「錯覚」の中に埋もれるアスベスト問題
(アスベストについて考える会)
共有される「錯覚」
人はいろいろな「錯覚」を持ちながら生きているものだが、そういう「錯覚」を社会全体が共有することは、簡単には起こらないだろうと思う。しかし、アスベストに関する限り、私たちはある種の「錯覚」の中にいる。社会全体が何かの「錯覚」を共有するとき、その「錯覚」はどの様にして作られてゆくのだろうか。
数年前にアスベスト問題とかかわりはじめてから、多くの人たちとアスベストについて話しをする機会を持つようになった。そこで出会うほとんどすべての人は「アスベストはもう使われてはいない」「アスベスト問題はすでに解決された」「吹き付けアスベストは私たちの周りからすでに取り除かれている」と思っている。
当初、アスベストの飛散防止を義務づける大気汚染防止法の改正が国会で審議されていた時ですら、行政に携わる人さえ、「なぜ今頃アスベストを問題にするのか」と言っていた。マスコミの人も、環境問題に関心を持つ人も、中には自ら専門家と名乗って私たちに説明をする立場の人さえも、公然とそのような発言を繰り返していた。
アスベスト問題は、世界各国で今までも大きな社会問題を引き起こしてきたが、今でも多数の被害者が発生している深刻な労働問題である。また、一般環境でのリスクをどのように評価するのか、コスト・ベネフィットの観点からも激しい意見の対立がある(1)。被害者が顕在化し、増加傾向を示していることや、アスベストが使われている建物が老朽化の時期を迎えてくることを考えれば、アスベスト問題の重要性は今までよりもむしろ増してゆくものと考えなければならないことだろう。
二年前、日本のアスベストの使用量は年間二〇万トン程度と言われ、世界でも突出する使用量を誇っていた。その状況は、使用量が年間一七万トンから一八万トン程度とされている今もほとんど変わってはいない。しかし、我が国が世界でも名高いアスベスト大国であるという事実は、日本ではほとんど知られていない。人々は二年前と同じように、「アスベストはもう使われてはいない」「吹き付けアスベストはもうすでに取り除かれている」と思いこんでいるようである。
アスベストというと、もうすでに解決されている時代遅れの問題を蒸し返しているような印象を持つ人も多い。アスベストを過去の問題ととらえている社会の「錯覚」そのものが、アスベスト問題の意味を、また少し別のものに変えようとしている。
発癌物質の遺産
一九九六年七月、フランスがアスベストの使用禁止を決めた。
このことは、不思議なことに、一九九〇年代に入ってからも年間二〇万トンものアスベストを使い続けていた日本で、ほとんど大きな問題として取り上げられなかった。
今年になって、イギリスやベルギーでも、アスベストの全面的な使用禁止への動きが出ている。また、EUでのアスベスト使用禁止の是非をめぐる論争は、過熱状態のまま、まだ結論には至っていないようである(2)。アスベストの発癌性をどのようにとらえるのか、代替製品の安全性はどの程度確保されるべきなのか、世界ではアスベストの安全性と必要性をめぐって激しい論争が巻き起こされている。
一方、戦後世界中で大量に使用されてきた大量のアスベストは、私たちの普段使っている建物の中に、依然として残されたままになっている。膨大な量の発癌物質という過去の遺産を、私たち自身の住んでいる建物の中にとどめたまま、私たちは二一世紀を迎えようとしている(3)。過去に大量に使われてきたアスベストの危険性をどう評価し、どの様に飛散防止の対策を立て、どの様に処理をして行くのか、使用禁止の動きとは別に、もう一つの深刻な問題が突きつけられようとしている。
アスベストの処理には大変な費用がかかり、広い範囲で使用されている場合が多いことから、経済的な負担が大きい。建物の所有者は、いったんアスベストが使用されていることがわかれば、解体処理に膨大な費用を負担しなければならない。法的に使用が許されていた製品を使った使用者が、何十年もたった後で解体の時期を迎えて、莫大な処理費用を一方的に負わなければならないことになる。解体が間近な建物では、アスベストが使用されているかいないかは取引価格にも直接はね返ってくる(4)。
世界で巻き起こっている使用禁止にかかわる激しい論争は身近には感じられなくても、アスベスト問題は、私たちにとって、実は非常に現実的な問題なのである。
ヨーロッパでは使用を禁止する国が多くなってきており、イギリスやアメリカ、オーストラリアなど、禁止されていない国でも使用量が激減するなど、欧米各国を中心にアスベストは次第に使用されなくなってきている。我が国では、最近になってようやく減少傾向を示し始めているとはいえ、相変わらず、毎年一七万トン以上ものアスベストが使用されている(5)。
アスベストは、熱や酸・アルカリなどにも強く、通常の環境では変化しにくいという特性を持っているため、環境蓄積性がある物質と言われている(6)。世界でも群を抜く使用量を誇り、人口密度の高さや地震による飛散などの可能性も高いことを考えれば、アスベストに関する議論は他の国よりももっと高まっていいはずなのである。
世界の被害者
イギリスでは、最近になって、原則的な禁止を提案する草案も出され、それと前後して、アスベストの規制を厳しくする法規制の改正についても、意見募集が行われている(7)。
