第13章 摂食障害およびその他の病的嗜癖

【プロローグ】
(このケースはフィクションです)

 Lさんは大学を卒業して社会人2年目の事務職をしている女性です。周囲に気を遣い、仕事もまじめにこなしているLさんには、誰にも秘密にしている病的な習慣がありました。過食嘔吐です。

 Lさんに食関係の問題が起こってきたのは高校生の頃からでした。その頃同じクラスの男子生徒に太っているとからかわれてから、一時期過度なダイエットをしたことがあったのでした。「太っている」とからかわれたのは本当でしたが、Lさんが実際にそんなに太っていたのではありませんでした。痩せてはいませんでしたが、普通の体型であり、その男子生徒の好意の裏返しの子どもっぽいからかいにすぎなかったのです。しかし、元来自分に自信がなかったLさんはすっかり気にしてしまい、毎食の摂取カロリーを計算し、毎日体重を計り、自分の体型を気にするようになってしまったのです。500gでも、体重の増減に一喜一憂しました。少しでも体重が増えると深い自己嫌悪におちいり不安になりましたし、安定して体重が減り続けていると安心していられました。やがて、体型や体重へのこだわりはLさんにとって癖のようになってしまい、病的なまでに痩せているのに、もっと痩せていないと安心できないようになり、強迫的なダイエットを続けてしまっていたのです。

 Lさんの体重がどんどん落ちてしまい、みるみる痩せてしまっていることに心配した両親は、Lさんが「拒食症」にかかってしまったと言って、Lさんを精神科に受診させました。Lさんは、自分は「拒食症」と言われるほど病的に痩せていないし、むしろ太ってる方だ、と言いました。しかしLさんがそう言えばそう言うほど、ますます両親はそれこそ病的な「拒食症」だと言い張ったのです。結局、受診した精神科でも「拒食症」だと診断され、これ以上痩せるようであれば病院に強制入院して、栄養チューブを使って強制栄養をするしかないと脅されました。少なくともLさんにとっては脅しだったのです。強制入院に強制栄養なんてされてたまるか、という思いもあり、Lさんは仕方なくずいぶん努力して食べるようになりました。時々連れて行かれた精神科の診察でも、いかにも「痩せ願望」はふっきれたかのような、優等生的な発言をして良くなっていることをアピールしました。そうでもしないと本当に強制入院させられそうだったからです。しばらくして、Lさんは「治った」とされ、精神科への通院もなくなりました。大学2年生の頃でした。しかし、実はその頃から過食と嘔吐の問題は始まっていたのです。

 過食嘔吐は、最初の頃はほんの時々、耐え難いストレスがあった時にイライラしてやってしまうくらいでした。普段は我慢している食べ物を食べきれないほどに食べて、ただ無心に食べているときには、不安やイライラを忘れられている気がしました。しかし食べ終わると、そんな自分に強い自己嫌悪と罪悪感を感じました。そしてすべてをなかったことにするかのように、食べたものをすべて吐き出すのでした。最初のうちは指をのどにつっこんで吐きました。しかし慣れてくると指をつっこまなくても吐けるようになっていました。自分でもこんなことをしているのは異常なことだとわかっていましたから、Lさんはこれを誰にも秘密にしました。友人と夕食を一緒に食べて「食べ過ぎてしまった」と思った時には、帰り道でたくさんの食材を買い、自宅に戻ってから自分の部屋の中でこっそりと過食して、そしてトイレに行って吐くのでした。

 過食嘔吐は、次第にエスカレートして毎日の習慣のようになってきました。もはや不安だから、イライラするから、という理由ではなく、やらないと気が済まなくなってきたのです。飲み物も含めてお腹をパンパンにいっぱいにする。そして吐き出す。そういうことをしないと落ち着けなくなっていたのです。吐き終わった後でも、お腹の中にまだ汚いものが残っている気がして、次第に下剤を使わないと落ち着かないようにもなってきました。毎日毎日、食にばかりとらわれているようでした。しかし不思議と食にとらわれている間は、対人関係の問題などの嫌なことは忘れていられるのでした。

 Lさんは、少し異性関係を避けていたところがあり、これまであまり親しくなる男性はいませんでした。しかし、職場の先輩のある男性とは比較的すのままの自分で接することができるような気がして、少しずつ親しくつきあうようになっていったのです。そうなってくると、Lさんには、不安が出てきました。過食嘔吐という恥ずかしい行動を止められないでいる問題が、いつか彼にばれてしまうのではないか?そうなったら、こんな異常な女性とはつきあいきれないと彼にも思われ、見捨てられてしまうのではないか?そう考えるとLさんはとても不安になってきました。

