ついに実現!とうとうやりました地球一周の船旅。17カ国を90日間で周遊してきました。
あまりに沢山の国を廻ったものだから、記憶も混線気味です。でもとにかく充実した90日
ではありました。地球一周の船旅となると大変お金がかかると思われがちですが、想像し
ていたよりはかなりお安く乗船できました。別に安めのボランティア割引制度もあります。
とにかく乗って見なくちゃわかりませんぞ〜。世界はさすがに広いし、7つの海の色だって
実にさまざま。アジア、アフリカ、地中海、カリブ、太平洋と世界中を垣間見て人々のやさし
さに触れ合ったり生きる歓びをいただきました。折があれば何度でもチャレンジしたいもの
です。

 

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ピースボートホームページはここからどうぞ。

 

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基隆(キーロン)から台湾の首都台北へ列車で1時間、故宮博物館や民族博物館を見学して
日本語のうまい年配の人と友達になってしまいました。

 

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ベトナムの人々は底抜けに明るい。25年前の戦争の陰りさえ見えない。
アオザイのお土産と個人のファミリー宅でおいしい生春巻きをご馳走にもなりました。
みんなで教えていただき早速作って食べました。ベトナムのお酒もいただきました。
パブで知り合ったミーさんに深夜1時間かけてバイクで港まで送ってもらいました。


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さすがにインドはジリジリと暑い。コーチンの街中をバスに乗ったり、小舟に
乗って水郷地帯をのんびりと散策しました。日本ではお目にかかることのない
赤バナナで水分補給、クルーズ仲間の花島さんと20kmは歩いただろうか、
乗り物以外は一日歩きっぱなし。いい思い出でした。
ナマスカーラム(こんにちは)とナンニー(ありがとう)を多用しました。
翌日は本場のインドカレーも食べました。甘めの冷たい地ビールを
心行くまで飲んだものでした。


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アフリカ・エリトリアのマッサワ港に停泊し、半日ばかりの市内散策をしました。
エチオピアとの戦いの後が生々しく残っていましたが、子供達の明るい瞳に
救われます。物乞いをあまりしない高潔さに感心したものでした。
シャイで素直な子供達にサッカーボールやボールペンなどの援助物資を
ピースボートがまとめてプレゼントしましたが、ユニセフを通じてもっと送る
べきだと実感しました。

  
エジプトといえば、その象徴はピラミッド。
中でもギザのピラミッドはそのスケールからいっても最大。
首都カイロ市内から30分ほどのアクセスというのも
人気の秘密か。

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ご存じ四大文明の一つ「エジプト文明」を堪能しました。
カフラー王・クフ王・メンカウラー王の3大ピラミッドで有名なギザ
のピラミッド群へ。人生、生きている間に一度は見ておくべきものよ。
「スフィンクスを見て死ね」とはとっさの迷言?
しつこい物売りとガマグチに要注意!


       
ツタンカーメンで有名なエジプト考古学博物館を足早に見学しましたが
実に広い、広い。じっくりと三日がかりで見るべきですね。


   
3カ月もお世話になったピースボート。決して豪華客船ではなかったけれど
ツアーであちこち巡って、マザーシップに戻ってくるとホッとしたものでした。
よこ揺れもエンジン音も、子守唄のようでした。
長旅を終えて我が家に帰った時には、逆に何日か、陸揺れがしたものでした。

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船旅は陸上行動よりも船上生活の方がはるかに長い。
したがってそれを楽しくするのもつまらなくするのも自分の心がけ次第。
殆ど毎日屋上のスポーツ・デッキでテニスをやったり、サッカーやったり、
卓球をやったりして過ごしました。
サロンでは自主企画(ディスカッション)を3回やりました。「君はなぜピースボートに乗ったか?」
「日本の雇用問題を考える」「映画通集まれ!」でした。
その間にスエズとパナマの両運河やイルカも日輪もすばらしい夕焼けも、誰よりも早く
21世紀の夜明けも目撃し、仮装大会やら音楽祭やら運動会や、カウントダウン・パーティなど
数多くのイベントに参加しました。のど自慢大会では優勝しちゃいました。(幸福そのもの)
今回乗船したのは1歳から89歳までの老若男女550名。みんなに共通しているのは好奇心
が誰よりも強いこと。70〜80代の人もいや〜実に若い。
人生、生きる目的を持っているとほんとうに若くいられることを実感しました。


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ギリシャクレタ島のクノッソス宮殿、イタリアナポリの近くにあるポンペイ遺跡と立て続けに
歴史文化を目の前にし、大いなる感動に包まれました。なかでも2千年前に、ヴェスビオ
火山の噴火により突然その町並みを消失させた「ポンペイ最後の日」は興味をそそるものが
あります。本場イタリアのピザも食べました。グラッツィエ! 

