第14章 子どもの心の問題

【プロローグ】
(このケースはフィクションです)

 Mさんは30代半ばの女性で、4歳になる娘と夫と一緒に暮らしています。Mさんにとって、娘との関係は大きなストレスになっていました。Mさんに似たのか、Mさんの娘は乳児の頃から我が強くぐずりがちな子でした。ただ、この半年から1年くらいはひどく言うことを聞かない、わがままな子になってしまっていたのです。Mさんが何を言いつけても「嫌!」と言って反抗する。自分の要求が通らないとかんしゃくを起こして泣いて暴れる。そんなことが毎日にようになってきたのです。朝の忙しい時間に着替えや食事でぐずり、毎日のように母娘でバトルになっていました。Mさんも、最初のうちは穏やかな対応ができていたものの、娘の反抗的な態度がエスカレートしていくにつれて感情的になってしまい、ヒステリックに怒鳴りつけたり、叩いたりしてしまうようになっていました。

 Mさん自身が母親との関係はよくありませんでした。Mさんの母親はいつもMさんが自分の思い通りにできないとヒステリックに怒鳴りつけたり、ひっぱたいたりするのでした。あんな母親にはなりたくない、もっと幸せで暖かい家庭をつくるのだ・・・と思っていたMさんにとって、娘との関係は明らかに「失敗」でした。これでは自分は母親と同じだ、と思いました。そして、自分が母親を嫌っているように、いずれ娘にも嫌われてしまい、最悪の母娘関係になってしまうかもしれない、と不安に思いました。なにより、日増しにエスカレートしていく母娘バトルの中で、そのうち虐待のようになってしまうかもしれない、と不安にもなってきました。そこで心理相談に行くことにしたのでした。

【子どもの心の問題にはどんなものがあるか?】

 実は筆者は「子どもの心の問題」という章をつくってしまったことを少し後悔しています。小児から思春期までに生じる「子どもの心の問題」は、簡単に1つの章でくくることができるものではない、非常に幅広いものだからです。大人の精神疾患のところでとりあげたうつ病や躁うつ病、そして統合失調症も小児から思春期で生じることもあります。

 いくつかの子どもの心の問題に対して、心理療法あるいは心理社会的介入が有効なことがあります。しかし、子どもの心の問題については、大人と違って幾つかの特徴や問題があります。

 まず、大人の精神疾患の場合と違い、倫理的な配慮から(治療を行う群と行わない群を比較する)無作為比較研究が行われにくく、数も少ないため、どんな疾患に対してどんな治療が適しているのかを科学的に証明することが大変に困難になっています。大人の精神疾患の場合は、現在ではどんな疾患に対してどんな治療が適しているのかということを、科学的な根拠をもとに論じることがだいたいできるのですが、子どもの場合はそれができているものが少ないのです。(行為障害・反抗挑戦性障害に対する親訓練と呼ばれる行動療法、思春期以降のうつ病に対する認知行動療法や対人関係療法、摂食障害に対する家族療法、などごく一部については科学的根拠をもとに有効性を示されている心理療法が存在しますが。)

 つぎに、子どもの心の問題の場合、心理療法・心理社会的介入の対象となるのは当の本人の子どもではなく、家族であっても有効なことが多いということがあります。つまり、精神的な「症状」を出して「患者」になっているのが子どもだとしても、子どもの精神疾患は、非常に多くの場合、その子どもの個人的な問題というよりも家族の問題の反映であるようなのです。別の言い方をすると、子どもだけが治るというのではダメなのであって、何らかの形で家族全体が治っていくことが必要になるでしょう。例えば、行為障害・反抗性挑戦性障害における親訓練と呼ばれる行動療法は、親を対象にして行うものです。親の子どもへの関わり行動が改善することで、二次的に子どもの問題行動が改善してくるのです。摂食障害も、患者が小児・思春期であり両親と同居している場合には、本人が対象ではなく家族を対象とした家族療法が有効となることが示されています。さらに、母親と子どもがともにうつ病である場合、子どものうつ病の治療を特に行わなくても、母親のうつ病の治療を行い母親が治ってくると、子どもも治ってくる傾向があることが示されています。子どもの心というものは、一緒に暮らす両親・家族の心の影響を強くうけ、それを反映していると考えて良い面もあるのです。

