推理小説

「探偵さん、こちらです」
 何かうさん臭いものでも扱うかのような目を私の足元あたりに落としながら、若い刑事らしきその人物はそう促した。
「はへ。あ、えへん、うん。ありがとう」
 探偵さん、と突然呼ばれいささか面食らったが、ここで取り乱してはいけない。いかにも私は間違いなく探偵という身分ではあって、そして探偵たるものすべからくクールであるべきだ。やたらと感情を出すのはご法度だし、赤ちゃん言葉なんてもってのほかである。

「足元にご注意ください、探偵さん」
「探偵さん、か」
「え、何か」
「探偵さんというのもどうも聞き慣れない呼び方だ。そうだな、構わないからこれからは苗字の『百津川(もつかわ)』で呼んでくれていい。焼き鳥みたいだが本名だ」
「は。では百津川さん」
「言いにくそうだな。なんなら『コナン君』と呼んでもらっても構わんぞ」
「は。ではコナン君」
「…やっぱり百津川と呼んでくれ」
 こんなところで長話をしているのには訳がある。実のところ私は事件現場なんてものは大嫌いなのだ。できることならばこのまま少しずつ後ずさりして帰ってしまいたい。
「あ、百津川さんお疲れさまでーす」
 と、やれやれ。遠くからの声によりやっぱり帰れなくなったようだ。

 もう五年ほど前になるだろうか。偶然にも居合わせた私が、迷宮入りと思われた一つの事件を「犯人は女だ」という一言で見事にも解決してしまってからというもの、難事件と呼ばれるものには必ずと言っていいほど駆り出される身になってしまった。何のことはない、男か女かのどちらかしかあり得ないのだからまったくの勢いによる当て推量で五〇%の確率な適当をこいてみただけなのだが、ともあれその事実が、私が今ここにいることへの説明となるだろう。

「さ、こちらです」
「あ、ども」
 顔見知りの刑事に促されるまましぶしぶ「現場」に入ってはみたものの、これはまたひどいことになっている。お昼のカツサンドが上がってくる思いだ。牛か俺は。
「うあー…」
「ひどいもんでしょう。すみませんね、まだ検証が途中なもので」
「ひやー。惨状、と言うしかないね」
「サンジョウ?」
「ああ」
「や、ええと、六畳ですこの部屋」
「違う」
 目をパチクリさせている刑事をよそに私はハンカチを口に当てる。タンパク質の醗酵臭、奥歯のあたりにしみる赤い鉄分の匂い、そして何より、この生活臭を失い舞い上がるホコリには我慢ができない。確かに幾度かの経験からそろそろ現場には慣れつつあったが、だからと言ってどう考えても気分の良いものではない。どうでもいいからもう早く帰りたい、それが偽らざる本音だ。

「…いうわけで、間違いなくコロシです」
「ふえ?」
「コロシ、です」
「あ、うん。そりゃまたお気の毒」
「側頭部を右から左へ撃ち抜かれています。鑑識がまだなんであれですが、私見ですと、射撃用ライフルでしょうね」
「ふーん」
「ところがちょっと不審な点がありまして、百津川さんにご足労願ったわけです」
「へえー」
 はっ。いかん、気が動転してうっかりただの見学者に成り下がっていた。もしかすると探偵というのは「ふーん」とか言っちゃいけないのではないだろか。偉そうにするのも気が引けるが、やはりここはひとつ「クールなあんちくしょう」を気取らねばなるまい。

「ごほん。あー。ラララー。えへんえへん。ええと、で、その不審な点というのは?」
「はいそれが、この部屋は見たところ完全な密室なんです」
「みっしつ」
「ええ。ご覧ください。西側と東側の窓はハメ殺し、唯一開く南側の出窓、これですね、ご覧の通り外側に頑丈な柵があります。ここは八階で特に足場もありませんから、外からの偽装工作は不可能でしょう。そもそも各窓の周辺にはホコリが積もったままでしたから、犯人は窓に触れてすらいないと思われます」
「なるほど。窓はその三つだけかな」
「間違いありません。となると進退路はドアだけに絞り込まれるんですが、それも可能性としてはちょっと」
「なぜだね」
「これです」
「ビデオテープ、かな?」
「ええ。このマンション最近できたばかりでして、何だかあらゆる最新鋭セキュリティシステムを導入しているのが売りらしいんですよ。ドアの鍵なんかは指紋認証型ですし、さらに各部屋の前には二台ずつの監視カメラが付いているんです」
「ふむ」
「我々で早速そのテープを確認しましたが、映っているのは被害者一人、時間は死亡推定時刻の約二時間前です。それから我々が現場に到着するまで、出入りした人物はいません。もちろん、被害者以外の指紋はどこからも検出されませんでした」
「うーむ…。ビデオテープの正当性は?」
「確認しました。左右から二台、まったく同じ光景です。ビデオのカウンターにも不審な点はなく、編集した形跡もありません。エレベーター、非常階段のカメラも同様です」
「なるほど。…待てよ、となると通報はどうやって」
「匿名で、公衆電話から通報がありました。ボイスチェンジャーを使い、しかもこの現場を知っているとなると犯人に間違いないでしょう。現在、周辺で捜査を行っていますが…」
「手応えなし、か。」
「ええ。逃走経路と方法がわかればまた少し聞き込みの結果が違うのではないかと思うんですが」
「うーむ。完全な、密室か」

