メディカルサイエンスエッセイ 寝椅子の下
第IV部 うまくいかない心
身体に表れる心の問題編
男のセックスと女のセックスはずいぶん違う パートI ~II
痛くてセックスできない パートI~III
我、三十にして立たず 吾三十而不立 パートI~III
女性のオルガスムの謎 前編・後編
いかせてあげて Let her be released…パートI~II
いかせないであげて パートI~III
摂食障害へのイントロダクション
摂食障害の背景にある性格の問題〜強迫性と完璧主義
摂食障害の人の死亡リスクの謎
拒食やせ症と強迫的で過度な運動の関係
食行動依存症の恐怖
食べ物の誘惑と自制心の問題
摂食障害の病因論〜「生まれ」と「育ち」
摂食障害に対する治療のいろいろ
男のセックスと女のセックスはずいぶん違う パートI
性機能障害の話をする前に、そもそも男性と女性の正常な性機能というのが、おそらく一般にはあまり知られていません。現在でもセックスの話はどこかタブー感があるからでしょうか。
男性と女性は、性器の構造や機能は、かなり似ているところもあり、大きく違うところもあります。男性も女性も性器には勃起組織 erectile tissueがあり、男性ではより大きくわかりやすく陰茎 penisとなっていますし、女性ではより小さくわかりにくい構造として陰核 clitorisとその連続した組織である前庭球 vestibular bulbs(膣口を取り囲むように埋まっている)となっています。
性的な反応のサイクルは、男性でも女性でも、一応「性的欲求 desire」→「性的興奮 arousal」→「オルガスム orgasm」と すすむことになっています。 性的興奮は、通常は性器の変化を伴い、男性であれば陰茎が勃起 erectionしますし、女性であれば陰核とその連続組織が勃起というか充血して少しふくらみ、膣の手前は狭まり奥がふくらむように変化します。女性の
場合、さらに膣の周囲を流れる血行が良くなり、しみ出てきた体液が膣の中を潤滑にぬらすようになるわけです。
こうした性器に表れる身体的変化以外にも、心拍が上がり、呼吸数も上がり、瞳孔は開き、肌は紅潮し、皮膚の感覚は鋭敏になり・・・などの変化も伴います。
ただ、こうした性的な反応のサイクル1つをとっても、男性と女性とで微妙に違うところもあったりします。
まず、男性の場合は、健康で正常な状態であれば、比較的単純に「性的欲求」→「性的興奮」=「陰茎の勃起」→「オルガスム」というようにすすみます。 さらに、男性の場合は性的な興奮=陰茎の勃起がさらに性的な興奮を高め、どんどん悪循環(?好循環)的に興奮が強化されていく傾向があります。
ところが、女性の場合は、健康で正常な状態であっても、ちょっと複雑です。 性的欲求と性的興奮は必ずしもこの 順番ですすみませんし、性的欲求などなくても性的に興奮することが可能ですし、性的な興奮が先で性的欲求が刺激されてくることもあります。 さらに、性的 な興奮=性器の興奮反応ではないのです。
女性の場合、身体(性器)の性的興奮≠心の性的興奮、というのはどういうことでしょう?
実は、女性に生じる身体(性器)の性的興奮である「膣が濡れてくる」という現象は、「性的なこと」を脳が認識するとすぐに自動的に生じてくる反応であって、必ずしも「心が性的に興奮していること」とは限らないのです。 女性の場合は、身体の反応と心の反応は、ほとんど全く別物なのです。
なんじゃそりゃあ!? と男性にはわかりにくいと思います。
そこで、と言うか何というか、Chivers先生はびっくりするような実験を行っています。
実験では同性愛ではない(異性愛の)男女それぞれ20人が集められました。 そして、男性には男性用、女性には 女性用の性器の性的興奮度合いを測るセンサーをつけてもらい、2分ほどのビデオを何本か見てもらいます。 あるビデオは性的でも何でもないただの風景やサ ルが温泉に入っている風景です。 あるビデオはサルが性行為というか、交尾をしているシーンです。 (とはいっても、一般に人間以外の霊長類の交尾は10 秒程度で終わってしまうので、短い交尾のシーンをいくつか流す、というビデオになってしまうわけです。) そしてあるビデオは男性と女性が性行為をしてい るもの、あるビデオは男性と男性、女性と女性がホモセクシャルな性行為をしているもの、というようになっていました。
基本的に同性愛でもなく、動物との性行為を夢見るようなヘンタイ性があるわけでもない、ごくごく普通の正常な異性愛の男女は、どのように反応したでしょうか?
男性はわかりやすい結果でした。 基本的に男性と女性が普通の性行為をするビデオと、自分にとっては異性である女性同士が性行為をするビデオが、一番性的に興奮しました。 そして心の性的興奮度合いと身体の性的興奮度合いは、見事に一致していました。 当然のように、何でもない風景のビデオや、サルが交尾しているシーンなど見ても、全然興奮しませんでした。 当たり前の結果です。
ところが、女性は違いました。 女性は心の反応としては、男性と女性が普通の性行為をするビデオが一番性的に興 奮しましたし、男性同士のホモセクシャルのシーンも、女性同士のホモセクシャルのシーンも、それほど興奮するものではありませんでした。 ところが、性器 の反応は、すべて同じくらい興奮していたのです。 さらに驚くことに、サルが交尾しているシーンは、当然のように、心の反応としては全然興奮するわけがな いのですが、それでも性器は反応して少し濡れてしまっていました。 心の性的興奮度合いと、身体の性的興奮度合いが一致しないのです。
実は、この実験結果だけが特別にへんなものでもないのです。 別の実験でも、たとえば性的な興奮の表れとしての 瞳孔の開きについても、男性は心の性的興奮と身体の性的興奮が一致するのですが、女性は必ずしも一致しないことが示されています。 心では嫌悪している性 的行為に対しても、身体は性的に興奮してしまうようにできているのです。 なにしろ、サルの交尾で濡れてしまうくらいですから。 性的興奮に関係なく、た だ「性的なもの」と認識したものに対して脳が自動的に素早く反応して、身体の変化を生じさせているのです。
こうして、大規模なデータを集めてみると、男性では心の性的興奮と身体の性的興奮の一致度が高い(r=0.66)のに対して、女性では一致度が低い(r=0.26)ことがわかっているのです。
これは一体何を意味しているのでしょう? 女性は男性よりも節操がないということなのでしょうか? 密かにヘンタイ性が高いということでしょうか?
そういうことではないだろう、と科学的には考えられています。 つまり、女性は原始人の昔から、本人が好きこの んでいない性行為を受け入れなくてはいけないことが繰り返しあったようであり、その時に身体や命にそれ以上のダメージを与えないために、身体が獲得した生 き残るための機能だったのだろう・・・と見られています。 女性は、性的な関係においても、男性よりもずっと柔軟に変化する環境に対応しなくてはいけない ことが多かったためでしょう。 男性は敵を駆逐し、縄張りを広げていくことが戦いだったのかもしれませんが、女性は生き残ることが戦いだったのかもしれま せん。
(そう考えると、なんだか悲しい機能です。 だからこそ、男性は嫌がる女性に無理矢理性行為をしてはいけないの でしょう。 時々、レイプ被害にあった女性が、心ではすごく嫌がっていたのに、身体は性的に反応してしまっていたことに対してひどく罪悪感や自己嫌悪感を 持つことがあります。 しかし、これは正常で健康的な女性であれば、当然備わっている機能なのです。 恥でも罪悪でもありません。 そのような女性の身体 の機能を悪用する男が、ものすごくいけないのです。)
それが現在の女性にも引き継がれているために、女性の性機能は男性よりもずいぶん複雑な感じになっているのでしょう。
参考書:
(1) Chivers ML. et al. Agreement of self-reported and genital measure of sexual arousal in men and women : a meta-analysis. Arch Sex Behav, 2010; 39: 5-56.
(2) Chivers ML, et al. A sex difference in features that elicit genital response. Biological Psychology 2005; 70: 115-120.
(3) Reiger G, et al. The eyes have it : sex and sexual orientation differences in pupil dilation patterns. PLoS One, 2012; 7: e40256
男のセックスと女のセックスはずいぶん違う パートII
どんなものに対して性的な関心を示し、性的な興奮をひき起こされるか、ということも、男女間でかなりの類似点はありながら、幾分かの違いがあるようです。
一般的に、男性は視覚的なエロチックさに興味をひかれ、女性はストーリーのロマンチックさに興味をひかれる傾向がある・・・と思われてきました。 科学的な検証を十分にしないマスメディアは、いかにも本当にそういう傾向があるかのように吹聴するところがあったせいか、その話を信じている人は多いでしょう。
ところが、実際に実験して調べてみると、意外や意外にそうでもなかったのです。 女性も男性とほぼ同じくらい視覚的なエロチックさに興味をひかれ性的に興奮しますし、男性も女性とほぼ同じくらいストーリーのロマンチックさをしっかり心に留めて憶えておけるのでした。
となると、いったいこの都市伝説はどこから来たのでしょう?
しかし、実際に男性の方が視覚的なエロチックさを求める行動を起すところはあって、ネット上のエロ動画サイトを訪れる実に7割が男性であり、女性は3割程度でしかないという報告があります。(ネット上で性別を偽っていなければ、の話ですが。)
それに、エロ動画を見て性的に興奮するどころか不快感を生じる女性は少なくなく、おそらくその不快感が邪魔して性的興奮が得られないことはありそうです。
その主な理由は、どうやらエロ動画のほとんどが、男性が男性目線で男性のためにつくったものだから・・・ということにありそうです。
実際、Laan先生たちが、「男性が男性目線で男性のためにつくったエロ動画」と「女性が女性目線で女性のためにつくったエロ動画」を比較してみたところ、女性の被験者たちは、やはり「女性が女性目線で女性のためにつくったエロ動画」(男女がお互いに感じる快感がより公平であり、前戯にさく時間がより長く、男女がより仲良さそうであり、より女性に主導権がある、という内容になっていました)の方がより性的に興奮すること、「男性が男性目線で男性のためにつくったエロ動画」だと嫌悪感などのネガティブ感情が強く伴われてしまい興奮できないこと、心理的/主観的な性的興奮はこのように違いがあるものの身体の興奮はまたしても同じように興奮していたこと、が示されたのでした。
しかし、「女性が女性目線で女性のためにつくったエロ動画」は、別に視覚的なエロチックさがより低いわけでもなく、ストーリーのロマンチックさがより高いわけでもありませんでした。
なのに、この違いは一体??
この疑問に関連して、Rupp先生たちはエロチックな画像を男女がどのように見入るかを、視線を追跡する装置を使って調べてみました。
すると、男女ともに視線の大部分はエロチックな画像の性器を中心に注がれていました。 しかし、微妙な差異もありました。 経口避妊薬を飲んでいる(妊娠することのないホルモン状態)の女性はあまり性器を見るのに一生懸命ではなく、それよりもむしろ背景要因を注視し、そのエロチックな画像に登場している男女がどのような関係にあるのかを見ているようでした。 これに対して経口避妊薬を飲んでいない女性は、比較的一生懸命に性器を注視していたのです。 しかも、一生懸命に性器を注視し性的に興奮する度合いは、月経周期の影響を受けていて、(妊娠する可能性が一番高い)排卵前に見た時が一番熱心に性器を見て、一番熱心に性的に興奮する傾 向があったのです。 しかも、非常に興味深いことに、最初にエロチックな画像を見たのが排卵日前だった人は、2回目に排卵後に見た時も熱心に性器を見て、 熱心に性的に興奮したのです。 それに対して、最初にエロチックな画像を見たのが排卵後だった人は最初の目線の熱心さも性的な興奮も今ひとつだったのに加 えて、2回目に排卵日前に見た時も今ひとつだったのです。
これは一体なにを意味するのか??
さらにさらに、McCall先生たちは、エロチックなストーリーを、男女がどのように記憶し、その記憶の仕方に男女差があるかどうかを調べてみました。
すると、男性は女性よりもあからさまな性的描写(『彼は指を彼女の陰核から膣にすべらせながら、彼女がどれだけ 濡れているかを感じた』等;日本語訳がまずくて、なんだかあまりエロチックじゃないですが、ご容赦ください)をよく憶えている傾向がありましたし、女性は 男性よりも登場人物の男女の愛情的/情緒的つながりの描写(『彼は「愛している?」と聞いた。彼女は「ええ、もちろんよ」と答えた』等)をよく憶えている 傾向がありました。
(ちなみに、視覚的描写の記憶は男女差はなく、ロマンチックな描写の記憶も男女差はありませんでした。)
・・・こうして、いろいろな研究結果を総合してみてみると、こんなことが言えそうです。
女性は、特に今すぐに妊娠しないような状態の女性は、あからさまに性的なことそのものよりもむしろ、男女 の関係性の質を重視するところがあり、男女の愛情的/情緒的なつながりがしっかりしており、お互いに仲良くできていることが安心して性的に興奮することの
条件になっている。 (逆に、男女の関係性が不良であり、愛情的・情緒的つながりが欠けており、仲良くもない関係において、性的なものだけ求められるのは強い嫌悪感などネガティブな感情が伴われてしまい、心理的には性的に興奮しなくなってしまう。)
今すぐに妊娠するような状態の女性は、排卵日前に性的な興奮を感じた相手に対して、より持続的に性的な興奮と好ましさを感じやすくなる。
こうしたことは、進化心理学的に考えると、なるほど、という気がします。 つまり、このような性的な関心の示し 方、性的な興奮の仕方をする心を遺伝子的に持ち合わせていた女性が(というか、その女性の持つ遺伝子が)長い長い進化の過程で適者生存の世界を勝ち残って きて、現代の女性にまでその遺伝子を継承してきたのでしょう。 女性の性は妊娠に直結しますし、それはその後の出産、そして育児と続く長い長い命がけのプ ロジェクトにつながっていくわけですから。
(→より詳しくは『心の進化論』編を参照ください。)
参考書:
(1) Rupp HA & Wallen K. Sex difference in response to visual sexual stimuli : a review. Arch Sex Behav, 2008; 37: 206-218.
(2) Rupp HA & Wallen K. Sex-specific content preference for visual sexual stimuli. Arch Sex Behav, 2008; 38: 417-426.
(3) Laan E, et al. Women's sexual and emotional responses to male- and female- produced erotica. Arch Sex Behav, 1994; 23: 153-169.
(4) McCall KM, et al. Sex differences in memory for sexually-relevant information. Arch Sex Behav, 2007; 36: 508-517.
(5) Wallen K & Rupp HA. Women's interest in visual sexual stimuli varies with menstrual cycle phase at first exposure and predicts later interest. Horm Bahv, 2010; 57: 263-268.
(6) Slob AK, et al. Menstrual cycle phase and sexual arousability in women. Arch Sex Behav, 1991; 20: 567-577.
痛くてセックスできない パートI
統計によってややばらつきはあるものの、健康で若い女性でも、約1割の人はセックスをすると痛みをともなってしまうという問題が慢性的にあったりするといいます。このためにセックスをすること自体がひどく苦痛になってきたり、あるいはあまりの痛みのために全くできなくなってしまことがあります。
こうした女性特有のセックスに関連した痛みの問題は、症状の出方の微妙な違いによって「性交疼痛症 dyspareunia」とか「膣けいれん vaginismus」とか「外陰部前庭炎症候群 vulvar vestibultis syndrome」などと呼ばれてきました。 外陰部や膣には、身体的には(軽い炎症反応があることはありますが)ほとんど何の問題もないのにもかかわらず、痛みが強すぎてセックスできないのです。
中には、それまでは普通にセックスをすることができていたのに、何かのきっかけで痛みを生じるようになってしまい、それ以来いつも痛くてできなくなってし まう人もいます。 また中には、生まれてこの方ずっと(陰茎を膣に挿入するかたちでの)セックスをしようとすると痛すぎて、一度もできなかった人もいま す。
いずれにしろ、(陰茎を膣に挿入するかたちでの)セックスをしようとすると痛いので、セックスに対する嫌悪感や不安が強くなり、そうなるとセックスの快感に集中できず性的に興奮しにくくなり、ますます不快感や不安が強くなり、ますます痛みが増してしまう・・・という悪循環のパターン
になります。
セックスの痛みに対する不安が強すぎると、セックスしようとしたときに無意識的に挿入を避けようとしてしまったり、膣の入り口周りの筋肉が防御反応的に収縮(けいれん)して閉じてしまい、物理的に何も膣に挿入することができなくなることさえあります。 これが「膣けいれん vaginismus」です。 膣の入り口付近の筋肉のけいれんがあまりに強いので、パートナーの陰茎はおろか、自分の小指でさえ入っていかないくらいになります。
臨床的には、膣に何かを挿入しようとしたときの不安と回避行動や膣の入り口周囲の筋肉のけいれんが目立つ時には「膣けいれん vaginismus」と呼ばれ、外陰部に触れたときの痛みが目立つ時には「外陰部前庭炎症候群 vulvar vestibulits syndrome」と 呼ばれたりしますが、そこにあまり明確な一線は引けないようです。 実際、「外陰部前庭炎症候群」の人でも、膣に何かを挿入しようとすると痛みによる防御 反応で膣の入り口周囲の筋肉がけいれんする傾向がありますし、「膣けいれん」の人でも、外陰部に触れると強い痛みを訴える人が少なくありません。 よくわ からないけれども、一続きの「性交疼痛症 dyspareunia」の微妙に違った表れ方なのだ、と考えざるを得ないようなのです。
でも、これは一体何なのでしょう? 何が起こっているのでしょう?
素人考えで、すぐに思いつくのは、性的に興奮しなくて膣が充分に濡れないから痛くなるんじゃないか? です。 確かに、「膣けいれん」の人 も「外陰部前庭炎症候群」の人も、セックスをするときの痛みでさんざん嫌な目にあっているので、いいかげんセックスが嫌になっていますし、その嫌悪感・不 快感・不安もあって性的に興奮しにくくなっていることが多いことが知られています。
しかし・・・
Brauer先生たちは、身体的な異常のない(心因性の)「性交疼痛症 dyspareunia」を訴える女性には、非常にしばしば性欲の低さや性的興奮の乏しさが合併していること、(陰茎を膣に挿入するかたちでの)性交に対 する嫌悪感や不安が強い傾向があることから、「性交疼痛症」の人たちは性交に対する嫌悪感や不安が強いために、性的に興奮しなくなってしまい、膣が濡れな くなってしまい、セックスが痛みになってしまうのではないか?と考えて実験をしてみました。
つまり、20代後半の若い女性で「性交疼痛症」がある人49人と、一切の性機能障害がない24人に対して、女性向けエロ動画を見てもらいながら、性器がどのように性的に興奮するかをセンサーを使って経時的に調べてみたのです。
実験前に、普段の生活の中での性機能を自己申告方式で聞いてみると、確かに、「性交疼痛症」の女性は、性的に健康な女性に比較して、セックスの時の痛みが 強いばかりか、性的欲求も低く、心理面でも性的に興奮しにくく、身体的にも膣が濡れにくく、オルガスムにも達しにくく、満足度も低く、・・・という結果で した。
そして、実験です。 実験で鑑賞してもらう女性向けエロ動画は、オーラル・セックス版と、陰茎を膣に挿入するかたちでの セックス版がありました。 予測では、性的に健康な女性に比較して、「性交疼痛症」の女性は、オーラル・セックス版は良くても、挿入セックス版は嫌悪感と 不安が強くてダメだろうと思っていたのですが・・・
エロ動画を見終わった後の主観的な評価では、確かに、「性交疼痛症」の女性は、性的に健康な女性に比較して、エロ動画に対してあまりポジティブな評価をし ていませんでした。(性交疼痛症の人の平均:オーラル・セックス版=3.44、挿入セックス版=3.73 ; 性的に健康な人の平均:オーラル・セックス 版=4.05、挿入セックス版=4.22)
ところが、身体的な(性器の)性的興奮は、ほとんどかわらず、陰茎を膣に挿入するかたちでのセックスのエロ動画では、むしろ「性交疼痛症」の人の方がより 興奮しているくらいだったのです。(性交疼痛症の人の平均:オーラル・セックス版=1.65、挿入セックス版=2.61 ; 性的に健康な人の平均:オー
ラル・セックス版=1.92、挿入セックス版=2.03)
出ました。 『男のセックスと女のセックスはずいぶん違う パートI』から繰り返し出ているものですが、女性における「心の性的興奮」と「身体の性的興奮」の乖離の問題です。
実際、Brauer先生たちの別の実験では、どうやら「性交疼痛症」の女性は、無意識的レベルでは決してセックスが嫌いなわけではないのに、意識的認知のレベルではセックスに対する嫌悪感/拒否感があるようだ、ということを示唆してもいるのでした。
これは、どういうことでしょう? 「性交疼痛症」は、セックスを身体が受けつけない問題なのではなく、心が受けつけないという問題なのか?
参考書:
(1) Reissing ED, et al Vaginal spasm, pain, and behavior : an empirical investigation of the diagnosis of vaginismus. Archives of Sexual Behavior, 2004; 33: 5-17.
(2) Brauer M, et al. Sexual arousal in women with superficial dyspareunia. Archives of Sexual Behavior, 2006; 35: 191-200.
(3) Brauer M, et al. Automatic and deliberate affective association
with sexual stimuli in women with superficial dyspareunia. Arch Sexual Behavior, 2009; 38: 486-497.
痛くてセックスできない パートII
身体には(外陰部の軽い発赤などの炎症があったりする以外は)ほとんど何の問題もないはずなのに、セックスをしようとすると、痛みが強すぎて、セックスをすることが全くできなかったり、できても痛いだけでひどく苦痛だったりする症状を「性交疼痛症 dyspareunia」と言いました。 このうち、痛みが主な問題であるものは「外陰部前庭炎症候群 vulvar vestibulitis syndrome」と呼ばれ、痛みに対する防御的な回避行動と膣周囲の筋肉の収縮が主な問題であるものは「膣けいれん
vaginismus」と呼ばれていますが、両者に本質的な違いはなさそうであり、両者ともセックスに対する強い痛みと、不安と、嫌悪感が慢性的に続いてしまう問題と考えることができたのでした。
しかし、そもそもなぜセックスをしようとすると、そんなに痛みがあるのか? それはどうやら身体(性器)が性的に興奮しにくいからではなさそうでした。 「性交疼痛症」がある女性は、性的に健康な女性と同じくらい、性器はしっかり興奮し、ちゃんと濡れるのでした。 問題はむしろ、「性交疼痛症」の女性は、心が性的に興奮せず、心が性的なものに対して不安と嫌悪感を持ってしまっている、ということにありそうでした。
セックスに対して痛みと拒否感を示しているのは、身体ではなくて心だったのか? そうすると、その時、脳の中で何が起こっているのか?
そこで、Pukall先生たちは、性交疼痛症(外陰部前庭炎症候群)のある女性たちを集めて実験を行い、性的に健康な女性であれば痛みや不快感を感じない 程度の圧迫刺激を外陰部に与えながら、脳の活動性をfMRIを使って画像診断的に測定してみました。 実験には14名の(身体的には問題のない)外陰部前 庭炎症候群のある若い女性と、14名の性的に健康な若い女性が参加しました。
その結果、性的に健康な若い女性では全く痛みや不快感を感じることのない程度の外陰部への圧迫刺激によって、外陰部前庭炎症候群のある若い女性は痛みと不快感を生じてしまっていました。
そして、その時の脳の活動を見てみると、外陰部前庭炎症候群の女性では、大脳皮質の感覚連合野(S2)、前頭葉の一部(BA44)、島皮質などが広範囲に、強く活性化していたのでした。 この活性化のパターンは、身体的な実体のない痛みである「線維筋痛症 fibromyalgia」や「特発性腰背部痛症 idiopathic low back pain」などの痛みの脳内のパターンと似ていたのです。
(一般の人は知らない人が多いと思うのですが、整形外科や整骨院・整体などを受診する「腰痛症」の大部分が、実際にはその原因となるような器質的な問題が 存在しない、心理的な要因が主なものであることがわかっています。一般向けの本としては参考書(7)等を参照ください。)
ということは、「性交疼痛症」・「外陰部前庭炎症候群」と呼ばれる、女性特有のセックスの時の外陰部の慢性的な痛みは、「線維筋痛症」や「特発性腰背部痛症」などと同じように、身体の問題ではなく、むしろ心の問題が主な要因なのでしょうか?
『意図しているわけでもなく、心が/脳がつくりだす症状 パートI ~IV』で取り上げた「身体表現性障害 somatoform disorder」(≒昔の言葉でいうところの身体化ヒステリー≒心の葛藤が身体の症状に出てしまうという問題)の一種なのでしょうか?
実際に「性交疼痛症」の女性は、何らかの心理的な問題が背景にあることが多いのか?
そんなわけでGranot先生たちは、「性交疼痛症」≒「外陰部前庭炎症候群」の若い女性たちを集めて、(性器以外の)痛みを感じやすい傾向や、痛みを破 局的にとらえてしまう傾向(=pain catastrohization:痛みにとらわれやすく、それを破局的にとらえてしまい、自身の痛みに対する対処能力を過小評価してしまう傾向)、不安 や身体化傾向などの心理的な特性を調べてみました。
すると、やはり「性交疼痛症」の女性は、性器以外の身体の部分でも痛みを感じやすく、不安になりやすく、心の葛藤を身体の症状に身体化する傾向が強い・・・ということが示されたのでした。 さらに、痛みを破局的にとらえてしまう心の傾向が、痛みをさらに強化してしまっているであろうことも示唆されていました。
その他、いくつもの研究結果から、「性交疼痛症」の人は、他の「身体表現性障害somatoform disorder」(≒昔の言葉でいうところの身体化ヒステリー≒心の葛藤が身体の症状に表れてしまう問題)との共通点が多く、心理的には抑うつ傾向や不 安傾向が強いことが示されています。
つまり、女性特有の「(身体的な問題がないにもかかわらず)痛くてセックスできない」という症状は、単純な性器の興奮不全の問題ではなく、もっと深い心理的な問題である可能性の方が高いのでしょう。
それゆえに、治療は単純なものではなく、意外に大変なものになってくることが予測されるわけですが・・・
参考書:
(1) Latthe P, et al. Factors predisposing women to chronic pelvic pain : systematic review. BMJ, 2006; 332: 749-755.
(2) Granot M et al. Psychological factors associated with perception of experimental pain in vulvar vestibulitis syndrome. Journal of Sex & Marital Therapy, 2005; 31: 285-302.
(3) Zolonoun D, et al. Somatization and psychological distress among women with vulvar vestibulitis syndrome. Int J Gynecol Obstet, 2008; 103: 38-43.
(4) Farina B, et al. Somatoform and psychoform dissociation among women with orgasmic and sexual pain disorders. Journal of Trauma & Dissociation, 2011; 12: 526-534.
(5) Pukall CF, et al. Neural correlates of painful genital touch in women with vulvar vestibulitis syndrome. Pain, 2005; 115: 118-127.
(6) Gracely RH, et al. Pain catastrophizing and neural responses to pain among persons with fibromyalgia. Brain, 2004; 127: 835-843.
