第3章 統合失調症

【プロローグ】
(ここでのケースはフィクションです)

 Bさんは19才の女性で、この春に入学したばかりの大学生でした。大学という新しい環境、新しい人間関係に入ったことで、Bさんは多少は緊張したり不安もあったりしましたが、それよりも大きな希望や期待もありました。新生活に入って数ヶ月は、いろいろな初めてのことに戸惑いながらも、大変ながらも、充実した日々を送っていました。

 しかし、Bさんは、ある頃から次第に気持ちが不安定になっているのを感じました。わけもなく不安になってしまったり、わけもなくイライラしたり、わけもなく落ち込んだり、突然涙が出てきてしまうなど情緒不安定になってきました。不安はこれという理由のない漠然とした、言いようのない辛さでしたから、誰に話すこともできず、誰に話しても分かってくれるものではありませんでした。どうして良いのか分からず、ただ辛くて誰もいない自分の部屋の中で叫んでしまったり、カミソリで密かに自分の身体を傷つけることくらいしかできませんでした。

 次第に、人の存在が怖く感じるようになってきました。学校で学生が何人かでひそひそ話をしていると、自分のことが話題にあがっていて、何か悪口のようなものを言われているのではないだろうか? と不安になりました。通学の電車の中でも周囲の見知らぬ人たちの視線が気になるようになりました。変な人だと思われているのではないだろうか? 自分の表情や動作が周囲の人たちに何らかの不快感や嫌悪感を与えているのではないか? 携帯をいじっている人がいると、自分の悪口をメールされているのではないだろうか? などと考えて不安になるようになりました。電車の中では顔をあげていられなくなり、いつもうつむき、帽子を深めにかぶり、イヤホンで耳をふさいでいないといられなくなりました。

 夜も眠れなくなってきました。以前だったらあまり気にしなかった家の外の物音が過敏に気になるようにもなりました。そのことがますます不眠にさせました。誰かが家の外にいるのかもしれない。誰かが入ってこようとしているのかもしれない。家の中の様子をうかがっているような気がする。不安のために窓はぴっちり閉めた上で、カーテンも閉め、外から見られないようにしました。昼間でもカーテンは閉めたきりになりました。

 ひどく頭が混乱してしまうことが増えました。混乱とまではいっていない時でも、何かを考えていてもすぐに別のことが頭に浮かんでしまい、集中力が全然続かず、勉強も手につかないようになってきました。

 そのうち、一人で不安で過ごしている夜中に、ドアをいじる音が聞こえてくるようになりました。誰かが何かをしている?! と不安に思い、ドアののぞきあなから外を見てみるのですが、毎回誰もいませんでした。電車の中でも、一人の部屋の中でも、それこそお風呂やトイレでも、いつも誰かに見られているような、聞かれているような感覚をはっきりと感じるようになりました。電車の中では、かすかではありましたが、はっきりと悪口を言われているのが聞こえました。もうどこにも安らげる居場所はありませんでした。「死にたい」と本気で思いました。

 消耗しきって、疲れて電車を降りると、女の人の声で線路の方から「おいで、楽になるよ・・・。」というのが聞こえてきました。言われるまま、ふらふらと線路に飛び降りようとしたその時、見知らぬ男性が何かを叫んで彼女の腕につかみかかってきました。Bさんは恐怖のあまり大声をあげました。そこから先はよく分かりませんでした。警察官がやってきて、Bさんを取り押さえ、留置所のようなところに連れて行かれました。しばらくすると、県の職員と名乗る人たちがやってきて、「精神保健および障害者福祉に関する法律第24条の・・・」等々とよく分からないことを告げて、Bさんを精神科病院に搬送しました。「もう終わりだ」Bさんは感じました。誰かは分からないが、これまでBさんに嫌がらせをしてきたあの人たちの思うつぼにはまってしまったのだ。

精神科病院の入院治療と入院形態
 精神疾患のうち、統合失調症やうつ病、躁うつ病などで症状があまりに重症なため入院が必要であるにもかかわらず、最初のうちは本人の入院意志がしっかりと保てない場合があります。場合によっては混乱して入院そのものを拒否していることもあります。そのような場合、状況が切迫しており入院以外ではどうしようもない場合、いわゆる強制入院という方法がとられることがあります。

