ハリウッドな一日

 不快なベルの音で目を覚ます。どうやら朝…らしいが、時計すらまだハッキリとは見えない薄暗さだ。相変わらず鳴り続ける電話のせいで、徐々に心地よい夢が薄れていく。
 しかしこの音、何だろうか。いつもの呼び出し音とは違い、長く鳴り、長く沈黙し、そしてまた長く鳴り始める。まるで外国の電話のようだ。
「ジョン、あなたによ」
 って誰だおまえは。見れば、無駄にでかい隣のベッドの上から無駄に金髪の女がその手だけをこちらに向け、電話を差し出している。「デルロイさんよ」と言われたところで知らないよそんなやつ。
『ちっ…あいつにかかっちゃ夢も台無しだぜ』
 しかし驚いたことに、思惑とは裏腹に自分の口からは勝手に言葉が飛び出していく。いったいどうしちゃったんだ私は。
『デルロイ、こんな早くにどうした。飲みすぎで産気づいたのか?』
 なんだその意味の通らないジョーク。自分の意思ではないとはいえ、こんなことをしゃべっている自分を絞め殺したくなる。「オウ、やだわジョンったら」と正体不明の女が隣でニヤついているが、俺がヤだよ一番。

 気がつくと階段を下りている自分。何だかデルロイのところに行かなくてはならないという空回りの使命感があるところからして、たぶん展開的にそうなのだろう。ところでデルロイって誰なんだと思いながらまた無駄にでかい冷蔵庫を開けていると、「パパー!」と見知らぬ物体が抱きついてくる。『オウ、ジェシカ。すっかり一人前のレディだな』とか何とか、思い出したくもない言葉が反射的に飛び出したような気はする。
「パパ、クリスマスには犬が欲しいの」
 ああ、何匹でも飼うがいいよ。どうせ無駄に広い家だ。これだから侵入者が来ると数十分も屋内で格闘するハメになるんだ。どうにかならないのか敷地面積。

 さて家を出てどこをどう歩いたのやら、見渡すとここはもう繁華街らしい。みんながそうしているので我もと、とりあえず飲みたくもないコーヒーを手にして歩く。やたらと「コーヒー持ち率」が高いこの街、いったいどこなんだ…と思う間もなく、黄色いタクシーが空中を飛び、BMWがそれをくぐり抜け、アウディが疾走する。消防車のアームはビルに突っ込み、水道管は破裂、ドーンという音に振り向けば車が火を吹きながら垂直に二〇メートル上昇している。全身タイツで建物間を跳び回るやつがいて、体に火をまとったやつはビュンビュン空を移動、目のバイザーから赤い光線を出す男に稲妻を呼ぶ女が目の前を横切ったかと思えば、間髪いれずSWATが到着。なるほど、ほぼ疑いの余地なく、ここはニューヨークなのだろう。これだけ頻繁に壊されて市の財政が破綻しないとは恐るべしだ。それからそこのラジカセを担いでクネクネ動いている若者、余計な世話だろうが、今はMP3プレーヤーの方が軽くていいぞ。
 とはいえ何も、誰も、こちらに接触しようともしないところからして、これらの騒ぎは自分には関係ないことのようだ。となれば先を急ごう。後ろの方で吹っ飛んだオフロードバイク十台ばかりを無視しながら、地下鉄へと下りていく。地下鉄か。嫌な予感がする。
「身柄はこちらで確保する」
「私の管轄で口出しはさせないわ!」
「ふん、威勢だけはいいな」
 さっそく市警とFBIが喧嘩しているのが見える。いつでもどこでも仲が悪いなおまえらは。それと真ん中の黒コート、あいつたぶんFBIじゃなくてCIAだ。死なないにしても最初に撃たれるのはまずあいつに違い「ぐふっ」あ、撃たれた。
「あなた、FBIじゃないわね」
「…CIAだ」
 ほら見ろ。ニューヨークにおいてちょっと怪しい黒コートは全てCIAである、この格言を頭に入れておけ。