アスベストによって引き起こされる病気には、じん肺の一種であるアスベスト肺と、肺癌、悪性中皮腫の三種類が知られており、いずれも治療が困難な病気として恐れられている。イギリスでは、アスベストによる死者は、その中皮腫だけに限っても一九九四年に一二三五人が認定されているという(8)。さらに、アスベスト関連の疾患による死者は年間三〇〇〇人に上ると推定され、今後も増加することが予測されている(9)。
特に、建設関連の労働者や電設作業員などのリスクが大きくなっていることが指摘されている(10)。フランスでは一九九七年からアスベストの使用が禁止されたが、禁止が決まったときの日本の報道でも、アスベストによる死者は年間二〇〇〇人と発表されていた(11)。別の報告では、年間三〇〇〇人に上るとも言われており、今後数十年間にわたって、建設・土木労働者を中心に深刻な被害が予測されているという(12)。
イギリスでのアスベスト使用量は、一九六〇年代から七〇年頃にかけてのピーク時から急激に減少し、七〇年代に年間二〇万トンあった使用量は、一九九三年に年間一万トンまで減少しているという(13)。
一方我が国では、一九七五年に吹き付けアスベストが禁止される前、年間三五万トンあった使用量はそれ以降も増減を繰り返し、最近まで目立った減少は見られなかった。その間世界では、一九八〇年代に入ってヨーロッパ各国で使用禁止の動きが出始め、規制が強化された。アメリカでは、かつて例がないような膨大な数の製造物責任にもとづく訴訟が相次ぎ、EPAの使用禁止規則が提案され、その是非をめぐって激しい論争が引き起こされたを (14)。そのような流れの中でアメリカの使用量は激減し、一九七三年頃に年間一〇〇万トンに達していた使用量も(15)、一九九二年には年間三万トンあまりに減少しているという(16)。
アスベストの潜伏期間は、二〇年とも四〇年とも言われている。
一九七〇年代前半に日本でも大量に使われた吹き付けアスベストによる被害が、今後現実にあらわれてくる可能性は、イギリスやフランスなどの他の諸国とそう大きな違いがあるわけではない。アスベストは過去の問題なのではなく、現在の問題であり、それ以上に将来の問題なのである。今の時点でアスベストについて考えることが「時代遅れ」なのではなく、アスベストが「時代遅れ」と感じる私たちの意識そのものが、世界の流れからずれているのである。
隠そうとする体質
二年ほど前、静岡県の公営住宅の取り壊しに際して、県のアスベスト対策が全くといっていいほどなされていないことに疑問を持ち、それまでの対策の経過を調べ始めた(17)。
そのころ、どこに行っても、担当者は「吹き付けアスベストは公営施設からはすでに除去されていて、今はもう使われていない」と答えていた。しかし回答には納得ができる資料が示されていなかったので、何か確認できる書類がないかと考えて、情報公開制度を使って除去工事の記録を調べてみた。県の資料は全くなく、当時の工事記録はすでに廃棄処分されていると説明された。しかし驚くべきことに、「文書なし」と回答した一つの課で、その時吹き付けアスベストの除去工事が行われていた。このことは、当時私たちに「資料は全て廃棄処分されてない」と説明した県の環境局にも知らされていなかったようである。
その後、県も、県内市町村を含めた公的施設の吹き付けアスベストの調査を行い、私たちもそれと連動する形で調査を行っている。
その過程で、「もう処理されている」と答えていた静岡市で、一九七〇年から七七年にかけて建築した四三棟(総戸数約一七五〇戸)の市営住宅の天井に、アスベスト含有の吹き付けロックウールが使われていることがわかってきた(18)。また、県立高校や福祉施設、県立こども病院をはじめ、市役所の庁舎や市営、町営体育館など、多くの施設に吹き付けアスベストが今も使われていることもわかってきた。中には全く対策がたてられていないところもあり、乏しい財源とアスベストに関する知識や情報がなかなか得にくい状況の中で、自治体が今後の対策に頭を悩ませている様子が窺える。
「アスベストはもう使われていない」ということも、「吹き付けアスベストは公共施設からはすでに除去されている」ということも、ともに事実とは異なっていた。みんながもう使われていないと思いこみ、そう発言する。それにわずかな事実が隠されることが重なって、事実に基づかない思いこみが徐々に真実に置き換わっていく。そして、次第に「錯覚」は事実のようになって、社会の幻想はどんどん広まっていくのである。
知らせなくない事情
国や県などの公共団体が、発癌性が認められ、解体工事などでの飛散防止対策を求められている吹き付けアスベストを、所有や管理している施設のどこに使用しているのか、しっかりと把握していないことには問題がある。しかし実態としては、かなり多くの自治体でこのようなことは把握されていないだろうし、把握しているとしても、正確な調査に基づいているわけではないように見受けられる。
私たちは、昨年県の行った調査で吹き付けアスベストを使用していると答えた県内市町村を対象に、公的建築物について調査をしているが、実を言うと、回答はかなりいい加減なものである(19)。
