
日本を変えよう!(教育改革)
先日NHKの「クローズアップ現代」を見た。テーマは高校卒業後、就職も進学もしない若者たちの生態について、ゲストに山田洋次を迎えて嘆かわしい世相に30分、結論のないまま重苦しい雰囲気で終わった。
その次の日、慌てて乗った市電、息せき切っていたら、10代の若い娘に吐く息の臭さに、もろにいやな顔をされた。このふたつの出来事、一見何の脈絡もないけれど、本音で自己の利害をさらけ出す今の若者風俗にあてはまっていないだろうか。
今時の固い有識者のようにただ難しく嘆くのではなく、いい意味で日本という国が本格的に変わる予兆として受け取れないだろうか。価値の変革は既に始まっている。
1000年に一度のミレニアムを迎えて、リストラなんかも中途半端にやらないで徹底的にやったらどうだという意見もある。何事にも中庸を重んずる国で、大きな自己改革にはなじまない人心や社会風土が厳としてある。
子供たちも質問を投げかけると「ありのままの自分を出している」というが、学校の崩壊は来るべきところまで来た感じがする。
子供たちも、教師も、家庭も、すべてが迷いの中にある。経済優先と学歴偏重社会のひずみがここに来て突出してきた感じだ。一貫した教育理念や人生を生きるための哲学を誰からも教わって来ないで、個性教育だ、自由教育だとばかりに、なんのヒエラルキーがなかったのも今日の混迷を招いている。
学歴社会が崩れ、能力主義社会が来ると前宣伝が行き届いたせいか、子供たちもリストラの憂き目にビクビクする親の姿を見ていたら、もう時代もこれまでかと、就職もしなけりゃ、進学もしなくなるのも自明かな。苦しむ親父の背中を、我が身に置き換えて、自分も頑張らなきゃと思ったのは一昔前の話しだ。
最近、東京に「ダメ連」という組織があるそうだ。東大や早稲田の現役やOBの連中が50人、学校にも行かず、働かず、好きなその日ぐらしをしている若者たちの小さな集団である。それぞれに皆個人的な事情はあるが、単なるプータローではなく、つげ義春の漫画にあるような耐乏生活に一種の自虐的なステータスを感じながら、利益追求型の管理社会にアンチテーゼを送り続けている。
「いい大学に行って一流企業に入れば幸せになれるという図式が親たちのリストラで音を立てて崩れている」と彼らは言う。世の中の事象は決して突然変異で生まれるのでなく、失業や不景気は負のシナジー(相乗効果)も演出する。
芸人のマルセ太郎の言葉に、「日本人には、経済的な成功が幸福だという、大きな勘違いがある。景気が良ければ幸福で、悪ければ不幸だという考え方。僕はそういう生き方は最も俗っぽい、つまらん生き方だと思う。人格、つまり人間の格を尊敬しようという教えが日本の教育にはありませんよね。」
労働省の最新の調査では、いったん就職しても3年以内に辞める新卒者は、不況にもかかわらず増え続け、大卒で3人に1人、高卒で半数に上る。24歳までの若者の完全失業率は10%に近い。しかも中高年の失業者と決定的に違うのは、自発型の失業(自ら進んで就職しない)が実に多いことだ。個人的な話しだが、パチンコ店の開店待ちで朝早くから並んでいるのは圧倒的に若者が多い。中高年はそこまでの余裕すら無いということか?
「会社に縛られたくないから、自由なフリーターがいい」、「バイトの方が気楽、ムカつけば辞めちゃえばいいし」と一見屈託ないが、25歳から34歳の失業率もこれに次ぐ。これらの予備軍、小中学生の不登校も13万人に登っている。日本の先行きは暗い。
先ごろ「教育改革国民会議」が発足した。中教審のような有識者の集まりでなく、一般のサラリーマンや主婦にも参加を促がし、生の意見を反映したいというのが新しいところだ。こんな時代になると、教育制度もあらゆる側面で疲弊化し、そのマイナス面は社会現象化してしまったが、皮肉にも若者たちは時代の変調に敏感に反応し、何もかも拒否した結果、倫理や論理まで崩壊しかかっているように見える。終身雇用も学歴社会も崩れて行く中で、学校の教師がせいぜい「立派で賢いフリーターになって欲しい」というのが、精一杯の応援歌だろうか。
受験戦争も偏差値教育も弱体化しつつある現在、「管理教育」から「個性教育」に向かうのもいいが、ただの放任とわがまま教育では困る。
亡くなった大正生まれのおふくろが、生前いつも諳(そら)んじていたのが、戦前の教育規範であった「教育勅語」。戦後GHQが廃止してしまったが、厚恩の思想(父母に孝行し、夫婦も仲睦まじく、兄弟は仲良く、友人と信頼し合い、他人に親切にする)には人類不変のポリシーを感じる。「天に星、地に花、人に愛」もなんべんも聞かされた。
何故か今の時代、生きる意味や目的を見失った社会規範喪失の時代のようにも思う。このあたりで生きる歓びをベースにした人生哲学や人類不変の真理をどこかで再表現すべき必要を感ずる。ちと古臭いか。でも事実、この国は高学歴国と言う割に自己確立の哲学や社会貢献の哲学がなさ過ぎる。「教育勅語」に変わる生きるべき指針があってもいい。
いやいや勉強して、いい学校に行って、いい会社に入るだけが、幸せのパスポートを得られる時代では全くなくなった。これからは自己表現の多様化、新時代の新しい能力開発が求められる時代。教育は国の礎(いしずえ)であるということに疑いはない。「日本人であることを誇れる国にしよう」、「芸術・文化・自然・哲学・モラル等を主軸にしたゆとりある教育の抜本的見直しも図ろう」。大きくなったら何になるといったような人生の心意気と志しを早くから育てる幼児教育が大事だ。それには画一的な学力評価をやめ、知識偏重教育を改め、単に答えや結果だけではない、思考過程を重視した、多様な価値創造型の社会へ転換することが求められている。価値創造型社会とは「自ら考える」ことを基調とした社会である。
少子高齢化や環境問題が、戦後を支えた経済至上主義の行き詰まりを一段と鮮明にする。今こそ国や企業の論理でない、個人の目線で真の豊かさを感じとれ、すべての建て前を排し、「生きる力」と開かれた「ゆとり」ある社会を築く時なのである。