(7) 紺野愼一『あなたの腰痛が治りにくい本当の理由』すばる舎(2012年)
痛くてセックスできない パートIII
性交疼痛症 dyspareuniaは、それが「痛み」が主である「外陰部前庭炎症候群 vulvar vestibulitis syndrome」であっても、不安による回避・防御運動と膣周囲の筋肉の異常な収縮が主である「膣けいれん
vaginismus」であっても、そこに本質的な差異はなさそうであり、ともに(パートナーの陰茎を含めて)膣にものを挿入することへの恐怖感と痛み、そして不安による防御反応としての膣周辺の筋肉の異常な収縮があるのでした。
膣周辺の筋肉の異常な収縮があるために、膣の中にものを入れることができなくなるばかりか、痛みを生じてしまいますし、そのために膣にものを入れることがますます痛くて嫌になり、恐怖感が強まってしまいます。
不安・恐怖感のために防御反応と回避反応が起こり、このためにさらに不安・恐怖感が強まってしまい、症状が維持強化されていく・・・
このプロセスは不安障害の「恐怖症 phobia」と似てなくもないです。
ということは、「外陰部前庭炎症候群」や「膣けいれん」は、何らかの原因(この「何らかの」というのがくせ者な のですが・・・)によって性交に対する不安・恐怖感、嫌悪感、を生じてしまい、そのために膣周辺の筋肉の防御反応と回避反応が起こり、このために恐怖症が 維持強化されている、一種の「性交痛恐怖症」「膣にものを入れること恐怖症」として考えてみることもできそうです。
であれば、「恐怖症」に対する治療の基本は「曝露療法(曝露反応阻止法)」/「系統的脱感作」であったように、 そこに生じる不安の正体をしっかりみきわめていきながら、ゆっくりゆっくり、繰り返し繰り返し、膣にものを入れながら防御・回避反応を起こさないようにし ていくことを練習していくことで、改善できるのではないでしょうか?
実際、「セックス・セラピー sex therapy」と呼ばれる行動療法を主体とした治療法や、膣周囲の筋肉の使い方をリハビリテーション的に練習していく「理学療法 physical therapy」、そして性に関連する不安や罪悪感を話し合っていくことで軽減し、パートナーとの間のコミュニケーションを改善して性に関連することをオープンに会話できるようにすることなどにも重点を置いた認知行動療法 cognitive behavior therapyなどが効果を示しています。
どの治療においても、治療を始める際にとても大切なことがあります。 膣の中に陰茎を入れるという形での(狭い意味の)セックスを当分の間(「治る」まで)しないようにしていく、 ということです。 (広い意味の)「セックス」は、何も膣の中に陰茎を入れる形だけではないのです。 指や口でクリトリスを刺激するだけでもいいのです。 相手にとって痛くない、気持ちの良い仕方で(広い意味の)「セックス」をしていくことの大切さを、パートナーにもわかってもらう必要があります。(それ を理解できない、協力できないパートナーであるようなら、それはパートナーとの関係性にすごく大きな問題があることを意味するでしょう。)
そのうえで、通常は女性がみずからすすんで「曝露療法」のように、自分の膣の中に少しずつものを入れていく練習をすることになります。 恐怖症の克服において行う「曝露療法」がすべてそうであるように、これは本人が自分ですすんでやっていく必要があります。
まずは、膣周囲の筋肉が異常に収縮することが問題の一因になっていることを理解し、膣周囲の筋肉の動きをしっか り感じ、締め方、緩め方をリハビリテーション的に何度も何度も繰り返し練習することも大切です。 多くの場合、明るい部屋で、鏡を使って自分の膣を見なが ら練習します。
そして、まずは自分の指の先を少しだけ入れてみて、最初は痛みに対する恐怖感で実際に痛いような気がしているけ れども、次第にそうではない感覚になってくるのをしっかり体験していきます。 その次に、指をもう少し深くまで入れてみて、その次に・・・・というよう に、ゆっくりゆっくり、段階的に「練習」をしていくわけです。
場合によっては膣周囲の筋肉の動きをモニターする筋電計を使って「バイオフィードバック」と呼ばれる方法を併用することもあります。 こうして膣周囲の筋肉の自在な使い方をマスターしていくわけです。
こうした、比較的単純な行動療法的なやり方は驚くほど効果が高いことがわかっていますが、それでも約半数の人は 症状が残ってしまいます。 さらに問題なのは、「外陰部前庭炎症候群」や「膣けいれん」がある女性は、その他の性機能障害(性欲が低いこと、心理的に性的 興奮がしにくいこと、オルガスムに至りにくいこと、など)を合併していることもあり、パートナーとの対人関係の葛藤や、その他の対人関係での葛藤や慢性的 な不安・抑うつ感、などを伴っていることも多いのです。
そうなってくると、短期間(数ヶ月)で終わるような簡単なセックスセラピーや認知行動療法ではどうにもならないことがあり、より長期にわたるカウンセリングが必要になってくることも多いのだろう・・・と考えられています。
まあ、セックスというのは親密な関係性の極みというようなところがあるので、関係性に大きな問題がある人の場合にセックスだけは普通に気持ち良くすることができる、ということなど、期待できないことなのでしょう。
参考書:
(1) Bergeron S, et al. Physical therapy for vuvlar vestibulitis syndrome : a retrospective study. Journal of Sex & Marital Therapy, 2002; 28: 183-192.
(2) McCabe MP. Evaluation of a cognitive behavior therapy program for people with sexual dysfunction. Journal of Sex & Marital Therapy, 2001; 27: 259-271.
(3) Kaplan ES. "The Illustrated Manual of Sex Therapy" Brunner/Mazel
(4) Gibbs RS, et al. "Danforth's Obstetrics and Gynecology, 10th Ed" Wolters Kluwer
我、三十にして立たず 吾三十而不立 パートI
話は一転して、男性の性的興奮≒陰茎の勃起の問題に移ろうと思います。
陰茎の勃起の問題は、過去には男性の性的不能 impotence(インポテンス)と呼ばれていましたが、何も陰茎が勃起しないだけで男性として能なしだみたいな言い方はないだろう、ということと、男性の性的機能障害は勃起だけでなく、射精や性的欲求の障害もあったりするので、より正確を期すために、現在は勃起障害 erectile dysfunction(ED)という表現をすることが多くなっています。
陰茎の勃起の問題は、実は結構多いと見られていて、一過性・一時的な勃起不全は5割~8割の成人男性が経験しているのではないか、と言われているくらいです。 本格的な(治療を要するレベルの)勃起障害、つまりいつもいつも、毎回繰り返しのように、性交を完遂するのに十分な勃起が得られない状態は、1~3割の成人男性にあるのではないかと見られています。 (「見られています」という微妙な書き方になってしまうのは、問題が問題なだけに、秘密にされていて実情がつかみにくいためです。)
男性の性的機能は20代前半くらいまでがマックスだと考えられていて、その後は身体機能自体はどんどん衰えていきます。 ですので、高齢の男性が勃起しにくくなってしまうのは、まあまあ当たり前の話であって、ここでは問題にしません。
また、内科的/外科的な問題で勃起障害を起こすこともあります。 糖尿病による末梢神経障害や、高血圧・動脈硬化による物理的な勃起不全などです。 こうした問題もここでは扱いません。
今回ここで取り上げるのは、身体的には健康なはずの若い男性に勃起不全が生じてしまう問題です。 つまり、心因性の勃起障害です。
本題に入る前に、そもそも陰茎の「勃起 erection」とは何か? という生理学・解剖学的な知識のおさらいから入りましょう。
陰茎 penisは、陰茎海綿体 corpora cavernosaと尿道海綿体 corpus spongiosumという海綿体組織からなりたっていて、これらは基本的に「勃起組織」であり、つまりは血流の変化によって大きさがかわるような仕掛け になっています。 (ちなみに鼻の粘膜も「勃起組織」であり、血流の変化によって大きさが変わります。このために鼻炎を起こして鼻粘膜の血流が増えると鼻 づまりになりやすくなるわけです。)
成人男性の陰茎 penisは、勃起していない普通の状態の時はだいたい8.85cm~10.7cmくらいの長さなのが、血流が増えて「勃起 erection」と いう状態になると、だいたい12.89cm~15.5cmくらいの長さまで大きくなります(勃起時で7.5cm以上あれば「正常」と考えられます)。 さ らに陰茎海綿体の周囲は強靱な結合組織(白膜)でおおわれているために、血流増加によって陰茎がめいっぱい大きくなると、ちょうどボールやタイヤに空気を ぱんぱんに入れてふくらませたように、ぱんぱんに硬くなります。 つまり、勃起していない普通の状態では内圧が10~15mmHgくらいしかなかったもの が、勃起すると内圧が90~120mmHg、つまり動脈血圧と同じくらいまで上昇します(勃起時で内圧60mmHg以上の硬さがないと性交が難しいと考え られています)。 さらに陰茎の付け根にある「球海綿体筋」という筋肉を収縮させることで、120mmHg以上の内圧にまでぱんぱんにすることもできるわ けです。
陰茎の「勃起」と呼ばれる変化は、脳→自律神経系によるコントロールを受けています。 陰茎の海綿体組織の血管を支配している自律神経の副交感神経の働きによって血管が拡張し、血流が増えて、勃起が起こります。
陰茎の最先端部にある「亀頭 glans」は特に感覚が鋭敏にできていて、主にはここから生じる性的感覚は陰部神経 pudendal nerveを通じて脳に行きます。
性的興奮が続き、高まり、最終的に、交感神経の働きにより射精が起こります。 交感神経の働きは、主にはアルファ受容体への作用によって、陰茎の海綿体組織の血管を収縮させて血流を低下させ、陰茎をしぼませることもします。
こうして、脳、副交感神経系、交感神経系、がうまいこと協調して働くことで、性的興奮→勃起→さらなる性的興奮→射精→しぼむ・・・という一連の性反応サイクルが完成するわけです。
さて、若い人に起こる心因性の勃起障害の原因の大きなものは、「不安」にあると考えられています。
特に、セックスを恥ずかしくないようにちゃんとやらなくちゃ・・・という自分の性的パフォーマンスへの不安で す。 ちゃんと勃起できなかったり、うまくセックスできないことで性的な劣等感を感じることになる不安。 パートナーにがっかりされたり、馬鹿にされたり
することへの不安。 など「セックス」というパフォーマンスに関連した、一種のパフォーマンス不安が強いことが主因になっていることが少なくないだろうと
見られているのです。
でも、なぜ不安が勃起障害を引き起こすのか?
不安が強いと性的興奮/性的な楽しみに集中できず、気が散ってしまうという問題もあります。
さらに不安・緊張によって交感神経系の働きが強まり、そうすると海綿体を支配する交感神経系の働きにより陰茎がしぼんでしまうということが起こります。 (セックスに関係なく、不安・緊張が強い場面で陰茎がすっかり縮こまってしまうことを体験した男性は少なくないでしょう。 あれです。)
そうなると、セックスをしようとしていた矢先に、陰茎がしぼんでしまうという出来事が、さらにセックスに対するパフォーマンス不安を増大させ、さらに不安・緊張のために交感神経系の働きが強まり、さらにしぼんでしまう・・・という悪循環になります。
これが、心因性の勃起障害の典型的なパターンなのだろうと考えられてきたのです。
でも、本当にそうなのか? 本当に不安・緊張で交感神経系の働きが強まることで陰茎がしぼんでしまうのか?
というわけで、Brien先生たちは、若い雄ネズミに性的に興奮する薬剤を注射して勃起するようにしておきなが ら、自分より先輩で大きくて強そうな雄ネズミに睨まれる、という嫌なシチュエーションを与えて不安・緊張をあおってみました。 すると、そんな不安・緊張 がない状態では薬剤の作用で勃起していた若い雄ネズミたちは、不安・緊張した状況下ではすっかり勃起しにくくなっていました。
同様に、交感神経系の働きを強める薬剤を注射しても、同じように勃起反応を阻害することになったのでした。
また、Lange先生たちは、ネズミなんかではなくて、若い人間の男性を集めて似たような実験を行いました。 エロ動画を見せて性的に興奮してもらうのですが、この時に交感神経系の働きを強める薬剤を注射すると、勃起しにくくなってしまうのでした。 若くて健康 で、本来的にはびんびんなはずの男性が、です。
つまり、ここに女性の性的興奮との大きな差異があります。
女性は心の性的興奮≠身体の性的興奮であり、身体は「性的なもの」と脳が認識するやいなや簡単に反応するのに対して、心はよりデリケートにできていました。
男性の場合、心の性的興奮≒身体の性的興奮であるのですが、どうやら心の性的興奮と比べて、身体の性的興奮はよ りデリケートにできているようで、不安や緊張などのちょっとしたことですぐにネガティブな影響を受けてしまうのでした。 そして、それは比較的容易に勃起 不全という形で表れやすいようなのです。
参考書:
(1) Kandeel FR, et al. Male sexual function and its disorders : physiology, pathophysiology, clinical investigation, and treatment. Endcrine Reviews, 2001; 22: 342-388.
(2) Hall JE. "Guyton and Hall Textbook of Medical Physiology, 12th Ed" Saunders
(3) Norton GR, et al. The role of anxiety in sexual dysfunction : a review. Archives of Sexual Behavior, 1984; 13: 165-183.
(4) Brien SE, et al. Development of a rat model of sexual performance anxiety : effect of behavioural and pharmacological hyperadrenergic stimulation on APO-induced erections. International Journal of Impotence Research, 2002; 14: 107-115.
(5) Lange JD, et al. Effects of demand for performance, self-monitoring of arousal, and increased sympathetic nervous system actibity on male erectile response. Archives of Sexual Behavior, 1981; 10: 443-464.
我、三十にして立たず 吾三十而不立 パートII
男性の場合、心の性的興奮≒身体の性的興奮(陰茎の勃起)ではあるものの、身体の性的興奮=陰茎の勃起は比較的容易に心理的なストレス(抑うつや不安)の影響を受けてしまい、比較的容易に勃起しなくなってしまうのでした。特に自分の性的パフォーマンスに対する不安など、過度な不安や緊張は(おそらくは交感神経系の過活動によって)容易に勃起不全を引き起こすのでした。
これが心因性の勃起障害 psychogenic erectile dysfunction / non-organic erectile dysfunctionでした。
※ 勃起障害EDが「心因性 psychogenic / non-organic」であるのか、「器質性 organic」であるかは、ちゃんとしたことは泌尿器科医に診断してもらわないと何とも言えません。 「器質性」の原因としては、高血圧・動脈硬化など によって陰茎に行く動脈がダメになってしまっていて、陰茎において十分な血圧を供給できなくなっていることや、糖尿病による末梢神経障害によって陰茎を支 配している自律神経系がダメになっていることなどがあります。 しかし、こうした問題は若くて健康な男性にはそう多くはないものです。
それに対して「心因性」の場合、パートナーとセックスしようとする時以外は、意外に勃起したりすることから見分けがついてきます。 たとえば、若くて健康な男性の場合、夜に寝ているとき、REM睡眠の間に陰茎が勃起するこ とが知られていて、だいたい一晩に4、5回は勃起しているのです。 これは全睡眠時間の1/5~1/4は勃起して過ごしていることを意味します。 朝起き たときに陰茎が勃起しているのに気づく男性は多いと思うのですが、これもこのためです。 心因性の勃起障害の場合、たいていは、この夜間のREM睡眠中の 勃起は保たれているのです。 つまり、眠っている間は何度も勃起しているようであれば、心因性である可能性が高いのです。
夜間の陰茎の挙動をモニターする機械もあって、勃起障害が心因性か器質性かの鑑別診断に使われることもあるのですが、まあ、そんな機械なんか使わなくても、見ればわかるのでしょうけどね。
さて、セックスしようとするときに不安や緊張が高いと心因性の勃起障害になりやすいと見られてきました。
特に、「ちゃんと、完璧にセックスしなくちゃ」という緊張が強いことがいちばんいけないのだろうと考えられてきました。
これはちょうど人前でスピーチやその他のパフォーマンスをするときの「パフォーマンス不安 performance anxiety」と同じように、あまりにも「ちゃんと、完璧にやらなくちゃ」という思いが強すぎるために、その不安・緊張のためにかえってできなくなってしまう・・・という問題に似ています。
現在では「社交不安障害 social anxiety disorder」とも呼ばれることもある、人前でパフォーマンスしようとするときの過剰な不安と緊張の問題は、背景に本人の完璧主義的な性格傾向があることが知られています。(『見られるだけで身動きとれなくなる パートI~IV』を参照。)
不安と緊張で無様なことになってしまうことが不安で、それを完璧にコントロールしようととらわれてしまうため に、余計に気になってしまい、余計に不安・緊張が強まってしまう。 そうなると、不安・緊張による交感神経系の過活動の症状として「震え」「声のうわず り」「赤面」などが表れてくる。 そうすると、それを「恥ずかしいこと」「無様なこと」と考えて、それを過剰に不安に思い、それをなんとか抑えようと余計 にとらわれてしまい・・・という悪循環です。
完璧主義的な性格傾向が背景にある「心因性の勃起障害」でも同じようなメカニズムがあることが想像できます。 「ちゃんと、完璧にやらなくちゃ」という思いが強すぎるために、その不安・緊張のためにかえってうまく勃起できなくなり(というよりも不安・緊張による交 感神経系の働きによって陰茎がしぼんでしまい)、そうなると、それを過剰に「恥ずかしいこと」「無様なこと」ととらえてしまい、余計に不安・緊張が増して しまい・・・という悪循環です。
本当にそうなのかい? と言いたくもなります。
そこで、Dibartolo先生とBarlow先生は(←このBarlow先生は行動療法の大御所として有名な、あのBarlow先生のことです)、勃起障害 EDのある男性(平均45才)とその妻たちを集めて、心理的な側面を調べてみました。
すると、予測通り、勃起障害でも「心因性」の傾向が強い人は、「完璧主義的な性格」の傾向が強い結果でした。 やはり「ちゃんと、完璧にやらなくちゃ」という思いが強すぎて、不安・緊張が高まってしまい、かえってできなくなってしまう、という仮説は当たっていそうです。
しかし、この研究では妻の心理的傾向もついでに測定していたのですが、意外な結果が出てきました。 つまり、妻の「完璧主義的な性格傾向」が強いと、妻にとっても夫にとっても夫婦関係の不満足度が高くなってしまうということでした。
心因性の勃起障害にパートナー側の性格的要因が絡んでいる?
実はこのことも、臨床的な印象としてはずいぶん以前から言われていました。 しかし、本当にそうなのか?
勃起障害のある男性とそのパートナーの関係性に問題があるといったって、どっちが原因でどっちが結果かわからな いじゃないか?とも言えます。 勃起障害を生じたから夫婦仲が悪くなったのか? 夫婦仲が悪いから勃起障害を生じたのか? あるいは全然別の何らかの要因 が夫婦仲の悪さの問題も、夫側の勃起障害の問題も引き起こしているのか?
というので、Skeckens先生たちは、勃起障害のある男性とその妻たちを集めて、夫婦関係の問題、妻の側の性格的問題、妻の側の性的問題、などを調べてみました。
この研究では「心因性の勃起障害」のある男性そそのパートナーを「器質性の勃起障害」のある男性とそのパートナーで比較してみたのです。
すると、・・・
「器質性の勃起障害」のある男性のパートナーに比較して、「心因性の勃起障害」のある男性のパートナーは、やは り夫婦関係に問題ありなことが多かったのです。 たとえば、「心因性の勃起障害」のある男性のパートナーは、より浮気を考えたり(30% vs 9%)、実際に浮気をしたり(12% vs 6%)、もう別れようと思っていたり(30%
vs 13%)していました。 さらに、夫の勃起障害が生じる前から、パートナー側の性的問題として、例の「膣けいれん」や「性交疼痛症」がより多かった
(35~34% vs 13~16%)のです。
つまり、男性にあらわれる心因性の勃起障害は、症状が表れているのは男性の側なのですが、そのパートナーの女性の側の問題、2人の関係性の問題がかなりありそうなのです。
シルデナフィル(商品名:バイアグラ)やタダラフィル(商品名:シアリス)といった勃起障害に対する「特効薬」 の出現以来、男性の勃起障害 EDに対して、それが「器質性」だろうが「心因性」だろうが、とにかくこの特効薬を使って化学的に「治して」しまおうという風潮が強まっています。 で も、心因性の勃起障害については、本当にそれでいいのだろうか? それで本当の意味で「治った」と言えるのだろうか? という疑問が生じてしまうのでし た。
参考書:
(1) Munjack DJ, et al. Psychological characteristics of males with secondary erectile failure. Archives of Sexual Behavior, 1981; 10: 123-131.
(2) DiBartolo PM & Barlow DH. Perfectionism, marital satisfaction, and contributing factors to sexual dysfunciton in men with erectile disorder and their spouses. Archives of Sexual Behavior, 1996; 25: 581-588.
(3) Speckens AE, et al. Psychosexual functioning of partners of men woth presumed non-organic erectile dysfunction : cause or consequence of the disoroder? Archves of Sexual Behavior, 1995; 24: 157-172.
(4) Riley A. The role of the partner in erectile dysfunction and its treatment. International Journal of Impotence Research, 2002; 14, suppl1, S105-S109.
我、三十にして立たず 吾三十而不立 パートIII
シルデナフィル(商品名:バイアグラ)やタダラフィル(商品名:シアリス)といった男性の勃起障害 erectile disorder=EDに対する「特効薬」が出てきてからは特に、男性の勃起障害は男性の陰茎の問題だと単純化して考えられてしまうことが多いでしょう。
しかし、男性の勃起障害は、その大部分が器質的 organicな要素もありながら、同時に心理的 pychogenicな要素も強く働いており、主には(性的なパフォーマンス不安など)不安や緊張が、その症状を維持・強化していると考えられているのでした。 (ところが、男性本人もそのパートナーも、問題が心理的なものではなく単純に器質的なもの、身体的なものだと考えてしまうことが多いことも知られています。)
男性の勃起障害の背景にある不安や緊張などのネガティブな感情としては、「ちゃんとやれなくちゃ、恥ずかしい、 みっともない、馬鹿にされてしまう」といった過剰な緊張から「ちゃんと」勃起すること/「ちゃんと」セックスすることへのプレッシャーばかり高まってしま う「性的なパフォーマンス不安」、性的なことへの(過剰で非論理的な)罪悪感や恐怖感、相手の女性(パートナー)への意識的・無意識的な敵意や嫌悪感、他 者との親密さへの不安、などがあることが多いわけです。
(ですから、よくあるシチュエーションとしては、男性が飲酒してセックスしようとして「失敗」してしまったとい うことがあります。 男性は、アルコールの薬理作用によって、勃起しにくくなるのですが、その「失敗」を過剰に「恥ずかしい、みっともない、馬鹿にされ る」と感じると、次のセックスが不安になってしまうのです。 また、不妊傾向のある夫婦が妊娠しやすい日にピンポイントに「子どもをつくるために」セック スをする、というように「成果」を求められてしまうと、「失敗」する男性は多くなります。)
では、どう「治療」していくのか?
男性の勃起障害の背景にある不安として「性的なパフォーマンス不安」が最も多いものであることからも、その他の「パフォーマンス不安」に対する治療と同様に、行動療法的な曝露療法 exposure therapyを通じて、不安を克服していくことが一番良さそうです。
具体的にはどうするのか?
これが「セックス・セラピー sex therapy」という、基本的には行動療法でありながら、力動的な夫婦療法の側面もあわせもつ治療のやり方になります。
男性の勃起障害の治療においては、まずは「心理教育」というか、そもそもどのような心理的なメカニズムで勃起不全が維持強化されているのか、そこで「性的パフォーマンス不安」が果たしている役割について、当事者である男性にも、そのパートナーにも知ってもらいます。
つぎに、「感覚集中法 sensate focus」と呼ばれる性感エクササイズのようなものをしてもらいます。
ここで、「勃起すること」や「セックスすること」といった成果を求めるようなことをしてしまうと、「パフォーマンス不安」が強まってしまい、不安と緊張からうまくいかなくなるだけなので、この練習においては「セックスすること」は禁止し、「勃起すること」もなしにします。 (実際、練習している間に勃起してしまってもいいのですが、しなくても良いのです。)
「感覚集中法 sensate focus」の初段は、性器への愛撫をせず、性器以外の身体への愛撫を、男女が交互にしあい、その時にただただ、あるがままに「気持ち良い」感覚を感じるようにしていくことを します。 このとき、別に性的に興奮しなくても良いのです。 性感を感じなくても良いのです。 犬でも猫でも好きな飼い主に触ってもらうと嬉しいように、 私たち人間も好きな相手に触ってもらうと嬉しく感じるようにできています。 まずは、そういうレベルの「気持ち良い」を感じれば良いのです。 このため、 最初の練習では、男女がお互いに裸になり、ベッドの上でお互いの身体(性器以外)を愛撫しあうのですが、まずは背面から始めます。 そして、これも大切な ことですが、触られている方は、どんな感じがするか、気持ちいいのか、嫌な感じなのか、すべて言葉で伝えて相手にフィードバックしてあげることです。 一 般に、勃起障害など性機能障害のあるカップルは感情的なことや性的なことをオープンにコミュニケーションできないことが多いので、この機会を使ってその練 習もしていくわけです。
背面への愛撫が終わったら、前面に。 ただし、最初の段階では性器(女性の場合は胸も含む)への愛撫はしないようにします。 そして、性感とは限らない「気持ち良い」をしっかり感じ、言葉にするように、そうしたことに慣れるようにしていくのです。
「感覚集中法 sensate focus」の第2段では、ここでやっと性器への愛撫が始まります。 主には性器(女性では胸も含む)で感じる性感や性的興奮をしっかり感じるように練習するわけです。 しかし、ここでも男性は勃起する必要はないですし、たとえ勃起してもセックスすることは禁止です。 オルガスムにたっするような刺激の仕方をすることも禁止です。 ただただ、「気持ち良い」だけを楽しむわけです。
(つまりは、セックスはせずに前戯 forplayだけをするのです。 一般に、男性の勃起障害を含めて性機能障害のあるカップルでは、女性側に性的な不満足感があることが少なくなく、その理由の多くは前戯不足によることが多いと考えられていることもあります。)
この行動療法的な「練習」には、実は2つの目的があります。 1つは、単純に「曝露療法」的な発想で、性的なパフォーマンス不安を徐々に克服していくこと。 実際、この練習を繰り返していくことで、5割~7割の男性が勃起できるようになっていくことが知られています。
もう1つの目的は、こうすることによって、背景にある不安や夫婦関係の問題をあぶり出していくことで す。 夫婦関係に問題があり、お互いに密かな敵意や嫌悪感を持っているときは、なんだかんだ理由をつけて「お互いの身体を愛撫する」ことを嫌がるでしょ う。 愛撫する方もされる方も、「気持ち良く」することができず、むしろ微妙な不快感を持ってしまうのです。 あるいは、親密さへの不安がある時も、愛撫 といった親密さを不安がり避けるようにしてしまうでしょう。 自分が能動的に(支配的に)女性を喜ばせようとするのではなく、女性から受動的に愛撫だけを 受けることに抵抗感がある男性もいるかもしれません。 あるいは、男性が勃起できるようになり、物理的にはセックスすることができるようになったときには じめて、女性側が彼とのセックスに不満足感を持っていることや、女性の側に何らかの性機能障害(性交疼痛症など)があること、男性側に早漏などの問題が あってセックスに引け目や劣等感があること、などが明らかになってくることもあるでしょう。
こうしてあぶり出されてくる「本当の問題」を、今度は夫婦カウンセリング的に扱っていくわけです。
男性の勃起障害に対して「バイアグラ」や「シアリス」などの特効薬を処方して、ハイおしまい、という治療といかに違うかがおわかりかと思います。
実際、「バイアグラ」や「シアリス」などの「勃起不全改善薬」の薬効はかなりすごいものなのですが、薬理作用的には「効いた」であろう人たちの、実に5割もの人たちが「治療」からドロップアウトしてしまうこともわかっています。 陰茎が勃起するようになったからといって、問題はそれだけではなかったからでしょう。
男性の勃起障害に対する心理的な治療にしても、薬物療法にしても、治療開始前の夫婦間の問題が大きい場合は、治 療効果が悪くなってしまうことが知られています。 治療を始めるときの男性側のモチベーションが低いとき(つまり、そのパートナーとの関係で自分が勃起し ないことが問題だとはあまり思っていないとき)。 男女間のコミュニケーションが悪いとき。 男性の/女性の精神的な病理が大きいとき。 女性側があまり パートナーとの性的な関係に興味がなく、むしろ嫌悪感を抱いているとき。 ・・・などは予後不良であることがわかっています。
まあ、当たり前といえば、当たり前でしょうね。
(ちなみに、女性の性機能障害に対する認知行動療法を行った時の治療予後も、パートナーとの関係性の善し悪しが大きく影響してしまうことも知られています。 まあ、当たり前といえば、当たり前でしょうね。)
参考書:
(1) Althof SE. When an erection alone is not enough : biopsychosocial obstacles to lovemaking. International Journal of Impotence Research, 2002; 14: Suppl 1, S99-S104.
