第7章 神経症3:強迫神経症(強迫性障害)
【プロローグ】
(ここでのケースはフィクションです)
Fさんは5才になる娘を持つ30代の既婚女性です。以前からやや神経質で細かいことが気になりやすかったり不安になりやすいところはあるな、と自分でも感じていました。しかし、半年ほど前から、それが自分でも少し行き過ぎているのではないか、異常なのではないかと感じるほどになっていました。きっかけは娘の通っている幼稚園で病原性大腸菌による腸炎で入院した子が出たという話でした。Fさんは、これまでも病原性大腸菌のニュースは聞いたことがありましたが、今回は我が子が通う幼稚園で発生したのでひどく怖く感じたのでした。娘が感染してしまったらどうしよう?入院なんてことになったら?死んでしまうこともあるのでは?などなどと考えるととても恐ろしくなりました。恐ろしくてそんなこと考えたくないと思えば思うほど考えるようになってきました。そして、感染する危険をふせぐため、Fさんはいつもアルコールであちこちを消毒していないと気が済まないようになりました。外出から帰ると、手洗い・うがいだけでは足りず、すべての衣服を脱ぎ、シャワーをあびて着替えないと、外から病原菌を家の中に持ち込んでしまっているのでは?と不安になりました。娘にもそうさせました。夫が会社から帰ってきても、玄関で服に掃除機をあて、アルコールで手指を消毒させ、アルコールを噴霧器で夫の全身にふきつけ、スーツを脱がせてとりあえずお風呂に入れてしまうまで夫を居間に入れないようにしました。一日中家の中を隅々まで消毒しているので、それだけで一日が終わってしまい、ひどく疲れました。洗いすぎて手はかさかさでした。食事もすごく気を遣い、すべて火を通したものでないと食べられないようになりました。そのうち、魚や肉など生のものをさわれなくなりました。こうした不安な症状は次第にひどくなり、夜寝ているうちに娘が死んでしまっているのではないか?という不安のために、たびたび娘が息をしていることを確認するという行為もしていないと落ち着かないようになりました。ある日、歩道に犬の糞が落ちているのを見かけてから、不安はますますひどくなりました。自分が犬の糞やその他の汚物を踏んでしまっているのではないか?そうして汚物を靴につけたまま家の中に持ち込んでしまうのではないか?服やスカートのすそに汚物がついているのではないか?と考えると不安で、外出中は10分に1回くらい汚物がついていないかどうかを確認しないと気が済まないようになってしまいました。これではさすがに周囲の人から変に思われると思いましたが、どうすることもできませんでした。もう気が狂いそうでした。
【強迫性障害(強迫神経症)とはどんな疾患か?】
強迫性障害(強迫神経症)の典型的な症状は、自分が何かを気をつけてしっかりと行っていないと何か大変なことが起こってしまうと不安になり、どうしても気になり、自分で決めた何かの行動を儀式的にでも行っていないと気が済まなくなる、というものです。そうした気になる考えのことを「強迫観念」と呼び、それを打ち消すための儀式的な行為を「強迫行為」と呼びます。一般に強迫観念には強い不安を伴うのですが、強迫行為をすることで一瞬楽になります。しかし、またすぐに気になるために、強迫行為を繰り返さなくてはならなくなり、大変しんどくなってしまう、というものです。
よくあるのが、上記のFさんの例にあるような「不潔恐怖・汚染恐怖」とそれを打ち消すための儀式化された行動である「洗浄強迫」です。不潔なものに汚染されてしまったと恐怖される対象は人それぞれで、Fさんのように特定の病原菌やウイルスを恐れることも多いですし、精液や痰・つばなどの他人の体液、糞便や尿などの汚物、なども少なくないです。洗浄強迫の仕方も人それぞれで、儀式的に衣服を払うものから、全身に掃除機を当てないと気が済まなかったり、すべてを着替えてシャワーを浴びないと気が済まなかったり、アルコールやその他の消毒薬であちこちを拭いて回らないと気が済まなかったり、様々です。そうして気をつけていないと自分が何か大変な病気にかかってしまうのではないか?自分の大切な人が病気になってしまうのではないか?死んでしまうのではないか?という不安が強まってしまうのです。このとき、そんな可能性・確率は低すぎるので、そこまで過度に恐れなくていいのだ、という考えはほとんど働きません。「でも、万一・・」と思ってしまい、その「万に一つ」しかない破局的な結果にとらわれてしまうのです。