アスベスト含有であるかどうか確認もせずに答えていたり、他の課ですでにあると答えているのに全くないと回答してきたり、「囲い込み」や「封じ込め」などの対策上必要な用語についても理解が全くできていなかったりしている。これでは実態を把握するのはかなり時間がかかりそうである。このようなことが起こるのは、アスベストについての無関心に加えて、公務員ですらアスベストについての知識をほとんど持っていないということが原因である。それはそれとして今後改善していかなければならないことだが、それ以前に、より根本的な問題として、有害な物質が使われているのかどうか、どこに使われているのかを公表しようとする気持ちが、行政の側にほとんどないことに驚きを感じる。
アスベストが使用されているなら、管理に手落ちがないようにして、使用者に危害を及ぼさないようにしなければならない。
使用していることを伝えれば、利用者は無用な接触を防ぐことができるから、その事実はなるべく積極的に知らせる必要があるだろう。そう考えるのは、ごく普通の発想であると思う。しかしアスベストの場合、一般的にはこのようなとらえかたはほとんどされていない。むしろ行政は、このような問題を公表することによって、利用者に騒ぎが起こるのを警戒して、こういう情報をなるべく伝えないようにしている。
静岡市の市営住宅に使われているアスベスト含有のロックウールも、すでに対策は済んでいると聞いて、資料を集めるために調査した中で明らかになってきた。しかし、現在わかっているのは、総戸数約一七五〇戸のうち、約半数の八七〇戸の天井の一部については、一九九〇年度に囲い込み工事が行われ、吹き付けの天井の下部をシートなどで覆っているということだけである。残りの半数の住宅や他の部屋の天井がどの様になっているのかという点については、よくわからないままになっている。市は対策はとってあるはずだと言うが、説明に足る十分な調査は行われていない。私たちは、使用されているかどうか調査するべきであり、それとともに、現時点での状況を知る必要もあるので、使用者に吹き付けアスベストが使用されている可能性があることを知らせるべきだと主張しているが、これだけのことでもとても受け入れられる余地がないのである。
市は、使用者から抗議されたりしてこれ以上の対策を立てなければならなくなるのを恐れているようであるが、使用者の側からすれば、危険なものが使用さえていることを知らせてもらえないというのは不当な気がする。後になって、わかっていたのならなぜ教えてもらえなかったのだろうと思うのではないか。ましてや、管理や対策上の必要性を考えればなおさらのことである。
知らせないという判断
市町村に対して行っている調査でも、このような傾向はいくらでもみられる。
吹き付けアスベストの使用施設について、今回調査した二九の県内市町村のうち、回答が二ヶ月近くたっている今の時点で、回答ががあったのは約半数ほどである。質問の当日に回答したところもあった反面、全く音沙汰もない市町村も多い。連絡があった市町村に使用者に知らせているかを尋ねると、ほとんどが知らせていないと回答している。
吹き付けアスベストを使用している施設は公表できないと回答してきた町もある。
濃度測定の結果と今後の除去予定などを教えてくれたので、施設名はなぜ公表できないのかを聞いてみたところ、「対策はしっかり取られているし予算も少ない、これ以上は勘弁してくれ」という返事が返ってきた。私たちは非難や中傷をするために調べているわけではない。ただ事実がどの様になっているのかを知りたいだけなのである。小さな町や村で、主要施設に使用されている吹き付けアスベストが問題になると、すぐに除去などをする予算がないから、公表することをためらう行政の側の気持ちもわからないではない。しかし、使用していることがわかればなるべく近寄らないようにするなど、それなりの対策も立てられるのだから、行政が使用者の立場に立って考えることができれば、それでも「知らせるのが自分たちの義務である」と考えるのが当然の結論ではないか。しかし、現実にはそういう判断はほとんどなされないのである。
知らせないことによる利益
現在我が国で使用されている年間約一八万トン程度のアスベストは、徐々に代替化が進められてきた結果、その約九割が建材に使用されていると言われている。建材の中では、一般住宅の屋根材も大きな割合を占めているので、もしかしたら自分自身の家の屋根にもアスベスト含有の屋根材が使われているということもあるわけなのだが、実は、このような事実も、使っている本人が知らない場合が多い。
たとえばこのようなことが起こる。
設計者など、建材を発注する側の人の中にも、アスベストはもう代替製品に置き換わっているので、今はもう使わていないと思っている人は多い。家を建てる人が心配して聞いても、「アスベストはもう使われていないので心配ない」と説明したり、そういうアドバイスをしたりしている。そこで、それは事実とは違うのではないかということを指摘して実態を尋ねると、営業に来た人がそう言っていたと言う。製品のカタログ見て、カタログには書いてないので使われていないと思ったとも言う。改めて聞かれて、あわててメーカーにあちこち問い合わせをして、初めてアスベスト含有であるということがわかって驚くのである。