 精神科病院への入院は、精神保健福祉法という法律上、一般の病院への入院とは違い、幾つもの法律的な決まりごとや制約があります。そして、その法律によって、精神病院への入院は、任意入院、医療保護入院、そして措置入院という3つに大きく分かれてきます。この3つがどのように違うのかというと、簡単に言うと、入院治療という治療契約を病院と誰が結ぶのか?という違いです。

 任意入院は治療契約の主体は患者さん本人になります。ですから、患者さん本人がどのような病気、どのような問題の治療のために入院をするのかということをしっかりと適切に理解していることが必要です。患者さんは入院中、基本的に一切の本人の意思に反する行動制限を受けることはありません。(入院治療の方針が嫌であればいつでも退院することができます。)

 これに対して医療保護入院では、病院と入院治療契約を結ぶのは患者さん本人ではなく、患者さんにとっての法律的な「保護者」である人、だいたいは家族ということになります。ただ、本人の意思に反して入院する、本人にとっては強制的な入院であるため、これを強行するには幾つかの条件があり、(1)本当に入院がどうしても必要な重症な精神疾患があることが精神保健指定医という法律的にさだめられた専門医によって確認されること、(2)本人による入院治療への理解や同意が維持できないほど精神的な混乱があり判断力が低下していること、(3)家族による入院治療への適切な理解と同意があること、がそろっていないとしてはいけないことになっています。

 最後に、「自傷他害の危険がある」つまり、放っておくと自殺をしようとしたり、他人の身体・生命・財産に危害を加えようとしたり、明らかな犯罪行為を行ってしまいそうな場合は、行政措置として本人の意思も家族の意志も関係なく強制的に入院ということになることがあります。これが措置入院です。措置入院はその強制性が非常に強いため、(1)精神科疾患のために自傷他害の危険が相当に強いこと、(2)入院しかそれを防ぐ方法がなさそうなこと、(3)精神保健指定医2名が一致して上記の判断をすること、が要件になっています。

 今回のBさんは、ストーリー上措置入院ということになるわけですが・・・・

【統合失調症とはどんな疾患か?】

 統合失調症とは、英語名schizophreniaの日本語訳です。とはいっても、「schizo」は医学用語では「分裂」を意味しますし、「phren」は「心、精神」を意味しますから、直訳的には以前の用語であった「精神分裂症」の方がより正確な訳とは言えます。ただ、この病名は非常に理解しにくく、(多重人格という意味に間違えられるなど)誤解も多く、さらに長い年月の間に偏見に満ちた、ちょっと嫌な病名になってしまったこともあり、日本精神神経学会はやや強引に「統合失調症」という新病名に切り替えたといういきさつがあります。

 古い病名の意味していた「精神が分裂する」ということも、新しい病名が意味している「精神の統合機能が悪くなってしまう」ということも、ほぼ同じことを言っています。つまり、精神(=思考と感情)のまとまりが悪くなり、考えがまとまりにくく、思考内容が漠然化してしまったり、感情・情緒がまとまりにくく感情がひどく不安定になったりすることが根本的な問題であると考えられています。精神がこのような状態であり続けると、副次的に「幻覚」(=実際には存在しないものが聞こえたり、感じられたり、見えたりしてしまうという異常体験)や「妄想」(=現実とは違う因果関係を関連づけてしまったり、その結果としてありもしないことを現実であるかのように感じてしまうという異常体験)などの症状が派生してくることがあります。よく「統合失調症」というと「幻覚」「妄想」と単純化して理解している人がいますが、統合失調症において「幻覚」や「妄想」は、確かにしばしば見られる症状ではあるのですが、それそのものは必要条件でも十分条件でもないのです。

 症状としては、思考や感情のまとまりの悪さ、幻覚や妄想などの「精神病症状」と呼ばれる症状、不眠、不安、落ち込み感、情緒不安定、対人不安/対人緊張、引きこもり、などいろいろな症状が伴われることがあります。さらに、対人関係での要領の良さや仕事などの物事をてきぱきと要領よくこなす能力が低下することがあり、このことが対人関係での疎外感や孤立感、そして社会における漠然とした不適応感につながっていることも少なくありません。

