京都昨今
1.パイプで燻らすまでの時間


欧米も、日本でも、「生命保険会社」が、火災や病気での、支払いに困るため、禁煙運動がはじまった。

タバコは、礼儀をまもっていれば、いいもので、また、「働き人(はたらきど)」が、仕事の合間に、いっぷく、吸うものとおもえばいい。

パイプでタバコは、わたしの世代でも、あまり、しなかった。タバコを最初に吸ったのは、保育園児のときだった。

灰皿をかねた盆に、来客のあと、吸殻が、いっぱいあったので、2歳まえの妹が、タバコを作ってというので、これは、大人の物とおもいながら、幼稚園児のわたしは、製図の、ケント紙のような厚手の紙に、巻いて、作った。

どうも、紙の臭い、ばかりする。風呂のマキ用の木々や、種火のスミや、最初の段階でつかう、ワラのほうが、いいニオイがする。
これを見た、31歳の、父が、「これ、これ、そんなもの、まずくて吸えるか」と注意した。
わたしのイエは、祖父母も、孫にたいし、一度も叱ったことがない。イエと世間の雰囲気が、道徳を教えてゆく。

二度目は、同じ年のイトコたちと、高校生のころだった。わたしの兄は、ピースを、一日に、一缶は吸ってしまっていたが、同じく、缶のピースやハイライトを吸っていたイトコは、1969年の夏、関西圏には売っていない「ゴールデンバット」を、信州まで行って、買ってきた。
フランスのタバコみたいだったので、「ハイライトの方が、いい」とわたしは言った。

わたしの人類学の先生は、ダンヒルの赤缶だった。1930年代から京都で科学と哲学になじみながら、使用する言葉は、東京弁で、わたしの抑揚に、関西のものが交じると、嫌がった。家庭での装飾品は、「シンプル」な北欧、イギリスを基調とするものだった。それは、わたしが知る、東京のスタイル、東京哲学の方式であった。 

わたしに、「パイプ?」ときき、吸っている銘柄をきくので、ダンヒルと答えた。同じダンヒルでも、わたしの方が、高価なものだったので、少し、沈黙がはしった。

指定された、学問分野のばあい、不愉快な学者の論文も、読まなければならないので、タバコを吸うと、喘息が起きる。が、好きな分野のばあい、どうもないので、吸っていた。

パイプは、1970年代、京都高島屋の別館入り口にあった専門店の人に教えてもらった。
「そんなん、比べ物になりませんわ」と、京都弁で言われた。
東京人にかこまれ、いわゆる標準語で育ったわたしには、このとき、すぐさま、反応ができなかった。
同じことは、京都言葉での、哲学は苦手で、どうしても「東京言葉」による、ものでないと、理解するのに時間がかかってしまう。
タバコの葉をつめてゆく「タンパー」などの付属品は適当なものでいいし、より美味しく吸おうとおもえば、2、3万円クラスの、ブランディーか、スコッチを、下部のタバコ葉に一滴、二滴たらし、湿らせ、中間部に「タバコ葉」を、ぎちっと詰め、上部は、ふわっと、タバコ葉をのせ、火をつける。そうすれば、味が、ぐーんと変わる。

うまく火がつき、ゆっくり、二回ぐらい吸ったときが、おいしい。
タバコの有害さだが指摘されるが、ひとつの、大きな文化の誕生には、背景があるだろう。
植物学や薬学を専攻する学生は、京都では、鴨川の上流あたりへゆくと、いろいろな草や木々があるから、農家の人に、植物の種類を教えてもらって、乾かし、皿の上とかで、燻らすと、「生薬」「本草学」の本質がわかってくる。

わたしたちが、高校生のときは、なかば、大人扱いだったので、京都での、少年非行には、わたしたち高校生の中で、同じぐらいの年齢でも、注意し、補導できる、「補導係の身分証明書」を、警察や役所で発行してもらい、もっている、友人がいた。

わたしの場合、生徒手帳なしでも、いっしょであれば、警察をはじめ公安関係との問題がおきないことから、京都の上京や、中京区の級友や同窓が、わたしに、「どっか、行こ?」というので、仕方なしに、1960年代は、拝観無料だった、清水寺というと、「なんで?」と尋ねかえすので、行ったことがないというと、「あんな、タダのとこ、誰も、行かへんわ」という。

半年ぐらいすると、また、「どっか、行かへん?」ときいてくるので、「祇園祭り」、と答えたら、「あれは、ほこ町の祭りで、ぼくらとこ、関係、あらへんわ」という、どうしたらいいのかわからなくなったので、反対に、どこへ行きたいの?と聞いたら、「おけら参り」という。

いまでは、すっかり、有名になった、おけら参りは、1960年代は、除夜の鐘が、鳴らされる時刻になったころでも、四条通りに、人は、まばらだった。
おけら参りは、イエから、めいめい、昔は麻縄での、縄に火をつけ、イエの「おくどさん」へ持って帰ると説明してくれる。

わたしは京阪電車に乗らなければ、帰宅できないので、京阪の人に叱られるというと、「おけら参りの火は叱られへん」と、なかば冗談で、言うから、「綱引きの縄」ぐらいのを、回してもか、と言い返したら、教室中がわらった。

20年、30年という歳月が、短いのか、長いのか、わからなくなってきた、昨今、昔、国会図書館や、東大(本郷)の図書館で、わたしが依頼した、「早田文蔵(はやた・ぶんぞう)」の文献探しには、時間がかかった。

