2004年11月19日(金)12:30 - 18:30, 第3会議室(16:00-17:00 質疑応答時間) 2004年11月20日(土)09:30 - 18:30, 第3会議室(16:00-17:00 質疑応答時間) 2004年11月21日(日)09:30 - 12:30, 第3会議室 ポスター・セッション コリン・ヒーネイ 北アイルランド・アスベスト被災者の正義[イギリス] 造船、保温、建設などの産業で広く使用されていたアスベストは、苦痛や病気そして死の遺産をもたらした。現在ではもはや使用されていないが、この極めて有害な物質ののっぴきならぬ後遺症は今日でも北アイルランドで顕著に見ることができる。アスベスト関連の疾病で最も影響を受けているのは造船産業(ハーランドとウルフ)及び発電所や工場での建設工事に関わった人々である。 私の祖父、ロバート(ボブ)は1950年代から60年代にポーティシェアド発電所で働いていた。彼は保温工事の監督であり、ウイリアム・ケニオンやケープ・アスベスト・コントラクツなどの会社の下で働いていた。彼は1978年8月15日に腹膜中皮腫で死亡した。 私の叔父、エディーもまたイングランドに働きに出かけた。保温技術者の見習いとして働いた。彼もまた数年間、ケープ・アスベスト・コントラクツで働いた。彼は1978年6月に腹膜中皮腫で死亡した。 私の叔父、デニスはデリーでケープ・アスベストの保温プロジェクトで働いた。彼はクールキーラー発電所でアスベストに曝露したようである。彼は1994年にアスベスト関連の肺がんで死亡した。 私の父、トムは15歳の時にポーティシェアド発電所で彼の兄弟エディーと働き出した。彼もまた見習い技師として働いた。彼はやがて保温技師となり、ケープ・アスベスト、ターナー&ニューオール、コーク・インシュレーションなどいくつかの会社で働き、デリーのクールキーラー発電所でも働いた。彼の父親と二人の兄弟がアスベストによって引き起こされる疾病で死亡したのを見た後に、彼もまた病気になった。1999年11月に彼は胸膜中皮腫であると診断された。彼は2000年8月21日に死亡した。 これは、現在、アスベスト関連疾病に苦しんでいる多くの人々の一つの例に過ぎない。我々は、家族を養うために一生懸命働いたのに、単にアスベストに曝露したというだけで人生のさかりにおいて苦しみ、死んでいく一つの家族全体をそこに見る。北アイルランドでは造船業と建設産業があるのでこのような問題が拡がっている。これらの人々は正直に生きようとしただけなのに、今、彼らは苦しみ死んでいく。正義はどこにあるのか? |