2004年11月19日(金) 17:00 - 19:30, 井深大記念ホール 全体会議セッション3 被災者・家族のエンパワーメント 座長:名取雄司、アニー・デボモニ 大森華恵子 中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 [日本] 東京の隣の埼玉から来ました大森です。夫の國男は東京電力の下請け会社に18年勤務し変電所内の整備点検や清掃などの仕事をしていました。ある日近くの病院で「末期の肺がんで余命3ヶ月」と宣告を受けてこの時は夫以上に自分が落ち込んでしまいましたが、私の強い希望で転院して再検査したところ、担当の医師にアスベストが原因の悪性胸膜中皮腫と診断されガンの上の病気である事、アスベストという聞いた事もないものが原因である事にびっくりしました。 肺に水が溜まるのを防ぐ治療をする事になりましたが、組織検査をする必要があり転院しました。病名が確定されたら元の病院にもどる予定でしたが、主治医から勧められ手術を受けることになりました。 術後の体調は思わしくありませんでした。窓が開いていたら飛び降りて死にたいと言った事もありました。手術後約2ヶ月で退院できる話もありましたが、結局、嘔吐したものが気管につまり肺炎を併発し、平成10年3月26日に亡くなりました。 個人で労災申請しましたが、事業所証明を会社から出してもらえませんでした。長女が国会図書館に3日通って東京労働安全衛生センターを知り協力をお願いし、マウントサイナイ医大病理の鈴木康之亮先生の鑑定結果を提出してさえも、認定まで2年かかりました。 労災認定後、東京電力に変電所の改善・NPOによる変電所内の環境測定・マスクの義務づけ等をお願いしましたが、変電所内は徐々に改善しますがマスクは義務づけられないとの事でした。アスベストの恐ろしさも知らされず、マスクさえも与えられず病気になり亡くなってさえも東京電力・夫の会社ともども謝罪の言葉もありませんでした。 定年になったら二人で日本を旅して回ろうと話し合っていました。夢と希望を奪う権利が誰にあるのでしょうか。私は、夫が亡くなったなどと思っていません。国と企業に殺されたと思っています。 アスベストの恐ろしさを理解し、アスベストのない世界になるよう私の体験を話し伝えて行きたい、また、家族の会で共に支えあい少しでも心が救われればと思っています。 |