京都昨今 |
|
23、きめた ところは ないんです 1969年3月23日の大雪 | |
1969年は 1月から 雪がふりつづき 学生を考えさせた 3月3日の ひな祭り わがままな人が 自分の家でもないのに とじこもった 受験生を泣かせた 春の雪 もう 3月23日なのに 京都には 悲しさをしらない 雪がふり 電車とバスを とめてしまった これっきりしかない 受験生は だまって ないた 大阪にも めずらしく 雪が降り 京阪電車は 1969年3月23日 動こうとして とまった 春の雪は つめたく きれいな 白い色 なにも言えない 弱い受験生は てすりをもって なきはじめた つたえる 新聞など ないのを知っていて 受験生は てすりを持つ力も なくなって 小さな声をだし うずくまって ないた 終業式がまえの わたしたち 高校一年生は すこし 気楽すぎて ながめている これが シンパなの それだと すこし嫌 1976年春 くずはの駅 わたしの右肩に たんたん とんとん 音がする 春の雪か 小鳥が 肩にのったのだろうか 「遊びぢやない 暇つぶしぢやない」 こうおもうわたしに これまで 声をかけた人は いなかった わたしは 走るか 倒れるか そのどちらかで あいさつをした 英語に つり革の手をみて 血液型は A型ですね といった 「そやけど ふーん いつも どこに のるの」 わたしは こたえた 正直に きめた ところは ないんです 晴れたり 曇ったり 夏がすぎ 冬がすぎ 数年たって ロンブンができ ロンドン帰りの 英語に 連絡した 「なんで よしたか しっとるねん」 まだ 未成年のはずとおもったのに あの学生運動家と 同級生 1970年代 だれも言わなかった名前 出町柳 百万遍 の 理学者は 家の庭にきた 運動家の ヘルメットをつぶした 赤 青 黄色 節分は とっくに すぎても 玉虫色をかぶった やまもと君の名前はいわなかった 二年生のとき 予備校のひとが いいました 「大手前のとき がり勉の 点取り虫 やまもと君」 と高校の先生が 「治承四年卯月のころ 中御門 京極のほどより おおきなる辻風」 は方丈記 「おそろしい 尺取虫 小金虫 やまもと君」 WHAT? 生物 選択は物理化学 「おおきなる 辻風おこりて 六条わたりまで 吹きける」 やはり国語 「ごますり上手 サカナはスルメの やまもと君」 WHAT? 家庭科の授業 わたしは 予備校を やめにした ぼくはえらい こういう ひとが 本郷に 数え切れなく あつまって それでも 権力反対 ぼくが一番 「よしたか わけのわからん本 おくってくるねん」 淀とまり 中書島とまり 丹波橋とまりがなくなり ことこと 四条 しゅうてん 三条 点取り虫の やまもと君が 東大という家にとじこもったので 京大か 阪大か 神大か 受験生は家さがし それは遊びぢやない 暇つぶしぢやない 充ちあふれた我等の餘儀ない命である と たかむら君はいった 鎌倉の大仏の権力を崩壊するとは言わず 奈良の大仏の権威を崩壊するとは言わず やまもと君は 大仏をだきしめて 川を渡るのでしょう あの時代 東大を捨て 汗かき働く 運動家は いまもいるのに やまもと君は 本をいっぱい だきしめて あの時代 役人にぶつかって 辞めた 運動家は いまもいるのに やまもと君は 予備校とやらで おしえて あの時代 機動隊へぶつかって ひとり怪我した 運動家は いまもいるのに やまもと君は 妻という 法律をだきしめて あの時代 反対勢力へぶつかって 動けなくなった 運動家は いまもいるのに やまもと君は 大仏を だきしめて 「よしたか わけのわからん本 おくってくるねん」 といった英語 いい国 JAPAN どうした大学どうしたの 社会の 匿名報道希望に 2001年12月のゲスト 悪党 たかおクンだけは あさの考え との意見 英語は怒鳴る 「やめさせるのか どないすんねん」 山田の案山子が 泣きわめいたというのに 英語は怒鳴る 「やめさせるのか どないすんねん」 匿名報道希望は 成人ではといっても 英語は怒鳴る 2004年 クリスマスイヴ 新京極から 河原町蛸薬師通り 後方に しずかな 空気をかんじました 1991年9月 世界陸上 観衆は 孤独な 天才マラソンランナー 中山竹通を 待っていました 連れに 道をあけようと いった グランプリランナーは 早い ルールをまもる ランナー 千駄ヶ谷の路上で 力を見た スピードは 風を切って 行くのだ ルールをまもる たしかな足 1992年バルセロナで 靴をふまれ ひたすら 忍耐で 追い上げ ルールをまもる 心と体 入賞をはたした 谷口浩美 黒の ウィンドブレーカーの ルールをまもる 両手は 夜の空に ▲ 同志社女子入り口 (写真:松田薫) ▼ 河原町蛸薬師通り (写真:松田薫) |
|
HOME |
|
「京都昨今」松田薫2006-08-26 |