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全体会議セッション5
2004年11月20日(土)
13:30 - 16:00, 井深大記念ホール
全体会議セッション5
アスベスト被害に対する補償
座長:森田明、牛島聡美

オーストラリアにおけるアスベスト訴訟:過去の傾向と今後の方向
ティム・ハモンド
弁護士、スレーター&ゴードン法律事務所、パース[オーストラリア]


 1950年代から70年代にかけて、アスベストの人口一人当たりの使用量が世界で最も多かったのは、オーストラリアだった。現在、わが国は人口に対する中皮腫発生率が最も高い国となっている。毎年500人以上のオーストラリア人が中皮腫に罹患している。2020年までに、最大1万8千人がこの病で亡くなるとの予測がある。
 この国家的流行病で忘れることができないのは、ウイットヌーム(西オーストラリア州)の悲惨な遺産である。クロシドライト鉱石がウイットヌームで初めて採掘されたのは、1938年であった。この鉱山は、1967年に至るまで採鉱を続けていたが、その間2万人の男性・女性そして子供たちが町に住み、鉱山で働き、道路の上に敷きつめられた掘り出されたアスベストの鉱さいのなかで遊んでいたと考えられている。ウイットヌームはまさしく、オーストラリアの短い歴史のなかで最悪の産業災害である。
 スレーター&ゴードン法律事務所は、アスベストの被災者のためにこの20年以上活動しているが、中皮腫やアスベスト吸引による肺がんの被害者に対して、損害賠償を認める評決を勝ち取ったオーストラリアでの最初の法律事務所だった。それ以来、多くの賠償請求訴訟が起こされ、アスベストの生産者・供給者・職場で被雇用者をアスベストに曝露させた雇用者を含む被告たちに勝訴してきた。 最初の何件かの画期的な訴訟は1980年代に争われ、アスベスト関連疾患の患者のための法廷闘争は今日も続いている。伝統的に賠償請求は、被告の過失に対して提訴されるが、時を経るにつれて訴訟の場面では異なる要求が起こってきている。
 私たちは、現在、「第四の波」と言われるアスベスト被災者の訴訟代理人を勤めているが、これらの被災者は、事務的な仕事や、学校または家で、アスベストに曝露した人たちである。現在提訴されているこれらの訴訟の法律的な要求とあいまって、政府が、過失に対してコモンローに基づく訴訟を起こすアスベスト被害者の権利を制限する法的な改革に乗り出すかどうか、不透明感が強まってきている。