 Lさんは、精神科での治療にはほとんど期待はしていませんでしたが、それでも何とか過食嘔吐は止めなくてはいけないだろうという思いもあって、今度は自分から精神科を受診することにしたのでした。

【摂食障害とはどんな疾患か?】

 摂食障害には、大きくわけて「拒食症」(神経性食思不振症)と「過食嘔吐症」(神経性大食症)とが有名です。ともに、もともとの性格傾向として自信のなさや自尊心の傷つきやすさ、若干強迫的で自分自身の感覚や判断を安心して信じることのできなさ、などの問題があることが多いものです。その上に、自分の体型への不安があり、痩せ願望や肥満恐怖があります。「拒食症」と呼ばれるものでは、過度なダイエットを行い食べる量を極端に制限することで痩せていこうとします。たいていは、過度な運動も伴います。一方で「過食嘔吐症」と呼ばれるものでは、食事は普通に食べたり、あるいは逆に食べ過ぎなくらいに食べるのですが、その後で自分で喉に指を突っ込むなどして嘔吐します。こうして食べてしまったという事実をキャンセルしてしまうわけです。

 疾患分類上は「拒食症」と「過食嘔吐症」は別々の名前がついていますが、一人の患者さんがある時期は「拒食症」であり、ある時期は「過食嘔吐症」であるというのはめずらしくありません。思春期頃から過度なダイエット、つまり「拒食症」から始まり、そのまま「拒食症」のまま経過することもありますが、多くの場合は「過食嘔吐症」に移行します。過食嘔吐症では、過食したことをキャンセルするための行動として「嘔吐」以外に、下剤を乱用したり利尿剤を使って見かけ上の体重を減らそうとしたりすることもあります。

 患者さんはたいてい若い女性ですが、時々男性もいます。一部の人は思春期頃の一過性の「過度なダイエット」で終わることもありますが、「摂食障害」という病名がつくような人の場合、その後数年以上にわたってこの問題が続くことが多いのです。

 摂食障害には、たいてい、幾つかの精神科疾患が合併します。摂食障害を持つ患者さんの多くは、対人関係に何らかの困難さがあり、自尊心も低く、慢性的な空虚感に悩まされています。こうした慢性的な抑うつ状態、不安状態、情緒不安定状態が続くため、「気分変調症(持続性気分障害)」という病名や境界性パーソナリティ障害や回避性パーソナリティ障害などの「パーソナリティ障害」という病名がつくことがあります。本格的な「うつ病」になることも多いです。また、「拒食型」の人は性格傾向として強迫性があることが多く、強迫性障害を伴っていることも少なくありません。さらに、摂食障害自体が「病的嗜癖」であると言えるのですが、特に「過食嘔吐症」の人は衝動コントロールの問題を伴っていることが多く、「買い物依存症」や「ギャンブル依存症」、そして「アルコール依存症」やその他の薬物乱用・薬物依存にはまってしまうことも少なからずあります。対人関係も不安定かつ依存的になりやすく、不特定多数との性行為をしたり「セックス依存」になるところまでいかなくても、しばしば異性関係は混乱しがちです。

 また、特に「過食嘔吐症」では、自傷行為やその他の自己破壊的行動が伴われていることが珍しくありません。そして自殺関連行動も少なくなく、摂食障害に伴われる栄養障害による内科的な理由での死亡(餓死)に加えて、自殺や事故による死亡も加えると、摂食障害の死亡率は約5%くらいにのぼるのではないかと見積もられています。

 「拒食症」でも「過食嘔吐症」でも、身体が慢性的な飢餓状態にあることにより、情緒不安定でイライラしやすく、落ち着かない性格になりがちです。もともとは穏和な性格だったはずなのに、身体的な飢餓状態のために「嫌な性格」になってしまうことは少なくありません。

 摂食障害では、上記のような精神的な合併症に加えて、身体的・内科的な合併症も少なくありません。「拒食症」では、当然、極度の栄養障害と痩せがあります。貧血を伴っていることも多く、ビタミン不足による皮膚疾患や神経系の障害も伴うことがあります。ビタミンBの不足によるウェルニッケ・コルサコフ症候群は、ろくに食事もとらずにお酒ばかり飲んでしまうアルコール依存症の患者に時々起る、極端な記憶力の低下が特徴の認知症のような問題ですが、同じことが摂食障害の人にも起ることがあります。痩せがあまりに酷い場合、いわゆる「餓死」による突然死の危険も生じるため、栄養管理を目的とした入院が必要になることもあります。一方、「過食嘔吐症」の場合、繰り返し嘔吐するために身体の中の電解質(イオン)バランスが狂い、低カリウム血症などが起ることがあります。また胃酸によって歯をやられてしまい、虫歯が多くなるなどの問題も起ってきます。耳下腺が腫れて顔が両サイドに膨らんだ特徴的な顔立ちになってしまうことも少なくありません。下剤を乱用する人では、電解質(イオン)バランスの障害の他に、下剤を大量に長期間使っていることで大腸が麻痺したようになり、ひどい便秘症になってしまうこともあります。

