←こば心療医院

メディカルサイエンスエッセイ 寝椅子の下
第IV部 うまくいかない心
統合失調症編

統合失調症のイントロダクション

統合失調症患者の対人関係の苦手さ/劣等感は発病前から?

対人関係能力の低さと暴力性の問題

統合失調症の人はなぜ自分が病気だということをわからないのか?

統合失調症という病気は人から積極的で楽しい生き方をうばってしまうのか? パートI~II

統合失調症での「生まれと育ち」 パートI~II

統合失調症の長期的な経過

統合失調症と心理社会的介入(心理療法) パートI~II




統合失調症 ~イントロダクション

  統合失調症は、英語名schizophreniaの日本語訳ということになっています。

  これは日本精神神経学会が2002年にやや唐突に旧名称「精神分裂病」から変更したもので、その時の説明は「統合失調症」の方が日本語訳としてより正しいから、ということにしていました。

  実際は、英語のschizoは「分裂」と意味し、phrenは「心」を意味しますから、医学の他の領域との整合性を保つ意味では、「精神分裂症」とでも訳すべきであり、旧名称の方がより正しいわけです。

  そんな「大人の嘘」をついてでも名称変更をしたかったのは、やはり「精神分裂病」という病名は一般にわかりにくいというのと、長年の差別と偏見がこびりついてしまっていたから、というのが本当のところでしょう。

  (私は個人的には、こういう名前だけかえて本質をごまかしてしまうやりかたはどうも好きになれないのですが、日本人は基本的にこういうの好きなのですよね。 自衛隊用語にはこういうのがいっぱいありましたし、不祥事を起こした病院が名前だけ変えてしまうというのも、この業界でよく聞く話です・・・)

  英語名schizophreniaを「精神分裂症」と訳そうが、「統合失調症」と訳そうが、言っていることはほぼ同じです。 つまり、思考と感情の統合機能が悪くなり、思考と感情のまとまりが悪くなってしまう疾患だというような意味合いです。

  具体的には、思考のまとまりが悪くなり、何となく集中力が低下し、ちょっとした物音などの刺激に気がそらされるようになり、別に考えたくない/思い出したくない考えが勝手に浮かんできてはそちらの方に気がとられてしまうようになり、物事をしっかりと筋道をたてて考えて行くことが困難になっていきます。 物事、特に対人関係のやりとりのとらえ方が漠然としかできないようになり、主観的な思い込み(たいていは不安)が入り込みやすくなります。(これが被害関係念慮になり、さらにひどくなると妄想になります。)

  感情のまとまりの悪さは、最初のうちは何となく落ち込みやすくなるとか、情緒不安定やイライラしやすくなる、などの形で伴われてきます。 以前だったらそんなに動揺しなかったような、対人関係のちょっとした出来事に傷つき、不安になったりイライラしたり、情緒不安定になったりするのです。 

  次第に思考のまとまりの悪さをベースに妄想的な考えが発展し、自分は周囲の人たちから何となく嫌われているのではないだろうか、悪く見られているのではないだろうか、などの被害妄想的な不安を漠然と持つようになります。 これは自分の考えすぎであり疑心暗鬼にすぎないのか、あるいは本当に嫌われているという事実なのかの区別がつきにくくなってきます。

  さらに病状が進むと、「周囲から悪口を言われている」「意地悪されている」「悪い噂を広められている」「米軍に狙われている」「宇宙人に狙われている」などとだんだん荒唐無稽な「妄想」に発展してしまうことさえあります。 その頃になると、実際に悪口のような幻聴が聞こえるようになってくることもあります。

  なので、「統合失調症」の基本的な症状は「思考や感情のまとまりの悪さ」です。 決して幻覚や妄想ではないのです。 しかし、幻覚や妄想は素人目に見ても明らかに「おかしい」症状ですし、わかりやすいので有名になっています。 

  この意味で、統合失調症にとっての幻覚や妄想などのわかりやすい症状は、芸能人にとってのスキャンダルと似ています。 芸能人にスキャンダルはつきものですが、それは芸能人であることの本質でも本業でもなんでもなく、必要条件でも十分条件でもありません。 統合失調症には幻覚や妄想がつきものですが、それは統合失調症の本質でも何でもなく、必要条件でも十分条件でもないのです。

  さて、この「思考や感情のまとまりの悪さ」はいったい何なのか? その時脳でなにが起こっているのか?

  現在まででわかっていることは、おそらく大脳皮質の、特に前頭前野の働きが著しく低下しており、統合機能が低下してしまっているようだ、というのはあります。 前頭前野のドーパミン系が低下してしまっていることに関連しているのだろうと見られているのですが、物事に対する意欲がわかず、なにをやるにもテキパキと要領よくこなすことが難しくなり、ちょっとしたことがすごく大変なことのように思えて億劫になり、対人関係の「センス」が悪くなってきます。 おそらくは、これに対する代償メカニズムとして、大脳の中脳・辺縁系のドーパミン系が過活動になります。 それに関連して、物事に対する過敏性や「考えすぎ」「気にしすぎ」(さらに発展すると明らかな幻覚や妄想、興奮などもともなってきます)といった症状を生じてしまうのだろう・・・と。

  前者の大脳皮質でのドーパミン系低下症状は「陰性症状」と呼ばれ、後者の中脳・辺縁系のドーパミン系過剰症状は「陽性症状」と呼ばれます。

  一般に、陰性症状はあまり変わらないか、ゆっくりと進行し悪化していく傾向があります。 陰性症状の進行度合いは人によって全然違い、中にはほとんど陰性症状が進行せず目立つ事もない人もいますが、中には数年間でどんどん進行し「欠陥状態 deficit state」と呼ばれる荒廃状態になってしまうこともあります。 (私は個人的には英語名deficit stateは「欠損状態」と訳すべきであり「欠陥状態」は訳語として欠陥があると思っているのですが・・・)

  これに対して陽性症状は「増悪」と「寛解」を繰り返し、つまりは比較的良い時期と比較的悪くなる時期という波があることが多いです。

  こうした特徴は、内科疾患でいえば、糖尿病や高血圧、膠原病などの「慢性疾患」と同じです。 つまり、統合失調症は基本的に精神科での「慢性疾患」であり、長期に及ぶ(場合によっては終生に及ぶ)病気とのつきあいが必要になってくる疾患です。

  現在、統合失調症の治療の中心は「抗精神病薬」と呼ばれるタイプの薬を使った薬物療法になります。 抗精神病薬は基本的に脳内のドーパミンを遮断する作用があり、要するに中脳・辺縁系のドーパミン系過活動を反映している「陽性症状」を軽減していくために使用されます。 別の言い方をすると、普通の薬物療法だけでは、陰性症状は基本的にどうにもならない、とも言えます。

  ・・・だいたい、こんなところが統合失調症の基礎の基礎知識といったところでしょうか。




統合失調症患者の対人関係の苦手さ/劣等感は発病前から?

  統合失調症の人は、非常にしばしば「被害妄想」を持ちます。 中には「米軍に狙われている」とか「公安につけまわされている」などのいかにも荒唐無稽なものもありますが、多くの場合はもっと微妙に「周囲の人から嫌われているのではないか?」「悪く見られているのではないか?」という漠然とした被害感を持っているだけです。 (こうした漠然とした被害感は病気の勢いが弱まっている時にも結構残ります。病気の勢いが強くなる時(急性増悪期)には、もっとあからさまな被害妄想を持つことが多いです。)

  統合失調症の病態の本質は「思考と感情の統合機能が悪く、思考と感情がまとまり悪くなってしまうこと」にあります。 思考のまとまりの悪さのために、思考が妄想的になってしまう(因果関係をしっかり「わかる」ことができない)のは、まあわかるとして、なぜそれがわざわざ「被害妄想」という本人にとってつらく苦しい内容になってしまうことが多いのでしょうか? 

  統合失調症の患者さんたちと話していると、彼ら/彼女らには、非常にしばしば強烈な劣等感があることがわかります。 患者さん本人が自分自身に対して感じる劣等感/自己嫌悪感が他者に投影されて被害妄想になっているようなのです。 劣等感のわけとして、「見た目が悪いから、醜いから」とか、「自分が発しているなにか(雰囲気、オーラ、におい、などなど)が周囲の人を不快にしているから」とかの理由を話す人もいますが、よくよく聞いていくと、どうも人間としての基本的な部分で、他人に比べて劣っている、何かが欠けている、人から愛される存在ではないのだ、という確信に近いものを持っていることが多い印象です。

  「人間としての基本的な部分での劣等感」・・・これはどうも、患者さんが他人と対人関係を持つ中で感じ取ってきたもののように見えます。 他人との対人関係を幸せに持って行く能力といった点で、どうやら自分はひどく劣るようだ、その意味で何か根本的に自分は他人とは違うようだ・・・という感覚を、統合失調症になってしまった患者さんすべてではないでしょうが、少なからぬ人が持っているようなのです。

  これは一体なぜなのか?

