イントレランス (1916年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆
D.Wグリフィスと聞いたらその道に明るい人なら「映画の父」として敬慕の念を隠さない、1910年代「国民の創生」などのスペクタクル大作の生みの親。たしかに後年の大作「ナポレオン」「クレオパトラ」や「スパルタカス」に時代を超えて影響を与えた映画史に残るスペクタクル記念第1作。
現代・ユダヤ・バビロン・中世という4つのエピソードに分けた物語の展開は一見脈絡がなさそうだが、全部見終わった後に、この愚かなる人間世界の愚行をとても諦観(寛容)ではいられない。もっと声高に平和と安全を主張すべきだと言っている。
80年以上経った今日、2度の大戦といまだに続く局地戦争の果てに、核の抑止が一応働いてはいるが、ダモクレスの剣はいつ何処におっこちるのか、不思議なバランスが今日も続いている。
ジャッカルの日 (1973年イギリス作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
この映画ほどビデオで繰り返し見た作品も少ないのではないだろうか。たまたま、劇画で「ゴルゴ13」が無類に好きだったものだから(こちらはある種の不死身のモンスター作品だが)、フレデリック・フォーサイスの原作本までしっかり読んで(以後、またまたフォーサイス作品を全部読むことになるのだが)、断然好きになった。監督のフレッド・ジンネマンは1997年3月に89歳で他界しているが、「地上より永遠に」「わが命つきるとも」で2度のアカデミー監督賞に輝いている。他に名作「真昼の決闘」「尼僧物語」等もある。
さて、イギリス流の少し神経質と思えるぐらいのドキュメンタリー・タッチのこの映画は、クールで乾いた脚本と筋立ての面白さも手伝って、ドゴール大統領暗殺未遂事件を全くのノンフィクション仕立てで、ハラハラ手に汗にぎる感じで描き切った。
物語の展開がたえず直線的で、無駄なシーンを全て廃し、目的に向かって突き進むジャッカルの殺人ノウハウが息をも突かせぬタッチで進行する。25万ドルの入金の電話に、普通、金額の確認をするのが当たり前だが、それをさっさと省いたり、女スパイ、ドニーズの涙が、焼かれる恋人の写真のわずかな時間にすべての過去をもの語っていたりと、作りとしては高級で説明がましくなくシンプルで、そのくせ観客のインテリジェンスをトコトン刺激する。自分の歩幅で距離を掴んだり、毛染め液や市場で何気なく買ったスイカに後段深い意味を持たせたり、松葉杖に仕込んだ狙撃銃など、一つ一つの細かいディテールが泣かせる。
ドゴール大統領暗殺計画は実在した。アルジェリア植民地政策で独立をめぐって数多くの血を流したフランスの自立政策に反対する右翼組織は、63年2月、海軍将校や陸軍仕官学校の英語教師らがドゴール暗殺を実際に企てている。
最近のサスペンスものは、次から次のテンポで見せまくり、画面合成が多すぎて、見終わった後、疲れだけが残る作品が多いがこのくらいのテンポとまで見せる映画が一番楽しい。誰もがドゴールは暗殺されなかったことを知っているのに、この高等なフィクションにだまされる。ちょっとひ弱そうなエドワード・フォックスが実は腕がたつというのと、まじめな警視役のミシェル・ロンスデールの頭の良さが際立った作品。演出のうまさとあまりメジャーでない出演者の配列が大成功した作品でもある。
穴 (1960年フランス・イタリア作品) お勧めポイント ☆☆☆☆★
中学生の頃に見て最も印象に残った作品。「ショーシャンクの空に」が中年の頃の傑作なら、この「穴」もいまだに脳裏にあって忘れがたい緊迫感あふれるサスペンス大作。「パピヨン」でその名声を不動のものにした、ジョゼ・ジョバンニの小説の映画化。
サンテ監獄の終身犯4人が周到な計画のもとに脱獄を実行する。細心の注意のもとにひたすら穴を掘り続け、明日は自由という前の夜に仲間の1人の裏切りで暴露される。歯ブラシの先につけた鏡の破片で鉄格子の周囲をうかがうスリリングな展開にゾクゾクしたものだ。「現金に手を出すな」、モジリアニの生涯を描いた「モンパルナスの灯」と名作の多いジャック・ベッケルの遺作。
アンドロメダ・・・・ (1970年イギリス作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
名匠ロバート・ワイズのSF映画の金字塔。原作は今をときめくマイケル・クライトンの「アンドロメダ病原体」。このドキュメンタリータッチの作品を初めて見た時には、一瞬「猿の惑星」を超えたかなと思ったものだった。幼い日の記憶にあった「地球の静止する日」の感情なき恐怖の宇宙ロボットに驚愕したが、ワイズはそれを超えてしまった。
物語の舞台は荒涼たるニュー・メキシコの田舎町。落下した人工衛星に付着した謎の病原体は町の人をことごとく死に追い込んだ。この異次元のような町に降り立つ完全防備の宇宙服を着込んだ2人の科学者のロング・ショツトが効いている。そこここに累々ところがる死体。だが、赤ん坊とアル中の老人だけが、どういうわけか生きていた。血液中のPH濃度など科学的裏付けも駆使しながら、完全密封された秘密の地下研究所で科学者による分析が始まる。
ここでも無名に近い芸達者な女研究員や軍と政府の駆け引きを絡ませながら、緊迫感のツルベ打ちは、ドキュメンタリー手法の妙である。
許されざる者 (1992年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
ほぼ50年も西部劇を見ているが、恐らくこの作品を超える作品は見あたらないのではないだろうか。ジョン・フォード、ジョン・ウェイン「駅馬車」で西部劇を歪曲して描いてから、「ラスト・シューテスト」「ダンス・ウイズ・ウルブス」のシリアスまで実に70年の歳月を経て、ついにアカデミー賞作品・監督賞など4部門に輝くクリント・イーストウッドの最高傑作が銀幕を飾る。
「シェーン」なんかも西部劇史上10指に入る傑作であったが、単純明快な好人物像と一癖も二癖もある複雑な人物像のどちらが印象に残るかは、見る人の人間観にもよる。
さて、イーストウッドとジーン・ハックマン(本作でアカデミー助演男優賞受賞)の火花散る熾烈な駆け引きが、ゾクゾクする面白さでもあるが、何よりもこの映画を際立たせているのは、主人公のウィル・マニーがその昔、女子供まで見境いなく殺す、人も恐れる極悪人であったというシチュエーションである。3年前に他界した妻、幼い2人の子と伝染病にかかった豚。ええっ、ほんまかいな?と観客を疑わせておいて、絶っていた酒をいつの間にか喰らい、過去の人格にジワジワと戻っていく様は、何の先入観も持たないで見ている観客に、等身大で、ビンビン訴えるものがある。
イギリスの名優、リチャード・ハリスのまさかの汚れ役にも助演男優賞をやりたかったくらいだ。
この世では実は勧善懲悪などなく、善と悪の領域さえはっきりしていないのが事実であり、時として弱者が強者を食うこともあり、運命の綾にさえ右に行こうか左に行こうか、ぎりぎりのところで、もて遊ばれることすらあるのが現実である。横暴で正義漢面した保安官が実は悪党そのものであり、ラストシーンで「娼婦を大切にしろ!」と叫んで去る極悪人マーニーこそが善なのかも知れない。「許されざる者」とは特定の人物ではなく、罪深き人間すべてを云うのだろう。
82年監督作品「ファイヤー・フォックス」はスリリングなアクション大作だったが、88年「バード」を監督した時のイーストウッドは如何にもジャズ世界への私的関心の高さだけが目立ったものだったが、風格ある本作は何度みても飽きない内容の濃い作品に仕上がっている。
特にモーガン・フリーマン演ずるローガン役のインディアン妻に、何も言わせずに、今生の別れを予感させるような演出は、秀逸であった。極上の銘品。
007ロシアより愛をこめて (1963年イギリス作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
007も25作くらいにはなったかしらん?ジョージ・レーゼンビーから最近のダニエル・クレイグまで、もう東西冷戦の環境すらなくなって、ただの作り話しと特撮とボンド・ガールの羅列で生き残っているのに比べたら、やはり初期の頃の作品は希少価値である。
特に最高傑作といわれる「007危機一発」(後に「007ロシアより愛をこめて」に改題)はスパイものの醍醐味とそしてショーン・コネリーとロバート・ショーという骨太な二大名優の共演でスパイものの真骨頂を見せつけた。最近ではクリント・イーストウッドとジーン・ハックマン共演の「許されざるもの」「目撃」あたりがいいねぇ。
さて劇中、オリエント急行内で、スペクターのさしむけた殺し屋グランツとボンドの確執が、スパイものの醍醐味とハラハラドキドキで思わず殺し屋の応援に回ってしまうあたりが最高!
味方の諜報員に化けて、食堂車でダニエラ・ビアンキ扮するタチアナ・ロマノワと3人で食事をとるシーンで殺し屋が魚料理に赤ワインを注文するあたり、今なら子供でもやらないが(豊かになりました)、その頃は、フーンなるほどと思ったものでした。
字幕で殺し屋がボンドと話すときに「ようボス!」というのがあるが、ここはやっぱり、いぎたなく「よう大将!」と訳したほうが凄みが増すねっ。
とにかくロバート・ショーの狡猾な演技には参ったね。いまならさしずめゲーリー・オールドマンかね。どうも頭が良くて腕力のありそうな悪役に弱いよ。トミー・リー・ジョーンズもハーバード大卒だがちよっと違うね。アラン・リックマンもこれまたインテリくさいだけか。
かくしてボンド3部作は「007ドクター・ノオ(殺しの番号)」と「007ゴールド・フィンガー」と本作に極まった。「007サンダー・ボール作戦」も「007は二度死ぬ」も面白かったが、荒唐無稽になり過ぎてその後の作品の土台をなしている。
結局のところ地味な作りに分類されるはずのこの作品が、ダニエラ・ビアンキの清純さとロシアの老女スパイ、ロッテ・レーニアの靴の先の凶器もまた強く印象に残ったスパイものの傑作。
ラストシーン。水の都ベニスでゴンドラに揺れながらのエンディング。シリーズ中、一番結婚させてやりたかった2人だったが、ボンドとタチアナの艶聞はその後どうなったか、とんと聞かない。
名曲「ロシアより愛をこめて」はマット・モンローの甘く、旅情たっぷりの唄声が耳元に残っていて、いまでもアカベラで歌える唄の一つである・・・。
冒険者たち (1967年フランス作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
1人の女と2人の男の甘くて切ない青春トライアングル。
これ程感性豊かに青春の夢とその挫折を描き切った映画を他に知らない。俺の青春の頃を飾ってくれた夢の一編。
ジョアンナ・シムカスってこの映画の3年後、あっさり引退して、あのシドニー・ポワチエと結婚していたなんて知らんかった。「ラムの大通り」「追想」のロベール・アンリコが、冒険・アクション・友情・愛とてんこもりの青春映画をプレゼントしてくれた。
小型機乗りのマヌー(アラン・ドロン)は凱旋門のくぐり抜けに失敗し免許剥奪。レースカーのエンジン開発に寝食も忘れてしまうローラン(リノ・バンチュラ)は爆発事故をおこし、そして2人にピュアな愛を感じた前衛芸術家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)の個展の評価は惨々。
3人3様の夢に挫折して、しばらく経って後、昔アフリカ・コンゴの動乱の最中に沖合いに財宝を積んだまま墜落したという小型機の話しを聞き込んで、その話しに乗った3人は船をチャーターして宝探しに出かけて行く。
ここで、浮浪者のセルジュ・レジュアーニが彼らにまとわり始める。実は彼は墜落した飛行機に乗っていた元パイロットだった。彼を加えて海中へ5億フランの財宝探し。途中から当時の事を知るギャング達も執拗に財宝を狙い始める。偽の警備艇に発砲したセルジュのために、レティシアが流れ弾にあたり、はかなくも死んでいく。潜水服に身を包まれて海中深く葬送されるシーンが印象的であった。
4人で山分けした財宝の一部を持って、レティシアのふるさとを訪ねたマヌーとロラン。失意の中で一度はパリに戻ったマヌーだったが充たされず、レティシアの幼き従弟の周囲でくらすロランの元へ戻る。彼女の夢だった要塞島でホテル計画を聞かされた時、またしてもギャングが襲いかかる。ドイツ軍の残した手留弾で応戦したが、ここでマヌーも敵の弾にあたり絶命する。
女1人と男2人の愛は、決着を見ることなく永遠のしじまの果てに消えていった。
全編を貫くフランソワ・ド・ルーベの軽く切ない口笛音楽が、飾りのない青春の夢と挫折を切なげに表現していた。
更に、レティシアを死に追い込んだ食い詰め者のセルジュ・レジュアーニがパリでギャングにつかまり、「仲間を吐け!」と強制された時に口を割らないままで死んでいったのが、この作品をいっそう彫りの深い映画に仕立てた。
元ボクサーのリノ・バンチュラをこの一作が縁でファンになったことも鮮明に憶えている。
プライベート・ライアン (1998年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
比較的古い映画を並べたんで、たまには劇場に足を運んだ新しい映画も紹介しなきゃ若い映画ファンにソッポを向かれる。
1998年度のアカデミー賞の最有力候補作品で、もしかしたらこの3月に主演のトム・ハンクスがアカデミー賞史上初めて「フィラデルフィア」(93年)「フォレスト・ガンプ一期一会」(94年)に続き、3度目の主演男優賞を獲得することになるかも知れない。(残念でした!)