説明をした人も営業に来たメーカーの人も、悪意があってそのような事実ではないことを言っているのではない。その人達も、今はアスベスト含有の製品は使われていないと思いこんでいるだけなのだ。つまり、アスベストが使用されているという事実を、販売している側もよくわからないで扱っているのである。有害物質に関する情報というのは、内部の人に対してすら正しく伝えられていないし、非常に限られた情報しか流されていないということになる。
設計担当者は、カタログを見てもはっきりと書かれていないので、すでにアスベストは使われていないと思いこんでいる。または、承知している場合でも、アスベスト含有であるということは特に施工者には説明されない。家の所有者は、その屋根材の消費者の立場になるが、設計段階で自分の家の屋根材がアスベスト含有であるかないかをチェックすることはまれである。建築中には、すでに決められている材料について調べることはほとんどないので、気がついた頃には屋根はすでに葺き上がっている。
発注した人も、所有者も、アスベスト含有の屋根材を使っているということを知らないで購入し、使用しているということが、ごく普通におこっている。
一方、アスベスト製品は、発癌性が認められ、取り扱う現場の労働者の健康を害する可能性があるため、労働法上厳しい規制がかけられている。中でも特にアスベスト含有の製品であることを表示する義務は、データシートなど制度化されているものから、「aマーク」という業界の自主的なマークまであって、労働者保護を目的に、その商品がアスベスト含有であることを示すことが厳しく義務づけられている(20)。そして現実に、現場の商品にはそのような説明は付けられているのである。
しかし、製品はメーカーから建築現場に届けられ、発注者や消費者の手を経ていかないので、発注者や消費者がそのようなマークや表示を見る機会はほとんどない。そのために、アスベスト含有の製品であることは表示され、厳しい法規制は守られているのにもかかわらず、アスベスト製品であることを発注者や使用者が知らないということが起こるのである。
説明できない商品情報
私たちも、身近な住宅の屋根材に使われている主なメーカーの屋根材のカタログを調べてみたが、基本的な商品情報を伝えるカタログには、アスベスト含有の製品であることには何ら触れられてはいなかった。
最近、私たちはこのようなことについてあるメーカーに電話で説明を求めたが、担当者の対応には失望させられた。
そのメーカーは、一般住宅などを手広く扱っている、我が国でも有数の大手企業である。以前もJISマークについての問い合わせをしたことがあるが、その時に「あなたの会社ではアスベスト含有の製品は扱っていますか」というした質問をしたところ、担当者は本社に問い合わせた後、「自分たちの会社ではアスベスト製品は一切使用していない」という回答をしてきた。しかし、そのすぐ後で、近所の製品にアスベスト含有の屋根材が堂々と使われているのを知って、事実と全く異なる説明をメーカーはするものであるということを知ってがっかりしたことがあった。
今回は別の担当者に、カタログに書かれている製品にアスベスト含有の物があるかどうか聞いた。
担当者は、「特に使われていないと断っているもの以外は全て含有している」と答えた。そこで含有率はどのくらいか聞いたところ、「自分たちは本社から送られてくる製品をただ販売するのが仕事で、そういう細かいことまではわからないから、本社に聞いてくれ」と言う。アスベストの含有率というのは、労働法上も表示することになっている基本的な情報である。営業マンの説明を聞いて購入する人もいるわけだから、その人たちが十分な情報を与えられていなければ困るのではないかと思うが、その人はそういうことは全く知らないと言う。本社に問い合わせて調べて教えてくれないかとお願いしてみたが、「そんなことを聞かれてもわからないから、自分で聞いてくれ」と頑強に断られてしまった。
有害物質を含有している製品であることを表示しなけばならないという厳しい法規制を受けていながら、使っている人もそれを知らないばかりか、売っている人もそれについてよく知らないまま販売している。有害物質に関する情報は、外部にだけでなく内部の人にとっても得にくい情報になっている。社員教育で、有害物質に関する情報は十分説明できるようにしておかなければ、消費者が商品選択に必要な情報を十分提供することができない。そのようなことまで企業秘密に含めることは許されないだろう。
警告上の欠陥
アスベストのように、法律でも取扱いに注意が必要とされている有害物質を含む商品を、そうと知らないで使用していると、場合によっては、そのことによって被害を生じる可能性がある。また、取り壊しに際しては、なるべく破砕しないようにするなど、何らかの取扱上の注意を要する場合がある。それによって、取り壊しや解体に際して費用がかさんでくることも考えられる。消費者に不利益を与えるおそれがある情報は、商品選択がなされる時に必ず提供されるようにしなければならない。
一九九四年に制定された製造物責任法は、「製造物の欠陥により人の生命、身体又は財産に係る被害が生じた場合における製造業者等の損害賠償の責任について」定めたものである。ここで言う欠陥には、一般に、製造上の欠陥、設計上の欠陥、指示・警告上の欠陥が含まれていると考えられている(21)。しかし、商品自体への警告の表示は問われても、商品選択の基本的な資料となっているパンフレットの説明の中に、有害物質に関する情報が盛り込まれているかどうかということは問題にされてはいないようである。製造物に関する責任を果たすことが企業の責任として求められている現在の社会通念からすれば、明記されないことは許されないはずだ。