(2) Hawton K, et al. Sex therapy for erectile dysfunction : characteristics of couples, treatment outcome, and prognostic factors. Archives of Sexual Behavior, 1992; 21: 161-175.
(3) Wylie KR, et al. Treatment outcome of beief couple thereapy in psychogenic male erectile disorder. Archives of Sexual Behavioir, 1997; 26: 527-545.
(4) Turnbull JM & Weinberg PC. Psychological factors in impotence : a revierw of the literature. Journal of Andrology, 1983; 4: 59-66.
(5) Stephenson KR, et al. Relationship satisfaction as a predictor of treatment response during cognitive behavior sex thereapy. Archives of Sexual Behavior, 2013; 42: 143-152.
(6) Kaplan HS. "The Illustrated Manual of Sex Therapy, 2nd Ed" Brunner/Mazel
女性のオルガスムの謎・前編
性機能障害の話題は、この後、女性のオルガスム障害(性的行為において、性的興奮に続きオルガスムに達することができないという問題)に入ろうと思います。
ですが、その前に、女性のオルガスムはとにかく謎が多いのです。
「女性のオルガスム障害」などといいますが、普通に行われるセックスにおいてまあまあだいたい(50%以上の頻度で)オルガスムに達することができるのは、全女性の5~6割くらいであろうと見られています。 セックスによっては、ほとんどまったくオルガスムに達することがない人と25%以下の頻度になってしまう人をあわせると3割くらいもいます。
セックスではなく、マスターベーション(いわゆる「ひとりH」)によってだと、まあまあだいたい(50%以上の 頻度で)オルガスムに達することができる人は7割以上くらいに上昇しますが、逆にマスターベーションによってさえもオルガスムに達することができない人も 15%くらいはいます。
精神分析の創始フロイトは膣による性交でオルガスムに達することができることが成熟した女性の性のあり方だと考えていたようなのですが、セックスによってほぼ毎回オルガスムに達することができる女性など全体の15%程度しか存在しなく、むしろ少数派だということになります。
(しかも、非常に興味深いことに、Dunn先生たちの双子研究の結果によると、オルガスムに達しやすいかどうかというのは、どうやらかなりの部分が遺伝子的に決定されている一種の体質のようなものらしいと考えられています。)
なんということでしょう。 「女性のオルガスム障害」という言葉を考えるときに注意しなくてはいけないのは、まずはこの事実でしょう。
しかし、女性のオルガスムについてもっと問題なのは、果たして女性のオルガスムは何の役に立っているのか、今ひとつわかりにくい・・・ということでしょう。
進化心理学 evolutionary psychologyの視点からすると、私たち人間を含めてすべての動物にそなわっている行動パターンや「心」といったものは、それを支配する遺伝子が、何らかの生存競争上の有利性があって、太古の昔から今にいたるまで適者生存して引き継がれてきたものだと考えることができます。
ところが、女性のオルガスムという機能は、進化論でいうところの適者生存において、一体何の役に立っていたのかわかりにくいのです。
男性のオルガスムは、射精に直結しますから、適者生存・子孫繁栄のために必要不可欠です。
しかし、女性はオルガスムに達しなくても妊娠します。 事実、パートナーとのセックスで全然オルガスムに達したことがない女性でも、妊娠している人は大勢います。
では、女性のオルガスムは妊娠・子孫繁栄・適者生存に関係ないのか?
どうも、そうとばかりは言えないようなのです。 むしろ、女性はオルガスムに達するかどうか、どのタイミングで達するかによって、自分が好ましいと感じる特定の男性の精子を積極的に受け入れるかどうかを能動的に選択している可能性がある・・・というのです。
なんじゃそりゃ~?! にわかには信じがたい話です。
そんな話は、まずは人間以外の動物で見られました。 犬やネズミや家畜などで、動物のオスのオルガスム(射精) に続いてメスもオルガスムに達すると、子宮がリズミカルに収縮して、今さっき膣に射出されたばかりの相手のオスの精液を、膣から子宮の中に吸い込むような メカニズムがあるようであることが観察されました。 膣の中は酸性度が高く、精子にとっては危険な環境なのですが、それがさっさと子宮の中に吸い込まれる ことによって救出されているのかもしれない、と考えれました。
人間でもそうなのか?
さすがに人間が相手だと、あまり無茶な実験をするわけにもいかないので、決定的な証拠はあがってきません。
ただ、セックスの間は女性の子宮の内圧は陽圧(+40cm 水柱)なのが、オルガスム直後には陰圧(-26cm 水柱)になるようであり、動物たちと同じように、男性パートナーがオルガスムに達した(射精した)直後に、女性がオルガスムに達することによって、かなり 効果的に膣の中に射出されたばかりの精子を子宮内部に吸い上げることができているのかもしれません。
実際、Fox先生たちの実験データによると、男女がセックスでオルガスムに達するタイミングは多くの場合が同時ではなく、(上記の理屈通りに)男性がオルガスムに達してから(射精してから)30秒前後くらいで女性がオルガスムに達することが多いことを示していました。
男性がオルガスムに達してから(腟内に射精してから)30秒くらい後に女性がオルガスムに達する・・・このことによって、より効率よくパートナーの精子を「救出」して子宮内に積極的に受け入れ、妊娠しやすくしているのかもしれない?
原始時代の女性は、この機能を使って、気に入った相手(妊娠したい相手)の場合はこのタイミングでオルガスムに達し、気に入らない相手(妊娠したくない相手)の場合はこのタイミングを外すことで(あるいはオルガスムに達しないことで)、「妊娠しやすさ」を部分的にコントロールしていたのかもしれない?
本当なのでしょうか? そして、もし本当だとすると、現代に生きている女性にも、原始時代の女性が持っていたのと同じ遺伝子を引き継いで、同じ行動パターンや「心」といったものが残っているのでしょうか?
~後編に続く~
参考書:
(1) Fox CA & Fox B. A comparative study of coital physiology, with special reference to the sexual climax. J Reprod Fert, 1971; 24: 319-336.
(2) King R & Belsky J. A typological approach to testing the evolutionary functions of human female orgasm. Arch Sex Behav, 2012; 41: 1145-1160.
(3) Costa RM , et al. Women who prefer longer penises are more likely to have vaginal orgasms (but not clitoral orgasms) : implications for an evolutionary theory of vaginal orgasm. J Sex Med, 2012; 9: 3079-3088.
(4) Singh D, et al. Frequency and timing of coital orgasm in women desirous of becoming pregnant. Arch Sex Behav, 1998; 27: 15-29.
(5) Garver-Apgar CE, et al. Major histocompatibility complex alleles, sexual responsivility, and unfaithfulness in romantic couples. Psychological Science, 2006; 17: 830-835.
(6) Dunn KM, et al. Genetic influences on variation in female orgasmic function : a twin study. Biology Letters, 2005; 1: 260-263.
女性のオルガスムの謎・後編
生きていくこと自体が過酷であったであろう原始時代において、女性にとって恋愛・セックス・妊娠・出産というのは、その後長く長く続く子育てに直結する、自分の遺伝子の生存・繁栄競争に直結する、一大事だったことでしょう。
このため、女性は男性よりもずっと慎重に、ずっと賢く、戦略的にはずっと秘密性の高い方法で、配偶者選択 mate choiceをしてきたのだろう・・・と考えられています。
(さらに詳細な話は『心の進化論』編の『キリンの首はなぜ長くなったのか?』~『妥協と浮気パートI~II』を参照ください。)
原始時代の女性たちが配偶者選択をしてきたのは、だいたい、以下のような基準が主なものだろうと考えられていています。
(1)自分と子孫の生存・繁栄に直接的に有利な条件を相手の男性が持っていること。 例えば、高い経済力・社会的地位があること(自分と家族の縄張りをしっかり守り、高い食料確保能力があること)、それを示唆するような身体的な特徴がある
こと(体格ががっちりして強そうであり、身長が高く、運動能力・知的能力に優れていること)、心身ともに健康で丈夫で感染症に強く決して早死にしなさそう
なこと、それを示唆するような身体的な特徴があること(高い男性ホルモンの表れとしての男らしい体つき、身体のシンメトリー性が良好でイケメンであるこ
と)、長く続く子育てに辛抱強く忠実に従ってくれる優しさと精神的な安定性をそなえていること、などです。
(なぜ男性ホル モンの状態が良好で男らしい体つきをしていることや、イケメンであることが、「心身ともに健康で丈夫そう」「感染症に強そう」なことを示唆するのかという 話は幾分複雑で、ここに書ききれないため『心の進化論』の『Mate ChoiceパートII』を参照ください。)
(2)いわゆる「似たもの夫婦の原則」、つまり遺伝子的には離れていながら、形質的にはどこか自分と似たものを持っている相手を選ぶ傾向。遺 伝子的には離れていることを見分けるのは、MHCと呼ばれる遺伝子型によって違ってくる「におい」によって女性が無意識的にかぎわけているのだろうと見ら れています。 実際、女性は排卵日前になると男性の「におい」に敏感になり、自分と近いMHCの男性を嫌い、自分と離れているMHCの男性を好むようにな る傾向があることがわかっています。結果として、すべて無意識的でしょうが、自分と近い遺伝子型の男性とのセックスを嫌い、自分とは離れている遺伝子型の 男性とのセックスでより満足を得やすくなる傾向があるというのです。(Garver-Apgar先生の研究を参照。)
こうした厳しい審査基準で女性が男性を選んでいくわけですが、そこには幾つもの関門があって、一次試験、二次試 験、三次試験・・・というように、次第に男女の親密さをレベルアップしていきながら「吟味と選択」が続くのでしょう。 そして、おそらく最終審査に近いの が「いざセックスをするとなったときの、相手の性的パフォーマンス」かもしれない、とも考えられるのです。
「いざセックスをするとなったとき」ということは、もうけっこう良いセンまでいっています。 女性としても「この相手と自分の遺伝子を掛け合わせてもいいだろう」というくらいには思っていることでしょう。 しかし、ここでさらに「吟味と選択」が加わり、相手の男性の性的パフォーマンスを吟味して、さらに女性が自分にとって好ましいと思う相手だと、ちょうど良いタイミングでオルガスムに達することによって、より妊娠しやすくしていたのではないか? というのです。
動物実験や、人間においては靴の底から足の裏を掻くような間接的な実験の結果から示唆されるとはいえ、うーん、やっぱり「ほんとかよ」と言いたくなる話です。
そこで、King先生たちは執拗に執拗に若い女性のオルガスムに関するデータをたくさん集めて分析してみました。
その結果、King先生がいうには、女性には2タイプのオルガスムがありそうだというのです。
タイプI(身体の奥深くから生じる)オルガスム
身体の奥深くか ら生じてくるように感じられ、身体全体に広がり、「自分」を失ってしまうような感覚を伴うもの。 このタイプのオルガスムは、セックスの最中に相手の男性 がより魅力的で好ましいと感じている時に生じやすいようであり、特に、相手の男性がより好ましい「におい」がして、優しく力強いと感じ、ペニスが自分の中 を力強く突き上げてくると感じる時に、より生じやすいようでした。
タイプII(性器の表面から生じる)オルガスム
外性器(外陰 部・クリトリス)から生じるように感じられ、身体全体に広がるのではなく快感は強烈に性器領域に限局されており、あまり「自分」を失う感じではなく、より リラックスする感じであるもの。 このタイプのオルガスムはセックスの最中のパートナーの性的魅力にあまり関係しなさそうでした。
つまり、King先生が仮説するには、タイプIオルガスムこそが、女性の密かな配偶者選択システム cryptic mate choice systemなのかもしれない、というわけです。
つまり、社会経済的にも、身体的健康度でも、精神的健康度でも、性的魅力でも、遺伝子的にも、いろんな意味で自分にとって好ましく、自分の遺伝子とかけあわせたいと意識的・無意識的に思うような相手の男性に対してより発動しやすくなるオルガスムのタイプなのではな いか、というのです。
Singh先生たちの研究によると、女性は「妊娠したい、自分の遺伝子とかけあわせたい」と思っていると、男性 がオルガスムに達するよりも少し後(30秒くらい後?)にオルガスムに達する傾向がありますから、これによって、ちょっと前に腟内に射出されたばかりの精 子を子宮のリズミカルな収縮運動によって子宮内に吸い上げ妊娠しやすくしているのかもしれない。
人間は二足歩行なので、女性がセックスの後ですぐに立ち上がって歩き回ってしまうと、せっかく膣の中に射出された精液がこぼれ出てきてしまうので、女性がオルガスムの後で少しぐったりして横になっている方がより精子を身体の中に保持できるのかもしれない。
セックスによって女性がオルガスムに達すると相手の男性は何だか嬉しくなって「またこの人としたい」というモチベーションが上がることになるので、この特定の男性とのセックスの機会が増えるのかもしれない。
男女ともにオルガスムに達すると、「愛と絆と勇気のホルモン」と呼ばれるオキシトシン oxytocinが脳下垂体から分泌されて、2人の間に愛と絆と勇気が強まり、より強く結ばれることになるのかもしれない。
(「愛と絆と勇気のホルモン」オキシトシンについては、『「私」のなりたち』編の『愛のホルモン パートI~III』を参照ください。)
・・・なんだか「かもしれない」ばかりです。
まあ、問題が問題なだけに、なかなか直接的な実験的研究をしにくくて、決定的なことは言えないのでしょうけどね。
とにかく、女性のオルガスムは謎が多いです。
参考書:
(1) Fox CA & Fox B. A comparative study of coital physiology, with special reference to the sexual climax. J Reprod Fert, 1971; 24: 319-336.
(2) King R & Belsky J. A typological approach to testing the evolutionary functions of human female orgasm. Arch Sex Behav, 2012; 41: 1145-1160.
(3) Costa RM , et al. Women who prefer longer penises are more likely to have vaginal orgasms (but not clitoral orgasms) : implications for an evolutionary theory of vaginal orgasm. J Sex Med, 2012; 9: 3079-3088.
(4) Singh D, et al. Frequency and timing of coital orgasm in women desirous of becoming pregnant. Arch Sex Behav, 1998; 27: 15-29.
(5) Garver-Apgar CE, et al. Major histocompatibility complex alleles, sexual responsivility, and unfaithfulness in romantic couples. Psychological Science, 2006; 17: 830-835.
(6) Dunn KM, et al. Genetic influences on variation in female orgasmic function : a twin study. Biology Letters, 2005; 1: 260-263.
いかせてあげて Let her be released…パートI
質問です。以下の項目について6段階評価(1=まったくそのとおりだ ~ 6=自分には全然あてはまらない)でお答えください。
●セックスの最中に、彼が私の身体をどう見ているだろうかが気になる。
●セックスの最中に、私が彼に触る触り方を彼が喜んでくれていないのではないかと気になる。
●セックスをしているときの私の動き方が彼を喜ばせているかどうかを考えないではいられない。
●セックスをしながら、私の身体は彼にとって魅力的ではないのではないかと気にしないではいられない。
●彼の前で裸になるときはいつも、私の裸体が魅力的かどうかが気になる。
●セックスをしながら、今の自分が彼にどう見えているだろうかと気になってしまう。
●彼から私の裸体が見えない状況の方が、私はより自分の性的快感に集中できる。
・
・
・(Doveら2000年より抜粋)
女性のオルガスム障害・・・とはいえ、全女性のうちセックスによってほぼ毎回オルガスムに達するのはほんの15%くらいであり、頻度的に7割以上はオルガスムに達するという人を合わせても全体の3割程度しかいないことがわかっているので、どのラインで「障害 disorder」とするかは意見がわかれるところでしょう。
(ペニスを膣に挿入するという意味で狭義の)セックスによってのみではなかなかオルガスムに達することができな い人を全員「オルガスム障害」としてしまうと、過半数の女性がそうなってしまうので、この定義ではちょっとあんまりです。 このため、便宜的にはパート ナーによって(狭義のセックスによっても、手や口やいろいろな形でクリトリスを刺激してもらっても)オルガスムに達することがほとんどできない(頻度的に 25%以下)場合を「オルガスム障害」と呼ぶことが多いようです。
しかし、オルガスムに達しやすい人と、達しにくい人では何がどう違うのでしょうか?
昔は、セックスのテクニック的な問題ではないかと思われていました。 特に、前戯 forplayにかける時間や、挿入しての狭義のセックスにかける時間の問題です。 パートナーの男性があまりに時間をかけずにせっかちにするから、女性がいけないのではないか?と。
あるいは、狭義のセックス(膣に対する直接的な刺激)だけでは性的刺激が単純に足りません。 クリトリスに直接 的な刺激を与えた方が性的に興奮しやすくなりますし、オルガスムに達しやすいことはよく知られています。 なので、オルガスムに達しにくい人というのは、 セックスのときにパートナーが女性のクリトリスを直接的に愛撫することが少なすぎるのではないか?とも。
ところが、Hurey先生たちが実際に約600人もの女性たちを対象に調査してみると、オルガスムに達しやすい人も、達しにくい人も、前戯にかける時間(平均10~11分)も、挿入しての狭義のセックスにかける時間(平均6分半~7分)も、ほとんど差はありませんでした。
さらにKelly先生たちが24人のオルガスムに達しやすい女性と、10人のオルガスムに達しない女性とを調査比較してみたところ、セックスにおける(パートナーの手あるいは口による)クリトリスへの直接的な愛撫刺激の頻度もあまりかわりませんでした。
ところが、このKelly先生たちの調査では、オルガスムに達しやすい女性たちに比べて、オルガスムに達しない女性たちは、自分のクリトリスを愛撫して欲しいということをパートナーにコミュニケーションすることに多大な抵抗感があったこと、マスターベーションで気持ち良くなることに対してよりネガティブな気持ちがあったこと、性的な知識が間違っており性に関する罪悪感が多い傾向があること・・・が示されたのでした。
性的なことに対してより抑制が強く、なかなか自分を解放できない。 セックスの最中においてさえ性的快感に没頭できない。 そうしたことが気をそらしてしまい、結果としていきにくくなっているのか??
そこでDove先生たちは、もともと性格的に抑制が強すぎ、セックスの最中に自意識が強くなりすぎ、そこから自分を解放してあげることができないために、性的快感に没頭できなくなることが「オルガスム障害」や「性的興奮の障害」につながるのではなかろうか? とい
うので74名もの若い女性たちを集めて調査してみました。
そうすると、結果は予測通りでした。 冒頭の質問のような項目に「当てはまる」ことが多く、セックスの最中に自意識が強くなりすぎ、そっちの方に気がそれてしまう傾向がある女性は、オルガスムに達しにくく、そのかわりに「いったふり」をしがちであり、結局のところ彼との関係で性的満足を得にくい傾向がある・・・ということがものの見事に示されたのでした。
しかし、これはいったいどういうことなのか?(当たり前といえば、当たり前ではあるのですが・・・)
おそらく「オルガスム」という現象は大脳皮質が抑制系として働いているのでしょう。
不安や怒りなどの衝動は大脳皮質の前頭葉が抑える役割をしていることが知られています。
不安の中枢は「扁桃核 amygdala」に あると考えられているのですが、大脳皮質の前頭葉がこれを抑えることで非意識的な「不安を克服すること(消去)」も、意識的に「不安を我慢すること(抑 制・統制)」もしているわけです。 もう少し言うと、進化論的により新しい前頭前野の外側が、進化論的により古い前頭前野の内側~底側をに指令を出し、そ こが扁桃核を抑制しているわけです。
(もう少し詳細な話は、『「私」のなりたち』編の『意識的に不安を抑えること』を参照されてください。)
逆に言うと、大脳皮質の抑制・統制がとれてしまうと、人は不安が一気に爆発することになります。
怒りや攻撃衝動も、普段は大脳皮質の前頭葉が抑えている(抑制・統制している)わけですが、人が怒りを爆発させ暴力的になるときは、この部分が一気に活動性を下げてしまうことが知られています。
大脳皮質の前頭葉によって抑えられていた衝動が解放されるのです。
オルガスムに達すること、「いきたい」という衝動も、似たようなものではないかと類推できます。
本当かよ~? というわけで、Georgiadis先生たちは12名の健康な女性を集め、脳血流をPETスキャ ンという脳機能画像検査の機械を使って測定しながら、パートナーの男性にクリトリスを愛撫してもらい、そのままオルガスムに達してもらいました。 さて、 この時、脳の中では予測されたような変化が起こっているでしょうか?
予測通りでした。
オルガスムに達すると(オルガスムに達するまねをするだけの場合と違い)、前頭葉が広範囲に(prefrontal cortex PFCからorbitofrontal
cortex OFCに至るまで)活動性が低下していることが確認されたのでした。
(それと同時に、「報酬回路」を含む中脳の腹側部が活動性を上げており、「いい、気持ち良い」という反応がすっかり解放relaeseされたのであろう・・という感じになっていました。)
おそらく不安の抑制や暴力・衝動性の抑制と同じ事なのでしょう。
前頭葉のPFCがOFCに指令を出し、OFCが「オルガスムの中枢」(←今ひとつ、どこにあるのか不明)を抑制していたのが、「いく」時にはその抑制が一気に解放され、オルガスムが爆発することになるのでしょう。
PFCにはモラル意識や罪悪感を司る中枢や、自意識self consciousnessを司る中枢がありますから、セックスの最中に、あまりにモラル意識や罪悪感にとらわれたり、自意識にとらわれてしまうと、それ がOFCに伝わってしまい、結果として「オルガスムのの中枢」がいつまでたっても解放されないことになってしまうのでしょう。
前頭葉も、セックスの時くらい、そんなに頑張らずにいかせてあげればいいのにね。
参考書:
(1) Kelly MP. et al. Attitudinal and experiential correlates of anorgasmia. Archives of Sexual Behavior, 1990; 19: 165-177.
(2)Huey CJ, et al. Time factgors and orgasmic response. Archives of Sexual Behavior, 1981; 10: 111-118.
(3) Dove NL & Wiederman MW. Cognitive distraction and women's sexual functioning. Journal of Sex & Marital Therapy, 2000; 26: 67-78.
(4) Georgiadis JR et al. Regional cerebral blood flow changes associated with clitorally induced oragasm in healthy women. European Journal of Neuroscience, 2006; 24: 3305-3316.
いかせてあげて Let her be released…パートII
女性のオルガスム障害(「障害」というとちょっとオーバーですが、セックスにおいていきにくいということ)は、本人の/パートナーのセックスのテクニック的な問題ではなく、むしろ本人が性的なことに対して抑制が強く、なかなか自分を解放できないこと、セックスの最中においてさえ性的快感に没頭できないことが、その主な原因なのではないか? 特に性的な行為に対する罪悪感や自己嫌悪感がいけないのではないか? というところまでお話ししました。
実際、Birnbaum先生たちの調査でも、オルガスムに達しやすい女性に比較して、達しにくい(達することがない)女性は、性的な行為に対して罪悪感や嫌悪感やその他のネガティブな感情が強く、性的行為に没頭することに対して非常にアンビバレントな傾向があるであろうことが示唆されています。
では、「治療」をするにはどうすればいいか? というより、どうすれば、性的な行為に対するネガティブな感情やアンビバレントな気持ちが解消され、性的な快感により没頭でき、自分の気持ちを解放してあげられるようになるのか?
性的なことに対する罪悪感や嫌悪感が非常に根深いものであって、そうそう簡単に解消できないものである場合は、長期間の精神療法(カウンセリング)が必要かもしれません。
あるいは、一見すると女性のオルガスム障害のように見える問題が、実は潜在的な夫婦間葛藤の表れである場合は、夫婦療法・家族療法が適応かもしれません。
しかし、もう少し単純な問題である場合、マスターベーション訓練や短期間の認知行動療法がある程度の効果をあげるであろうことが示唆されています。
ところで、「マスターベーション訓練」とは何のことなのか?