 小児期・思春期に特徴的な心の問題や、小児・思春期に発症し見つかることの多い問題をピックアップしてみると以下のようなものがあります。


(1)多動性障害(注意欠陥多動性障害 ADHD)

 脳の体質的に注意力が低い傾向があり、注意力を持続して物事に取り組んでいくことに困難を生じてしまうものです。多くの場合、すぐにつまらなくなり他のことに気がそれてしまうために、学校などでもぼーっと別のことを考えたり、落ち着きなく動き回ったりしてしまうことで勉強面にも支障が出てしまい問題になることがあります。(一般的に、女児は「ぼーっとしている」注意欠陥型が多く、男児は「落ち着きない」多動型が目立つ傾向があります。)対人関係の持ち方も、落ち着きがなく衝動的であまり考えずに唐突な会話をする傾向があるために、多少問題になることもあるかもしれません。一般に、時間や空間を計画的に使っていくことに困難があり、部屋の片付けや整理整頓が苦手だったり、夏休みの宿題を計画的にこなすことができず最後になってあわててしまう、等の問題を繰り返すこともあります。忘れ物の多さも学校生活で問題になってしまうでしょう。

 多動性障害は、やや遺伝性があり、親も類似した子ども時代があったり、大人になってからも若干の注意力や計画力の弱さがあることもあります。しかし、子どもの場合、脳の発達にともなって注意欠陥症状も多動症状も良くなっていく傾向があるので、大人になってまで日常生活や仕事面で大きな支障を持つようになってしまうことはまれです。

 注意欠陥多動性障害は、それそのものが心理療法の適応になることはあまりありません。この障害を持つ子どもは注意力が弱く散漫になりやすいので、余計な刺激が入ってこないようにするなど環境を調整してあげたり、集中力が持続する短い時間を単位に勉強などのスケジュールを組むようにしてあげるなどの工夫が必要かもしれません。また部屋の整頓が苦手だったり、時間を計画的に使うことが苦手だったりするので、手順を1つ1つ分解して単純化してあげるという工夫も良いでしょう。「問題解決技能」と呼ばれる、物事を順序立てて1つ1つ取り組んでいくやり方を練習することも有効でしょう。いずれにしろ、こうした生活上の「工夫」は幾つか必要であり、そうした「工夫」の教育や練習は役立つでしょうが、毎週定期的に行うフォーマルな心理療法が必要だというところまではいかないことが多いでしょう。

 ただ、注意欠陥多動性障害には、非常にしばしば行為障害・反抗挑戦性障害が合併してしまいます。衝動的に「困った子」の振る舞いをしてしまうのです。これについては、行為障害・反抗挑戦性障害に有効な親訓練と呼ばれる行動療法や問題解決技能訓練、総合的な家族療法が適応になるでしょう。


(2)行為障害と反抗挑戦性障害

 プロローグに出てきたMさんの娘さんもそうですが、いわゆる「困った子」のことです。親の言うことを聞かず、いちいち反抗したり、挑戦的な態度を繰り返してしまいます。自分の思いが通らないと「かんしゃく」を起したり、暴力的になったりすることも特徴です。ここに嘘つきや盗み、他人を傷つけたり権利を侵害すること、その他の反社会的な行動が目立って伴われるようになると「行為障害」と呼ばれるようになります。(行為障害は思春期以降では単純に「非行」と呼ばれることも多いです。行為障害が反抗挑戦性障害と大きく違うのは、やってしまっている行為に本当の意味での罪悪感や後悔が伴われないという点にあります。それゆえに、本格的な犯罪行為に走ってしまう傾向があるのです。行為障害における罪悪感の乏しさの問題は、かなり遺伝的・体質的な傾向であろうと考えられており、大人の犯罪者に多い反社会性パーソナリティ障害に移行する可能性も高いとみられており、より重篤な問題です。)