同法の成立に際して、参議院付帯決議には「商品被害の未然防止を図るため、製造者が添付する製品取扱説明書、及び警告表示について適切かつ理解しやすいものとなるようにするとともに、消費者の安全に係る教育、啓発に努めること」とある(21)。今後、商品に関する情報の提供という、企業に課せられている責任をもっと明確にして、有害物質に関する情報は、商品選択の際に最優先に消費者に提供されるように企業に義務づけていかなければならない。
有害物質を使うということは、社会に対する負荷を与えていることになる。私たち消費者は、被害者になりうるとともに、加害者にもなりうる。そういう意味でも、消費者が有害物質についての情報を持つことは必要だ。私たちは、今のように、売ったり買ったりする当事者が、アスベストを含有している商品はもう市場には出回っていないと思いこんだまま、アスベスト含有の製品を購入したり、使用したりしているようなことが起こらないようにするためにはどうしたらいいのか、自分たち自身の問題として考えていかなければならない。そのためには、私たちが被害者にならないための努力をするとともに、加害者にならないためにどの様な注意が必要かという視点を持つことができるようになっていなければならない。
知らせないようにする動き
一九九五年一月、アスベスト関連のJISが改定され、それまでの「石綿スレート」「住宅屋根用化粧石綿スレート」などの六規格が体系的に整理統合され、規格の名称が「繊維強化セメント板」「住宅屋根用化粧スレート」などに改められることになった(22)。見直しの目的は、「使用目的が同様の製品はできるだけ整理統合して、規格の簡素化を図ること」とされている(23)。
この規格の改定によって、規格の名称から「石綿」の表示がなくされたことになる。
労働安全衛生法では、アスベストを一%を超えて含む物質には、名称、成分、含有量、身体に及ぼす作用、取扱上の注意などを表示することが義務づけられている。MSDS(Material Safety Data Sheet 化学物質安全性データシート)でも表示されることになっている。
つまり、アスベストは、ことさらにアスベスト含有であることを表示し、他のものと区別できるように求められているわけである。ところが、規格という、製品の同一性を表すJISで、アスベスト含有であるものと含有でない物を同じ規格にしてしまったのはどういうことだろうか。そればかりか、規格の名称から「石綿」という文字をなくし、アスベスト含有であることがわからないようにしてしまった。これは、労働法上の規制の趣旨に反しているのではないだろうか。
私たちは、この改定が「取引の単純公正化及び使用又は消費の合理化を図り、あわせて公共の福祉の増進に寄与することを目的とする」と定めた工業標準化法の目的に反する改定であると考えている。
この改定に至った流れは、一九九三年に工業技術院から、原案作成協力団体になっている「スレート協会」対して、六件の規格改正案の作成依頼がなされ、それを受けて、スレート協会が「JIS改正原案作成委員会」を発足させ、審議を行ったのち、一九九四年九月、日本工業標準調査会建築部会での議決を経た後、翌九五年一月に改定された(22)。
アスベストの製造団体である「スレート協会」が原案作成協力団体になり、規格改定をリードしていることがこのような改定につながっているとすれば、JISのあり方そのものも含めて問題にしていかなければならないだろう。
知らされないことによる被害
アスベストが使用されていることを知らなかったり、アスベストの危険性やアスベストがどの様なものかということを知らなかったりすることによって、私たちは具体的にどの様な被害を被るおそれがあるのだろうか。
私たちは一年ほど前から、インターネットにホームページを開設して、アスベストに関する情報の提供や、利用者からの質問や問い合わせに応じている。
寄せられてくる質問や相談は様々であるが、中には深刻なものもある。
アスベストが使われているという説明を受けないで不動産を借り受け、そうとは知らずに天井の改修を行ったため、天井の梁に吹き付けられていたアスベストをまき散らしてしまい、吹き付け部分を削ってしまったという相談もあった。私立幼稚園で遊戯室の天井の梁から落ちてくるアスベストが、管理者から安全なアスベストであると説明されて、不審に思って問い合わせをしてきた例もある。しばらく使われていなかった作業場を使うことになって埃だらけの室内を掃除した後で、天井に吹き付けアスベストが使用されていることに気づいた例もある。
また、継続して行っている県営施設などの調査では、実際に使われている場所を見せてもらったうえで説明を受けているが、中には、病院の鉄骨の梁に広範囲に吹き付けられていたロックウールにアスベストを含有していることがわかっていながら、作業員が天井裏に入って作業する際に何ら対策を立てていなかった例もあった。太い梁が張りめぐらされている、密閉した狭い天井裏で作業する作業員にとって、アスベストが使用されていることを知っているかいないかは、場合によっては死活問題になる。
