抄録トップページ
ワークショップF
2004年11月20日(土)
17:45 - 19:30, 第2会議室
ワークショップF
被災者・支援組織
座長:植草和則、カイル・センテス

横須賀におけるじん肺・石綿疾患問題の取り組み−被災者・支援組織の運動をもとに−
安元宗弘
横須賀じん肺被災者の会・横須賀中央診療所[日本]

 横須賀におけるじん肺・石綿疾患の取り組みは、1982年5月、横須賀共済病院の三浦医師が「基地、造船関係で石綿肺がんが多発」していることが新聞で発表されたことがきっかけとなり、開始された。
 全造船浦賀分会、神奈川労災職業病センター、神奈川県勤労者医療生活協同組合・港町診療所は、この問題に着目し、浦賀分会の退職者で組織している「浦賀退職者の会」の協力を得て、死亡者の追跡調査や「じん肺と石綿肺についてのアンケート」を聞き取りにより実施、健診希望者に対しては、港町診療所で行い、神奈川労災職業病センターが協力し、必要に応じてじん肺の管理区分申請を行った。
 84年11月、横浜にある港町診所が協力し、浦賀退職者の会の「じん肺・石綿肺自主健診」が実施され、その後、対象者を米海軍横須賀基地の退職者へも広げ、90年まで毎年1回、11月に行われた。健診活動等通じて、労災認定が勝ち取られ、労災補償を受けた被災者が中心になり、横須賀じん肺被災者の会が1985年11月に結成された。1988年7月、住友重機の退職者8名が原告となり「横須賀石綿じん肺訴訟」が提訴された。そして、1989年9月には、じん肺・石綿疾患の患者の治療や健康管理を地元横須賀で行えるようにと、神奈川県勤労者医療生協の第2診療所の横須賀中央診療所が開所。
 82年から89年にかけて、被災者・支援組織の体制がほぼ、整備され、その後の運動の基礎を作ったといえるだろう。横須賀のじん肺問題は、造船所のじん肺が中心となったため、常に、石綿の問題がセットで課題になつたため、横須賀の運動は、常に石綿問題にも取り組むことになり、また、時には石綿問題を全国に発信する役割も果たして来た。