これほどまでにリアルでシリアスな戦争映画は恐らく何本もないだろう。「プラトーン」や「ハンバーガー・ヒル」「フルメタル・ジャケット」「ディア・ハンター」も封切り当時は眼を見張るものがあったが、こんな容ち(脚本)の人為的矛盾をはらんだ作品は後にも先にもない。
大体ヒーローが、鼻っからいない。「史上最大の作戦」やら「地獄の黙示録」「バルジ大作戦」「特攻大作戦」等それぞれしっかりヒューマンな主役らしき人物や娯楽色の強いヒーローがいたが、そんな作品が懐かしくなるくらいの甘さ0%の問題作だった。
さて、ノルマンディ上陸作戦の最中(この出だしの上陸作戦のシーンたるや、実際の戦闘シーンはこんなもんなんだろうと思う。誰が生きて誰が死んでいるのかなんて、後で清算して見なきゃ分からない。血飛沫と血の海は、ちとオーバー。)4人兄弟の3人まで失ってたった一人残った末弟のライアン2等兵を救出すべくアメリカ国防省参謀総長の命令により、最前線にミラー大尉他8名の兵が送りこまれる。
行く手には想像を絶する地獄の修羅場が待ち構えていた。戦友の腹から吹き出る出血をみんなで手をあてて止めようとするあたり、これ以上のリアリティはないだろう。一切の妥協を超えた描写は迫真の戦闘シーンの連続で、生死の別かれ目はただの偶然でしかない。
ひとりを救い出すために、8人の命が生死にさらされるのは、大いなる矛盾をはらんではいるが、これほど戦争の悲惨さと倫理なき理不尽さを感じ取れる映画も少ない。バーチャルでないほんものの「戦争のイメージ」がこの映画にはある。市民的感覚と戦場の論理の葛藤は、ミラー大尉にトラウマ(心的外傷)を強いる。フロイトの自虐的潜在意識・戦争後遺症の世界がそこにはある。
スピルバーグ作品は娯楽かヒューマンか両極端なものが多かったが、本作品はむしろ過去のスピルバーグ自身を超えた映画ではあった。アカデミー賞最有力作品というだけで客が入るが、この衝撃作は「恋に落ちたシェークスピア」がでしゃばらなければ、間違いなく作品賞と主演男優賞と監督賞を手にすることを期待したい。(結局、でしゃばっちゃった。)
針の眼 (1981年イギリス作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
久しぶりで本格スパイもののサスペンスをBS放送で見ました。スター・ウォーズ・ジェダイの復讐で一躍脚光を浴びたリチャード・マーカンド監督の出世作。
たしか4〜5回目の観賞ですが、これまた一向にあきません。ドナルド・サザーランド扮するドイツのスパイ・フェイバーがイギリスに潜入し、ヒットラーの諜報組織に逐次、無線で連絡しているではないか。ばれそうになると冷徹にもナイフで次から次の殺しを重ねる。
場面は180度変わってイギリス空軍のパイロット・デビッドとルーシーの結婚式。幸せの絶頂で車で新婚旅行に出たまではよかったが、スピードを出し過ぎて崖から落下。
何の脈絡もない2つのシーンが4年後イギリス北部の孤島ストーム島で連結する。車椅子での生活にあけくれる夫との間に3歳の男の子がいた。無線で連絡を取っていたスパイは、戦況悪化に伴い、味方のドイツ海軍のUボートに乗るべくこの島を訪れる。偶然知り合った男と女。夫との生活に充たされないもの感じていた妻ルーシー(ケイト・ネリガン)は、愛欲のままにフェイバーに溺れる。絶海の孤島で夫のデビッドと(崖の上の殺しのシーンが結構な迫力)灯台守を惨殺し、何食わぬ顔で家に戻ったフェイバーだったが、うそがばれ、ルーシーとの確執の果てに愛と憎悪の交錯した中で銃弾を浴びる。フェイバーは傷つきながらも、執念のままに沖合いにいるUボートにたどり着こうとして磯船をだそうとするが、事切れる。任務のために感情すら押し殺していたスパイが最後にみせる情愛の帰結がはかなくも悲しい。冷血無比な殺し屋スパイが感情をたっぷり残しながらの無残な死が対象的ではある。
作家佐々木譲の作品に「エトロフ発緊急電」があるが、何故かこの作品に重なる部分が数多くある。
昭和16年末に単冠(ヒトカップ)湾に集結する日本海軍連合艦隊のスケールこそ違うものだが,設定の似た点も気になる。どちらの作品も大変興味深いのだが・・・。
コンタクト (1997年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
やあー久しぶりに哲学的テーマを扱った佳作を見せてもらいました。一体我々の存在する大宇宙はいつ何処から現れ何処へ向かっているのか、考えるだけで気が遠くなる話しだが、それでも人間様は汲々としながらもこの小さな水の惑星で、明日のめしのために頑張って働いておるわけです。
いつも不思議に思うのは、1万年も前から地球を訪れていると言われる宇宙人が、実際エジプトのピラミッドの技術指導を行ったり、地上の人間には確認することのできないナスカの地上絵を描いたと言っていながら、その正体が今もって混沌(カオス)の中にあることです。数知れないUFOの目撃例やロズウェル事件やアメリカのMJ−12の国家機密、果てはヒットラーまで登場して卍の模様の入ったUFOを生産していたという事実無根?までありながらも、片一方では何千億ドルも使って宇宙の果てからやって来る微弱な電波を捉えようとして世界のあちこちに真面目に作られた無数の電波望遠鏡の数々。中央大学法科卒の矢追純一さ〜ん、にしては何故かツメが甘い。ひょっとしたら、アメリカが軍事目的で開発したというインターネットの技術も彼らの幼稚な技術の一つだったりして?メキシコあたりではUFOとトムキヤットが仲良くランデブーしているのが何度も目撃されている。
この科学の実証とフィクションのはざ間に、アメリカとカナダが共同で創設したNORADのSETI計画(地球外知的生命探査計画)がある。主人公のエリーも、いつ巡り合うとも知れない知的生命体との交信を地道に続ける天文学の科学者。
ある晩、26光年離れた銀河系の惑星の一つウ゛ェガ星からの強い電波を受信する。彼女の生い立ちは、その誕生と引き換えに母親が死に、9歳になった時に科学者である父親も急死する。天涯孤独の身の上にふりかかる形而下的な出来事。そんな彼女を、運命は科学と宗教という対峙する相克の渦の中に引き込んで行く。まあ途中の上司との確執はともかく、彼女は北海道の知床付近に作られた2号機でただひとり惑星ウ゛ェガからの指示通り、ワームホールを潜り抜けて18時間の後、真理と精神の世界に漂着する。タイム・トリップはそこそこ迫力がある。そこで巡り合ったのは9歳の時に死んだままの父の姿。彼女の潜在意識の中に絶えずあった父親との形而上の確執。
誤解を解いて深〜い理解とやすらぎを感じつつ、地球に戻る。その時間たるや、地球では実験用のポッドが上から下へ落ちる、ものの数秒の出来事。ニュートリノ素粒子論で賑わっている最中ではあるが、全てを透徹する時空間を超えた世界はもうそれは神の領域に近いものがある。
1ミクロンの数千億分の1から誕生した宇宙が限りなく膨張を続け、始めも終わりもないコスミック世界の深淵なる邂逅は、ただ無限の暗渠への憧憬に過ぎない。(大江健三郎風???)
ショーシャンクの空に (1994年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
この作品を見るまでは食わず嫌いの何とかでティム・ロビンスが余り好きな俳優ではなかった。ヒョロっと長身で印象に残らないタイプだった。ところがどっこい、それが本作品の寡黙で緻密なタイプと重なって、いい味出して不世出の映画を作ってくれました。我が映画人生で間違いなく「トップ10」に入る佳品です。
アッと驚く、ラストの意外性や政治力や知性と才覚、周囲との協調性や刑務所仲間からの信頼、そして人生の盟友とは?数多くの含蓄ある命題をちりばめて、グイグイ引き込んで行く演出は傑出した作品であります。
原作はホラーの巨匠、スティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」。時々、「スタンド・バイ・ミー」など非ホラーも描きます。まさに考え抜かれた用意周到なる原作で、アイデアと筋立ては他の追随を許さない仕上がりになっています。モーガン・フリーマンのナレーションで語られる絶妙のストーリー・シークェンスは、娯楽性と知性をうまくミックスした最大の効果も上げておりました。
監督・脚本は気鋭のフランク・ダラボンだが、脚本の作りが映画の出来を決するけれど、何とも無駄のない考え抜かれたディテールの一つ一つが最高の作品を作ってくれました。
妻と愛人のゴルファー殺しの冤罪でショーシャンク刑務所に終身刑で入所して来た元銀行の副頭取だった若くて聡明なるアンディ・ディフレーン。調達屋の黒人レッドとまもなく意気投合し、小さなロック・ハンマーと房に飾るリタ・ヘイワースのポスターをレッドに注文する。このノミのように小さなロックハンマーとリタ・ヘイワースのポスターがこの後、映画の重要なファクターになる。
アンディはホモを強要するバグズの仲間に何度も手痛い目に会わされるが、看守達の税務対策を見てやったことから、やがて復讐のチャンスを与えられる。経理や税務に明るいことから身を呈して囚人仲間にピールまでおごるエピソードさえ作り、後に刑務所の語り草になる。アンディの能力を知った所長のノートンは、密かに汚職と賄賂の裏金用の帳簿付けを彼に依頼する。
カラスの子を大事に育てていた老人ブルックスは、服役50年で釈放後に生きるヨスガを失い、自殺してしまったが、アンディは何年もかかって厚生予算を勝ち取り、彼の遺志を継いで「ブルックス図書館」を作ったり、刑務所中にクラシック音楽を流したり、常人の域を超えていた。ビールと音楽を皆のためにふるまった時のティム・ロビンスの満足げな顔が忘れられない。
時はふり、ある日入所して来た若者の話しから、妻と愛人殺しの犯人が他の刑務所で別件で服役していることを知り、自分の無実を所長に訴えるが、ノートンは自からの罪の発覚を恐れるあまり、アンディに2カ月の独房入りを強要する。証拠隠滅をたくらむ所長は部下を使って若者を密かに殺し、アンディから永遠に自由を奪おうとする。アンディの入所後、19年経ったある夏の日の午後、レッドはアンディから奇妙な伝言を聞く。「仮釈放になったら、ニューメキシコのバクストンにある一本の樫の木の下を掘り返せ」と。それから数日後、朝の点呼でレッドはアンディの脱獄を知り唖然とする。
アンディは、所長の悪事の一切を証拠の帳簿と共に新聞社に送る。所長に隠れて、服役中に架空名義で蓄財した40万ドルの闇資金を、別人になりすまして堂々と銀行を訪れ、まんまと手に入れる。警察の手入れに合わせるように、所長のノートンは銃で自決し、看守長は殺人罪で逮捕される。
やがてレッドは晴れて仮釈放の身になるが、40年間服役した後のスーパーの店員にもなじめず、何ヶ月か経ってから、アンディの指示通りバクストンの樫の木を訪れ、黒曜石の下からメキシコのグワタネホに向かう旅費と手紙を発見する。
言葉に尽くし難く、想像を絶する20年近い刑務所生活の中で唯一「希望」を見失うことのなかったアンディの夢は、海辺の小さなホテル経営と釣り舟の所有だった。
今、レッドの眼の中におんぼろ船を一生懸命に磨いているアンディの姿があった。
フェードアウトしたカメラは引くだけ引いて二人が抱き合う姿を映しはしなかった・・・・・。
とにかく、人生のなんたるかがこの映画にはあった。人間の一生の価値は塀の内側でも、一見自由に見える塀の外側においても、その時間の長さは一様に同じであり、どう考え、どう行動したかによる。呪縛と禁欲の中にも希望の人生はあり、自由と放埓の中にも失意の人生がある。
アンディとレッドの永遠の友情に乾杯!!
