あなたを忘れられなくて

 今年も無事に明けた。たまには明けずにうっかり十三月にでもなっちゃえばどうかと思わなくもないが、いかんせんグレゴリウスが決めたことだし、カレンダー屋さんも困るので当然明けるのである。
 さてそんな年末年始を経て、このところ気付いたのは「正月前後の雰囲気は人をおかしくさせる」ということだった。
 特に子供においてはその傾向が甚だしい。冬休みに入り、クリスマスではしゃぎ終えたらすぐに年末だ。さあ年の瀬ですよという世間に巻き込まれ、その非日常と言うべき状態に浮かされているうちにはや大晦日。夜更かしをしていても叱られることなく、除夜の鐘が聞こえる頃、もしかするとそこから家族で出かけていわゆる二年参りを済ませてきたのかもしれない。そして陽が昇り起きれば、そこから一年最大の非日常が三日ほど続くわけだ。非日常となると異常にテンションが上がる子供からすれば、これほど心躍る数日間は他にないだろう。
 だからこそ年明けの午前零時にジャンプし「俺、年越しは地球にいなかった!」などと叫んでもしまうのである。ジャンプしたところで「地上」にはいなかったかもしれないが「地球」にはいただろ馬鹿もん。

 そして程度こそ違えど、それは大人にも見られる現象である。それを端的に証明するのが、年明けから今日までで何回か聞いた「正月気分が抜けなくて」という言葉だ。
「いやあ、正月気分が抜けなくてねえ」
「そうですねえ。正月でしたから」
「なあ」
 いったいどんな会話だおまえらと伊達巻きにしてやりたくなるが、そんな言葉を聞くにつけ一つの疑問が持ち上がる。正月気分が抜けないというのはつまり、具体的にどういうものなのかと。

「ふと気付くと餅を食べている」
 そういうことなのか。通常ならば七草粥を食べるべきところで、正月気分が抜けない者はついつい餅に手が伸びる。テレビで成人式の報道を見ながらなぜか雑煮を食べている。「センター試験の季節か。俺が受験生だった時は大雪でなあ」とか何とかしゃべるその口の中には餅いっぱいだ。
 とはいえ、それは特に害をなすわけでもない。傍から見れば「単に餅が好きな人」に過ぎず、捜せばそんな人もどこかにいるだろう。
 しかし件の場合、わざわざ「正月気分が抜けなくて」と他人にしみじみ吐露するほどだ、そこにはもしかすると弊害ともいうべきものが生まれているのではないか。

「やたらとでかい凧(たこ)を作りたがる」
 これはなかなか迷惑なことになっている。なにしろ十畳分の凧だったりして、日本の住宅事情を鑑みればほとんど無茶の域に達している。日曜の明け方四時から何をゴソゴソやっているのかと思えば、おやじが竹で骨を組んでいるわけだ。正月気分であるから当然のように酒も入り、朝六時にもなればすでに泥酔だろう。
「ちょっとお父さん、何をやってるんですか」
「うるせえかかあ。凧がなくって何が正月だってんだ」
 いやどう考えても正月ではないのだが、そういう気分が抜けないのだから本人とてどうしようもない。「この骨が大事なんだ。屋台骨は俺が支えてるんだちくしょうめ」と、なにしろ泥酔なので言っていることもよくわからないのだった。
 だがそれも迷惑を被るのはせいぜい、部屋を占有された家族だけだ。配偶者同士でお互い邪魔なもの、例えば変な形のスピーカーや使いもしないダイエット器具など、に部屋を潰されるのはよくある話で、それは今さら他人に相談するべきことでもない。となればあえて述懐せざるを得ない正月気分の者にはもっと何か、深刻な不都合があるのではないか。

「毎日初詣に行ってしまう」
 正確に言えば二日目以降の初詣はすでに初詣ではない。が、正月気分が抜けないのでついつい毎日足が向いてしまい、今や閑散とした神社の、寂しげな賽銭箱にツッコローンと小銭を投げ入れるのである。そのうち絵馬掛所には「松澤様」と専用スペースが設けられるだろう。
 しかもそれが朝一番ならまだいい。しかし正月気分が突如とその魔の手を伸ばしてくるのは、もしかしたら午後三時かもしれないのだ。
「部長、いきなり出ていかれてどうしたんですか? どこかお加減でも?」
「いやなんか、初詣に」
「初詣? なぜ今さら」
「ダメ?」
 ダメだろうそれは。ここまで来るともはや周囲に脳外科的な心配を振りまく行動となり、ならば他人にその正月気分を相談する気持ちもわからなくはない。

 と、そんなことを考えているうちに一つ不思議に思うのは「気分が抜けないとぼやくのはどうやら正月だけらしい」という点だ。
 まとまった休日がそうさせるのだろうか。しかし例えば「ゴールデンウィーク気分が抜けなくて」と言う人は、正月気分の人に比べれば稀だろうし、実際少なくとも私の周囲にはいなかったように思う。その休日数は正月休みと大して変わらないにもかかわらず、だ。
 ならばそこにある要因は休日ではなく、カレンダー定義型のイベント感だろうか。かと言って「節分気分が抜けなくて」ところ構わず豆を投げる奴もいないだろうし、また「バレンタインデー気分が抜けなくて」ついつい一時間おきに下駄箱を見に行く奴もいないだろう。
「あれ、お弁当はカボチャだけですか?」
「いやあ、冬至気分が抜けなくてねえ」
 ただのうすら馬鹿だ。

 なぜ正月だけがこれほど人の気分を滞らせるのか、判然とはせずまったく興味は尽きないが、まあいずれにせよ、正月なんてものは一年に一回の限られた日数でのイベントだからこそ、騒ぎ甲斐があるのだ。皆が皆いつまでも正月気分に浮かれていては、社会など機能すべくもない。
 せめて一日でも早く正月気分を抜くことができるよう、私は今から皆のために祈ってこよう。なあに気にすることはない、どうせ私は年が明けてから毎日、初詣に行っているのだ。

20090119