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スペイン・バルセロナでは「アントニオ・ガウディ徹底視察」に参加して来ました。
未完のサグラダファミリア教会やグエル邸とグエル公園、カサ・ミラの高級アパートなど
あますところなく探訪して来ましたが、
個性的な町並みとスケールでスぺインは再び訪れたい街です。

 

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スペインの女性は何処かエキゾチックでしかも愛嬌もあって好印象でした。

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スペイン領ラスパルマスはカリブ海の保養地です。
人々も情熱的で地元サッカーチームとピースボールチームの試合後の交流会では
ラム酒をコーラで割った「キューバリブレ」を飲んで、プロサッカーOBのルイスと
クルーズ仲間の菊池さんと3人でおおはしゃぎ。



今回の旅行のハイライトは何といっても世界遺産人気NO.1の
ペルーのマチュピチュ遺跡でした。

  
クスコの近郊にあるサクサイワマンの巨石による砦遺跡。
カミソリの歯も通さないという緻密な石組みでした。
マチュピチュから海抜3,400mのクスコに戻る時に見た、
手でさわれそうな、満天の星屑が
とても印象的でした。


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クスコ市街中心地のカテドラル前で。
この後お決まりのエル・コンドル・パーサ(コンドルは飛んでいく)のCDと
お土産にケーナやサンポーニャを買い求めました。


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今度の旅行のハイライトはキューバに続き、何といってもペルー訪問でした。
丁度フジモリ大統領の日本亡命で世間が騒がしい頃でした。
首都リマから飛行機で1時間、海抜3,400mの美しい街クスコから
ウルバンバ川の濁流に沿って登山列車で3時間半(ガタガタと疲れました)、更にふもとの街から
ダラダラ坂をバスに揺られて1時間、待望のインカ帝国の残影、天空の城マチュピチュに
到着しました。吸血バエに閉口しましたが、想い出といっしょに
しっかりと脳みそに焼き付けました。
グッバイ坊やが行く先々で日本語で何度も「サヨナ〜ラ」と
叫んでいるのが胸の奥底に残っています。

我が人生で1度あるかないかの偉業であります。

 


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エジプトの次はイスラエル・エルサレムへの訪問でした。ヨルダン川西岸のラマラや
ガザ自治区でパレスチナ難民の不穏な動きがあり、エレサレムにもバスを乗り換えての
 行動となりました。ベツレヘムのキリスト教会付近にも銃をもった兵が監視していました。
  それでもキリスト生誕の馬小屋跡(左の写真)はしっかり見て来ました。
「地球大学生」の小松君と仲良くツーショット。彼は元バスの運転手でした。
  

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空は泣き出し、風も強い絶海の孤島のようなイースター島。
今から250年前にオランダ人探検家が4月5日の復活祭(イースター)に
この島を発見したのでこの名前がついたとのことです。
オリビア号から8人乗りのタグボートに乗り換え、ずぶ濡れになりながら
1,000体の巨石モアイの島に上陸。モアイ以外に観光資源の殆どない
中でミステリー・ゾーンの神秘を感じつつ、島中くまなく巡りました。
日本のタダノ重機が石像の復活に多大な支援をしたとのことです。

 

 

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 サラリーマン生活を36年9カ月で討ち切った。せいせいしたと言うのが正直な気持ち
である。後先はあまり考えない性質で、とにかく違う人生舞台を歩んで見たかったのが
本音であった。それにしては判で押したような37年は長過ぎた。

退職した証しに記念に残る何かが欲しかった。妻に相談を持ちかけたら簡単にうなず
いてくれた。「37年の垢を落として来たら・・・」というこの上ない応援の言葉であった。