グリーン・マイル (1999年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
たった2時間たらずのストーリーの中に一生を感じさせる映画が何本かあるが、本作もファンタジーでありながら馥郁たる人生を感じさせる脚本が見事だ。起承転結が余りにしっかりし過ぎて、まとまり過ぎた感じさえする。
大男ジョン・コーフィは何処からか現れ、総ての人の悩みや苦しみを持って電気椅子の露と消えて行った。まるで贖罪をするためにゴルゴダの丘で磔にされたキリストのようだ。あるのは無私と奉仕の心だけ。
人間ってこんなにも善悪がはっきりとした存在だろうか?善人ぶった悪(わる)、見るからに悪人面だが、実は虫も殺せない善人。良心と悪意の交錯した狭間で、悩みながら、生を全うするのが普通の人間の一生だとも想う。
大恐慌下の1935年、ジョージア州・コールドマウンティン刑務所で、電気椅子の死刑囚ばかりを扱うEブロックの看守たちの、不思議な体験を描いた心癒されるファンタジー。さても、3時間にも及ぶ大作だが、全編飽きずに見せてくれる。
アカデミー賞主演男優賞2回受賞の看守主任ポール役のトム・ハンクスの演技も霞まんばかりの、適材適所の脇役人の演技が印象的だった。
大男の死刑囚ジョン・コーフィ役のマイケル・クラーク・ダンカンと看守副主任ブルータル役のデヴィッド・モースの静かな抑えた演技が絶妙。また悪役2人、知事の甥で新人看守のパーシーと、凶悪犯ウォートンの憎らしげな演技も光った。ほんとうは優しい死刑囚ドラクロアと小さなネズミのジングルスの微笑ましいやりとりもすばらしかった。
監督は前作「ショーシャンクの空に」で不動の地位をものにした、フランク・ダラポン。
監督作は他に「マジェスティック」の3作だけ。「エルム街の悪夢3」「ザ・フライ2」「プライベート・ライアン」など製作、脚本が多い。早老けだろうか、ちょっともったいない感じがする。
小便が出なくて息むポールの苦しさと、完治後の妻とのやりとり。糸巻きをコロコロ回すジングルスの愛くるしさと、踏んづけられた時の悲しみ。星空に涙し、死を望んだ大男コーフィの神がかった人間性。刑務所長の妻の汚い言葉と安らぎのひととき。信賞必罰の悪役2人。心やさしき看守たちのチームワークの良さ。
数々のエビソードをはさんで、なお興味心と好奇心を持続させて、見ている人にポジティブな清々しさだけを残してくれる名作寓話であった。
ブラジルから来た少年 (1973年イギリス作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
決して戦争崇拝者でもネオナチでもないが、ドイツ軍をからめた戦争活劇は、「大脱走」以来、いまだに好きだが、この作品は問題の遺伝子組み替えやDNAの入ったクローンを素材にした緊迫のスリラー作品。とはいっても「ドクターモローの島」のような奇怪な動物人間が出て来るのではなく、ヒットラーに関連した、あっと驚くB級の名作である。
原作はアイラ・レビン、監督はフランクリン・J・シャフナー。出演はグレゴリーペック扮する元ナチの医学博士メンゲレと、アイヒマンを見つけ告発した実績のあるユダヤ人のリーバーマンに扮する名優サー・ローレンス・オリビエ。脇を固めるメンゲレの部下ジェームズ・メースン。「コクーン」で後年知られることになるステイーブン・グッテンバーグ。
南米パラグアイ、メンゲレの元に集まった旧ナチの残党を嗅ぎまわるバリー・コーラー(グッテンバーグ)はイギリスのリーバーマンと長距離電話で連絡を取り合うが、子供を使って仕掛けた盗聴装置がばれてメンゲレに殺されてしまう。戦時中、密かに人体実験を繰り返していたメンゲレは、ヒットラーの皮膚と血液の一部から無性生殖で卵巣を借りて94人ものヒットラーのコピー人間を世界じゅうに作っていた。
14年後、再び世界制覇をもくろむメンゲレは、ヒットラーの再来を期待し、もはや彼らの環境を気にするあまり、手下を使って育ての養父を次々に殺戮しようとする。バリーの情報でイギリスの田舎の郵便局長を訪ねたリーバーマンはそこで、偶然にも局長を殺したばかりのメンゲレと出くわす。沢山の飼い犬ボクサーがメンゲレに噛み付こうとする。後から帰って来た局長の14歳の息子ボビーは、メンゲレの言葉に疑問と嫌悪を感じたまま、銃を持つメンゲレに飛び掛かるよう命令する。血の海にさまよう狂信者。メンゲレの銃弾を浴びたリーバーマンは、期せずしてメンゲレのクローンに助けられる事になる。血は環境と育ちを超えるという恐るべき試みは、その後ヒットラーが世に出ていないことで実証された。
震撼するようなストーリーテラーは、グイグイ引き込む着想の面白さも手伝って、記憶に残る作品になった。
カプリコン1 (1977年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
劇場公開で見てから、ついぞ見ていませんでした。でも強烈なインパクトは、この映画を、決して記憶の彼方に押しやることはありませんでした。一度見たなら永遠に残るストーリーだったのです。今だ月面着陸の「アポロ11号」の疑惑は、消えていません。
ラストシーンの墓地で、あの晩年のグレゴリー・ペックに似たハル・ホルブルックの、むなしく虚空をさまよう眼差しを、決して忘れることはありませんでした。CG蔓延の現代からすると映像的には大人しいですが、次から次のサスペンスは、今見ても引き込まれます。
NASAから打ち上げ予定の有人火星宇宙船。打ち上げ寸前に、突然「生命維持装置」の故障と告げられ、ブルーベーカー、ウィリス、ウォーカーの3人の宇宙飛行士は、小型ジェット機で500Kmも離れた、名も知らぬ砂漠の廃格納庫に強制移動させられる。
3人のクルーを待っていたのはNASAの所長ケロウェイ博士だった。
「今更後に引けない」「追加の国家予算もない」などとケロウェイから告げられ、世紀の偽セット劇を強要される。拒否すれば、家族の命がない。
一方、ケロウェイの部下が突然失踪したことを疑問に思った、新聞記者のコールフィールドは、ブルーベーカーの奥さんに接近する。宇宙船との交信で、行ったことのない「ヨセミテ」にまた行こうと云った疑問。ブレーキの利かなくなった車。
ケロウェイの謀略は、火星着陸を果たした3人が地球再突入の際に、耐熱シールドの事故で絶命する筋書きだった。砂漠に逃げ込む3人。追っ手のヘリコプター。合図の発煙筒を持って北・東・西に分かれる3人。灼熱、水なし、食料なし、体力の限界で、2人は捕まり、ブルーベーカーだけが、蛇とサソリの恐怖を乗り超えて、新聞記者コールフィールドの双葉機に助けられる。(手前、疲れ果てたブルーベーカー。廃ガソリン・スタンドの窓の向こうに、点のように現れるヘリが印象的だ。)
今まさに大統領臨席の合同葬儀の墓地会場に、生き延びたブルーベーカーがコールフィールドと共に、走り寄る。
これぞアメリカ的大陰謀だ。そもそもこんなアイデアは日本人では考えつかないだろう。
監督は「アウトランド」「ハノーバー・ストリート」のピーター・ハイアムズ。おそらく彼の最高傑作だ。出演はエリオット・グールド、ジェームズ・ブローリン、ハル・ホルブルック、テリー・サバラス、サム・ウォーターストーン、ブレンダ・ヴァッカロ、カレン・ブラック、OJ・シンプソンと配役も良い。
マトリックス (1999年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆
いやぁ〜いち早く見て、いち早くお知らせします。
実は我が娘がオーストラリア滞在中にエキストラで3日間ギャラ付き(しかも普通のバイト賃より高額で)で出演した映画と聞いて見たかったのですが、特撮処理が思いのほか長期間に及び、封切りが伸びました。
出演場面は、酒場のシーンというかクラブのシーンらしかったのですが、眼を凝らして見たのですが、あえなくカット。1年半前から期待していたのに、あへ〜っ。「人生は危険に満ちている!?」と訳のわからぬコマーシャルを思い出して、落胆に暮れたわけであります。
キアヌ・リーブスの2メートルくらい側で、娘が本人の顔をまじまじ見たそうですが、「スピード」がヒットしてから、結構大物スター気取りで、周りに不遜な態度が目立ったそうであります。
ストーリーのお話は今回やめにします。ひとことで言うならウォシャウスキー兄弟監督のつくった21世紀型の超感性映画。1970年代から現代までの映画のエッセンスと、アニメやコミックのリソースがミックスフィーチャーされたアメリカ版近未来カンフー映画。感じる映画です。
砂の器 (1974年日本作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
誰が云ったか忘れたけれど、日本映画最高の金字塔は「七人の侍」と「砂の器」に尽きると言い切った人がいたが、ある意味、否定出来ない自分がそこにいる。それまでに非の打ち所のない名作なのである。
「砂の器」以後の映画もそうだが、たまに見る2時間枠テレビドラマの推理サスペンスものの軽薄なことよ。何十年にも亘って放送されているが、ズシリと来る傑作に殆どお目にかかったことがない。
それまで、どちらかと云ったら幼い頃から洋画好きの筆者は、日本映画に一種の偏見を持っていたが(いまだにある)、完全に打ちのめされた。それ程までにこの映画は重厚でかつ印象深い作品なのである。松本清張の原作も読んだが、映画が原作を完璧に超えてしまった。
今想えば、丹波哲郎と森田健作、加藤剛というキャストがベストだったかどうかは疑問の余地は残るが、ただ一人、らい病患者の加藤嘉の配材はベストと云えよう。今西刑事が面会した時に、「お、おら〜っ、そったら人、しっ、知らねっ!」。かくも離れ離れになった息子をかばう父親。
今ならさしずめ大地康雄(今西役)、長瀬智也(吉村役)、上川隆也(和賀英良)、江本明(本浦千代吉)あたりでどうだ?すっかり印象が変っていいかも知れない。
DVDで何度見ても、筋立ての複雑さ、情と怨念の世界、橋本忍と山田洋次の共同脚本のすばらしさに感服する。脚本にこの時期から山田洋次も関わっていたのだね。監督は清張ものの「影の車」「ゼロの焦点」「張込み」「鬼畜」と名作の多い野村芳太郎だ。
戸籍を詐称し、別人になりすまし、栄光の道を歩もうとした矢先に、全ての過去を知る人物・三木謙一に出会い、宿命的殺意に翻弄される、和賀英良。
謎解きの快感は、ズーズー弁の東北秋田の亀田から、島根県の亀嵩へ。紙吹雪の女。そして注目のシーンは三木謙一が伊勢の映画館で2日間に亘って見た待合ギャラリーに何気なく架けられていた、地元の有力者と共にいっしょに写っていた本浦秀夫(和賀英良)の顔。このシーンが実にハイライトだ。描き様によってはもっと印象的にできたかも知れない。
そして、圧巻はすべての惨い殺人の理由がさらされた後に、「宿命」の音楽が流れ、30分にも渉り、山陰地方を彷徨う、うらぶれた親子のロングショットや長回しによるお遍路旅である。これを見て、涙ぐまない人は皆無でないかと思わせる程、人間の業と情念があぶり出される。
原作のイメージを膨らませた脚本で、極めて象徴的に描ききったのが、名作と云われる本作品の所以である。
七人の侍 (1954年日本作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
洋画好きの俺が唯一惚れ込んだ日本人監督黒沢明。30作品、ビデオで全部所蔵しているが、はっきり言ってすべてが面白い作品と言うわけではない。秋刀魚じゃないが、「油の乗りきった頃」という表現があるが、晩年の金と時間をかけた様式美の世界には余り感動することもない。その「油の乗りきった頃」の最高傑作が「七人の侍」、黒沢明・43歳の作品である。
他にも「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」「どですかでん」が好きな作品である。とりわけ自他共に認める「七人の侍」は黒沢作品の最高傑作だと、信じて疑わない。興奮と陶酔の連続である。映画の構想からストーリーテリング・ディテールに至るまで、全て考え尽くされたこの作品は、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞している。
巧まざるユーモアとシリアスの繰り返しがリズムとなった3時間30分の長尺もののこの作品が、一部の隙もないのは、全編に行き届いた脚本のせいかも知れない。制作にかかる1年も前から脚本家の橋本忍が調査を開始し、下準備を重ね、黒沢、橋本、小国英雄の3人で熱海の閑静な旅館に45日間缶詰し、作り上げた共同脚本の結果である。原作のベースになったのはロシアの文豪トルストイの「戦争と平和」だった。一人ひとりの人物が個性を備えて存分に生きている「七人の侍」のあのリアリティと膨らみは、長年世界文学に親しんできた黒沢の部厚い教養が大きな肥やしになっている。
最初、橋本忍の脚本は「日本剣客列伝」という企画で、その内容たるや「六人の侍」の物語であった。菊千代の設定が何処にもなかった。当初、一番カッコのいい剣客久蔵の役は三船敏郎であったが、侍と百姓を繋ぐジョーカー役の菊千代役が見つからず、豪胆で繊細、面白い道化役はやはり三船しかいないということになった。
宮口精二は性格俳優で静かな役が多かったが、黒沢は逆の効果を狙って剣客役に抜擢、あのものすごい殺気を生んだ。枯れ木の如き痩身の男。映画の中での剣の達人、宮口久蔵は終始無表情である。木村功の若侍勝四郎が久蔵の活躍に感激の余り、思わず「貴方は素晴らしい人です」と言って駆け去る。おのれに厳しく、賛辞などに無縁の男が眉間に深い皺を刻み、照れる一瞬がある。侍というものの愚かしさや雄々しさや哀しさが久蔵の照れのなかに一瞬たぐり寄せられる。
リーダー勘兵衛役には「知行や恩賞にはまったく縁のない仕事」、勇敢で毅然と職務を遂行し、人間味あふれる人物設定には志村喬がはまり役だった。「勘兵衛という人はいつも負け戦ばかりで不運な人だけれども、侍大将くらいの器量は持っているんですよ。でも、自分では決して偉いとは思っていないという人ね」と黒沢は語る。
「七人の侍」は、映画でなければ表現できない部分を生の映像でのみ捉え、表現できた日本映画の金字塔的作品である。
撮影に一年もかかったのにギャラも少なく、皆の情熱だけを注いで作った作品だった。リアリズムに徹し、新調した衣装をあらかじめ汚し、侍も汚なきゃ、百姓も汚い。途中からボロボロになって臭い臭い。生身の侍を描くことに監督は腐心した。
今日世界のあちこちの映画学校で一番多く教材に使われている。映画を映画らしく、現代的視点で見た時代劇のあり方。その時代の現実感をリアルにつかもうとした。本物以上に本物らしくみせるためのウソはたくさんある。黒沢は確かにガンコで、映像には決して妥協しないが、合理性もあり、決して理不尽ではない。見えない所まで全て本物を使っているかといったらそうでもなく現場での創作もかなりあった。
活劇の楽しさと七人の侍の人間性が一人ひとり、しっかり描かれていた。豪快でスケール感のある作品であるが、監督はカメラや大道具など全てに口出しし、妥協を許さないことから黒沢天皇とまで言われたが、「トラ!・トラ!・トラ!」の降板劇や自作品の行き詰まりで1970年に自殺未遂した時に、「自分は元来弱い人間、願望と想像力が重なり映画には逆な面が出るんだよ。」と語ったこともある。彼にいろんな影響を与えた活弁士の兄も自殺している。
黒沢明は士族の出であった。幼い頃、父はちょんまげを結っていた。秋田県の出身で陸軍戸山士官学校の第一期生であった。侍の末裔である父を敬愛していた。
「七人の侍」の時代設定は天正年間1580年代であった。当時、全国を武者修業する侍たちは道場で手合わせしながら、一宿一飯にありついていた。悪党がはびこる戦国時代、ある村が野武士の襲撃を防ぐために、侍を雇って助かったという僅かな橋本の文献を黒沢が想像力を飛躍させ、制作のきっかけとなった。
「七人の侍」は空前絶後の作品とよく言われる。一年間ものロケと3台のカメラを同時に回したマルチ撮影方式も初めてであった。
かかり過ぎの予算と日数に東宝の幹部は幾度となく打ち切りを宣言していたが、黒沢もたいしたもの、ラストの合戦シーンを最後まで撮らずに残しておいたのだ。これでは幹部も口をつむぐことになる。彼自身、予算とスケージュールをある程度まで無視していた。伊豆・御殿場ロケは毎夜、総勢150人のスタッフによる車座の酒宴であった。今でも高いジョニ黒やホワイト・ホースの空瓶が翌朝ゴロゴロあったという。中には黒沢の独演会に辟易としたスタッフもいた。でも彼は映画はみんなで作るものという姿勢を崩さなかった。文字通りビーフ・ステーキにうなぎの蒲焼きを乗っけたような映画に仕上がった。
「七人の侍」は日本の映画人が、活動屋という意識で作った最後の作品だった。活動屋の連帯意識はこの映画で終わった。
情熱と奇跡、まさに天意が働いた映画であった。二月の寒風と冷たい雨の中、殆ど裸に近い格好で体を張って撮影したハイライトシーンの後で、東宝側が用意した冷えた弁当を黒沢が投げつけたのも有名な逸話である。
ラストの合戦シーンは、この月のめずらしく大雪がふった後の極寒の中で6月のシーンの撮影である。着ているものは初夏の装い、おまけにどしゃ降りの雨の中と来た。まさに撮影は戦場であった。ものすごい形相と怒鳴り合いの中で声も通らない。「何かが乗り移ったような」神がかりで作った映画でもあった。馬の蹄と雨と泥と汗と血が一色汰になって怒涛のように押し寄せる。途中で雨がみぞれに変わった。種子島(火縄銃)に撃たれ、大雨と泥水の中にガクッと倒れて行く剣豪久蔵。ふいに来たこのシーンが今でもスローモーションのように思い返される。銃に撃たれ、敵の大将に刃を突きつけてやがて息絶える菊千代。勇敢に死んだ4人の殉死はいずれも種子島。死ぬなら撃たれて死ぬ方が潔い。「侍の中の侍」として死なせる黒沢の美学がそこにあった。勘兵衛、力なく七郎次に「また生き残ったな・・・。」とポツリと話す。
こうして構想三年、製作二年、撮影一年、の映画の中の映画は出来上がった。
あの「七人の侍」の編集が終わった時には、スタッフみんなで泣いていた。人一倍苦労して撮った映画だったから一本終わると、心の中を風が吹き抜けて行く。勘兵衛も菊千代も黒沢にとって三年付き合って来た人物である。特に黒沢は自ら作った人物になり切る憑依の思いの強い人である。勘兵衛らといっしょにあの戦いを共に生きて来たのである。
黒沢の言葉をそのまま引用しよう。
「ある山間のちいさな村に、侍の墓が四つ並んだ。野心と功名に憑かれた狂気の時代に、全く名利をかえりみず哀れな百姓のために戦った七人の侍の物語。彼らは無名のまま風の様に去った。しかし、彼らのやさしい心と勇ましい行為は、今猶美しく語り伝えられている。彼らこそ侍だ!」
世の中に新風を吹き込み、既成の秩序を破って新しい価値を創造する人たちは決まって誤解やあらぬ誹謗を受け、異端者扱いされることが世の常である。黒沢が1998年9月6日に亡くなって3年、映画は娯楽というだけで、フランスのような国が支援する映画芸術という視点が未だに日本にはなく、過小評価され続けたことが今日の日本の映画産業の衰退を招いているが、それを誰よりも悲しんでいた黒沢ほどの映画人はもういない。
グラディエーター (2000年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
懐かしき歴史絵巻の再現。まったくスペクタクル史劇ものが作られなくなって何年になるだろう。あの「エイリアン」や「ブレードランナー」の名監督リドリー・スコットがとうとうやってくれました。おまけに2001年3月のアカデミー賞最優秀作品賞まで獲得してしまいました。
その昔、奇才スタンリー・キューブリック監督・カーク・ダグラス主演で剣闘士の反乱を描いた「スパルタカス」という史劇ものがありましたが、コンピューター・グラフィックスを多用した本作品はスケール感においては完全に前作を超えちゃいましたね。
その風貌からどうしてもハードな印象の強いラッセル・クロウも見事アカデミー賞主演男優賞に輝きました。合点がいかなかったのは、リドリー・スコットが監督賞を取れなかったことでした。ホアキン・フェニックスが助演男優賞を逃がしたのも悔やまれました。12部門のノミネートで衣装デザインと音響と視覚効果を含む5部門の受賞でしたが少ない気がしました。ちょっと今年はバラけましたね。いい作品が沢山あった年だったのでしょう。同系統の1959年作品「ベンハー」の11部門受賞は今考えると得しましたね。
さて、ストーリーですが何と言いましょうか、家族の愛が重要なテーマですが、皇帝コモドゥスの父と姉に対する卑劣でサディスティックなやり口は、満たされない家族愛の典型として、妻子を失ったマキシマスのまっとうな愛と陰陽をなしていました。多分生まれついてから実母の愛に恵まれることなく野心と征服欲だけに囚われて育ったコモドゥスなのでしょう。実母と異性と姉への愛を全部ないまぜにした複雑な人格表現をホアキンが見事に演じていた。俗な人間がすべて持ちあわせている嫉妬や功名心など、このあたりはむしろマキシマスの役づくりの上を行く役のような気がしました。
話しは少しだけそれますが、最近剣闘士の故郷と言える南イタリア・ナポリの近くにある2千年前の古代遺跡「ポンペイの遺跡」を見てきました。2万人を収容すると言われる円形闘技場も18世紀になるまで発見されませんでした。ヴェスビィオ火山の噴火で街が一瞬にして火山灰に覆われてしまったのがよくわかります。奴隷だったスパルタカスが故郷に戻りたがったのも実はこのポンペイだったのです。当時の人々の快楽の対象が血生臭い剣闘士同士の殺戮劇だった。昔から酒と女とバクチにうつつをぬかしていた気配がありました。午前中だけオリーブ畑で働いて後は美術や音楽やワインに酔いしれていた往時の様子が手にとるようにわかりました。
コモドゥスが民衆の気持ちを常に意識し媚びを売ったのも、実はこの辺の理由からかも知れませんぞ。「ベンハー」に似て非なるストーリーだったけど宗教色の変わりに、如何にも現代に通じそうな民衆のエゴが隠されたテーマでもあった。
らい病の谷から家族を救い出す話しと、見るも無惨に殺される家族の話しとあなたならどちらを選びますか?
