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ポスター・セッション
2004年11月19日(金)12:30 - 18:30, 第3会議室(16:00-17:00 質疑応答時間)
2004年11月20日(土)09:30 - 18:30, 第3会議室(16:00-17:00 質疑応答時間)
2004年11月21日(日)09:30 - 12:30, 第3会議室


ポスター・セッション

水俣の悲劇からJOSHRCの創立へ−日本の労働組合では新しいスピリットが誕生
ポール・ジョバン
フランス国立公衆衛生医学研究所(INSERM)、パリ第7大学[フランス]

 労働組合の衰退と産業公害を、工業化社会がもたらす2つの主要な問題だと考えると、日本で起きた事柄は興味深い経験として他の国々の参考になるだろう。
 1950年代末までに、日本の労働組合の大半は、労使協調路線の道を選んだ。その結果、生産主義方針がもたらす産業公害が無視され、比較的高い賃金と企業福祉とひきかえに、労災職業病を病んだ労働者は口を閉ざし続けたのである。
 水俣では、最初、いわゆる水俣病を引き起した企業の労働者は、被害者を無視していた。しかし1962-63年の安定賃金闘争で第一組合に残り、経営者側から差別を受けた第一組合員は、別れた「御用」の新労被害者を無視し続けたのに反し徐々に水俣病被害者と手を結んだのである。'70年に彼らは公害ストを行い、'72年水俣病裁判では被害者の立場に立って労働者も証言した。このような行動を通して、労働組合の新しいスピリットが生まれた。
 水俣の経験に学び、全国の工業地帯では(東京、京浜、名古屋、大阪等)、少数派組合の若い労働者は、それまで大企業組合に無視され続けた下請けや零細企業に入り込んで、労災職業病の闘いに積極的に取り組んだ。そして、1990年代よりコミュニテイユニオンを創立した。同時に、労災職業病と環境問題の密接な関係や、公害輸出問題などを、社会問題として浮き上がらせることに成功した。この運動の中で、石綿公害の社会問題化に重要な役割を果たした田尻宗昭氏は、全国労働安全センター連絡会議(JOSHRC)の設立にも努め、氏の弟子達はGAC2004(2004年世界アスベスト東京会義)の中心的主催者である。