  統合失調症の患者さんは、その症状の一つとして、対人関係が苦手になってしまうことは古くからよく知られていました。

  しかし、1990年代以降の比較的最近の研究結果から、統合失調症の患者さんに見られる対人関係の苦手さは、統合失調症という「病気」を発症するずいぶん以前から、それこそ小学校に上がる前の子どもの頃からあることが多い・・・という事実が示唆されています。

  生まれた時から子どもが大きくなるまでを追跡調査した研究(参考文献(1)、(2)、(3)、(4))では、大人になってから統合失調症やその類縁疾患になってしまう人は、子どもの頃に小学校に上がる前から対人関係が苦手で、情緒的に不安定さが目立ち、暴力性・粗暴性が目立ち、いろんな意味で周囲から見ても対人関係面でうまく適応できていない子どもだと見なされていることが多いことが示されています。 さらにこれは学童期から中学生頃になってくるとさらに顕著になり、学校でのお弁当時間を撮影したビデオクリップを見て評価するだけの簡単な対人関係評価でも、対人関係面でうまくやれていない様子が見て取れる結果になっています。

  何となく仲間内でうまくやれていない・・・そんな漠然とした感覚を持ちながら大きくなってしまい、対人関係の苦手意識を強めてしまうことがあったとしてもおかしくはありません。

  さらに問題なのは、子どもというものは、あまり悪気なく、仲間関係がうまくやれない子ども、情緒的に不安定な子ども、すぐに暴力や粗暴行為に出てしまう子どもを嫌ってしまう傾向があります。 なので、こうした対人関係面での問題がある子は、容易に「仲間はずれ」や「イジメ」の対象になってしまい、ますます対人関係への苦手意識を強めてしまうこともありそうな話です。 実際、後に統合失調症やその類縁疾患になってしまう子どもというのは、小学校の頃からイジメの対象になっていたことが統計学的に有意に多い事も示されているのです。(参考文献(5))

  おそらく、こうして、場合によると小学校に上がる前の子どもの頃から、ずっとどこか漠然と対人関係面において劣等感を感じながら大きくなっていくから、統合失調症の人は大人になってから「自分は何か他人よりも劣っている」という思いにとらわれやすくなるのかもしれない・・・と思ったりします。 そして、この根本的な劣等感を背景に、他人が怖いという感覚や漠然とした被害感、そして世の中への漠然とした敵意のようなものを強めてしまうのかもしれない・・・と。

  こうして考えると、「被害妄想」は「妄想」とはいっても、全く根も葉もない、わけのわからないものではないのかもしれない・・・と思ったりもします。



参考書:

(1) Done DJ, et al. Childhood antecedents of schizophrenia and affective illness: social adjustment at age 7 and 11. British Medical Journal, 1994; 309: 699

(2) Schiffman J, et al. Childhood videotaped social and neuromotor precursors of schizophrenia: a prospective investigation. Am J Psychiatry, 2004; 161: 2021-2027.

(3) Niemi LT, et al. Childhood predictors of future psychiatric morbidity in offspring of mothers with psychotic disorder: results from Helsinki High-Risk Study. British Journal of Psychiatry, 2005; 186: 108-114.

(4) Welham J, et al. Emotional and behavioral antecedents of young adults who screen positive for non-affective psychosis: a 21-year birth cohort study. Psychological Medicine, 2009; 39: 625-634.

(5) Schreier A, et al. Prospective study of peer victimization in childhood and psychotic symptoms in nonclinical population at age 12 years. Arch Gen Psychiatry, 2009; 66: 527-536.




対人関係能力の低さと暴力性の問題

  前回の話で、統合失調症の人は、幻覚や妄想といった「わかりやすい症状」とはまた別に、対人関係の基本的な苦手さの問題があること、それはこの「病気」の発病前からあることが多いこと、をお話ししました。

  対人関係の苦手さは、子どもの頃から情緒不安定や「キレやすさ」、「粗暴生や暴力性」といった暴力性・衝動性の問題として出てくることがありますし、その傾向は大人になっても続くことがあります。

  (もっとも、大人になってくると、対人関係でのうまくいかなさをさんざん繰り返してきてしまった結果として、対人関係を避けて引きこもるようになってしまう人が少なからずいます。 「引きこもり」は周囲の一般の人たちからは好ましくないこととして見られがちですが、「引きこもり」によって、対人接触が少なければ、自分が傷つくことも、人を傷つけてしまうことも当然少なくなるわけです。 実際、いくつもの研究で、統合失調症の症状のうち「引きこもり」系の症状である「陰性症状」が強くなってくると、暴力性・他害性の問題が減ってくることがわかっています。)

  そこで、気になってくるのが、一般の人もよく気にしている、統合失調症という疾患と暴力性・犯罪性の関係はどうなのだろうか? という問題です。

  この問題は若干タブー感があって、あまりちゃんと議論されることが少ない気がします。 しかし、ちゃんとした議論がされ、ちゃんと情報開示をしていないと、かえって問題が悪くなってしまうことはいつものことです。(最近の日本政府はこんな失敗ばかりしています。)

  では、科学的にはどうなのか? 統合失調症の人は、一般の「健常者」に比較して暴力性・犯罪性が高いと言えるのか?

  科学的事実として言うと、答えは「イエス」です。

  1980年くらいまでは、統合失調症の人も、一般の「健常者」と同じくらいの暴力性・犯罪性のリスクはないだろうと見られていました。 しかし、欧米で本格的な大規模な統計をとる疫学調査を行うと、そうではないことが繰り返し示されてきたのです。

  研究によって若干のばらつきはあるものの、統合失調症の人は一般の「健常者」に比較してだいたい4倍から8倍の暴力性・犯罪性のリスクがあるといえる・・・というのがほぼ一致した答えになっています。

  ただ、・・・・。 研究結果を詳しく見ていくと、おそらく一般の人が思っているのとはちょっと違った実際の姿があると思います。

  まず、そもそも暴力・犯罪行動はどの程度の発生率があるか? ということです。

  暴力行動は、主として家族など身近なものに向けられる「ちょっとキレて殴ってしまった」という程度の「軽微な暴力行為」と、武器を使ったり相手に怪我を負わせたり死なせたりしてしまう「重大な暴力行為」にわけることができます。

  すると、全体として見た場合に、統合失調症の人たちが6ヶ月以内に暴力行為を起こす確率はだいたい15~20%くらいであると見積もられるのですが、このうち「重大な暴力行為」の発生率は3~4%くらいです。

  つまり、大部分が、主には一緒に暮らす家族に対して向けられる「軽微な暴力」(もっとも、一緒に暮らす家族としては「軽微」とはいえしょっちゅう殴る蹴るされていてはかなわないでしょうが・・・)であると言えます。 実際、男女比をとってみると、意外なことに、「軽微な暴力」は女性に多いのです。 一般に暴力性は男性の方がリスク要因になっていることがわかっていますから、一見すると女性の方が多いという結果は変な気がするのですが、これは女性の方が家族と一緒に暮らしていることが多い(男性は単身生活をして引きこもっていることが多い)からであろうと見られています。

  さらに、いくつもある精神障害の中で統合失調症の位置づけです。 これまたいくつもの研究の結果から、数ある精神障害の中で暴力性・犯罪性が最も高いのは「薬物依存・乱用」の人たちであり、次いで「パーソナリティ障害」の人たち、そして「うつ病」の人たち、その次くらいに「統合失調症」の人たちがランクインします。

  (こうしたデータのもとになっている欧米の研究では主な精神障害の中に知的障害を入れていないため知的障害の人たちの暴力性・犯罪性のリスクがどのくらいの位置になるのかが今ひとつ不明です。 しかし、知的障害の人たちはこれらの精神障害に比較しても相当に暴力性・犯罪性のリスクが高いことは分かっています。)

  実際、精神科病院に入院する患者さんの中では、統合失調症の人たちは最もおとなしく、最も問題を起こさないことが経験的に知られていて、医師も看護師もそれほど警戒せずに接していくことができます。 これに対して「薬物依存・乱用」の人や「パーソナリティ障害」の人は入院すると問題を起こすことが多く対応の難易度が高いので、しばしば「薬物依存・乱用の患者さんはお断り」、「パーソナリティ障害の患者さんはお断り」となっている病院があるくらいなのです。

  つまり、事実として「精神障害のある人は一般健常者に比較して暴力性・犯罪性が高い」と言えるのですが、その中では統合失調症の人は比較的リスクが低いと言えるのです。

  そして、統合失調症の人たちの暴力・犯罪行動に関する「幻覚・妄想」の影響です。 統合失調症の人が暴力・犯罪行動を起こすと、割と簡単に、それは妄想に左右されてやってしまったと片付けられがちです。 しかし、よく考えるとそれも変な話です。 例えば、統合失調症の人たちの妄想で一番多いのは「悪口を言われている」「悪く見られている」などの被害妄想です。 しかし、普通に考えたら、もし自分が周囲の人たちから悪く見られ、悪口を言われていたとして、だからといって相手に殴る蹴るの暴力をふるうでしょうか? 大部分の人は、そんなことはしないはずです。 実際、米国で行われた有名な「マッカーサー暴力危険性評価研究」の結果によると、統合失調症の人たちが起こす暴力行為と妄想にはほとんど全然関係がないことが示されています。

  言われてみると極めて当たり前の話です。 統合失調症の人たちは、ほとんどの人が被害妄想を持っているのに、実際に「それによって」暴力行動をしてしまう人など、本当に一握りしかいないのです。 つまり、幻覚妄想によって暴力を起こしてしまうのではなく、別の要因で暴力に至りやすいのだろうと思えてきます。

  では、統合失調症の人で暴力・犯罪行動を起こしやすいのはどういう人なのか? どういうリスク要因があるのか?