床に貼ってあるアスベスト含有のタイルを張り替える際、アスベスト含有であることを知ってマスクをしたり、水などによって湿らせて作業すれば、被害はかなりの程度防ぐことができる。台所を改修する際、台所の水周りなどで、アスベスト含有の建材が使用されていることが多いことを知っていれば、少なくとも閉め切った部屋でこどもをそばで遊ばせながら、乱暴に取り外したりすることはないだろう。古い車や修理用のブレーキやクラッチなどの部品には、アスベスト含有のものがある。それを知っていいれば、少なくともガレージの中で粉じんを吸い込むことは避けることだろう。学校やアパートなどの階段下などの吹き付けに、アスベスト含有の吹き付けが使用されている場合があることを知っていれば、いたずらで削って遊んだりボールをぶつけているこどもには注意をするだろう。アスベスト含有のスレートの上で、布団を干したりすることは絶対にしないだろう。神戸の地震の際、アスベストが散乱して大きな社会問題になったことも知って入れば、吹き付けアスベストが散乱するずさんな取り壊し現場のそばで、作業を見物していたりすることはないだろう。
全て、知っていれば防げる被害なのだ。
アスベストは短繊維の太さが髪の毛の五千分の一と言われるほど、目に見えない非常に細かい繊維であるが、使われている段階では目に見えている。正しい知識と情報を持って、吸い込まないように注意をすれば、被害を最小限に食い止めることができるのである。アスベストはしばしば最も費用がかかる環境問題と言われるが、かけた経費はかなり効率よく結果に反映するとも言われている(23)。どこに使われているのかを知っていれば、普段から管理を怠らないように対策を立ててゆくことができるわけである。そのためにはアスベストがどこに使われていて、どの様な危険性があるのかということを知らされていることが大切だ。
危険性について普段からよく熟知させておくことが、リスク管理のまず大前提になければならない。地震対策の一つとしても、アスベストがどこに使われているのかを把握して、私たちがそのことをよく知っておくことが大切である。
正しい知識を普及させること、正確な情報を与えることが人命を救うことになる。そういう認識が、今の行政や、企業や、私たちの常識になっていくことが何よりも重要なのである。
私たちが求めてきたもの
我が国のアスベストの業界団体からなる(社)日本石綿協会が発行している「せきめん」の今年六月号の編集後記では、アメリカの科学者の言葉を引用して、悪いニュースばかりを大々的に取り上げて騒ぎ立てる消費者運動グループやメディア、環境主義者などに対する批判を取り上げている(24)。アスベストについて、このような批判が当てはまるのかどうか私にはわからないが、私たちが今までことさらに求めてきたことは、ここで批判されていることとは全く種類の異なる問題であったと考えている。
アスベストは、欧米諸国などではすでに禁止されたり使用量が激減し、使われなくなってきている。私たちが一貫して求め続けて来たことは、そのような実態がありながら、我が国で今なお大量に使い続けなければならないわけを知りたいということであった。
そして、代替化政策が行われていると公言しながら、行われているのは、アスベストの代替品についての調査や研究ばかりで、代替化を促進するための政策はどこの省庁でも行われていないという事実や、使用や生産の現状も十分に把握されず、業界に任せきりの実態を目の当たりにして、具体的な代替化政策はどこでどの様に行われるのか、はっきりとした形で示してほしいということを言ってきた。また、県や市に対しては、主に、アスベストに対する法的な規制を守ってほしいということと、公共団体として吹き付けアスベストが使われている施設はどこにどの程度残されているのか、しっかりと把握して管理してほしいこと、及び、使用者に対してその事実を公表するようにしてほしいということを言ってきた。考えてみればかなり単純なことばかりである。しかし、非常に残念なことだが、単純な要求に見えるこのようなことも、現在のところ、ほとんどと言っていいほど実現はしていない。
法規制については、少しずつ浸透してきた点は見られ、アスベストを使っている施設についての調査についても、東京都や川崎市など独自に対策が進んでいる一部の自治体もあり、静岡県内でも一定の前進はみられるようになってきた。とはいうものの、それはごく一部の例外的な自治体に限られており、特に代替化の政策については、全くと言っていいほど前進は見られないまま現在に至っている。
知らせるための制度
八月二六日の夕刊には、環境庁のまとめた来年度の予算要求について、化学物質対策費が本年度の約三倍を計上し、化学物質対策を強化していると伝えている。ダイオキシンや内分泌攪乱物質など、有害物質対策は我が国の緊急課題となってきている。しかし、強い発癌作用があるとしてあれほど騒がれたアスベストが、一〇年を経過してもなおこのような実態にあることを考えたとき、果たして我が国の有害物質対策が実効ある対策をとれるような体制になっているのかどうか、疑問を感じざるをえない。