ザ・デッドゾーン (1986年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
「戦争の犬たち」「ディア・ハンター」「天国の門」など、どちらかと言えば孤独な匂いのする役柄の多いクリストファー・ウォーケンのマニア好みの悲劇もの。監督は「ザ・フライ」でもせつない愛の終焉をうまく描いた奇才デビッド・クロネンバーグ。原作はご存じスティーブン・キング。
高校教師ジョンには、恋人サラがいる。結婚の約束を交わしたその晩、ジョンは予期せずして瀕死の交通事故に遭ってしまう。奇蹟的に助かるのだが、5年間の昏睡から目覚めた時、サラは別な男と結婚しており、10カ月の男の子さえいた。昏睡後、ジョンは過去と未来を透視する不思議な超能力を身に付けていた。看護婦の手を握った瞬間に彼女の娘が火事にあっている現場を知らせたり、主治医が過去に失った彼の母親の存在すら透視する。
やがてその能力を、連続殺人事件の犯人捜しに協力することとなり、見事に犯人を予見する。何と若い娘ばかりを3年半にわたって殺し続けた犯人は保安官の部下の仕業だった。犯人は自殺する。
すっかり有名になってしまったジョンは、母を失い世間から身を隠し、ある著名人の息子の家庭教師を引き受けるが、自閉症の息子の心を開かせた時、彼が何日か後に湖の氷が割れて事故死するのを透視する。事実、事件の翌日他の子が2人溺死したことを知る。
やがてサラが応援する悪徳上院候補スティルソンに出くわし、彼と握手した瞬間に、この候補が将来大統領になって核ミサイルのボタンを押す場面を予知し、ひとりでスティルソンの演説会場に暗殺に向う。
ジョンは果たして救世主か?只のテロリストか?サラ宛てに出した遺書がすべてを知る鍵だったが、ジョンに銃を向けられて大衆の面前で、とっさにサラの子を奪い盾にして逃げ惑うスティルソンの姿があった。警察官の銃弾がジョンに命中し、ステイルソンがそれ以後卑怯者として扱われ自害して果てる図を予知しながら、サラの腕に抱かれて命を終える。
運命にもてあそばれ決して結ばれることのなかった一組の男女の凍てつくさめざめとした悲恋の脈絡を最上級のシナリオで描いた佳品。
猿の惑星 (1968年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
2008年4月5日、83歳で惜しくも亡くなった名優チャールトン・ヘストン。わが映画人生を振り返った時に、その存在の大きさは恐らくNO.1になるだろう稀代のハリウッド・スターだ。(別に「わが映画人生の黄昏」エッセイ執筆予定)
ハリウッド映画も「タイタニック」以後、似たような大作や大仕掛けなCG作品なんかが次第にあきられ、国内では、日本映画がそれに変わって久しぶりに絶頂期に入った感じさえする。
さて、数あるヘストン作品の一本だが、当時度肝を抜くラストシーンで話題をさらった原作ピエール・ブールの傑作SF。今思えば、英語をしゃべる猿族も変だが、自由の女神の入ったポスター・イラストは種明かししちまって笑える。
ストーリーは、はるか昔、地球を飛び立った宇宙船が、地球時間3978年にオリオン星のとある惑星の湖に漂着。テイラーと2人の宇宙飛行士は、そこは猿が、言語を失った人間達を支配する、進化が逆転した惑星であることを知る。
捕獲されたテイラーは、猿社会の良識派ジーラとコーネリアスに助けられ、守旧派のザイアス博士に疎まれる。ザイアスは禁断地帯の向こうにある愚かな人間達の歴史の秘密を封印しようとしていた。だが、テイラーはその秘密を探ろうとノバと2人馬にまたがり、海岸線を辿るのだが・・・・・。度肝ぬく圧巻のラスト!!!
何百万年も昔、アフリカより出でた人類の祖先は、グレートジャニーの果てに、アジアやヨーロッパに渡った。ヨーロッパの一部に棲息していたネアンデルタール人は、長い進化の歴史の中で、言語中枢が発達機能せず、結局、ホモ・サピエンスに支配され、絶滅の一途をたどっていったという。ダーウィンが「猿の惑星」を見ていたら、どんな映画評論を言うだろうか???
40年経ってこの映画を評価しなおした時に、やれアメリカの黒人と白人の人種問題が込められているとか、猿にも、チンパンジー、ゴリラなどの階級社会があったとか、あの猿は実は戦時中の日本人(イエローモンキー)だったとか、ジーラ役のキムハンターは共産主義者だったとか、諸説あるが、ストーリーは極めて単純明快。同じ年に製作された難解な「2001年宇宙の旅」に比べるとその何倍もヒットした。
以後、シリーズ化され続編が4本も作られているが、いまだに見ていない作品もある。まあ、結局のところ一作目の衝撃的ラストシーンがあまりに衝撃だったものだから、以下は語るに落ちずか。
原作では猿が飛行機や車を乗り回す未来社会だったのに、予算の都合で2〜3世紀前の猿村にさせたとあるが、野性味あふれる猿軍団や、これが最初のアカデミー賞メークアップ賞には、いい意味貢献したのではないか。
それにしても低予算で、金のかかった「2001年宇宙の旅」の何倍も稼いだろうなあ。
エル・シド (1961年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
「ローマ帝国の滅亡」のアンソニー・マン監督によるスペイン救国の英雄伝説スペクタクル史劇。バルセロナ訪問の折にはカタロニア広場でコロンブスの大きなレリーフを見ました。石造りの町並みが如何にもヨーロッパだなぁという印象でした。
1950〜60年代は今思ってもチャールトン・ヘストンの全盛期だったんですね。「十戒」「ベン・ハー」「北京の55日」「地上最大のショー」「大いなる西部」「華麗なる激情」「猿の惑星」「ジュリアス・シーザー」「大地震」等々スペクタクル映画の王道を歩んだ大スターだった。
スペイン国王フェルナンドの部下ロドリーゴはとらえた敵兵を殺さずに反逆罪のそしりを受け、恋人シメンの父親と一騎打ちになり、彼を殺害してしまう。喪服を着続けるシメンはロドリーゴを恨み続けるが、彼は国王の威信を回復させようと最高剣士の座に就く。そこでシメンを妻にめとるが、氷のように閉ざされた彼女の心は開かない。やがて国王が病死し、3人の兄妹の争いとなり、兄サンチョを謀殺した弟アルフォンゾは妹と組んで、ロドリーゴを流人にしてしまう。
ロドリーゴの心の広さと包容力・勇気を理解したシメンは心からの妻となり、2人の娘を授かる。
スペイン支配を目指すムーア人のユセフの軍団はバレンシアに上陸、城を奪う。ロドリーゴは友軍を率いてバレンシア城を兵糧攻めで落とし、ユセフの軍団と怒涛の如く交戦する。最後まで私欲に飽き足りない国王アルフォンゾに忠節を尽くし、スペインのために闘った英雄は矢に倒れ死してなお、友軍の士気を高めるため馬上に繋がれ、とうとう蛮族を蹴散らす。戦いを彼に任せきりの度量なき国王アルフォンゾはロドリーゴの想いに突き動かされ、戦場に馳せ参じる。
エルシドとは英雄に捧げられる永遠の称号である。第一人者を拒み続けた真の英傑の家族と国に対する愛をスケール豊かに描いた歴史ロマン。
DIVA(女神) (1987年フランス作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
当時新鋭だったジャン・ジャック・ベネックスがいきなりセザール賞4部門受賞で華々しくテビュをかざった記念すべき処女作。
第2作以後は「溝の中の月」「ベティブルー激情の日々」とシリアスものが俄然多くなる。
華麗なる演出とカメラワークで抒情派から無感動派?まで、すべての人をとりこにして描いたスーパー・ムービー。フランスものと言えば何か小難しい芸術作品が多い中でサラリ記憶に残ってしまうアートフルな異色作品。
昔ロマン・ポランスキーの描いた「水の中のナイフ」のタッチが新鮮でサスペンスの要素もあったが、この作品も単なるアクション&サスペンス映画に留まらず、芸術性や思索に富んだ味わい深い作品である。
郵便配達のジュールが不似合いなソプラノ歌手のシンシア・ホーキンスのコンサートに聞き入っているところから物語は始まる。楽屋で彼女の来ているローブを盗み、録音禁止の会場で海賊テープしてしまう熱烈なるファン。おまけに花束配達を届けるふりをして、彼女のホテルの部屋にまで潜り込む。シンシアは商業主義を嫌って一枚のレコードも出していない。一方的に友達になってしまう。
ジュールはある日、日系の少女がレコードの万引をする現場を目撃し、彼女が身を寄せる自称芸術写真家のゴロルデシュと親しくなる。
その後で偶然ジュールの配達バイクに投げ込まれた殺人現場のテープとジュールが盗った録音テープの話しが、それぞれをつけ狙う悪党たちとからんで、こんがらがらずに最後までサスペンスフルに面白く展開していくのだが、ここで説明してもあまり迫力がないのでやめます。
要は組織に徹底的に追われ、地下鉄の中までバイクで逃げとおすハラハラドキドキ。ゴロルデシュの機転で何度も助けられ、黒幕が何と警察の警視であることを暴露しちゃうお話し。その間に何とも無垢なシンシアの芸術性豊かな歌声をフイチャーして、わくわくするようなテンポで描いた不思議映画。
太陽がいっぱい (1960年フランス・イタリア作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
フランス映画が下火になってから久しいですね。近年では「ディーバ」や「アメリ」、「グランブルー」「レオン」「譜めくりの女」などが印象に残っています。往時は、アランドロンやジャンポール・ベルモンド、リノ・バンチュラ、カトリーヌ・ドヌーブ等で一世を風靡したものでしたが、現在日本では停滞しまくってますね。映画の生みの親「ルミエール兄弟」や、「ヌーベルヴァーグ」といわれる新しい波を映画界に送り込んだのもフランス映画でした。どういう訳か北野たけしが最高勲章なんかもらって、フランス人に、もてまくっていますね。
その中でも傑作中の傑作で、わが青春映画の金字塔だった「太陽がいっぱい」は何十年経っても色あせることはありません。青い空、青い海、白いヨット、ギラギラした太陽、南イタリアの港々。ニーノ・ロータの甘く切ないメロディ。
アラン・ドロン作品は他にも「地下室のメロディ」や「冒険者たち」「サムライ」「さらば友よ」など枚挙にいとまがありませんが、その中でも本作品は若き頃のドロンの記念碑的作品です。完全犯罪と恋人を同時に手にした矢先、唖然として心臓が止まるくらいの圧倒的ラストシーンが待っています。50年経っても、このショックシーンは脳裏に焼き付いて離れません。
1935年生まれのドロン、24歳頃の作品ですが、瑞々しい青春の翳りと感性がスクリーンに120%出ていました。つい端整な顔立ちにだまされますが、どこか野卑で暗い印象は彼の生い立ちに重なります。
両親の離婚に始まり、17歳で外人部隊に入り、実際にインドシナ戦争も経験し、帰国後、ブラブラしていたら撮影所でスカウトされたとのことです。本人も終生、結婚と離婚を繰り返すことになり、子供の認知など血縁問題にまで発展することになります。
当時同棲したという、数奇な運命をたどった、ロミー・シュナイダーが、「太陽がいっぱい」の冒頭シーンでほんのチラッと出ていたのを、お気づきでしたか?(フレディの女友達。)
彼女の「追想」や「離愁」「ルートヴッヒ・神々の黄昏」などが印象的でしたが、1972年には「暗殺者のメロディ」でドロンと共演しています。好きなタイプの女優でしたが、晩年は悲しい死に方をしましたね。
この作品、フランス映画のエスプリが随所に出ていましたね。フィリップを殺した後、時間つぶしの市場めぐりが何とも残酷です。エイ魚の悲しげな表情、頭を切り落とされた青魚が市場の端に無造作にころがっています。
ドロンのえもいわれぬ仕草、特にフィリップとマルジュが船倉でもつれ合っている時、天窓から覗くドロンがナイフでパンを切って口に運ぶシーン、フレディを撲殺した後、鶏肉に噛りつく背中のシーン、フィリップのサインを真似る練習シーンや何か仕事を始める時のドロン独特の振る舞いが印象的でした。
貧乏なアメリカ青年トムは、出だしから謎の人物。金持ちの放蕩息子フィリップに、彼の両親から頼まれたといって近づき?、フィリップの恋人マルジュにまで、フィリップとの親密さを訴える。最初から仕組まれた完全犯罪でなく、事の成り行きで悪事にひた走るが、フィリップになりすましてからは一意専心、彼の財産をマルジュに相続させることに成功。すべて筋書き通りに運び、ラスト、燦々と輝く浜辺の籐椅子に深々と身を沈め、マルジュからの電話を待っていたのだが・・・。
あぁ〜「太陽がいっぱい」よ、一瞬の永遠なれ!
