君の背中は自分が思うより正直かい
だれかに聞かなきゃ不安になってしまうよ
先発の僕のために誓ったあの夢は
あのぼけた大里のせいで置き去りのまま
あのうそだらけの審判が許せないのは
柳田でもノムさんでもなく僕かもしれないけど
どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために
ファールなものはファールと言える気持ち抱きしめてたい
どんなときも どんなときも 迷い誤審続ける君が
非難されること僕は知ってるから
もしも白いポールで見えずにフェアにしても
絶対譲れないみんなしっかり見てた
あれはファールだったねといつも口にしながら
生きてゆくのは本当に嫌だから
消えそうにないつらい気持ち抱えていても
大里の前笑ってみる やっぱり駄目みたいだよ
どんなときも どんなときもポール際窮屈そうに
落ちていく打球に焦る気持ちとかしてゆこう
そしていつか審判信じ 2点差を守れる強さを
自分の力に変えてゆけるように
どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために
ファールなものはファールと言える気持ち抱きしめてたい
どんなときも どんなときも 迷い誤審続ける君が
非難されること僕は知ってるから
<解説>
元唄は槙原則之の「どんなときも」
これは、ある年のプロ野球開幕戦の巨人−ヤクルト戦でのこと。
ヤクルトの開幕投手は当時売り出し中のギャオス内藤。
先発内藤好調で、ヤクルト2点リードで迎えた終盤、ランナー一人を
置いて篠塚が放った打球はライトポール際へ。
巨人ファン以外は切れたかに見えた打球だったが、なんと1塁塁審
大里の右手はぐるぐるとホームランの判定???
ライトの柳田(やなだ)の懸命なファールのジェスチャーも効き目なく
(逆に裏目?)、改めて巨人戦は13人と戦わねばならないことを
思い知らされた出来事でした。
予断ですが、東京ドームのポールの色は当時はボールと同じ色の白色。
この事件をきっかけにドームのポールが黄色くなったことを知ってる人は
今となってはごくわずかとなってしまいました。
我々はこの悲惨な事件を忘れずに後世に伝えて行かねばならないと思います。
また、審判も線審が廃止され、6人制から4人制となって間もないころの
出来事でもありました。
−以上−