  これまでの研究で繰り返し示されている暴力・犯罪行動に至るリスク要因として、(1)薬物依存・乱用を合併していることと、(2)ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれてその後も暴力行為・犯罪行為を繰り返してきたこと、があがっています。

  薬物依存・乱用の問題は「反社会性」という性格傾向と密接な関係があることがわかっています。 つまり、おそらくは、そういうことなのです。

  統合失調症そのものが暴力性・犯罪性を引き起こすのではなく、もともと「反社会性」と呼べるような性格傾向があった人に、統合失調症的な対人関係の脆弱性が加わると、余計に暴力・犯罪行為への傾向が強まることになる・・・、ということなのでしょう。 暴力・犯罪行動を引き起こしている主な要因は、統合失調症という病気にあるのではなく、むしろその人の持つもともとの性格的な「反社会性」にあると考えた方がより真実に近いでしょう。

  こういう事実を見てみると、いろいろ考えさせられることが出てきます。

  現在、統合失調症などの精神障害があり他害行為・犯罪行為を起こしてしまった人は、たいてい「措置入院」あるいは「医療観察法」による強制入院治療の対象になります。 これは入院「治療」ですから、かならず治療のゴールがあり、退院があります。 基本的には問題行動を起こしてしまった当時の強い興奮や混乱、幻覚妄想などがおさまったら「症状が消退した」として退院させます。 しかし、このとき、統合失調症の症状はおさまっていますが、その人の持つ性格的な「反社会性」は治っていません。 つまり、上記のような事実を考えると、これは決してその人の暴力性・犯罪性のリスクが低減したということを意味してはいないのです。

  (もっとも、統合失調症の症状が陽性症状中心から陰性症状中心に移ってくると、前述したように対人接触を避けて引きこもるようになるので、その結果として対人トラブルも減り、暴力・犯罪行動を起こすリスクも減ることにはなるでしょう。 しかし、これは純粋に医学的な意味で「治った」とは言わないでしょう。)

  いかがでしょうか。 おそらく一般の人が思い描いている統合失調症という疾患と暴力性・犯罪性との関係とはちょっと違うのではないでしょうか。

  もう1つあります。 統合失調症の患者さんのうち99.97%の人は「重大な暴力・犯罪行動」を起こさないということです。

  つまり、統合失調症という病気は、確かに対人関係を苦手にし、対人関係トラブルを起こしやすくする傾向はあります。 確かに、みなさんの身近にいる統合失調症の人は傷つきやすく、若干神経質で、「ちょっとつき合いづらい人」であるかもしれません。 しかし、それはほとんどの場合、「社会に対して有害な、脅威となる人」ではないわけです。




参考書:

(1) Walsh E, et al. Violence and schizophrenia: examining the evidence. British Journal of Psychiatry, 2002; 180: 490-495.

(2) Swanson JW, et al. A national study of violent behavior in persons with schizophrenia. Arch Gen Psychiatry, 2006; 63: 490-499.

(3) Appelbaum PS, et al. Violence and delusion: data from the MacArthur violence risk assessment study. Am J Psychiatry, 2000; 157: 566-572.

(4) Arseneault L, et al. Childhood origins of violent behaviour in adults with schizophreniform disorder. British Journal of Psychiatry, 2003; 183: 520-525.




統合失調症の人はなぜ自分が病気だということをわからないのか?

  統合失調症の人は、その症状として、他人の気持ちを感覚的に正しく読み取り理解していくことが困難になります。 私たちは他人の気持ちを私たちの主観を通して感じ理解していくことになるのですが、統合失調の人ではその感じ方/理解の仕方がどうしても漠然としたものになってしまい、その漠然性の中にその人の不安が混じってしまうこともあって、たいていは悪い方向に歪曲されるようになってしまうのです。

  この結果が「被害妄想」です。

  「被害妄想」の中には、「米軍に狙われている」とか「宇宙人に身体を乗っ取られている」などの荒唐無稽なものも時々ありますが、より多くの患者さんが抱いているのは、もっと微妙なものです。 多くが対人関係のとらえ方を悪い方向に歪曲してしまい、他人のちょっとした言動を「私のことを嫌っているのではないか?」「あそこでコソコソ話をしているのは私の悪口を話しているのではないか?」「私を見て太っている、醜い、って思っているのではないか?」などのように思ってしまう、というものです。

  つまり、対人関係における「被害妄想」あるいは「被害妄想的な思考」は何もないところに、何の理由もなく生じるのではなく、他人の気持ちを正しく感じ取り理解していくという基本的な心の機能が弱ってしまっているところに生じてくる、ということなのです。

  他人の心を感じ取り理解していく心の機能のことを、最近ではメンタライゼーション機能 mentalizationと呼びます。 そして、この機能は大脳の中でも前頭前野内側部(より詳しくは、ブロードマンの第10領域にあたります)がつかさどっているようであることもわかってきています。 (今回の統合失調症の話題とは少し離れますが、他人の気持ちを感じる/理解することができないことが重大な特徴の一つである自閉症(広汎性発達障害)の人は、他人の気持ちを感じ取り理解する課題を与えたときに、健常者と比較して脳のこの部分の活動性がひどく低いことが分かってもいます。)

  そして、統合失調症の人は、このメンタライゼーション機能が著しく弱っており、他者の気持ちを正しく感じ取り理解していく機能が低く、その脳の領域(前頭前野内側部;ブロードマンの第10領域)の機能が低くなっていることが、分かっています。

  こうした脳の機能の低下を背景に「被害妄想」は生じているわけです。

  ところが、統合失調症の人たちは、自分が妄想を持っていることを本当の意味で正しく理解することができないことが普通です。 ひどい場合にはどんなにひどい被害妄想を持っていても「自分は病気じゃない!」と言い張ります。 ごくごく軽症な人は、そこまで極端ではなくても、よくよく話を聞いていくと自分の主観的な気持ちのどこからどこまでが「病気」であるのかという区別がついていないことがほとんどです。

  統合失調症の人に特徴的に見られる、こうした「自分のどこがどんなふうに病気なのか」がわからないという問題は「病識 illness insightの欠如」とよく表現されます。 しかし、これはなぜなのか? なぜ自分の思考がおかしくなってしまっていることに、なぜ妄想が妄想でしかないことに、患者さんは本当の意味で気づくことができないのか?

  昔は、自分が病気であることを認めたくないために心理的な防衛機制である「否認 denial」が働いているのだろう・・・と、何の根拠もなく思われていました。 

  しかし、最近の科学的な研究の結果から、「病識の欠如」の問題にも脳科学的な背景がちゃんとあることが示されてきたのです。

  以前に『「私」のなりたち』の中でミラー・ニューロンの話や左脳の解釈機能の話をしたことがありました。

  その中で、私たちの持っている「私」とか「あなた(他者)」という概念は、私たち人類がその進化の過程の中で、固有の「心」や感情や行動の方向性を持った「他者」というものが存在するかのように解釈する方が生存競争上有利に働いたために、私たちにそなわってきた機能だったのだろう、という話をしました。 そして、私たちはこの「他者」というものを解釈するための心の機能を使って、「私」というものが存在するかのように解釈するようになったのだろう、とも議論しました。

  つまり、大脳皮質の中でも前頭前野内側部にその中枢があると考えられている「メンタライゼーション機能」は、私たちが「私」の心を感じ取り理解することにも、「他者」の心を感じ取り理解することにも、その両方に共通して使っているのだろうと考えられるのです。

  そして、統合失調症の人ではこの機能が低下してしまっているということは・・・・

  そうなのです。 統合失調症の人は他者の心の状態を正しく感じ理解することができなくなっているだけでなく、自分自身の心の状態を正しく感じ理解することもできなくなっているのは、こうした脳の機能的な背景を考えると、ごくごく当然な話なのです。

  こんなものは、ただの理屈、机上の空論じゃないのか? と思われるかもしれません。

  では、実験して確認してみよう、というのが科学です。

  これに関してLee先生たちの研究グループは、非常にスマートな実験を行いました。

  実験では統合失調症になってしまった患者さんと、健常者を集めて、他人の気持ちを感じ取り理解する課題を与えながら、fMRIという脳のどの部分がどの程度活動しているかを画像診断してみました。

  すると、予測していた通りでした。 健常者に比較して統合失調症を発病した人では、他人の気持ちを感じ取り理解する課題を与えられた時の前頭前野内側部の活動性が低い結果でした。 そしてさらに重要なことに、薬物療法を中心とした治療を行い症状が改善していくると、前頭前野内側部の活動性低下の問題もいっしょに改善していくことが示されたのです。 そしてそれにともなって、前頭前野内側部の活動性の改善に比例して、実際に他人の気持ちを正しく感じ理解する能力も、自分自身が「病気」であるということの理解(病識)も、改善していくことが示されました。

  統合失調症の治療においては、治療に対するモチベーションを維持し、再発予防治療を中断せずに続けていく上で「病識をつけていくこと」が大切だといわれていました。

  しかし、上記のような脳の機能上の問題があることを考えると、それがいかに困難なことであるかがわかります。

  「病識の欠如」は、統合失調症という疾患において、かなり本質に近いところにある症状だからです。



参考書:

(1) Lee K, et al. A functional magnetic resonance imaging study of social cognition in schizophrenia during an acute episode and after recovery. Am J Psychiatry 2006; 163:1926–1933.