 それにしてもベラベラベラベラとよくしゃべる刑事だ。警察関係者でもない私にこれだけしゃべってしまって良いものだろうかとこちらが心配になってくるが、まあそれだけ私に信頼を寄せてくれているということだろう。厳密に言うとそこからしてもう間違いのような気はするけれども。
 さて、しかしこれまたいやな事件だ。
 窓からは出られない、いや出たとしてもここは八階、飛び降りられる高さでもない。そしてドア周辺、エレベーター、非常階段にも不審人物の影どころか指紋すらない。しかし被害者は自殺ではなく、間違いなく他人に殺害されている。どういうことだ。

 確かに密室の殺人事件というのはよく聞くところだ。しかしそれらは全て「作られた」密室でしかあり得ない。密室を演出する偽装工作に過ぎないはずだ。現場から出た後に窓をはめ込む、あるいはドアの鍵をかける、場合によっては逃走せずに部屋に隠れているという「トリック」さえある。
 しかし今回の場合にはそのどれもが当てはまらないのだ。殺人者は確かにいる。この曰く密室での事件を知り通報してくるところからして、件の電話の主は間違いなく犯人だ。となればその犯人は間違いなくここで殺人を犯し、無事に逃走しているのだ。いったいどうやって。オカルト方面の話をまったく信じない私ですら、何か背に薄ら寒いものを感じる。

「ふーむう」
「難事件ですねえ」
「まったくだ。ワケがわからないよ。もうワケ若松。なんちて」
「若松っ? 犯人は若松という人物ですかっ」
「へ。いや」
「お前ら、若松という人物を当たれっ。アリ一匹逃すんじゃな」
「違う違ういや違うごめん待てそうじゃないごめんキャー違うんだすまん」

 まずい。もうそろそろみんなおかしくなってきている。季節にそぐわないまでのこの強い陽射しのせいなのか、そういえばこの部屋はやたらと直射日光が当たる向きのようだ。そう、直射日光が…直射日光、だと?
 一つの事実を受け止めるべくあわてて太陽を確認する。そうか。
 突然、私の頭の中で事件当時の光景がありありと再現された。ああ。陽射しの前で、文字通り全てが氷解していくのを感じた。そういうことだったか。盲点だったよ。太陽を見上げたままで、私は深く深く頷いた。

「なるほどな」
「え? わかったんですか」
「ああ、全部わかったよ」
「ど、どういうことですか」
「……」
「え?」
「ごめん。今の言い直していい?」
「は? はあ」
「謎は、すべて解けたっ」
「はあ」
 あれ。かねてから一度言ってみたいと思っていた言葉だが、いざ口に出すと微妙に恥ずかしい。しかもそれほど相手に対する衝撃力もないと来たもんだ。まったく。
「あー。ごほん。確認しよう。窓から出入りはできないね」
「ええ」
「ドアから出入りした形跡もないと」
「はい」
「凶器はおそらくライフルだ」
「ええ」
「となれば隣のビルからでも狙えることになる」
「いやちょっと待ってください。窓にも壁にも弾痕はありません」
「ふ。そんなものは必要ないんだ。見たまえ。あの太陽の光にて、全ては明るみに出た」
「太陽、ですか? そういえばこの部屋やたらと暑…あ」
「そうだよ」
「ま、まさか」
「…だろう?」

 どうやらまたも、私はこの密室での難事件を解決してしまったようだ。やれやれ。これでまた、どこへ駆り出されることやら。そんなことを思いながら片目を眩しそうにつぶってみせた私は、この事件の核心となるべき事実を喉から絞り出すのだった。

「屋根がないんだよ、このマンション」


20031020