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ワークショップG
2004年11月21日(日)
09:30 - 10:30, 井深大記念ホール
ワークショップG
多国籍企業・海外移転
座長:村山武彦、ペク・トンミョン(白道明)

労働者に反する多国籍企業: フランスとブラジルにおけるサンゴバンの戦略
アニー・デボモニ
国立衛生医学研究所(INSERM)現代社会公衆衛生問題研究所(CRESP)[フランス]

 フランスのアスベスト採鉱量はフランスにおけるアスベスト全消費量の20%を超えたことはなかった。1952年にクエイラス(メイリエス鉱山)で閉山され、1962年にはコース(コース・ケープ鉱山)で閉山された。1962年から、アスベストがフランスで禁止された1997年まで、全てのアスベストはケベック、ロシア、南アフリカから輸入されていた。フランスのアスベスト産業は2つの多国籍企業、サンゴバン(特に子会社であるエべリット)とエタニット(ベルギー・グループ、現在のエテックス)によって支配されていた。フランスではサンゴバンは、その子会社ワナー・ルソフィによって断熱用吹き付けアスベストを専門としてきた。サンゴバンのもう一つの子会社エべリット、及びエタニット・ベルギーはアスベスト・セメント市場における2つの主要な会社である。
 サンゴバンはエタニット・スイスと提携してブラジルの鉱山を探鉱することで世界第3位のアスベスト生産企業となった。フランスでは1997にアスベストが禁止になったにもかかわらず、1960年代以来今日までサンゴバン&エタニットの子会社SAMAはブラジルの鉱山ゴイアスで探鉱している。ブラジルのアスベスト・セメント市場はサンゴバン・ブラジリット及びエタニット・スイスのブラジルにおける子会社によって支配されてきた。
 サンゴバンの経営者たちは、ブラジルでアスベスト採鉱を始めた時に、アスベストの健康への悪影響を完全に知っていた。しかし、この企業は常に2重規範I(ダブル・スタンダード)の戦略をとってきた。
 この論文では、この企業の2カ国における3つの主要な局面:アスベスト市場の支配、アスベストの健康影響についての情報支配、そして正義を求める被災者の集団訴訟に対する対応、についての戦略を比較する。