(2) Fisher M, et al. Self and other in schizophrenia: a cognitive neuroscience perspective. Am J Psychiatty, 2008; 165: 1465-1472.

(3) Aleman A, et al. Insight in psychosis and neuropsychological function: meta-analysis. British Journal of Psychiatry, 2006; 189: 204-212.




統合失調症という病気は人から積極的で楽しい生き方をうばってしまうのか? パートI

  引き続き統合失調症の話ですが、引き続き幻覚や妄想といったわかりやすい症状ではない、別の症状の話です。

  意図的にそうしています。 確かに幻覚や妄想といった素人目にもわかりやすい症状は統合失調症の特徴的な症状として有名なのですが、これらは統合失調症のたくさんある症状・問題の一つでしかなく、その本質からはほど遠いものであるからです。

  そして、これまでに行われた幾つもの研究結果から、統合失調症の人の長期予後、社会適応の善し悪しに大きな影響を与えるのは、幻覚や妄想といった陽性症状の程度よりもむしろ、意欲の低下や対人関係の苦手さなどの陰性症状の程度の方であることも繰り返し示されているからでもあります。

  「陰性症状 negative symptoms」とは、健常者ではふつうにある心の機能が欠如あるいは著しく低下してしまっているものを言います。 その有名なところが感情反応の乏しさ(「感情の平板化」)と、興味・関心の乏しさ、意欲ややる気の低下などです。

  患者さんは何をしていてもつまらなさそうですし、そもそも何か有意義なこと/楽しいことをしようという意欲が乏しくなっています。 結果、よく「無為・自閉的」と表現されてしまいますが、陰性症状の強い患者さんは一日中何もせず、家から外出することもなく、ただただぼーっと過ごしてしまっているように見えます。

  (そして時にこれは周囲の人から「なまけている」「だらけている」と非難されてしまうことにもなります。)

  これは一体なぜなのか? というか、そもそも本当に統合失調症という病気は人から物事を積極的に楽しむ能力をうばってしまうものなのか?

  日々の生活の中で人がどれだけ喜びや楽しみを感じるかということを調査すると、「健常者」に比較して統合失調症の人は、確かに明らかにポジティブな感情を感じにくく、ネガティブな感情を感じやすい・・・という事実が、これまでの研究で繰り返し示されてきました。

  ところが、実験室の中で、ポジティブな気持ちを動かすような内容のビデオ映像を見たり、おいしいものを食べたりするといった「即物的な」課題にすると、統合失調症の人も、健常者に負けず劣らずちゃんとポジティブな気持ちが動かされることもわかってきました。

  この一見すると矛盾する結果は何を意味しているのか?

  さらに実験的な研究を進めていくと、どうやら統合失調症の人では、ポジティブな気持ちが動かされている時でもネガティブな気持ちが動いてしまい、結果として喜びや楽しみが普通に出てくることが難しくなってしまうようであることがわかってきたのです。 

  「健常者」は、ポジティブな刺激を与えられれば「嬉しい、楽しい、大好き」といったポジティブな気持ちが動かされ(その時にはネガティブな気持ちの動きは抑制され)、ネガティブな刺激を与えられれば「悲しい」とか「怒り」とかのネガティブな気持ちが動かされ、特に感情を動かすような内容ではない刺激を与えられれば特にポジティブにもネガティブにもなりません。 

  ところが、統合失調症の人では、ネガティブな刺激を与えられた時にネガティブな気持ちが動かされるのは同じなのですが、ポジティブな刺激を与えられたときにポジティブな気持ちが動かされるのと同時にネガティブな気持ちも(健常者のように適切に抑制されることなく)動かされてしまいますし、特に感情を動かすような内容ではない刺激を与えられた時にもネガティブな気持ちが動かされてしまう傾向があるのです。 ポジティブな感情とネガティブな感情がきっちりとわけられておらず、まとまりなく一緒に出てきてしまうのです。

  つまり、これは統合失調症の基本的な症状である「思考や感情の統合の悪さ、まとまりの悪さ」のわりと直接的な表れであろうと見られるのです。


  ちょっと脳科学的な言い方をすると、感情の統合・コントロールは前頭前野の下の方の部分(orbitofrontal cortex)がつかさどっています。 統合失調症という病気では、この部分の機能も低下してしまっているために、感情の適切な統合・コントロールが悪くなってしまい、本来ネガティブな感情が動かされなくても良いような時でも、ネガティブな感情が適切に抑制されず動いてしまい、勝手に出てきてしまう・・・ということなのでしょう。

  問題は、このようにして感情表出が悪くなり、特にポジティブな感情表現が難しくなってしまうことで対人関係面にも悪影響を与えてしまうことです。 これまでの実験的研究で、「健常者」は「健常者」と関わり合っている時に比較して「統合失調症の人」と関わり合っている時は、相手が病気であるということは全く知らされていないにもかかわらず、何だか嫌な気分になりがちだということが示されているのです。 そして「健常者」が関わり合いの中で感じる「何だか嫌な感じ」は統合失調症の人の感情表出の問題に関連しているようであることも示唆されています。 

  こうなってくると悪循環が起こります。 もともと統合失調症の人は「健常者」よりも対人関係のやりとりで楽しさや喜びを感じることが難しいのに加えて、関わり合っている相手が「何だか嫌な感じ」になってしまうようでは、ますます対人関係が嫌になってしまいます。 こうした対人関係での苦手感は強烈な劣等感となって、ますます自分自身に対する、物事全般に対するネガティブさを強めてしまうでしょう。

  その結果として「ひきこもり」をしてしまう統合失調症の人に対して、ひきこもりはいけないことだとか、もっと対人関係を持つようにしろとか、簡単には言えないことがおわかりになると思います。

  統合失調症という病気の本当の問題、本当の苦痛は、幻覚や妄想といったわかりやすい症状の方にあるのではないことの一例です。



参考書:

(1) Kring AM & Moran EK. Emotional response deficit in schizophrenia: insight from affective science. Schizophrenia Bulletin, 2008; 34: 819-834.

(2) Cohen A & Minor KS. Emotional experience in patients with schizophrenia revisited: meta-analysis of laboratory studies. Schizophrenia Bulletin, 2010; 36: 143-150.





統合失調症という病気は人から積極的で楽しい生き方をうばってしまうのか? パートII

  統合失調症という病気では、思考や感情の統合の悪さ、まとまりの悪さの問題のために、別にネガティブでもなんでもない感情が動くべき時にもネガティブな感情が勝手にまとまりなく出てきてしまい、結果としていつもどこかネガティブな感じ、いつもどこか不安だったり不機嫌だったりする感じがつきまとってしまう傾向があることをお話ししました。

  つまり、嬉しいこと/楽しいことを嬉しい/楽しいと体験できないのではなく、同時にネガティブな感情まで出てきてしまうからいけないのだ、と。

  しかし、統合失調症の人がその日常生活の中で、なかなか嬉しい、楽しい、大好き、という体験を(健常者に比較して)しにくいのには、まだ別の理由もありそうなのです。

  その1つが、「これをすると、これを頑張ると、こんな良いことがある」というイメージを生き生きと持つことが難しいことです。 

  目の前に出されたおいしいものを食べておいしい、嬉しいと思うのは誰でも同じです。 しかし、おいしいものを食べようと、食材を厳選して買ってきて、調理して、食卓を準備して、仲間を呼んで、食事をして、「おいしい、嬉しい」というゴールにたどり着くのは、こうして言葉にして手順を並べてみると、結構大変です。 この結構大変な手順を、最終的に「おいしい、嬉しい」というゴールを(意識的・無意識的に)イメージしながら、やり続けることができるかどうかです。

  これまでの研究で、統合失調症の人たちも、おいしいものを食べておいしい、嬉しいと思うことはわりと普通にできることがわかっていました。 食べることだけでなく、即物的な、すぐに快楽が手に入るようなものだと、統合失調症の人も健常者に比較してそれほど遜色なくポジティブな体験をすることができるのです。

  ところが、こうした最終的な快楽を手に入れるための手順が少し込み入ってくると、統合失調症の人はとたんにモチベーションが下がってしまうこともわかってきました。

  これは統合失調症においては前頭前野機能が低下してしまうために、物事についての生き生きとしたまとまりのあるイメージを形成し、保持しておくことが非常に困難になってしまうためであろうと考えられています。

  多少の労力はいとわずに、物事に取り組むことに価値を見いだせるかどうか、そしてその価値を物事に取り組んでいる間ちゃんと維持しておくことができるかどうか・・・そうした能力の点で「健常者」と統合失調症の人の間には無視できない差があるようなのです。

