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横須賀:大内石綿肺がん訴訟和解へ(1997.10.17)

−以下、『かながわ労災職業病』1998年1・2月号「初のアスベスト肺がん訴訟、和解」(春田明郎氏)による−


1995年に住友重機械工業に対して慰謝料を求めて提訴していた横須賀の大内石綿肺がん訴訟は、1997年10月17日、横浜地裁横須賀支部で、会社が実質的に責任を認める形で和解した。

原告は、1991年に肺がんのため64歳で死亡した大内久さんの遺族。

<大内久さんの職歴と和解に至るまでの過程>

1943年から1945年  住友重機(浦賀船渠)錬鉄工場に勤務。
兵役
1951年から1979年  住友重機浦賀工場で重量物運搬工として勤務。
(重量物運搬工は、蒸気往復機関、蒸気タービン機関や発電器、ポンプなどの機械を新造船や修理の時、船内から運び出したり運び込む仕事で、狭い船内で断熱材として使用されていたアスベストを、配管に巻き付けたりはがしたりする作業と平行して行われたという。)

1979年 一時退職 1980年から1986年  住友重機の下請けであるアスベスト船舶で重量物運搬工として勤務。
1986年  肺がんにより手術
1991年3月15日  64歳で死亡(肺に多数のアスベスト小体が認められた。)

1992年4月 アスベストによる肺がんとして労災認定
1995年7月 住友重機械工業に慰謝料を請求して提訴
1997年10月17日 和解

筆者は、「この裁判は全国初のアスベストによる肺がんの損害賠償訴訟として注目されており、被害者側が勝訴する形で和解が成立したことは、画期的である。」としている。



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