また、鍵や電気・ガスの確認というのも多いです。外出するときに電気のスイッチやガスの元栓を何度も確認しないと気が済まなかったり、鍵がかかっているのを何度も確認しないと気が済まないというものです。このために外出の準備に異常に時間がかかってしまうために外出をするのがおっくうになってしまっている人もいます。
さらに、「何か大切なものを間違って捨ててしまうのではないか?」という強迫観念から、新聞や広告などの明らかにいらないものでも捨てられず、部屋がゴミ屋敷のようになってしまう人もいます。同じようなものですが、「何か大切なものを落としてしまったのではないか?」という強迫観念から自分が歩いたあとをいちいち振り返って落とし物がないことを確認していないと気が済まない人もいます。
日常生活の行動に決まったやり方を儀式的にしていないと、何か大変なことを招いてしまう不安があって、日常生活の簡単な動作に異常に時間がかかってしまう人もいます。よくあるのが入浴や就寝の時の儀式です。お風呂に入るときに、まずはこれをやって、次にこれをやって、というように決められた順番・手順があり、それをしっかり守っていないと不安になるのです。このために入浴に何時間も時間をかけてしまう人もいます。同様に手を洗うのに決まったやり方があるために何分もかかってしまったり、寝る準備をするのに決まったやり方があるために何時間もかけてしまったりする人もいます。
机の上などを整理整頓することは好ましいことですが、それが行き過ぎてしまう人も少なくありません。机の上に置いているものの左右対称性、直角性、平行性などにひどくこだわり、少しでもずれていると何か大変なことになってしまう不安があるために整理整頓に異常な時間と労力を費やしてしまうのです。本来業務を効率化するための整理整頓が、かえって業務の効率を下げてしまう結果になってしまっていると分かっていても、止められないのです。
また、他人から見えるこうした「行為」の他に、頭の中で密かにやる「強迫行為」もあります。よくあるのが「数を数える」というものです。何かの嫌な(不安な)考えが浮かんできたときに、それを打ち消す儀式として頭の中で数を数えるというものです。
このように症状は様々です。しかし何かのこだわりや気になってしまう不安があり、それを打ち消すための強迫行動があるという点で共通しています。
【強迫性障害(強迫神経症)に対する治療】
現在までのところ、強迫性障害(強迫神経症)に対して効果を科学的に実証された治療は、薬物療法ではSSRIに分類される抗うつ薬であり、心理療法では曝露療法(Prolonged Exposure & Responce Prevention)を中心とした認知行動療法しかありません。過去には強迫性障害に対して精神分析的な治療が行われたり、非特異的なカウンセリング(ロジャーズ派)が行われたりしたこともありましたが、現在ではこれらの心理療法は強迫性障害そのものに対してはほとんど効果がないものと見られています。(強迫症状を中心とする強迫性障害ではなく、むしろ病的に生真面目で柔軟性に乏しく強迫的な性格を改善するのであれば精神分析的(精神力動的)精神療法はある程度は効果がある可能性はあります。これはいわゆる神経症的性格のことであるC群パーソナリティ障害全般に対して精神分析的(精神力動的)精神療法がある程度の効果をあげることができることがわかっていることからの類推です。しかし、強迫症状の軽減・解消を目的とするのであれば、精神分析や精神力動的精神療法が効果的に作用することを示唆する科学的根拠は、少なくとも現在までのところ、ほとんどありません。)