要するに、マスターベーションを含めて性的な行為に対してどこか罪悪感や嫌悪感を感じてしまうタイプの女性が、段階的にマスターベーションをすることを練習していき、行動療法的に「慣れ」をつくり、アンビバレントな感情を解消していくことを意味します。
ところで、「マスターベーション masturbation」とは何か? 何か?というほどのこともなく、自分で自分の性器を愛撫して性的に興奮し、最終的にはオルガスムに達することです。
昔々は、マスターベーションはどこか罪なこと、イケナイこと、恥ずかしいこと、であるとされてきました。 しかし、実際にはサル、犬、ゾウ、イルカ、シカ、などいろいろなほ乳類が、たとえ性的なバートナー(配偶者)がいたとしても、非常にしばしばマスターベーションを行うことが知られていますし、人間を含む霊長類もご多分にもれず、です。 つまり、マスターベーションという行動様式は、おそらく遺伝子的に組み込まれている、実に自然な行為だということになるわけです。 事実、男性ではほぼ100%、女性でも85%もの人が、普通にマスターベーションをすることが知られています。
まずは、こうした性に関する基本的な知識から整理します。 大切なのは、女性本人だけではなく、パートナーの男性もこうした基本的な知識を理解し、女性がマスターベーションをするのは当然だという認識をしっかり持ってもらうことです。 (今どき、女性はマスターベーションしないと思っていたり、女性のマスターベーションに対して嫌悪感を持つ男性はほとんどいないでしょうが、もし男性がそのような態度でいると、治療がうまく進まなくなるからです。)
こうして、女性がマスターベーションに対して抱いてきたネガティブな態度を、まずは知識レベルで解消していきます。 この時点で誤解や認知の歪みがあるようなら、その点は修正していくことになります。
次に、実技です。 女性が段階的に自分でマスターベーションをすることを練習していくのです。
第1段階では、女性がこれまで自分の身体にいかに無関心であり、いかに無知であり、いかに自分の性的な部分が美しく素敵なものであるかを知らなかったことを前提に始まります。 すべては治療面接の中で行うのではなく、当然家に帰ってから自分で「宿題」としてやるのですが、女性は入浴後に自分の裸の身体をよく見てもらうことをします。 そしてそれが性的に美しく、素敵であることをちゃんと感じてもらいます。 次に、手鏡を使って自分の性器を眺めてもらい、その性的な美しさ、素敵さをちゃんと感じてもらいます。
第2段階では、引き続き手鏡を使って自分の性器を眺めながら、性器のいろいろな場所をさわってどんな感じがするかを感じてもらいます。 つまりこの段階までで、視覚的にも触覚的にも「性器」というものに慣れてもらい、その良さをちゃんと感じてもらうわけです。
第3段階で、引き続き自分の性器を視覚的・触覚的にあれこれ探索しながら、次第にどこを触ると性的に気持ち良いかということを感じてもらいます。 多くの女性がクリトリス周辺が気持ち良い部分であることに気づきます。
第4段階、第5段階では、第3段階で見つけた「気持ちの良い場所」を自分の指で刺激し、必要であれば潤滑剤を使ってより気持ち良くしたり、エロビデオを見たり、自分の好きな空想をしたりして、十分な時間をかけて(最大45分程度)マスターベーションをすることを練習します。
ほとんどの女性が、この段階までで、一人でマスターベーションしていれば、性的に十分興奮し、オルガスムに達することができるようになります。
ダメな場合は、第6段階でバイブレーターを使ってみることになりますが、多くの「治療」では「大人のおもちゃ」のバイブレーターではなく、むしろ普通の身体のマッサージ用のバイブレーターを使うことを推奨しています。
さて、第7段階です。ここでやっとパートナーの参加になります。一人でマスターベーションしオルガスムに達することができるようになったら、今度はパートナーの男性が見ている前でマスターベーションをします。 多くの女性は、パートナーにそんな姿を見せることに抵抗感があったり、パートナーが退屈するのではないかと不安になるものなのですが、多くの男性は逆に喜びます。 それに、男性にとっては、どこをどうするのが彼女にとって「性的に気持ち良い」のかを、じかに見て学ぶ良い機会になるのです。 場合によっては、パートナーの男性も、彼女の見ている前で一緒にマスターベーションをしても良いでしょう。
第8段階では、女性が自分でしていたのと同じようなしかたで、つまり彼女にとって一番気持ちの良い仕方で、男性パートナーが女性の性器をさわり、マスターベーションしてあげ、最終的にはオルガスムに導きます。
そして、第9段階で、男性パートナーがペニスを挿入しながら、女性の性器をさわって愛撫を続け、オルガスムに到達させてあげます。 (このペニスを膣に挿入しながら男性が女性のクリトリス周辺を愛撫したり、あるいは女性自身が自分でマスターベーションをすることは、Kaplan先生たちは「ブリッジ法」と呼んでいます。 ペニスが2人の間の架け橋bridgeになっているわけです。)
おわかりでしょうが、この「治療」において、最終的にペニスを膣に挿入するだけでクリトリス周辺への愛撫を一切しない、狭義のセックスのみによって、女性がオルガスムに達することを目標とはしていないのです。
これは実に現実的でしょう。 クリトリス周辺への愛撫なしに、単純な「挿入」によるセックスだけによってオルガスムに達することができる女性など、本当はすごく少数派なのですから。
こうした治療は、どういうわけか「生まれてこのかたずっとオルガスムに達したことがない primary anorgasmia」の人たちの方が、「以前はオルガスムに達することができていたのだけど、今のパートナーとの関係でいけなくなってしまった secondary anorgasmia」という人たちよりも、治療成績が良いことがわかっています。 つまり、「以前はオルガスムに達することができていたのに、今のパートナーとの関係では無理になってしまった」という場合、問題は女性の性機能にあるのではなく、パートナーとの関係性にあることが多く、こうした単純な行動療法・認知行動療法だけでは、ちょっと難しいのでしょう。
参考書:
(1) Meston CM, et al. Disorders of orgasm in women. Journal of Sexual Medicine, 2004; 1: 66-68.
(2) McCabe MP, et al. An evaluation of therapeutic programs for the treatment of secondary inorgasmia in women. Arch Sex Behav, 1992; 21: 69-89.
(3) LoPiccolo J, et al. The role of masturbation in the treatment of orgasminc dysfunction. Arch Sex Behav, 1972; 2: 163-171.
(4) Birnbaum GE. The meaning of heterosexual intercourse among women with female orgasmic disorder. Arch Sex Behav, 2003; 32: 61-71.
(5) Kaplan ES. "The Illustrated Manual of Sex Therapy" Brunner/Mazel
いかせないであげて パートI
「早漏 premature ejaculation, rapid ejaculation」という性機能「障害」を示す言葉があることを知っている人は多いでしょう。
すごく簡単に言うと、早漏とは、性交において男性があまりにも早くいきすぎてしまう(オルガスムに達してしまう)ことです。 逆に言うと、男性は「健常」であれば、オルガスムに達するタイミングをある程度はコントロールできるということでもあります。 これは以前に女性のオルガスム時の脳の活動を見る研究を紹介したところで、女性もオルガスムに達するのを「我慢すること」ができること、それは大脳皮質の前頭前野が抑制系として働いているようであること、を見てきましたが、それと同じであろうと考えられています。 つまり、オルガスムに達するのは、少なくともある程度は我慢ができることであり、ある程度は本人が望んだタイミングで「いく」ことができるのが「健常」であるとみなされているわけです。
試しに米国精神医学会の公式診断基準であるDSM-IVを見てみると、こんな感じに定義されています:『挿入前、挿入時、あるいは挿入直後に、本人が望む以前に、ごくわずかな刺激で射精が起こることが持続的または反復的に繰り返されること。』
つまり、「早漏」とは、男性本人にとって性交におけるオルガスム(射精)が、(1)あまりに早く達してしまうこと、(2)そのタイミングを本人があまりにもコントロールできないこと、(3)それが繰り返しいつもいつもであること、という意味合いです。
ところが・・・
「あまりに早く」というのは、どのくらい早いといけないという基準があるでしょうか?
700名以上の女性を対象にした大規模調査の結果から、女性が望ましいと感じる性交の時間(腟内に挿入してから果てるまでの時間=intravaginal ejaculation latency time:IELT)は、だいたい11分以上とされているのですが、実際に統計を取ってみると、男性の平均的な時間(IELT)は7分くらいです。
過去の研究者は「早漏」の時間的な定義として、「1分内を早漏と呼ぼう」とか、「2分以内だ」とか「5分以内だ」とか適当なカットオフをつくっていました。 あるいは「8こすり以内だ」とか「15こすり以内だ」というのもありました。 いずれにしても、あまりに恣意的な、明確な根拠に欠ける適当なカットオフなのです。 (このように恣意的ではあっても、わかりやすい「定義」をつくったほうが研究はやりやすいから、というだけの理由でした。)
しかし、例えば「5分以内だ」ということにすると、なんと3割以上の男性が「早漏」に該当してしまいます。(中には7割以上の男性が該当してしまうという報告もあります。)
そして、「射精するタイミングを、本人があまりにもコントロールできないこと」という基準はどうでしょうか? これまた明確な基準がありません。
射精のコントロールは、排尿のコントロールに似ています。 つまり泌尿生殖器領域で生じている「したい、出したい」という感覚は、放っておけばほぼ「反射」によって遂行されてしまいます。 これをより高位の中枢である大脳皮質、特に前頭前野が抑制しているわけです。 ただ、この「我慢」には当然限界があります。 排尿のコントロールにしても、どこまでも無限に「我慢」できるものではありません。 それと同様に、射精も無限に我慢できるものではないのです。 この「ある程度、本人が望ましいと感じるタイミングまで」というのが、どうにもいい加減な定義になってしまいます。
実際、男性に対して「自分を早漏だと思うか?」という質問をすると、なんと3割くらいの男性が「そう思う」と答えてしまうのです。 (研究によると7割などという異常な数字が出ているものもあります。)
これは「女性のオルガスム障害」と似ています。 つまり、これだけ多くの人たちが該当してしまうようなものを、本当に「障害」と呼んでいいのか? という疑問がそもそもあります。
そうした事情で、女性のオルガスム障害と同様に、男性の「早漏」という問題も、これを「障害」とみるべきかどうかは別にして、この問題によって本人が困っているときは、それは一応「治療」の対象になります。
「早漏」という問題は、男性はそれによってパートナーの女性がひどく不満やストレスを感じるのではないかと不安になることが多いのですが、多くの研究の結果が示唆しているのは、女性パートナーはそれほど気にしてはいないということです。 むしろ、当の本人の男性がすごく気にしていることがほとんどです。 性に関する満足感が減るだけでなく、自信・自尊心が傷つくほどに気にしてしまっていることも少なくありません。
しかし、上記のような事情から、そもそも本当にこれは「異常」であり「障害」なのだろうか? ということを考えなくてはならないでしょう。
例えば、手元に韓国のデータがあります。 Park先生たちが韓国人男性2000人以上を対象に調査した結果です。
これによると、性交を始めてから(腟内に挿入してから)射精するまでの時間(IELT)が5分以内の人は、やはり3割もいます。 男性は、時間が短ければ短いほど、「ちゃんと我慢できなかった」「早すぎてしまった」と悔しい思いをし、性交における満足感が少ない傾向があります。 しかし、「早すぎる」ための女性側の不満足感(ストレス感)はどうかというと、図のように、2~5分で一定に達しており、つまり5分くらいもあれば時間的には十分だということになります。 つまり、たぶん時間だけの問題じゃないのです。
とはいえ、「早漏」という問題が存在し、それを気にしてしまっている、困ってしまっている人がいるのは確かなので、この後数回にわけて、この問題をとりあげてみます。 この後の議論では、一応、「早漏」を、(1)挿入してから射精するまでの時間(IELT)が1~2分以内であること、かつ(2)本人が望むタイミングまであまりにもコントロールできないこと、かつ(3)いつもいつもそうであること、と定義して考えていくことにします。
参考書:
(1) Park HJ, et al. Prevalence of premature ejaculation in young and middle-aged men in Korea : a multicenter internet-based survey from the Korean Andrological Society. Asian Journal of Andorology, 2010; 12: 880-889.
(2) Grenier G & Byers ES. Rapid ejaculation : a review of conceptual, etiologicalm, and treatment issues. Archives of Sexual Behavior, 1995; 4: 447-472.
(3) Holstege G, et al. Brain Activation during human male ejaculation. The Journal of Neuroscience, 2003; 23: 9185-9193.
いかせないであげて パートII
一見すると「早漏 premature ejaculation」とは何の関係もない話のようですが、排尿 micturitionのメカニズムを見てみましょう。
腎臓で作られた尿は、尿管を通って膀胱にたまっていきます。 膀胱に尿がたまっていくにつれて、膀胱をつくる平滑筋が引っ張り伸ばされ、膀胱内の圧力はゆっくり高まっていきます。 平滑筋は引っ張り伸ばされると反射的に収縮する働きがありますから、ある程度圧力が増えて、ある程度引っ張り伸ばされると、膀胱の平滑筋は自動的に収縮します。 しかしある程度の時間収縮すると、収縮するのも疲れてしまってゆるんできます。 これが図において点線で示している圧力の一時的な増加です。 これは膀胱が尿で一杯になればなるほど、強まり、頻度も増えていきます。 しかし、私たちは排尿するのに適切な時と場所を選びますから、こうした膀胱の自動的な収縮は仙髄によって、そして仙髄はさらに上位にある脳によって、抑制・コントロールされています。 このコントロール機能は、ほとんど意識しないところでも十分に働いていて、このため私たち大人は、通常は夜中に眠っているときでも、適切な時と場所を選んでしか排尿しないようにできているわけです。
男性の射精 ejaculationも似たようなものだと考えられています。 性器への刺激がある程度持続して加えられていると、ほとんど自動的に(おそらく仙髄レベルで)射精が起こります。 しかし、この自動的な射精は、上位にある脳によってコントロールされてもいて、射精するタイミングをある程度は選べるようにできているのです。 (もっとも排尿のコントロールに「我慢の限界」があるように、射精のコントロールにも「我慢の限界」はあるだろうと、容易に想像がつくと思います。)
実は、以前から小児期の夜尿症 enuresisと成人してからの早漏が関係することが知られていました。
小児期の夜尿症とは、5才以上の子どもで夜の睡眠中に「おねしょ」を頻繁にしてしまうことです。
Gokce先生たちは子どもの頃に夜尿症の既往があった人約50人と、健常者約50人を集めて、セックスをはじめてから射精するまでの時間(Intravaginal ejaculation latency time=IELT)を測ってみました。 特に小児期の夜尿症が週1、2回を「軽度の夜尿症」、週3~5回を「中等度の夜尿症」、そして週6~7回つまりほとんど毎日のように「おねしょ」をしていた人たちのことを「重度の夜尿症」として定義しました。
すると、夜尿症の既往がない「健常者」の男性では、IELTの平均が427秒(約7分ちょっと)であったのに対して、「夜尿症の既往あり」の男性では196秒(約3分ちょっと)というように、大きな差がありました。 しかも夜尿症の重症度が重度なほど、IELTが短くなる傾向がありました。
つまり、排尿をコントロールするために使われる脳の部分と、射精をコントロールするためにつかわれる脳の部分が共通している可能性が高いのです。
では、早漏の人において、脳の働きはどうなっているのか?
過去には性器に刺激を与えて、脳の活動がどうなるかを調べる研究がいくつか行われました。 その結果、早漏の人は性器領域への刺激を受けやすく、大脳皮質で刺激が大きく広がりやすい様子が見られました。 これは当たり前と言えば当たり前で、普通に予測されることです。 学問的には面白くもなんともありません。
しかし、Ozcan先生たちは、脳の活動性を調べるにしても、非常に面白い実験を行いました。 「聴覚的オドボール課題」と呼ばれる実験です。 つまり、被験者には「ピー」という音が聞こえるヘッドホンをつけてもらいます。 ほとんど毎回「ピー」という音が聞こえてくるのですが、たまに(20%くらい)「ポー」という音になります。 こうした「いつもと違う」ものがあると、脳がそれを認識し、それが脳波上「P300」と呼ばれる電位変化(事象関連電位)として出てきます。
この「P300」という事象関連電位が、「健常者」と「早漏の人」で違うかどうかを見てみたのです。
性的な感覚とは何の関係もない課題です。 しかし、その結果は、「P300」の形が見事に違い、つまり脳の情報処理において「早漏の人」では何らかの問題があることが示唆されたのです。 あるいは何かの抑制系が悪いのか、そのために感覚のS/N比が悪くなってしまい何かの感覚が鈍くなっているのか、ということが示唆されるわけです。
つまり、性機能障害の1つである「早漏 premature ejaculation」というのは、表れ方こそ性機能障害ですが、実は大脳における感覚情報の処理の仕方の弱さ、抑制系の弱さが問題なのだろうか? ということになってきます。
「早漏」というと、感覚が、特に性的な感覚が過敏すぎるのではないか? と思われがちなのですが、実際には何かの感覚が鈍くなっているということなのでしょうか?
Michetti先生たちは、人が自分の感覚にどれだけちゃんと気づけているかどうかを評価する「アレキシサイミア指標」というスコアを使って、100人の「健常者」と100人の「早漏の人」を比べてみました。
すると、やはり、「健常者」に比較して「早漏の人」の方がアレキシサイミア指標が高い、つまり自分の感覚にちゃんと気づく能力が低いことが示唆されたのです。
これはいったい何を意味するのでしょう?
実は、早漏とは、射精したくなる感覚にちゃんと気づくことができず、このために射精を適切にコントロールすることが難しくなっているという問題ではないか? という仮説があるのです。
上記の幾つかの研究結果は、この仮説を支持するものになっています。
では、もしこの仮説が正しいとして、早漏を「治療」するにはどうしたらいいでしょう? 「射精したくなる感覚」にしっかり気づく能力を上げていくこと、そしてその上で射精をしっかりコントロールする(抑制する)練習をしていくこと、なのだろうと考えることができます。
この話題の続きをパートIIIで見ていきます。
参考書:
(1) Gorkce A & Halis F. Childhood enuresis is associated with shorter intravaginal ejaculatory latency time in healty men. The Journal of Urology, 2012, doi; 10.1016/j.juro.2012.12.012
(2) Michetti P, et al. Dysregulation of emotions and premature ejaculation (PE): alexithimia in 100 outpatients. J Sexc Med, 2007; 4: 1462-1467.
(3) Ozcan C, et al. Auditory event-related potentials in patients with premature ejaculation. Urology, 2001; 58: 1025-1029.
いかせないであげて パートIII
早漏 premature ejaculationとは何か? ということを調べていくと、どうやらそれは「射精したくなる感覚にちゃんと気づくことができず、このために射精を適切にコントロールすることがうまく学習できていない」状態ではないか? という仮説が立てられました。
では、その仮説にもとづいて早漏を「治療」していくことができるのではないでしょうか?
つまり、行動療法的に、何度も何度も繰り返し、自分自身の感覚に集中して「射精したくなる感覚」にちゃんと気づき、それをコントロールすることを練習していく方法です。
(一般の人の中には早漏の「治療」として、逆に別のことに感覚をそらして射精のタイミングを遅らせるという方法をすすめる人がいますが、この方法では効果も低く、何よりも性的な快感が減じてしまうという大きな副作用があるわけです。)
そのアイデアのもとに行われたのが、Kaplanらの提唱する「セックス・セラピー sex therapy」と呼ばれる行動療法を主体としたカップル療法でした。
行動療法においてはいつもそうですが、まずはこの問題の本質を本人にもパートナーにもしっかりと説明します。
これまでの研究で、「早漏」とは言っていても、挿入してから射精するまでの時間(IELT)が4分以上の人については、性についての認知の歪みやパートナーとの関係性の問題が大きくあることが示唆されていました。
例えば、下図を見てください。 これはWaldinger先生たちが世界5カ国で、約500組ものカップルを対象に、ストップウオッチを使ってIELTを正確に測ってもらった結果です。
図を見ていただければお分かりと思いますが、IELTにして4分以上あるということは、そんなに目くじら立てて「早漏」だと気にしなくてはいけないほどのものでもないのです。 それを気にしすぎるくらいの過剰で非現実的なコントロール欲求があることや、自分への理想・要求水準が高すぎること、「早漏」のためにパートナーが不満になっていると思い込み過ぎていること、の方が問題である可能性が高いのです。 事実、「早漏」はパートナーの女性よりも、男性本人の方が問題をより大げさにとらえていることが多いことで知られていますし、パートナーの女性が性的に不満になったり悲しくなるのは、男性が「早漏」だからではなく、彼が「早漏」を気にするあまりに性的に不満であったり卑屈になってしまうことの方であることが多いのです。 彼が性的に楽しめていないことで、彼女も悲しくなってしまうのです。 特に自称「早漏」でありながらIELTにして4分以上ある人については、こうした認知の歪み的な問題、パートナーとの関係性の問題をちゃんと考え、修正していくことの方が大切でしょう。
一方でIELTにして1~2分、場合によっては30秒以下という「本当の」早漏の人もいます。 この場合に『行動療法的に、何度も何度も繰り返し、自分自身の感覚に集中して「射精したくなる感覚」にちゃんと気づき、それをコントロールすることを練習していく方法』が役に立ちます。
これはよく「スタート・ストップ法 start-stop technique」と呼ばれるものです。 つまり、女性パートナーが男性本人の性器を刺激してあげ、男性が「射精したくなる感覚」に気づいた時に「あ、ストップ!」みたいなことを女性パートナーに告げます。 女性パートナーが刺激するのをやめてあげている間に、男性は射精したくなるのを我慢してコントロール下に置きます。 こうしたことを1回の練習あたり4セットくらい繰り返して、みっちり身体に覚え込ませることをしていくわけです。 女性パートナーが与える性的刺激は、段階的に刺激的なものにしていきます。 つまり、最初は普通に手で刺激するだけですが、そのうちローションやゼリー付きの手で刺激する(この方が膣の中に挿入している感覚に近く、より刺激的になると言われています)。 こうした練習を何回も繰り返していくうちに、手で刺激することに対してはかなり射精をコントロールすることができるようになっていきます。 その次には女性上位で腟内に挿入して(しかし、同じ発想で「スタート・ストップ」をして)・・・というように段階をあげていくわけです。 通常は3ヶ月くらい続けているうちに、5割~8割程度の改善率が見込めるようなのです。
しかし、よく考えてみると「早漏」=オルガスムに達することが早すぎる問題、というのも不思議な「障害」です。 女性の場合は、これは「問題」とは見なされません。 それに人間以外のサルはオルガスムに達するのがもっともっと早いですし、そこには進化論的な生存競争上の利点さえありそうです。 つまり、これは仮説にすぎないのですが、もともと人間の男性も「早漏」であることがデフォルトなであり、それを「学習」によって、そうでないように「しつけ」「調教」している、というのが本当に近いのかもしれません。
参考書:
(1) Kempeneers P, et al. Functional and psychological characteristics of Belgian men with premature ejaculation and their partners. Arch Sex Behav, 2013; 42: 51-66.
(2) Waldinger MD, et al. A Multinational Population Survey of Intravaginal Ejaculation Latency Time. J Sex Med 2005; 2: 492-497
(3) Kaplan HS, et al. Group treatment of premature ejaculation. Arch Sex Behav, 1974; 3: 443-452.
