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ワークショップF
2004年11月20日(土)
17:45 - 19:30, 第2会議室
ワークショップF
被災者・支援組織
座長:植草和則、カイル・センテス

アスベスト被災者の事例報告
ラグナスマンバール1、マンガブハイ・パテル2
1労働安全衛生協会、グジャラート州アヘンダバード[インド]
2アスベスト肺患者、グジャラート州アヘンダバード[インド]

 この報告書では、特にインド西部にあるグジャラート州の事例をあげ、インドにおけるアスベスト被災者の闘いについて発表する。また特に、今、この会議に出席している被災者マンガブハイさんのことについて述べる。この報告書では、インドでは貧しく職のない人々がいかに危険な産業で働かざるを得ない状況にあるかについて考察する。また、アスベストに関連する病気の認定を得るための苦闘と被災者が補償を得るための闘いについても考察する。また適切な診断を得られないために、したがって補償を得られない労働者の困難な状況についても光をあてる。また、この報告書では、我々の組織である労働安全衛生協会(OHSA)が実施しているインドの他の州でのアスベスト関連疾患の広がりに関する調査の取組み及びインドにおけるアスベストの完全禁止のための運動について焦点をあてる。
 アスベスト肺患者であるマンガブハイさんは1965年以来、アヘンダバード発電所のボイラー部門で働いた。彼はその発電所で臨時雇いの労働者として働いており、正式に雇用されたのは1980年のことであった。マンガブハイさんは1990年代初期に呼吸に異常を感じるようになり、その後、直ぐに働くことが非常に困難な状況となった。会社は 2、3年に一度、労働者の健康診断を行ってきたが、彼にはどこにも異常がないとした。彼は私の所にやって来て、体の不調について訴えた。私はインド産業毒物研究センターを退職し、消費者教育研究センター(CERC)の仕事をしていた労働安全衛生問題の専門家クラーケ博士の助言を求めた。我々は同じ病気を抱えている8人の労働者を見出し、CERC の弁護士、ラテ・ラニ・アドバニ氏がグジャラート高等裁判所に提訴した。同裁判所はアヘンダバードにある国立職業衛生研究所に労働者を調べるよう指示した。2人の労働者は調査を受ける前に死亡し、マンガブハイさんを含む他の2人はアスベスト肺であると診断された。マンガブハイさんは一時補償金として、わずか10,000ルピー(約218米ドル、約24,000円)を得ただけであり、現在、最終判決を待っている。