 統合失調症は症状の程度や随伴する症状が非常に多岐にわたるため、このような広い問題をひっくるめて「統合失調症スペクトラム障害」と呼ぶことがあります。この中には幻覚や妄想がしっかりと存在する統合失調症の中核群のような人たちから、幻覚や妄想はないけれども若干の思考や感情のまとまりの悪さの問題がある人たち、さらに統合失調症の症状に躁うつ病的な症状が随伴している人たち、などなど広い範囲の問題が入ってきます。広い範囲の問題ではあるのですが、基本的な症状である「思考や感情のまとまりの悪さの問題」は共通しており、さらに遺伝的な関連性もあることが分かっています。

 いずれにしろ、統合失調症が示しうる症状は非常に広範囲に及び、その組み合わせはまさに千差万別です。患者さん本人が自己診断をすることはほぼ不可能に近いですし、しっかりとした専門的訓練を受けた精神科医や臨床心理士でないと正しい見立てができないことも多いと考えた方が良いでしょう。

 統合失調症の原因ははっきりとは分かっていません。ただ、相当に生まれ持っているその人の体質的要因が強い疾患であろうことは証明されています。過去には、こうした「生まれ」の要因ではなく、幼児期の体験や育てられ方などの環境要因、つまり「育ち」の要因が仮説としてあったこともあるのですが、現在では否定的です。「育ち」に原因のある疾患ではなさそうなのです。今のところ、多くの内科的な慢性疾患がそうであるように、「原因は今ひとつ不明」「体質的なものと考えられる」としか言えない状況です。

 この「体質的な要因」にはある程度の遺伝性があることも分かっています。遺伝的な要因があるというと、患者さんの中には「では、私が子どもをつくると、子どももこの病気になるのか?」とか「うちの家系には統合失調症の人はいない。おかしいじゃないか?」という人がいます。しかし遺伝性があるということは、必ずしも遺伝するということではないのです。実際に、片親が統合失調症であった場合に、子どもが統合失調症を発症する可能性は10%程度と見られています。これは一般人口での有病率である1%程度と比較すると10倍にもなっていますが、それでも10%でしかないのです。9割は発症しないとも言えます。

 統合失調症の原因は不明ですが、脳内でドパミン系のバランスが崩れていることが症状に大きなつながりがあることは分かっています。つまり、中脳・辺縁系でのドパミン過剰状態と、前頭前野を中心とした大脳皮質でのドパミン欠乏状態という問題が起こっています。単純化した言い方をすると、幻覚や妄想、「考えすぎ」などといった症状(一般には「陽性症状」と呼ばれます)は中脳・辺縁系でのドパミン過剰状態を反映しており、対人関係の脆弱性や意欲・集中力の低下などの症状(一般的には「陰性症状」と呼ばれます)は前頭前野など大脳皮質でのドパミン欠乏状態を反映していると見られています。このため、治療は抗精神病薬と呼ばれる種類の薬物療法によって中脳・辺縁系でのドパミン過剰状態を抑えることで幻覚や妄想などの精神病症状をコントロールしていくことが主になってきます。(現在までのところ、前頭前野など大脳皮質でのドパミン欠乏状態を改善し陰性症状を改善する効果のある薬物療法は発見されていません。)

 こうして統合失調症の治療は、幻覚や妄想、あるいは「考えすぎ」や感情や情緒の不安定さなどをドパミン遮断薬(=抗精神病薬)などの薬物療法を使って軽減していくことが中心になります。しかし、現在までのところ、薬物療法ができることは、ほとんどこうした陽性症状のコントロールだけであると考えられています。つまり、陰性症状と呼ばれる、対人関係の脆弱さや意欲・集中力の低下、それらの問題にもとづくと思われる対人関係適応・社会適応の悪化の問題については薬物療法だけで改善を期待することは難しいのです。さらに、統合失調症が相当に体質要因にもとづく疾患であるといっても、生活上のストレスが病状を悪化させる傾向があることも分かっています。家族やその他の周囲の人たちとの関係が良好であれば症状も軽く再発・増悪も少なくなる傾向があるのです。こうした事情があり、統合失調症の治療においては薬物療法が主体になるものの、それに併用する形で心理療法(心理社会的介入)がなされる方がより良いであろうと考えられています。