(4) Kaplan HS. "The Illustrated Manual of Sex Therapy" Brunner/Mazel
摂食障害へのイントロダクション
私たち人間の遠い先祖がアフリカのサバンナあたりで誕生した頃、原始人たちをとりまく環境は厳しいものだったでしょう。 食料は不足しがちですし、水はいつも十分にあるわけではない。 そんな中で、栄養はとれるうちにとっておき、ある程度は脂肪として備蓄しておくこと。 水と塩分はしっかり保持できるようにしておくこと。 この2つはすごく大切だったはずです。 現代に生きる私たちの身体にもその名残があり、私たちは基本的には高カロリーのもの(=炭水化物と脂肪)、塩分のあるもの(=しょっぱいもの)が、とにかく理屈抜きに好きなようにできています。
しかし、「とにかく理屈抜きに好きなようにできている」からといって、手に入れば入るだけとり続けてしまうかというと、そういうこともありません。 私たちの身体を一定に保つメカニズム(ホメオスタシス)が正常に働いていれば、栄養分も塩分/水分も必要以上に多くとりすぎてしまうことはないのです。
(これは、動物をみればお分かりだと思います。 野生動物と違って、飼われている動物は、それが家畜やペットであっても実験動物であっても、野生動物に比べてふんだんに、ほとんどいつも食べ物がある環境におかれている訳ですが、それでも健康な動物は際限なくブクブクに太ってしまうことはないわけです。)
それもそのはずで、私たちの身体には摂食行動をコントロールする中枢が視床下部あたりにあり、ここに消化器系からのホルモン、脂肪組織からのホルモン(レプチン)、などのカロリー調節に関連した情報が集約していき、栄養は必要なときに必要な分だけ、過不足なくとるようにうまいことコントロールされているからです。 その動物が心身ともに健康ならば・・・ですが。
(特に、太る/痩せるという長期的な栄養状態のコントロールに強く関係しているのは、脂肪組織から分泌されるレプチンleptinというホルモンであることが考えられています。 レプチンは脂肪組織から分泌されるので、身体が蓄えている脂肪組織が多ければ多いほど、レプチンがたくさんでてくることになります。 中枢神経・視床下部はこれによって自分の身体がどれだけの脂肪を蓄えているか、太っているか、痩せているかを知ることになり、これによって摂食行動が影響されることになるわけです。 つまり、エネルギー備蓄の程度=体型には、ある種の「復元力」があり、貯蔵エネルギーが過多になっているときは食欲がわきにくく、摂食行動も減り、カロリー消費行動が増えます。 逆に貯蔵エネルギーが少なくなっている時は食欲がわきやすく、摂食行動も増え、カロリー消費行動が減ります。 こうして太ってくると痩せるように傾き、痩せてくると太るように傾く「復元力」になっているわけです。)
そんなわけで動物たちは、食料が十分にあって、心身ともに健康ならば、脳が命ずるままに普通の摂食行動を普通にすることによって、普通のカロリー調節ができ、普通の体型が保たれるようになっています。 ところが、この「普通の摂食行動」ができなくなる心の問題があります。 これが「摂食障害 eating disorder」です。
摂食障害 eating disorderは、食べ物が豊かに溢れている先進国において、思春期以降の若い女性がかかることが多い「普通の摂食行動」ができなくなる問題ですが、これには大きく4タイプあります。
(1)拒食やせ症=神経性無食欲症・制限型 anorexia nervosa, restricting type
(2)嘔吐やせ症=神経性無食欲症・むちゃ食い/排泄型 anorexia nervosa, binge-eating/purging type
(3)過食嘔吐症=神経性大食症 bulimia nervosa
(4)食べ過ぎで肥満になる問題
このうち、「摂食障害」として特に問題になるのが(1)〜(3)ですので、ここでもこの3つを中心に「摂食障害」として考えていきます。
(摂食障害の正式名称は「神経性無食欲症」とか「神経性大食症」とかの方で、「拒食やせ症」や「嘔吐やせ症」「過食嘔吐症」は正式名称ではありません。 しかし、正式名称で「無食欲症」とありますが、実際には食欲がないわけではないという問題があること。 また「大食症」に至っては、この問題に併存する嘔吐などによる「打ち消し行動」が無視されていることで、ただの食べ過ぎの問題に見えてしまうという問題。 などのように、この名称のためにかえってこの疾患をイメージしにくくなってしまう問題があるために、以下では正式名称をとらず、「拒食やせ症」「嘔吐やせ症」「過食嘔吐症」などのように表現していくことにします。)
とはいえ、これら3つの心の病気は、明確に分けられた、全く別物の問題だというわけでもありません。 実際、1人の人の病気の経過の中で、これら3つの病状を行きつ戻りつすることも全然珍しくないのです。
典型的なパターンは、たいてい「拒食やせ症」から始まります。
多くの場合、女の子が思春期になって、身体が女性的に変化していくのと同時に、脳の発達にともなって「自意識」、つまり他者から見える自分を意識する頃に、体型のことでちょっとした嫌なことを言われたことがきっかけに始まります。
自分の体型を異常に意識するようになり、太っているのではないかと過剰に気にする、とらわれるようになり、強迫的で徹底的で過剰なダイエットを始めます。 特に炭水化物や脂肪などの高カロリーの食物を異常に恐怖し嫌い避けるようになります。体重のちょっとした変化を強迫的に確認しないと気が済まないようになってきます。
結果、当然のように体重は見る見る減ってゆき、誰が見ても不健康で異常なやせ方をしているのに、それでも本人は「まだ太っている」と思い込んでやみません。
体重が減りすぎるために、脳は緊急事態だと判断し、性機能が停止します。 つまり、女性の場合、月経が止まります。(生き物的には、体重が激減し、その個体の生命の危険さえある時に生殖などしている余裕はない、という判断なのです。)
半ばもともとの性格として、半ば飢餓状態による反応として、性格が悪くなります。 飢餓状態による当然の反応ですが、頭の中はいつも食べ物のことばかり考えていますし、いつもイライラしがちで、攻撃的で、他人に対する思いやりもなくし、すべての心の余裕をなくします。(頭の中はいつも食べ物のことばかり考えている、ということからお分かりのように、これは全然「無食欲症」ではないのです。)
半ば痩せるための過剰な運動の一環として、半ば飢餓状態による反応として、いつもせわしなく動いていないといられず、へとへとに疲労しながら、エネルギー切れで倒れそうになりながら、それでも運動を続けようとします。
病的な痩せがさらに進むと、手足は異常に細くなりながら、(慢性的な炭水化物不足のために、身体が脂肪エネルギー中心にエネルギー体制をシフトすることによって)肝臓には脂肪がたまって脂肪肝になります。 ちょうど、アフリカの干ばつ地帯の栄養失調の子供のように、お腹だけ出っぱった奇妙な身体つきになっていきます。
さらに進むと、・・・いずれ餓死することになるのです。 食べ物が豊富に溢れた先進国で、餓死するのです。
そのまま進行すれば・・・です。 しかし、少なからぬ人にとっては、例の「復元力」が強烈に働きます。急激にやせて体型が変化してしまうと、それをもとに戻そうとする力が強烈に働くことになります。 間違ったダイエットをしたことがある多くの人が経験している「リバウンド」の強烈なものが、体重減少が急激であればあるほど起こるのです。
これが「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」への入り口です。
つまり、過剰なダイエットから始まった「拒食やせ症」=神経性無食欲症・制限型 anorexia nervosa, restricting typeの人のうち、少なからぬ人たちは、短期間に激やせしてしまった身体を元の体型に戻そうとする「復元力」が猛烈に働くことに耐えきれず、ある時期からどか食いをするようになります。 しかし、「痩せ」に対する盲目的な価値観と、太ることに対する異常なまでの恐怖心は続いていますので、どか食いの後で猛烈に不安と自己嫌悪感にさいなまれるようになり、すぐに「打ち消し行動」として、さっき食べたものを吐くようになります。
強い痩せ願望と肥満恐怖が続き、体重コントロールに対する強迫的なこだわりがあり、実際に「激やせ」の状態が維持されていながら、習慣的に「食べ吐き
binge-purge」をしてしまう病態を「嘔吐やせ症」=神経性無食欲症・むちゃ食い/排泄型 anorexia nervosa, binge-eating/purging typeと呼びます。
(さらに、「打ち消し行動」の一環として、「吐く」という行動だけでなく、下剤を乱用する、利尿薬を乱用する、などの行動をとる人もいます。 実際には、ほとんどの下剤は大腸に働くため、大腸からの水分と電解質の再吸収を阻害してしまうだけで、小腸で行われる栄養吸収を阻害することはしませんから、カロリー制限にはちっともならないのです。 利尿薬も同様で、ただ腎臓から排泄される水と電解質を増やすだけなので、理屈的には何の役にも立ちません。 ただ、これまで激やせしていた人が、急に食べるようになると、水と電解質のバランスが崩れれ「むくみ」が生じることがすくなくありませんから、そういう人にとっては「やせる」のではなく「むくみがひく」ということは起こりえる話です。 しかし身体に必要な水と電解質を強制的に排泄しているので、多くの場合、カリウムなどの電解質が低くなったり、「ヒンケツ」=起立性低血圧を起こしやすくなったりして、内科的に問題になりがちです。)
習慣的な「食べ吐き」を続けているうちに、この行動そのものが「嗜癖 addiction」になってくることがあります。 それもそのはずで、むちゃ食いをすることによって(そのむちゃ食いの対象が、普段は自分に禁じている炭水化物や脂肪の多い、高カロリーな「お菓子」などである場合は特にそうなのですが)脳の中の報酬回路 reward pathwayが過剰に刺激され、意識しないところでも脳は「いい、気持ちいい」と感じますから、この行動が強化されることになります。 さらに食べたり吐いたりしている間は、そのことだけにとらわれているので、実生活の中の苦しいこと、悲しいこと、寂しいこと、イライラすること、不満なこと、など一切の嫌なことを考えないですみます。 ある種の恍惚感を伴う、一種の現実逃避の手段になってしまうのです。
(実際、このときに使われる脳の回路は、薬物依存やアルコール依存などの「依存症」のときに使われる回路とほとんど同じです。 つまり、過食嘔吐を伴わない「拒食やせ症」に比較して、過食嘔吐を伴う「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」は、過食嘔吐という病的嗜癖 addictionに対する依存症の側面を合併しているとも言えるのです。 実際、このタイプの症状を呈する人たちは、非常にしばしば、薬物依存症やアルコール依存症、買い物依存症、セックス依存症、その他の対人関係への依存などの衝動的な病的嗜癖行動を合併していることが少なくありません。 脳の同じ回路を使ってしまうので、そうなりがちなのも納得です。)
この状態で、「体重コントロールに対する強迫的なこだわり」が薄れてきて、もはや「激やせ」とは言えない状態になってくると(とはいえ、この段階でもほとんどの人は太ることへの異常なまでの不安は持っています)、この病態を「過食嘔吐症」=神経性大食症 bulimia nervosa」と呼ぶようになります。
・・・こうした話からお分かりのように、摂食障害の3つの病態「拒食やせ症」と「嘔吐やせ症」と「過食嘔吐症」の間には、完全な隔たりがあるわけではないのです。 むしろ、ある時期は「拒食やせ症」で、ある時期は「嘔吐やせ症」で、ある時期は体重が「正常化して」「過食嘔吐症」と呼ばれることになる・・・という方が多いのです。
頑固に拒食している「拒食やせ症」に比べて、時々は食べているように見える(でも、その後で吐いているわけですが)「嘔吐やせ症」や、体重的には激やせではない「過食嘔吐症」は、ぱっと見で「拒食やせ症」よりも問題の程度が軽いと考えられがちです。 あるいは、「拒食やせ症」から始まった女の子が、途中から「嘔吐やせ症」になってきたり「過食嘔吐症」になってきたりすると、「良くなってきた」と思われたりしがちです。 しかし、実際にはそうでもありません。 自殺、その他の不自然死、病死などによる死亡率は、「拒食やせ症」に負けず劣らず結構高いのです。
摂食障害の背景にある性格の問題〜強迫性と完璧主義
その人の、自分自身に対する、他人に対する、物事全般に対する、向き合い方の基本的な姿勢のようなものを、私たちは「性格」と呼びます。
不安に対してどのように向き合っているか、どのように対処しているか、という側面も「性格」を特徴づけている重要な一面です。
その中で、不確かさのある不安に対して、考えうるすべての悪い状況を想定して準備をして、頑張って努力して、完璧を期すことで安心感を得る・・・という性格的な構えのことを、一般的に「強迫性格 obsessive-compulsive personality」と呼びます。 典型的には、反芻思考 ruminative thinkingと呼ばれる、独特の思考スタイルを持っていることも知られています。 つまり、過去の嫌なことを思い出しては「こうすれば良かった、ああすれば良かった、ここがいけなかった、あそこがいけなかった」と「一人反省会」をしてしまう。 将来の不安なことを考えては「こんなことが起こるんじゃないか、あんなこともあるんじゃないか、その場合はこうしないと、ああしないと」と前もっていろいろな最悪の事態を考えて心の準備をしまくってしまう。 こうして完璧を期すことで、安心を得ようとしているのですが、実際にはやり過ぎてかえって不安になったり疲れたりしてしまう、という問題です。
(これに対して、「強迫性格」ではない人は、過去の嫌なことを思い出しても「ああ、あんな嫌なことがあったな。あれは嫌だったな。」で終わってしまい、これから起こるかもしれない嫌なことを考えても「こうなったら嫌だろうな。」で「ま、今はいいか。」で終わってしまうのです。)
摂食障害 eating disorder、それが拒食やせ症であっても、嘔吐やせ症であっても、過食嘔吐症であっても、この病気になる女の子には、どこかこの「強迫性格」があることが多いことは以前からわかっていました。
これはいったいなぜなのか? もともと強迫性格があるから、体型や体重をコントロールすることにも強迫的になりすぎてしまって、この病気になってしまうということなのか? あるいは摂食障害でいつも飢餓状態にある、あるいはいつも何らかの点で禁欲的になってしまっていることに対する反応として、性格が偏屈でかたくなになってしまうということなのか?
結論から言うと、因果関係の方向性は、どうやら前者が主なようです。 つまり、もともと生まれつき(大部分は遺伝的/体質的要因によって)強迫的な性格傾向があり、これが後に摂食障害になってしまう大きなリスク要因になってしまうらしい・・・ということです。
実際、摂食障害になってしまった若い女性の子どもの頃の行動パターンを振り返ってみると、健常者の若い女性の子どもの頃の行動パターンに比較して、明らかに「強迫的」と呼べるようなものが多いことがわかっています。 子どもの頃から、完璧主義な傾向があり、整理整頓/物品の配列や左右対称性に細かくこだわる傾向があり、自分への自分ルールによる規範意識が高く、思考が堅く柔軟性に欠け、自信のなさゆえに物事に慎重になりすぎる傾向があり、これを完璧にうまく達成できたことに対する自己満足感や高揚感に依存しがち・・・という性格傾向があることが多いのです。
この「性格的な強迫傾向」という特徴を、脳科学的・認知心理学的にいうと、「概念形成の悪さ/思考の柔軟性の乏しさ」と表現することもできます。 実際、ウィスコンシン・カード分類テスト Wisconsin Card Sorting Testのような概念形成の能力や思考の柔軟性の能力、つまり大脳皮質の前頭前野の遂行機能
executive functionを見るための心理検査を行うと、摂食障害の人は健常者に比較して、明らかにこの機能が悪いことも示されています。(全般的な知能は決して低くない、むしろ平均よりも高いことが多いのに、です。)
さらに、こうした強迫性格の傾向/思考の柔軟性の乏しさの傾向は、かなりの部分が遺伝子的/体質的な要因によって引き起こされているであろうことが、双子研究や病気になっていない姉妹を対象にした研究からも示唆されています。
つまり、ここからも、この性格傾向が摂食障害という慢性的に続く問題によって引き起こされた結果ではなく、むしろこの性格傾向が摂食障害という問題を引き起こした要因になっている部分が大きいことが示唆されるわけです。
つまり、おそらくはこういうことです。
もともと、思考が堅く柔軟性に乏しい、強迫的な性格傾向がベースにあります。 不安に対して完璧を期すことで安心を得ようとする傾向が強いですし、ひとたびそれで安心感や達成感が得られるとかたくなに、柔軟性なく、そのやり方にこだわり続ける傾向が強いわけです。
そこにもってきて、将来的に摂食障害になってしまう女の子は、自信がなく、プライドが傷つきやすいところもあります。 特に、自分が普通に愛され、気にかけてもらえ、大切にされる、ということにどうしても自信が持てないことがあります。
それが思春期頃になって「自意識」が芽生えてくるとよけいに顕著になってきます。 自信のなさを埋め合わせるために、よけいに「強迫」に頼るようになります。 何かを完璧にコントロールしきることで、ある種の自己満足と高揚感と、やや歪んだ自信を持てる気がするのです。 そのうちの強力な一つが体型と体重のコントロールによる達成感と自信です。 思春期頃の女の子は、だいたい痩せることに対して共通したわかりやすい価値観がありますから、痩せることで周囲に「なかなかできないのに!」「すごい!」と言われたり、うらやましがられたりします。 時には異性からの評価が格段に好転することさえあるでしょう。 さらに体重はいちいち数字で出ます。 これがさらに細部にこだわる強迫性格に火をつけて、100gでも下がること、順調に自分をコントロールできている自分に安心感と達成感を感じることになります。 こうして、体型/体重のコントロールによる高揚感に酔いしれている間に、気づくととんでもなく病的に痩せてしまっている・・・というわけです。
でも、本当にそうなのか? 本当に強迫的に完璧主義にとらわれることで食生活が禁欲的になり「痩せ」が進んでしまうものなのか?
オックスフォード大学のShafran先生たちが行った、興味深い実験があります。
実験では、決して「摂食障害」ではない、若くて健康な女性たちが40名ほど集められました。 そして、彼女らを2クラスにわけ、1つめのクラスでは、「自分に対して強迫的に厳しく、高い自己規範を持って行動する」ことをいちいち求められました。 与えられた課題は一所懸命にやって、すぐに返答することを求められました。 就業時間はきっちり時間を守り、休みはほとんどとりません。 駐車場に車を停めることさえ、縁石にきっちり平行に、完璧な駐車をすることを求められました。 これに対してもう1つのクラスでは、すべてがルーズでした。 急ぎじゃない課題は後回しにして良かったですし、早めに帰ってしまっても許されていました。
どんな違いが現れたか?
当然のように、ルーズなクラスに比べて、きっちりしたクラスでは、参加者の強迫性が増していました。 彼女らは何につけても完璧を求めるようになり、完璧さを達成することに強い安心感と達成感を感じるようになり、失敗(=完璧にできないこと)に対して過剰に自己嫌悪的になるのでした。
さらに、この強迫性は(特に指示されたわけでもない)食行動にまで及んでおり、きっちりしたクラスの参加者たちは、カロリーの高い食事を避け、食べ過ぎないように注意を払うようになり、食べ過ぎてしまったときにはより強い自己嫌悪に陥るようになっていたのです。
もともと強迫性格でもなく、摂食障害もない、健康な若い女性でさえ、ちょっと生活の中に強迫性を強めるだけでこうなってしまうのです。
まして、生まれつき強迫性格が強く、自己規範意識が強い子だったらどうなるか?
これこそ、「真面目な良い子」を襲う摂食障害という病気の恐ろしさなのでしょう。
参考書
(1) Anderluh MB, et al. Childhood obsessive-compulsive personality traits in adult women with eating disorders: defining a broader eating disorder phenotype. Am J Psychiatry 2003; 160:242–247
(2) Holiday J, et al. Is impaired set-shifting an endophenotype of anorexia nervosa? Am J Psychiatry 2005; 162:2269–2275
(3) Tchanturia K, et al. Poor cognitive flexibility in eating disorders: examining the evidence using the Wisconsin Card Sorting Task. PLoS ONE 7(1): e28331. doi:10.1371
(4) Wade TD, et al. Shared temperament risk factors for anorexia nervosa: a twin study. Psychosomatic Medicine 70:239–244 (2008)
(5) Shafran R, et al. The impact of manipulating personal standards on eating attitudes and behaviour. Behaviour Research and Therapy 44 (2006) 897–906
(6) Bulik CM, et al. The relation between eating disorders and components of perfectionism. Am J Psychiatry 2003; 160:366–368
(7) Rena SM, et al. The role of cognitive deficits in the development of eating disorders. Neuropsychology Review, Vol. 14, No. 2, June 2004: 99-113
摂食障害の人の死亡リスクの謎
1983年2月、33歳の誕生日を前に『Close to You』などのヒット曲で知られる米国の歌手カレン・カーペンター Karen Carpenterが拒食症と極度の痩せをベースに持つ急性心不全のために死亡・・・・というニュースが流れました。 このことで、摂食障害が死に至る病だということを多くの人が知るようになりました。
拒食やせ症 anorexia nervosa, restricting typeでも嘔吐やせ症 anorexia nervosa, binge-eating/purgint typeでも、極度の痩せ(るいそう)によって全身の状態が悪くなり、感染症などの病気にもかかりやすくなりますし、水分/電解質の異常を起こしやすくなります。 特に、嘔吐やせ症などでは身体からカリウムK+が失われるので、低カリウム血症を起こして不整脈から心臓突然死を起こすことも十分に起こりうることです。
実際に、多くの患者を長期間追跡調査してデータを集めて統計をとると、拒食やせ症/嘔吐やせ症などの摂食障害は、発病してから10年の間に5%くらいが死亡してしまう確率であることがわかってきました。 これは、比較的死亡率が高いとされる幾つもの精神疾患の中でもとりわけ高い方に入ります。
しかし、驚きなのは、その内容です。
まずは、その年齢です。 一般に「拒食症」は若い女の子の病気と見られています。 実際、ほとんどの場合が思春期頃に始まるのです。 ところが、思春期頃に始まる「拒食症」のうち、軽症な人は思春期のうちに治ってしまいます。 問題なのは、その後「大人」になっても続いてしまう重症な人で、すでにお話ししたように、多くが拒食やせ症↔嘔吐やせ症↔過食嘔吐症というように移行していきます。 死亡率が特に高かったのは、この病歴が長くなってしまう重症な人たちであり、死亡は中年期以降(35歳以降)が多かったのです。 つまり、摂食障害は、経過がかなり長くなってきても、ずーっと死のリスクがつきまとう病気だということになります。
次に、その死因です。 普通に考えると痩せがひどくなり、栄養失調や水/電解質バランスが崩れ、そこから急性心不全で死ぬのが多いのか?と思ってしまいます。 ところが、実際に統計をとると死因の半分くらいが「不自然死」(=自殺、他殺、事故死)であったのです。
いったいこれは本当なのか? 何が起こっているのか?
もうちょっと詳しくデータを見てみます。
米国のマサチューセッツ総合病院で行われた、200人以上の摂食障害患者(拒食やせ症、嘔吐やせ症、過食嘔吐症)の20年にもおよぶ追跡調査の結果では、同性、同年代、同条件の健常者に比較した死亡率は、拒食やせ症/嘔吐やせ症の女性で4.4倍、既往歴に一度も痩せの時期がなかった純粋な過食嘔吐症の女性で2.2倍でした。 そして、その死亡のほとんどが中年期に入って(35歳〜48歳)でした。 死亡のリスク要因として統計的に有為であったものは、疾患の経過が長いこと、アルコール乱用/依存を合併してしまうこと、低体重、そして社会適応の悪さ、でした。
別のもっと大規模な疫学的研究として、スエーデンの6000人以上の「摂食障害で少なくとも1回は入院治療をした女性」を対象にした長期(平均すると13年間)追跡調査があります。 この追跡期間に265人が死亡していることが確認され、その約半数が「不自然死」でした。 死因のトップが「自殺(84名)」であり、続いて「拒食によるもの(39名)」、「がん(29名)」・・・となっていました。
そして、やはり驚いたことに、先ほどの米国の結果と同じように、死亡は中年期が多く、平均死亡年齢は34歳だったのです。 この研究では、自殺による死亡の確率は健常者に比較して約13倍高いという計算結果でしたし、さらに驚きなのは他殺による死亡の確率も健常者に比較して約5倍も高いという計算結果だったのです。
(データでは、「薬物中毒死」という項目もありますが、これはかなり自殺に近いものと考えても良いでしょう。)
健常者に比較して身体の病気による死亡が多くなることは、痩せて不健康な身体の状態が長く続くことから、まあまあ予測できることです。
しかし、この不自然死の異常な多さは何でしょう?
しかも、他人に殺されて死亡する確率が健常者の5倍とは、いったいどういうことでしょう?
実を言うと、これまでの研究で、心を病んだ人(精神障害者)は、他人に殺されて死亡する確率が健常者よりも高いことがわかっていました。 つまり、不幸な心が不幸な対人関係を呼び寄せ、最終的に他人に殺されてしまうほどの不幸な環境を自分の周りにつくりあげてしまう・・・という問題がありそうなのです。
(これも、これまでの研究で、人に降りかかってくる「ストレス」「不幸な出来事」のうち、対人関係的なものは、ただの偶然で降り掛かってくるものではなく、その人の性格が引き寄せてしまっていることが少なからずあることが示されています。『第III部 「生まれ」と「育ち」』の『PTSDの遺伝性』、『「うつ病家系」のメカニズム』を参照ください。)
自殺の多さも、この「摂食障害」を持つ女性の心の病み、不幸な生き方を反映していそうです。 実際、摂食障害には、それが拒食やせ症であっても、嘔吐やせ症であっても、過食嘔吐症であっても、非常にしばしば重症な自傷行為や強い希死念慮ベースにした自殺企図が慢性的に伴われることがわかっています。 健常者の女性に比べて、彼女たちは慢性持続的な不幸さ、空虚感、抑うつ感、寂しさ、生きづらさの中で生きていることもわかっています。(これはつまり、摂食障害の人は大部分の人が何らかの「パーソナリティ障害」を合併しているということを意味します。)
興味深い話があります。 摂食障害ではない、一般人口の若い女性を対象にした、体型と精神的な不幸さの相関を調べた大規模な疫学的調査の結果があります。 太っているほど自己評価が低くなり、精神的に不幸になるはずですし、痩せているほど自己評価が高くなり、精神的に幸せになるはずだと思う人もいるかもしれません。 しかし、非常に興味深いことに、不幸さ曲線はほぼU字型になるのです。 ちょうどいい体型の人が、一番幸せであり、太ってしまっている人も、無理をして痩せている人も、精神的な不幸度がともに高くなってしまうのでした。
こうしてみると、「摂食障害 eating disorder」とは、ただの摂食行動の異常さの問題というだけではないことがはっきりと見えてきます。 生きづらさの問題、不幸な生き方の問題、自分が自分であることそのものの問題・・・つまり、何からのパーソナリティ障害 personality disorderを抱えていることの、表れ方の一つにすぎないのだろう、と思えてくるのです。
参考書:
(1) Franko DL, et al. A longitudinal investigation of mortality in anorexia nervosa and bulimia nervosa. Am J Psychiatry 2013; 170:917–925
(2) Papadopulos FC, et al. Excess mortality, causes of death and prognostic factors in
anorexia nervosa. British Journal of Psychiatry, 2009, 194:10-17.
(3) Crow SJ ,et al. Increased mortality in bulimia nervosa and other eating disorders. Am J Psychiatry 2009; 166:1342–1346
(4) Bulik CM, et al. Suicide attempts in anorexia nervosa. Psychosomatic Medicine 70:378–383 (2008)
(5) Linna MS, et al. Body mass index and subjective well-being in young adults: a twin population study. BMC Public Health 2013, 13:231
拒食やせ症と強迫的で過度な運動の関係
拒食やせ症=神経性無食欲症・制限型 anorexia nervosa, restricting typeの特徴の一つとして、痩せて体力もなくなってふらふらになっているのに、いつもそわそわと落ち着きなく、強迫的に運動を続けてしまうということがあります。
拒食やせ症の人が強迫的に運動をするのは、1つには、少なくとも初期の頃は、痩せるための手段の一つとしてだったでしょう。 しかし、多くの場合、拒食やせ症がすすんでくると、次第にこの「強迫的な運動」はどんどん強迫的/依存症的になり、どんどんやめられなくなっていきます。
いったい、なぜこんなことが起こるのか?
実は、動物がもともと持っている行動パターンに、その理由がありそうなのです。
というのも、動物は食べ物を捕まえて食べてお腹いっぱいになると満足してのんびりと休憩します。 しかし、お腹が減ってくると、イライラそわそわしてきて、運動量/活動性が増えて、食べ物を捕まえに出かけようとします。 そういう行動パターンがあった方が生存競争上は有利だっただろうことは当然のように見えます。 お腹が減っているのにのんびり何もしないような動物は、飢えて死に絶えていったでしょうから。
動物たちがお腹が減ると運動量/活動性が増える・・・というこの現象を、FAA=Food Anticipatory Activity(捕食予期行動とでも訳すのでしょうか)と言います。 生き残るために必要な行動パターンであって、ですから動物たちはこの行動を起すように強く動機づけされています。 つまり、お腹が減っているときに運動量が増えることは、脳の中の動機づけの仕組み=報酬回路を刺激して、そうすることが「快感」であり、そうできないことは「不快」だと感じるようにできているのです。
特に、食行動と栄養状態の調節に重要な役割を果たしているいくつかのホルモン(脂肪組織から分泌されるレプチン leptinや中枢神経系にある局所ホルモンのようなオレキシン orexinなど)が、「お腹が減った時に過活動になる」ことをさせていると見られています。 つまり、レプチンが少ないことで、オレキシンが多いことで、動物たちは覚醒レベルが上がり、イライラ/そわそわしがちになり、間欠的に過活動的になるのです。
さらに、お腹が減っている時に運動をすると、脳内麻薬様物質(オピオイド) opioidが出てきますから、この影響でも苦痛を忘れて「いい、気持ちいい」ということになり、この行動に依存症のようになっていきます。
実際、試しに実験動物のネズミに、摂食行動を無理に制限してみます。 1日に1時間しか食べ物を与えないようにすると、自由に食べられる場合に比べて、格段に運動量が上がってくるのです。 ネズミは飼育かごの中にある「回し車」をカラカラまわします。 お腹が減れば減るほど、痩せれば痩せるほど、この強迫的な運動は増えていき、最終的には死んでしまうのです。
死んでしまうまで強迫的な運動を続けるのも、脳の中の「報酬回路 reward pathway」を、「飢餓状態の時に強迫的に運動すること」そのものが刺激するからでしょう。
脳の中の「報酬回路 reward pathway」とは、中脳にある腹側被蓋野 ventral segmental area=VTAから側座核 nucleus accumbens=NAc、さらには大脳皮質に広範囲に投射するドーパミン系の神経系(これをA10神経系ともいいます)のことです。 ここが刺激されると、自覚的には「いい、気持ちいい」と感じ、同時にたとえそう感じていなくても、それに関連した行動が強化され、非意識的にも動機づけされていくのです。
つまり、飢餓状態の時に間欠的にそわそわして運動をすることは、意外にも脳はそれを「いい、気持ちいい」と感じ、ちょうど薬物依存症でそうなってしまうように、この行動にどんどん依存していくようになるのです。
さらに、薬物依存症において薬物がやめられなくなってしまうように、だんだんこの「過剰な運動」という依存行動がやめられなくなっていきます。 しないでいると、ちょうどヤクが切れたのと同じような反応として、なんだかイライラして、落ち着かず、嫌な気分になってくるのです。
おそらく、こうしたメカニズムで、やればやるほど余計に命を縮めてしまうことになるのに、哀れな「腹ぺこネズミ」はカラカラと回し車を回す運動をやめることができず、ついには死んでしまう・・・ということだったのです。
おわかりでしょうが、この話は「ひとごと」というか「ネズミごと」ではありません。 人間の女の子がよくかかる「拒食やせ症」でも、ほとんど同じメカニズムで強迫的な過活動、過剰な運動に、依存症のようにはまりこんでしまい、ついには死んでしまうことさえありうるからです。
幸いなことに・・・というかなんというか、1日に1時間しか食べ物が出てこない哀れな腹ぺこネズミの場合と違って、私たちの世界にはいつも食べ物があふれています。
拒食やせ症の女の子たちの、かなりの割合の人たちが、途中で飢餓状態に耐えきれなくなり、強烈な「復元力」が働いてくるのに抗しきれなくなり、わーっと食べ物を食べてしまうことになります。
この時も、脳内では異常なことが起こります。
さんざん飢餓状態が続いたところに、これまではずっと過剰に我慢してきた、甘いものや高カロリーなものをわーっと食べると、脳内の報酬回路が異常に刺激されることになります。 ドーパミンがドバーっと出て、たとえ意識的に「いい、気持ちいい」と感じなかったとしても、その行動が強化され、嗜癖化していくことになります。 飢餓状態→わーっと過食→後悔してまた飢餓状態→わーっと過食→また後悔して飢餓状態・・・ということを繰り返してくと、ちょうど薬物依存症の人が何度も薬物を使っているうちにどんどん依存が進んでしまうように、どんどんこの行動に依存するようになっていきます。
(実際、1日1回、砂糖水を「わーっと過食」することを許しながら、しかし無理なダイエットをさせて痩せさせたネズミは、3週間もすると、砂糖水を過食するときに、とんでもない量のドーパミンが脳の中の報酬回路から出てくることが実験で示されています。 もう、この状態はほとんど「依存症 addiction」とかわらないのです。)
これが「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」という、また別の行動依存症への入り口なのです。
参考書:
(1) Scheurink AJ, et al. Neurobiology of hyperactivity and reward: agreeable restlessness in anorexia nervosa. Physiology & Behavior 100 (2010) 490–495
(2) Avena NM, et al. Dysregulation of brain reward systems in eating disorders: neurochemical information from animal models of binge eating, bulimia nervosa, and anorexia nervosa. Neuropharmacology. 2012 July ; 63(1): 87–96.
