有名無実の男

 もしかすると自分は、有名人なのだろうか。その男と向かい合った時、慌てた私はそう考えざるを得なかった。
 もちろん有名人であるという自覚はないし、客観的に見たってそんなことはあり得ない。私もこの抜け殻のようなこいつ(自分)と付き合ってもういい加減長いことになるが、思い出してみても有名だった瞬間などなかったはずだ。しかし、ならばなぜこの男は私に向かってそれを求めるのか。
「あの、サインをいただけませんか」
 男は突如ながら一心に訴えるのである。やや小柄な体躯にしてしかし熱意を持った目でこちらを見上げ、サインをくれと。これは一体どういうことか。

 確かに私はカッコいいのかもしれない。このカッコよさを文章で表現しにくいのがもどかしいが、世間の流行に沿って説明してみると、私とペ・ヨンジュン氏を足して二で割った後にペ氏を丸ごと引いてみたぐらいにはカッコいいのである。あまりにカッコよすぎて悩んでいたため、このあいだなど白衣のおじさんがサイケな色の薬を持って話を訊きに来たほどだ。
 とはいえ、ただカッコいいだけの人間に片っ端からサインを求めていたのでは体が持たないだろう。となるとこの男は私の美しさ以外に何かを見出した上で、サインをねだっているのだと思われる。わからない。この男は一体私に何を見ているのだろうか。

 考えてみればサインというのもちょっと変わった風習である。有名人にサインをもらう、その起源がどこにあるのか少なくとも自分は知らないけれども、落ち着いて考えると不思議な点も多い。

 まず、どうして有名人のサインが欲しいのか。会ったことへの思い出だとか、好きな人の直筆だからとか、オークションだとか、わら人形の中に詰めるとか、いろいろな理由はあるだろう。それが本当に好きな人に対しての行動ならばよく理解できる。が、個人的な見方だけれども、どうも「有名人=サインもらう」という流れが一人歩きしているような気がしてならない。もっと言えば、ただ自分の利益のために有名人にサインを書かせているのではないかと思えてしまうのである。ラーメン屋に意味もなく飾られてホコリをかぶった色紙など、その最たるものだ。少なくともあれはその人が好きでもらったサインではない。
 私も街で芸能人を何人か見たことがあり、そのうちの一人とは肩がぶつかったりもしたが、これ幸いとサインをもらう気持ちにはどうしてもなれなかった。なぜか。これといって必要ないからだ。気持ちが入っていないサインとはいえ、寄せ書きや手紙などと同じで、直筆で書いてあるものはどうしても捨てるに捨てられない。となると好きでもない相手に勢いだけで下手にサインなんかもらうと最終的に大変邪魔になってしまうのである。それならばいっそのこと、サインではなくもっと後腐れのないものをもらっておいた方が…

「あ、有名なキャスターの人だ。僕ファンなんです。髪の毛一本いただけませんか」
「どうぞ」
 って、いや僕は髪の毛一本と言ったのであってそんな「頭の形をした髪の毛一式」をもらってもなあ。僕、自分自身に嘘つきながら識者ぶりたくないしなあ。
「あ、有名な教授だ。僕尊敬してるんです。記念に何かいただけませんか」
「どうぞ」
 って、いや手鏡渡されてもなあ。僕そういう趣味ないしなあ。

…やっぱり何ももらうべきではないという結論に達した。芸能人とて人間、そっとしておくのが正しいのではなかろうか。あっ教授、商売道具の手鏡忘れてます。僕に押し付けないでよ。

 そしてさらに不条理だと思えてしまうのが、「物書きにもらうサイン」だ。
 例えばある小説家が好きだとする。誰でもいいが便宜上「星氏」ということにする。星氏、と書くとなんだかハシシを思い出してほんわかしてくるがやっぱりどうでもいいし良い子は調べなくていい。とにかくは星氏の愛読者がここにいるとしよう。類稀なるショートショート、さりげなくも緻密に計算され尽くした伏線、軽妙にして高度な構成力。それら全てに彼は心酔していた。星さんの小説はすごいなあ、星さんの作品は全部読んだよ。それほどの愛読者である彼がある日、街で星氏を見つけた。うわ、星さんだ本物だ。どうしようとりあえず追いついてええとすみません星さんですよねええとええと。
「サインください」
 待てと。私がおかしいと思うのはそこだ。星氏は別に芸能人として活動しているわけではない。小説家として、飽くまで自分を掘り下げた結果である作品を世に送り出しているのである。いわば作品ありきで語られるべき人物であり、また本物であればあるほど自らその状態を望んでいるのではないか。となれば、そういう人物からサインをもらうことに果たして意味はあるのだろうか。

 いや、実際本人を見たことはないにせよ、すばらしい作品を通して作者自身が好きになったのだという言い分もあるだろう。しかしだ。
「すみません、小説家の○○さんですよね」
「そうだけどモヒモヒ」
「僕ファンなんです」
「そりはモチョモチョ嬉しいなりポップン」
「…あの、小説家の先生ですよね」
「プピー。そうだと言っておじゃるバングロモ」
「ハードボイルド小説を書いてらっしゃる」
「ニョピューン。まさにそれだじょゴリゴーリ」
 あこがれたハードボイルド小説の作者が実はこんな事態であった場合、それでもサインをもらう気はするだろうか。文章が上手ければ上手いほど、そこから書き手の本性を窺い知ることは難しくなるものだ。うん、まあ、本当にこんなのが作者だったら別の意味でサインは欲しいかもしれないが。
 そういった特殊性を突き詰めて考えていくと、ますますサインというものの必要性がよくわからなくなってきてしまう。主観に凝り固まった考え方に過ぎるのではなかろうかと我ながら思わなくもないが、かといって全部が全部的外れというわけでもまたなかろう。

「あの、サインをいただけませんか」
 そしてなにより、今こうしてなぜだかサインを求められている私にとって、サインという行動を取り巻く環境に思いを馳せてみることは何より重要なのである。しかしまったく訳のわからない男だ。この男は何の目的で私のサインを欲しがるのだろうか。
「すみません、サインを」
「サイン、ですか」
「ええ。…いや」
「え?」
「印鑑でも結構ですが」
 なんと、サインだけに飽き足らず今度は印鑑までよこせという。この男は何者で、そして何を企んでいるのだ。誰かどうか教えてほしい。玄関先にまで上がり込み、重そうな荷物を抱えてサインもしくは印鑑を私にねだるこの男は、一体誰なんだ。


20040924