10年も前から「地球一周の船ピースボート」の存在は知っていた。
出航10日前というある日の夜、缶ビールを飲みながら何気なく話したひとことで決まっ
た。

 次の日から準備のためのあわただしい日々が始まった。
銀行から一括、旅費を振り込んだ。2〜3日して千歳の検疫所で黄熱病の予防接種を
受けた。月に一度の検疫で、多分これを逃して次の機会を待つとなると旅行は成立し
なかっただろう。勢いというかすべてが出来心なのである。熟慮したり、経済的背景を
考えたりしていたらとても成就できなかっただろう。
旅の衣類やバックパックなど妻と二人で買いに出かけたり、東京(晴海)までの航空券
を買ったり、円をドルに替えたりで、またたく間に旅立ちの日となった。

 前泊で都内で一泊し、翌日の午前中に晴海に行ったら大勢の人が集まっていた。
送る人、送られる人でごった返していた。2時間後、所定の手続きをして90日間もお世
話になるオリビア号に乗り込んだ。
ウクライナの民族衣装をまとった女性たちに迎えられて、いよいよ出航の時がせまった。

こんな大きな船(16,000トン)に乗ったこともなければ、興味を持ったこともない。
すべてが初めての経験である。マイク越しに見送りの人々が対岸で熱いメッセージを
送ってくれている。シャンペンが振る舞われ、五色のテープが宙を舞い、ドラがなり、今
回の船旅のテーマ曲スペインの女性歌手ターリアの「希望の大地へ」が流れ、90日間
という長旅への期待と不安とがごちゃまぜになっている間に船は少しづつ岸を離れて
いった。

これから世界を巡るんだという感激と満足感で、なぜか涙が滲んでいた。

ただひとこと、「やった〜!」というのが実感である。

多分、いままでの長かった本人不在の人生への惜別と、やれば何でもできるんだという
ポジティブな感情が交錯して、岸辺を離れ、恩讐の彼方に消え行く俗世間との訣(わか)
れに、とめどなく流す涙は何よりも心地よいものであった。

誰の言葉か忘れたが「心にいつも灯をともして生きることは難しく、悲しみの涙は流せて
も歓びの涙はそんなには流せない。」 今がそのときであった。

90日の旅の後で自分の中の何かが密かに変わることを期待していた。
ただの想い出にしたくはなかった。ちょっとオーバーだが、その後の人生の生きる糧にし
たかった。

 船の中の日常は前にも述べたが、楽しくするもつまらなくするもすべて本人の気持ち次
第。毎日が青い海と晴れ渡った空だけのはざまで、たまに訪れるのはイルカと海鳥の群
れだけという、非日常の中の日常を繰り返すことにつまらなく感じる人もいたが、筆者に
とっては充実した日々の連続であった。

海と空の向こうに、眼を覚ますと見たこともないいくつもの異国の風景が拡がっていた。
アジアを越えて、インドやエジプトを横切りスエズ運河を渡ってヨーロッパへ、カリブ海か
らパナマ運河を渡って南太平洋へ。

 同じ船に乗り合わせた仲間たちとの交流も盛んに実践した。600人を超える沢山の乗
客が乗っていたが、無理に友達になろうとは思わなかった。いつとは無しに、自然な形で
何十人もの友達ができていた。

特に水先案内人と評する各層各分野のジャーナリストたちがある時期ある区間だけ乗船
してサロンで沢山の聴衆を集めて講演やイベントを行うのだが、その内の何人かとは私
的に酒を酌み交わす仲になっていた。今でもメールのやりとりをしている。

そんな中で際立ってとっておきのひとつの想い出ができた。

「船マジック」というのをご存知だろうか。3カ月も男女がいっしょにいると、若い連中なら
恋愛の一つ二つできても決して不思議ではない。船を下りたら何事もなかったかのような
船にいる間だけの仮想恋愛をいう。でも下船後真面目につきあって結婚に漕ぎ着けるカ
ップルがいるのも事実である。

恋なんてものはかみさんといっしょになってから30年以上お目にかかったことすらなかっ
たが、船の仲間たちが言うところの「船マジック」が筆者にもあったのだ。この幸せ者!
但し、残念ながらまったくの片思いであった。多分相手は気づいてもくれなかっただろう。
今思えば手の一つくらい握っておけばよかったが、それすらかなわなかった。まったくの
「プラトニック・ラブ」であったのだ。ただひとついえることは、この後の人生で再び出会う
こともないくらいの知的で秀麗な美女であった。

はかなき恋よ、波の藻屑と共に深淵なる海の底で眠っておくれ。
この恋のてん末はこのエッセイを読んだくれた読者にだけ個人的にお教えしよう。

実に愛と感動の旅であった。人一倍いい想いをしてしまった。(のろけか!?)