食行動依存症の恐怖
拒食やせ症 anorexia nervisa, restricting typeで長期間飢餓状態が続き痩せてしまった人、そこまでいかなくても無理なダイエットで長期間食べたいものを我慢し続けてきた人は、どこかで身体をもとの体型に戻そうとする「復元力」に耐えきれなくなり、ひとたび食べ始めると堰を切ったように「むちゃ食い binge-eating」になってしまうこと。 このときに脳の中の「報酬回路 reward pathway」(=中脳の腹側被蓋野VTAあたりから側座核NAcへ投射するドーパミン系ニューロンの回路)が異常なほどに過活動になり、この「むちゃ食い」という行動が強化され、繰り返せば繰り返すほど、薬物依存症と同じような依存症になっていく・・・というところまでお話ししました。
ところで、私たち動物は、もともと「食べる」という行動に対して(過剰にではないですが)「報酬回路」が働くようにはできています。
というよりも、もともと「報酬回路 reward pathway」は、私たち動物が生き延び、繁栄していくのに都合の良い行動を動機づけるためにあるようなものです。 ですから、「食べること」、「運動すること」、「交尾をすること(セックスすること)」に対して、「報酬回路」は働いてドーパミンや脳内麻薬様物質(オピオイド)がどばーっと出ることによって、自覚的には「いい、気持ちいい」と感じ、そういう自覚があってもなくてもそれに関連した行動が強化されること=その行動を増やすように動機づけされることになります。 (繰り返しになりますが、ここでいう「動機づけ」は神経回路的、行動的なものであって、必ずしも自覚的な「動機づけ」を必要としないものですし、必ずしも自覚的に「いい、気持ちいい」と感じる必要もないのです。)
「食べる」という行動に関しても、それが「むちゃ食い」の形をとっていない、普通の食行動でも、多かれ少なかれ「報酬回路」は働きます。
特に、私たちの遠い祖先が誕生した頃は、食べ物がいつもふんだんにある環境ではなく、いつ食料不足になるかわからない状況だったでしょうから、食べられるうちに食べておく、そしてある程度蓄えをしておく、ということはとても大切でしたし、そのための行動が「動機づけ」される必要はあったのです。
このため、私たちの身体は、もともと、糖分や脂肪分など高カロリーのものを食べると報酬回路が働くようにできているのです。
そうなってくると、「食べる」という行動は2つの動機づけによって突き動かされることになります。 1つは純粋にエネルギー・バランス的に栄養を必要としており、純粋にお腹が減って「食べる」という行動を起こす場合。 もう1つは、エネルギー・バランス的には別に栄養を必要としている状態にないのに、ただ報酬回路を刺激して「快感」を得たいがために「食べる」という行動を起こす場合。
つまり、「食欲」には、「本当にお腹が減っていることの反映としての食欲=ホメオスタシス的食欲 homeostatic hunger」と、「快楽を得たいための食欲=快楽的食欲 hedonic hunger」、の2種類があるのです。
とはいえ、私たち動物は、通常の状態であったら、「快楽を得たいための食欲」の欲望に溺れてしまことはありません。 普通の食事を、普通にするときに「報酬回路」で放出されるドーパミンや脳内麻薬様物質(オピオイド)の量はたかが知れているというか、過剰ではないからです。
ところが、実験動物(ネズミ)において、これを過剰にさせ、ネズミたちを食欲の快楽に溺れる駄目ネズミにする方法があります。 その方法とは、驚くほど簡単で、(1)快楽を感じる食べ物を一定期間我慢させること、と(2)快楽を感じる食べ物の「むちゃ食い」を一定時間許してあげること、を何度も繰り返すだけです。
つまり、ネズミたちに、普段はあまりおいしくない、普通のえさを与えておきます。 このときに、えさを少なめにして少々痩せ気味にするともっと効果的なのですが、そこまでしなくても、ただ「快楽を得られるようなおいしい食べ物」を普段は我慢させておくだけで十分です。
そのうえで、時々、しかし繰り返し繰り返し、「快楽を得られるようなおいしい食べ物」、ネズミの場合は砂糖入りの脂や甘いクッキーやチョコレートを与えます。
普段は我慢させたうえでの、こうした高カロリーのお菓子は、脳の中の報酬回路を強烈に刺激し、ドーパミンや脳内麻薬様物質をどばーっと放出させることをします。 つまり、麻薬や覚醒剤などの依存性薬物を投与したときと同じような脳の回路が働くのです。
こうしたことが数週間も続けられると、ネズミたちは、間欠的に高カロリーのお菓子が出てくる短い時間の間に、猛烈に過剰に「快楽を得るための食べ方」=むちゃ食い binge -eatingをするようになります。
この「間欠的に」かつ「過剰に」が問題です。 これによって、脳内の報酬回路が異常に活動することになり、あっという間に「依存症 addiction」の状態が脳内に形成されてしまうからです。
おわかりでしょうが、この「間欠的に intermittent」かつ「過剰に excessive」という病的な食行動は、病的なダイエットをする人たち、摂食障害の「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」などの人たちが陥っている食行動パターンとそっくりです。
彼女たちは、典型的に、普段は高カロリーで甘くて脂肪分の多い食べ物は極力さけ、「快楽を得るための食べ方」は無理に我慢しています。 しかし時々、これまでずっと我慢してきた高カロリーで甘くて脂肪分の多い食べ物(お菓子、ケーキ、チョコレート、などなど)を短時間にむちゃ食いするのを繰り返すのです。 朝から午前中には絶食をしていながら、夜に大量に食べてしまうのもよくあるパターンです。
こうした「間欠的」で「過剰」な「快楽を得るための食べ方」を繰り返すことで、ちょうどネズミの実験の場合と同じように、報酬回路が異常に活動することになり、脳が薬物依存症と同じようなことになり、どんどんこの病的な食行動への依存症(=フード・アディクション food addiction)がすすんでいくことになるのです。
参考書:
(1) Corwin RL. Bingeing rats: a model of intermittent excessive behavior? Appetite. 2006 January ; 46(1): 11–15.
(2) Bello NT & Hajnal A. Dopamine and binge eating behaviors. Pharmacol Biochem Behav. 2010 November ; 97(1): 25–33
(3) Avena NM & Bocarsly ME. Dysregulation of brain reward systems in eating disorders: neurochemical information from animal models of binge eating, bulimia nervosa, and anorexia nervosa. Neuropharmacology. 2012 July ; 63(1): 87–96.
(4) Bello NT, et al. Opioidergic consequences of dietary-induced binge eating. Physiol Behav. 2011 July 25; 104(1): 98–104
(5) Gosnell BA & Levine AS. Reward systems and food intake: role of opioids. International Journal of Obesity (2009) 33, S54–S58
(6) Davis C. From passive overeating to ‘‘Food Addiction’’: a spectrum of compulsion and severity. ISRN Obesity, Volume 2013, Article ID 435027
振り返ってみると、ことの発端は人類が食べ物を加工するという習性を身につけたところからでした。 この習性のおかげで、人類は他の動物に比べて、食べ物を見つけて食べるという行動に費やす時間を激減でき、その分だけ別の行動の比率を増やすことができ、その結果としてたぐいまれな進化と繁栄を手に入れたのでしょう。
しかし、その副産物として、人類は自然界には存在し得ないような、それゆえ人類が何億年もかけてこしらえてきた遺伝子が想定外で対応不能なほどの異常な快楽を与える旨い食べ物をつくりあげてもしまったのです。 この発明は、人類に多大な幸せを与えたでしょうが、同時に・・・
自然界にはもともと存在しなかったような、異常な甘さとたっぷりの脂肪分を同時にふくんだ「快楽を与える食べ物」には、麻薬や覚醒剤のように、動物の「報酬回路」を過剰に刺激して、一瞬の快楽と安心感を与えてくれるところがあります。 まさにこの性質のために、人の心が弱っているときには、特につけいられやすいのです。
私たちが、動物が、どういう時につけいられやすいのか? ここに遺伝子的/体質的な要因があることは、すでにお話ししました。 今回は環境要因に目を向けてみます。
簡単に結論からいうと、生まれ育ちが不幸なために心の弱さを抱えて大きくなった子が、その後いろいろなストレスを受けて慢性的な「不安」や「うつ」を生じると、この一瞬の快楽と安心感を与えてくれる依存症にはまりやすくなるということ。 しかしこの依存症は短期的には一瞬の快楽と安心感を与えてくれるものの、長期的にはより不幸で寂しいことになっていくということ・・・があります。 この点でも、病的な食行動への依存症は、アルコール依存症や麻薬・覚醒剤などの薬物依存症と似ているのです。
実験動物の子ネズミを、生まれてすぐに1日3時間、母親ネズミから引き離すことをします(maternal separation)。 母親ネズミは、子ネズミが数分間という短時間だけ引き離されると、戻ってきた子ネズミをいつも以上にかわいがってあげることをします。 しかし、数時間以上引き離されると、しょせんはネズ公の情の薄さなのでしょうが、母親ネズミの子ネズミへの関心は一気に薄れてしまい、なかばネグレクト(養育放棄)のような状態になってしまいます。 こうした養育環境の操作を生後3週間続けられた子ネズミは、大きくなってからストレスに弱く、「うつ」や「不安」になりやすかったり、ストレスから身体を壊しやすかったりすることが、これまでの研究でわかっていました。
実際、Jahng先生たちの研究で使われた、「人工的なネグレクト」で育った子ネズミたちは、大人ネズミになってから、脳内の海馬などでのセロトニン系の機能が弱く、「うつ」や「不安」などの症状を示しやすくなっていました。
さらに、この「不幸な幼少期」を過ごしたネズミたちは、普通に幸せに育ったネズミたちに比べて太っている傾向がありました。 この肥満傾向は、ネズミを1匹だけにして寂しくさせる操作をすることで、なおさら強まるのでした。 つまり、孤独ストレスによって、食べる量が増してしまい、太ってしまうのです。
いくつもの実験結果から、この「不幸な幼少期」を過ごしたネズミたちは、大人になってから心の弱さを生じてしまい、何らかの心理的ストレスに対して「うつ」や「不安」になりやすく、そうなったときに「食べること」、特に「快楽を与えてくれる食べ物をむちゃ食いすること」でネガティブな気持ちを一瞬だけ和らげる・・・という方法に頼ってしまうようだ、ということがわかってきたのです。
一瞬だけでもネガティブな気持ちを和らげてくれる、つかの間でも幸せな感じになれるのなら、良いじゃないかと思われるかもしれません。 しかし、「報酬回路」を過剰に刺激することで得られている、こうした「不正な」幸せ感には大きな副作用があるのです。
つまり、報酬回路を不正に、過剰に、刺激し続けることで、次第にその働きが鈍ってきます。 ドーパミン系もオピオイド系も働きが鈍化してくる(down-regulationされる)のです。 当然、「快感」「幸せ感」を感じるハードルが上がっていき、日常生活の中にあるささやかな幸せを感じることも難しくなり、日常生活の中で感じるちょっとした(健康的な)欲望・希望を持っていくことも難しくなってきます。 その結果として、日常生活がどんどんつまらなく、楽しみも幸せもない感じになっていくのです。
(図は、普通の食生活をしたネズミと比較して、過食を続けたネズミの、脳の報酬回路の閾値を測定した結果です。
グラフのように、過食を続けたネズミはどんどん報酬回路の閾値が上がっていく=どんどん「ささやかな幸せ」を感じることができなくなっていく、ということが示されています。)
日常生活の中に、ささやかな幸せを感じることができず、いつも空虚感や寂しさにさいなまれているために、なおさら「快楽を与えてくれる食べ物をむちゃ食いすること」に依存していくようになります。 依存性薬物のように、しないでいると次第にイライラや抑うつ感が強まるという「離脱症状」まで生じてきます。 さらに、依存性薬物のように、どんどん「耐性」がついてきてしまい、依存はどんどん進行してしまうのです。 ここから先は、進行性の悪循環です。 アルコール依存症や薬物依存症が、一度ハマるとなかなか抜け出せなくなるように、病的な食行動依存症も、一度ハマるとなかなか抜け出せなくなります。 アルコール依存症や薬物依存症は、いったん止められたように見えてもすぐに再発してしまうように、病的な食行動依存症も非常に再発率が高いのです。 すべて報酬回路を不正に過剰に刺激し続けてきたことのツケなのです。
結果として、次第に進行性に「快楽を与えてくれる食べ物をむちゃ食いすること」の快楽に溺れること以外になにもない人生になっていきます。 アルコール依存症や薬物依存症の人たちが、いつもお酒やクスリのことしか考えられないようになってしまうように、病的な食行動依存症の人たちは、いつも食べ物のことや体重/体型のことしか考えられないようになってしまいます。
人生の中にある、私たち普通の人の普通の生活を支えている、ささやかな幸せ、ほんのちょっとした価値のあること、大切だったはずのこと、これらすべてが意味を失っていってしまうのです。
アルコール依存症や薬物依存症が、そのまま進行すると「廃人」「ダメ人間」になる、とよく言われるのはまさにこの点です。 そして、同じ依存症の一種である病的な食行動依存症も、多かれ少なかれ、同じ問題を抱えているのです。
参考書:
(1) Jahng JW. An animal model of eating disorders associated with stressful experience in early life. Horm Behav. 2011 Feb;59(2):213-20
(2) Davis C. From passive overeating to ‘‘Food Addiction’’: a spectrum of compulsion and severity. ISRN Obesity, Volume 2013, Article ID 435027
(3) Johnson PM & Kenny PJ. Addiction-like reward dysfunction and compulsive eating in obese rats: Role for dopamine D2 receptors. Nat Neurosci. 2010 May ; 13(5): 635–641
実験動物・ネズミの話ばかりしてきました。
幼少期〜小児期に「人工的ネグレクト」を受けて不幸な育ち方をした子ネズミは、大きくなってから「報酬と動機付けの回路」の働きが悪く、もともとささやかな幸せや希望を感じにくく、「うつ」や「不安」になりやすく、寂しさのストレスから過食になったりすること。
拒食/過食を繰り返していたり、そこまでではなくても「快楽を与える食べ物」を我慢して遠ざける時期とむちゃ食いする時期を繰り返すことで、どんどん食行動依存症 food addictionが進み、これは長期的にはアルコール依存症や薬物依存症と同じようなメカニズムで「報酬と動機付けの回路」の働きを悪くし、なおさら日常生活の中にあるささやかな幸せや希望を感じにくくなり、「廃人」になっていくこと。
・・・でも、これらの話はしょせん脳の小さな、実験動物である、ネズミの話でした。 はるかに大きな脳を持ち、はるかに複雑な心を持つ人間様で同じようなことがあると言えるのでしょうか?
まずは1つ目の問題、人間の場合でも、幼少期〜小児期に不幸な育ち方をした子は、その後大きくなってから「報酬回路」の働きが悪く、ささやかな幸せや希望を感じにくく、「うつ」や「不安」になりやすくなってしまうものなのか?
結論から言うと、遺伝子的な脆弱性を前提に、それはありうる、と言えそうなのです。
(ここで「遺伝子的な脆弱性を前提に」という条件をつけたのには訳があります。 今回は示していないほかの幾つもの研究から、幼少期〜小児期に不幸な生育をした人が、大人になってからアルコール依存症やパーソナリティ障害になってしまうことには、遺伝子的な要因と生育環境要因の両方が揃うことが必要なことが示唆されているからです。 つまり、遺伝子的・体質的に脆弱性のない人は、少々不幸な生育環境であっても大丈夫なのですが、遺伝子的・体質的にそうなりやすい人は、不幸な生育環境のもとで育つと、確かにアルコール依存症やパーソナリティ障害になりやすくなるのだろう・・・と見られているのです。 詳しくは『第III部 「生まれ」と「育ち」』の「アル中になった猿の話」を参照ください。)
例えば、米国ハーバード大のDillon先生たちは、幼少期〜小児期に虐待を受けるなどの不幸な育ち方をして大きくなった思春期の子たちを集め、認知機能課題を行わせながら、脳の働きをfMRIという脳機能画像検査装置を使って見てみました。
ゲームのような雰囲気の認知機能課題では、被験者のアクションによって、ちょっとした「報酬」と「損失」を体験することになります。 健常者であれば、「報酬」を体験すると、当然のように脳の中の「報酬と動機付けの回路(=左側の腹側線条体付近;被殻と淡蒼球)」が働き、そのちょっとした「報酬」が得られることにささやかな喜びを感じ、「報酬」を得ようと動機付けされていきます。
ところが、幼少期〜小児期に虐待などの不幸な体験をしてきた人は、同じ課題を行っても「報酬」を得られた時の脳の中の「報酬と動機付けの回路」の活性化がひどく落ちていたのです。 実際、健常者に比べて、虐待歴のある人は、同じ課題をやっても冷めた反応で、「報酬」に対してそれほど喜ぶこともなく、それに向かう動機付けも弱いものでした。
問題なのは、このささやかな「報酬」に対する反応の悪さが、実験室の中だけで起こっていることではないだろう、ということなのです。 つまり、日常生活の中にちりばめられている、ちょっとした「いいこと」に対してあまり喜びを感じることもできなければ、ささやかな希望や欲望を持つことも難しいのだろうと予測されるのです。 普通の人の普通の生活を支えている「ささやかな幸せ」や「ささやかな希望/欲望」をあまり感じることができないことで、人生そのものがつまらなくなる傾向がありそうなのです。
実際、人間の場合も、小児期に虐待歴のある人は、大人になってから「うつ」や「不安」などの症状を生じることが多いこともわかっているのですが、その原因の少なくとも1つは、この「報酬と動機付けの回路」の働きの悪さによるのでしょう。
では、摂食障害(拒食やせ症、嘔吐やせ症、過食嘔吐症)の人の「報酬と動機付け回路」はどうなっているか?
ドイツのハイデルベルグ大学のZastrow先生たちは、摂食障害(拒食やせ症、嘔吐やせ症)の人たちを集めて、認知機能課題をやってもらい、その間の脳の働きをfMRIで見てみました。
その結果、やはり健常者であれば活性化するはずの脳の中の「報酬と動機付けの回路」の働きが弱っていることが示されています。
さらに、米国のピッツバーグ大学のWagner先生たちは、体重的には回復した「元」摂食障害(拒食やせ症)の人たちを集めて、また別の認知機能課題を行ってもらいながら、脳の中の「報酬と動機付けの回路」の働きを測定してみました。 健常者であれば、脳の中の「報酬と動機付けの回路」は、認知機能課題(ゲームのようなもの)での「報酬」と「損失」に対して全然違ったパターンの反応をするはずなのが、「元」患者たちの「報酬と動機付けの回路」は目立ったパターン上の違いを示さず、この回路がうまく機能していないことを示していました。
ここから何が言えるか?
その原因がどこにあるのかはわかりません。 もともと遺伝子的/体質的に「報酬と動機付けの回路」が弱く、さらに不幸な幼少期〜小児期を過ごしてきた関係でなおさら弱ってしまい、普通に「ささやかな幸せ」や「ささやかな希望/欲望」を感じることが難しくなっているのかもしれません。
あるいは、摂食障害という依存症を長いことやってきたせいで、脳の中の「報酬と動機付けの回路」が弱ってしまい、「ささやかな幸せ」や「ささやかな希望/欲望」に対して、不感症になってしまったのかもしれません。
あるいは、その両方が合わさっているのかもしれません。(もちろん、ネズミの実験から示唆されるのは、この「両方が合わさっている」可能性です。)
いずれにしろ、摂食障害の人は、体重的には「回復した」人であっても、「報酬と動機付けの回路」が弱ってしまっていて、健康的な人だったら感じることのできる「ささやかな幸せ」や「ささやかな希望/欲望」を感じることが難しくなっている、ということはありそうなのです。 その結果として、普通の人生がつまらなくなってしまい、ますます依存症的な食行動にのめりこんでしまったり、ますます強迫的な生き方をしてしまったりして、結果としてますます問題をこじらせてしまう・・・ということになっているのでしょう。
そして、摂食障害の人に自殺や自暴自棄な行動が多いことも、もしかすると、こうした「ささやかな幸せ」や「ささやかな希望/欲望」の見いだせなさから、人生そのものがつまらなく、空虚で、意味のないものになってしまうからかもしれません。 私たち、普通の人の普通の人生において、そうそうすごく素敵なことなどありはしないのです。 私たちの人生を意味あるもの、生きるに値するものにしているのは、実に地味な「ささやかな幸せ」や「ささやかな希望/欲望」の積み重ねなのですから。
参考書:
(1) Dillon DG, et al. Childhood adversity is associated with left basal ganglia dysfunction during reward anticipation in adulthood. Biol Psychiatry. 2009 August 1; 66(3): 206–213
(2) Wagner A, et al. Altered reward processing in women recovered from anorexia nervosa. Am J Psychiatry 2007; 164:1842–1849
(3) Zastrow A, et al. Neural correlates of impaired cognitive-behavioral flexibility in anorexia nervosa. Am J Psychiatry 2009; 166:608–616
(4) Bohon C & Stice E. Reward abnormalities among women with full and subthreshold bulimia nervosa: a functional magnetic resonance imaging study. Int J Eat Disord. 2011 November ; 44(7): 585–595
食べ物の誘惑と自制心の問題
摂食障害 eating disorderのうち、いわゆる拒食やせ症 anorexia nervosa, restricting type、嘔吐やせ症 anorexia nervosa, binge-eating/purging type、そして過食嘔吐症 bulimia nervosaの間にはある種の連続性があり、少なからぬ人が時期によっていずれかの状態を行ったり来たりします。
ほとんどの人が拒食やせ症から始まりますが、ずーっと拒食やせ症でいる人はそう多くなく、かなりの割合の人たちが、猛烈に襲ってくる「復元力」に勝てず、食べ物の誘惑に勝てず、やがてわーっと食べてしまい、それを打ち消すように吐き戻してしまう嘔吐やせ症や過食嘔吐症に移行していき、ますます脳の機能(特に「報酬と動機づけの回路」)がおかしくなってしまう・・・ということをお話ししました。
でも、なぜ一部の人は過食行動 binge-eatingを伴うようになってしまうのでしょう? なぜ我慢し続けることが難しいのでしょう?
理由の1つは、当たり前の話ですが、私たちの身体を支配するホメオスタシスの力によって、元の体型/元の栄養状態に戻そうとする強烈な「復元力」が働くからです。
これに対抗するには強力な意思の力が必要です。 「強迫的」と言っていいほどの頑固な我慢強さです。 もともと摂食障害になる人は、強迫性格がベースにあることがほとんどなので、たいてい強迫的といっていいほどの頑固さ(柔軟性の乏しさ)があります。 しかし、少なからぬ人に、衝動コントロールの悪さの問題が合併しています。
もともと、私たちの心の内側からわき起こってくる、不安や欲望、それによる衝動的な行動といったものは、脳の中でも進化的により古くより動物的な基底核〜辺縁系の働きです。 これを理性的に抑えているのが「人間性の脳」とか「社会性の脳」と呼ばれる、進化的により新しい、大脳皮質の前頭前野 prefrontal cortexです。
ところが、この前頭前野が基底核〜辺縁系に抑えを利かせる力には、かなり個人差があることがわかっています。 生まれつき、遺伝子的/体質的にこの力が弱いと、どうしても衝動的で、計画性に乏しく、我慢の足りない行動パターンが目立つようになります。
そのうえ、前頭前野の自制能力は、いくつもの要因で弱ってしまうことがあることもわかっています。 例えば、飲酒をしたり抗不安薬などの薬を飲んだ場合です。 あるいは、我慢が長く続きすぎて我慢する力が疲労してきた時です。 あるいは、栄養がたりなくて脳の我慢する能力がもたなくなる場合です。 (詳しくは『第IV部 うまくいかない心』の「病的嗜癖関連障害編」の「病的嗜癖と依存症 イントロダクション」を参照ください。)
そうなのです。 食べたいのを我慢して、低栄養状態が続くと、もうそれだけで前頭前野が「我慢」を続けるには不利な状態になっています。
そこにもってきて「食べ物の誘惑」がぐーっと高まるとどういうことになるか?
英国のロンドン王立大学のUher先生たちは、そんな過酷な課題を、食べ物に対する我慢をずーっと続けている「拒食やせ症」の人と、その我慢ができなくなりがちな「過食嘔吐症」の人にしてもらいました。
実験では、被験者の人に旨そうな食べ物の写真を見せながら、その時の脳の働きをfMRIを使って見てみたのです。 (本当は匂いも一緒にかがせたら、もっと過酷で良かったかもしれません。)
すると、我慢を続けている「拒食やせ症」の人は大脳皮質の前頭前野が活性化して我慢をしているのに対して、「過食嘔吐症」の人はそこまで前頭前野が活性化することができないことが示されました。
実は、過食嘔吐症の人たちの「我慢のできなさ」「自制の利かなさ」の問題は、食べ物に対してだけではありません。 実際、過食嘔吐症の人たちは、衝動的で計画性の乏しい行動パターンが多い傾向があること、特にネガティブな気持ちになった時に衝動性が高まる傾向があることが、よく知られているのです。
さらに、米国コロンビア大学のMarsh先生たちは、食べ物とは何の関係もない、しかし刺激に対して衝動的に行動するのを我慢してよく考えて素早く行動することを求められる認知機能課題を行ってもらいながら、過食嘔吐症の女性と健常者の女性との、脳の活動性の違いを見てみました。
すると、やはり、健常者の女性に比較して、過食嘔吐症の女性は、基底核〜辺縁系を抑制する役割を果たしている大脳皮質・前頭前野の働きが弱く、基底核〜辺縁系の活性化を十分に抑制することができず、結果として認知機能課題の成績が悪くなってしまう(=より衝動的に行動してしまう)傾向が強いことが示されたのでした。
つまり、そういうことです。 もともと性格的に強迫性が強く、なおかつ衝動コントロールが平均かそれ以上の人は、かたくなに拒食を続ける「拒食やせ症」であり続ける傾向がある。 他方で、もともと性格的に強迫性が強く、それゆえに最初は拒食やせ症になりやすかったとしても、同時に衝動コントロールが弱い人は、強烈に押し寄せてくる「復元力」に対して我慢し続けることができず、「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」に移行していく傾向がある・・・ということなのでしょう。
参考書:
(1) Uher R, et al. Medial prefrontal cortex activity associated with symptom provocation in eating disorders. Am J Psychiatry 2004; 161:1238–1246
(2) Marsh R, et al. Deficient activity in the neural systems that mediate self-regulatory control in bulimia nervosa. Arch Gen Psychiatry. 2009;66(1):51-63
(3) Heatherton TF & Wagner DD. Cognitive neuroscience of self-regulation failure. Trends Cogn Sci. 2011; 15: 132-139.
摂食障害の病因論〜「生まれ」と「育ち」
摂食障害の症状は、それが拒食であれ、過食嘔吐であれ、体重や体型への病的なとらわれであれ、過去にはほとんどすべてが「純粋に心理的な要因」と思われがちでした。
女性は痩せている方が賞賛されるという文化的/社会的風潮がいけない。 生育した家庭環境が愛情に乏しかったり、精神的/身体的虐待があったりするのがいけない。 生活上のストレスがいけない。 ・・・などなどです。
実際、摂食障害になってしまう女の子たちを見てみると、虐待というほどわかりやすい不幸ではないにしろ、何らかの意味で不幸な生育をしていることが多いのです。
ところが、摂食障害以外の、これまで「純粋に心理的な要因」によって引き起こされると思われていた幾つもの心の問題=精神疾患が、実はかなりその人の遺伝子的/体質的要因によっているということが最近になってわかってきました。 ストレスが重なって「心が折れる」という「純粋な心理的な要因」によって引き起こされると思われていた「うつ病 major depression」も実際には相当に遺伝子的要因が強く関与していることがわかってきました。 耐え難いほどの心理的なトラウマによって引き起こされる「純粋な心理的な要因」によると思われていた「心的外傷後ストレス障害 PTSD」さえも、相当にそのなりやすさに遺伝子的要因が関与していることもわかってきたくらいです。 (詳細は『第III部 「生まれ」と「育ち」』の『PTSDの遺伝性』と『「うつ病家系」のメカニズム』を参照ください。)
では、摂食障害はどうなのだろう?
