七歩の才を欲せど

 困ったことが起きた。残り少なくなったこの自尊心が、いま音を立ててそいつの前に崩壊しようとしている。そいつはその名を、確か「数学」と告げた。
 そもそも私は数学を許さない。いつからこんなに計算事が嫌いになったのかはわからない。しかし例えば夏休み、ちょうどその長期休暇が陽気な夏の顔を悪魔の顔へと変化させる八月下旬の頃、最後に残った宿題は決まって数学であったような気がする。

 理由はいくつか考えられる。中でも一番強いのは「日常生活で方程式など使うところがないじゃないか」という反撥心だろう。いや確かにそんなケチをつけ始めたら、学校での勉強は成立しなくなってしまう。古文の助動詞を知らなくとも会話はできるし、漢字の書き順を多少間違えたところで何の支障もない。加速度を知ろうが知るまいが飛び降りれば普通に落ちるし、試験管の中で水素を発生させたところでさてどうしようか。遺跡の仕様・体積なんかより現在の耐震強度の方が大事だし、アメリカ大陸がどこに位置していようと相変わらず国のトップはロクデナシに決まってる。大人になってからも縦笛を持ち歩いていたのは東京コミックショウだけだったし、スパッタリングとか何とか描画の技術を習ったところでいまだに私の描く仔猫はロールケーキになる。であるから数学だけに文句を付けるのは見当違いだとわかってはいるものの、やはり数学が嫌いな身、「普段は使わないだろ」との一言も思わず言いたくなるのである。

 それほどに忌み嫌った数学。とはいえ漠然とながらも、もはや数学に悩まされることはないと思っていた。しかし時は来る。その中学二年生は、私に数学をやれとこう宣うのであった。歳の離れた従姉の娘であり、ストラップ付き携帯電話だか携帯電話付きストラップだかもうよくわからなくなったものをぶら下げたその中二は、自分の宿題である数学をこの私に解けと、文字通り無理難題をふっかけるのであった。おかしい。私は確か届け物のあったために従姉の家に行き、じるじるとそこでただコーヒーをすすっていたはずだ。
「娘がね、英語が苦手でどうしようもなくて」
「ふうん。何年だっけ」
「中学二年」
「中二か。あのへんは教科書もつまらないからね」
「英語得意だったっけ?」
「得意じゃないが、嫌いでもないな。下手の横付けってやつだ。ガンガンぶつかるけどね。下手だからね」
「ちょっと見てやってくれない?」
「…あんた俺の話聞いてないだろ」
 そうだ、確かこんな会話を経て中二の英語を冷やかしに行ったはずだ。中二ぐらいの英語ならばまだ何とかなるだろうと、何か細かいことを訊かれたら「イギリスの法律で決まってる」と言っておけばいいやと、そんな軽い気持ちで事に当たったはずだ。だが現実はどうだ。
「どれ、英語の教科書出してみな。ナンシーだったかなあの平面顔」
「兄ちゃん」
「ん」
「英語は後でもいいからとりあえず数学解いて」
 どういうことだ。とりあえずって何だ。しかも「手伝って」や「教えて」ではなく「解いて」と来た。何だこのガキは。エンガチョ切ったろか。と言ったところで今さら何の解決になるとも思えない。仕方がない、ともかく見るだけ見てみよう。
ある展覧会の入場者数を金曜日から三日間調べたところ、土曜日は金曜日の二倍より23人多く、日曜日は前の二日間を合わせた人数の二倍より10人少ない822人だった。金曜日の入場者数を求めよ。
 何言ってんだこいつ、というのは意識せずも咄嗟に口を衝いた言葉だった。いや文章の意味はわかる、だが訊いていることの意味がわからない。入場者数を金曜日から三日間調べたのだそうだ。文章から見るに三日間とも細かく調べて記録したと考えられる。ならば金曜日の記録を見ればいいじゃないか。お前のメガネは金曜日フィルタリングメガネか。

 ここに来て何となくわかった。この不自然な状況下での文章問題、これも私が数学を嫌うことになった一因であるように思う。もういっそのこと解答欄に「記録を見ろ間抜け」と書ければどんなに気持ちがいいだろう。そう思いながらふと振り返ってみると、当の中二は「兄ちゃんのブログどこ? トラバするー」とか何とか言いながらパソコンをいじっている。本当に書いてやろうかこいつ。だいたいブログだのトラバだのトラコンだのと何でもかんでも略するんじゃないばかもの。

 と思うと次の問題である。
連立方程式〜をA君は正しく解いて〜を得た。ところがB君はCの値を写し間違えたため、〜を得た。それぞれの値を求めよ。
 解決策はただ一つ。「間違えたB君をしばき回す」となる。頼んでもいないのに勝手に方程式に取りかかり、勝手にCの値を写し間違えて、挙げ句こちらに正しい値を求めろと言っている。いったい何者なんだおまえは。自身のことも含め今までいろいろな人のあらゆる手落ちは見ていたつもりだが、この失態はひどい。

 こんな問題もある。
ノートとペンの組み合わせで、ノート三冊とペン六本では870円になり、ノート二冊とペン三本では520円になる。ノート一冊とペン一本の値段はそれぞれいくらか求めよ。
 なかなか王道に沿った問題とでも言おうか、有りがちといえば有りがちなものだ。さてこれを求めるにはどうするか。答えは「店の人に訊く」だ。「値札を見る」というのも捨てがたい、しかし年末特売実施中でしかも小さな文房具店と仮定した場合、値段の貼り替えがまだ完了していないという危険もある。やはりここは店員に訊いていこう。ちなみに誰にも言えないが私は今すごく楽しい。

「兄ちゃん」
「そもそもだな、まとめ買いするとちょっと割引なんじゃないかね。抱き合わせ販売とか結構あるよね。となるとやっぱりここは店員に訊いてだな」
「兄ちゃんてば」
「うわっ。何だ」
「解けた?」
「いや、あの、解くもんなのかこれ」
「えー、やってないじゃん」
「ないじゃん、て。もともとこれは俺の宿題じゃないんだから、自分でやらなくちゃいけ…」
「使えね」
 私は数学を許さない。ちょっと楽しかったので態度を軟化させようかと思っていたが、やっぱりあいつだけは許さない。結局「もういいや、これでも読んでなよ」と中二に漫画雑誌を手渡され、自尊心と引き換えに屈辱を得ることとなったその原因教科を、決して許すことはないのである。もし万が一許すとするならばその確率は、確率は、ええと確率の求め方は、消費税で一〇五円だから、つまり、
「兄ちゃん」
「はい」
「ぶつぶつうるさい」
「すんません」

 数学なんかなくなればいい。円周率なんて計算しやすい1ぐらいでいい。ピタゴラスは名前からしてウルトラマンに蹴られていればいい。先生が使うでっかいコンパスが常にズレればいい。そうして全ての子供(と一部の大人)が安心して日常を送れることを祈りつつ、来年もそして再来年も、いい年でありますように。

第七回雑文祭

20051222