ターミネーター2 (1991年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
アレほどの人気者アーノルド・シュワルツェネッガーがスクリーンを去って6年、財政非常事態宣言で揺れるカリフォルニア州知事の仕事も決して楽でないようです。「ターミネーター4」でCG合成でその姿が現れただけで場内に歓声が上がりました。
「ターミネーター」、「ターミネーター2」ともに人気を博したヒット作品でしたが、監督のジェームズ・キャメロンが去ってからは「ターミネーター3」も、劇場観賞の「ターミネーター4」もいまいちの作品でした。「ターミネーター2」はやっぱりシリーズNo.1の出来でしょうか。
先日、思い返してキャメロンの記念すべき映画第一作「殺人魚フライング・キラー」をビデオで観てみましたが、「何だこりゃ?」と思いたくなるくらいの失敗作でした。イチローじゃないが、キャメロンも製作会社の口出しで、ズタズタに改ざんされ、悩んで胃潰瘍にもなったそうです。その点、若きスティーヴン・スピルバーグの処女作「激突!」は成功しましたね。
リドリー・スコットから引き継いだキャメロンの「エイリアン2」などは前作を超えていたのにね。人間、個性が如何に大事か、自由にやりたいようにやらせてもらうことが如何に大事か、この落差に個人的にも、甚だ想い返すことがあります。
そんな訳で、「ターミネーター2」をDVDでもう一度、見返してみましたが、何度見ても感動するではありませんか。
ストーリーの矛盾点は数多いのですが、アイデアが完全にそれを凌駕しちまっているのです。
「ターミネーター」の低予算から、野に放たれたような「ターミネーター2」は予算も企画も桁違い。見事なまでのエンターティンメントに仕上がりました。
今見ても、ミスキャストの「ターミネーター3」に比べたら、キャストがバッチリ適材適所でした。若きジョン・コナー役のエドワード・ファーロングも適役。T−800と対照的なT−1000の痩せぎすロバート・パトリックもジャスト・フイット。PART1でただのウェートレスだったサラ・コナー役のリンダ・ハミルトンが鍛えに鍛えて、「ターミネーター2」に向かう姿勢は脱帽物だった。
特に州立の精神病刑務所内で、ベロっと舐められた看守を始末した後の軽い動きがすばやい。またガードマンが自動販売機でコーヒーを買うシーンなど、双子をキャスティングするあたりは、大したアイデアだ。ラストシーンで、てっきり合成だと思っていたサラが2人重なるシーンがあるが、実はリンダ・ハミルトンも双子だったとは!!??(後年わかる。)
アイデアといえば、この作品は全編無数にアイデアが込められており、その一つひとつが披露された時に、深い溜息と衝撃に襲われ、やがてそれが爽快感に変わっていく。
特に何にでも姿を変える液体金属という設定で、未来から送られた新型ロボットT−1000が圧巻だった。正直、筆者の長〜い映画人生で見たこともない、経験なき素材と内容だった。
キャメロン作品「アビス」で、水の流動固体がCG処理され、画面に現れたことは知ってはいたが、ここまで容ちを変えて襲いかかるサマは驚きだった。両腕が様々な凶器に変わっていくのも凄いし、何しろシュワルツェネッガーの旧型T−800が、どうやっても死なないT−1000に、手をこまねいてジレンマに落ち入る様子が痛々しくて、どうなるものかと思わせるシーンが秀逸だった。
人間が本来持つ、弱者への「判官びいき」に灯を点けた。おまけにT−1000は、何にでも姿を変えられるが、一抹模様の床面に姿を変えてしまうあたり、ここまでやるかと、サプライズとアイデアの極みを感じたものだった。
キャメロン演出は、この細かいディテールづくりが作品全体を盛り上げる。はっきり云って「ターミネーター3」「ターミネーター4」には、この細かいディテールづくりがない。俗に大味な作品と云われてしまう所以だ。
スリラーの神様、ヒチコックもその昔、このディテールづくりが非常にうまかったのを憶い出した。
ショッピングセンターでのシュワルツェネッガーのT−800とロバート・パトリックのT−1000の交錯シーンもさすがだ。
カメラは2階、右から現れるT−1000と、階下、左からジョン・コナーを探すT−800が初めてワンショットとなる。未来から送られた殺戮者と庇護者が初めて出会う、ゾクゾクさせるシーンだ。
更にバックヤードの廊下で3人の接触場面では、T−800がジョン・コナーの盾になって銃弾を浴びるシーン。2人のもみ合うシーン。洪水避けの轍を疾駆するバイクに襲いかかる大型トラックのシーン。炎上するトラックから忽然と現れるT−1000。一度は窒素冷却で固まってしまうが、溶鉱炉の熱で再び生き返るシーン。州立刑務所でT−1000が鉄格子をすり抜けるシーンで拳銃が引っかかる余裕のシーン。自宅に電話した時に、犬の名を確認したT−800のとっさの機転など、アイデア出しの枚挙に暇(いとま)がない。
CG技術最優先で作られた「ターミネーター4」は、どちらかと言えば、「トランスフォーマー」と同類のジャンルかも知れない。映画は今も昔も、しっかりとした脚本とハイライトシーンの構成がすべてだが、「ターミネーター2」には、それが満載されていた。アメリカ映画は今やCG全盛で、逆にファンをなくしているが、この頃、ジェームズ・キャメロンはどうすれば映画が面白くなるか、努力と成果がすべてリンクしていたのだろう。ユニークなアイデアは決して枯渇しないものだ。
この後、長くギネスブックに掲載されることになる大作「タイタニック」の監督になる。
2010年、ジェームズ・キャメロンの久々の次回作、3D作品「アバター」が封切りになる。期待大である。
スターウォーズ・エピソード1・ファントムメナス (1999年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆★
スターウォーズ・サーガ9作中(映画は6作品)の4作目。16年ぶりのジョージ・ルーカスのライフ・ワーク。
2002年には「エピソード2」も公開される予定。これしかないと言っていいくらいスターウォーズだけで神様扱いされている幸運な監督。ルーカス自身は結構哲学肌の難し型。自己の勝手な想像世界をこんなに系統だてて理屈めかすのはある種の創造主かとも思ってしまう。でも見ていてわかるが、彼も「ベンハー」や「スパルタカス」世代なんだと思えるシーンが数多い。SFXで今受けするように表現しているが、ポッドレースは「ベンハー」、地上の戦闘シーンはあきらかに「スパルタカス」のもの。でも20年近くも経つと、SFXの技術の進歩も大したものです。最近はVFXというらしい。
ダースベーダーの幼少期を描いた本作品はアナキン・スカイウォーカーの生い立ちとジェダイとの関わりを描いているが、アナキンがあまりにもガキっぽくて興行成績狙いの幼児映画。クワイ・ガン(リーアム・ニーソン)の弟子にするには、もうちょい大きくて良かった。
後編3部作では弟子のオビワン・ケノービー(イアン・マグレガー)とダースベーダーはそんなに年の差なんてないように思えたが・・・。
追伸。後年の新3部作(時代的にはダースベイターの生い立ち)は、CG技術の圧倒的革新もあって、表現できないものはなくなり、ゲーム世代には受けるでしょうが、パラパラ漫画世代?には眼もついていけなくなりました。疲れが残るね。旧3部作の方が本来のスターウォーズらしい気がします。
「シスの復讐」は脚本も良くできていました。うまいこと1作目に連環していましたね。
十戒 (1956年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
「海の割れる映画がまた見たい。」まさか5歳の孫といっしょに稀代の名作DVDを、2度見ることになるとは思わなかった。小生11〜2歳の時に映画館で観賞した記憶が微かにある。大して話しの筋も判らなかったが、海がパックリ割れて、エジプト軍が追いかけて来ているのに、なにをモタモタ、年寄りや子供や鶏や山羊まで、海の底をのどかに渡っているのには、ハカハカしたものだが、少年の心にしっかりとその映像が残っていた。
あれから50余年。「ターミネーター」「タイタニック」の監督でお馴染みのジェームズ・キャメロンがCGドキュメンタリーとして、モーゼの「出エジプト記」を復活させた。「タイタニック」でバカ当りしてからキャメロンは、自ら映画製作はしなくなり、「実録タイタニック」等ドキュメンタリー製作に心血を注いでいる。その中でも、今から3500年も前の旧約聖書にある、「出エジプト記」の事実検証は、観ていてゾクゾクするものがあった。神話世界が、ドンドンと歴史的事実にたぐり寄せられるからだ。大胆な仮説と斬新な映像で驚くべき検証が続く。
さて、映画「十戒」はスペクタクルは勿論のこと、物語としても面白い。エジプト王朝、ラムセス1世の時代、ヘブライ人(イスラエル人)を奴隷にして、王朝は過酷な労働を強いていた。そのヘブライ人に救世主が生まれるとの噂を聞き、ラムセス1世は新しく生まれた男子をすべて殺させた。しかし、ヨシャベルの子だけは籠に入れられナイル川に流され、偶然にもファラオの娘ビシアが拾い上げ、自分の子として王子モーゼを育て上げる。事情の全てを知る侍女メムネットの存在が後年、モーゼに災厄を呼ぶことになろうとは。
立派な青年に育ったモーゼはエチオピアを制圧、凱旋し、王セティの寵愛をうけていたが、セテイの実子ラムセス2世は、父の死後、セティの意に逆らい王位に就く。そんな時、モーゼを愛する王女ネフレテリから、自分が奴隷の子であることを知らされたモーゼは、自ら奴隷の生活を志願し、その後何年も砂漠を放浪する。
シナイ山で神の声を聞いたモーゼはエジプトに戻り、ラムセス2世にエジプトにいるヘブライ人の解放を迫る。
モーゼの進言を無視したラムセス2世。しばらくしてエジプト中に「10の災い」が降りかかる。監督セシル・B・デミルと特殊撮影ジョン・P・フルトン(アカデミー賞視覚効果賞)が最もこだわったシーンが始まる。CGという言葉すらない時代に大したものです。
モーゼの杖が蛇に変わる。ナイルの水が血の赤に変わる。カエルやイナゴが異常発生する。雹(ひょう)と炎の落下。エジプト人の長男の死。白昼の暗闇。伝染病と病いの発生。そして、ヘブライ人の出エジプトを一度は認めたラムセス。息子の死。エジプト軍の追跡。砂漠の火柱、海の割れるシーン。シナイ山で神の意志による「十戒」の石版を手にする。40年間の砂漠の彷徨。聖なる律法を持ってカナン(乳と蜜の流れる場所)へ。
ジェームズ・キャメロンは、「出エジプト記」の研究者でもある映像作家のシムカ・ヤコボビッチの全面協力を受け、この「10の災い」をエジプト・シナイ半島・紅海・アラビア半島と広範囲に仮説を立て、神話と歴史的事実を一つ一つ検証していく。
紀元前15世紀、ミノス文明の頃、エジプトから700Km離れた地中海サントリーニ島の火山爆発がすべての根源であるという。
ナイルの支流にあったという聖書の舞台となるべき、アバリスの都の発掘。エジプトの王ヒクソスの追放の逸話。
鉄分を含んだ地下ガスの噴出がナイルの水を赤く染め、火山灰が暗闇を演出し、3,000m上空に舞い上がった水蒸気が熱風ガスにより大きな雹(ひょう)になったり、昇りきれず炎のまま落下したりもした。
低く垂れこめた二酸化炭素の霧が、当時、特権的に低い寝床で眠っていた長男を襲った。
シナイ半島エルバラ湖(葦の海)の、噴火で隆起した場所をヘブライ人が渡った後、エジプト軍を襲ったという津波災害。
ギリシャ・ミノス文明の壁画の中にあった3つの渦巻き(波)と2つのナイフ(裂け目)。あるいは紀元前17世紀、エジプトにやって来た古代イスラエル人とモーゼの産着の柄と同じ、シュニック(赤に白のストライプ)模様の絵画。
契約の箱に石板を入れ、幕屋に治めた場所とエリム(エルバラ湖)から210Km、「申命記」にある標高200mの聖なる山ハシム、現アラビア半島シナイ山の特定等、考古学ともリンクさせながら、旧約聖書の世界を現代にググッと手繰り寄せた。興味深いね〜。
「十戒」や「トロイ」など半歴史半神話の世界が、益々科学的に解析されるのもそんな先の話しではないような気がする。
ベン・ハー (1959年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
DVDによる5.1chリマスター版の「ベン・ハー」や「十戒」は40年も経つと新作のような気持ちで観賞できる。
1880年代、南北戦争の英雄で後に知事にまでなったルー・ウォレスの原作。1907年と1925年にも無声映画の白黒でも描かれたが、1959年作品で3度目の映画化。6年の歳月を要して作られたが、今日見ても何の違和感もない映画史の金字塔的作品。アカデミー賞史上最多の11部門受賞で、近作「タイタニック」に並ばれたが、それまで「ベン・ハー」を超える作品は何十年も現れなかった。
1925年に作られた作品も戦車シーンや海上の戦闘シーンなどスケール感のあるものだったが、その中の助監督の一人がウイリアム・ワイラーだったという。彼はキリストの映画を作りたがったが、「ベン・ハー」のリメークになってしまった。でもベン・ハーを描きながら同世代のキリストが聖書に基づきながら一番史実に沿った形で表現されていたように思う。クリスチャンではないが、「ベン・ハー」を通してキリストを理解した人も多いのではなかろうか。何よりもキリストの顔が画面に出て来なかったのが想像力を働かせる要因となった。
実は俺の長い映画人生でイエス・キリストを主人公にした映画はあまりに少ないし、印象に残った作品すらもない。「ジーザース・クライスト・スーパースター」というミュージカルまがいの作品だったり、ウィレム・デフォー主演の「最後の誘惑」という暗めの作品程度で、史実として公正な眼で描かれたイエス・キリスト像はあっただろうか。「キング・オブ・キングス」もそのストーリーをあまり記憶していない。
最近起こった「アメリカの同時多発テロ」でよく出て来るタリバンのイスラム原理主義やイスラム世界についてよく知りたいと思っていたのだが、そもそもの宗教的根源や背景も含めて、インターネットの中で詳しく説明しているページはあまり見たことがない。
ところで今日宗教とは何なのであろうか?人々に信仰と安らぎを与えるべき心の拠りどころがこんなにも民族間の対立や紛争を巻き起こし、血で血をあがない、限りなく人間の命すら奪っていくその愚かしさとは?