いま、地球一周のマーキングをした地球儀を、手のひらでころがしながら過ぎ去った思い
出の一つひとつを想い返している・・・・・。

 

MARK222.GIF (1275 バイト) 「世界一周恐怖航海記」を読んで

 「ピースボート航海記」は、本屋の立ち読みで何冊かめくったことがあったが、今まで
買い求めたことはなかった。だが、著者と同世代というのと、BS放送のブックレビュー
でお薦め人がいたものだから、懐かしさも手伝って買ってしまった。
著者は、「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞した車谷長吉氏である。本人は自
身を強迫神経症と云ってはばからず、48歳で結婚、奥さんは1歳上の詩人の高橋順子
さん。同じく詩人で74歳の新藤涼子さん、通称お涼さんという逞しき介添え人が同行し
た。男1人、女2人の奇妙な旅である。

 一種、厭世家の偶発諸行であるが、本人に欲目のないのがよくわかる。船で出される
得体の知れない洋風和食を、概ね美味としているのは、終戦直後世代である同世代の
特徴だが、繁雑に下痢をするのと、船内のまぐわい(性交渉)をしきりに気にするあたり、
生臭何とか?の風情だ。私自身、旅の最終章で若い連中がそうなった話は何度か聞い
てはいたが、過剰に反応することはなかった。作家のこだわりと好奇心は男女のまぐわ
いにこそ、生身の真理が隠されているのだろうか。下痢とまぐわいはエゲツナイ!

 全編を通して、寄港地での出来事というよりは、航海しながら自身の過去や人生を振
り返る記述が多い。初めての海外旅行が「地球一周の船旅」という割には、強迫自虐を
超えて、結構楽しんでいるではないか。「世界一周恐怖航海記」の恐怖とはなんぞや?
逞しきお涼さんと、体を拭いて貰える順子さんという、女2人に随(したが)ってノコノコと
ついて行き、「不平も不満も沈黙の海の底」ということにしとこうか。
世間的には悪口のひと言ぐらい出てきそうな、お涼さんの行動ぶりだが、車谷氏の悪口
が一度も出てこないのが殊勝だ。
これも強迫神経症のなせる技か。(勿論、後ほどご本人も読むだろうから)

 基本的にペシミズム(厭世観)で貫かれているが、その分、建前や虚飾もなく、肩肘張ら
ずに読める。
強迫神経症なるが故に、著者は紆余曲折の人生ながら、支持してくれる御仁が沢山い
るではないか。「男・お涼さんタイプ」の当方としては、逆に羨ましくもある。

 タヒチの記述で憶い出したことがある。パペーテからゴーギャン美術館へ。ご本人たち
は何の苦もなく、往復タクシーだったらしいが、私たちの場合は最低だった。
行きは乗合バス。といってもマイクロバスに毛の生えた古い満員バス。窓ガラスもない。
車の両サイドはシートだが、中央は箱に長い板を渡しただけ。それに逆八の字型にビッ
チリ座りながら、吊り輪もない天井を手で抑えるだけ。前が若い女性だったら良かったが
汗臭い男達ばかり。それでもこれで定期バスなのだ。
 帰りはその定期バスもなくなり、3人でヒッチハイク。夕暮れ時、やっと荷台のついた軽
トラックに止まってもらって田舎道をガタゴト、途中で雨に見舞われ、パペーテまで1時間
半の濡れ濡れ旅だった。でも、こうやって懐かしく憶い出せるのだから、まんざらでもない。

 ピースボートは私の乗った「オリビア号」も、現在の「トパーズ号」も老朽船で、大なり小
なり不満はあった。だが筆者は、あれほど下痢になっても、食事や設備への不平不満の
記述が一度もなかった。愚痴や細かいこだわりを超えた何かが車谷氏にはあるのだ。

 出不精の筆者だったが、100日もの、初めての海外旅行は、きっとこの後の車谷長吉
氏の作品に深い影響を与えるだろう。

 金と体力があれば、何度でもトライしたいもんだね。

 

 


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