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ワークショップD
2004年11月20日(土)
11:10 - 12:30, 第2会議室
ワークショップD
アスベスト訴訟
座長:古川武志、バリー・キャッスルマン

弁護団と原告団が車の両輪となった裁判闘争
太田哲郎
三菱長崎造船じん肺訴訟第一次原告団 団長[日本]


 私たちの裁判は1998年12月25日から始まり、2002年6月7日被告側と話し合いによる和解で解決しました。先ず患者原告77名、遺族44名に対して解決金総額12憶8000万円を支払うというものです。つぎに被告に謝罪の意思を明確にさせたことと、今後じん肺発生防止に、被告が鋭意努力することを和解文書に盛り込みました。
 解決まで3年5ケ月の日数を要しましたが、実は提訴以前15年間の長い期間をかけて様々な取り組みが行われました。患者会を結成し会員相互の親睦と交流を図ったり、労働組合は粉じん職場の環境改善要求で、会社と交渉を積み重ねていきました。そして提訴前の1997年に、私たちは原告団の母体である「三菱重工にじん肺補償を求める会」を結成して、会社と補償要求を中心に交渉を行ってきましたが、結果として話が折り合わず決裂しました。火山活動に例えるならば提訴以前マグマがすでに地下鳴動を続けていたということです。
 裁判における被告側のもくろみは、医学論争を挑み裁判を長期化させることでした。そのために原告全員に対してCTによる鑑定申し立て、場合によっては管理区分の公的認定申請を再度行うという、現行制度を無視した暴挙に出ました。しかし被告の必死の抵抗もむなしく、2001年9月15日長崎地方裁判所は「CTによる鑑定申し立てを却下し、職権による和解勧告」を言い渡し、事態は急転直下解決の方向に進んだのです。
 解決後原告団は解散しましたが、新たに「じん肺根絶三菱長船の会」を結成し、「じん肺根絶の闘いは人権を守る闘いである」ことを胸に刻み現在活動を続けているところです。