世界の3大宗教の中でもユダヤ教とキリスト教とイスラム教は「旧約聖書」を共通の聖典として、唯一絶対の神ヤハウェを信仰するところまではその原点は同じであった。3500年頃前にカナン(蜜と乳の流れる約束の地)と呼ばれる現在のイスラエル(パレスチナ)に誕生した最初の宗教がユダヤ教。もともとユダヤ教徒であったイエスの弟子が西暦40年以後に世界に広げたキリスト教は「新約聖書」を生み、更に600年の後メッカを聖地とする予言者モハメッドによる「コーラン」の教えもまたイスラム教の聖典となった。本家ユダヤ教と分家であるキリスト教とイスラム教の宗教上の争い事は、ユダヤ教の排他性と閉鎖性がそれぞれに戒律や独自性を強めて分家のキリスト教やイスラム教に受け継がれて行った。この排他性が今日の民族紛争の火種になっている。
現在、世界にいるユダヤ教の信者は約3500万人、キリスト教徒は15〜16億人、イスラム教徒は12〜13億人と言われている。
キリスト教は4世紀以降、イスラム教は7世紀以降、世界中のあちこちに布教宣伝され、様々の国の利害や領土紛争を絡めて発展し今日に至っている。
フランティック (1988年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
この映画も何回見てもあきません。いい映画って不思議ですね、その都度新鮮に見てしまうのです。
エキゾチックな音楽と哀愁とサスペンスが入り混じって好きな作品ですね。特に音楽がイタリアのエンニオ・モリコーネですが、酒場のダンスシーンで「リベルタンゴ」がフィーチャーされているじゃありませんか。「リベルタンゴ」と言えば、バンドネオンで名高いアルゼンチンのピアソラが有名ですが、最近ではウイスキーや車のCFでヨーヨー・マのチェロ演奏がヒットしました。劇中フランスのアコーディオンがバックに流れているのも旅情を掻き立てますね。
「刑事ジョンブック・目撃者」「エアフォース・ワン」「ファイヤー・ウォール」などのハリソン・フォードの行きつ戻りつ、愛妻捜しのはまり役です。監督は「水の中のナイフ」「ローズマリーの赤ちゃん」「チャイナ・タウン」などの鬼才ロマン・ポランスキーですが、謎解きのサスペンスとエキゾチシズムがマッチしてとっても良い作品になりました。
医学会の集まりでパリにやって来たアメリカ人医師リチャードと妻のサンドラ。空港で取り違えた白いトランクをきっかけに、底深い国際犯罪に巻き込まれて行く。ホテルに着いてリチャードがシャワーを浴びている最中に、突然の妻の失踪。警察や大使館に連絡をとるがてんで頼りにならない。取り違えたトランクの中にあったマッチの裏に書かれた手書きの電話番号から、リチャードはよじれた糸をほぐすように、孤軍奮闘、僅かな証拠を便りに妻捜しを始める。
どうやら取り違えたトランクは、殺されたデデの依頼で運び屋を請け負った若いフランス女ミシェルのもの。2つの国際組織がつけ狙うのは小さな自由の女神の置き物の中に隠された電子部品で、これが何と、後でわかる核爆弾の起爆装置。元々フランスから送られたという自由の女神と、アメリカから持ち込んだ小さな置き物の自由の女神に、文化と技術の皮肉を感じるか!?
くんずほぐれつ、ミシェルの棲むアパルトの屋根裏部屋がヒッチコック張りのスリルあり。最期ネタバレになるが、エッフェル塔の見えるセーヌ河畔で銃撃戦の末、ミシェルが流れ弾にあたり、哀しくも絶命してしまう。リチャードは怒りの余り、起爆装置を河に投げ捨てる。組織の二人組は呆然と立ち尽くすだけ。拉致された妻サンドラは無事戻る。
何処にでもいそうな普通の男が独力で妻を助けるまでをヒロイズムなしに描いた佳作。雰囲気で見る映画。
パリの裏町で酒とドラッグの世界で生きている女と、一生交わるはずのない医師が、偶然にも生死を共にしたつかの間の出来事。ラストはシュンとしてしまうこと必定。
北京ヴァイオリン (2002年中国作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
久しぶりの掲載です。それにしても最近、あまり印象深い作品に出くわしていません。そんな中で、2度目の観賞ですが、この作品は全然色あせていませんでした。
「さらば、わが愛。覇王別姫」や「始皇帝暗殺」の名匠チェン・カイコーが描く親子の情愛がテーマです。
息子のチュンの演技に少しばかり物足りなさも感じましたが、周りの俳優人の演技が秀逸でした。父親役のリウも良かった。若い娘リリの演技も良かった。特にヴァイオリンの家庭教師チアン先生の演技が光った。うらぶれた音楽人生の失敗者なのに、ひと言ひと言に、何故か心打たれる、本物だけが持つ、いぶし銀の雰囲気があった。
その昔、田舎で食堂を営んでいたリウは、北京駅でヴァイオリンと共に捨てられていた乳飲み子を、その親の意を汲み取るように息子として育て、すべての夢は、その子を一流のヴァイオリニストにすることだった。
ラストシーン。著名な音楽家に息子を預け、無償の愛を捧げて来た父親は、これまでと思ったのか、息子チュンの国際コンクール出場を見ずに田舎に帰ろうと、チアンとリリに送られ、北京駅に立つ。
コンクール出場をライバルの女の子に譲り、父の後を追い、北京駅で、父親だけのために弾く、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
人間って犬っころじゃないんだ。血の繋がりなどなくても、それ以上に強い絆で結ばれた親子関係がある。名作でした。
父親たちの星条旗 (2006年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆★
最新ホヤホヤの作品を劇場で見て来ました。ウ〜ン、どう表現しましょうか。小説的ドキュメンタリー映画というべきでしょうか。エンターティンメントは左程も入っておりません。襟を正して見れば、英雄など戦争には存在しないとか、2度目のやらせフラッグ撮影がピューリッツァ賞写真になったことや、戦意発揚・国債資金集めのために、国家に利用された3人の兵士達の数奇な運命を、淡々と描いた映画でした。
映画って、編集が最も重要ですが、先入観や事前の知識なしにいつも見るものですから、出だしからな〜んかチンプンカンプンでした。戦争シーンから不用意に現実になったり、また現実から戦争シーンに戻ったり、年寄りの誰それが若い誰それなのか、なかなかと判りづらいのです。そんなこんなで、映画のシークェンスより理解欲求の方が優先され、映画の面白味が半減することになる。
名監督クリント・イーストウッドの76歳作品ですが、「ミスティック・リバー」もそうでしたが、深いものがあるはずなのに、なかなかと理解されないままエンディングを迎えることになるのです。その点ではアカデミー賞監督作品「許されざる者」や「ミリオンダラー・ベイビー」は判りやすい映画でした。
日本本土攻撃の戦略重要拠点である硫黄島。21,000人の日本軍に対し、6万人の兵力を投入し、死者6,800人負傷者26,000人近くを出したアメリカにとっては悲劇の戦争。たまたま星条旗をすり鉢山に掲げただけの6人の兵士の写真が、硫黄島奪還のスクープ写真に利用され、その後3人が戦死、残された何処にでもいる平凡な一等兵3人の人生を、戦中と戦後をクロスオーバーさせながら、ドキュメンタリスティックに描いた、ただの空しくも静かなる反戦映画でした。
こうなったら、本作で、ただの顔なき闘うマシーンでしかなかった日本軍の2部作、日本側から描いた続編「硫黄島からの手紙」も見るしかないですね。監督の想い入れの強すぎる作品って、多分、評価は悪いと思うよ。
硫黄島からの手紙 (2006年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆
封切りの日に映画を見るなんて何十年ぶりでしょうか。またまた見てしまいました2部作の続編。
とは、いっても1部とは戦争の背景は同じだが、日本側の視点で描いたまったく別な作品と思っていい。製作のスピルバーグと監督のイーストウッド、脚本のポール・ハギス、撮影のトム・スターンが両作品に共通しています。1部はジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズの原作「硫黄島の星条旗」を下敷きに描いていますが、2部はポール・ハギスの原案に日系の女性アイリス・ヤマシタが初めての脚本で加わっています。
昔、ジョン・ウェイン主演で「硫黄島の砂」という100%活劇アクションものを見たのを思い出しましたが、日本兵はただの敵。戦争に勝者も敗者もなく、ただ空しいだけという本作品の主張と隔絶の感がある。1949年作品だったのですね。当時アメリカって国は、実戦から4年ぐらいで娯楽戦争映画にしてしまう度量というか国柄だったんですね。そういえば9.11の悲劇を描いた「ワールド・トレードセンター」も現在上映されていますね。
さて、評論に参りましょう。随分と日本人的感性を理解してくれた映画でした。その日本人兵隊にもいろんなタイプがいるのです。
上司の命令をそのままそっくり部下に押し付ける奴。常に命令に不服従な奴。素直に従う奴。ノンポリな奴。疑い深い奴。そして天使のように清い人。それが栗林忠道中将だったのです。
ひたすら部下を思いやり、家族を愛し、希望を失わず軍令をまっとうしようとする、非の打ちどころのない軍人の鑑のような人でした。それが違和感なく、着く宛てのない家族への手紙を通して、渡辺謙の演技に100%出ていました。イーストウッド監督はこんな誠実なタイプが、監督自身の生きる人生にひとつの指標を与えているのかも知れません。作品を通して、善悪も老醜も乗り越えた境地に居るような気がしたものでした。イーストウッド監督は「マジソン郡の橋」からか、NGが殆どないということで、その分、1回限りで演ずる役者の責任も大変です。
行き場を失って地下壕をさまよう兵士のありようは、見ていてフッと黒沢明の映画「乱」で、毛利元就が3人の息子に裏切られ、同じく行き場を失って、半狂乱で荒野をさまようシーンに重なりました。実際、硫黄島で張り巡らされた地下壕は、数百Kmにも及び、後に自分達の墓穴にまでなるという重労働の苦渋は映画の中では表現されていなかった。従って、たった5日で堕ちる思われていた島が36日もかかってしまったのだ。
水も食料も途切れて、生き延びる見込みの全くない地獄の戦場で、ひたすら死を待つ、若い二宮和也君の演技も、ちょっと役不足を感じてしまった。それにしても、爆弾かかえて、敵の戦車を寝ながら待っていた中村獅童はどこへ行ったのでしょうか。「1作目の何処かと、2作目のエンディングの日本人捕虜が捕まるシーンに、チラッと1,2作の共通シーンがあってもよかったかなぁ。」などと、帰り道つれづれに想ったものでした。
帰ったら、その夜、テレビで「硫黄島・戦場の郵便配達」をやっていたので、早速これも見てしまいました。
トランスポーター2 (2006年フランス・アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆★
息子の勧めもあって、カーアクション映画を見ました。車好きの人には、たまらん映画ですね。あちこち暴走して、キズだらけのはずの高級車がチッともいかれていないのです。そう思っていたら次の瞬間、爆発炎上!?。アウディの腹に仕掛けられた爆弾をジャンピングしてクレーンにぶつけるシーンなんぞ、ほんまかいな?とあいた口がふさがらなくなります。そんな奇想天外なシーンが数多くありますが、それがまた楽しいのです。
製作と脚本はご存知リック・ベッソン。監督ルイ・レテリエ。主演はキャンペーンで来日もしたジェイソン・ステイサム。身長はそんなに高くないけどカッコいいね。元イギリスの飛び込み選手だったらしいです。鍛えてます。セリフが少なく、行動派。そのくせ人柄もいいのです。いかれた女殺し屋も出ますが、ファッション映画にしちまった。
子供に仕込んだ殺人ウィルスが父親が出席予定の麻薬サミットまで繋がるというのが、発想のユニークなところでしょうか。自分で自分を律する自律型ルール男が特長で、「ダイハード」のような悩みなし。
前作の「トランスポーター」も見ましたが、どちらも楽しめましたです。
世界最速のインディアン
(2005年ニュージーランド、アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆★
団塊世代の大量退職に合わせた訳ではないだろうが、タイムリーな実話映画がつくられた。以前にも「アバウト・シュミット」なんて退職親父の後半生の生き様を綴った作品もあったが、こんなにも夢多き、しかも周囲も本人も前向きな作品は他にないだろう。おすぎが絶賛し過ぎ!?