  たとえば、すごく簡単なところでは、何か良いものを得るのに要する時間という問題があります。 今すぐだったら100円もらえるけど、明日まで待てば1000円もらえる、というものがあったらどうするでしょうか? よっぽど小銭に困っていなければ、多くの人は明日まで待って1000円をもらうでしょう。 その方が900円の得になります。 しかし、今すぐだったら100円もらえるけど、2週間待ったら1000円もらえるというものだったらどうでしょうか? あるいは1年待ったら1000円、2年待ったら1000円、だったらどうでしょうか? 当然、待ち時間が長ければ長くなるほど「価値」は下がっていきます。 

  ところが、この経時的な価値の下がり方には、「健常者」と統合失調症の人たちの間には差があって、統合失調症の人たちの方がわりとすぐに価値が下がってしまう傾向があることが示されています。

  つまり、良いものがすぐに得られるのであればそれに「価値」を見いだすことができるのですが、すぐではなく時間がかかったり手順がかかったりすると、とたんに価値が下がってしまうのです。

  こうしたことは、対人関係行動や勉強や仕事など社会的により複雑な「価値」を得るための行動になってくるとより顕著になってきます。

  この結果、統合失調症という病気になると、労力や時間をかけて何か良いものを得ていこうとするモチベーションが持ちにくくなり、なんとなくだらだらと無目的に、刹那的に、過ごすことが多くなってしまう・・・という問題につながるのだろうと考えられるのです。

  統合失調症を「治療」していくということは、単純に幻覚や妄想を軽減していくことだけでなく、こうした問題すべてを修正していくことが必要になってきます。 本当の意味での「治療」がひどく困難なわけです。



参考書:

(1) Gold JM, et al. Reward processing in schizophrenia: a deficit in the representation of value. Schizophrenia Bulletin, 2008; 34: 835-847.

(2) Barch DM & Dowd EC. Goal representations and motivational drive in schizophrenia: the role of prefrontal-striatal interactions. Schizophrenia Bulletin, 2010; 36: 919-934.

(3) Ursu S, et al. Prefrontal cortical deficits and impaired cognition-emotion interactions in schizophrenia. Am J Psychiatry 2011; 168:276-285




統合失調症での「生まれと育ち」 パートI

  私たちの「心」を決定づけるのは「生まれ」=遺伝的要因なのか、あるいは「育ち」=環境要因なのか、という問題を『生まれと育ち』の章で議論しました。

  主にはアルコール依存症や境界性パーソナリティ障害の例を使って、結論としては、「生まれ」だけでもなく、「育ち」だけでもなく、「生まれ」と「育ち」の相互作用によって形成されるのだ・・・という話になりました。 つまり、もともと遺伝的に「病気」になりやすいという脆弱性を持って生まれてきた人が、環境的にも不幸な状況にあると、その重なりによって「病気」が生じてくる・・・というものでした。

  統合失調症という「病気」においてはどうなのでしょう。

  すごく昔には統合失調症も「育ち」の要因が重視されていました。 

  統合失調症という病気には明らかな家族性があり、つまりは統合失調症の人の両親やその他の家族も統合失調症を持っていたり、医療機関で正式な診断を下されたわけではないにしても統合失調症的な思考や感情のまとまりなさの特徴を持っていることが多いのです。 こうした統合失調症の患者さんの家族に見られる「思考や感情のまとまりのなさ」という特徴は、会話の中で微妙に表現がオカシイというところに表れ、これは「コミュニケーション上の逸脱 communication deviance」と呼ばれていました。 幼少期から「コミュニケーション上の逸脱」が目立つ、混乱した思考、混乱した会話が飛び交う家庭環境の中で育ってしまうので「心」の成長発達が狂ってしまい、その子は後に統合失調症と呼ばれる「病気」になってしまうのだ・・・と結構本気で考えられていたのです。

  ところが、その後の研究で家族に見られる「コミュニケーション上の逸脱」は、その人達の前頭前野機能の障害と相関すること、つまり、家族の人達の中にある潜在的な統合失調症的傾向の表れであろうことが示唆されてきました。 つまり、後に統合失調症患者となってしまう子どもは、家族の中に飛び交う「コミュニケーション上の逸脱」によって思考が狂わされてしまうのではなく、家族の人達のそのような特徴の元になっている脳の構造の遺伝子的な背景を「生まれつき」引き継いでしまうから、統合失調症を発症するような脳の構造を持ちやすくなるのだろう・・・とも考えられるようになったのです。

  その後、『生まれと育ち』の章でさんざん繰り返しお話ししてきた「双子研究」や「養子研究」の結果から、統合失調症という「病気」は、大部分が遺伝的要因によって決定づけられる、かなりの部分体質的な問題なのだろう、ということがわかってきました。

  (例えば簡単な数字を出すと、一般人口での統合失調症の発生率はだいたい1%くらいであろうと見積もられているのですが、片親が統合失調症を持っている場合に子どもが統合失調症になってしまうのはだいたい10%くらいになるだろうと見積もられます。 約9割は発症しないと言えるのですが、それでも一般人口に比較すると10倍もリスクが上がっていることになります。 さらに、両親ともに統合失調症を持っている場合は、子どもが統合失調症になってしまう確率はさらに上がってだいたい30%くらいになるだろうと見積もられるのです。)

  ところが・・・・

  統合失調症には明らかに遺伝的要因が強く働いているのですが、同時に幾つかの「環境要因」と思われるリスク要因も見つかってきました。

  例えば、母親が妊娠中に(特に最初の3ヶ月の間に)インフルエンザや尿路感染症など高熱を伴う感染症にかかってしまうことです。 このことは、最初の頃は疫学調査の結果として、統合失調症の患者さんは冬生まれに多いことだとか、インフルエンザが大流行した年に多いことだとかから推論されていました。 そのうち、ちゃんとした大規模研究をやってみると、確かに母親が妊娠中に熱病にかかると、その子どもが後に統合失調症を発症するリスクが微増することが統計的に示されたのでした。

  また、田舎暮らしに比較して都会暮らしをしている人に統合失調症の発症リスクが高くなるということも統計的に示されています。

  こうした「環境要因」があるということは、「統合失調症は基本的には大部分が遺伝子的・体質的要因で決定づけられる疾患である」という考え方と矛盾しないでしょうか?

  これは一体どういうことなのか?



参考書:

(1) Singer MT, Wynne LC: Thought disorder and family relations of schizophrenics: III. Methodology using projective techniques. Arch Gen Psychiatry. 12: 187-200, 1965

(2) Docherty NM: Communication deviance, attention, and schizotypy in parents of schizophrenic patients. J Nerv Ment Dis. 181:750-756, 1993

(3) Brown AS & Derkits EJ. Prenatal infection and schizophrenia: a review of epidemiologic and translational studies. Am J Psychiatry, 2010; 167: 261-280.




統合失調症での「生まれと育ち」 パートII

  統合失調症という病気には昔から家族性があることが知られていました。 統合失調症として「診断される患者さん」の家族の人達の中には、実際に統合失調症と診断され病名がついて通院歴がある人も少なからずいますし、通院歴はなく正式な診断を受けたわけではなくても、明らかに微妙な思考障害があり思考や感情のまとまりのわるさという特徴を持っている人も少なからずいます。 (このような、統合失調症の「患者さん」の家族の人達に少なからず見られる微妙な「統合失調っぽさ」は、その後「統合失調型パーソナリティ schizotypal personality」という「病名」として名付けられることになりました。)

  こうした「家族性」は当初は「育ち」の問題のためだろうと思われていました。 思考や感情のまとまりがわるく「コミュニケーション上の逸脱」と呼ばれるような独特のコミュニケーションをする傾向のある両親が子どもを育てるから、子どももそのような「思考障害」を学習してしまい(あるいは「健常な」思考を学習することができないために)統合失調症の発症のベースになる「思考や感情のまとまりのわるさ」という特徴を持った心を形成してしまうのだろう・・・というようなアイデアです。

  (あるいは、古い精神分析学の理屈では、子どもにまだ「自分」というものができてくるずっと以前に、早期母子関係での情緒的な発達がうまくいかなかったことが原因であろう・・・と考えられていたものもあります。)

  しかし、その後の「養子研究」や「双子研究」などのちゃんとした科学的研究の結果、現在では統合失調症という病気は、その大部分が遺伝的・体質的によって決定づけられているのだろうと見られるようになり、「家族性」の原因の大部分は「育ち」ではなく「生まれ」にあるのだろう・・・と見られるようになりました。

    しかし・・・、というところまでが前回の話でした。

  ところで、ちょっと注意しなくてはならないことに、遺伝的要因以外の要因は、どれも統合失調症という病気を1%以下くらいのすごくわずかな確率で「微増」させるに過ぎないということがあります。 

  例えば、母親が妊娠中の感染症・熱病は子どもがその後統合失調症を発症することのリスク要因となっています。 しかし、妊娠中に母親がインフルエンザや尿路感染症などにかかって高熱を出してしまうことは、妊娠中に全く感染症にかからなかった場合に比べて、膨大なデータをとると統計学的に有意差が出るというだけで、その差は1%以下の微々たるものです。 

  また、どういうわけか、母親が妊娠したときの父親の年齢が比較的高齢であると(45歳以上)、父親がより若い場合に比較して、子どもがその後統合失調症を発症するリスクが微増することがわかっているのですが、これも膨大なデータをとると統計学的に有意差が出てくるというだけのもので、その差も1%以下の微々たるものです。

