三人目は朱雀(沙羅)は光翔族、母は先代四天王のうち唯一のくノ一だ。光翔族は念の力を使い翼を作り空を飛ぶことができた。先代朱雀には人を攻撃する力がない、しかしなぜ四天王であったかの理由はその霊的な治癒能力だった。前の朱雀は優しく慈悲深く菩薩様のような女で人のケガや病気を治した。娘も母殿と同じく菩薩さんで母殿と同じ治癒能力をもっている。ただ先代と違うのが父殿の先祖が天竺からの渡来の光翔族で有名な式鬼使いの坊さんだった。
浅黒い肌をしているが彫りの深い鼻筋の通った整った顔だちに青龍ほどではないが長身で、手長脚長の異国の匂いを感じさせる風貌と漆黒の長い黒髪をもっている。本当に女として美しい身体をしていた、戦鬼と護鬼がいなければいの一番に将軍のお手付きになるのではないかな。
沙羅の父殿は母殿と同じ治癒能力をもつ、若いころは有名な祈祷師で大奥への出入りがゆるされたいた。一応お客さんとしては大奥の年寄や御台所、中臈や側室などの大奥の上層部の病気の治療だったけど、この人も慈悲深いひとで頼まれれば御三之間や火の番などの身分の低い人の治療も引き受けていた。
しかし、大奥で見る景色は目背けたいものもあった。身ごもり流産したりさせられたもの(御茶之間や呉服之間、御半下でも綺麗な子は手籠めされてしまう。その挙句腹まされる)、赤ん坊を育てられないように乳房をえぐり取られたもの(リンチだ)、美しさを妬まれ焼水(硫酸)をかけられたものとそれはひどいものだった。父殿は傷ついた子宮を治し、無くなった乳房を再生しようとし、焼けただれた肌を癒した。
そこで沙羅の父殿と母殿は知り合った。同じ能力を持つ者が引かれあったのかもしれない。先代朱雀がお役御免になると父殿も祈祷師を辞め浅草にある投げ込み寺の住職になり先代の朱雀と夫婦になった。
投げ込み寺には縁の無い死体が投げ込まれたが、死に至らない虫の息の病人も寺に投げ込まれた。労咳(ろうがい、結核)で動けなくなった出稼ぎの人夫、末期梅毒の元女郎、ライ病の乞食などが投げ込まれた。
父殿・母殿はアヘン、大麻、きのこなどの薬と自分たちの能力で苦痛を和らげて、冥途へ旅立たさせてやっていた。
沙羅は物心つくとそれが全く当たり前の中で育った。母と一緒にコレラで意識を失っている幼児に口移しで息を肺に送り込み蘇生しようとし。ライ病患者のウミを口ですいだした。天竺の伝説では朱雀(クジャク)この世の一切の毒を中和するいうけれど、この母子はその名にふさわしかった。
大奥に上がることになると、大奥を知るため沙羅の父殿も娘のことを心配した。自分を守る力がないのだ、そこで式鬼を2匹つけて送り出した。式鬼とは霊魂と肉体ある生き物との中間にあるようなもの、強力な念にその場の大地の力であるとか大気の力とかが集められ実体化する。中には理性や知性、感情を持つ者もいる。沙羅についているのは戦鬼と護鬼と言う二匹だ、戦鬼は戦うことしか知らない殺戮者だが護鬼には理性と知性があった。沙羅が生まれたときに生み出され沙羅とともにいきてきたという。
でもさすがに沙羅の意志ではなく実体化するのはたちが悪い、もしどこぞの好色漢が沙羅を手籠めにしようと襲い掛かるとしよう、そこに突然戦鬼が現れて細切れにしても構わんかもしれない。しかし、そういう気の無い男なのに細切れにされては困る。沙羅(朱雀)の父は水晶でできた腕輪を持たせた、この腕輪はを填めている間は戦鬼と護鬼とも現れんようにした。
私は沙羅に「自分と違う種族であっても菩薩の愛と慈悲を独り占めしたい男は必ずいる。大奥ではその腕輪着けてはだめだよ。」
「若い女をみて欲情しない男はいない。ライ病の男の乞食が今わの際に私の胸に手をいれて乳房を握りながら冥途に旅立っていった。顔は腐ってボロボロだったが嬉しそうに微笑んでいるように思えたんだ。」