 ただ、国民皆保険制度のもとでなされている現在の日本の精神科医療の中では、現実的にはいくつもの制約があります。これは統合失調症に対する心理社会的介入に限らず、すべての心理療法(心理社会的介入)について言えることですが、保険医療制度の中で、それらに当てられている診療報酬が低すぎて医療経営的に割に合わないため、実際に有効性があることが分かっている介入方法でも現実的にはほとんど行われていないのです。例えば、統合失調症の多くの患者さんにとって、全般的な対人関係のスキルや問題解決の仕方を反復練習する行動療法の一種である「対人関係スキル訓練Social Skills Training=SST(日本語では生活技能訓練とも呼ばれています)」は対人関係適応・社会適応を改善し、再発・増悪を予防することに効果があることが分かっています。しかし現在の日本の保険医療制度の下でこの治療法が認められているのは入院患者に対してだけですし(もともとSSTは外来で行うように開発された治療法であり、これを入院で行うこと自体、非常におかしなことでもあるのです)、さらに診療報酬も非常に低く設定されています。さらに、患者さん本人と一緒に生活をする家族に対する心理教育や家族SSTも再発・増悪予防に効果があることが証明されているのですが、家族に対するこれらの心理社会的介入には一切の診療報酬がついていません。こうした医療経営的な事情が最も大きな障壁になり、患者さん本人に対する外来SSTも、家族に対する心理教育+家族SSTもほとんど全く普及していません。この章の以下で議論するその他の心理療法すべてについて同様のことが言えます。

 結局、日本の保険医療制度の現実の中では、統合失調症の治療は、ほとんどが普通の薬物療法だけであり、もし行ったとしても簡単に患者さん本人あるいは家族に対する最低限の心理教育を行ったり、薬物療法を行う診察のついでに軽く現実レベルの相談にのるという程度のことしかなされていないと考えて良いでしょう。

【統合失調症に伴う対人関係の脆弱さに対する認知行動療法】

 前述したように、統合失調症には幻覚や妄想などの陽性症状に比べてより目立たないものではありますが、対人関係の脆弱さや社会適応の悪さの問題、そして意欲や注意力・集中力を適切に維持できない問題が伴われていることが少なくありません。しかも、一般的な社会生活の中で人が経験するストレスのほとんどが対人関係的なものから生じているため、対人関係の脆弱性はストレスの増大につながります。そして心理的ストレスが高い状況では統合失調症の陽性症状も悪化する傾向があるのです。このため、何らかの方法で対人関係適応を改善し、対人関係に伴われるストレスを軽減していくことが、その患者さんの社会適応を改善し一般的な社会生活を暮らしやすくするだけでなく、病状のコントロールにも役立つはずなのです。事実、統合失調症の症状と家族とのコミュニケーションの関係を調べたいくつもの研究の結果から、家族が患者さんに対して感情をぶつけるようなコミュニケーションをする傾向が強ければ強いほど、患者さんの症状の再発・増悪のリスクが高まってしまう傾向があることが示されています。

 多くの患者さんにとって最も密接な対人関係は家族になります。家族との関係でストレスが少なく、心理的なサポートが良好であればあるほど、それが再発・増悪の予防因子になります。では、どのようにして家族(あるいはその他の周囲の人たち)との間の対人関係を良好にしていくことができるのか?

 方向性としては2通りあります。1つは患者さん本人に働きかけ、より良いコミュニケーションのとりかた、より適切な問題解決の仕方を練習し身につけてもらうというアプローチです。もう1つは、家族やその他の周囲の人たちに働きかけ、この病気の性質を理解してもらい、さらにより適切なコミュニケーションの仕方を練習してもらうというアプローチです。前者は患者さん本人に対する「対人関係スキル訓練SST」と呼ばれますし、後者は家族に対する心理教育および家族行動療法(家族SST)となります。