  つまり、これらの「リスク微増要因」は、統合失調症の原因は何なのか?ということを議論する科学的には興味深い話なのですが、実際にそのような「リスク微増要因」を背負った人が「妊娠・出産するかしないか」というような臨床的な決定を左右するほどのものではない、という性質のものです。

  話が大きく脱線しました。 統合失調症の発症には「環境要因」もからんでいる、という話題に戻します。

  その環境要因の1つが、胎性期の環境要因というか、母親が妊娠中にインフルエンザや尿路感染症などの高熱をともなう感染症にかかってしまうと子どもが後に統合失調症を発症するリスクが微増するというものでした。

  さらに、出産時の事故(新生児の低酸素症など)があると、これまたその子が後に統合失調症という病気を発症するリスクが微増することも統計的には確認されました。

  また、田舎暮らしに比べて都会で生活するということも統合失調症の発症の環境要因になっています。

  さらに幾つかの「養子研究」で微妙に示唆されていることなのですが、遺伝的要因ほどには強くないものの、思考や感情のまとまりのわるい「狂ったコミュニケーション」が家庭内で飛び交っていることや、その他のいろいろな混乱した家族状況があると、やはり子どもの統合失調症の発症リスクが微増することもわかってきました。

  統合失調症にはこのように「環境要因」もあるということは、「統合失調症の原因の大部分は遺伝的・体質的要因によって決定されている」ということと矛盾しないのでしょうか? あるいは、遺伝的・体質的要因とは別の経路で統合失調症という病気を引き起こしているということなのでしょうか? 

  結論から言うと、ここでも「生まれ」か「育ち」かではなく、その両方がかかわっているということ、もともと遺伝的な脆弱性があり統合失調症という病気になりやすく生まれついた人が、上記のような環境要因による影響を受けやすいということ、のようなのです。

  例えば、妊娠中(特に妊娠して最初の3ヶ月間)の感染症による熱病の問題です。 Clarke先生たちの研究はヘルシンキに在住する妊娠中に尿路感染症にかかり高熱を出して入院した女性の子ども約1万人を集めて、妊娠中に母親が熱も出さず「健康」でいられた約1万3千人の子どもと比較しながら、その子たちが後に統合失調症を発症してしまうかどうかを追跡調査する、というとんでもなく大規模なものです。 その結果、親に統合失調症の遺伝的要因がない場合は、妊娠中に尿路感染症を起こして高熱を出してもあまり影響はなかったのですが、親に統合失調症の遺伝的要因がある場合は、妊娠中の尿路感染症による高熱は、確かに子どもが後に統合失調症を発症するリスクを微増させることが示されたのでした。

  「田舎暮らしよりも都会暮らしの方が統合失調症になりやすい」という環境要因も同様です。 Van Os先生たちの研究では、遺伝的・体質的に統合失調症になるリスクが低い人たちは都会暮らしをしてもそれほど問題ないのに対して、遺伝的・体質的に統合失調症になるリスクが高いことがわかっている人には都会暮らしをすることで統合失調症になるリスクがより微増する傾向があることが示されています。

  さらに、「コミュニケーションが混乱した家族状況だと統合失調症を発症しやすい」という環境要因についても、Wahlberg先生たちの研究が非常に興味深い結果を出しています。 この研究では、統合失調症を持つ親から生まれた子と、「健常者」の親から生まれた子が、それぞれ養子に出された場合に、養父母のつくる家庭環境の影響をどのように受けるかを調べています。 「養父母のつくる家庭環境」は養父母の「コミュニケーション上の逸脱 communication deviance」を使って測定し、つまりは養父母のつくる環境にどれだけ「思考障害」があるか、どれだけ「狂ったコミュニケーションが飛び交ってしまっているか」を見ています。

  すると、生物学的に「健常者」の親から生まれて養子に出された子ども、つまり遺伝的な脆弱性が特にあるわけではない子どもの場合は、養父母のつくる環境にあまり影響をうけないのに対して、統合失調症の親から生まれて養子に出された子ども、つまり統合失調症になりやすい遺伝的な脆弱性のある子どもは養父母のつくる家庭環境の影響をもろに受けてしまい、養父母のつくる家庭環境の中に「狂ったコミュニケーション」が飛び交っていれば飛び交っているほど、その子の思考障害も目立ってきてしまう(統合失調症の発症に一歩一歩近づいてしまう)ことが示されています。

  「病気」は遺伝的・体質的な脆弱性と不幸な環境の重なりによって生じてくる・・・簡単に言うとそういうようなことが、『生まれと育ち』の中で議論してきたアルコール依存症や境界性パーソナリティ障害だけでなく、多かれ少なかれほとんどすべての精神科疾患について言えるわけで、遺伝的・体質的要因が大部分であると言われている統合失調においてもさえもそうなのだ・・・という話でした。



参考書:

(1) Zammit S, et al. Misconceptions about gene-envioronment interactions in psychiatry. Evid Based Mental Health, 2010; 13: 65-68.

(2) Clarke MC, et al. Evidence for an interaction between familial liability and prenatal exposure to infection in the causation of schizophrenia. Am J Psychiatry, 2009; 166: 1025-1030.

(3) Van OS J, et al. Do urbanicity and familial liability coparticipate in causing psychosis? Am J Psychiatry, 2003; 160: 477-482.

(4) Whalberg K, et al. Gene-environment interaction in vulnerability to schizophrenia: findings from the Finnish Adoptive Family Study of Schizophrenia. Am J Psychiatry, 1997; 154: 355-362.




統合失調症の長期的な経過

  統合失調症は、単一の疾患ではなく似たような特徴を持った疾患群の総称であると考えた方が良く、症状の重症度や予後の善し悪しはピンからキリまで大きな差があります。 病気が始まってから何年~何十年経ってもあまり悪くならない人もいれば、最初の数年間でどんどん悪くなってしまい「廃人」のような状態(欠陥状態deficit stateと呼びますが、思考があまりにもまとまらず社会的な生活がほとんど全くできなくなってしまう状態)になってしまう人もいます。

  ただ、統合失調症はものすごく昔には「早発性痴呆 dementia praecox」と呼ばれていたように、多かれ少なかれ、脳の機能が進行性に低下していく疾患であると考えられているのです。

  これまでの研究で、予後の善し悪しを予測する要因がいくつかあげられています。 例えば、


○男性よりも女性の方が予後が良い傾向がある。(理由は不明)

○初発の年齢が低い人よりも高い人の方が予後が良い傾向がある。 思春期やそれ以前に発病した人よりも、いい大人になってから発病した人の方が予後が良い傾向がある。

○陰性症状が目立つ人よりも目立たない(あるいはほとんどない)人の方が予後は良い傾向がある。

○独身者よりも結婚している人の方が予後が良い傾向がある。(理由は不明。ただ、発病前に結婚しているということは、発病が成人してからというように幾分遅く、発病前の社会的機能が良好であった可能性が高いことはあるでしょう。)

○ゆっくりゆっくり発病した人(ゆっくりすぎていつ発病したのかわからない感じの人)よりも、急激に発病した人(何ヶ月前くらいから急に、と言えるような感じの人)の方が予後が良い傾向がある。 急激な発病で病初期に強い興奮や混乱を伴うタイプは意外に予後が良い傾向がある。

○発病前の社会的機能が良好な人は予後も良い傾向がある。

○発病してから治療が開始されるまでに何年も経過してしまった人よりも、すぐに治療を開始している人の方が予後が良好な傾向がある。


・・・などなどです。 

  多くの患者さんは、最初は「前駆症状」と呼ばれる、あまり統合失調症っぽくない、一見すると神経症のようにも見える、不安や情緒不安定などの症状から始まります。 何年かすると症状は進行し、微妙に被害妄想っぽい症状が伴われてくるようになります。 そのうち何かのきっかけで、明らかな被害妄想や幻聴などの「精神病症状」を伴うようになり、思考や感情のまとまりの悪さが目立ってきます。 多くの人は、だいたいこの時点で「統合失調症」という病名の診断がつくようになり、抗精神病薬を中心とした治療が開始されることになります。 たいがいは、この最初の「精神病症状」は割と簡単に薬物療法に反応して治ってしまいます。 (より正確には「寛解 remission」という表現をします。)多くの人はほぼ全く症状がなくなった状態になりますが、何割かの人は「対人関係とかで微妙に被害妄想的なとらえ方をしてしまう」という微妙な症状を残してしまいます。 さらに一部の人は明らかな幻覚や妄想が最後まで消えないこともあります。 いずれにしろ、症状はかなり安定した状態になるのですが、何かのちょっとしたストレスなどで再発することがほとんどです。 すると、2回目以降の「精神病症状」は、初回に比べると幾分治りにくくなっています。 初回の時にはあんなに簡単に効いていた薬物療法も、なんだかキレが悪くなっています。 それでも、たいていは何とか「寛解」と呼ばれる状態に戻っていきます。 何度か再発を繰り返し、年月が流れる中で、次第に陰性症状が目立ってくるようになります。 対人関係がどんどんおっくうになってしまい、どんどん些細なことがストレスに感じられるようになってしまい、少しでも複雑なことは取りかかることがすごく大変なことのように感じられるようになってしまいます。 そして、最終的には約1割の人が極端な人格荒廃を起こしてしまい、一生施設などで介護・介助を受けていないと生活できないような状態になってしまうと見られています。

  米国の富裕層対象の有名な精神科病院「チェストナッツロッジ病院」で、まだ抗精神病薬がなかった時代に統合失調症を発病し、入院してしまった人達の長期間の追跡調査の結果が発表されています。 McGlashan先生たちの発表した長期間の追跡調査の結果は、だいたい上記のような症状の流れを示唆していました。 統合失調症という病名がついた人の全員が全員ではないかもしれませんが、多かれ少なかれ、症状は陰性症状が目立つ方向性に進行する傾向があり、特に最初の数年から10年くらいの間に進行する人は進行してしまう・・・ということを示唆していました。

  では、その最初の数年から10年くらいの間に、病気の進行を食い止める、あるいは最小限にするために何かできることはないのでしょうか?

