凍える体を

 コンビニエンスストア、コンビニというものは今や、どこの県であろうと町であろうとあるいはどこの村においてさえも、頻度の差こそあれ必ず見つかると言えるまでに普及した。その名の通り便利な店であることに疑いはなく、雑誌があって食料があり飲み物も豊富なうえ簡単な日用品まで置いてあり店によってはアルコールまで用意してあった挙げ句ついでにトイレまであるような建物が二十四時間営業だというのだからもう、その気になればそこで「暮らせる」と言っても過言ではない。眠るのは温かいコピー機の上。十円。
 そしてさらにコンビニの便利な要因の一つとして、購入した食料をその場で温めてくれるというサービスが挙げられるだろう。自分はコンビニ利用歴が長くしてまだ一度も食材を温めてもらったことはないが、とはいえあれはなかなか気が利いていると思う。店員さんから見れば面倒なだけの作業なのかもしれないし、ともすれば混み具合に混乱した結果として、受け取った弁当をレジに突っ込み千円札を電子レンジで温めた挙げ句にまったく関係ない肉まんを手渡してしまったりするかもしれないがそこはそれ、現在のコンビニ間における競争率を考えると今さら外せないサービスではあるのだろう。

「これ、あっためてもらえるかな」
「はっ?」

 と、今日も今日とていくつかの買い物をしてレジに向かおうと思ったその時だ。あまり耳慣れない店員の返答は、周囲の目を引くに充分足りえた。何をそんなに驚くことがあるのか、対象は一体何か。いや何であろうと本来自分には関係ないはずなのだけれども、私の中でパカラパカラと走り始めた野次馬を今さら止めることなどできはしない。ゆけ覗くのだ。ヒヒーン。
「だからこれ、あっためて」
「これを、ですか」
 …おお。その正体を知った私は大変のけぞったゆえ落馬しそうになった。バルルル。
 卵である。男性と私と店員、その三者の眼前に控えしはまさに、いま艶やかな白い殻を身に備えた生タマゴである。この男性、シゲハル(仮名)四十二歳(仮齢)はなんと、六個入りパック生卵それだけをレジに携え、それを奥の電子レンジでさあ温めよと命じるのだった。神への冒涜か現代社会への挑戦か、なにしろ一般常識で考えて無茶であることに疑念の余地はない。

 確かにコンビニという、客を選ばず万人を受け入れるところの体系であれば、たまにはおかしな人も来るのだろう。ウケ狙いで行動する学生や前後不覚の中年なども基本的には拒むことができない。そして被害者は大抵の場合レジの人だ。
「何か温めるものはございますか」
「僕の心を温めてください。うひうひうひ」
 すぐ後ろでこの腐れた言葉を聞いた時にはもう、客である私ですら鈍器のようなものを探してしまった。あるいはとっさに傍の「甘栗むいちゃいました」を手に取り窒息させてしまおうかと思った。甘栗つめちゃいました。

 さてつまりそんなお寒い人も時として訪れるこの体系、となると今回もその類なのだろうか。
 が、どうも見る限りではシゲハル、ものすごく大真面目のようだ。なぜ店員は自分の依頼を素直に聞き入れてくれないのだろうか、そんな怪訝そうな表情すら見て取れるような気がする。
「ん、だから、あっためてよ」
「あのう」
「いやほら、ゆで卵がなくってさ」
 …おお。なるほど、やっと少しだけ理解できた。
 シゲハルはゆで卵を食べたかった。今夜は風呂上がりに窓際でゆで卵さ、そんなビジョンがシゲハルにはあった。今夜はゆで卵バクバクっす、そんな渇望がシゲハルには芽生えていた。しかしそこは単身赴任の辛さ、家に帰ろうと愛する家族はいない。いつも家内に任せたゆで卵。アルミ鍋でゆで卵を作ってはいけない、そんな基本などすら知る由もない。シゲハルは虚ろな目でゆで卵を求めた。そうだ、コンビニなら。ゆで卵を想いついにはそれを愛したシゲハルを待っていたのはしかし、売り切れという現実だった。嗚呼、終わりか。そう肩を落としたシゲハルの目に突如として入ってきたのはそう、未来を繋ぐ光とも思える生卵のパック、そしてそれに間違いなく熱を与えてくれるであろう電子レンジなのだった。
「あっため…あれ、単品ではダメなの?」
「や、あの」
 違う、違うんだよシゲハル。そういう問題じゃないんだ。たとえ弁当と一緒に買ったとて、あるいはコンビニのではなく家庭の電子レンジを使ったとて、その行為は許されない。なんとなれば卵というもの、そのまま細工なしに電子レンジで加熱すると破裂するのだ。この事実は有名なものなのだが、単身赴任でしかも厨房に入らずままの男子であったシゲハルには多少荷が重い知識ではある。

 さて、それにしてもレジの人はどうするのだろうか。シゲハルだって悪ふざけで言っているのではないし、また彼は「あ、あ、あのね、これ温めるとね、ヒヨコちゃんピヨピヨ、ふは、ヒヨ、ヒヨコちゃん」というような一種特異な人というわけでもない。そこに罪は認められず、無碍に断るのもこれなかなか不憫というものだ。
「無理?」
「え、あのう、すみません、お弁当類だけということになっておりまして」
「えー。ちょっとでいいんだけど」
「申し訳ありません」
「ふーん。そうかあ。じゃあいいやあ」
 なるほど。お弁当類だけ云々というのは機転を利かせたうえでの方便だろうと思うが、何にせよ賢明な判断であっただろう。性格の悪い店員だったら、もしくは親切ながらも何も知らない店員だったら、今ごろ電子レンジの中で「ばふ」とかいう嫌な音が響いているところだ。それはそれでちょっと見てみたい気はするものの、今のところはレジの人に拍手を送りたい。

 ところで、だ。やんわりとはいえ訴えを棄却されたシゲハル、彼はその後どうしただろうか。他のコンビニで同じことを言い出さないように祈るばかりではあるけれども、なあシゲハル、私で良ければゆで卵の五つや六つ、いつでも作ってあげよう。だから今度からは、私を含む周囲に訊くなり相談するなり、ともかく事の前にちょっと他人に頼ってみてはどうだろうか。そう、いつかどこかで、今度は「これ冷たすぎるから温めて」とペットボトルのコーラなんかを差し出したりする前に。


20031030