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どうすればできる高齢者ネットワーク


 新聞のコラムに、日本の高齢者はアメリカの高齢者より不健康であると載っていたことがある。喫煙者は2倍で、飲酒は3倍、運動は4分の1程度だというものだ。なのに世界一の長寿国なのは合点がいかないが、医療費負担がこの年代に集中しているのもあるが、たぶん医食同源のおかげかも知れない。
日本食を好むアメリカ人が増えているのも、うなずける。だが殆ど毎日飲酒するが、スポーツなどはさっぱりせず、
自分の健康や体力に不安を持っている人が、アメリカ人の4倍にも昇るのは何故だろう。

 男女でますます広がる「元気格差」も気になるところではある。はっきりいってしまえば、日本の男は自立していない。100%会社人生に自分を委ねてしまい、気がついたら趣味らしい趣味もなく、暖簾をくぐって酒を飲みながら会社や家庭の愚痴を言い合う不健康な体だけが残っていた(人後に落ちず)。
その間
「亭主元気で留守がいい」と言う奥さんは、女性同士の本音のつきあいでエステやスイミング・クラブに通う毎日。昼間パートで働きながらホストクラブに入れ込む奥さんもいるという。60過ぎたら夫婦で旅行でもしたいという旦那の思惑と裏腹に、奥さんは女友達同士の旅行を優先させる。若いうちはいいが、「夫の片思い」は年を取ると3人に1人はかなえられない現実があるという。あんまりうるさく言うと定年離婚が一挙に現実化する。この話しは決して他人事ではない。

 男たちの人生後半の趣味の仲間づくりや友達ネットワークはどうしたらできるのだろうか。会社の仲間とのつきあいは辞めてしまえば、そこで終わる。
人生は大きく4つに分けて、ビギニング(成長期)、トレーニング(研さん期)、ワーキング(応用期)、そしてプレイニング(円熟期)に分けられるだろうか。
一度こっきりの人生。今や、
プレイニング(円熟期)を主眼にすべき時に至った。残りの人生はもうそれ程長くない。本気で人生の真の意味を考えるべき時期なのだ。
でも日本の男は生真面目、そんな風にはとっても考えないし、相好を崩して他人と付き合おうという心がけは、思ったより少ない。

 退職後、奥さんに先立たれ、淋しく一人でカラオケに行くという60男の話しを聞いたことがある。
 高齢者の一人ぐらしの退屈さと寂しさをあて込んで、よく健康食品の説明会を催し、高額な栄養補助食品を買わされていたのを聞いたことがある。俺もカルシウム食品やクロレラ食品などの試供品をもらったことがある。
何処かの会場の入り口で、箱入りティッシュか何かを渡し、3階あたりに誘導し、更に高めのサービス品を無料提供し、会員に勧誘して高額商品を売りつけるやり口は話しに聞いた事がある。一人暮らしの高齢者の暇と小金と淋しさに取り入るあこぎなビジネスは結構多いのだ。最初から大銭は期待はしないが、情に訴え、ジワジワとせまりくるやり口は、まことにワン・ツー・ワン・マーケティングに長けている。国民資産1,300兆円の約6割を60歳以上の中高年が持っていることを知った上でのビジネスである。
だまされる高齢者も可哀想だが、情と欲にからんだセールスの言葉巧みな勧誘の仕方も日本人のメンタリティに訴えた巧妙なセールス・テクニックではある。

 たけしのコントに、病院で話しに昂じる高齢者達。その中のひとりが、「最近、あの爺さん見えないけど病気かね??」。病院が社交場であり、他に行くところがないと言う。
最近ゲートボールが下火と聞く。高齢者を象徴するスポーツとして持てはやされたが、パーク・ゴルフの普及や実世代の変化と伴に、一部このスポーツの持つルールや制度に批判的な人もおり、何よりも「高齢者向けのスポーツだというレッテル」が、その総体数を減らしているように見える。「カラオケ」のように老若男女入り乱れての娯楽の方が、抵抗感がないのだ。
世代を超えたビジネス・モデルを考える時代に入ったとみるべきか。携帯電話もジワジワと中高年に普及しつつある。パソコンもインターネットもやる気さえあれば、そんなに、先の高齢者だけ(団塊の世代以後)が使い始めるというものでもない。
高齢者のグループ登山や、ウォーキング、エアロ・エクササイズが持てはやされる時代になった。
高齢者は、若者と違って金もすぐには出さないし、行動力も伴わないが、理屈より情に迫った暁には思わぬ決断をすることがある。
「超・整理法」で有名な東大の野口悠紀雄教授は、日本人の急激な変化を好まない感性や危機意識の欠落から、欧米に遅れている情報技術革命構造改革に対し、今一つ悲観的な見方をしているが、変にブームに乗ろうものなら、インターネットなんかも携帯電話同様、ソニーの「プレステ2」あたりで爆発的に普及し、高齢者も使い始めるのかも知れない。