【摂食障害に対する心理療法】

 摂食障害も、アルコール乱用・依存症と同様に、いわゆる「病的嗜癖」の問題であり、治療は困難であることが少なくありません。「過食嘔吐症」は本人もそれが問題であるという自覚を持っていることが多いのですが、「拒食症」の場合は本人が病気としての自覚がないことが多く治療に導入すること自体に抵抗感を生じてしまうこともあります。いずれにしろ、一般的に摂食障害の人は、摂食行動の問題を周囲からあれこれ指摘され「病気だ」「おかしい」「治すべきだ」「ちゃんと食べなさい」等と意見を言われてしまうことを嫌がる傾向があります。摂食障害以外の問題(慢性的な抑うつ傾向や対人関係のうまくいかなさの問題など)については、本人も困っていることが多いため、本人のことを心配な家族はそちらの問題を相談し、本人に受診を勧めてみる方が良いかもしれません。

 摂食障害の中で、「過食嘔吐症」は比較的治療の有効性についての研究が進んでいるものです。これまでの研究では、認知行動療法と対人関係療法、そして精神力動的精神療法などが有効であろうと示唆されています。患者が思春期(18歳未満)であり家族と一緒に住んでいる場合は、家族療法も有効であろうと見られています。これは摂食障害に限ったことではないのですが、一般に小児から思春期にかけての情緒的な障害(小児や思春期の「うつ」や「不安」、そして摂食障害など)は、患者である子どもの問題というよりもむしろ、家族全体の病理性を反映していると考えて良いところがあるのです。このため、小児から思春期にかけては、「患者」として治療に表れてくるのは子どもである「患者」なのですが、家族全体の病理を治した方が他の問題も一緒に治っていきますし、その子が家族の中でより幸福にやっていけるようになることが期待できますし、そのついでにその子の病理も治っていく傾向があるのです。しかし、18歳以上、つまり大人の摂食障害については、家族療法の有効性は疑わしいところがあります。このため大人の摂食障害については、本人に対する個人精神療法(認知行動療法や対人関係療法、あるいは精神力動的精神療法など)を行うことがオーソドックスな考え方です。

 対人関係療法や精神力動的精神療法などは特にそうですが、認知行動療法でも、摂食障害の背景には何らかの対人関係の問題とそこからくる慢性的なストレス状況があることを想定しています。治療をしていくうえでは、単に食行動の異常を修正していくだけでなく、背景にあるこうした対人関係的な問題を修正することも非常に重要になってきます。しかし、基本的にはどの治療でも、最初に摂食障害というものについての教育的な内容から入ることが多いでしょう。摂食障害はどのような疾患であり、どのような背景がありそうであり、症状のためにどんな問題が生じているのであり、どのような悪循環が起っているのか、といったことを話し合い、適切な情報を提供します。

 「過食嘔吐症」の人のほとんどが、肥満恐怖と痩せ願望があるために、部分的にダイエットをしています。多くの人が朝食や昼食を抜くか、ひどく少なくしておき、夕食の時に過食になって嘔吐します。ところが、一般的に人間は6時間も何も食べ物を口にしないでいると「飢餓感」が強くなってきます。飢餓感が強まっている時に何かを口にすると、どっとせきを切ったように過食になってしまうリスクが増えます。このため、食行動をできるだけ一定時間で計画的に行うようにし、食行動の記録をつけていくように促すことから入るという課題を最初のアプローチにすることも多いでしょう。

 「過食嘔吐」を嗜癖的に繰り返している人の中には、それを一種の自傷行為のようにしてしまっている場合も少なくありません。対人関係でのうまくいかなさなどの問題があり、不安やイライラ感、寂しさ、虚しさ、などのネガティブな感情を抱えていることに耐えられなくなってくると、すべてを忘れるために「過食」と「嘔吐」に耽ってしまうのです。このやり方は、境界性パーソナリティ障害の人が自傷行為をするパターンと極めて似ています。このためか、境界性パーソナリティ障害に伴う自傷行為のコントロールに高い有効性を示している弁証法的行動療法は、摂食障害に対しても効果的であることが示唆されています。精神力動的精神療法が摂食障害に対して効果があるのも、おそらく同じような理由でしょう。