 さてなぜか火事が起きた改札口を抜け、階段を転がってきた救急車とすれ違いつつホームへと辿り着く。爆発し火を吹きながら通り過ぎる電車をやり過ごしたのち、ようやく普通の車両に腰を沈める。まずはやっと一息つけたというところだ。隣の車両はどうやら停電しているようで、銃声と火花に時折悲鳴が混じる。ドガン、という振動は、何者かが屋根を突き破って侵入した時のものらしい。あの重量はすでに地球上のものじゃない。宇宙から来たハンターか未来から来たサイボーグか、とにかく街中だけでなく地下鉄も連日ボコボコにされているようだ。がんばれ市長。

「畜生、静かにしやがれ!」
 と、何事だろうか、いきなり叫び出す隣の男。私見だが、ニューヨークで長生きできないタイプだ。注目を浴び、周囲を見回したそいつはこちらをじっと見てくる。まさか自己紹介するのではあるまいな。
「ディビッドだ」
 訊いてない。握手したくない。しかし今や私の言動は私自身に規定されていないのだった。『ジョンだ。まったくひどい日だな』などと握手を返しながら余計なことを口走ってしまう。頼むから誰か私の口を縫ってくれ。
「ああ、今から彼女を迎えに行こうってのにさ」
『そいつはうらやましい。結婚するのかい?』
「実はプロポーズしようと思ってるんだ。ナットっていうんだが、写真見るかい? 美人だろ」
 根拠には乏しいが、ああこいつすぐ死ぬな、となんとなく思った。
「…たら二人で南の島に住もうって約束し がふっ!」
 ほら見ろ。関係ない流れ弾に当たるという最悪のパターンだ。これといって為す術なくただ見守る私に「こ、この指輪を彼女に…そして愛してると…」と頼んでくるディビッドではあったが、ここで指輪なんかを受け取ってしまうとまたこれ、その指輪を捨てにいくための壮大な物語に巻き込まれそうなので、悪いが丁重に断っておく。
 その後「スリよー! 捕まえてー!」「FBIだどいてくれ!」などの叫び声や相変わらずの銃声などをひとしきり聞き、犯人が逃げるタイミングぴったりに開くドアに疑問を感じたりしながらも電車を下りる。ホームでは電話ボックスの横で殴り合っているサングラス二人がいたが、この際気にしないことにする。あの動きは普通じゃない。まるで仮想現実だ。

 階段を上がり、大きなビルの前に立つ。ここが、ひとまずの目的地か。とりあえずはデルロイだったか、あいつに会うためにエレベーターに乗り込む。エレベーター? …しまった!
「うわあっ」
「きゃあ、どうなったのっ?」
 予想通り鈍い音を立ててやっぱり止まったエレベーター。畜生。ぐるりと周囲を見回すと、太ったスーツの男、作業服のボサボサ髪、いかにも秘書といった感じのキツい美人、筋肉おやじ、表情も変えずただ寡黙でいる素性不明の男、妊婦、犬を抱いたおばちゃん、とまあ、よくもベタに揃った面子だ。この集団がいるエレベーターに乗り込む方がどうかしている。さあて。
「ふざけるな、今日は大事な商談があるんだ! このままここで待ってなんていられるか!」
 太ったスーツがまず声を上げる。根拠には乏しいが、ああこいつすぐ死ぬな、となんとなく思った。「待て、一人で行動するのは危険だ」とわざわざ伏線を張る筋肉おやじを押しのけ、天井から出ていこうとするスーツ。「勝手にすればいいのよ」と切り捨てる秘書を妊婦が恐々と見つめている。ああ妊婦さん、余談だがこういう場合あなたはたぶん最後まで大丈夫だ。しかしあのスーツ、頭から出て行っちゃって大丈夫かなあと
「ぐあぁっ」
 終了。