 最近「ネットワーク・ビジネス」という言葉をよく聞く。日本アムウェイやニュースキン、ハーバライフに代表されるビジネス・モデルであるが、もう40年も前にアメリカに誕生し、現在、全企業の60%がなんらかの関係で「ネットワーク・ビジネス」に関与している。Intel社やCiscoや3com社もネットワーク・ベンチマーキングで大きくなった会社である。日本では洗剤と化粧品と栄養補助食品などの消耗品に代表されるが、パソコンやインターネットの普及に合わせ、あらゆる商品やサービスに伝播しようとしている。

 先日友人の紹介で、某保険会社のA社長の「ネットワーク・ビジネス」の話しを2時間程聴講した。
時流なんだね。「ネットワーク」とか「システム」とか「アウトソーシング」なんて言う言葉がポンポン出て来る。聞いている世代も、20代から70代の男女までさまざま。世にマルチ商法とか、マルチまがい商法とか、果てはねずみ講とか言われて、保守的な日本人の間では嫌うビジネスのひとつに挙げられているが、商行為としては合法的なものである。アメリカあたりでは会社とディストリビューター(契約販売員)という関係で日常茶飯事のように取り扱われている。これは生産・卸・小売り・消費者という日本の従来型の流通システムの次にくる「ネットワーク型流通システム」を意識したものだ。
ある意味では、生産と消費が直結し、ディストリビューターはそのためのエージェントと考えるのが妥当なのかも知れない。
 田中角栄のミニ版のようなタイプのA社長のパワーと迫力は60歳に手が届くようには思えないが、日栄の社長を批判し、盛んに社会貢献と社会的使命感を力説していた。中でも人生において最も大事なこと、@「健康」、A「ある程度のお金」、B「自由な時間」、C「良い仲間」、D「豊かな心」、E「夢」はネットワーク・ビジネスでなくともつい聞き惚れてしまう言葉だった。
だがしかし、20人のメンバーを獲得した後の「権利収入」を期待するこのシステム「家宝は寝て待て」は、客観的に見て、果たしてコンサバティブな日本人の心情にうまくマッチングするのか甚だ疑問である。
トップリーダーとグループ・リーダー(スポンサー)、サブ・リーダー(ディストリビューター)とメンバーのピラミッド構造はわかったようでわからない部分の話しが数多い。階層化した下位の層が昇格してくると言うのも正確には理解していない。

 新規開発商品はそれなりに買い求めやすく、規制緩和と官の天下り経営に風穴を開けようとする心意気には同調できるが、絵に描いたようにうまく運ばないのが、世の習い。A社長の言う「社会に徹底的に貢献します」という心意気が、何処かで日栄の社長になりさがったら、マルチまがい商法そのものになる危険性をはらんでいる。過ってアメリカン・ウェイ(アムウェイ社)も、当局に相当マークされたが、オブジェクティブ(客観的)な経営方針が理解され今日に至っている。
「ネットワーク・ビジネス」はひとつのグループ毎に、過ってあった地縁・血縁に代わる、商品やサービスを通して、共通の目的意識を持つ人達が集い、交流し、共感し合い、将来の夢を語るという宗教信仰に似た現代流の擬似運命共同体を築いている
サラリーマン・主婦のサイド・ビジネスが思わぬ副次効果で、新しいネットワークのつきあいになろうとしている。

世の中はハード、ソフト等の進化、新しいコミュニティやネットワークなどさまざまな誘因により、精神世界の変容まで余儀なくされる時代が、今後ずっと続いていくだろう。

 さて、そろそろ本題へ。金はあるが先行き不安で、出さない、疑い深い、簡単には信用しない、現実にはない「高齢者のネットワーク」を束ねてビジネスにどう結び付けたらよいものぞ?
要は日本人のメンタリティに訴える精神世界が大事なのだ。理よりも情であり、金よりも奉仕の精神が説得力を増す。ネットワークは集団の心理のベクトルが何処に向いているのか、いつも把握しておくべきだ。
しかもどんなビジネスが当意を得ているのか、悩むところではあるが、ここは一つ「高齢者向け知的ビジネス」を模索してみよう。
高齢者を意識しないビジネスが成功の秘訣である。「活き活き人生の提案・生涯現役」「趣味と特技で人生をバラ色に」「生きがいのレンジを広げる」「教えることのことの歓び、学ぶことのすばらしさ」をキーワードにいろいろ考えて見よう。

 健康促進のためのスポーツ・イベントの企画をメインに趣味のサークルの運営やイベント企画(趣味の作品の展示会・コンサート等の開催代行)、高齢者の作品のインターネット販売やオークション販売、生涯学習やセミナー等への人材派遣、高齢者の知識や技能を若い人に伝承する会、自分史の制作代行、ホーム・パーティ派遣代行、シニアカップルの出会いのサポート等々、介護・医療・福祉以外にも考えれば沢山ある気がする。

 これからは非生産人口として、社会の一方の側にいた高齢者がマジョリティとなって大いなる存在感をしめす時代が、もう間もなく現実化する。行政がコントロールしていた町内会組織や老人クラブの有り様も、団塊の世代が高齢者と呼ばれるころには間違いなく自立した多様な「シニア・ネットワーク時代」に変質している。21世紀は高齢者をベースにしてこそ輝きを増す世紀なのだ。

 



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