かなり以前から、摂食障害は同じ家族内で発生することが少なからずあることが知られていました。 実際、米国カリフォルニア大学のStrober先生たちの調査では、1親等の血縁者(姉妹や母親)に拒食やせ症/嘔吐やせ症の人がいると摂食障害になるリスクは11〜12倍、過食嘔吐症の人がいるとリスクは4倍くらいになることが計算されています。 これは「生まれ」の要因なのか? あるいは「育ち」の要因なのか?
というので、「うつ病」や「心的外傷後ストレス障害」の要因を調べるのに使ったのと同じやり方、つまり、「双子研究 twin study」と「養子研究 adoption study」を使って、摂食障害という「病気」の原因が「生まれ=遺伝子的要因」なのか「育ち=環境要因」なのかを探ってみた研究が、過去にずいぶんたくさんなされました。
その結果、(他の精神疾患/問題行動や「性格」の問題と同様に)その人が子供のうちは家族の影響を強く受けているため「生育環境要因」が大きく、「遺伝子的要因」はほとんどありません。 しかし、その子が思春期を過ぎて大人になっていくと、遺伝子が覚醒して「その人」をつくっていくためか、「遺伝子的要因」がかなり大きくなり(50%〜80%)、その残りを「個別環境要因」(=家庭の中という生育環境ではなく、その子が外の世界で独自に体験する環境による影響)が占め、家族という「生育環境要因」はほとんど0になるのでした。
(図は米国のミシガン州立大学のKlump先生たちが行った双子研究の結果です。 摂食障害症状の要因として「遺伝子的要因A」、「生育環境要因C」、「個別環境要因E」にわけて、その寄与率を計算したものです。 非常に興味深いことに、女の子が思春期前の子供であるうちは、「生育環境要因」が大きく、逆に遺伝子的要因が小さいのですが、思春期を過ぎて大人になっていくと、逆転するのです。)
これは一体どういうことか? 女の子が摂食障害になってしまうのは、生まれ育ちの中で何らかの慢性的な不幸を経験して、抑うつ的だったり空虚感が強かったりするのが大きな要因ではなかったのか?
不幸なネズミの話はとんだ思わせぶりの話だったのか?
実は、この手の研究をする時に「遺伝子的要因A」と「生育環境要因C」そして「個別環境要因E」という要因にわけて計算をするときの「わけかた」にカラクリがあります。 つまり、遺伝子的な要因と相互作用を起こしている環境的な要因は「わけかた」上は「遺伝子的要因」に組み入れられることになるのです。 つまり、思春期以降の大人の女性において、摂食障害の原因のほとんどは「遺伝子的要因」であり「生育環境要因」がほぼ0だと言っているのは、生育環境が何の影響もなかったということを意味しているのではなく、遺伝子的要因のない子に生育環境だけでは何の影響もないということを意味しているのです。 つまり、摂食障害という不幸は、遺伝子的な脆弱性と、環境の問題という2つの不幸が重なったところに生じるようなのです。
参考書:
(1) Wade TD, et al. Anorexia nervosa and major depression: shared genetic and environmental risk factors. Am J Psychiatry 2000; 157:469–471
(双子研究でいろんな結果を出しているKendler先生らによる研究結果で、今回もまた双子研究の手法を使って、摂食障害の中でも拒食やせ症/嘔吐やせ症的な症状には遺伝子的要因が寄与率58%くらいであろう、生育環境要因はほぼ0と計算しています。)
(2) Klump KL, et al. Changes in genetic and environmental influences on disordered eating across adolescence. Arch Gen Psychiatry. 2007;64(12):1409-1415
(3) Strober M ,et al Controlled family study of anorexia nervosa and bulimia nervosa: evidence of shared liability and transmission of partial syndromes. Am J Psychiatry 2000; 157:393–401
(4) Klump KL, et al. Genetic and environmental influences on disordered eating: an adoption study. J Abnorm Psychol. 2009 November ; 118(4): 797–805
(こちらは養子研究の手法を使って各要因の寄与率を計算したもの。結果は、双子研究によるものとほぼ一致しており、遺伝子的要因が59〜82%、生育環境要因はほぼ0という計算。)
俗に「行動遺伝学の三原則」といわれるものがあります。原則1:人の行動パターンや性格といったものはすべて遺伝子の影響を受けている。 原則2:大部分は遺伝子的要因によっており、生育(家庭)環境要因による影響はほとんどない。 原則3:遺伝子的要因以外の部分は、ほとんどが個別の環境要因で説明される。 ・・・というような感じです。
摂食障害 eating disorderの成因も例外ではなく、女の子がどうして摂食障害になってしまうのかという成因を、遺伝子的要因A、生育(家庭)環境要因C、個別環境要因E、という要因に分類して計算していくと、やはり、「その要因の大部分は遺伝子的要因A(5割〜8割)であり、残りが個別環境要因Eであり、生育(家庭)環境要因Cはほとんど0割である。」という結果になる・・・というところまでお話ししました。
そんなバカな? 確かに遺伝子的な影響はあるだろうが、どんな家庭に育って、どんな体験をしてきたから、こんな性格が形成されて・・・ということはないのか?
幼少期〜小児期に不幸な生育(人工的ネグレクト)をしたネズミが大きくなると、心理的ストレスに弱くなるし、摂食障害っぽくなる、という話はなんだったのか?
実は、双子研究 twin studyにしても養子研究 adoption studyにしても、行動遺伝学でいうところの「生育(家庭)環境要因C」とは、遺伝子的な要因を排除した、遺伝子的には何の脆弱性もない子が、ただ生育環境が悪かっただけが要因で問題が起こることをさしています。 このため、遺伝子×環境の相互関係による結果は、「生育環境要因」からははずされてしまうのです。
これはどういうことか? もう少し詳しくお話しします。
簡単に結論から言うと、人の性格や行動パターン、その病的な延長上にある精神疾患というのもをつくっているのは、「遺伝子的要因か、あるいは環境要因か」という二分法ではないのです。 むしろ、ほとんどの場合、遺伝子的要因と環境要因が相互関係を起こして生じてくるのです。
遺伝子的要因と環境要因が絡み合うのは、いくつかのパターンがあります。
(1)遺伝子的な脆弱性のあるところに、環境要因として特定の不幸な出来事がふりかかる場合。
生まれ持った体質(遺伝子的な要因)の違いで、同じだけ塩分をとっていても、高血圧になってしまう人と、全然平気な人がいます。 同じように、生まれ持った体質(遺伝子的な要因)の違いで、同じ心理的なストレスを受けても、それでひどく傷つき一生残ってしまうような人もいれば、全然平気な人もいるのです。 同じようにひどい自動車事故を起こして、同じように死にかけるほどの恐怖心を体験しても、ある人は全然平気ですし、ある人は心的外傷後ストレス障害PTSDになってしまう、というのが一例です。
(2)遺伝子的に方向付けられる性格傾向、行動パターンによって、周囲の人たち(親を含む)から特定の行動パターンを引き出してしまう場合。
例えば、生まれつき(遺伝子的な特性として)気難しく泣きぐずりやすい子というのは、生まれつき穏やかな子に比べて、親は育てにくさを感じるものですし、落ち込んできたりイライラしやすくなったりして、どうしても「不適切な養育行動」をしがちになります。 あるいは、生まれつき完璧主義な性格傾向がある子は、小さな頃から容姿を気にしたりして、自分がどう見えるか、完璧かどうかを親や周囲の人に聞いて確認する行動が多いかもしれず、そうなってくると(いいかげんに面倒くさく、うっとおしくなって)周囲の人はどうしてもその子の容姿に対して批判的なコメントをすることが増えるかもしれません。このようにして、その子の遺伝子的な性格/行動傾向→その子から周囲への特定の働きかけ→その反応として周囲からその子への特定の働きかけ・・・、というような経路で、その子の持つ遺伝子的な要因が、環境要因をかえてしまうことがあるわけです。
(3)遺伝子的に方向付けられる性格傾向、行動パターンによって、特定の環境要因にみずから飛び込んでいってしまう場合。
うつ病 major depressionや心的外傷後ストレス障害PTSDの双子研究の結果わかってきた驚きの事実として、遺伝子的にこの病気になりやすい人は、ただ「ストレス」を体験したり「嫌な目」にあったりしたときに心が折れやすい体質的な脆弱性があるだけでなく、そもそも生まれ持った性格傾向や行動パターンから、こうした「ストレス」や「嫌な目」にあいやすくなっている、という傾向があることがわかってきました。 例えば、「うつ病 major depression」になるのは、「職場でのハラスメント」や「家族との葛藤」や「夫婦関係の不和」などのストレス要因があることがほとんどです。 しかし、こうした「ストレス」はすべての人に平等にふりかかってくるかというと、そんなこともないのです。 実際、「夫婦関係の不和」や「離婚」には明らかな遺伝子的要因があることがわかっています。 「職場でのハラスメント」も「仕事を抱え込んでしまうこと」も「ブラック企業に就職してしまう」も「だめんずとつきあって苦労してしまうこと」など、その他の「ストレス」も、その人がもともと持っている性格傾向/行動パターンが引き寄せている部分が少なからずあるのです。 さらに、これまでは「純粋に心理的な問題」の代表格だと思われていた「心的外傷後ストレス障害 PTSD」も同様でした。 自然災害にあってしまうなど、その人の性格や行動パターンがほとんど全く関与しない「心的外傷体験」もあります。 しかし、「他人から暴力を振るわれる」とか「いわゆるデート・レイプにあう」などの対人関係の中で起こってくる人災的な「心的外傷体験」は、双子研究の結果から、かなりの部分が、その人の持っているもともとの性格傾向や行動パターンが引き寄せていることが示唆されるようになったのです。 このようにして、その子の遺伝子的な性格/行動傾向→特定の問題が起こりやすい環境に入ってしまうこと→その結果として特定の問題を体験してしまうということ・・・、というような経路で、その子の持つ遺伝子的な要因が、環境要因を引き寄せてしまうことがあるわけです。
では、摂食障害 eating disorderにおいては、どんな「遺伝子的要因」と「環境要因」の相互関係が起こっていると考えられるのか?
摂食障害の成因として、どのような環境要因が関係してくると考えられるか? これは「環境要因」と「遺伝子的要因」を純粋に切り離すことができないことと、研究/実験のやり方としてこのへんを人為的に操作するのは倫理的に問題があってできないことで、決定的なことはなかなか言えません。 どうしても「靴底の裏から足のかゆいのを掻く」的なことになってしまいます。
それでも、いくつかそれらしきことが示唆されているものがあります。
まずは、すごくわかりやすいところで「家族と一緒に食事をするかしないか」です。
「なんじゃ、そりゃ・・・」です。 そんな簡単なことが、どうして摂食障害という複雑な心理的な問題に関係してしまうのか、さっぱりわかりません。 しかし、米国ミネソタ大学のNeumark-Sztainer先生たちの疫学的研究は、そんな一見奇妙な結果を引き出していました。
研究では2500人以上の中高生(12歳〜15歳)を5年間追跡調査して、どんな食事の習慣がその後の摂食障害的症状に関連していくかを見てみました。 その結果、男の子ではそうした相関はなかったものの、女の子では「家族と一緒に食事をする」のが多い子ほど、その5年後に摂食障害的症状があることが少なかったのです。
また別の研究では、「朝食をしっかりとること」が、同様に摂食障害的症状に対して予防因子になっていることも示唆されています。
こうしてみると、「毎朝、家族と一緒に食事をすること」が、なぜだかわからない理由で、摂食障害を予防することにつながるのかもしれません。 (もっとも、これは「摂食障害になりにくい子は、いろんな面で余裕があって、朝食もしっかり家族と一緒にとることが多い」というだけのことかもしれません。)
やっぱり、「なんじゃ、そりゃ・・・」です。
では、もっと幼少期〜小児期の生活環境要因はどうでしょうか?
摂食障害になってしまう心理的な背景として「強迫性格/完璧主義」と、「自己評価の低さ」があります。 これらの性格的特質も、やはり遺伝子的要因と完全に切り離すことは不可能なのですが、環境要因によってより強められてしまう可能性はありそうです。
強迫性格/完璧主義という性格的特質は、かなり遺伝性があります。 ということは、もともと強迫性格/完璧主義な性格を形成しやすい子供の親も、だいたい強迫性格/完璧主義だったりします。
強迫性格/完璧主義な人というのは、高い規範意識を持ち、厳しい「マイ・ルール」「マイ価値観」によって自分も他人もしばり、理想通りにならないことに対して許せないことが多く、少しでも思ったようにならないと傷ついたり怒ったりしがちです。
そうすると、強迫性格/完璧主義の人が親になると、自分の分身のように大事に思っている子供に対して、やはり自分に対するのと同じような厳しく強迫的で完璧主義的な目を向けてしまいがちです。 結果として、どうしても子供に対して高い理想や期待を抱き、思ったように理想通りにできないことに対して否定的、批判的なコメントが多くなったり、子供をコントロールしようとする支配的な態度が増えてしまいがちです。 そして、こうした親の子供に対する態度こそ、子供の強迫性格/完璧主義的な性格傾向を強めることになります。 そして子供は親から自律性を否定され支配的に関わられてしまうことや否定・批判的なコメントを繰り返し浴びることで自己評価が低くなる可能性が高いわけです。
子供の「強迫性格/完璧主義」的な性格傾向や、「自己評価の低さ」といったネガティブな性質を強めてしまうような、どんな具体的な親子のやり取りが起こっている可能性があるのか?
参考書:
(1) Stein MB, et al. Genetic and environmental influence on trauma exposure and posttraumatic stress disorder symptoms: a twin study. Am J Psychiatry, 2002; 159: 1675-1681.
(2) Kendler KS, et al. Toward a comprehensive developmental model for major depression in women. Am J Psychiatry, 2002; 159: 1133-1145.
(3) Kendler KS, et al. Dependent stressful life events and prior depressive episodes in the prediction of major depression: the problem of causal inference in psychiatric epidemiology. Arch Gen Psychiatry, 2010; 67: 1120-1127.
(4) Neumark-Sztainer D, et al. Family meals and disordered eating in adolescents. Arch Pediatr Adolesc Med. 2008;162(1):17-22
(5) Maloney GK, et al. An Etiological Model of Perfectionism. PLoS ONE , 2014; 9(5): e94757
摂食障害には家族性があることが多く、同じ家族の中で母娘が同じように摂食障害になっていることは決して珍しいことではありません。 母から娘に伝えられるものには遺伝子以外にどんなことがあるだろうか? そこに娘が将来摂食障害なりやすくなる何かがあるのではないか?
というので、米国スタンフォード大学のAgras先生たちは、元摂食障害だった母親とその赤ちゃんのやりとりの様子を、元から健康だった母親とその赤ちゃんのやりとりの様子と比較してみる研究をしてみました。
結果として、元健康だった母親と比較して、元摂食障害だった母親は、その赤ちゃんである娘に対して、(1)体型や体重を過剰に気にしてしまうこと、(2)授乳するタイミングがより不規則であること、(3)離乳までの期間がより長いこと、(4)授乳や食事を食べさせることを栄養以外の目的(子供の気持ちを慰めるためやご褒美など)に使うことが多かったこと、(5)その子が2歳になった時点ですでによりネガティブな感情を感じるようになっていること、などの点が多いことが明らかになりました。
おやっ?!と気になるのは、「授乳や食事を食べさせることを、栄養以外の目的(子供の気持ちを慰めるためやご褒美など)に使ってしまうこと」です。 おそらく、授乳のタイミングが不規則なのも、離乳までの期間が長いのも、授乳を「子供の気持ちを慰めるために使っている」結果かもしれません。
以前にお話ししたように、脳には「報酬回路」や「快感回路」と呼べるような神経回路があり、食べ物をとることでここが働き、結果としてネガティブな気持ちを和らげ、気持ちを慰めてあげることができます。
これそのものは、そんなに悪いことではなく、実際私たちは、非常にしばしば、人の気持ちを慰めるために食べ物を与えてあげることをしますし、これは重要なコミュニケーションであり、決して悪くはない愛情の示し方です。
問題は、この手段に頼りすぎることなのです。
子供にとって、食べ物を与えられて「報酬回路」や「快感回路」を刺激されることは、(特に甘くて美味しい食べ物のであればなおさら)確かに一時的に気持ちを慰めてくれることにはなるでしょう。 しかし、それは大人がお酒を飲んで憂さを晴らすようなもので、本当の意味では(空腹以外の問題は)何の問題も解決されないわけです。 その問題が「気持ちの通じなさ」など情緒的な問題である場合にはなおさらです。 (まずいことに、子供の気持ちをしっかりと理解することが不得意な親は、子供の気持ちを慰めるための安易な手段として食べ物を与えてしまうことをしがちなのです。) 結果として、愛情の欠乏感を「食べ物を食べるという快感」で埋め合わせてしまうことを常習的にしてしまうことになりかねません。 遺伝子的にそうなりやすい素因を持っている子なら、なおさらです。
実際、大人になって摂食障害的な食べ方をする女性は、そうではない健康的な食べ方ができる女性に比較して、親から「食べ物を栄養以外の目的(気持ちを慰めるため、ご褒美)」で使われていた思い出が多いことが、別の研究結果で示されてもいます。
さらに、米国ペンシルバニア大学のBrich先生たちの調査では、親が子供の体型/体重を気にし過ぎて、子供の摂食行動をコントロールしようとすればするほど、子供自身の摂食行動の自律性が悪くなり、結果として食べ物について「これくらいでちょうど良い」という感覚が育ちにくくなり、その子が大きくなってから摂食行動に問題を生じるようになる可能性が高くなることも示唆されています。
こうしたこととは別に、母親に「強迫性格/完璧主義」の性格傾向がある場合、娘に食事を与える時の行動パターンでもう1つ問題になりがちなことがあります。 娘の「食べる」という行動にあまりに手出し/口出ししてしまいすぎ、あまりに「こうしなさい」「ああしなさい」という指示が多すぎ支配的になってしまうこと、この結果として本来的には楽しいはずの食卓が葛藤の場になってしまうということです。 この問題については、この後にお話しします。
参考書:
(1) Agras S, et al. A prospective study of the influence of eating-disordered mothers on their children. Int J Eat Disord 25: 253–262, 1999.
(2) Mazzeo SE & Bulik CM. Environmental and genetic risk factors for eating disorders: What the clinician needs to know. Child Adolesc Psychiatr Clin N Am. 2009 January ; 18(1): 67–82
(3) Hamburg ME et al. Food for love: the role of food offering in empathic emotion regulation. Frontiers in Psychology, 2014; 5: article 32
(4) Stice E. Risk and maintenance factors for eating pathology: a meta-analytic review. Psychological Bulletin, 2002, Vol. 128, No. 5, 825–848.
(5) Brich LL, et al. Family environmental factors influencing the developing behavioral controls of food intake and childhood overweight. Pediatr Clin North Am. 2001 Aug;48(4):893-907.
摂食障害 eating disorderにはなぜ家族性があるのか? なぜ摂食障害のお母さんの娘は摂食障害になりやすいのか?
ここに遺伝子的要因があるのは確かです。 双子研究や養子研究の結果が、否定のしようのない形でそれを示していました。
ですが、この世代を超えた「病気」の伝播には、「遺伝子的要因」だけでなく、遺伝子的な脆弱性をベースにしたうえで、生育(家庭)環境要因もからんでいて、遺伝子的ななりやすさをさらに強めているのではないだろうか?
前回の話で、元摂食障害だった母親は、赤ちゃん〜幼児の娘に授乳したり食べ物を与えたりするときに、それを「栄養以外の目的(子供の気持ちを慰めることなど)」に使ってしまうことが多いこと、これが娘の愛情欠乏感/奥深い寂しさを強め、食行動依存症(=食べるという行動によって報酬回路/快感回路を刺激してネガティブな気持ちを埋め合わせることを繰り返してまう問題)に向かわせている可能性をお話ししました。
元摂食障害の母親がもう1つやってしまいがちな問題があります。 娘との遊びの時間や食事の時間に、ついつい過干渉/支配的に接してしまいがちであり、娘にとって(母親自身にとってもでしょうが)苦痛な葛藤の時間になってしまうことが多いという問題です。
英国オックスフォード大学のStein先生たちは、摂食障害という病気が、どのように母から娘へ世代を超えて伝えられてしまうのかというメカニズムを調べるために、1歳〜2歳の娘と母親のペアについて、母娘が一緒に食事をする時間をビデオにとって分析するという方法を使いました。
その結果、健常者の母親に比較して、摂食障害だった母親は、食事の時に、娘の摂食行動に対して過干渉/支配的/コントロール的であり、ネガティブなコメントをしがちであり、その結果として娘との関係に葛藤を生じてしまう(娘が食事をぐずってしまう)という傾向がすごく強いことを見つけました。
さらに詳しく分析すると、母親が娘に対して過干渉でコントロール的になってしまうのは、娘が自律性を示そうとした時の娘からの「信号」に気づきにくく、柔軟な対応をすることができず、ついつい「マイ・ルール」、「マイ価値観」、「マイ・ペース」を押しつけてしまうことが大きな要因になっているようでした。
実は、摂食障害ではなく肥満症に関連した過去の研究で、米国コロラド大学のJohnson先生たちは、母親が娘の摂食行動に過干渉になり、コントロール的になればなるほど、子供の摂食行動への自律性が障害され、自分で食事量を「このくらいでいい、これくらいがいい」と適切にコントロールすることが困難になっていくことを示しているのです。
どういうことかというと、こういうことです。 子供には、親があれこれいわなくても、もともとの生き物としての「ホメオスタシス」の働きがありますから、カロリーオーバーな時は放っておいてもそれ以上食べないようになります。 ところが、子供が肥満症になってしまうことを過剰に心配する傾向のある親は、子供の摂食行動に対して過剰に口出ししてしまう傾向があります。 例えば、食べ物を食べるのは「お腹が減ったから」ではなく、決められた時間だけというように過剰に厳しく制限すること。 例えば、与えられた食事をすべて食べること、などです。 親はよかれと思ってそうするわけですが、結果として、子供が無意識的/自動的に「今はこれをこのくらい欲しい、このくらいがちょうどいい」という感覚を持つ能力を育ちにくくしてしまうのです。 この能力が低いと、食べ物を適度な量だけ食べるということが難しくなり、その結果、肥満症や摂食障害になりやすくなるのではないか、と見られるのです。
摂食障害だった母親は、自分が「食の問題」でさんざん苦しんできたせいか、あるいは母親自身の「強迫性格/完璧主義」の性格傾向のせいか、娘の食行動に対してついつい過剰に不安になってしまったり、ついつい「ああしなさい、こうしなさい」「これはだめ、あれはだめ」と過干渉になりがちなのでしょう。 しかし、このことがかえって娘を摂食障害になりやすくしているとしたら、すごく皮肉なことです。
ではどうすればいいか?
当然、娘の(食事に関していうと、何をどんな風にどんなペースで食べるかといったことについて)自律性を最大限に認め、喜んであげることです。
Stein先生たちは、この目的のために「ビデオ・フィードバック」という方法をとりました。 つまり、生後約半年の娘と母親のペアに対して、母娘が一緒に食事をしている場面をビデオにとり、あとでその様子を母親と一緒に見ながら、子供からの年齢相応の自律性のコミュニケーションを読み取る練習をしていくのです。
それから約半年後、結果は顕著にでていました。 つまり、普通の母親カウンセリングをしただけの母親に対して、「ビデオ・フィードバック」を行った母親はオッズ比にして73%も食事時間での娘との葛藤が減っていたのです。 その結果として、この子が大きくなったとき、より摂食障害になりにくくなっているかどうかは、まだわかりません。 しかし、期待はできそうですし、何よりも母娘の食卓が葛藤でストレスまみれになることは減らせるのです。
参考書:
(1) Stein A, et al. An observational study of mothers with eating disorders and their infants. Journal of Child Psychology and Psychiatry, 1994; 35: 733–748
(2) Stein A, et al. Conflict between mothers with eating disorders and their infants during mealtimes. Br J Psychiatry. 1999 Nov;175:455-61.
