結び一番

 オーケー。そろそろ結論を出してもいい頃だ。
 まず考えてみようか。日本人である我々が、これぞ日本の味だと世界相手に誇ることのできる食べ物は一体何だろうか。まあ、いろいろあるだろう。例外はあるがほとんどにおいてこれといった戒律もなく、ついでに節操もなく世界中の食文化を輸入し、時には改変した上で取り込んでしまうこの民族だ。その中でただ一つを挙げよと言われても難しいとは思う。なにしろ「国民食」でカレーだのラーメンだのという、基本が外国にあるものがずらずらと出てくるのだからまったく如何ともし難い。マサイ族に「好物は何ですか」と訊いて「ミスドのエンゼルクリーム」と返ってくるぐらいの違和感がそこにはある。「でもカスタードショコラも捨てがたいよねえ」とか言いつつライオンを刺しているかと思うとよくわからないが憂鬱にすらなる。

 おっと、話が少々ずれたようだ。ではあらためて考えてみようか。世界に誇れる日本の食べ物、反論はあるかもしれないが、私は他でもない「おにぎり」だと思うのだ。
 確かに造り、つまり刺身ほど洗練されたものとは言い難いし、同じ「にぎり」の名を冠するとはいえ寿司ほど高い作成技術を要求されるものでもない。しかし米の飯を適度な大きさに握りそのまま食べるというのは料理・食事それぞれにおいての大事な基本であって、加えて自分の聞いた限りでは弥生時代からすでに食されていたらしいというほどに歴史が深い。
 いや、とは言っても、古ければ何でも優れているのかといえば必ずしもそうではない。その歴史と共に評価すべき点があるからこそ私はおにぎりを支持するのである。実際に古い方が全て優れているのなら、若い講師に「ダブルクリック」と言われ咄嗟にリターンキーを二回叩く中年はいないはずだ。ひどいのになるとマウスを机にゴンゴンと二回叩き付けたりするから困りものだ。新しい入力デバイスかそれ。名付けてインパクトマウス。衝撃の強さによってエクセルの安定度が変化します。

 おっと、話が少々ずれたようだ。ではあらためておにぎりの話をしようか。おにぎりこそ日本の味だと言った。なぜそう考えるのかという根拠だが、おにぎりたるもの、米に執着した民族の結果として生まれたものであると思うからだ。丸めの短粒米でアミロース値が低く冷めても粘りを持ち、なおかつ米自体の香りが高くないとおにぎりとして美味しく食べられないという意見もある。米の味を追求していった過程でいわば偶然おにぎりに適した種類ができたのかもしれないが、理由はどうあれ結果として、日本にておにぎりという文化が発達したのである。
 文化。そうそれはすでに文化と言っても差し支えないだろう。おにぎりの存在はもちろん、作り方を知らないという人もいないだろうしまた、おにぎりが(どうしても食べられないほど)嫌いだという人も珍しいのではないか。だからこそ、スーパーにしろコンビニにしろ、そこにおにぎりが姿を見せないことがないのだ。

 さてコンビニの話が出たところで、って私一人が半ば無理やり出したのだが、とにかくここでひとつおにぎりの本質について考えてみよう。
 思えばコンビニのおにぎりも昔に比べてだいぶ進化した。ご飯に合うものはおにぎりの具にしても美味しいのだから当然とはいえ、その種類はかなり多い。が、私が問題にしたいのはそんなことではない。ここで議論すべきは海苔(のり)についてだ。

 海苔というのもなかなか抗しがたい魅力にあふれた海の恵みである。青緑色に焼かれた海苔はパリッとした食感を生み出し、その香ばしさの熱いご飯に合うことと言ったらもう、何だ、刃傷沙汰である(間違い)。
 ただしそれは炊きたてのご飯での話だ。「ご飯」がひとたび「おにぎり」になると話は多少違ってくる。考えてみたい。おにぎりというのはたいていの場合、握った後時間を置き、冷えたものを食べるのが本道ではないのか。冷えることで甘味が増し、また歯触りも違ったものになる。それを楽しめるのがおにぎりのおにぎりたる所以ではないのか。
 となれば、海苔とて同じ道を辿るべきだ。具体的に言うと、コンビニのおにぎりはあらかじめ海苔を巻いた状態で売っているべきなのだ。何を、僕だけちょっと違うぜみたいな顔をして一歩外側にいるのだ。ご飯は冷たくなってるけど、まあ仕方ないせいぜいパリパリと巻いてやるぜみたいなどうしてそんな上から見下ろした態度なのだ。ご飯の蒸気や余分な水分を吸って柔らかくなりながらも香気を失ってはいない、そんな強靱な男気にこそおにぎりにおける海苔の存在価値はあり、そこで初めておにぎり仲間となれるのだ。しかもだ。
「あが。はも。はふ。かっか。かふ」
 必要以上にパリパリし、冷たくなったおにぎりとの密着度が薄い海苔はあろうことか人間様の上あごにくっついてくるのである。しかも絶対に上あごの奥の方なんだあいつら。一体何を考えてるんだ。なんで一人だけ「俺ってあんな奴らと一緒にされたくない的な男ォ」とか中途半端なアウトロー気取りになってるんだ。根拠はないが貴様、もしかして自分の車を「コイツ」とか呼んでるだろ。「あとコイツ、洗ってぇ」なんてスタンドで言っているに決まってるんだ。猛省を促ひたいひょころだ、ああまたくっついひゃ。

 そして、まあ待てまだ終わらない、もう一つ考えてみようじゃないか。おにぎりの極意について。
 寿司にでも当てはまることで最近ではそういう握りマシーンもあるようだが、おにぎりには適度に空気を含ませることが大事だと言われる。ぎっちりと握り固めるのではなく、空気を含ませながらふんわりと握ることで口の中でうまくほぐれていくのである。科学的見地からも正しいことだとは言えよう。
 しかし私にはどうも先走った感があるように思える。何かと言えばそれもコンビニのおにぎりだ。ぎっちりと固めずにふんわりと握った、というのが売りのおにぎりがコンビニに登場したのである。コンビニの食品とはいえ美味しければ美味しいほど良いに決まっているしこれは一つの成功と言うべきものだろうが、私はあえてこれに異を唱える。
 確かに空気を含んだおにぎりはよくほぐれて美味しい。が、例えば「コシのあるうどん」と「ごりごり固いうどん」はまったく別物なのであって、これはおにぎりについても同じことが言える。「空気を含ませつつもしっかり握ったおにぎり」と「ただ握りが甘いだけの脆いおにぎり」は根本的に違うのだと。偉そうにも憚らず言わせてもらうと、これは売り物のおにぎりとして失敗ではないのか。

 脆いだけの飯の塊に、見栄えだけで実質のないパリパリとした海苔を巻く。これはもはや残骸、少なくとも日本の誇る食文化としてのおにぎりではない。今こそ見直してみようではないか。そして完全に消えてしまう前にもう一度取り戻すのだ。正しいおにぎりを。我らが食文化を。一民族の、誇りを。

「…と」
「長かったねえ」
「うむ」
「つまりは『コンビニおにぎりの組み立て作業がもともと下手なところにきてご飯がふんわりとしてるから海苔を巻く途中で崩れて明太子おにぎりの半分以上を床に食べさせた』ということでいいのかな」
「うるさい」


20040929