしゃってくださいました。

フェスタでの、同志社大学、チャペルの会場に、発展的な意見が、学生たちから、出てくれば、わたしは、つぎの質問、座標軸 X、座標軸 y、 などを、決定せず、次なる、『写像』(map)などに、おけるものを、言おうとしました。

たとえば、複数の、『ゆれる、金平糖』移動、これらの「決済、措定なる、立体格子、界面理論」などを、質問させていただこうと思いました。

本当の、ザラメをつかい、手間がかかった、金平糖は、結晶への「中心軸」をもち、歯はもちろん、舌で、溶けてゆく、やわらかな、「結晶構造」をもっている。

さらに、「天竺編み」線形による、「冪、べき(power)」の思考へ、持って、行きたかったのです。

これを、数理式化すれば、複雑な、「ウィルス発生問題」へ、界面を立て、病気から、避けることができのではと、わたしは、信じているからです。
が、会場は、笑ったままでした。

あのあと、山田忠男先生に、「なぜ、広中さんは、即座に?」と聞くと、
「まつだ君、あ・た・ま・が、頭の、デキが」と、ご自身の、頭をたたきながら、「ぼくたちと、違います。広中君は、まつだ君の、言っていることが、ぼんやり、見えます。ただし、ぼんやり、です」と言明されました。
1970年代後半まで、山田忠男先生は、楽しかったです。


11)
父方の、母方、その、出自、在所の位置を確かめに行った。
「標(しるべ)」だけでも、というと、ようやく、方角を、言ってくれた。
わたしが、わかったというと、「北宿」といういので、正しくうけとめた。

わたしの父方の、在所は、すべて、南を中心に、「一」として、方向を定めている。
「南」が、どれほど、大切なのか、古代からの教えで、知っているから。

さらに、中国の向こうには、西欧からの、戦いの犠牲となり、真なる、桃源郷、「天竺(インド)があり、この天竺は、戦いの「境界」であり、過去、犠牲となった、人々を、一切許し、ギリシア・ローマ、アラビア。人類の発生、および、文化の祖先と言える、「アフリカ」を、学ぼうと、「宣言」する、「祈念」、その、「表現」がある。

母方は、勅命となれば、日本を防御する、日本文化の父中国、日本文化の母朝鮮を守りにゆく、役目がある。

1917年、内務省勤務から、一等兵、設計技師として、二十代終りに、第一次世界大戦につづき、二度目の遺書をのこし、シベリアへ、出兵した。

「鶴見俊輔」さん、水沢には、何がある。夏、「ヤマセ」が吹き、連続すると、稲が枯れてしまい、農家の人々が、困る。

わたしの、祖父が、氾濫する、北上川の、「堤防」造りに行った。

戊辰戦争のときをはじめ、ずっと、そうだ。

20歳にもならない、若い、遠来の殿様に、何がわかる?
「若い殿様」を担ぎ出そうと、その周辺を、心理での、トリックで利用したのが、欧米GHQ連中だ。

かれらは、近々の、太平洋戦争でも、そうした。

しかし、遺伝子学、それでは、「顕在」、「見えない、幕(冪)、たしかに在る」それらが、作用する。

日本は、文化の父たる中国、文化の母たる朝鮮を、ずっと、尊敬してきた。
しかも、もっと、向こう、天竺(インド)をそれ以上に、尊敬した。

12)
なぜ、「天竺(インド)」を、尊敬したかというと、ギリシア、ローマからの戦いに、苦しんだ、自然に厳しい、熱帯の、人々の、悲惨な、歴史を知ったからだ。

いま、「地球」のどこに、きれいな、海、山、空、湖がある?

天皇家はじめ、日本の、神社信仰が悪い、と言う人がある。
それぞれの、神社の「神主」さんは、死後、どこを、墓にするか、ご存知なのか。
天皇家の墓が、神社なのか。寺ではないか。

これは、どういう、意味を所持するのか。

それぞれの、地域の、寺、ここへ、「神主」たちは、神からの伝達、先祖からの、教えの役割が、済んだからと、「やすらぎ」へと、つかれる。

日本は、「宮(みや)」を「一」、十(10)里単位に、おく、「宿(やど、しゅく)」を大事にした。

「10(十)里単位」が、何を、意味、するのか。

13)
豊臣秀吉が打ち切ったが、江戸時代、再開された、「朝鮮通信使」が歩かれた、近江路を歩きたいと、おもった。

わたしは、彦根は、「五百羅漢(ごひゃく・らかん」がある、「天寧寺」へ行った。
すぐさま、庫裏から、女性がでてきて、拝ませてくださった。

「五百羅漢」をみていて、わたしは、父方の、祖母シズエ(姫路市、別所北宿、一の地主)が、幼いころ、教えてくれた、わらべ唄音階がでてきた。

「山伏(やまぶし)の 法螺(ほら)の貝(かい) ぶい ぶい」
これは、「10(十)進法」、「12(十二)進法」にもなる。

「下駄(げた)かくし ちゅうねんぼ 橋(の)下の (子)ねずみが 草履(ぞうり)を  かくして ・ちゅ・つ ・ちゅ ・ちゅ」 
これは、「20(二十)進法」などに、応用できる。