未然防止やドイツの予防原則などの考え方を基礎に置いて、代替化政策と言われるような、原因物質をなるべくリスクの少ないと考えられる他の物質に置き変えてゆく政策を積極的にとってゆくことが最優先されるべきであると思うが、現実には既成の産業に対する影響などから、そのような対策にはほとんど踏み込めないのが実態である。
さらに最も重要なことは、有害物質についての情報が得にくくなっているという点である。とりわけ公共団体や企業などにおいては、情報を提供するというよりもむしろ、実態を覆い隠してなるべく伝えないようにしようとする姿勢が見られる。
有害物質から身を守るためには、対策の基礎に、その物質についての情報をなるべく正確にす早く伝える体制がなければならない。
このような考え方を制度化する方法の一つとして、現在、環境庁や通産省で、PRTR(環境汚染物質排出・移動登録)制度の導入が検討されている。それ自体は歓迎されるべき取り組みだが、PRTRという、有害物質対策の最も基礎に置くべき制度が、環境庁と通産省の両方で同時に異なる内容の制度として検討されているということ自体、我が国の有害物質対策がいかに大きな限界を抱えた上で行われているかということを如実に物語っている。
話し合いを作り出す土台
今まで見てきたところから判断するなら、私たちの社会は、事実を事実として知らせて行こうとする風土にはなっていない。そして情報を受け止める側にも、積極的に情報を得ようとする意識は定着していない。見方によっては、社会が真実よりもむしろ「錯覚」の方を好んでいるようにも見える。伝えるべき立場の人も伝えられるべき立場も、ともに事実を知らせることや知らされることをさほど重視していないような社会的な風土の中で、ことさらに事実を伝えて意識を喚起しようとすると、先の(社)石綿協会が指摘するように、環境主義者やマスコミが、悪い情報ばかりをことさらに述べ立てるように見えてしまうのかもしれない。
だが私たちが本当に望んでいることは、正しい知識や情報に基づいて考えることだし、対立するよりも話し合うことである。
危険性ばかりを強調していたずらに社会の不安をあおるようなことにならないためにも、正しい知識や情報と現実を踏まえた意見形成が行われる必要がある。そのためにも企業のもつ情報や企業の側からの説明が不可欠なのである。より客観的な意見形成を促すためにこそ、リスクコミュニケーションの必要性がある。
私たちは、今の段階で、アスベストに関する知識や情報が十分であるとは思ってはいない。我が国のアスベストの使用実態や、アスベストの輸入や輸出の実態などについても、具体的なことになると詳しいことは何一つわかっていない。このことは通産省の担当課である住宅産業窯業建材課にも質問して説明を受けたが、十分な説明は行われなかった。通産省も把握していないということである。そこで、我が国のアスベスト行政の中核を担っている、公益法人である(社)日本石綿協会に、アスベスト製品の製造の実態を教えてほしいとお願いしたところ、回答をしてもらうことができた(25)。しかし、話し合いはだめだということだった。通産省にも仲介をお願いしたが、それもできないということである。
リスクコミュニケーションの充実ということが、環境庁はじめ、行政機関での資料などでもよく言われている(26)。しかし、その実態はというとはなはだ心もとない。私たちは普段から行政との間の壁をなるべく取り除くように努力しているが、企業との率直な意見交換は依然としてできないままである。私たちは、実際に使用してしている側がどの様にとらえているのかという説明を率直に聞いてみたい。アスベストの危険性や代製品の安全性についてどの様に考えるべきか、また、今後の対策をどの様に行っていく必要があるのか、現実に使っている人たちの意見を聞いた上で、使用禁止などによって他の国でできている代替化が、日本でこれほど遅れている事情について考えてみたいのである。
リスクコミュニケーションと言うからには、対立関係にあるように見える当事者が一つのテーブルについて、ゆっくり話し合いを進めてゆくことができる場が作られていなければならない。お互いの意見を尊重しながら自分たちの意見を言い合い、その中でお互いが今後の対策を探ってゆくという柔軟な姿勢が必要である。
新しい形での行政参加は、新しい形での活力の源になってゆくことだろう。行政の側には、力がある企業よりにどうしても傾きそうな政策決定の方向を戒め、企業と、消費者でもある住民との意見交流の仲介役になってもらいたい。
参加と対話
現在国会では、情報公開法案が審議されている。
情報公開法は、PRTRとともに、私たちに企業や行政の持っている情報を知らせるための車の両輪のような役割を果たす。審議の対象になっている政府案については、法案の成立過程で、行政改革委員会の意見の中にあった「監視」と「参加」を目的からなくしてしまったことが行政改革委員会設置法に反していると考えられることをはじめ、行政情報が国民のものであるという基本的な視点を備えているとは思えないことから、法案がそのまま成立することには反対している。しかしそれはそれとして、情報公開法とPRTRという、私たちが企業や行政の持つ情報を得るための制度が整備されつつあることは、それ自体でたいへん意義のあることだと思っている。
