歴史と文化を訪ねて
- 斐太遺跡
- 今から約1700年前、弥生時代の終わりから古墳時代の始めころの遺跡。竪穴住居跡や環濠跡などが浅いくぼみとなって残っている。斐太遺跡は、保存状態も良く、当時の生活を知るうえで大変貴重な資料である。斐太遺跡は、小さな谷をはさんで南北に細長い丘陵が2つ並び、それぞれの中央の平らな土地に住居跡が集まっている。71個の竪穴式住居跡を囲むように環濠がめぐらされているのがわかる。発掘調査により多くの土器やヒスイの勾玉が発見されている。昭和52年に国の史跡に指定された。
- 観音平・天神堂古墳群
- 北の観音平地区に38基、南の天神堂地区に118基が分布する北陸随一の大古墳群。一部の調査により刀や鉄のやじり、鏡などが出土している。標高50から150mの東向きの斜面にあり、多くが直径5から30mの円墳。この地方の豪族の墓と考えられている。
- 斐太神社
- 生い茂る杉の巨木に歴史を感じさせる斐太神社。醍醐天皇の時代に編集された延喜式(927年)に記される由緒正しい神社で、古くから朝廷に特別な格式を認められていた。中世には上杉氏の信仰が厚かった。内社末社が216社余もあり、その数は日本一。
- 万五郎古墳
- 万五郎古墳(梨ノ木古墳)は、今から約1,400年前のもので、県下最大規模の石を利用した横穴式石室を持つ直径16mの円墳。古墳前庭部には古代の葬送の様子を知る手掛かりとなる鳥居状施設を示す横一列に並んだ7個の柱穴と建物跡がある。碧玉製管玉や高坏なども出土した。
- 鮫ケ尾城跡
- 戦国時代、上杉謙信が信濃方面警戒のため、春日山城の前衛として築いた山城。山頂一帯及び本丸から南北に延びる尾根にそって、曲輪跡や空堀、土塁、井戸などが残っている。謙信の死後、相続をめぐり、御館の乱(天正6から8年)が起こり、三郎景虎(謙信の養子・北条氏康の7男)が景勝(謙信の養子・長尾政景の嫡子)の猛攻を受け自刃した場として伝えられている。斐太遺跡から遊歩道が整備されている。
- 鳥坂城跡
- 戦国時代の山城。高床山から北東にのびる尾根上に築城され、鶏冠城ともよばれる。本丸の周囲には多くの曲輪、尾根上には連続した空濠がある。
- 東本願寺新井別院
- 頸南地方の末寺や門徒を支配統轄するため創設された別院は、貞享2年(1685)の開基。境内に親鸞聖人ゆかりの恵信尼公の御堂や新井出身の画家・森欄斉の墓もある。毎年秋に行われる報恩講には「おたや」が開かれ賑わいをみせる。
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文化施設
- 新井市立郷土資料館
- 市内の遺跡から出土した土器や石器等の考古資料や農耕・生活用具等の民俗資料を展示している。
- ・電話0255(72)5130
- 新井総合文化ホール
- 舞台、照明、音響設備の整った大ホール(1,012人収容)のほか、練習室や楽屋などがある、文化・芸術の拠点施設。
- ・財団法人新井文化振興事業団事務局 電話0255(72)9411
- 新井市公民館図書室
- 一般図書室と児童図書室があり、録音カセットやCDの貸し出しもしている。
- 総合コミュニティーセンター
- 生涯学習、コミュニティ活動などに利用できる機能を備えた施設。
- ・財団法人新井文化振興事業団事務局 電話0255(72)9411
- 勤労者研修センター
- 情報機器、視聴覚機器等の機能を備え、幅広い学習、研修に利用できる。
- ・電話0255(73)7230
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