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ワークショップG
2004年11月21日(日)
09:30 - 10:30, 井深大記念ホール
ワークショップG
多国籍企業・海外移転
座長:村山武彦、ペク・トンミョン(白道明)

Bob Ruers
国際的アスベスト・カルテル
ボブ・ルアーズ
弁護士、前オランダ上院議員、オランダ・アスベスト協会設立メンバー[オランダ]

 物語は1900年、オーストリア人事業家、ハチェックがアスベスト・セメント製造技術を開発した時に始まった。彼はその製造法をエタニットと呼んだ。3年もしないうちに、正確には1903年に、彼はエタニットの特許権をフランス、イタリア、スイスなどの会社に譲り渡した。他の国々の多くの会社もすぐにそのあとを追った。1950年までに、世界中の200を超えるアスベスト・セメント工場がハチェック式によるアスベスト・セメントの製造をしていた。

 1920年に、アーネスト・シュミットハイニーというスイスの事業家がスイスのエタニット製造工場を引き継いだ。シュミットハイニーは、すでにスイスのセメント産業に積極的にかかわっていたが、ベルギーのセメント産業に事業を拡大し、ベルギーのエンセムス・グループ所有のエタニット製造工場と協力関係を結んだ。
 シュミットハイニーが、ヨーロッパの他のエタニット社やアメリカのジョーンズ・マンビル社と提携して、ドイツのエタニット社を設立したのは1928年のことだった。1年後、彼は、国際的アスベスト・セメント会社「SAIAC」を設立した。世界中から集まった、これらの協力関係にあるアスベスト・セメント会社が目指したものは、広範囲にわたる企業活動だった。彼らは、宣伝のための経験やアイデアをやり取りし、特許権を交換し、共同で原料の購入にあたった。SAIACは、それに加えて、技術上の知識を交換し、共同研究や、いわゆる「中立国」における新会社の設立、輸出のための組織づくり、原料を入手することを相互に保証し合うなどの業務を行った。さらに、SAIACの共同出資に加わった会社は、価格や市場に関する協定にも踏み出した。ヨーロッパにあるエタニット社だけでなく、イギリスのアスベスト会社であるターナー&ネウォール社やケープ社、アメリカのジョーンズ・マンビル社もSAIACに加わった。1929年の年報の中で、ターナー&ネウォール社は、SAIACを満足げに「ミニュチュア国際連盟」と呼んだ。

 1969年にベルギーのエタニット社は、ジョーンズ・マンビル社とターナー&ネウォール社と共同で、ルクセンブルグにTEAMという名の新しい会社を設立した。その会社の目的は、世界中に新たなアスベスト・セメント会社を作ることだった。TEAMは、いくつかをあげると、パキスタン、インドネシア、日本、中国、ナイジェリア、セネガルなどに進出した。はじめに、ベルギーのエタニット社はルクセンブルグを本拠とする同社の8%の株式しか所有していなかったが、この数値は、1989年まで右上がりで増加を続け、ベルギーのエタニット社が株式の86%を占めるまでになった。さらに、ベルギーのエタニット社が、インド最大のアスベスト・セメント製造会社であった、エベレスト・インダストリー社の50%の株式を取得して、ターナー&ネウォール社から買収したのも1989年だった。それによって、ベルギーのエタニット社は、世界で最大のアスベスト・セメント製造会社となったのである。