これら、「十」は、潔斎、結界を意味する。

わたしは、1951年生まれの、「四緑木星(しろく・もくせい)」。「四」、「緑」、「木星」は、どういう意味を所持するのか。


しぜんにか、日本文化の父、中国伝来の「羅漢(らかん)踊り」が、うかんできた。
「羅漢さんが、そろったら、回そうじゃないか、ヨイヤサ、ヨイヤサ、・・」。

なくした、子供。それらは、「五百羅漢」をみれば、その中の、どこかに、居る。在る。これが、日本が、戦争にあけくれた、室町時代、中国から、習い、取り入れたものである。

盆おどり、のようなもので、ほとんどの人が、10分でも、見ていれば、参加できる、形相を、所持している。

近江路、近江八幡で、1991年暮、注連飾り(しめかざり)がないのに、気づいた。
顔かたちから、高齢の男性に、聞くと、「近江の人は、ケチですから」と、また、「標(しるし)」、「暗喩」のことばだった。

近江路は、「北」から、無法者が、来る、可能性が高い、地勢なので、「印」となる、目立つことを、しては、いけないというのが、古代からの、教えとわかった。

わたしは、ほほえんで、ありがとう、ございました。と、言った。

14)
父に、イエの注連飾りは、正月飾りは、どうしたのかと聞くと、「ああ、じいさんが、糯米(もちごめ)の藁(わら)を、砧(きぬた)をつかい、ゴロゴロ、ゴロゴロ、こつこつ、こつこつ、こんこん、こんこん、ついて」と言う。

さらに、石臼は?ときくと、
「ああ、じいさんが、手で、大豆をなぁ、2、3個づつ、手でなぁ、2、3個づつ、入れ。足で、加減して、なぁ。パッタン、パッタン。足で、パッタン、パッタン」と、長い時間を、かけて、という。

わたしは、わかったといい、田圃の肥料は、と聞くと、
「ワシは、小学、五年、六年生の二年間、天秤棒かついで。神吉、『大国』は、みんなや」という。

わたしも、小学五年、六年の二年間、ひとり、庄内小学校の、塀、西(西院、さい)の隅、給食の残りで、堆肥づくりをさせられたことを、言った。


父に、近所の寺で、「一」はと、聞くと、「神幸祭」(しんこうさい)の、8月14日の深夜、から、だれか、なしと、声をかけ、村中のものが、つぎつぎ、そろって、先に、音頭取りが、行って、なあっ」と言う。

潔斎して、西国、三十三霊場、「第二十六番、法華山、一乗寺」に、小さな、ろうそくでの、提灯をつけ、「御詠歌」をよみ、山道を進むという。

「願我心浄 如香炉(がんが・しんじょう・にょうこうろ)」「「南無帰依佛(なむ・きえぶつ)、南無帰依(なむ・きえほう)」

「仏説」「摩訶般若 波羅蜜多 心経、摩訶般若 波羅蜜多 心経」

「ありま ふじ ふもとは きりは うみに にて なみかと きけば おのの まつかぜ」

「第一番 紀伊 天台宗 那智山 推古天皇  ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつ」

「第十六番 光仁天皇 北仏相宗 音羽山 清水寺 まつかぜや おとはのたきの きよみづを むすぶ こころは すずしかる らん」

「第二十六番 仏道仙人 播磨国加西市  法華山 一乗寺 はるははな なつはたちばな あきはきく いつもたへせぬ のりのはなやま」

昭和十九年、父は、まずしく、小さな国の、尊い、百姓。100人と、子を産める、女が生きてゆけばいい、それが小さな国の、大きな国の使命と、人間魚雷回天で死を決意した、弟のためと、ひいじいさん、松太郎と、天竺(インド)には、いる、必ず、仙人が、日本を、助けに、来てくれると信じ、法華山 一乗寺へ参った。



▼立っているのが、父。すわっているのが、人間魚雷回天へ志願した、叔父。

HOME
「京都昨今きょうとさっこん」松田薫2007-05-28