  それが最近この業界で流行になっている早期発見・早期介入研究です。 まだはっきりとした結論は出せないものの、幾つかの心理社会的介入(認知行動療法や認知リハビリテーション訓練のようなもの)や薬物療法(抗精神病薬や魚の脂など)が何らかの役に立つかもしれないと期待されてはいます。



参考書

(1) McGlashan TH & Fenton WS. Subtype progression and pathophysiologic deterioration in early schizophrenia. Schizophrenia Bulletin, 1993; 19: 71-84.

(2) Perkins DO, et al. Relationship between duration of untreated psychosis and outcome in first-episode schizophrenia: a critical review and meta-analysis. Am J Psychiatry, 2005; 162: 1785-1804.




統合失調症と心理社会的介入(心理療法) パートI

  現在、統合失調症の治療は抗精神病薬 antipsychoticsと呼ばれる種類の薬を使った薬物療法が中心となっています。 これは日本だけでなく、世界のトレンドです。 これは神経症やパーソナリティ障害において本当は心理社会的介入(心理療法/精神療法)を行った方が良い場合でも医療経済的な事情でなかなか入手できるものではないために行われない・・・というのと違い、統合失調症に対する心理社会的介入(心理療法/精神療法)は、これまでのところ、大部分が非常に残念な結果しか出せていないからでした。

  それこそ大昔は、統合失調症に対して精神分析的精神療法(精神力動的精神療法、洞察指向型精神療法)が、主には米国などで、熱心に行われていた時代がありました。 しかし、精神分析的精神療法は、その長い年月をかける治療期間とそれに費やすお金を正当化できるほどには、治療的効果がほとんどないことがその後の研究で繰り返し示されてきました。 実際、情緒的にも負荷がかかり患者にとっても大変な精神分析的精神療法をやるよりも、もっと現実指向的な普通の「支持的精神療法」を行った方がずっと有益なことが示されてきたのです。 こうしたこともあって、統合失調症に対して精神分析的精神療法を行っていたということは、今となっては統合失調症に対して透析療法を行っていたということと同じくらい、精神医学の歴史の中で赤っ恥のエピソードになっているほどなのです。

  その後、どういう疾患のどういう状態にどういう治療が効果があるのか? という問題に対して、ちゃんとした科学的手続きを踏んで検証する研究が続きました。

  その結果、患者本人に対する行動療法の一種である「対人関係スキル訓練 social skills training」、患者本人に対する認知行動療法、家族に対する心理教育を含めた家族行動療法、などが期待できそうだ・・・という話になってきたのでした。

  統合失調症の人は、前頭前野機能の低下のためと見られているのですが、曖昧情報を処理することが極端に苦手になる傾向があります。 ところが、対人関係というのは曖昧情報に充ち満ちています。 相手が自分のことをどう思っているのか? 何を期待しているのか? 自分のどんな言動を好ましくどんな言動を嫌に思っているのか? そうしたことすべては、その場の一瞬の判断で、相手の微妙な反応から読み取っていくしかありません。 これは結構な難題です。

  結果、統合失調症の人はたいてい対人関係に強い苦手意識を持つようになり、対人関係を避けるようになってしまいます。 すると対人関係行動の練習不足から、ますます対人関係が苦手になってきます。 さらに対人関係の苦手意識は、対人関係行動のぎこちなさや「感じ悪さ(相手に対する微妙な敵意)」として出てしまうこともあり、こうなるとますます対人関係がうまくいかなくなってしまいます。 するとますます・・・という悪循環が始まります。 対人関係がうまくいかないことは、大きな心理的ストレスとなり、症状の増悪・再発の危険性を上げてしまいます。

  では、対人関係行動を1つ1つ丁寧に、繰り返し練習することで他人に好かれやすい、社会的に適切な行動を身につけていくことができるのではないか? そうすれば対人関係の苦手意識も、対人関係ストレスも、そしてうまくいけば症状の増悪や再発も防げるのではないか?

  そうした発想が「対人関係スキル訓練 social skills training」の背景にはあります。 対人関係スキル訓練は、基本的には外来で4~8名程度の小グループで行う集団療法として開発されました。 (日本では、どういうわけなのか大変馬鹿げたことに、これを入院患者だけを対象にして「入院生活技能訓練」という名称で保険適応化されてしまいました。)

  実際にその効果を見てみると、確かに対人関係行動は改善し、症状増悪や再発は減る傾向がありそうなのでした。 ところが、その後長期的な効果を検証してみると、効果はあまり長続きするものではなく、数年のうちにすっかり消えてしまうのでした。

  統合失調症の人は妄想的な不安にとらわれることが多くなります。 妄想的な不安を破局的にとらえすぎてしまうのです。 これは明らかな認知の歪みであり、現実的な物事のとらえ方ではありません。 であれば、こうした認知の歪みを1つ1つ修正する練習を繰り返していくことで、認知の歪みにもとづく過度な不安に怯えずにすむようになるのではないでしょうか?

  というわけで、認知行動療法 cognitive behavior therapyをやってみます。 妄想は定義上「修正不能」だから「妄想」とよばれるわけなのですが、その割には1つ1つちゃんとやっていくとそれなりに修正できるというか、少なくともひどくとらわれ破局的な不安に怯えることは減りそうです。 実際にデータをとると、確かに認知の歪みは減りますし、不安は減るようなのです。 ただ、こうしたデータ上の統計的な有意差は出ることはあっても、臨床的な有意差というか患者さん本人の生活がそれほど大きくかわるほどの差は出てこないこともわかってきたのです。

  統合失調症の最初期、まだ「前駆症状」しか出ていないような微妙な段階の若い人に対して認知行動療法を行うことで発病予防になるのではないか? という考え方もあります。 しかしその結果は、現在まで微妙な感じです。 臨床的な意義を確かに言えるようなものでは、今のところないのです。

  ほとんどの統合失調症の患者さんにとって、一番一緒に過ごす時間が多い他人は家族です。 多くの場合、一番のサポーターは家族であり、一番のストレス源も家族です。

  家族は家族で、患者さんの統合失調症という病気をちゃんと理解できていないと、どうして患者さんがうまく生活できないのか、どうして対人関係でいつも失敗してしまうのか、どうして仕事が続かないのか、どうしていつも不機嫌そうにしていたり、だらだらと怠けてばかりいるように見えるのか、さっぱりわからずイライラしてくることがほとんどです。

  これまでの研究で、患者さんに対して、家族が感情をぶつけるようなコミュニケーションをすることが多ければ多いほど、患者さんが受ける心理的なストレス感は高く、症状の増悪や再発の危険性も上がってしまうことが知られていました。

  ということは、家族が患者さんの統合失調症という病気をしっかり理解し、感情をぶつけるようなコミュニケーションをしないようにし、むしろ温かく理解のあるコミュニケーションをすることができるようになることで、患者さんの精神的な安定を増すことができたり、症状の増悪や再発を減らすことができるのではないでしょうか?

  というわけで、家族に対する心理教育を含む家族行動療法を行ってみると、確かに、患者さんが受ける心理的なストレス感は減り、家族との対人関係は良好になり、症状の増悪や再発も減る傾向があることがわかってきました。 しかし、この効果も、患者本人に対する対人関係スキル訓練と同様に、それほど長続きするものではなく、数年も経過すると効果がなくなってしまうものであることもわかってきたのでした。

  もっとも、「数年もすると効果がなくなってしまう」ということは、ずっと不断の努力を続けていれば良いことだとも言えます。

  ところが、これが米国の保険医療制度の問題の1つなのですが、薬物療法は「再発予防」を目的に半永久的に続けても何の文句も言われないのですが、心理社会的介入(心理療法/精神療法)はいつまでも続けていると支払い側から文句を言われてしまうということがあり、これでは困る・・・ということになっていたのでした。

  では、日本ではどうか?というと・・・

  まず対人関係スキル訓練は、先にもお話ししたように、なぜだか日本では通院治療として認められていません。 それに保険点数もひどく低いので、このままでは全然採算が合わないこともあり、どこの医療機関も手を出そうとしないでしょう。

  認知行動療法は試験的にやっている施設はあるようです。 しかし、これももともと採算があわないものです。 さらに先にもお話ししたようにデータ上の統計的有意差は出ることはあっても臨床的に有意だとは言いにくいところがあるので、赤字覚悟でそれでもやります、とはなかなかならないのでしょう。

  家族に対する心理教育を含む家族行動療法は・・・現在の日本の保険医療制度では患者本人以外を治療的介入の対象とするという発想がそもそもないので、難しいでしょう。

  そんなこんなで、認知リハビリテーション訓練の一種が統合失調症に伴う認知機能障害に対してかなり持続性のある効果をあげることができるかもしれない・・・という話が出てくるまでは、統合失調症という病気に対して本当の意味で「治す」ための心理社会的介入は、なかなか無かったのです。



参考書

(1) Roth A & Fonagy P. "What Works for Whom? A Critical Review of Psychotherapy Research" Guilford Press.