私たちがこれまで、一地方自治体に限られたささやかな取り組みであるとはいえ、曲がりなりにもアスベストに関する調査を行い、実態を知り、政策の問題点について考えることができたのも、ひとえに静岡県や静岡市に情報公開条例があったことによる。情報公開によって資料を請求しながら、行政の実態や問題点を探り、アスベスト以外にもいろいろなことを学ぶ機会が得られた。特に静岡市の情報公開条例ができたばかりで、無料で提供される膨大な資料によって、アスベストのことをいろいろと学ばせてもらった。
このようなことを考えると、情報公開は重要な環境教育の場であるともいえる。また、そこで得た知識や情報が行政の側に戻されることによって、行政の側も政策の問題点を知り、政策についての提案を受けることができる。情報公開は、政策提案の一つの手段として活用されていることにもなる。
つまり、情報公開という制度は、自分たちが学ぶ場であるとともに、行政との意見交流の場であって、政策提案につながる場になるということだ。それは私たちが行政に参加する場であり、行政との対話をする場であるということもできる。
PRTR制度や情報公開法をより充実したものにしてゆくことが差し迫った課題だが、それとともに、行政や企業が少しでも知らせようとする気持ちを持ってくれるように、身近な生活の中で働きかけてゆく姿勢を持ち続けることが、私たち自身に求められていることなのだと思う。そのような働きかけが、社会の中の「錯覚」を一つでもなくすことにつながるはずである。
(1998年9月1日)
参考文献
(1) 諏訪雄三「アメリカは環境に優しいのか」(一九九六年)二九七頁
(2) 石綿対策全国連絡会議「アスベスト禁止を巡る世界の動き」(『アスベスト対策情報』 一九九八年七月一日 第二四号)三九頁
(3) 平成七年度環境庁委託事業結果報告書「構築物の解体・撤去等に係わるアスベスト飛散防止対策について」(一九九六年)
(4) 東京海上火災「アスベストと不動産取引」(『環境リスクと環境法(米国編)』一九九二年)
(5) 大蔵省統計((社)日本石綿協会の回答による)
http://plaza.across.or.jp/~hepafil/sekimen1.html)
(6) 前出「構築物の解体・撤去等に係わるアスベスト飛散防止対策について」一頁
(7)HSC agree to publish consultative document on further restrictions on importation, supply and use of white asbestos.
(http://www.open.gov.uk/hse/
Proposals for amendments to the Asbestos Regulations and supporting Approved Codes of Practice
( http://www.open.gov.uk/hse/condocs/cd129.htm)
(8) 石綿対策全国連絡会議「イギリスにおけるアスベスト労災統計」(『アスベスト対策情報』 一九九七年一二月二〇日 第二三号)一八頁
(9) Asbestos dust: the hidden killer! Are you at risk?
(http://www.open.gov.uk/hse/asbdust.htm)
(10)前出 Proposals for amendments to the Asbestos Regulations and supporting Approved Codes of Practice 一一頁
(11)朝日新聞一九九六年七月五日 THE LAPAN TIMES 1996.7.5
(12)石綿対策全国連絡会議「資料 フランスにおけるアスベスト問題」(『アスベスト対策情報』 一九九七年一二月二〇日 第二三号)二三頁
(13)アスベスト根絶ネットワーク「ノーモア アスベスト」(一九九四年)一八頁
(14)「アメリカのアスベスト対策」寺田瑛子(『法律時報』六一巻二号)
(15)「石綿は見直されるか」(『せきめん』(社)日本石綿協会 一九九七年一一月号)一〇頁
(16)前出「構築物の解体・撤去等に係わるアスベスト飛散防止対策について」八頁
(17)この間の経過「アスベストについて考えるホームページ」
http://plaza.across.or.jp/~hepafil/
(18)同左
(19)同左
(20)(社)日本石綿協会「せきめん読本」(一九九六年) 六六頁
(21)中村弘「製造物責任の基礎的研究」 (一九九五年)一九六頁、二〇〇頁
(22)日本工業規格「繊維強化セメント板」(一九九五年)解一頁、解二頁
(23)高月紘・酒井伸一「有害廃棄物 クリーン、サイクル、コントロールの視点から」(1993年)148頁
(24)(社)日本石綿協会「せきめん」一九九八年六月号 一六頁
(25)前出「 アスベストについて考えるホームページ」
http://plaza.across.or.jp/~hepafil/sekimen/html)
(26) 横山栄二「最近の大気環境保全の動向に寄せて」(『資源環境対策』Vol32.No12 一九九六年 )、通産省「化学品審議会安全対策部会・リスク管理部会 総合管理分科会 中間報告骨子」(一九九八年)
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