半鐘を鳴らして

 身長、つまりおもに人間における体長、の扱いというやつはよく考えると不思議なものだと思う。
 体重あるいは年齢などについては他人に訊かれた際、意図的に隠そうとする(またはサバを読む)人はいるものの、これが身長である場合、そこに隠蔽しようとする動きが見られることは極めて少ない。そして何より身長というのは訊かれること自体稀である。言ってみれば、体重などに比べて自分もしくは他人の身長には執着がないということだろう。
 そもそも自分の身長というのはなかなか正確には知りがたいものであって、年齢は嫌でも自覚しているし体重は家でも気軽に量れるが、身長というのは一般家庭においてはまず測ることができない。ゆえ必然的に、自らも含めそこに対する興味が削がれているのではないか。

 確かに身長を正確に測るのは難しい。自分は公称として一八一センチだが(どうでもいいけど漢数字で「一八一」と書くと出来損ないの顔文字みたいだ)、厳密に言えばその身長は生活様態により日々大きくも異なるものだ。鴨居に額の上を直撃された朝に測ればもしかすると一八二センチかもしれないし、逆に鴨居に頭頂のふもと付近をえぐられた夕方に測れば一八〇センチまで落ちているかもしれない。ただ一つ確かなのは、私の頭が一日に二つもコブを作ったという事実だけだ。
 そういった測定の難しさにも阻まれることで、人の身長に対する考え方というのは薄れていくのではないか。せいぜい「自分より」高いか低いかという認識のみに終了し、年齢などに比べて数値上のあれこれに関しては、少なくとも他人のそれである場合ほとんど気にもかけていないのではないか。

 と、私はずっと思っていた。しかしそこが無知の蒙昧たる所以ではあって、何だか良くも悪くもアメリカナイズされた昨今、私はそこに一つの例外を発見するのだった。
 それが、「やたらとでかい人」だ。
 食生活が欧米化したと言われて久しく、そのせいなのかどうか、ともかく最近やたらとでかい人が増えたような気がする。なめてはいけない。何ともやたらとでかいのだ。

「うわー、大きいねえ」
 そんな感想が周囲から洩れるのもさもありなん、まるで待ち合わせ場所の建造物である。携帯電話の電波が弱い時にはそばにいるといい。ただし雷の時には近付くな。

「身長いくつ?」
 ここだ。他の人にはまず投げ掛けられることのないこの質問は、身長の高さも甚だしい人にのみ適用される。「ちょっと高い人」には興味がないものの、「ものすごく高い人」には数値上での興味があるのだ。高い人にとってはもういい加減うんざりする質問だろうが、答えないわけにもいかないだろう。なにしろこういう時の相手は八割方おばちゃんだと相場が決まっている。おばちゃんは答えを聞くまでは大変しつこい。

「へえー、すごいねえ」
 果たして答えてみればたぶんこんな抽象的な言葉が返ってくるのだろうから、まったく高い人には同情を禁じえない。かといってここでムガーと殴ってしまうと「犯人は身長二メートルぐらい」とニュースで流された挙げ句おそらく目立つため四〇分ほどで捕まるだろう。ここは我慢だ。

「手、見せて。手」
 何だか知らないが、背の高い人に会うと自分の手と相手の手を合わせてみたくて仕方のない人がいるらしい。そこに意味があるのかと問えば、たぶん何にもないだろう。しかしどうしてもその人はやってしまうのだった。

「うわー、大きーい」
 五分前からわかりきっていたことを声高に今叫ぶ人。これは専門用語で「時間の無駄」と言うのだし、そもそも無意味な行動に付き合わされた高い人はその後手を開いたままどうすれば良いのか。そのまま額に手を当てくぐもった声で「ポー」とか言ってみせればますます相手は喜ぶのだろうが、そこまでサービスする義務はないだろうしまた、もはや心の余裕もないだろう。

「ダンクシュートできる?」
 いったい何を言い出してくれたのだかさっぱりわからない。背が高いからと言ってバスケ部出身とは限らず、となれば自分がダンクシュートをできるのか否かなど情報として持っている人の方が少ないだろう。長髪の人を見るや「バンドやってるの?」とすかさず訊いてみる態度に匹敵するほどの安直さだ。

「リンゴ潰せる?」
 待て。ちょっと待て。背が高いという事実とリンゴを潰せるという能力とはまったくもって関連がないはずだ。どこで仕入れてきた知識だか知らないが、高い人に対して必要以上に幻想を押し付けるのはやめよう。

「バナナで釘打てる?」
 もっと関係ない。何か根本的に間違っているんじゃなかろか。

「ちょっとちょっと、並んでみようよ」
 並んでそこに何があるか。おそらくは何もない。しかしどうしてもやってしまうのだった。そしてこの並びたがる人が男性であった場合多くは、意味もなく足の長さまで比べてしまうのだ。ズボンを吊り上げたところで今さら無理というのが世間の見方だが、何であろう、それほど自ら進んで落ち込みたいのだろうか。理解に苦しむところだ。

「いいねえ」
 で、最後にはまたこれ曖昧な感想で締められることとなる。身長に対する嫉妬として「半鐘泥棒」と陰口をたたかれ、ちょっと何かを失敗しただけで「ウドの大木」と悪態をつかれることへの苦悩など彼ら彼女らは知る由もない。といってその苦悩を述べることもできず、高い人はただ寂しく微笑むだけなのだろう。私も含めた周囲から見れば羨ましいことではあれ、こうなるとさすがに「好きで大きくなったわけじゃない」という本人からの文句の一つも出てくるのではないだろうか。

「それ取って」
 で、行き付く先は「高いところの物を取る係」である。好き勝手に感嘆し好き勝手なことをさせた上、当初の驚きがなくなるや否や今度はいかにしてその身長を(自分のために)有効利用するかを考え始める。まさに自分勝手、エゴイストプラチナムもかくやと思うばかりのエゴイストである。シャネルもびっくり。

 自分が男であるからだろうか、昔から身長は高い方がいい、背の高い人は単純に羨ましく自分もそうなりたいと思ってきた。幸い、現在少なくとも身長に関してはコンプレックスを持つほど低くはないものの、それでもまだ成長するならして欲しいと思っていた。
 が、ものすごく身長が高い人に対する世間の接し方を目にする限り、例えば「これこれこういう生活をすればこれから二メートルも夢じゃありません」とアドバイスされたとしても素直に従えるだろうかと思えてくるのである。高い人には高い人なりの苦悩があり苦労もあるわけで、無闇に無い物ねだりをしたとて、そこに

「ちょ」
「あ?」
「つまんないこと書いてるヒマがあるなら、あれ取って。届かない」
「つまんないとは何だ。脚立でも何でも使って自分で」
「あれを、取ってと、言った」
「はい」


20031004