 患者さん本人を対象とした「対人関係スキル訓練(生活技能訓練)SST」は、統合失調症でも急性期症状(強い幻覚や妄想、思考や感情の著しい混乱など)が安定化し、症状的には比較的落ち着いていながら、対人関係や社会生活の面で何らかのやりにくさ、ぎこちなさを感じている人たちが対象になります。もともとは、4人から10人程度のグループで行う集団療法であり、外来治療として週1回程度の頻度で継続的に行っていくものとして開発されました。(その意味でも、日本の保険医療制度のもとでSSTが入院治療にしか適応がとれていないのは全くおかしな話ではあるのです。)基本的には学習理論をもとにした行動療法ですから、対人関係行動を1つ1つ、1回に練習する行動課題を1つにだけしぼり、反復練習を通じて身につけていくという考え方です。例えば「会話をする」という対人関係スキルがあります。その中には「相手の目を見て話す」とか「話を聞きながらうなずきをしたり相づちをうつ」、「十分に話を聞き理解したら、『○○なんですね?』というように理解を確認する」などのようにいくつものポイントがあります。それらのポイントのうち、集中的に意識して練習するポイントは1つ2つにだけ絞り込み、しっかりマスターしていくことを目指します。練習は集団療法の形で行われる治療セッションの中だけではなく、家に帰ってから家族との関係で、その他の対人関係の中で、学んだことを実践してみるという「宿題」もつき、つまりは治療期間中いつでも練習をしていくことになります。まさに反復練習によって身体に憶えさせるという考え方です。治療セッションの中では「ロールプレイ」、つまり「話し手」と「聞き手」という役割で寸劇のように実演して練習することが中心になります。こうして実技的な練習を行いながら、実際の振る舞いでどこがよくできていて、どの点をどのように改善すると良いかということのフィードバックをしてもらいながら、少しずつより適切なコミュニケーションのスキルを身につけていくわけです。

 「対人関係スキル訓練」のこうしたやり方には若干の問題があります。それは練習の「ロールプレイ」の中ではしっかり振る舞うことができても、なかなか家族との関係を含めて実社会の中で応用が利きにくいという問題です。そうではあっても、長期間にわたり反復的に練習を続けることによって、少しずつではありますが、対人関係スキルや社会適応が改善する傾向があることが示唆されており、実際にそれによって家族内葛藤やその他の対人関係葛藤の解決が少しは容易になることがあるのか、少なくとも幾分かの再発・増悪予防効果があることも示唆されています。

 他方で、患者さん本人ではなく家族を対象に統合失調症という病気についてしっかり理解してもらう心理教育を行い、さらに対人関係スキル訓練(家族行動療法)を通じてより良いコミュニケーションの仕方を習得してもらう、というやり方も同等あるいはそれ以上の再発・増悪予防効果があることが示されています。やり方は患者さん本人を対象としたSSTとほぼ同様であり、対人関係スキル(コミュニケーションスキル)を1つ1つポイントをおさえて、行動的に体得してもらうというものです。これまでの家族から患者さん本人へのコミュニケーションの質と再発率の関係を調べた研究に結果から、家族から患者さんに対して感情をぶつけるようなタイプのコミュニケーションが多ければ多いほど再発・増悪のリスクが高く、逆に患者さんの気持ちに対して共感的に支持的に接することが多ければ多いほど再発・増悪のリスクを軽減できる傾向があることが示唆されていました。このため、家族のコミュニケーションスキルとしては、特に共感的な傾聴、つまり、しっかりと聞き手にまわって話を聞いてあげる姿勢を強調するものになります。その他、「ほめる」つまり、相手の良い行動に対してポジティブなフィードバックを与えるコミュニケーションのスキルや、言いにくい気持ちをしっかり具体的に伝えるスキル、一緒に問題を明確化し解決していくスキル、などを練習していくことになります。

 患者さん本人を対象として行う対人関係スキル訓練SSTには、たいてい自立生活スキル訓練も付属しています。統合失調症の患者さんは、非常にしばしば前頭前野機能が低下しており、適切な優先順位をつけて物事を順序立てて計画的に要領よく進めていくことに何らかの困難さを伴っています。このため、自立生活スキル訓練では、低下してしまっているこうした能力を補う意味で、物事を細分化し順序立てて実行する練習を反復しておこない、こうしたやり方で物事に取り組む癖をつけていくようにしています。ただ、これまでに行われた研究の結果から、こうした訓練によりどの程度の実生活上の改善が得られるかは今ひとつはっきりしていません。