 亡骸を前にして再び静まる箱の中ではあったがしかしそれも束の間、おばちゃんの抱いている犬が何かを感じて吠え始める。続いて咳き込み始める者が三名と、なかなか嫌な展開になってきた。
「ウィルス」という言葉に端を発しいきなり堰を切った寡黙男の説明によると、どうやら地下研究所で培養していたウィルスが突然変異した挙げ句にダクトを通って飛散しているらしい。おまえな、寡黙なのもいいがそういうことだけは早く言えよ。「どうすれば助かるんだ! ハァッ?」と筋肉おやじがつかみかかるのも無理はない。
 と、突如としてガタンと動き始めるエレベーター。最上階を通り越してデジタルの表示がおかしくなった頃にようやく止まり、ゆっくりとドアが開く。「助かった!」と我先に飛び出す筋肉おやじ、だからそうやって突っ走るとだな、
「うおぁっ」
 ほら見ろ。

 しかしいつまでも箱の中にいるわけにもいかない。恐る恐る外に出てみると、そこは漠然とながら「社長室」と呼ぶに相応しい体裁の部屋だった。大きなガラス張りから夜景を眺める男が一人。「あいつ、誰?」と寡黙男に訊こうとするものの、振り返ってみればいつの間にか私一人だ。あれれ。
『ハワード!』
 また勝手にしゃべり始めたこの口のおかげで、相手の名前を知ることとなった。ふと違和感を覚えて自分の右手を見ると、銃が握られている。何だかわからないけどとりあえずラッキー。
「どうだ、この眺め。選ばれた人間だけに許される悦楽だ…」
『ここから人を見下ろして、神にでもなったつもりか』
「神…? ふふふ、そうだ、私は今や神に等しい…」
 なんかもう、完全に窓から落ちる準備ができましたというセリフだ。過程の記憶は薄いが、最後には案の定ガラスをぶち破って落ちていくハワードとやら。いつの間にか倒れていた私は身を起こし、わざわざシャツの前を裂いて被弾した防弾チョッキを確認する(着た覚えはないが)。『ふう。まったく、因果な商売だぜ』って、いったい何者だったんだよ俺。
 片足を引きずりながら割れた窓に近付いてみると、下に見えるのは、逆さまになって車のフロントに突き刺さったハワード。
『GODのはずが、逆さまのDOGになっちまったな。おまえには負け犬がお似合いだ』
 上手くないぞ。まったく上手くないぞ。どうしてどこでも一言付け加えなきゃ満足できないんだおまえは。

 ビルの下ではパトカーやら救急車やらがひしめきあい、一帯が赤いランプで埋め尽くされている。おそらくエンディングフラグが立ったのだろう。となればあとは下りていくだけだ。途中でヴァンパイア女と狼男が戦っていたり、そこに屈強なヴァンパイアハンターが参戦してきたり、弾切れのない二丁ベレッタを持ったアジア人が暴れているかと思えば別のアジア人がダストシュートから滑り降りてきたり、ホッケーマスクをかぶった変な人が歩いていたりと、まあ忙しいことこの上ないが、もう私には関係ないことのようだ。それにしてもいろいろな意味で豪勢なビルだな。
「ジョン!」
「パパー!」
『ケイト! ジェシカ!』
 なんでここにいるんだという疑問はさておき、家族と抱き合う私。ケイトって名前だったのかこの女、と割とどうでもいいことを考えていると、背後でドーンとビルの真ん中あたりが爆発する。それを振り返って見上げたのち、ジェシカを肩車しながら大通りを歩き始める我々一行。もうちょっと驚くべきだと思うんだけどなビルの爆発って。

「そうそう、あなた。電話があったわよ」
『電話が? 嫌な予感がするかもだ』
「デルロイからよ。急いで南仏に来てくれだって」
『ハッハー。勘弁してくれよ』
「これからが本当の戦いなのね」
「パパはスーパーマンだもん!」
 なんだこの、打ち切りっぽい投げ遣りなラストは。あれだけ振り回されたひどい一日で、最後の最後がこの仕打ちなのか。徐々に目の前が暗くなるのは、絶望から来るものなのだろうか…いや、同時に下の方から何か白い文字列が迫り出してくる。エンドロールか。ああ、こうなればもう仕方がない、せめてクレジットとして自分の名前がありますようにと、完全に暗闇となった中で、私はそれだけを祈っていた。

20061211