ニュージーランドの田舎町に住むバート・マンロー。隣りの家の少年と仲良し。器用な手先はめっぽうメカにも強い。63歳になっても夢はバイクの愛車(1000CC以下)でスピード世界記録をおっ立てること。
ある日、ガールフレンドの勧めもあって、家を抵当にし、一念発起。無謀にもアメリカユタ州ソルトフラッツ、ボンヌヴィルの塩平原で行われる世界選手権にチャレンジしようとする。どちらかといえば、その道々のロードムービー。
この大器晩成おっさん、只者でない。「夢を追わない人間はキャベツと同じ(芯がないのといっしょ)」「顔にシワはあっても心は18歳」「5分で一生分の人生を生き切る」と、比喩にも富んでいる。
この年金ぐらしのおっさん、心臓と前立腺に難があっても、向かうところ敵なし!?若い暴走族軍団に餞別までもらい、ホテル従業員のオカマに愛され、インディアンに薬までもらい、中古車屋のオーナーに歓待され、レース場で出会うライバルたちや大会関係者たちにとことんお世話になり、どうやらアポなし世界大会出場に漕ぎ着けた・・・。
自然体で人に接するおっさん。周りに悪人が一人も出てこない。少々出来過ぎだが、1960年代のノスタルジックな時代背景もある。320Kmを超えてとうとう愛車「インディアン・スカウト」で世界記録を打ち立てた。68歳まで走り続けたとのこと。この記録は、今日も破られていないそうである。
ホテル・ルワンダ
(2004年イギリス、南アフリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
個人的には話題性の高かった作品ですが、とうとう見てしまいました。
日本の興行関係者が没にした映画を、ネット上でひとりの若者が、映画館で上映させようと奮起し、ブログを立ち上げ、賛同した仲間たちといっしょになって、苦心惨たん、とうとう実現にまで漕ぎ着けたと云う伝説の映画です。
つまらないメジャー映画よりも遥かに価値があり、何よりもアフリカで実際に起きた悲劇を「人間はこんなこともするんだよ!」と世界中に知らしめたことだ。映画興行収入よりも人間の愚行を世界にアピールしたことに大注目したい。
虐殺ものは、その昔、ロシアの名作でセルゲイ・エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」やアンドレイ・タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」が有名だが、カンボジヤ、ポルポトの大虐殺を描いた「キリング・フィールド」なども印象に残っている。
惨殺シーンが刺激的で、いつまでも記憶に残っていることが多い。
本作品もそんな作品の一つだが、この作品が世に出るまで、その事実を知る人は少なかったはずだ。
アフリカ中部・ルワンダ。長い間、同じ国内でフツ族とツチ族の小さな争いは続いていたが、1994年、フツ族の大統領が暗殺されてから、多数派のフツ族が暴徒と化して、少数派のツチ族を一気に襲い始めた。たった3カ月の間に100万人のツチ族が大虐殺の奈落に追い込まれた。
そんな中、首都キガリにある外資系高級ホテルの支配人ポールは、争いを気にしながらも、普段と変わらずにビジネスに熱心で、人脈もあり、支持者も多かった。
オリバー大佐の平和維持軍がホテル周辺を警護してくれていたが、その治外法権も日毎に状況は悪くなるばかりだった。
ツチ族出身の妻の安全にも不安を感じ始めていた矢先、フランスの平和維持軍本部は支援を打ち切り、撤退命令が下り、ホテル周辺の警護も怪しくなって来た。それでも民衆は続々と、ホテル内に避難する。ホテルの外では無数の人々がナタで屠殺されているのだ。ツチ族をかくまったフツ族さえも殺戮の渦へ。
毅然とふるまうポールは、決して英雄でもなければ、ごく普通の家族思いの男だった。一度はホテルを棄て、家族で避難しようとしたが、ぎりぎり踏みとどまる。結局このことが1,200人もの人々の命を救うことに繋がる。
主演はドン・チードル。脇をニック・ノルティやジャン・レノ、ホアキン・フェニックスなどの有名どころが固めている。
アフリカにも実在したシンドラーを淡々と、てらいなく描いた博愛ムービー。
そして、ひと粒のひかり
(2004年アメリカ・コロンビア作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
何の前触れもなしに、ヒョンな時に見た映画が、ショックというか衝撃を受けるんですね〜。怖い麻薬の運び屋のお話し。
貧しさと若さが無謀な体験をさせるが、生きるために立ち止まってはいられない。これもまたすべて人生の一コマ。
コロンビアの田舎町に暮らす17歳の少女マリア。バラ農園の単調な刺抜き作業で、貧しい家庭の生計を助けていたが、上司とのトラブルで突然、職場をやめてしまう。
愛してもいないボーイフレンドの子を宿していたが、母親にも言えず、街に仕事もなく、職探しに首都ボゴタに出ていくことを決意する。
ボゴタへのバス待合で偶然知り合ったバイクの若い男に、やがて麻薬の運び屋の仕事を紹介される。
同じ仲間のルーシーや同郷のブランカも仲間に入り、組織で知識を仕込まれ、ニューヨーク行きの飛行機に乗るはめになる。小分けしたまゆサイズのゴムの袋に入ったコカインを50〜60個胃袋に飲み込んで、空港税関をパスするのだ。袋が一つでも胃の中で破けると命もなくなる。
空港の別室で、税関の監視員に身体検査を強制されるシーンがハラハラドキドキ!!幸いマリアは、妊娠していてレントゲン検査を免れる。(ホ〜ッ)
どうやらニューヨークの売人たちの案内で、安ホテルに着いた3人は、下剤を飲んで排泄を待つが、急変したルーシーは一命を落としてしまう。売人達はルーシーの遺体を、勝手に開腹し、コカインを奪う。
ホテルから逃走したマリアとブランカは、ニューヨークにあるルーシーの姉さん宅を訪ねるが、ほんとうのことを云おうとするのだが、云えない。
後日二人は、ブツと交換に5,000ドルの現金を手に入れるのだが、ビアンカはそのままコロンビアに戻るが、帰りの航空券まで手にしながら悩んだマリアは、ニューヨークに残り、ひと粒のひかり(これから生を受ける胎児)を頼りに、この街で生きていこうと決心する。
主演のカタリーナ・サンディーノ・モレノは、アカデミー賞主演女優賞にまでノミネートされたそうである。サンダンス国際映画祭観客賞受賞他。映画はきれいに描かれているが、現実の密輸の実態はもっと深刻ではないだろうか。
南米コロンビアは、長らくスペイン領であったが、1810年に独立。政情が不安定で、内戦が絶えず、現在でもテロ行為が頻発している。エメラルドの産出、花の栽培が盛んでカーネーションの輸出高は世界一と聞く。人口4,400万人で日本の3倍の国土だが、国民の生活は貧しく、世界一の麻薬大国との汚名もある。
パニック・フライト
(2005年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
全然騒がれなかったし、日本では劇場公開もなく、直DVDになった作品だが、この爆裂!ハラハラドキドキは値千金の小品だ。映画ファンとしてはこんな掘り出し物がたま〜にあるが故に、映画ファンを辞められないのだ。大枚をかけたり、有名監督というだけでは、こんな傑作は生まれない。
キュートな主役のレイチェル・マクアダムスは「君に読む物語」以来だが、大変よろしい。オードリー・ヘップバーンの「暗くなるまで待って」くらいの味わいがあったよ。相方のキリアン・マーフィーの不気味でサディックな演技も光っていました。
最近の緊迫サスペンスものでは「セルラー」なんかが印象に残っていましたが、それ以上かも知れません。映画は先入観なし、面白いに尽きる。
原題は「RED EYE」だが、その方が良かったぜよ。眼を赤く腫らしたまま、一瞬も寝させない映画だ。スクリーンに釘付けになるとはまさにこの映画を云うのである。
前半は、テロリスト・リップナーが搭乗待合室と飛行機の中という密室空間で、マイアミの父親宅にに刺客を差し向けてホテルマネージャーのリサを脅すシーン。後半は一転、勤務先のホテルに打ち込まれる小型ミサイルと、そのホテルに宿泊予定の政府要人とその家族を退避させる話し。最後はリサの住まいにまで逆襲にやって来たリップナーとの息詰まるラストシーン。息つく暇もないサスペンスのつるべ打ちだ。
監督は「エルム街の悪夢」や「スクリーム」のシリーズでお馴染みのウエス・クレイヴンだが、特に本作品の面白さが際立っていた。86分と短めの映画だが一時も中だるみのない、全編緊迫の佳作であった。
ダークマン (1990年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
サム・ライミ監督を印象づけた記念作品。それまで「死霊のはらわた」シリーズなどのホラーや「キャプテン・スーパーマーケット」などのドタバタ劇などがあったが、「スパイダーマン」の監督に繋がるエンターティンメントをいち早く認められた作品である。案外と、「スパイダーマン」よりこちらの方が好きな感じでしたが、TV版はありましたが、映画の続編はありませんでした。
劇画的手法を多用し、間髪を入れないストーリー展開と構成は圧巻ですが、一連の「スパイダーマン」シリーズに繋がる原点作品でもありました。
出だしの葉巻のカット器が残酷指折器に変わったり、片足の義足に仕掛けられたマシンガンや、悪役ディランの本物と偽者が回転ドアで見つめ合うシーンなど、アイデア満載のディテールに120%感心したものでした。
ただ銃で撃つよりも、つめを剥がしたり、歯を抜いたりして、拷問するのに本来人間は弱いよね。99分で人工皮膚が溶けてなくなるのは、シンデレラ的発想力であります。ひたすら時間が気にかかる。映画も99分にしたら?面白かったかも(残念!95分)。「オペラ座の怪人」と「美女と野獣」のエッセンスがすべてですかね。
主役のリーアムニーソンはこの映画を機に、頭角を現わし、93年「シンドラーのリスト」で、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされるまでになりました。それにしても役者(悪役)の二役って、本物と偽物をうまく演じ分けていましたね。
映像の魔術といいましょうか、トリックといいましょうか。映画には印象的なシーンが数多くありますが、例えば「2001年宇宙の旅」の空に舞い上がった骨が次の瞬間、同じ形の宇宙船になって落ちてくるシーンや、「グラディエーター」でマキシマスが命を落としたときに、背景が滑るように流れていくシーン、ヒッチコックの「めまい」に出てくる、不安を煽るらせん階段、マデリーンのうずまき髪、などなど思い出に残っていますが、本作でジュリー役のフランシス・マクドーマンドが、恋人ペイトンの研究所爆破を唖然と見つめたまま、喪服に変わり、墓地にいるシーンは秀逸でした。映画ってアイデア次第で色々、斬新なことが出来るのですね。
とにかく、95分間の中にB級映画の醍醐味と筋立てのうまさが、微塵の無駄もなく創られた傑作でした。
スパイダーマン3 (2007年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆★
史上最高360億円もの制作費をかけて創った(殆どがCG・VFX制作費でしょうが)100%超娯楽作品ですが、「スパイダーマン」「スパイダーマン2」の方が単純明快でしたね。「スパイダーマン3」は全てに懲り過ぎのぜいたく映画でした。
ついでですが、270億円かけて創った大作「タイタニック」(97)は、何と史上最高の2,000億円以上の興行収入があったそうです。
話の筋が四通り入り混じって、最後に融合するのですが、ちょっと時間がかかり過ぎて、その分、間延びした感じになりました。例えていうなら、隕石に乗ってやって来た黒い寄生生物がピーターのバイクに張り付いて次のカット出番までに、だいぶん時間があるのです。大作ということで意気込んだせいか、脚本の複雑さに問題ありですかね。
それでも劇場封切り1週間で、日米あわせて400億円を超えましたか?文句を言わなければ超娯楽作品なのです。
劇場の大画面はやっぱりいいですね。サンドマンの迫力は「ゴースト・バスターズ」のマシュマロマンを超えちゃいましたね?動きがどこか似ていました。砂粒の擬人化CGに一番お金がかかったでしょうね。
いつも快活でアメリカ市民の代表のようなピーターの善なる心を悪魔めく心と葛藤させ、さらに恋人MJが華やかな職場を失って、失意に暮れながら、場末のジャズバーで歌手兼ウェイトレスで心理的に落ち込み続けさせる。トビー・マクガイアのふざけたような悪の印象は漫画的だったね。それに元々の親友だったハリーを憎まれ役にしてニューゴブリンに変身させたり、寄生生物と合体したヴェノムを登場させ、1作目でベンおじさんを死に追いやった囚人マルコを絡ませ、脱獄して核処理施設に紛れ込んでサンドマンに豹変させたり、話はてんこ盛り。サービス精神が荒唐無稽を飛翔させた感じでした。
「ダークマン」の脚本アイヴァン・ライミは本作でも脚本を担当したが、サム・ライミの実の兄貴なそうな。「キャプテン・スーパーマーケット」のブルース・キャンベルがレストランのチーフ役で、ひたすら恋のキューピッド役を演じますが、MJにはまったく通じませんでした。残念!?
色々盛り沢山が、返ってストーリーを間延びさせ、緊迫感を失うことになった、もったいない作品でした。
幸せのちから (2006年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
家賃も払えず、全財産が21ドルという貧しく辛いどん底生活に、微かに見える「希望」。
物語は1981年の設定ではあるが、今のアメリカや日本社会に置き換えてもいいくらいの、格差やワーキングプアの問題をシビアに扱った、決して他人事でない物語。働けど楽にならない現実は「希望」の出口すら見えないのだ。
新型医療機器を販売するセールスマン・クリスが、自腹で商品(レントゲン・スキャナー)を買い込み、毎日営業に出るが、全く売れず、奥さんは愛想を尽かして家を出て行く。残された5歳の息子のクリストファーと二人、家賃が払えずアパートを追い出され、簡易宿泊所も荷物ごと締め出され、駅のトイレや電車で一晩眠ったり、教会の救護施設に並んでやっと一夜のベッドに有りついたりと、殆どホームレス状態だ。
だがしかしそんな最中、誰の人生にも数少ないチャンスは巡って来る。高級車に乗った男の話しからヒントを得て、ルービックキューブが縁で、ある投資会社の管理職と知り合う。やがて正規雇用を目指し、6カ月無給のカリキュラムに参加する。この無給が地獄と塗炭のダブル攻撃。そこは20人が応募して、採用されるのはわずか1人という超難関の投資会社なのだ。猛勉強と、前述の生きるか死ぬかの極貧生活が続く。
全編こんな感じで殆ど救いがない。それでも、父親の生き様と苦悩と努力を包み隠さず、息子クリストファーの目の前で表現し、精一杯の愛情を注ぎ込む。貧しい綱渡り生活が延々と続くが、ほんのたまに売れる250ドルのレントゲン・スキャナーが、映画を見ている観客をホッとさせる。そのスキャナーも何度も盗難に遭っては取り戻すおまけ付き。
6カ月後の研修最終日。運命の日。会社の重役たちに呼ばれ、合格を告げられ、涙満タンにして息子の幼稚園に駆けて行き、ちからいっぱいに息子を抱きしめる感動シーンにただ涙・・・・・。「さ・よ・な・ら、貧乏。」
億万長者で実在の人物クリス・ガードナー(現クリス・ガードナー証券のCEOで、慈善家でもある)を、モデルにしたウィル・スミス主演のハートフル・サクセスストーリー。人生、人柄も磨かなくちゃダメか。実の息子ジェイデン・スミスとの共演は役者人生のいい想い出だ。小間使い好きの意地悪教官の人間味がもうちょっと欲しかった。(でも、ちゃんと重役に合格の進言しててくれたかも?)