強迫性障害に対して行われる認知行動療法は、強迫性障害以外の不安障害一般に対して認知行動療法が行うのと基本的には発想が同じであり、患者が不安に感じ何らかの非適応的な行動パターンで不安を避けている不安そのものにあえて向き合い、「慣れ」によって不安が引いていく体験を繰り返していくことによって不安反応も、それに伴う非適応的な回避行動もなくしていこうとするものであり、一般に「曝露療法」と呼ばれるものです。
単純恐怖症のところでも、パニック障害のところでも、心的外傷後ストレス障害のところでもそうでしたが、曝露療法は基本的に患者が避けているものにあえて向かわせるという、やや苦痛を伴う治療法ではあります。しかし、こうすることで不安の「消去」を誘導しようという発想のもとに行われるものです。パニック障害における不安はパニック発作と呼ばれる不安発作を起こすこと、その時に死んでしまうのではないか、自分の心のコントロールを失ってしまうのではないか、という不安に圧倒されてしまうことでした。それに対して患者が身につけてしまっている非適応的な回避行動とは、パニック発作が起こりそうな状況(急行電車の中など)を避けるということなどのことでした。これに対する曝露療法は、こうして避けてしまっている状況にあえて身を置き、実際に不安が高まってくることを体験し、しばらくの間そこにとどまっていると不安が上昇していくけれども次第に「慣れ」によって不安が低下していくという体験を繰り返すことでした。
強迫性障害においても発想的にはほぼ同様です。強迫性障害では強迫行為が「不適切な回避行動」になっています。これを無理やり一旦やめさせ、患者が不安に感じているものにあえて触れさせることになります。すると、当然不安は高まっていくことになるのですが、長い時間そのままにしておくと(30分から50分)不安は「慣れ」によって半分程度に下がっていきます。こうした訓練を繰り返すことで不安の「消去」を図り、回避行動である「強迫行為」もなくしていくことが認知行動療法の目的になります。
ただ、幾つか問題があります。1つめは曝露をする時間の長さです。基本的に曝露療法では、不安が高まるものの「慣れ」によって低くなっていくために十分な時間曝露を続ける必要があります。強迫性障害の場合、高まった不安が慣れてきて低くなってくるのには30分から1時間程度もかかってしまうことが通常です。このため治療セッションに要する時間は通常かなり長く1時間半から2時間くらいとされています。15分から30分程度の訓練セッションではとてもダメだということです。
もう1つは、曝露をする頻度の問題です。米国などで強迫性障害に対する認知行動療法の有効性が確認されているのですが、研究で有効性を実証されている治療のやり方は週5回(少なくともしゅう2,3回)、1回のセッションは1時間半〜2時間、さらに毎回毎回自宅で行う宿題2,3時間がついてきます。大変な治療です。治療期間中はほとんど治療三昧の毎日になるでしょうし、そもそも1週間に何回も通院することは現在の日本の保険医療制度のもとでは認められていません。自費のカウンセリングで行うとしても、大変な金額になります。
さらに、曝露療法では患者が恐れて避けているものに極端に向き合わせ克服していくものである性質上、心理的にもかなり大変な治療になることです。例えば、Fさんのように、不潔・汚染恐怖と洗浄強迫がある場合、患者が恐れている不潔・汚染をあえて極端に体験させることになります。「極端に」というのは本当に極端にであり、一般の人でもそこまではしないというくらいに不潔で汚染された(と患者が感じている)生活をしてもらうのです。具体的には、週に数回しか入浴をしない、手洗いは1日5回のみ食事の前のみにする、アルコールを使うことは厳禁、などなどのルールをつくり一切の「洗浄強迫」を禁じた生活を一定期間してもらうわけです。中途半端にやるとほとんど全く効果が得られないために、極端すぎるほどにやるわけですが、まさに地獄の特訓です。