 一方で、「拒食症」については、「過食嘔吐症」よりも、ずいぶん治療が困難になることが分かっています。「過食嘔吐症」に対して高い有効性を示している認知行動療法も対人関係療法も、「拒食症」に対しては一般的なカウンセリングと比較して優位性を示せていません。実際、幾つかの研究では、認知行動療法や対人関係療法のように治療方針が比較的しっかり決まっており治療者の能動性が高い心理療法よりも、より患者の自主性・自律性を尊重し治療者が比較的受け身的な態度であることが多い一般的カウンセリングや精神力動的精神療法の方がより高い治療効果をあげる傾向があることが示唆されてもいます。

 いずれにしろ、摂食障害は摂食行動の問題とは考えない方が良いのです。対人関係やその人の生き方や性格と呼べるような、より広範な問題を含んでいます。このため全体としての治療は長期間に及ぶことを覚悟すべきでしょう。

【エピローグ】

 Lさんが精神科に受診すると、医師はLさんはいわゆる「過食嘔吐症」だろうと言い、「過食嘔吐症」という病気についての説明をあれこれしてくれました。そして、摂食障害についての幾つかの本(『過食症サバイバルキット』(金剛出版)など)を読むように勧めてきました。そして、Lさんの食行動を聞き取った後で、Lさんが朝、昼をほとんど摂らずに、夜に過食になってしまっているパターンは、過食嘔吐症の人にきわめて多いことだが、まずはこれを治した方がやりやすいだろうと話してきました。医師が言うには、Lさんの食生活はほとんど1日1食になってしまっており、これでは身体が飢餓感を感じてしまうために太りやすい体質になってしまうし、何より夜に食事をした時に過食になるリスクが高まってしまうことになっているとのことなのです。「それよりも、決まった時間に1日3食をしっかり摂り、午前中に1回、午後に1回、ほんの少しだけ食べ物を口にする間食の時間をつくった方が、身体が飢餓感から過食衝動を生じてしまうこともなく、過食衝動をコントロールしやすくなるはずです。」と医師は言うのでした。Lさんは、にわかには信じがたい気持ちでした。今のように1日1食でも太ってしまう危険があるのに、3食もしっかり食べてしまったらと思うとぞっとしました。しかし、医師はLさんがそう思っているだろうことを言い、多くの患者は食生活を1日3食に規則正しくした方が、結果的には過食も減らせ、体重コントロールも容易になるのだと言うのでした。そして医師はもう1つ、Lさんに課題を出しました。食事や間食、飲み物まですべて含めて、口にした一切のものを記録に残すようにというのです。いつ、どこで、どんなものをどれだけ口にし、その時どんな気持ちであったのかを記録に残すという行為を毎日続けるようにというのです。「とても続けられそうにない・・・」とLさんは思いました。

 しかし、Lさんはやってみました。食行動の記録を続けていくと、Lさんは自分が「過食」の時にどれだけのものを一気に食べてしまっているのかをあらためて思い知らされました。確かに、医師が言うように、食事の時間を一定にし、1日3食と少しの間食を入れることで、過食衝動はコントロールしやすくなりました。しかし、職場での対人関係や母親との関係でイライラしたり不安になったりしていると、つい過食に逃げてしまいがちになっていることにも気づいてきました。こうして次第に、Lさんは過食の背景にある家族との葛藤や職場や彼との対人関係の問題を主治医との診察時間の中で話し合うようになりました。その頃には、過食してしまう頻度は週に1回程度に減っていましたが、Lさんにとっての本当の問題は、過食嘔吐よりもむしろ、こうした対人関係の問題なのだ・・・と思うようになってきました。いつでも、どこでも、誰と一緒にいても、どこか素のままの自分でいられず、周囲にあわせて自分を演じている問題。自分がないという問題。ずっと孤独で虚しい存在でありつづけてきた問題。そうしたことを、ちゃんと治していきたい・・・とLさんは思うようになりました。

 すると、主治医はLさんに本格的な心理療法を勧めてきました。毎週、50分をかけて行う心理療法です。毎週、決まった曜日に、仕事が終わってから心理療法に通いつづけることは大変なことでした。しかしその後2年間、Lさんは心理療法に通いつづけ、過食嘔吐も、病的な痩せ願望も、自尊心の低さの問題も、対人関係の不安定さや落ち込みやすさの問題も、今ではほとんどなくなっています。



当事者向け参考書:
シュミットW、トレジャーJ「過食症サバイバルキット」(金剛出版)2007年