七月六日は

 いったい誰が言い始めたのかは知らないし、また必要以上に民族としての劣等感を抱くのは危険ではあるのだけれども、とにかく一つの事実として「アジア人はリズム感に欠ける」のだそうだ。
 リズム感に欠けるから喜びの表現も下手、リズム感がないからソウルミュージックが生まれない、リズム感がないからして犬さんやクジラちゃんを食べるのだ、眼鏡とスーツでリズム感とか言うな、平坦な顔にリズムなんてわかるけえ、いつも口先ばっかりじゃないの、だからあんたってダメなのよ、アタシと仕事どっちがかゆいの、もういいわしばらく離れましょ、とまあそういった感じなのであるらしい。泣きたくなってきた。

 しかし本当にアジア人、特に我々日本人は、リズム感と無縁な民族なのだろうか。実はそんなこともないように思う。その証拠が五七調、あるいは七五調と呼ばれる形式である。馴染みの俳句に始まり、川柳ももちろんそうだし、和歌の一部としてであるから当然とはいえ長歌、反歌、短歌、旋頭歌に片歌に仏足石歌、などとこれらは全て基本五七調で統一されている。これをリズム感と言わずして何と言おう。これが我々のリズムであり心地よく耳に残るからこそ、この文化は古より脈々と受け継がれ決して絶えることがなかったのだ。
 つまり元来我々はリズム感と無縁ではなく、むしろそれを好んでいた。なるほど欧米から見れば身体的なリズム感はないに等しいのかもしれないが、それでも我々はリズム感が好きだった。下手の横ワケというやつなのだろう。しかもピッチリ横ワケだ。

 実のところ、この五七調がなぜこんなにぴったりと心地よく我々日本人に合致するのかは(明確には)わかっていない。単に昔から聞き慣れているからという見方もあるだろうが、ならばそもそも俳句や和歌などにおいてどうして五七調が適用されたのか。興味は尽きないが私は暑くて調べるのも嫌なので誰か偉い人にがんばっていただくとして、こちらはちょっと違う方向になだれ込みたいと思う。

「気をつけて/その一杯が/事故のもと」
「安全は/あなたの心が/作るもの」
 何か似たようなものは誰しもが見たことがあるだろう。道路沿いのいたるところに見られる交通標語である。さて何か気付くことがないかと言えば、そうこれらも五七調なのだった。実際のところ作り手が何を意図して五七調にしたのかはわからない、しかし確かにリズムには乗り、例えば「お酒を飲んで運転すると、自分でも気付かないかもしれないけど能力が落ちてるから事故に遭いやすいし、だから気をつけた方がいいと思いました。また読みたいです」などという小学生の感想文みたいなものを立てておくよりはより印象に残りやすい表記ではある。
 しかし、とここで私は思う。はっきり言ってもうマンネリではないか。事故を少しでも減らそうという意気や良し、だが同じようなものを濫立させたとて、二番煎じは無視をされ三番煎じは嫌われる。せっかくも美しい五七調でまとめあげているのだ、ある程度そこに新味も必要だろう。だいたい「暴走は/しないさせない/許るさない」とかいう看板の「許るさない」なる送り仮名を私は一生許さない。

 それでは一体どうすれば良いのか。事故を防ぐ、それには第一に安全な速度で走行させることが必要だ。まずは何としてでも一度ブレーキを踏ませてみたいと思う。ということでこんなのはどうか。
「気をつけて/きっと後ろは/ギャランドゥ」
 うそっ、と私ならば確実にブレーキをかけて後方を確認すると思う。なにしろ後ろはギャランドゥなのだった。ギャランドゥが何かなんてことはこの際関係ない、とにかくギャランドゥなのだから確認しないわけにもいくまい。
 とは言っても看板の悲しさよ、嘘だと反撥する人もいるだろうし、あるいは見ながらにして気にしないというけしからん奴もいるかもしれない。そこで二百メートルほど先にこんなのを立てておいてはどうだ。
「おまえらを/食べちゃうためだよ/ギャランドゥ」
 なんと後ろの奴は自分を食べるために存在するのだという。すっかり気分は赤ずきんちゃんである。しかも狼にならまだしも、ギャランドゥなんて得体のしれないものに食べられるのも屈辱だ。が、それでもまだ止まらない不埒な輩には仕方がない、ええい止まるまで二百メートルごとに立てておけ。
「止まらない/おまえを待つのは/ギャランドゥ」
「本当は/そのアクセルが/ギャランドゥ」
「いやむしろ/おまえの母ちゃん/ギャランドゥ」
「出身は/栃木の南部/ギャランドゥ」
「右足が/異様に臭う/ギャランドゥ」
 誰がギャランドゥの紹介をしてくれと言ったという話だがそこはそれ、作り手とてネタが尽きたのだと哀れに思ってひとつブレーキでも踏んでやってくれればいい。

 ただし事故はスピードの出し過ぎでのみ起こるものではない。飲酒運転も深刻な問題である。ちょっと厳しい警告も必要だろうが、だからといって「『酔ってない』/自信過剰が/事故のもと」とありがちなものを立てたところであまり効果はないと思われる。なにしろ相手は酔って自我を失っているのだ。酔ったまま運転してはだめだ、そんなことを今さら言っても仕方がない。ここはせめて酔いを一気に醒ましてやることが必要だろう。
「先日も/酔った男が/ガル…うわあっ…」
 何だ、何なんだ。看板ですら襲われるガル何とかって一体何なんだ。恐怖に打ち震え血の気が引き、酔いも醒めれば言うことはない。そういう意味では酔いが醒める言葉ならば何でもいい。「知ってるかい/おまえのばあちゃん/不倫中」とかとてつもなく嫌なことなど、各自治体には努力してほしい。

 他にも、ポイ捨て、携帯電話の使用、よそ見運転に暴走行為など、問題は山積みである。本来ならば言われる前に自分で気付くのが正しい道というものだが、所詮はきれい事の正論、なかなかそうもいかないだろう。ならば上っ面だけの言葉を並べた型通りの標語ではなく、より核心を突き各自に対し積極的に、実直に訴えるものが今必要とされているのだと思う。それはややきつい言葉でも構わない、それで世が少しでも安全に平和になるのならば、あえて率直な言葉を受け入れるぐらいの気概は欲しいものだなと私は心から、…と、何だこの看板は。
「オチもなく/笑えないなら/世に出すな」
 むがー。ほっとけ。


20040726