(2) Morrison AP, et al. Three-year follow-up of a randomized controlled trial of cognitive therapy for the prevention of psychosis in people at ultrahigh risk. Schizophrenia Bulletin, 2007; 33: 682-687.

(3) Magliano L, et al. Patient functioning and family burden in a controlled, real-world trial of family psychoeducation for schizophrenia. Psychiatric Services, 2006; 57: 1784-1791.

(4) Hogarty GE, et al. Family psychoeducation, social skills training, and maintenance chemotherapy in the aftercare treatment of schizophrenia. II. two-year effects of a controlled study on relapse and adjustment. Environmental-Personal Indicators in the Course of Schizophrenia (EPICS) Research Group. Arch Gen Psychiatry, 1991; 48: 340-347.





統合失調症と心理社会的介入(心理療法) パートII

  統合失調症という病気の治療の主役は、抗精神病薬と呼ばれるタイプの薬を使った薬物療法になります。 実際、統合失調症に伴う幻覚や妄想、「考えすぎ」・「気にしすぎ」などの陽性症状をしっかり抑えていくには、薬物療法を行う以外にほとんど手がありません。

  しかし、現在の抗精神病薬は、基本的に脳内のドーパミン系をブロックすることによって、中脳・辺縁系のドーパミン系の過活動の反映と考えられている陽性症状を抑えることしかできません。 陰性症状にはほとんど全く効果がないのです。 (幻覚や妄想、精神病性の不安によって二次的に社会的引きこもり症状が出ていたり、二次的に元気がなくなってしまっているものは抗精神病薬に反応することはあるでしょうが・・・)

  このため、薬物療法がよく効いて幻覚や妄想、「考えすぎ」や「気にしすぎ」、それらがもとにあって生じている不安や落ち込み感、情緒不安定などの症状が治まってきても、基本的な意欲ややる気の低下、注意力や集中力を維持することの難しさ、物事をてきぱきと要領よく処理する能力の低下、対人関係の苦手さ、などの症状は残ってしまいます。 というか、幻覚妄想などの陽性症状がひいたぶんだけ目立ってきてしまうのが普通です。

  では心理社会的介入(心理療法・精神療法・カウンセリング)はこの問題に対して何かできないのか?

  統合失調症に対するこれまでの心理社会的介入は、大部分が外界からの心理的ストレスを軽減し、症状がストレス性に増悪することを防ごう、という発想でなされてきたものがほとんどでした。

  家族に対する心理教育+家族行動療法は、(患者が単身生活ではなくて家族と一緒に暮らしている場合)患者にとっての最も身近で、それゆえ最も支えにもストレス源にもなる、家族という存在に直接的に働きかけて、患者にとってストレスの低い関わり方を身につけてもらうことを意図していました。

  患者本人に対する対人関係スキル訓練SSTも、患者本人の対人関係行動を他者から見て「気持ちいい」ものを増やし、「感じ悪い」ものを減らすことで、患者がコミュニケーションをとる他者からのネガティブな感情反応を減らすこと、こうして結局は患者自身に跳ね返ってくる心理的ストレスを間接的に減らすことを意図していました。

  そして、その両方とも、(治療をやめてしまうと効果は長続きしない傾向はあるものの)それなりに患者が感じるストレスを軽減することはでき、症状増悪や再発の予防に効果があることは示されていました。

  それとはまた別の発想で、統合失調症によって落ちてしまった患者自身の「心」の力を訓練によって強くすることはできないだろうか? というところから、Hogarty先生たちの治療研究は始まったようでした。

  それまでの精神力動的(精神分析的)精神療法や支持的精神療法が統合失調症に対してほとんど全然効果をあげられなかったのは、統合失調症という病気に伴う認知機能障害という独特の脆弱性の問題をしっかり考慮して治療を組み立てていなかったからだ、という発想から入ります。

  Hogarty先生たちが「Personal Therapy」と名付けた、支持的精神療法によく似た治療法は、治療によるストレスで症状が悪化してしまうことを防ぐために慎重に治療段階を見極めつつ進めていきます。 まずはじっくりじっくり患者と家族に統合失調症という病気がどんなものであり、どんな心の機能が弱ってしまう問題であるのか、どんな治療が必要なのか、といったことを教育(心理教育)するのが最初の段階です。 そして、基本的な対人関係スキル訓練を行いつつ、患者が徐々に自分自身の感情の動きに気づき、どのようなことをどのようにストレスに感じ、どのように適応的/非適応的に反応してしまうのかを見ていけるように援助していきます。 症状を悪化させるもとになるストレスの自分なりの表れを早期にちゃんと気づき、早期に適応的な仕方で対処できるように訓練していくのです。 対人関係スキル訓練も段階的に高度なものへと進んでいき、対人関係の中で相手がどのような気持ちでいるのかを適切に感じ取れるようになり、適切に対応できるようになることを目指して練習を重ねていきます。

  大変な時間と労力をかけるものではあるのですが、数年におよぶ治療(訓練)を続けると、認知機能や社会適応などの多方面で改善がみられるようになること、そしてこの効果には持続性があること(治療をやめるとすぐに元の状態に後退してしまうものではないこと)が示されています。

  ただ、Hogarty先生たちがすごいのは、この結果で満足しなかったところです。 統合失調症の人は、統合失調症という病気のせいで、注意力・集中力を維持することが基本的に困難になってしまいます。 このため、上記のような精神科的リハビリテーション訓練をやっても思ったように効果があがらないという問題があるのです。 この注意力・集中力の問題を、何とか訓練によって改善できないだろうか? という発想からコンピュータを使った(「脳トレ」的な?)認知リハビリテーション訓練が導入されました。

  このCognitive Enhancement Therapyと呼ばれる「訓練」は、注意力・集中力を高めるための1セッション1時間をかけるコンピュータを使った脳トレを毎週毎週行い、合計で60~80時間も行っていきます。 その上で1セッション90分をかけて集団療法として社会的認知機能の訓練(他人がどのような気持ちでいるのかを適切に感じ取ることを重視するもの)を、これまた毎週毎週行い、合計で60回くらいも行っていきます。

  このように大変な労力と時間をかける「訓練」なのですが、そのぶん効果もそれなりにあり、Hogarty先生たちの以前の治療である「Personal Therapy」と比較してもいろいろな点で明らかに良くなっていますし、その効果は持続性がありそうです。 治療の「効果」は効果を測るために行う認知機能検査での数字上で出てくるだけではなく、実生活上も目に見える効果として出てくるようです。 例えば、社会的活動に参加している割合は、以前のバージョンであるPersonal Therapyでは9%であったのに対して、Cognitive Enhancement Therapyを行った患者では30%にも上っていました。 そして実際に給料を貰いながら働けている人の割合も、Personal Therapyでは4%であったのに対して、Cognitive Enhancement Therapyでは27%にも上っていました。

  さらに驚いたことに、統合失調症に見られる脳の萎縮がCognitive Enhancement Therapyでは止まる(あるいは軽減される)傾向さえあるかもしれない、という報告まであったりします。

  このCognitive Enhancement Therapyは、まだまだ実験段階ですし、このように労力と時間とお金がかかる治療が、そうおいそれと日本の保険医療制度の中に入ってくるかどうかは大変疑問です。 ですが、将来、統合失調症の治療の形はずいぶん変わるかもしれない・・・そんなある種の期待を抱かせてくれるものです。



参考書:

(1) Hogarty GE, et al. Personal Therapy: a disorder-relevant psychotherapy for schizophrenia. Schizophrenia Bulletin, 1995; 21: 379-393.

(2) Hogarty GE, et al. Three-year trials of Personal Therapy among schizophrenic patients living with or independent of family, II: effects on adjustment of patients. Am J Psychiatry, 1997; 154: 1514-1524.

(3) Hogarty GE, et al. Durability and mechanism of effects of Cognitive Enhancement Therapy. Psychiatric Services, 2006; 57: 1751-1757.

(4) Eack SM, et al. Cognitive Enhancement Therapy for early-course schizophrenia: effects of a two-year randomized controlled trial. Psychiatric Services, 2009; 60: 1468-1476.

(5) McGurk SR, et al. A meta-analysis of cognitive remediation in schizophrenia. Am J Psychiatry, 2007; 164: 1791-1802.

(6) Eack SM et al. Neuroprotective effects of Cognitive Enhancement Therapy against gray matter loss in early schizophrenia. Arch Gen Psychiatry, 2010; 67: 674-682.






統合失調症に対する治療のまとめ図