禁煙日記

「禁煙しようと思うんだ」
「ふうん」
「うわあ。興味ないような素振りを見せている」
「ありません」
「ほんとは好きなのについ冷たくしてしまう不器用な男を演じている」
「わけがわかりません」
「クールにしつつも実はナイフでハムを食べたいみたいなワイルドな欲求が常に渦巻いて」
「帰ります」
「ごめん待ってくれ」
「何が言いたいんですか」
「だから禁煙しようと思うんだけどさ」
「どうぞ頑張ってください」
「ついでにお前も禁煙しないか?」
「いやいやいや。『ついでに』の意味がわからない。『コンビニの帰り道、ついでに北極グマ仕留めてきてね』ぐらいおかしい」
「だってほら、喫煙者には住みにくい世の中になっただろう」
「別に住みにくいと感じたことはありませんなあ」
「街中から灰皿がだんだん減ってるしさ」
「や、それなら灰皿なんかより公衆電話の減り具合の方が気になりますよ。ある意味、公衆電話で生計を立てていた上野のイラン人におかれましてはどうなりましょう。テレカ三〇枚で千円、おまけでさらに二枚、良心的な商売だったのに」
「偽造だろ」
「ゴホン。ところで禁煙の主な理由は何ですか」
「だからさ、住みにくいし、体に悪いし、金は出るし」
「うわ陳腐でやんの」
「なに?」
「いや別に。で、もう止めてるんですか」
「うー、いや、毎日止めるつもりで我慢するんだけどな、やっぱりニコレットガムとかニコチンパッチとか禁煙パイポとかでは満足できないんだよ。で、イライラしてきて、我慢できずについ吸ってしまう」
「うわこれまた陳腐でやんの」
「なに?」
「いや別に。しかし下手にガムとかパッチとかあれこれしない方がスパッと止められるんじゃないっすか。自分に言わせりゃ、禁断症状なんて嘘ですよ。いや嘘というか、精神的なものだと。ほらよくあるでしょう、あの偽薬の、ええとね、タコスープ効果だっけ」
「偽薬? プラシーボ効果じゃないか」
「ああ、そんな感じです。惜しかったな」
「惜しくねえよ」
「いやとにかく、禁断症状出るぞーと思ってたらそりゃ出ますよ。人間の思い込みは強いもんです。『幽霊の正体見たり神尾米』とか言うでしょうが」
「神尾米さんは元気にテニスレッスンしてるぞ」
「いやだから、つまり肉体の感覚なんて所詮は精神に付随するもんだと。もちろん全部が全部そうだとは言わないけれども、少なくともニコチン云々てのは精神的なもんだと思いますよ。その、ええと、ヅラマープ効果、だっけ」
「プラシーボ効果。そして俺の頭部を見るな」
「ね、だから下手にガムなんかに頼らないで、意志だけで勝負くれた方がいいと思いますよ」
「そうかなあ。身体依存もけっこうあると思うなあ」
「いやまったくないとは言いません、でもそんなに我慢できない、抑えられないほどのものじゃない。本当にそれだけ強い身体依存なら、ろくに寝ることもできないと思いますよ。ほら、トイレに行きたくて起きることはあるでしょうが、ニコチンが足りなくなって起きることはないでしょう」
「…納得してしまいそうな嘘っぽい理論だ。よしじゃあ、その理論を掲げた上でお前も一緒に禁煙してみよう」
「いえ、俺は別に後ろめたいと思いつつズルズルと吸っているわけではありませんで、心の底から好きだと感じて大変積極的に嗜んでるわけですから。今のところ止める理由がない」
「止めたら吸ったつもりで貯金ができるぞ」
「それなら生きたつもりで死んでしまった方がよっぽど金遣わなくて済むでしょうが。いやそりゃ極論ですけどね。とにかく、ぬるーいエッセイストみたいなことを言わないでください」
「体にも悪いぞ。長生きできない」
「『健康に/気を遣いつつ/事故で死に』という川柳を差し上げます。というか、九〇歳過ぎてどかどかタバコ吸ってぐびぐび酒飲んでるパワフルなじいちゃんもいますからねえ。結局は確率の問題ですよね」
「だって喫煙者には何かと風当たりも強い時代だぞ」
「そんなもん馬鹿面さげてくわえタバコだの歩きタバコだのポイ捨てだのやってるから総攻撃喰らうんですよ。たとえば酒に置き換えてみましょう。昼間っから街中で歩きながら、しかも匂いまき散らしながら酒飲んでる奴を世間はどう見ますか。車の窓から一升瓶投げ捨てる奴を常識的に見てどう思いますか。酒はしかるべき時にしかるべき場所で楽しむべし、なればタバコとて同じですよ。人に迷惑をかけない範囲内で最大限自分の楽しめる道を探す、そうすれば他人様に責められるいわれなど何もないし、またそれができて当然だからこそ酒もタバコも『大人の楽しみ』として認められているんでしょうが。って思ったよりスラスラ言葉が出てきて自分でもびっくりだよーしノってきたぞ畜生」
「うう…でも、でも」
「いやわかりますよ。禁煙ブームに健康増進法と来て、今こそタバコを止めないとという強迫観念やまた世間からの疎外感などに苛まれるのもわかります。心底止めたくなったのならそれもいいでしょう。ですが周囲の動きや環境に合わせることで自らの嗜好性を捨て去り、さてそこに何が残るというのでしょう」
「う、でも」
「何度も言いますけど、そうそれは大人にのみ許され与えられた嗜好品です。火花と共に鼻腔をくすぐる高貴な香りに包まれながら、チリチリと葉の焼ける音を楽しむ。澄んだ紫をまとった煙はもう二度と同じ形を成すことはない、その芸術性に酔いしれつつ独特の刺激を深く深く吸い込めば、そこに科学的根拠など微塵も必要のない安らぎが待っている」
「うう、うう」
「そして紫煙とはまた違う、今や残滓となった煙をゆっくりと解放していくことで一つのサイクルは完結する。その贅沢な時間を貪るかのようにさらに二口、三口。トップノートからミドルノートへと変化しつつある香りに再び集中できるのです」
「うう、ああ」
「そしてやや味蕾の感覚が鈍くなり始めた頃、濃いめのコーヒーで煙を流せば、また粘膜は研ぎ上げた刃物のように鋭利な側面を取り戻し、今ラストノートを得んとばかり渇望を見せる。その小宇宙とも言うべき嗜好の世界を目的も見えず封印し我慢したまま、そうしかも自らの意志ではなく半ば迎合的にて我慢したまま、今日明日のうちに例えば大地震でそのまま逝ってしまったとしたならば、ああ、この人生たるや一体何だったのであろうかと」
「タバコ一本くれ」
「どうぞ」

 なるほど、喫煙者というのはこんな滅茶苦茶な理論でも禁煙を失敗してしまうものなのか。後々の自分のために覚えておくことにする。しかしこんな具合で、この人はいつか禁煙することができるのだろうか。あまりにも急いで吸おうとしたため人のタバコを床にばらまいているようなこの人だ。はっきり言って無理なのではないか、失礼ながらそう思う。

「お前のタバコ、きついなあ」
「ああ、今となってはきつい部類に入るかもしれませんね」
「最近本数だけは減らしてたから、余計にきつい」
「無理しないで消してください」
「ん。いや」
「え?」
「少しずつ吸うよ」
「……」

 はっきり言ってやっぱり無理のようだ。

「絶対な、絶対に明日から禁煙するんだ」
「ファイトー(棒読み)」


20040525