 「困った子」の行動も、小児期のものは、本人の問題というよりも家族の問題としてとらえた方が良いところがあります。実際、就学前の子どもについては、親の子どもへの関わりを行動療法的に改善する「親訓練 parent management training」が極めて有効であることが分かっています。具体的には、親子間での悪い関わり合い(子どもが反抗して親が怒る)を減らそうとするよりもむしろ良い関わり合い(子どもが好ましい行動をして親がほめる)を増やそうとするものです。親は子どもの好ましい行動やコミュニケーションにしっかりポジティブな注目を向けること、ほめること、などの関わり合いを練習し、そうしたポジティブな関わり合いを計画的に増やしていくということをします。

 しかし、子どもも学童期から思春期になってくると、「親訓練」のような簡単な方法では改善しなくなってきます。(この意味で子どもが小さいうちから早期介入・早期改善した方が良いのです。)ただ、幾つかの研究から、総合的な家族療法が有効そうであることが示唆されてもいます。また本人に対する認知行動療法、問題解決技能訓練も、少なくともある程度は、有効そうであることが示唆されています。

 本格的な犯罪行為を伴う「行為障害」では、問題解決技能訓練に幾分かの効果がありそうだということ以外には、あまりしっかりとした有効性を示している心理療法・心理社会的介入はありません。少年院のような厳格で分かりやすいルールのもと規律正しい生活を集団で行うことで、幾分かの改善が期待できる可能性は示唆されています。しかし、ルールが不明確だったり規律がいい加減な集団や、治療者・指導係があまりしっかり配置されていない集団では、かえって悪くなってしまう傾向があることも示唆されています。少なくとも行為障害的な問題がある子どもには、自助グループ的なやり方は反治療的ではあっても治療的にはなりにくいことが示唆されているわけです。


(3)子どものうつ病、躁うつ病

 果たして子どもに「うつ」などがあるのか?という問いについて、現在では多くの専門家が「ある」と考えています。しかし、子どもの「うつ」が大人の「うつ病」と同じものであるかどうかについては、かなり疑問があります。理由の1つは、大人の「うつ病」のようには抗うつ薬が効かないということです。薬物療法が全く効かないということでもないのですが、大人の本物の(狭義の)「うつ病」のように抗うつ薬だけで簡単に治ってしまうような子どもの「うつ」はほとんどないのです。2つめの理由は、子どもの「うつ」にかかった子どものうち、少なからぬ割合の人が将来的により慢性的で重篤な問題であるパーソナリティ障害に移行してしまうのです。さらに、こうしたパーソナリティ障害と関連しているという事情もあるのでしょうが、子どもの「うつ」は非常にしばしば自傷行為やその他の衝動行為を伴います。

 統計的には、「うつ」は思春期頃から急に増えてきます。男児よりも大人になるのが早い女児では12歳頃から、男児でも14歳頃から急に増えるのです。

 子どもの「うつ」は抗うつ薬が効きにくいという問題に加えて、幾つかの研究で抗うつ薬の使用がかえって衝動行為や自殺関連行動を増やしてしまう可能性が懸念されてきたことから、可能であれば心理療法を単独で行うか、薬物療法に心理療法を併用した方が良いと考えられています。これまでの研究では、大人の「うつ病」に対しても良好な有効性を示している認知行動療法と対人関係療法が、ともに子どもの「うつ」に対しても有効そうであることが示唆されています。また家族療法も有効である可能性があります。

