異人さんにつられて

 ふと思い出したのは、確か中学校での英語教師の曰く「英語は世界の共通語となり得る」という言葉だ。英語を母国語としていない国を訪れた時でさえ、とりあえず英語を理解していれば何とかなるといった話の中で引かれたものだったと思う。
 結局まあだからみんな英語をがんばれという遠回しな強制だったような気もするし、私個人の意見としては英語なぞ習得しなくともどこへ行こうとその国の「はい」「いいえ」「飯を食わせろ」「金を出せ」「助けろ」の五つも覚えておけばどうにかなるぞといった具合ではあるのだが、しかし実際、多国間協議の場あるいは格闘技のリング上などではすべて英語で通しているのだろうから、世界共通語=英語説もなるほど鋭いものではあるのだろう。忘れもしない当時の英語教師、大塚。なかなかいい言葉を残した。いや大貫だったかな。もしかすると大山か。大崎だったか。忘れた。

「はい、もしも…」
「ハロー?」

 とそんなことを思い出したのには訳がある。突如その身を震わせた携帯電話のボタンを押し応答した瞬間、私は何だか彫りが深くてチーズバーガー臭い世界へと誘われたのである。
 慌てて通知された番号を確認するといかにも、それは決して日本では見ることのない数字の羅列だ。グローバルでワールドワイドなバリアフリーがインスパイア。とうとう間違い電話というやつまで国際化だ。その場合わからないがおそらく、間違いテレフォーンとか言うんじゃないかな。
「はい、もしも…」
「ハロー?」
 しかもジェームスときたらもう、勝手にジェームスと呼ぶぞジェームスに決めた。ジェームスときたらもう、こちらの応答もそこそこに会話になだれ込もうという算段のようだ。「もしも…」が結果「もしもし」だったのならそれでも構わないが、「もしも…」の後に「ピアノが弾けたなら」とこちらが続けるつもりだったとしたらジェームス、君はどうするつもりだ。カラオケの最中にリモコン操作を誤って他人の歌を止めてしまったことが君にはあるのか。あの目。あの空気。君に全てを贖うだけの覚悟はあるのか。

「ハロー?」
「…やー」
 学校ではいろいろ模範的な英語を教えてはくれるが何のことはない、ともかく「ヤー」とか「アーハ?」とか馬鹿のように口を開けて声を出していれば、最低限あなたの話を聞いてますという証拠になる。「ヤー。リアリー? ハーハ。グッバイ」恐れることはない。英会話など、駅前まで行かなくともこれで事足りてしまう。あとは折を見て適当に「ホットドッグ!」とか叫んでおけばいい(偏見)。

元気かい(英語)」
「やー」
それは良かった
「やー」
昨日連絡くれるというので待っていたんだけど、電話もないようだしどうしたかと思ったんだ
「はあ? あー、えー、それは悪かったのでした
 ついいつものように反射的に謝ってはしまったものの、だんだん怒りが込み上げてきた。どうして私が間違い電話に対してかくも低姿勢にならないといけないのか。応答した相手も確かめず、加えて国籍すら無視し「英語は世界共通であるべし」との大義名分を背に言いたいことを言い放つ外国人。ちょっと間違えてみただけの異邦人。あなたにとって私、ただの通りすがり。ならばデジタルに乗った姿無き「通りすがり」は何を言ってもいいと相場が決まっている。

聞こえてるかい?
「聞こえてるけど聞いてない。アンタな、まず相手を確認してからしゃべったらどうなんだ(ものすごく日本語)」
え、なんだって?
 ジェームス、どうやら日本語はまったくわからないようだ。とはいえ、少なくともこちらに正論がある間違い電話の場で、思わず英語に飲み込まれて取り乱してしまうほど私は誇りを捨ててはいない。私は今も昔も変わらず疑いなく日本人であり、日本語を含めた日本文化を愛する人間である。日本にて日本語をしゃべる、それのどこが一体間違っていようか。

「なんだって、ってそりゃこっちのセリフだ」
シェルフ?
「(無視)だからさ、間違い電話なんだよいい加減気付け」
おいおい、よくわからないよ。今日の君はちょっと変だね
「おまえだよ」
オーマイ…なんだって?
「『スパゲティ』とか言ってほしいか?」
ヘーイ。そこに誰かいるのかい
「それにしても見事に噛み合わないもんだな。まあいいや、何かの縁だからいいこと教えてあげようね。がちょーん、って言ってみなさい。がちょーん。日本では誰もが知っている伝統文化だ。がちょーん」
ああ、残念だけどうまく聞き取れないよ。何かおかしいみたいだ
「いいから言ってみろ。がちょーん。がちょーん」
ガッチャ…なに?
「がちょーん」
ガッチョーン。ガッチョーン?
「うわほんとに言ってやがんの。アホだこいつ。じゃあ次いってみよう」
ガッチョーン? わからない。何が起きているんだ。聞こえてるかい
「うるさい、今これぞというのを考えてるんだからちょっと静かにしててよ」
ミスター・タカオカ?
「誰だよそれ。よし、『往生しまっせ』にしよう。往生、しまっせ」
わからない
「往生、しまっせ。往生、オウジョウ」
オージャウ…
「しまっせ」
スマッシェ
「往生、しまっせ」
オージャウ、スマッシェ?
「アホだこいつ。いやいやいいぞ、先生うれしい。毎日寝る前の復習を忘れないように」
ヘイ、ミスター・タカオカ?

 さてそろそろあからさまにジェームスに困惑が見える。いくぶん怒りはおさまってきたし、日本の誇る伝統文化の何たるかを教えることもできた。解放の時だろう。

ミスター・タカオカ?
「違うというのに。えー、と。恐らく間違い電話だと思うが
え、ミスタータカオカじゃないのか
「そういうことは最初に訊くべきだったな。私はタカオカではない。かけ間違いだろう
じゃあ、今まで何をしゃべっていたんだ? 私の言うことはわかったのか? 英語は話せるのか? 日本人なのか?
「なんだその質問攻めは。合コンかおのれは。あー、一つ言えることは、私はタカオカではないということだ
ああ、なんてことだ。…わかった、恐らく私はかけ間違えたのだろう
「イエス」
大変失礼した。ところで一つ訊きたい。ガッチャ…何とかというのはどんな意味だったんだ?
ガチョーン、か。知りたいか?
教えてくれ
「The latest trend(最新流行だ)」

 決まった。決まりすぎだ。最後の言葉と同時に素早く電話を切った私は感動のため打ち震え、しばらく立ち上がれないのだった。

「…というわけで、もともと間違い電話が多いところに来て今度は海外からですよ。迷惑な話だ。ま、片言の『がちょーん』が聞けただけ面白かったけど」
「でもさ、それが単なる一個人じゃなくて社会的に影響力を持った人だったとしたらどうする」
「影響力?」
「そうだな、例えばどこか有力紙の記者とか。でなければモンスター級の規模を持ったサイト運営者」
「だとしたらどうなりましょう」
「現在日本で熱い最新流行を大特集、なんてことになったり」
「え」

 しまった。楽しさにかまけて少々迂闊ではあった。ないとは思うがもし、海外の方で「がちょーんバトン」が発生してみたり、あるいはヒップホップの人が突然「往生しまっせ(YO!)」などという歌詞を入れてみたりということになったら、タカオカさん、あとは任せた。ホットドッグ!

20051021