1980年代まで、国会図書館の中央部は、吹き抜けで、レストラン喫茶になっており、請求図書がでてくるまで、2時間かかることは、ふつうで、ゆっくりとした、わたしでも、図書の請求の時間が切れ、閲覧が切れる時間になったときは、焦った。このときは、女性で年配の方が、「京都からの松田さん」と、大声で叫んでくれたときは、お辞儀でもって、かえすしかなかった。
わたしが請求する多くが、旧・上野図書館(帝国図書館)のラベルか、それすらない、和綴じ文献だったりした。
国会図書館は、納本図書館で、とうじ、30代の男性だろうか、わたしが、「Nature(ネイチャー)」の欠号を指摘したとき、「‘Nature’だけは、買っていて、そんなことはない」と、横柄にまちがいを言い張り、上司から注意となった。

東大で、早田文蔵(東京帝大、植物)のを請求したときも、旧分類でわからず、「これは、戦後はじめての閲覧図書ですね」と、これも、年配の女性が、おどろかれ、時間外なのに、渡してくださった。

植物分類の「目、科、属」は、早田文蔵のような、すぐれた学者が、何人もでて、何回も分類をしなおせばいい。

「抗ヒスタミン」で知られるようになった、ゼンソクの特効薬が、1980年代おわり、イギリスから、生薬から抽出されたと知り、本場は、インドや、中国、そして日本には、江戸時代に、「華岡青洲」という先人がいたのだから、情けない気持ちになった。

非合法の「大麻(アサ科)」でしられる、「マリファナ」は、麻の上等なものと同じ種類で、興奮剤ということで、戦後、アメリカの命令で、禁止されたそうだ。
が、それまでの、日本では、自然なものとして在って、高級な麻の処理の仕方でもって、上等なタバコと同じ香りがする。

また、耕作面積が広く、養分が十分な土地での、ビワ(バラ科)の葉も、丁寧な、扱いによって、同じ香りをもっており、これも、アレルギー性疾患に効く。
植物は、風土と、栽培の仕方で、異なった、高分子化学構造をもった、種類となる。が、そのことを指摘する、学者が、世界中、あまりにも、少ない。

植物学専攻でもない、学生が、いちばん、入手しやすいものは、日本全国、いたるところにある「モグサ」(キク科)である。

農家のひとに、良いものを選択してもらい、半乾きで、吸えば、何に効くか、敏感な人にはわかってくる。

乾けば、揉んでつぶし、丸めて、手や、脚など、疲れたところへ置き、線香などで、上手に火を移せば、お灸になる。このお灸も、市販されている、簡易なものとは、まったく、香りがちがう。

これを、母にいうと、母方の母方の先祖は、「薬師(くすし。漢方医)」だったので、「おかあさんが良く、モグサを丸めて、飲ませてくれたの」と言い、清潔好きの叔母は、モグサが盛りとなる季節、夫婦して、人ごみのない、山や川の方へゆき、摘んできて、炊き、冷凍保存していると言う。

播州の伝統か、わたしの父方では、古代からの「お灸」を、体へ直接すえるひとを、四国からよんでいた。病気除けの、ひとつの儀式だろうが、本家である父方のイエを、出自とするものは、腹部や、脚に、この跡がついている。
火傷と同じことだから、兄など、泣き叫んだ。兄弟で、いちばん、がまん、強いのがわたしだったせいで、その匂いが、強烈な記憶としてある。

わたしは、本物のタバコの葉で、実験してみたくなって、1940年前後に生まれた、知人たちに、それを言うと、
「タバコ畑を知らないの?」と驚かれた。戦前の日本では、いたるところで、栽培されていたという。

東山区には、村井兄弟商会の「たばこ工場」があり、円山公園の「長楽館(ちょうらくかん)」があり、また、以前、わたしが、関東の労働科学研究所や、倉敷労働科学研究所の歴史調査をしていたので、とうぜん知っていることとおもったそうだ。

タバコの生の葉を、送ってもらうように手配した。生、半乾き、乾燥といった順序で、タバコの葉で、実験してみて、薬効がわかってきた。
そして、これを、父にいうと、昔は、労働者、十人が十人、煙草を吸い、ちょっとした傷には、煙草をもんで、傷の箇所になすりつけたら、治った。こんなことは、だれでも知っていたという。

タバコの味や香りを、手早く、知ろうとおもえば、「葉巻」だ。葉巻を、できるだけ近所の専門店の人に、味や香りの違いを、教えてもらえばよい。

安い価格のものでも、良いものがある。

バニラの香り付けをしたピース好きであれば、その系統の葉巻を教えてもらい、パイプと同じく、上等なスコッチで、本物の「バニラ・ビーンズ」を、数粒とかし、ラップでくるみ、少しかわいた感じになったころ、吸えばいい。葉巻も、一、二センチ吸えば、まずくなる。楽しみは、ほのかな余韻にある。
科学哲学、わたしの言語でいう、「東京哲学」をするには、このパイプでの時間が必要なようだ。




    朝顔を植えている。それは花を見るためよりも葉が毒虫に刺された時の薬になるので(略)。
    毎朝、起きると、出窓に胡坐をかいて、煙草をのみながら、景色を眺める。そしてまた、
    直ぐ眼の前の四つ目の垣に咲いた朝顔を見る。        (志賀直哉 「朝顔」)

▲昔、パイプを教えてくれた高島屋は改装中 (写真: 松田薫)
▼パイプをくゆらす時間への材料と道具
 (写真: 松田薫)

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「京都昨今きょうとさっこん」松田薫2006-06-9