【妄想的な思考など認知の歪曲を修正する認知行動療法】

 統合失調症には多くの場合認知の歪みが伴われますし、幻覚や妄想は素人目にも明らかな統合失調症の症状です。こうした認知の歪みを認知行動療法的に修正できないだろうか?というのはごくごく自然な発想です。うつ病の治療などでよくやるように、自分が感じた考えは本当に根拠のあるものなのか?同じ出来事を別のより現実的な解釈はできないか?などというように再検討していくやり方です。それに加えて、ほとんどの認知行動療法では妄想的な認知やそれに伴う感情反応に対してより適切な対処法を探っていくこともします。このようにして行われる認知行動療法は、幾つかの研究の結果から、確かに妄想などの陽性症状を改善する上で、通常の薬物療法に上乗せする幾分かの追加効果はあることは示されています。ただ、多くの研究結果が示しているのは、確かに統計的には幾分かの効果を示しているものの、臨床的にどれだけ有用であるかはかなり疑わしく、少なくとも薬物療法の変わりになるものではなく、あくまて追加的な位置づけでしかない、ということではありそうです。

【認知機能の低下を改善する認知訓練】

 そもそも統合失調症において対人関係の問題が生じやすかったり、仕事の能率や要領が悪くなってしまうのは、前頭前野機能が低下してしまうためであろうと見られています。だとすれば、「脳トレ」のような仕方で、注意力や作業記憶、遂行機能など脳の基本的な認知機能を訓練することで、上記のような多岐にわたる生活上の問題を改善できるかもしれない、と考えることができます。しかし、現在までのところ、いくつもの「脳トレ」的な認知機能訓練(Cognitive Remediation)を実験的に行った治療結果からは、あまり期待のできるものではなさそうなことが示唆されています。確かに、訓練を続けることで「脳トレ」の成績は上がるのですが、だからといって実生活上の機能が向上するかというと、そうはなっていないのです。ただ、対人関係に焦点づけた訓練と組み合わせることである程度の効果は出せてもいます。結論として、少なくとも現時点では、こうした認知機能訓練が臨床的に有用だとするのは時期尚早でしょう。。

【その他の心理療法、心理社会的介入】

 いわゆる心理教育や支持的精神療法は、少なくとも幾分かは効果的であることが示唆されています。ここでの「支持的精神療法」はあくまでも患者さんの気持ちに対して心理的な支えを行い、治療同盟を強め、現実指向的に現実的な問題を一緒に考え、自我支持的に現実検討を助けていくことを中心にするものです。通常の薬物療法を中心とした治療を行うにしても、治療者と患者の間の関係性が良好であればあるほど治療予後は良好になる傾向がありますから、週1回50分の定期面接のようなフォーマルな心理療法の形をとらなかったとしても、支持的な関わり方がある程度は治療的になる可能性はあります。もっとも、これも薬物療法を主体として行っている上での追加的な役割ではあります。

 過去には精神分析や力動的精神療法が統合失調症を対象に行われていたことがありました。しかし、その後行われたいくつもの効果研究の結果、(信頼性の低い研究報告のわずかの例外を除いて)精神分析や精神力動的精神療法は統合失調症に対してはほとんど効果がないことが示されています。少なくとも治療としてお勧めできるものではないと考えるべきでしょう。


統合失調症と役に立たない治療
 当初は神経症、特にヒステリー神経症に対する治療として出発した精神分析/精神分析的精神療法(精神力動的精神療法)は、その後その応用として躁うつ病や統合失調症を扱うようになっていきました。英国でも米国でも、かなり長い期間、統合失調症を治療する目的で精神分析的な治療がなされていたことがあったのです。統合失調症という独特の思考や感情の障害がある患者さんたちとの精神分析を行うことで、精神分析の理論はずいぶん深まりました。そこから得られたヒントや考え方は、その後境界性パーソナリティ障害の治療などに応用されていくことになります。しかし、治療としては、統合失調症に対する精神分析/精神力動的精神療法はほぼ完全な失敗でした。結局のところ、幾つもの実証的な研究の結果は、治療的な効果を証明できなかったばかりか、少なくとも一部の患者さんにとっては、少なくとも一部の精神分析の流派のやり方は、有害ですらあることさえ示唆されるものだったのです。今では、一時の流行によって効果があるような雰囲気をかもしだしながら全然有効ではなかった「間違った治療」の代名詞として精神科医療の中では語り継がれるほどになっています。

