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全体会議セッション3
2004年11月19日(金)
17:00 - 19:30, 井深大記念ホール

全体会議セッション3
被災者・家族のエンパワーメント
座長:名取雄司、アニー・デボモニ


7.悪性腹膜中皮腫 −父を看取った経験から−
斉藤美恵
中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 [日本]


「必ず元気になるから、応援して下さいね。それが励みですから。」

 元気だけがとりえの父でしたので、入院中はとても心細かったようです。毎日のように家族の誰かしらに、こんな携帯電話のメールを送ってきていました。家族の誰もが治るとは思っていないことを知っており、父一人が治るつもりでいたことは、私たち家族にとっては大きな葛藤となっていましたが、父の怖がりな性格を知っている私たちにとっては、最善の方法だと思うより仕方ありませんでした。
 いよいよ状態が悪くなってから、父は病院から自宅に戻ってきました。退院する数日前から意味不明の言動を繰り返すようになり、ついに私たち家族が24時間側にいて看護するときが来たことを悟りました。そして、家族全員で退院することを決めたのです。自宅に戻った父は、驚くほど落ち着きを取り戻しました。静かに会話を交わすことも可能になりました。数日が静かに穏やかに流れていきました。ずっとこんな日が続いていくかもしれないとさえ思えました。
 その日、普段とは何か違う雰囲気を漂わせていた父は、夕方から激しく腹痛を訴え始めました。麻薬(座薬)で痛みを取りながら、私は家族と親戚一同に召集をかけました。皆が集まる間に、父の痛みは波が引くように治まっていきました。落ち着きを取り戻したひと時、私と妹は両親に、二人が若かった頃の思い出話をせがみました。どこで出会ってデートにはどこへ行ったのか。結婚を決めたのは・・。結婚して私たちが生まれたときどんな気持ちがしたのか・・。妹が「私をこの世に誕生させてくれてありがとう」と感謝の言葉を述べた時、父はにっこりと微笑みました。痛みが引いてからの数時間、私たちは家族の思い出をゆっくりと振り返ることができ、至福のひと時を過ごすことができました。そして、話が終わりかけたとき、父の呼吸があえぐように変化し始めました。私たちは皆、手や足など思い思いの場所を手にとり、繰り返し「ありがとう」と声を掛けました。また生まれ変わっても、私たちが家族でいられることを願いながら・・。私たちもそのうち追いかけて行くから、少しの間待っていて下さいと伝えながら・・。その瞬間は、寂しいというよりはむしろ幸せな時として、今、私の心の中に刻まれています。人生の最期を家族に囲まれながら、自宅で迎えることができた父には、長い間嘘をついてしまったけれど、勘弁してもらえるのではないかと思っています。
 突然の腹水とともに始まった、父と私たちの闘病生活でした。最初は、「中皮腫」「アスベスト」など分からないことばかりで、戸惑うことのほうが多かった私たちでしたが、なかなかのチームワークを発揮できる素敵な家族だったことが分かりました。そして、こんな家族を作ってくれたのは、もちろん父のおかげだと思います。大切な父を奪ったアスベストを、私たちは決して許せません。でも、今の私たちにできることは、父のように苦しむ人が一人でも少なくなるように活動していくことだけです。父と私たちの静かな闘いは、地道に続いていくと思っています。