 これまでの研究の結果から、抗うつ薬を中心とした薬物療法も心理療法も自殺のリスクを十分に低減できるものではなさそうであることが示唆されています。しかし、「うつ」の子どもを放っておいた場合に比較すると、例え「薬だけ」の通院治療であっても、子どもがしっかりと治療に通うことでかなり自殺のリスクを低めることができるようであることも分かっています。子どもの問題を放っておかず、家族がしっかり受け止めて一緒に対処していこうとすることそのものに、自殺予防効果がありそうなのです。


(4)子どもの神経症

 子どもにも大人と同様に「不安神経症」に分類される症状が出ることがあり、特に子どもの場合には分離不安障害(親と離れることへの過度な不安)、学校での対人関係の不安からくる不登校などが問題になることが多いです。実際の現場では、遊戯療法や家族療法が行われることが多いのですが、科学的に有効性を実証されているのは曝露療法を主体とした認知行動療法くらいしかありません。治療には家族も参加して一緒にやっていくという違いはあるものの、認知行動療法の基本的な発想は大人の場合と同様であり、不安であるために避けてしまっているものに、徐々になれていくべく「曝露」という訓練を積み重ねていくということになります。


(5)広汎性発達障害

 精神遅滞(知的障害)は知能全体が低いものを指しますが、知能全体は低くないのに知能構造に大きな偏りがあり、主には対人関係能力に関係する知的能力が極端に低いものを広汎性発達障害と呼びます。広汎性発達障害の子は、多くの場合、幼稚園の頃から集団遊びが苦手で孤立しがちであり一人遊びばかりしていることで気づかれることが多いです。時には、文字を覚えることや数字や計算の能力が他の子よりも高く、一見すると「天才」のように見えることもあります。しかし対人関係の能力や物事に柔軟に対応する能力が極端に低いために、集団生活には大きな困難を感じることが多く、小学校から中学校にかけて目立った不適応を起すようになり、不登校になることも少なくありません。また対処能力の低さのために情緒不安定になったり、パニックを起したり、暴力・衝動行為が頻発することもあります。小学校高学年から中学校にかけて、いじめの標的になってしまうこともあります。

 これまで、米国などででスキル・トレーニングを中心とした認知行動療法などの様々な心理療法が試みられていますが、多大な時間と労力がかかる(週に何十時間も治療的訓練に時間をさくことになります)割には目立った効果を示すことができず、かなり難しい問題でありつづけています。

 いずれにしろ、広汎性発達障害は一生涯にわたる問題であり、「治療」というよりもむしろ「教育」あるいは「福祉」という観点から考えて行った方が良さそうではあります。


【エピローグ】

 Mさんは娘を連れてカウンセリングセンターでの心理相談に行きました。カウンセラーは1回目の面接ではMさんから話を聞き問題点を整理しましたが、2回目の面接では実際にMさんが娘に何かをさせようとする場面で親子がどんなやり取りをするかを観察しました。そして、実際にMさんの娘は反抗的・挑戦的ではあるが、これは親の対応を少しずつ変えていくことで、変わっていく可能性があろうことが伝えられました。そして「親訓練」と呼ばれる治療の概要を説明され、次の週から1つ1つ、「注目すること」、「ほめること」、「適切な指示をすること」などの親子のかかわり方のスキルを見直し、より良い関わり方を練習していくことになりました。Mさんだけでなく、夫も一緒に練習することになりました。練習するスキルは全部で6,7個あったのですが、一度にやることはせず、毎週1つずつでした。Mさんにとっては驚いたことに、3週間目「適切な指示をすること」を練習しているあたりから、娘の態度が大きく変わってきました。そして、2ヶ月で心理相談を終了する頃には、Mさんと娘との問題はほとんどすっかりなくなっていました。親子の関わりを見直している間に気づいたのですが、Mさんはゆっくり娘の話を聴くことをしていませんでした。たぶん、そのことでも、娘はストレスをためていたのかもしれない、とMさんは思いました。今ではMさんが余計な一言で娘の会話をさえぎってしまうことなく、ゆっくり聞き手に徹して、しっかりと関心を持って、娘の話を聴けるようにもなっています。