 しかし、実は精神科医療の長い歴史の中で、基本的に慢性疾患であり治療困難であった統合失調症に対しては、幾つもの「間違った治療」が一時の流行でなされていたことが他にも沢山あったのです。中には免疫療法やらキレート療法やら透析療法まで、今となってはなんと馬鹿馬鹿しい、効くわけもない治療をやっていたのだ、と呆れてしまうものさえあるのです。そうした数多くの治療は、一時的に変に流行し、すぐにすたれていきました。おそらく今後も、そうした「変な治療」は出てくるでしょうし、後になって「なんと馬鹿げた」と言われるものでさえ、一時的に一部の人からは熱烈に支持されることにはなるのでしょう。

【まとめ】

 統合失調症は、いわゆる慢性疾患ですので、極めて長期間の、場合によっては一生涯にわたる、計画的な治療が必要になってきます。統合失調症には幻覚や妄想、情緒不安定や感情的な興奮などより目立つ症状(陽性症状)と同時に、意欲の低下や対人関係の苦手化などより目立たない症状(陰性症状)があります。基本的に陽性症状は脳内のドパミン系の過活動により引き起こされていると考えられ、ドパミン系の過活動を調整する薬剤(抗精神病薬)を中心とした薬物療法により最も確実性の高い効果的な治療が期待できるものではあります。しかし、少なくとも現時点では、薬物療法は陽性症状には比較的しっかりとした効果があっても、陰性症状にはほとんど全く効果がないことも分かっています。陰性症状と呼ばれる、ある種の機能の低下を補う訓練や工夫が必要であり、それが統合失調症における心理社会的介入の非常に重要な役割だと言えます。

 現在までのところ、比較的しっかりとした効果が実証されているものとしては、(1)家族に対する心理教育、家族が患者さん本人と関わるときに必要となるコミュニケーションスキルや問題解決スキルを練習していくことを重視した家族行動療法、など家族に対する心理社会的介入が患者さん本人の社会適応や再発・増悪予防の点で効果がありそうであることと、(2)患者さん本人に対する対人関係スキル訓練(SST)が社会適応や再発・増悪予防の点で効果がありそうであること、があります。その他の心理療法については、あくまで追加的な役割しかなさそうだというのが現状です。さらに、日本の現在の保険医療体制のもとでは、上記に論じてきたような心理社会的介入を十分に行うことはかなり困難でしょう。

 いずれにしろ、統合失調症はかなり幅の広い疾患であり、一概に論じることはできません。軽症な人の場合には対人関係をより現実的に適応的にやりこなすコツを身につけていくことだけでだいぶ楽になるかもしれませんし、重症な人の場合には医療・家族・福祉が密接に連携して総合的な計画を立ててやっていくことが必要になるかもしれません。一人一人の治療ニーズに合わせて、適切な治療計画を立てていくこと、そして状況や症状の変化に応じて柔軟に変化させていくことが大切なのでしょう。


【エピローグ】


 Bさんは精神科病院に「措置入院」ということになりました。県の職員と名乗る男性がBさんに「告知書」を渡して、あれこれ説明をしていましたが、ろくに聞いていませんでした。よく刑事ドラマでやっている、犯罪者を捕まえた時の権利の読み上げみたいなもので、いずれにしろもう終わりだと思っていたからです。

 Bさんは、すぐに独房のような部屋に入れられ、外側から鍵を掛けられました。ベッドとトイレ以外は何もない部屋でした。担当医だと名乗る男性の医師がやってきて、またも「告知書」と書かれた紙を渡してきて、Bさんを隔離することについてあれこれ説明してきました。そして、Bさんは統合失調症と呼ばれる精神科の病気であると考えられること、治療のために1日1回寝る前の薬を出すこと、おそらく1ヶ月半から2ヶ月もすれば良くなるだろうこと、などを話してきました。「あなたにとっては、今のところ不本意でしょうが、薬を飲んで治療を行っていきましょう。」などと言っていましたが、Bさんにとってはどうでもいいことでした。もう終わりだ、ここで廃人にされてしまうか、殺されてしまうのだ、と漠然と感じていました。

