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ポスター・セッション
2004年11月19日(金)12:30 - 18:30, 第3会議室(16:00-17:00 質疑応答時間)
2004年11月20日(土)09:30 - 18:30, 第3会議室(16:00-17:00 質疑応答時間)
2004年11月21日(日)09:30 - 12:30, 第3会議室


ポスター・セッション

港湾でのアスベスト曝露と胸膜中皮腫
クラウディオ・ビアンチ、トマソ・ビアンチ
イタリア対がん協会・環境がん研究センター、モンファルコーネ[イタリア]


 過去数十年にわたって、大量のアスベストが多くの工業国によって輸入されてきた。アスベストは主として海路で輸入されたため、港は激しい汚染にさらされることになった。1960年から1980年の間、年間5千トンから1万8千トンのアスベストの積荷が、トリエステ港(*訳注)経由で入荷された。鉱物のアスベストは、袋詰めか箱詰めで輸入された。これらの容器は破損していることが多く、その結果、大量の粉じんが撒き散らされた。その汚染がいかに深刻であったかについては、1977の地域保健機関の産業医学部門(the Occupational Medicine Unit of the Local Health Authority)による記録が残されている。現在の研究では、1968年から2004年までに、トリエステ港の港湾労働者の中で見つかった23の胸膜中皮腫の症例が報告されている。18例においては解剖所見がある。患者はすべて男性で、年齢は39歳から80歳(平均年齢は61歳)であり、ほとんどがアスベストを含む様々な商品の荷役作業に従事していた。十分な時系列的データが入手できた18人のうち、12人は1950年以降に作業を開始していた。大多数の患者は20年以上勤務していた。潜伏期間は25年から60年(平均38年)であった。17の解剖所見がある症例で調べたところ、通常の肺組織標本で、15の症例にアスベスト小体が検出された。トリエステ地域で実施された他の職業群と比較した調査によれば、港湾労働者は、他の職業群に比べてより短い潜伏期間を示し、通常の肺切片において、より多くのアスベスト小体が検出された。これらの結果は、アスベストに対する非常に激しい集中的な暴露があったことを示している。トリエステ港における港湾作業に起因する事例として、他に、二人の女性の胸膜中皮腫の症例がある。患者はともに港に面した住宅に住んでいた。経歴からは、アスベストの職業暴露も家庭内暴露もみつからなかった。うち一人に行われた解剖所見では、通常の肺切片でいくらかのアスベスト小体が認められた。

*訳注:
トリエステ:イタリア北東部にある港湾都市。トリエステ港は南ヨーロッパの重要な貿易拠点として、古くから栄えてきた。