アメリカン・ギャングスター (2007年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆★
名匠リドリー・スコットの劇場公開作。「エイリアン」「ブレードランナー」「テルマ&ルイーズ」「グラディエーター」など俊作揃いの名監督が70歳を迎えても、なお豪快な力作を作ってくれました。残念ながら「グラディエーター」でアカデミー賞監督賞をはずしてからは、本作品でも2008年のノミネートにも洩れました。黒沢明、ウイアムワイラー、ロバートワイズ、スタンリー・キューブリック、ジェームズ・キャメロンあたりと肩を並べる、映画のエンターティンメントを表現できる名監督ですよ。どんな監督でも当たり外れはあるものだ。
1970年代初頭のアメリカ、ニューヨーク。終りなきベトナム戦争で人々は疲弊し、失業が蔓延し、警察内部の汚職も後を絶たず、麻薬患者が街中に溢れ出していた頃、暗黒街のハーレムに、亡き先代の轍を踏襲しながら麻薬ビジネスで頭角を現わし始めた、デンゼル・ワシントン扮するフランク・ルーカスがいた。
一方、正義漢一筋で、麻薬の摘発に総てを賭ける捜査官のラッセル・クロウ扮するリッチー・ロバーツ。ひたすら見えない組織の黒幕を挙げようと奮闘する。ふたりの仕事へのプロ意識と後半の確執が注目だ。
値段が安くて純度100%。タイのケシ畑から、麻薬の直接買い付けで巨万の富を得ながら、そのくせ、地味な生活を本分とし、ビジネスを身内で固めようとするフランクのヴェールに包まれた生活ぶりがなかなか犯罪のシッポを表に出さない。
正義漢を除けば、リッチーは半分壊れた人間像だ。家庭は崩壊。妻と離婚係争中も女にだらしなく、好みと見るや見境なく、女弁護士にまで手を出してしまう。
悪事と正義。この逆様なふたりの男のエピソードが皮肉っぼいが、互いの人物像の掘り下げにやや奥行きを欠いた。
F・コッポラの「ゴッド・ファーザー」の雰囲気と、マイケル・マンの「ヒート」での刑事ロバート・デニーロと暗黒街のボス、アル・パチーノの確執のようなエッセンスを加味した作りだったが、フランクの成り上がりが、「ゴッド・ファーザー」の持つ物語性や機微、スケール感にはちょっと及ばなかった気がする。母親や弟たちとの人間くさいエピソードがもっと欲しかった。それでも2時間半があっという間だった。
デンゼル・ワシントンが、街中で殺人を犯しても、悪知恵を巡らしても、チットも悪党に見えないのが残念だ。シドニー・ポワチエのタイプだもんね。アカデミー賞主演男優賞受賞の「トレーニングディ」での悪役も完全ではなかったような気がする。豪華な毛皮のコートを暖炉で焼いた時にフランクの地味な人となりが出てはいた。
後年、弁護士に転進するラッセル・クロウも、それまで突進タイプで規格はずれの人間だったものだから、イメージ的には、それらしく感じとれなかった。
逮捕後のふたりのやりとりもおざなりな印象だ。エンディングは70年の量刑が、暗黒街の大掃除という司法取引で、15年でシャバに戻ったフランク。ギャングものに付き物の無惨なエンディングはなかった。ちょっとお終いは削がれた気分かな?
エンド・タイトルの後で何か写っていたようだが、映画はエンド・タイトルまでしっかり見にゃ駄目だね。
ノーカントリー (2007年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆
世の中に「神のご加護を!」という言葉があるが、この映画には「神も仏もない」のだ。そこにあるのは自分だけの殺しの哲学が充満し、コインの裏表だけで、涼しい顔で、まるで屠殺人のように人間を処分してしまう男がいる。殺しに使う道具がユニークこの上ない。
コーエン兄弟という名前くらいは、何度か聞いていたが、兄ジョエルが監督、弟イーサンが脚本というコンビでの本作はユニークさでは群を抜いているが、全体の評価ではどうだろうか。
2008作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞のアカデミー賞4部門受賞の奇作だが、よくこの作品で主要4部門を受賞できたね。この絶対悪の殺し屋アントン・シガーに比べたら、同じ殺し屋でも、劇画の「ゴルゴ13」の方がまだ情も情けもあるね。昔「突破口!」という映画で、ジョー・ドン・ベーカーという非情な殺し屋が、ウォルター・マッソーをトコトン追い詰めるくだりがあるが、この映画に比べたら可愛いもんだ。
雑貨店の店主との身も凍る会話のやりとりは、内容が不毛なだけに、いつ殺られるかドキドキハカハカだった。保安官助手を絞殺し、高齢のドライバーを圧搾ボンベで、意味なく殺した後だけに、究極の緊迫感が漂っていた。この人知を超えた殺人マシーンに、神か悪魔が転写されたのか、荒涼としたテキサスとニューメキシコの背景がよく似合っていた。
前半は、麻薬の取引現場のイザコザで、たまたま付近で狩猟していたベトナム帰還兵のルウェリンが、200万ドルの現なま(金)を横取りし、発信機がバッグの中にあるとも知らず、殺し屋シガーの執拗な追跡に遭う。
一矢報いて、モーテルの暗いドアの隙間に現れたシガーの足跡がスーッと消えて、夜の通りで、車の陰から逆襲に転じ、シガーも負傷したまでは、ルウェリンもさすがベトナム帰りと思わせたが、後半であっさりと惨殺されてしまう。しかもその惨殺シーンが100%省略され、別のモーテルにルウェリンの死体がころがっているだけなのだ。
数日後、ルウェリンの妻を、彼女の家で待ち伏せ、闇の中からドキッと現れて、またも殺戮シーンをあっさりと省略してしまうシーンなど。「われっ!オジョクってんのか!」と、いいたい感じがした。完全なる殺しは表現する意味もないのか?
まるで昔、黒澤明があれ程、金とセット、人馬を使って描いた「影武者」の劇中、長篠の合戦で、合戦そのものはまったく省略してしまって、戦いの後の人馬の地獄のような荒廃シーンをのみ描いていたのに、よく似ていた。映画は様式美に傾き、決して面白いものではなかった。
そしてドキッと?思わせるズッコケラストシーンだ。ドカーンと突然の交通事故。シガーの腕の骨が剥き出しになっていると叫ぶ若者二人。だがそのシーンは映らない。不死身の殺し屋は、自ら添え木をして歩いて現場を去って行く・・・。
見終わって空白感と寂寞感のみが・・・・・。
原作はコーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」。原題はNo
country for Oldmen「老人のための国はない」。現代を語る映し鏡そのものか?
本作は主役が保安官ベル役のトミー・リー・ジョーンズで、語り部役か?その存在がよくわからなかった。
殺し屋ハビエル・バルデムは主演でなく助演なのだ。おまけにアカデミー賞助演男優賞までしっかりいただいた。
もう一人、重要な脇役ルウェリン・モス役のジョシュ・ブローリンは、昔、好きな映画だった「カプリコン1」のジェームズ・ブローリンの息子だったとは。さすが親子、似ているね。その前の「アメリカン・ギャングスター」の悪党刑事役では気づかなかったよ。
最近は悲しい事件や事故が多いが、そこに居合わせなきゃ被害者にもなっていなかったのにと、思うことが数多くある。
コインの裏表だけで、生きたり、死んだり、運に弄ばれたりする人生はまっぴらだが、言外にそれもまた諸行無常だと言いたげな作りだった。
レッドクリフ未来への最終決戦 (2008年中国・アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
21世紀、発展途上大国は中国とインドだが、その勢いを地でいったような大作だ。
監督のジョン・ウーは筆者とほぼ世代も同じ。小さい頃、映画館に入り浸っていたというのもいっしょ。
よくもまあこんな5時間(Part1.2)にも及ぶ、CG・人馬・水軍満載の大作をこさえてくれました。呆れるほど感心しました。
聞くところに寄ると、私財10億円も投げ打っての気の入れ様。総製作費100億円というではないか。
200億円の予算で2,000億円も稼いでしまった「タイタニック」の例もあるが、「クレオパトラ」にならなければいいがね。(元はとった模様。)
さて、内容はどうかというと、「三国志」「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」という中国四大史劇の中でも最大のエンターティンメント「三国志・赤壁の戦い」がテーマだ。内容も理屈抜き、エンタメ100%で、正統派「三国志」マニアには噴飯臭い。
どういう訳でもないのだが、昔、明も隋も唐に?忘れたのに、高校の歴史教科書で、中国の魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)だけは、よう覚えていた。韻(いん)を踏む記憶術は生涯忘れないものだ。それが漢(かん)と晋(しん)という時代のはざ間にあったなんて、露知らず。清も宋もいまだにグチャグチャだ。歴史の先生が余り好きになれずに、熱も入らなかったが、中国史はこの辺が一番おもろいことに、後年気づかされたのだ。
時は西暦208年、群雄凌ぎを梳(けず)る戦国時代。魏(ぎ)の曹操、呉(ご)の孫権、蜀(しょく)の劉備の覇権争いに、諸葛亮孔明が絡み、勝負は時の運、もしくは天変自然を活用した者に軍配が挙がる仕掛け。それに人間の信義と情愛が絡み合い、栄枯盛衰は悠久の如く繰り返される。曹操80万の大軍に、劉備と孫権の連合軍5万。まともにいって勝てる訳がない。
そこに軍師孔明のギリギリの知力が精彩を放つ。面白くない訳がない。でも正直もっと面白く出来たかも知れない。孔明が予告した、北西の風が南東の風に変わるシーンだ。もうちょっと勿体つけて描けたのではないか。勿論サム・ペキンパー譲りの超スローモーションも本人がいじけるくらいに多用すべきだった。さすがに水軍の炎上シーンは、10万本の矢の調達より迫力があった。ジョン・ウーも、一部、昔の名画「スパルタカス」の光反射する盾の戦闘シーンを模倣したかもね。
トニーレオン扮する冷静沈着、勇猛果敢、呉(ご)の周瑜が、監督の思い入れもあって、本作では主役級であった。
曹操役のチャン・フォンイーもはまり役だったが、もう少し豪放と緻密な戦略家でも良かったかも知れない。
周瑜の妻、小喬(リン・チーリン)がそれまでのお飾り的演技から一変、単身、曹操の陣営に詣でる様は、唖然。無理のある感じもしたが、昔の王族の良妻賢母は一意専心、何をしでかすか分からない。孫権の妹役の尚香(ヴィッキー・チャン)が敵陣に潜り込み、女と気づかれずに友達扱いされる図は、大陸的と云おうか、笑っちゃったね。
セリフも少なく顔技一途の中村獅童も、凄みはそこそこあった。それにしても元々敵同士の呉(ご)と蜀(しょく)のチームワークが少し良過ぎだ。孔明役の金城武もチョッと二枚目過ぎたか?周瑜役がチョウ・ユンファ、曹操役が渡辺謙が起用されていればまた違った「レッドクリフ」になったかも知れない。
結局、魏(ぎ)の曹操は、赤壁の戦いに敗れて遁走するが、後年、蜀(しょく)は没し、呉(ご)は魏(ぎ)に併合され、晋となる。
日本の英傑はいつも潔く、死して名を遺すが、中国の英雄は負けても敗走して生き恥じを晒すのか?国柄の違いは恐ろしい。
PART1をDVD観賞した後の、この作品は大スクリーンで見てこその映画だった。
ここでジョン・ウーの過去の作品を振り返って見ると、「男たちの挽歌」「フェイス/オフ」「M:I-2」「ペイチェック消された記憶」などそこそこハリウッド製、中ヒット作品が並ぶ。
本作がなければ、中堅の映画監督で終わったかも知れない。大作のヒットは、その監督が映画史に残るか否や、極めて大事なことだ。
その土曜日、7時58分 (2007年アメリカ作品) お勧めポイント ☆☆☆☆☆
なかなか評論をしようと思うくらいに、興味ある映画にこのところ巡り会えませんでしたが、ありましたよ、掘り出し映画が。
最近は「学級崩壊」「医療崩壊」や「国会崩壊」が話題になっていますが、この映画はアメリカ版「家庭崩壊」の典型です。
原題は“Before the Devil knows you're Dead”(悪魔があなたの死に気づく前に)と意味深長ですが、邦題もどこかおとなしめですが、静かなるインパクトを考えた上の事でしょうか。暗くて、リアルで、他人事でなくて、人生のるつぼを感じさせる映画でした。
どんなに傍観していても、他人の家族の有り様はちょっとやそっとで分からないものですが、これ程にシビアな問題を含んだ、悪い方へ悪い方へ落ち込んでいくデフレ・スパイラルのようなストーリーはそんなにはありません。でも、ありえないとも思えないところが、この映画のすごいところでしょうか。
全ては長男が安易な思いつきで仕組んだ、両親が経営している宝石店を、次男に襲わせる計画が、命取りの連鎖に結びついて行きます。
主演は「カポーティ」で2005アカデミー賞主演男優賞に輝いたフィリップ・シーモア・ホフマン。扮するは兄の会計士アンディと、定職もなく離婚したばかりの弟イーサン・ホーク扮するハンクの兄弟。そして父親役はアルバート・フィニーです。イーサン・ホークの情けない役どころが絶妙です。
監督は84歳にもなる社会派のシドニー・ルメット。代表作「12人の怒れる男たち」の他、「グロリア」「セルピコ」「狼たちの午後」「オリエント急行殺人事件」、古いところでは「質屋」「未知への飛行」「丘」などが印象的です。
監督も高齢になると、黒澤もイーストウッドもそうですが、円熟という境地で若い時の切れ味を失するが、この作品に限っていえばそれがまったくない。むしろ朝の7時58分をはさんで、事件の前後を交錯させ、言い知れない闇を演出した才気は若々しくさえ感じた。
事務所の金を使い込んで、高級男娼とドラッグに溺れ、監査でばれる前にどうにかしようとした兄と、養育費にさえ事欠く優柔不断な弟の企みが、兄アンディの迂闊なアイデアで、なんとも両親の経営するモールの小さな宝石店強盗へ短絡することになる。宝石を強奪しても保険が利いて誰も傷つかないと弟を説得して無理やり実行犯に仕立てる。だがその日にかぎっていつもの店番が休み、母親が店番になり、ハンクもまた、兄に相談せず勝手に、自分は運転手役で、別人のプロに強盗役を懇願し、結果、運悪く母親は銃殺されてしまう。
兄アンデイが幼い頃からずっと持ち続けていた父親チャールズへの特別の感情。幾つになっても独り立ち出来ないアンディの心の闇“俺は親父のほんとうの子ではないのではないか”、そして弟へのジェラシー。
父に殴られて初めてこの家族の絆の薄弱さが露呈する。同じように責任感も薄く、全てに甘え、誰かに頼ることで生きて来た弟ハンク。気の弱さがとんでもない結果を招くことになる。この二人に対し、どこか歪な愛情を注いだと思われる父チャールズ。宝石の闇市場まで出入りしていた父の過去を知るアンディ。決して父を純粋に崇拝していたわけではない。親は子の鏡、アンディもまた気がつくと同じ暗渠の中を歩いていた。事件の裏の真実を知った父チャールズの制裁と、押し寄せる不幸の連鎖。
家族に始まり、家族に終わった見るも無惨な「家庭崩壊」劇。普通なら全然別な犯行現場を想定するのに、アンディは何故かしら家族に執着し、井の中の蛙、両親に溺愛されてきた弟を使って、鬱屈した報復を果たそうとしたのか?
人生はただただ無常、流転のままに・・・。
まだまだ続くよ。
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