 Bさんは担当医も病院のスタッフも全然信じてはいませんでした。ただ反抗するとどんなに嫌な目に遭わされるか分からなかったので、彼らの言う「治療」には従っていました。数日もすると、不思議と神経過敏な感じが減り、夜は眠れるようになり、日中の不安も減ってきました。最初は担当医も看護師もBさんのことを悪く言っているのだろう、と思っていましたが、次第に、彼らはどうやらそこまで悪い人たちでもなさそうだな、と思うようになってきました。少なくともBさんがおとなしくしている分には、何も嫌なことはされず、比較的快適に過ごすことはできていたのです。その間、担当医と名乗る男性は、毎日Bさんのいる隔離室にやってきては、何を問うでもなく、15分ほどBさんの横に静かに座り、ただBさんが話すことをふんふんと聞いて、最後に食事はとれているか、睡眠はとれているか、何か不安なことや気がかりな事はないか?と聞いてから帰って行くことを繰り返していました。

 1週間すると、Bさんは隔離室と呼ばれる独房のような部屋から、一般病室の方に移されることになりました。病棟内にはたくさんの他の患者さんがいて、Bさんは少し不安なような、怖いような感覚を感じました。他の患者さんが何かを話していたりすると、あるいは看護師さんたちがナースステーションの中で談笑していると、自分のことを話されているのでは?と不安になることは続きました。担当医の医者とは、週2回くらい診察室で話をするようになりました。そこでも、特に話し合うべき話題が決まっているのでもなく、ただBさんが他の患者さんや看護師さんたちの目が気になること、話されていることが不安に感じること、などを話すと担当医はふんふんと話を聞いて、ただBさんにはそのような対人関係での不安があるのだね、とだけ言うのでした。Bさんは、少し勇気を出して「先生がさっき、看護師さんたちと笑って話していたのも、不安でした。」と言ってみました。担当医は、少しびっくりしたような顔をして、「ああ、私からも馬鹿にされていたり、悪口を言われたりしているんじゃないかと、不安に感じたのですね。」と言いましたが、別に怒っている風でもありませんでした。そのことはBさんを少しだけ安心させました。

 入院して1ヶ月もしてくると、Bさんをあれほど不安にさせていた周囲の人たちの視線も、会話も、あまり気にならないようになってきました。担当医と話しているうちに、Bさんは次第に、本当は人が自分のことを悪く思っているのではなく、むしろBさんが自分自身に対してずっと抱いてきた劣等感が問題だったのかもしれない、と思うようになってきました。Bさんには密かにずっと、自分は他人とどこか根本的に違っていて、基本的な何かが欠けていて、人間として劣っているのではないか?という不安がありました。そのように不安に感じるから、他人のちょっとした言動が気になってしまうし、すぐに自分のことを悪く感じているのでは?という不安に変わってしまうようだ、と気づきました。そう気づいても、なかなか他人に対する不安は消えることはありませんでした。Bさんは、実際に、対人関係の面で自分は自分の周囲の人たちよりも劣っているという確信に近い思いがあったのです。

 Bさんがそんな悩みを感じ始めていた頃、担当医の先生はBさんに再び病名を「統合失調症」であると伝え、この病気がどんなものであるか、今後どのような治療が長期的に必要か、薬物療法にはどのようなメリットとリスクがあるのか、などなどを少しずつ話してくるようになりました。(家族との面会や同伴外出で知ったことですが、どうやら担当医の先生はBさんの家族にも同じような説明を行い、家族がBさんの病気をどのように考えるべきか、Bさんとのコミュニケーションでどのようなポイントに留意していったら良いかを説明していたようでした。)

 2ヶ月ほどして、Bさんは退院しました。その後その病院への通院を続けていますが、通院したときにBさんが学校などで感じる対人関係の苦手感、うまくいかなさ、対処の仕方などについて担当医と具体的に話すようにしています。最近では、担当医の勧めで毎週土曜日に行われている、若い外来通院患者を対象とした、対人関係のスキルを練習する集団療法に参加するようになりました。今でもBさんには、対人関係での苦手感や根本的な劣等感があります。しかし一つ一つ練習し、少しずつ強くなっていくしかないのだ、と思うようにもなっています。