(3) Stein A, et al. Treating disturbances in the relationship between mothers with bulimic eating disorders and their infants: a randomized, controlled trial of video feedback. Am J Psychiatry 2006; 163:899–906
(4) Johnson SL & Birch LL. Parents’ and Children’s adiposity and eating style. Pediatrics, 1994; 94: 653-661
摂食障害に対する治療のいろいろ
これまでの議論から、摂食障害 eating disorders(=拒食やせ症、嘔吐やせ症、過食嘔吐症)が、どのようにつくられ、維持強化され、「治療」の必要な「病気」となってしまうのかが、大雑把に見えてきた気がします。
つまり、ほとんどの場合、生まれつき強迫性格/完璧主義といった性格傾向(強迫性格があるということは、普通は、そのさらに背後に自己愛の傷つきやすさの問題=過敏性自己愛パーソナリティ hypervigilant type narcissistic personalityがあり、「なんでもない、ただのありのままの自分」を普通に愛され大切にされることへの強い不安と不信感があることが多いということにもなります)の子がいます。 生まれつき(遺伝子的要因で)強迫性格/完璧主義な性格傾向があるのに加えて、生育環境における子→親/親→子の相互作用の中で、どんどんそれを強めていくことも多いでしょう。 物事を強迫的に完璧にこなすことで安心感を得ようとするこの子の生き方は、やがて思春期になり「自意識」が目覚めてくると、特に女の子の場合、体型/体重の強迫的なコントロールを他の子には決してマネできないほど完璧に強迫的にやりきることで、ある種の安心感や自己満足感/自己肯定感を得ようとしてしまいます。
こうして、摂食障害は、ほとんどの場合、だいたい思春期頃の女の子に「拒食やせ症」という形で発症するわけです。 強迫性格/完璧主義を背景とする「拒食やせ症」は、どこか「強迫神経症 OCD」と似たようなメカニズムがありそうなのです。
強迫的で厳格で過剰な「ダイエット」を続けるうちに、そのうち「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」に移行していく子もいます。 そのまま「拒食やせ症」を頑固に続ける子もいます。
「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」に伴われる「むちゃ食い binge-eating」や、飽食の時期と飢餓の時期を交互に繰り返す摂食パターンは、脳を容易に「依存症 addiction」のような状態にしてしまいます。 こうなってくると、病気のメカニズムは「強迫神経症」的なものに加えて、薬物依存症やアルコール依存症のような「依存症」のメカニズムも加わって複雑化しているわけです。
周囲や本人が「これはまずい、病気だ」と感じて、医療機関に治療を受けにくるようになるのは、このため、「拒食やせ症」では思春期くらいが多く、「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」はもう少し経ってから、思春期後半〜青年期が多くなるわけです。
患者の年齢が「思春期前後の子ども」なのか、あるいはそれをすぎた「大人」になっているのかは、この「病気」の原因、寄与因子が主に「遺伝子的要因」になっているのか、「生育(家族)環境要因」になっているのか、という点で重要でした。
つまり、患者が「思春期前後の子ども」の場合、一見すると本人の心の問題のように見えるものは、実は「生育(家族)環境要因」、家族の精神病理の表れであることが多いのです。 ということは、治療を行う場合に、子ども本人を治療するよりも家族を治療するという視点の方が良いかもしれません。
他方で、患者が「大人」の場合、一見すると生育環境に問題があってこの病気になったように見えても、すでにこの病気を維持強化しているのは本人の「遺伝子的要因」「体質」が主であり、本人自身の問題と考えた方が良いことから、治療を行う場合に家族療法を行うよりも本人対象の個人療法を行う方が良さそうです。
摂食障害 eating disordersに対しては、薬物療法がほとんど効かない、意味をなさないことから、時間と労力をかける精神療法=心理療法 psychotherapy(=カウンセリング counceling)で治していくしかありません。 実際、摂食障害に対して精神療法(心理療法、カウンセリング)の効果があることは、これまでの実証的研究の結果から示唆されています。 すごく大雑把に要約すると以下のようになります。
(1)「拒食やせ症」は患者が小児〜思春期の場合は、大人である場合に比べて治療予後が良い。
(2)「拒食やせ症」は患者が小児〜思春期の場合は、家族療法 family therapyの方が、患者本人を対象にする個人療法 individual psychotherapy(=認知行動療法、対人関係療法、精神力動的精神療法、非特異的支持的カウンセリング)よりも効果が高い。 患者の年齢が上がり「大人」になると、家族療法はほとんど役に立たない。
(3)より年齢が高くなって表れることが多い「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」に対しては、認知行動療法 cognitive behavior therapy=CBT、対人関係療法 interpersonal psychotherapy=IPTなどの比較的短期間(数ヶ月〜半年)で治療の焦点を絞った、かなり構造化された精神療法(心理療法、カウンセリング)の効果が高い。 一般的に、認知行動療法の方が効果の発現が早いが、対人関係療法の方がより効果の持続性がある傾向がある。(認知行動療法は治療を終了すると、やや逆戻りする傾向がある。)
(4)大人の「嘔吐やせ症」や「過食嘔吐症」に対して効果が示されている認知行動療法CBTも対人関係療法IPTも、「拒食やせ症」に対しては目立った効果がない。 実際、これらの治療にありがちな治療者の積極性/過干渉な態度が患者の気に障って反感をかわれてしまうのか、非特異的支持的精神療法(ただのカウンセリング)よりも効果が低くなってしまうという報告さえある。
(5)薬物依存症に対して通常の認知行動療法よりも持続的な効果が示されている、いわゆる第三世代行動療法(マインドフルネス認知行動療法)は、摂食障害における依存症的な側面に効果があると見られ、従来型の認知行動療法よりも永続的な効果が期待される。(認知行動療法の弱点である、効果が持続しにくいという問題を克服できる可能性がある。)
(6)古くから行われている精神力動的精神療法(精神分析的精神療法)は、摂食障害症状そのものを治す治療ではなく、背景にある性格的問題を治す治療であることもあり、効果発現の点では認知行動療法CBTや対人関係療法IPTよりも明らかに劣る。 しかし、少なくとも幾分かの効果があることは示されており、性格的な問題も含めてより広い問題に対してより永続的な改善を促すことは期待できる。
・・・というところでしょうか。
こうした概観を頭に入れておいて、これから少し、個々の治療についての話題を見ていきたいと思います。
摂食障害 eating disordersに対してわかりやすい効果を示している精神療法(=心理療法、カウンセリング)として、認知行動療法CBTと対人関係療法IPTがあること、これらは「拒食やせ症 anorexia nervosa」に対しては効果が低いものの、「過食嘔吐症 bulimia nervosa」に対しては効果がはっきりあることが示されていること、をお話ししました。
認知行動療法
今となっては「過食嘔吐症」になっていたとしても、ほとんどの人は、「拒食やせ症」から出発しますし、そうでなくてもこの症状の背景には「拒食やせ症」の女の子の場合と同様に、体型/体重に対する強迫的で過剰なとらわれや、体型/体重を強迫的に完璧にコントロールすることに過剰な価値観があります。 ほとんど唯一この価値観だけにとらわれすぎているために、その他の人生のささやかな楽しみや、ささやかな価値観が、すみに追いやられて意味を失ってしまっていることさえ少なくありません。 (その意味で薬物による快楽以外の人生のささやかな楽しみや意味を失ってしまっている薬物依存症の人と似ているところがある、という問題は繰り返しお話ししてきた通りです。)
摂食障害に対する特殊化された認知行動療法(enhanced cognitive-behavior therapy=CBT-E)が注目するのはまさにこの点です。
つまり、この病気にとらわれてしまう女の子は、体重/体型に対する強迫的で柔軟性を失った価値観があり、これを強迫的/完璧主義的に幾つもの極端な自分ルールで自分を縛ることによってコントロールしようとしすぎているわけです。 この自分ルールが、あまりに柔軟性に乏しく完璧主義的であるために、ほとんど必ず途中でうまくいかなくなる時が来るのです(特に心理的なストレスがかかった時期などにそうなるリスクが上がります)。 すると、強迫的で完璧主義的な女の子は、そんな自分の「コントロールの失敗」を許せず、過剰反応してますます強烈な自己嫌悪に陥り、ますます強迫的/完璧主義的にやっていこうとし、結局のところ悪循環になっていきます。 この悪循環が、「摂食障害」という慢性の病気を維持強化しているのだ、その悪循環を断てば、この病気を克服していけるかもしれない、というのが認知行動療法の基本的な考え方です。
また摂食障害の女の子たちが、本人は体重コントロールのためによかれと思ってやっていることが、実際にはかえって悪くはたらき、この病気への依存症のようにしてしまうメカニズムも知ってもらいます。(例えば、多くの摂食障害の女の子は「ダイエット」のためだと思って、よかれと思って、拒食/絶食をする時期をつくります。 しかし、しょせんは「復元力」の力に勝てないために、途中で過食/飽食の時期に入れ替わり、それらが交互するようになって、「食行動依存症」になっていき、ますます体重コントロールがうまくいかなくなるのです。 あるいは、朝〜午前中はほとんど食事をとらず、結果として夕〜深夜にかけて1日の摂取カロリーの大半をとってしまうという、相撲取りになろうかという一番まずい食事パターンをとっていることがあります。)
そのうえで、まず「1日3回の食事と、午前のお茶の時間、午後のお茶の時間という規則正しい食生活習慣」を計画的につくっていきます。 人は普通4時間以上食べないでいると生理的にお腹が減ってくるので、「1日3回の食事」と「午前と午後のお茶の時間」のおやつとで生理的な要求に合った栄養補給をしてあげるのです。 これ以外には無駄な(生理的な要求によるのではない、「寂しいから」「暇だから」「イライラするから」というような感情的な)間食をしないということです。
それと同時に、自分の食行動をそのつど記録に残していくことをします。 あとで振り返って記録に残すのではなく、何かを口にしたらそのつど記録に残すのです。 そのとき、何を食べたかだけでなく、どんな気持ちで食べたかも記録していきます。 こうすることで、「食べる」という行動に意識を向け、マインドフルに食べることを練習していくことにもなるのです。 (無意識的に、だらだらと食べないということです。)
そのうえで、摂食障害の症状を維持強化している、食行動や体重/体型のコントロールに対する、ほとんど唯一それだけが自分を支える価値であるかのような、強迫的/完璧主義的な構えや行動をかえていくことに取り組みます。 強迫神経症OCDの治療において「確認行動」が強迫性を維持強化してしまっているので止めていく練習をするのと同じように、摂食障害においても「体重の確認」や「体型の確認」などのいろいろな強迫的な確認行動を止めていくように練習していきます。
(こうした強迫的な確認行動をやめようとすると、一時的に不安が高まるものなのですが、それは繰り返し練習することで、ある種の「不安に対する耐性」がついて克服されていきます。 また摂食障害の症状にとらわれていたために、見えなかった人生の深刻な問題が見えてくるようになることもありますが、これも「病気」に頼ってしまうのではなく、より適応的な解決をしていくように頑張ることになるのです。)
こうして、地道な練習を延々と続けることで、強迫性のメカニズムと依存性のメカニズムで悪循環的に維持強化されていた摂食障害の症状は次第になくなっていくことになります。
本当にそうなのか?
英国オックスフォード大学のFairburn先生たちは、150人ほどの摂食障害(主には過食嘔吐症)の女性を集めて認知行動療法で治療する場合と、何もしないでいる場合とで比較してみました。
その結果、何もしないでいる場合は、当たり前ですが、2ヶ月様子を見ていてもほとんど症状に変化はありませんでした。
しかし、毎週50分の認知行動療法(全20週間)を行った人たちは、だんだんと症状が良くなり、20週間の治療終了時には「普通の女性がする程度の食行動へのこだわり」くらいに改善している人が約半数以上にのぼるようになり、しかもその効果は治療終了後60週間追跡調査しても維持されていた・・・という結果を示しています。
(さらに、認知行動療法には2種類、「摂食症状に焦点づけて行うバージョン」と「強迫性などの性格的背景も扱うバージョン」を用意して、それらも比較していますが、その両方とも効果があったことを示しています。 ただ、やはりというかなんというか、もともと性格的な問題が大きい人の場合は「摂食症状に焦点づけたバージョン」を行うよりも「性格的背景も扱うバージョン」を行った方がいい結果になっていました。)
こうして、摂食障害の治療に特化/特殊化された認知行動療法は、放っておくとなかなか治っていかないこの「過食嘔吐症」という問題に対しては、かなりちゃんとした治療効果を示すことが実証されたのでした。
参考書:
(1) Murphy R, et al. Cognitive behavioral therapy for eating disorders. Psychiatr Clin N Am 33 (2010) 611–627
(2) Fairburn CG, et al. Transdiagnostic cognitive-behavioral therapy for patients with eating disorders: a two-site trial with 60-week follow-up. Am J Psychiatry 2009; 166:311–319
対人関係療法
摂食障害の中でも、特に過食症/過食嘔吐症などは、直近のストレスによって引き起こされることが少なくないこともわかっていました。
つまり、遺伝子的/体質的な要因、性格的要因を背景に、しかしそれまではなんとかバランスを保ってやってきたものが、何らかのストレス(たいていは対人関係的なストレス)を背景にバランスを崩し、それが「食行動の異常=摂食障害症状」やそれに随伴する「問題行動=非適応的な対処行動」となって表れ、それがさらに対人関係葛藤等のストレスを増やしてしまい、悪い循環が止まらなくなってしまう・・・ということが少なくないのです。
このストレスを契機に発病する一連の流れは、「うつ病」のそれに似ていなくもないです。 体質的/性格的な「なりやすさ」をベースに、しかしストレスに対する(極めてしばしば慢性化してしまう)反応として「症状」や「問題行動」が出てきてしまい、「症状」や「問題行動」がさらにそれ自身を維持強化して長引かせてしまうというパターンです。
(もっとも、これが言えるのは、摂食障害の中でも「過食症」系の問題だけです。 同じ「摂食障害」のくくりの中でも、「拒食やせ症」系の問題は「ストレスに対する反応」として対応するには複雑すぎる背景があるので、「うつ病と似ている」アプローチでうまくいくことを期待するわけにはいかないのです。)
ということは、「うつ病」に対して効果があるとされてきた「認知行動療法CBT」だけでなく、ほぼ同等の効果があるとされてきた「対人関係療法 interpersonal psychotherapy=IPT」も
摂食障害の特に過食症/過食嘔吐症に対しては効果があるのではないか? と思えてきます。
もともと対人関係療法 IPTは、うつ病に対する抗うつ薬の治験を行っている中で定義されてきた「普通の良識ある精神科医が、うつ病の患者に対して普通に行っている支持的精神療法」のやり方でした。 当時、うつ病の患者に対して「普通の良識ある精神科医」が行っていた精神療法は、大部分が、かなり支持的精神療法 supportive psychotherapyの成分が強い、力動的/探求的精神療法 dynamic/exploratory psychotherapyだったのです(その当時の欧米の精神科医のほとんどは、精神力動的精神療法(精神分析的精神療法)のやり方を基礎的な素養として持っていましたから、その応用編として精神力動的支持的精神療法を普通に行っていたのです)。 つまり、「うつ病」を引き起こした現実的な対人関係ストレスを、その人がどのようにとらえ、どのように適応的/非適応的に反応したのかを探求していき、より適応的な対応の仕方を探っていくものです。 これは基本的に支持的精神療法であり、その人の日常的/現実的な対人関係ストレスの問題を話し合うことはしても、治療者/患者関係に展開する葛藤(=転移 transference)を扱うことはしないという意味で、狭義の力動的精神療法 dynamic psychotherapyとは違っているものです。 その当時、「うつ病に対する認知行動療法」が治療の仕方を「マニュアル化」したのに刺激されて、Klerman先生やWeissman先生たちが「普通の良識ある精神科医が普通に行っている精神療法」をあえてマニュアル化してつくってみたのが「対人関係療法 IPT」のはじまりだったのです。
対人関係療法では、患者が陥りがちな「対人関係のストレス」を大きく5つのカテゴリー、つまり、「悲哀(喪失)」、「対人関係の不和、期待のズレ」、「対人関係の役割の変化」、「親密な対人関係の欠如」、「人生の目標性」に分類して、系統的に探求を進めていきます。 これらの対人関係の問題が、どのようにして摂食障害の症状を維持強化し、逆に摂食障害の症状がどのように対人関係の問題を維持強化し、結果としてどのように悪循環になっていることを理解し、そのうえでより適応的な解決を探り、実際に実行してみていくわけです。
(人の対人関係の悩みを、この5つのカテゴリーに無理矢理分けていくなんて、大雑把すぎるだろう!?と言われてしまいそうですが、これは「普通の良識ある精神科医が行っている精神療法」を「誰でもできる精神療法」にマニュアル化するうえで、仕方ないことだったのです。)
そんな対人関係療法 IPTが、はたして予測通りに摂食障害の特に過食症/過食嘔吐症に対して効果があるかどうか?
英国オックスフォード大学のFairburn先生たちは、過食嘔吐症の治療として、認知行動療法CBT、対人関係療法IPT、そして普通の行動療法を数ヶ月行い、その後1年間追跡調査してみました。
その結果、治療直後の効果は「認知行動療法CBT」が一番高く、次いで「ただの行動療法」、「対人関係療法IPT」でした。 しかし、「ただの行動療法」の効果は治療が終わるとすぐに減退してしまいました。 「ただの行動療法」ほどではないにしろ、「認知行動療法CBT」も1年後には効果が微妙に減退していました。 しかし、治療直後の時点では「認知行動療法CBT」に成績が劣っていた「対人関係療法IPT」では治療が終わってからも改善傾向が続くようであり、1年後の追跡調査の時点では治療成績が「認知行動療法CBT」にならび、微妙に追い越していたのです。
(この経過のパターンは、うつ病に対する認知行動療法CBTと対人関係療法IPTの治療成績比較でも同様でした。 つまり、症状に対して直接的に働きかける認知行動療法は治りが早く、治療直後の成績はいいのですが、今ひとつ持続性の点で問題があり、長期間追跡すると成績が下がっていく傾向があったのです。 これに対して、症状に対してはほとんど話題にすることがなく、むしろ対人関係の問題にのみ話題を集中する対人関係療法では、治りが遅く、治療直後の成績は認知行動療法よりもやや劣ってしまうものの、治療を終了してからも改善傾向が持続し、1年後、2年後の長期追跡調査時には認知行動療法に追いつき追い越す治療成績を示していたのです。)
その後もいくつかの似たような研究が繰り返されましたが、結果は毎回ほぼ同じでした。 つまり、対人関係療法は過食症や過食嘔吐症に対して認知行動療法とほぼ互角の効果があり、治療直後の治療成績は認知行動療法よりもやや劣るものの、その後の長期経過的にはより優れる傾向がある・・・という結果が繰り返し示されたのです。
(図はドイツのライプツィヒ大学のHilbert先生たちが行った、過食症に対する集団(グループ)療法として、認知行動療法CBTを行った場合と、対人関係療法IPTを行った場合の治療成績を比較した研究結果です。 ここでも、治療終了時点では、認知行動療法CBTの方が微妙に優れた成績を出しているものの、認知行動療法CBTの治療効果は長期的には薄れていく傾向があり、1年後、2年後と経過するにつれて微妙に悪化していきます。 これに対して対人関係療法IPTの効果には持続性があり、治療終了後も改善傾向が続き、2年後には認知行動療法の効果に追いつき追い越しているのがわかります。)
認知行動療法と違って、対人関係療法では、ひとたび治療が始まると、摂食行動の問題はほとんど話題にしません。 治療の中で話題にするのは対人関係の問題だけなのです。 にもかかわらず、摂食障害の症状が長期的には良くなっていくということからしても、やはり摂食障害の症状の背景には対人関係ストレスが原因として大きくからんでいることが多い・・・ということなのでしょう。
参考書:
(1) Fairburn CG, et al. Three psycho- logical treatments for bulimia nervosa: A comparative trial. Archives of General Psychiatry, 1991; 48, 463–469.
(2) Murphy R, et al. Interpersonal psychotherapy for eating disorders. Clin. Psychol. Psychother. 19, 150–158 (2012)
(3) Hilbert A, et al. Long-term efficacy of psychological treatments for binge eating disorder. The British Journal of Psychiatry (2012) 200, 232–237.
(4) Wilson GT, et al. Psychological treatments of binge eating disorder. Arch Gen Psychiatry. 2010;67(1):94-101
第3世代行動療法(マインドフルネス)
摂食障害の症状の中でも過食 binge-eatingには、薬物依存症やアルコール依存症のような依存症 addiction的な働きがあることを以前に取り上げました。 つまり、この行動は大脳の中の「報酬回路」や「快感回路」を過剰に刺激することで、薬物/アルコールを乱用したときと同じように、ほんの一瞬だけネガティブな気分を麻痺させてくれ、憂き世の憂さを晴らしてくれるのです。 (しかし、薬物/アルコール乱用の場合と同じように、この行動も繰り返せば繰り返すほど、どんどん依存が深まっていき、それなしでは生きていけなくなり、人生の他にもっと大切なはずのことが大切でなくなってしまい、ダメ人間になっていく危険があることは、以前にお話しした通りです。)
ということは、摂食障害の持つこの側面に対しては、薬物/アルコール依存症に対するのと同じような治療の仕方を応用することができるかもしれません。
というわけで、古いところでは1992年にオランダのリンブルグ大学のJansen先生たちは、過食をしたくなる強烈な欲求を引き起こす状況で、しかし過食をしないという訓練(cue-exposure treatment)を過食症の人たちを対象に行ってみました。
(こうしたやり方は、薬物/アルコール乱用、依存症の治療としてしばしば行われるものです。 つまり薬物/アルコールを強烈に欲求する状況を避けるのではなく、あえて身を置き、その欲求に対する耐性をつけていくというものです。)
この治療は結構スパルタ式で、週3回、90分の治療を全10回行いました。 治療の「訓練」では、過食したくなるような食べ物をあえて目の前に置き、手で触れてみたり、匂いをかいだり、ちょっとだけ口につけてみたり、さんざん過食したいという強烈な欲求を高め、しかし過食しないということを延々と繰り返したのです。
その結果、「普通の認知行動療法的な治療=自己コントロール;過食したくなる刺激を避けることで過食をしないようにコントロールしていくやり方」に比較して、上記のような「あえて欲求に向き合う曝露療法」を行った人たちは、よりしっかりと過食が減ったのでした。 しかもその効果は1年後の追跡調査でも維持されていました。
とはいえ、何と言ってもスパルタ式過ぎます。 それに1週間に3回の治療セッションを行うなんて、ちょっと実用的じゃないです。(といっても、欧米で治療効果をあげている強迫性障害に対する曝露療法も週3〜4回、90分という、かなりスパルタ式に行うものではあります。抜群の効果があがる治療というのは、それなりに抜群に大変なのでしょう。)
しかし、「過食したいという猛烈な欲求」も含めて、そもそも「過食したい=薬物乱用のような、一瞬の楽になる方法に逃げたい」という気持ちを引き起こしたネガティブな感情(寂しさ、イライラ、怒り、不安、などなど)に対して、それを避けるのではなく、あえて向き合うことで耐性をつけていこう、という発想はイケるかもしれません。
寂しさ、不安、怒り、恥ずかしさ、などのネガティブな感情は、私たち人間は自然に避けようとしてしまうものです。 他のことに気をそらして考えないようにすることで、しっかりとじっくりと体験することを避けてしまうのです(=体験回避 experiential avoidance)。 こうした私たちが自然に持っている傾向を意識的にやめて、嫌な気持ちも、ネガティブな感情も、あるがままにしっかり受け止め、じっくりと体験していく練習をすることに重点を置いた行動療法は、マインドフルネス療法 mindfulness-based behavior therapyと呼ばれ、弁証法的行動療法 dialectical behavior therapyや、アクトACT=acceptance
and commitment therapy、などいくつかのやり方があります。
これらの治療では、嫌な感情、ネガティブな感情に向き合い、それを批判することなく自分のものとしてしっかり受け入れ、じっくり体験することで耐性をつけていくこと、そのうえでネガティブな感情に対する非適応的な行動(自傷行為をする、衝動的な買い物をする、相手に怒りをぶちまける、自分を責める、など)を減らしていくことができることが実証されていました。
ということは、嫌な気持ち、ネガティブな感情に対する非適応的な行動として表れてくることの多い「過食」という衝動的な問題行動も、この方法の応用で減らすことができるのではないか?
というので、米国スタンフォード大学のSafer先生たちは、マインドフルネス療法の一つである「弁証法的行動療法 dialectical behavior therapy=DBT」を過食症の女性たちを対象に20週間行い、同じ期間何も治療らしい治療をしなかった過食症の女性たちと比較してみました。
結果は歴然でした。 この治療を20週間も頑張った女性たちは、過食の頻度が激減し、「寂しさ」や「イライラ」などのネガティブな感情から食べてしまうこと(=emotional eating)も減り、全体として食行動が健康的になる傾向がありました。
摂食障害に対するマインドフルネス療法は、まだまだ始まったばかりというところもあり、その効果がどれだけあるのか? どれだけ持続性があるのか? といったことはまだしっかりとはわかっていません。 しかし、これまで出ているデータだけでも、過食症に対しては、少なくとも認知行動療法CBTや対人関係療法IPTと同等の効果があり、「ただの行動療法」に比較して格段に優れている、ということは言えそうなのです。 今後の発展が期待できる領域です。
参考書:
(1) Jansen A, et al. Cue-exposure vs self-control in the treatment of binge eating : a pilot study. Behav. Res. Ther. 1992; 30: 235-241.
(2) Safer D, et al. Dialectical behavior therapy for bulimia nervosa. Am J Psychiatry 2001; 158:632–634.
(3) Alberts H, et al. Dealing with problematic eating behaviour. The effects of a mindfulness-based intervention on eating behaviour, food cravings, dichotomous thinking and body image concern. Appetite 58 (2012) 847–851
(4) Wiser S & Telch CF. Dialectical behavior therapy for binge-eating disorder. J Clin Psychol 55: 755– 768, 1999.
(5) Katterman SN, et al. Mindfulness meditation as an intervention for binge eating, emotional eating, and weight loss: A systematic review. Eating Behaviors 15 (2014) 197–204.
拒食やせ症の治療
摂食障害に対する精神療法(=心理療法、カウンセリング)の話をしてきましたが、ここまで「摂食障害」として主な対象にしてきたのは、過食症、過食嘔吐症 bulimia nervosaの人たちでした。
では、拒食やせ症/嘔吐やせ症 anorexia nervosaに対してはどうなのか?
理屈的には、多かれ少なかれ同じような摂食障害の病理をかかえた過食嘔吐症に対してあれほど効果があることがはっきりしていた、認知行動療法 CBTと対人関係療法 IPTがきっと効果を発揮するだろう・・・と予測できます。
では、本当にそうだろうか? というので、ニュージーランドのMcintosh先生たちが成人の拒食やせ症/嘔吐やせ症の女性たちを集めて(どうやら約半数が「拒食やせ症」であり、半数が「嘔吐やせ症」のようでした)、「認知行動療法 CBT」、「対人関係療法 IPT」、それに対する「プラセボ」あるいは「当て馬」として「なんてことはない普通の支持的精神療法」をそれぞれ20週間行ってみた結果を比較してみました。
すると・・・
20週間の治療が終了した時点で、一番治療成績が良かったのは、予想を大きく裏切って「なんてことはない普通の支持的精神療法」だったのです。
Mcintosh先生たちは、さらに何年も追跡してみました(平均6.7年間)。 しかし、どの治療を行った人も、目立った差は出てこなかったのです。
(例によって、対人関係療法IPTは効果の発現に時間がかかることから、治療終了時点では一番治療成績が悪かったのが、数年後には一番治療成績が良くなっていました。 しかし、「一番良い」とはいっても統計的/臨床的に有意なほどの差は示せなかったのです。)
しかも、20週間の治療終了時点で「症状が改善した人」は全体の1/3くらいしかいませんでしたし、何年も経った後でも「症状が改善した人」は1/2くらいしかいませんでした。 つまり、かなり多くの人が「せっかく頑張って何ヶ月もの治療を受けたのに、ろくに良くならずに何年も経過してしまった」ということになります。
そんな馬鹿な・・・。背景理論もしっかりしているし、何よりも摂食障害に特化してつくられた認知行動療法や対人関係療法が、「なんてことはない普通の支持的精神療法」に対して優位性を示せないなんて・・・。(それどころか短期的には劣ってさえいたのです。)
しかも、1/3〜1/2くらいの人しか良くならないなんて・・・。
そこで、ドイツのZipfel先生たちは、大きな研究プロジェクトを組んで、242人もの摂食障害の成人女性を集めて、「短期精神力動的精神療法の一種(治療者/患者関係の「転移transference」を扱うことをしない、対人関係療法IPTにかなり近いタイプのもの)」、「認知行動療法」、そして「なんてことはない普通の支持的精神療法」を10ヶ月行い、そのあと1年間追跡調査してみました。
しかし、この結果もほとんど同じでした。 つまり、どの治療を行っても結果はほとんど差が出ませんでしたし、1年間の追跡調査終了時点でも「治った(=完全寛解)」人は全体の1/3くらいしかいなかったのです。
(この研究でも、例によって、認知行動療法 CBTは治療効果が早めに出るものの、後になって「中折れ」していく傾向があること。 それに対して、対人関係療法 IPTに似ている短期精神力動的精神療法では、治療効果の発現が遅く短期的には成績が悪いものの、後になって追い抜く傾向があることは示されました。 しかしそれでも、目立った差がつくことはなかったのです。)
これまでにお話ししてきたように、摂食障害の人は、ほとんどが思春期頃に「拒食症」として始まりますが、かなり多くの人が「過食嘔吐症」に移行していきます。 そうした中で頑固に「拒食症」にとどまり続けて大人になってしまう人というのは、かなり病理が深く治りにくいと考えられます。 たかだか数ヶ月〜1年弱の短期療法で治していくのは、無理なのでしょう。
参考書:
(1) Mcintosh V, et al. Three psychotherapies for anorexia nervosa: a randomized, controlled trial. Am J Psychiatry 2005; 162:741–747
(2) Carter FA, et al. The long-term efficacy of three psychotherapies for anorexia nervosa: a randomized, controlled trial. Int J Eat Disord 2011; 44:647–654
(3) Zipfel S, et al. Focal psychodynamic therapy, cognitive behaviour therapy, and optimised treatment as usual in outpatients with anorexia nervosa (ANTOP study): randomised controlled trial. Lancet, 2014; 383: 127-137