「された時はビックリしたよ、でも母殿がそのままにしてあげてやれと念話で言われた。男てこうゆうものなんだなと思った。だからいちいち欲情を覚える男に反応して戦鬼や護鬼が現れたらまずかろう。」
そして玄武こと朧、わたしだ母も父も代々御庭番の家系で父殿は25年御庭番を勤め四十五で十九の母殿と夫婦になった。父殿は水棲族で水遁の名人で御庭番をやめた後も江戸湾に入る南蛮船(幕府公認の密輸船)の水先案内人をしている。風車の術と言われる念力技の名手で北町の同心だ。母殿は名は蛍火、名が蛍火の術の蛍火になるほどの火炎技の名手で最強の忍者の嫁になりたいと先代玄武と夫婦になったちなみに母殿は鬼族だ、水棲族と鬼族の夫婦は珍しいそうだが私は両方の良いところをもらったようだ。皮膚を水に入ると硬質化できるしエラがあって水中で息もできる。
水を操る能力はないが、父殿の念力技の風車の術と母殿の蛍火の術が使える。くノ一は男と寝るのも仕事だといわれ床技も青龍と一緒にしっかりしこまれた。
こんな怪物のような女が4人大奥に上がった。
いろいろあったが、私たちくノ一4人は大奥にあがった。大奥は私玄武(朧)が想像していたよりも大規模な建造物だった。大奥と一言にいっても実際は将軍や幕府の高級官僚がいる本丸、将軍の生母やかつて側室だが江戸城に残ったものが住む二の丸、世継夫婦や大御所夫婦が住む西の丸の各郭が大きい意味で大奥と呼べるところだ。
本丸にある大奥が一般的に庶民が想像する大奥に当たると思う。だけどそこだけでもかなり複雑な構造になっている。幕府政庁である表(ここで政策決定の会議がもたれる)、将軍が執務を行る中奥(でも実際朧が大奥に上がった幕府の末期には将軍は政治的な権力はほとんどなく老中や若年寄に各奉行、場合によっては大奥の年寄たちの合議で決定された)。
そして将軍の私邸である大奥があった。
大奥は表、中奥御殿とは全く切り離されて銅壁に囲まれていて大奥の玄関に当たる広敷向という中奥御殿側に錠口と長局側(奥女中の宿舎)に七つ口の真ん中にある建物。ここには広敷役人がいて出入りの商人や奥女中の部屋方の出入り管理を行っていた。七つ口とは七つ(午後四時)に閉められるのでその名がついた。七つ口を抜けると長局向といわれる2階建ての奥女中の住まいがあった、でも実際にここに住める女中は幕府の御家人か江戸でも裕福な商人の娘だけだった。さらに進むと将軍と正室と側室たち、御台所や年寄に側室候補の中臈(直参、譜代、旗本、外様のお姫様)の住む御殿向があった。この広敷、長局から大奥御殿につながる廊下を御鈴廊下と呼び将軍が大奥に入るとき鈴に紐をつけたものを鳴らし入ること知らせたのでこの名がついたそうだ。
(余談だけど正室は血筋の良いお姫様がなることになっているが、将軍によっては正室に指一本触れない将軍もいた。主に将軍のふしどを共にをするのは側室なんだ、その側室には中臈だけではなく変な話将軍が気に入れば下働きの下女(百姓出、エタ・非人出)でも側室になれる。)
しかし、世の中には表があれば裏が必ずある。三日月堀にある北桔梗門に正対する形でかつて魔物と人間の混血の姫様に完全に破壊された天守台の残骸、朽ちた石積みのわきに大奥の裏口がある。名前は在ってはならないものと言う事で無明口といわれた。
無明口を入ると裏広敷と言う建物があり表と同じように役人がいるが業務は表より煩雑なものになっていた。たとえば食料品の搬入、大奥のし尿やごみさらに場合によっては内部で死んだ者の死体に急病人の搬出などの表ではできない物の出し入れ、建物修理の大工に左官に庭師などの人夫、祈祷師(僧侶)に医者に按摩に鍼灸師に薬屋と雑多なものがここを通過していた。
長局側は常口と呼ばれ無明口同様四六時中開放されていた。