ネギ氏の里の

 冷静に考え始めると気になって仕方がない、というものはそれはもういろいろあるが、中でも今あらためて気になるのが、筆のことだ。
 おおよそ筆には直径においての規格があり、穂の長さにこそ短鋒〜長鋒といった違いはあるものの、少なくとも市販品ではほぼ一定のサイズを保っている。「直径八センチで軸の途中に東京タワーが彫られている筆」だの「二軸ヒンジのワンセグ対応筆」だのという、どう考えても書きづらいタワケた筆が出てこないのも、この規格のおかげだと言えよう。私も長い筆が好きなので今までいろいろと買ってきたが、せいぜい穂先までで三〇センチ強といった常識的な長さのものしか出されたことがない。一番長いやつをくれと言ったら店主が奥から二メートル半のものを担いできました、なんてことになったらもう、墨汁で毒霧かまして逃げ帰るしかない。

 とはいえ厄介なことに、何にでも例外というのはあって、筆にしてもそれは決して他人事ではない。それが「巨大筆」と呼ばれるものだ。それはよく芸術家が使う、バケツに満たした墨汁と広大な半紙を前にして全身をもって扱うところの、あの馬鹿でかい筆である。気合一閃、真剣な表情で筆を滑らせてでき上がったものが「あんまり似てないドラえもん」だったらさぞ面白かろうといつも思うのだが、いやそれはどうでもいいとして、私はあれについてちょっと気になるのである。
「あれはどんな顔をして運んだらいいのだ」
 例えば自分が芸術家の関係者だとする。今日あそこでイベントがあるから筆を持っていってくれと、こう頼まれる。そりゃ本人はいいだろう、正装してこれぞ芸術とばかりに腕を振るうのだから。しかし事前に筆を運べと言われた方はことだ。どうということもない私服で、もしかするとそれは自転車で、あの筆を運ばねばならないのかもしれない。電車であればなおさらまずい。「パパ、あの人なんか担いでる」「シッ!」とばかり、たかが筆一本で人は尊厳を損なうのである。つくづく、でかい筆は持ち歩きたくないと思う。

 しかしだ。自分にそんな知り合いはいないし、と安心するのは早計であるのだった。
 料理をする人、あるいは頼まれてよく買い物をする人などはわかるはずだが、ネギである。長ネギだ。あん畜生、どうやってもスーパーの袋には収まらない形状なのである。かくしてスーパーから出てきた人間は手に持った袋からネギをびょーんと出して歩くことになり、それはどこか、巨大筆を持った状態と似ている。あえて言い切ってしまえば、そこに説得力は微塵もない。
「安倍はさあ、やっぱり良くも悪くも凡庸って感じなんだよね」と難しい顔で政治を説いたところで手元にはネギがびょーんである。ステテコ姿で子供を叱るとか、ヤクルト飲みながら別れ話とか、そういった具合のあれだ。
 あるいは買い物帰りにチンピラに絡まれよう。昔ならしたこのコブシ、敵の幾千ありとても、退く理由などまるでなし。「死にてぇ奴だけかかってこい!」と男がボキボキ鳴らした指はいいとしても、そのちょっと下に見えるのはネギがびょーんである。せめて木刀ならば良かったが、やっぱりそれはネギだった。「来いや!」とネギを構えたところでどうなるわけでもあるまい。「ネギ、これ、貼るぞコラ!」ただの民間療法である。

 同じ長いものを持つにしても、例えば野球のバットならば問題はなかった。バットを持って河川敷に佇んでみても、「ああスイングの練習か」としか思われないだろう。ならばネギを持って河川敷に佇んではどうか。「ああもうあんなのが出てくる季節か」としか思われないだろう。
 また、ゴルフクラブなんかも悪くない。高級なクラブを手にして「俺もこんな歳になったんだなあ」なんて、うっかりするとすぐに「人生ってのは…」という独り善がりな言葉が飛び出してしまうような年齢になったと、感慨すら抱くのではないか。しかるにネギはどうか。
「俺もとうとうネギ、か。下仁田ネギ…だなあ」
 こう言ってはなんだが、馬鹿である可能性が高いと思う。
「人生ってのは、おまえあれだよ、ネギだよ」
 やっぱり馬鹿なのだった。

 ネギびょーんが嫌ならば、ネギが収まる袋があればいいのではないかという向きもあるだろう。なるほど、あのデパートなどで見る傘袋自動装着器(公式名称)のようなものを連想してみるといいかもしれない。買ったネギを差して引っ張ると袋詰めされ、確かにネギびょーんは避けられる。が、忘れてはいけない、敵は傘ではなく飽くまでネギだ。傘でさえ自動装着器に向かって狙いを定めている時に一瞬「何やってんだ俺」という気分になるもの、ネギについては何をかいわんや、狙いをつけること自体ひどく間抜けに思える。
 他にも、不幸にも帰り道で轢かれた時にはネギだけは手放しておきたいし、ネギびょーんでプロポーズというのもできれば避けたほうが人として望ましい。ネギを背中に隠して帰ればいいよ、なんてのは一見名案に思えるが、それは問題のすり替え…というよりはより事態がひどくなっていると言った方がいいだろう。

 かような想定からして、我々はそろそろ、ネギについて真剣に考える時期に直面しているのだということを実感すべきであろう。またあれが美味しくなければ何の問題もないところが、万能で美味しいからこそアンビバレントが生じるわけで、なればそれを少しでも解消すべく「あえて今回は買わないでおく」という選択肢を採ることもできる我々知能を持った人間、時として、軍でいうところのコラテラルダメージを視野に入れていくということも必要なのではないかと、私は煩悶ののち今回そう結論づけるのであった。

「そう結論づけるのであった」
「買い忘れたんだね」
「有り体には、そうとも言う」
「やり直し」
「行ってきます」

20070315