こうした幾つもの理由があり、ほとんどの一般的な精神科の外来治療では認知行動療法を行わず、SSRIに分類される抗うつ薬によってやんわり薬物療法をしていくことが大半になっています。ただ、本当の意味で強迫性障害を克服しようとするのであれば、やはり心理療法が必要なのでしょう。
【エピローグ】
Fさんが精神科を受診すると、主治医はFさんの問題は強迫神経症と呼ばれるものであろうと言い、抗うつ薬であるSSRIを使った薬物療法を勧めました。Fさんは、最初は薬を使うことには抵抗感がありましたが、症状はとにかく辛くなっていたので使ってみることにしたのでした。薬物療法を始めて1ヶ月ほどすると、何となく強迫観念にとらわれることは減ってきましたし、以前のように外出から帰ったらシャワーを浴びないと気が済まないというほどではなくなりました。しかしそれでも「汚染」は気になりましたし、手洗いやあちこちを消毒していないと気が済まないことは続きました。
Fさんは、少し思い切って主治医に「カウンセリング」によってもう少し楽にならないものか?と聞いてみました。主治医は「カウンセリング」は一般に思われているような話して楽になる、癒しを得られるというものではないが、一定の心理療法で一定の効果を得ることの助けにはなるかもしれない、と言い、Fさんに心理士との心理療法を紹介しました。
心理療法は週2回50分の面接で行われました。心理士は「曝露療法」の考え方や、曝露療法を成功させるために守らなくてはいけない約束事をFさんに説明しました。そして、さっそくFさんに手洗いは1日5回だけ、アルコール消毒は完全禁止という約束を求めました。Fさんはとても無理だろうとも思いましたが、とりあえず治療中だけはその約束を守ってみようと決心しました。約束事を守りやすくするように、1日ごとのチェックリストの書かれた連絡帳を渡され、そこに毎日記入していくように、約束事が守られるように夫に協力してもらうように(Fさんが約束を守らない行動をしそうになったら夫が指摘する、Fさんがちゃんと守れていたらそのことも指摘するように)と言われました。そして、心理士はFさんの話を聞きながら、Fさんが「汚染」を恐れている状況と、その時の不安の程度の一覧表をつくっていきました。一覧表を見ながら、これから不安の比較的低い状況から段階的に曝露療法を行っていくことを話したのでした。
次の面接から、さっそく地獄の特訓でした。Fさんの「汚いもの」リストには面接室の床もありました。誰かが面接室に来る前に犬の糞を踏んでしまい、そうして汚染された靴によって床も汚染されていると思ったからです。すると、面接室の床に座り込んで、床に手を触れながらの面接になりました。心理士も床に座り込んで話を続けていたのですが、Fさんにとっては気が気ではありませんでした。しかし、途中で心理士に言われて気づいたことなのですが、最初のうちはとても汚くて不安で我慢できないと思われていたものが、面接の時間が終わる頃になると半分くらいに減っていました。特訓は宿題の形で家でも続きました。Fさんは面接室の床と同じくらい、自宅の玄関前の廊下は汚いと思っていたのですが、そこに1時間座り込み床を手で触っていること、という宿題を課せられてしまいました。
Fさんは大変気持ち悪く、不安に思いながらも、特訓に耐えていきました。しまいには、Fさんの面接のためにご丁寧に心理士が持ってきた共用トイレのスリッパを面接の時間中手に取ったり、膝に乗せたり、頭に乗せたりしても、確かに汚いかもしれないと思いながらも、パニックになるほど動揺してしまうことはなくなりました。これにはFさん自身も少しびっくりし、人間慣れれば慣れるものだなあ・・・と思いました。
こうして数ヶ月の治療が終わる頃には、Fさんの症状は日常生活的にはほとんど全然問題のないものになっていました。しかしFさんは治療が終わってからも「汚い」と感じてしまうものも積極的に触れるようにし、自分で曝露療法を続け、今でもほとんど全く強迫症状のない日々を過ごしています。